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・ ・ 【東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博】・
日本民族日本人の祖先は、琉球人やアイヌ人と同じ混血の雑種の縄文人であった。
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2019年6月7日00:56 産経新聞「政府は冷静「方針不変」 露大統領、平和条約「困難」
会談に臨むロシアのプーチン大統領(左)と安倍首相=山口県長門市
ロシアのプーチン大統領が日露間の平和条約締結は困難との見方を示したことに対し、日本政府は「安倍晋三首相とプーチン氏は日露間に平和条約がないのは不自然だという認識で一致している。条約交渉を加速させる方針は変わらない」(首相周辺)との立場だ。これまでの日露交渉の過程でロシア側が示してきた見解のため、日本政府は冷静に受け止めている。
プーチン氏は28、29日に大阪で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)出席のため来日する予定で、首相周辺は「首脳間で虚心坦懐(たんかい)に話すということ(が重要)だ」と語った。
外務省幹部は「ロシア側の発信の一つ一つに反応しても仕方ない」と強調。安倍首相とプーチン氏が昨年11月に日ソ共同宣言を基礎に交渉を加速させることで合意していることを踏まえ「合意に基づいてやっていくしかない」と述べた。」
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6月7日 産経新聞iRONNA「北方領土は返さない! ロシア「反日アイヌ民族」の正体
『中村逸郎』 2019/06/07
中村逸郎(筑波大学教授)
北方領土引き渡しに反対する集会が開かれ、参加者は「島はロシアの領土だ」などと訴えた=2019年1月20日、露モスクワ(小野田雄一撮影)
アイヌ民族博物館では民族伝承の踊りを披露する=2017年3月7日(川端信廣撮影)
「クリル諸島(千島列島と北方領土)は、私たちのものだ。ずっと住み続けよう」
これは北方領土に住むロシア人の声だが、プーチン政権は北方領土を支配する正当性を躍起になって主張している。ラブロフ外相は2019年1月17日の年頭会見の席で、「日本が第2次世界大戦の結果を受け入れる」ように強く求めた。さらに「北方領土」という名称を使用することに不快感をあらわにした。このように北方領土に対するロシアの主権をなりふり構わず打ち立てようとしている。
ラブロフ外相が繰りだす強硬発言に先立つ昨年12月17日、私はロシア国内で報じられたニュースに驚いた。プーチン大統領が「アイヌ民族をロシアの先住少数民族に指定することに賛成した」というのである。プーチン大統領の発言を引き出したのは、ロシア大統領府に設置されている「市民社会と人権擁護評議会」の1人、アンドレイ・バブシキン氏だ。プーチン大統領と面会の際、彼はこう訴えた。
「ロシア国内に住んでいるすべての民族の権利が認められているわけではありません。クリル諸島と極東のアムール川流域にかつて住んでいたアイヌ民族は、ロシア政府が作成している先住少数民族リストに記載されていません。いまアイヌ民族が暮らすカムチャツカ地方知事に、彼らをリストに追加するように要請してください」
こうして北方領土交渉でロシア政府が日本への強硬姿勢を崩さないなかで、最近、これまで知られることがなかったロシア国内のアイヌ民族が注目を浴びるようになったのだ。
補足しておくならば、先住少数民族に認定されると、さまざまな政治的、経済的な権利が付与される。例えば一定の割合で、自分たちの代表者を連邦機関や自治体に選出できる。民族文化や伝統儀式を守るための支援金がロシア政府から支出される上に、居住圏の天然資源を取得する特権も認められる。プーチン政権の思惑は、優遇措置を講じることで先住民族がロシア人に抱く疎外感を払拭(ふっしょく)し、彼らの存在を政治利用することにあるようだ。
話を元に戻すと、千島列島と北方領土(日本政府の公式見解にそって北方領土は千島列島に含まれない)のアイヌ民族が知られるようになったのは、17世紀にさかのぼる。当時は千島列島や北方領土だけではなく、北海道、樺太、アムール川下流域にいたる広範囲に住んでいた。北方領土をめぐって日露は互いに領有権を主張しているが、もともと北方領土と千島列島の先住民族はアイヌ民族であり、ラッコの毛皮や海産物などを日本人やロシア人などと交易していた。
でも2010年の時点で、ロシア国内でアイヌを名乗る(おそらく純血)のはわずか109人、そのなかの94人がカムチャツカ半島の南端に暮らすが、まさに民族の消滅に直面している。カムチャツカ半島に開設されている市民団体「アイヌ」の代表はアレクセイ・ナカムラ氏だ。彼のインタビューが、ロシアの通信社が運用するサイト(astv.ru、2017年5月15日)に掲載されている。
