🐉132』─1・D─香港民主派に厳しい判決「日本にもう一度行きたい」 周氏願いかなわず。~No.433No.434 

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 2020年12月2日16:44 産経新聞「香港の裁判所 民主活動家の周庭氏らに実刑判決
 11月23日、香港の裁判所に到着する周庭氏(AP=共同)
 【台北矢板明夫】香港の西九竜裁判所は2日、昨年6月のデモをめぐってデモ扇動罪などに問われた民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏(23)に禁錮10月、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏(24)に禁錮13月半、林朗彦(アイバン・ラム)氏(26)に禁錮7月の量刑をそれぞれ言い渡した。いずれも執行猶予はつかず、3人は再び収監された。
 香港紙、蘋果(ひんか)日報(電子版)などによれば、法廷で量刑を聞いた周氏は号泣した。3日に24歳の誕生日を迎える周氏の弁護士は上訴に伴う保釈を裁判所に申請したが、その場で退けられたという。一方、黄氏は傍聴席の支持者らに対し「頑張って耐えていく」と話しかけ、林氏は「後悔はしていない」と大きな声で叫んだという。
 周氏と黄氏は6月の香港国家安全維持法(国安法)の成立に伴い解散した民主派の政治団体「香港衆志」(デモシスト)の中心メンバーで、林氏は同団体の元主席。
 3人が罪を問われたのは、昨年6月21日、犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案に反対するため、デモを呼びかけるなどして、警察本部を包囲したことだった。デモには最大約9千人が参加し、近くで交通渋滞が起きたが、けが人や逮捕者は出なかったという。
 王詩麗裁判官は「デモは当局から許可を得ていなかった」と指摘し、「警察の権威に挑戦した」などとして3人を断罪した。3人は昨年夏に逮捕され、起訴後に保釈されたが、11月23日の公判で罪を認め、有罪の判断が下された後、収監されていた。
 判決を受け、香港衆志の元メンバーで台湾に逃れている男性は「平和的なデモの参加者がこのように刑務所に送られる時代になった。国際社会はもっと声を上げて中国に圧力をかけてほしい」と話した。」
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 12月3日 05:00 産経新聞「【主張】香港で周氏ら実刑 日本政府は釈放を求めよ
 香港の裁判所が、昨年6月に違法な集会を扇動したとして有罪の判断を下していた民主活動家の周庭、黄之鋒、林朗彦の3氏に対して実刑判決を言い渡した。
 この裁判は香港の自由と民主を損なう弾圧だ。判決は不当で認められるものではない。香港当局は3氏を釈放し、自由を保障すべきである。
 世界が、3氏を含む香港の民主を求める人々の身を案じていることを強調しておきたい。周氏は今年8月、香港国家安全維持法違反容疑でも逮捕されている。
 香港での弾圧は習近平政権の方針に基づく。香港の民主の芽を摘もうと国家安全法を施行し、北京の出先機関である「香港連絡弁公室」や「国家安全維持公署」は強権政治を広げようと動いている。国際公約である「一国二制度」や「港人治港(香港市民による香港統治)」は有名無実化しており、強い懸念を覚える。
 3氏は、「逃亡犯条例」に反対し、警察本部を包囲するデモを扇動したとして昨年8~9月に逮捕され、起訴後に保釈された。だが今年11月23日に保釈が取り消され、収監されていた。香港での弾圧強化を反映している。
 中国政府は、中国や香港は法治に基づく国であり社会であると強弁し、香港をめぐる国際社会の批判に反発している。だが、民主主義国では当たり前の自由や民主を求める人々を弾圧しているのだから、説得力はない。
 中国政府が取り組むべきは圧政を敷くことではなく、自国や香港の民主化である。
 米議会の超党派諮問機関「米中経済安全保障調査委員会」は1日、年次報告を公表した。
 報告は国家安全法施行などについて「中国の指導部が既存の約束事を破って、自国の評価が下がることなどを気にせずに政治的目的を追求する決意を固めていることを実証した」と指摘した。さらに政治的迫害を恐れて香港からの脱出を求める市民らに米国ビザ(査証)を発給するため各種制限を撤廃するよう米政府に求めた。事態はここまで切迫している。
 日本政府は3氏との連帯を表明し、中国、香港両政府に対して釈放を強く求めるべきだ。人権に関わる問題であり、「懸念の表明」や「事態を注視する」を繰り返すだけでは足りない。その先頭にたつべきは、菅義偉首相である。
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 12月2日20:39 産経新聞「香港民主派に厳しい判決「日本にもう一度行きたい」 周氏願いかなわず
ー=共同)
 11月23日、香港の裁判所に到着する(左から)周庭氏、林朗彦氏、黄之鋒氏(ロイター=共同)
 香港の著名な民主活動家、黄之鋒氏と周庭氏に2日、禁錮刑が言い渡された。執行猶予が付かない実刑判決は、両氏と国際社会の結びつきを断ちたい中国・香港政府の思惑通りとなった。今後、香港国家安全維持法(国安法)違反でも起訴されれば、収監が長期化する可能性が高く、香港の民主化運動にとって大きな打撃となる。
 黄氏と周氏が当初否認していた起訴内容を最終的に認めたのは、情状酌量を訴えるための苦渋の決断だった。黄氏は11月23日の公判前、「政府への抗争継続と法廷闘争の両立は難しい」などと支持者に明かしており、抗争の早期再開のため刑の減軽を狙ったようだ。
 それでも、実刑判決を免れることはできなかった。
 昨年6月に本格化した反政府デモではこれまでに1万人以上が逮捕され、違法集結や暴動罪などで2千人以上が起訴されている。
 連日のように一連の公判が行われる中、中国系香港紙が最近、情状を酌量した“温情判決”を厳しく批判し、その裁判官を個人攻撃するキャンペーンを展開している。裁判官さえも中国側の圧力にさらされているのが香港の現状だ。
 黄氏らの事件を担当した王詩麗裁判官も、反政府デモ関連の事件の公判で、比較的厳しい判決を出す女性判事として知られる。
 黄氏らの弁護側が11月23日の公判で、量刑に関し、一定期間の奉仕活動を命じる社会服務令が妥当と主張すると、王氏は「考慮に値しない」と一蹴した。周氏はこの時の心境を「すごく悔しく、やりきれない思いになった」と、面会に来た知人を通じて明かしている。
 周氏は、8月に国安法違反の疑いでも逮捕されており、起訴されれば収監が長期化するとの見方が強い。黄氏も今後、同法違反で逮捕・起訴されかねない。
 中国・香港当局は、米欧に対する黄氏の、日本に対する周氏の情報発信力と影響力を警戒している。2人の収監の長期化は、当局にとって好都合といえる。
 日本語が堪能で日本文化を愛する周氏は、国安法違反の疑いで逮捕される前、本紙の取材にこう語った。
 「人生でもう一度、日本に行きたい。それが今の私の夢です」
 新型コロナウイルスの影響ではなく、政治的理由によって、そんなささやかな夢さえも実現が難しくなっているのが、今の香港だ。(藤本欣也)」
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🐉68』─3─中国の圧力、台湾や香港で活発化 国連でも影響力 