「ロシアのアイヌ民族は、日本がクリル諸島の返還を要求していることに全面的に反対しています。実は、アイヌ民族と日本人との間には悲劇的な歴史があるのです。ずっと昔のことですが、日本人はクリル諸島に住んでいたアイヌ民族を殺害しました。アイヌ民族の釣り道具や漁船を奪い取り、日本人の許可なくして漁業にでることを禁止しました。いわば日本人によるジェノサイドがあったのです。このためにアイヌ民族の歴史は損なわれ、日本と一緒に行動することが嫌になりました」
ナカムラ氏の語意は、日本批判をにじませている。ロシアのアイヌ民族は日本人に財産を略奪され、民族差別を受けたと訴えている。自分たちが先住民族なので、北方領土の返還を求める日本政府に真っ向から反対している。
歴史をさかのぼると、江戸時代の松前藩は歯舞諸島から色丹島、国後島、択捉島まで本格的に進出し、先住民族のアイヌ民族と接触した。ただナカムラ氏が声を荒げるほどに、日本人によるアイヌ民族への迫害があったのかどうか、真偽のほどは不明な点が多いが、当初、北方領土に約2000人のアイヌ民族が住んでいた。
いずれにしてもアイヌ民族は、北方領土をめぐる激動の歴史に翻弄された。1855年の日露和親条約で、択捉島と得撫島(ウルップ島)の間に初めて国境線が引かれた。この結果、北方領土のアイヌ民族は日本、得撫島以北のアイヌ民族はロシアの支配権に入った。
1875年の樺太・千島交換条約では、千島列島の全域が日本に編入された。得撫島以北のアイヌ民族も日本の支配下に移り、かれらの多くは色丹島に強制移住させられた。ナカムラ氏のインタビューでは、この強制移住を「日本人によるジェノサイドだ」と非難している。ただ、樺太がロシア領土に編入された際に、樺太に住む多くのアイヌ民族が北海道に移住した。
1905年のポーツマス条約で千島列島に加えて樺太の南部が日本領土になり、北海道に渡ったアイヌ民族の一部は故郷の樺太に帰還できた。でも、第2次世界大戦で侵略してきたソ連軍から逃れるために、ほとんどのアイヌ民族が日本人といっしょに北方領土と樺太から北海道に避難した。このようにアイヌ民族は日露の攻防のなかで居住地の変更を余儀なくされたが、彼らの日本への帰属性は強いのは間違いない。
他方で、第2次世界大戦の直後に少数のアイヌ民族は侵攻してきたソ連側につき、カムチャツカ半島に移り住んだ。だが、戦後のソ連社会で不遇の時代を迎えることになった。彼らは「ソ連人」に統合され、1953年にはソ連の刊行物からアイヌの民族名が消されてしまった。日本に移住した多くのアイヌ民族はソ連を裏切ったと見なされることが多く、ソ連国内にとどまったアイヌ民族はほかの少数民族と結婚するケースが相次いだ。アイヌ民族を名乗る人は減少し、すでに紹介したように109人ほどにすぎない。
ロシアの市民団体「アイヌ」は北方領土返還を求める日本政府への不信感を強めており、日本国内のアイヌ団体との交流はないようだ。
私が強調したいのは、アイヌ民族をロシアの先住少数民族に加えるプーチン政権の動きは日本政府との北方領土交渉のなかで浮上してきた点にある。ロシア政府の狙いは、領土交渉をより複雑化することにあるのは確かだ。
ロシア政府は、北方領土に進出した日本人がロシアのアイヌ民族を虐待したと言い立て、ロシア世論を領土返還反対の方向により強硬に誘導したいのだろう。外交的には日本政府が唱える「わが国固有の領土」の見解に対抗するために、ロシアのアイヌ民族を北方領土の先住民族に仕立てようとするもくろみも感じられる。
だが本来、北方領土は国家主権にかかわる問題であり、日本外務省の指摘するように「今日に至るまでソ連、ロシアによる法的根拠のない占拠が続いている」といえる。領土主権の問題は、プーチン政権が提起する「北方領土の先住民族」のテーマとは根本的に次元が異なる。日本政府は、「北方領土の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」という従来の方針(2001年、森喜朗首相とプーチン大統領が合意したイルクーツク声明)を変更する必要はない。
先住民族と国家主権の問題を絡めて議論すれば、世界各地で主権の獲得にむけて民族紛争が噴出し、収拾のつかない、まさに「パンドラの箱」を開けることになる。
日本政府はアイヌ民族を先住民族と明記する「アイヌ法案」を成立させた。これにより 「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現」を目指すことになる。これを契機にアイヌ民族に対する日本世論の関心が高まるだろう。これをテコに、アイヌ民族と元島民が共同して「日本の国家主権」を回復させる北方領土返還運動をより促進すべきである。」
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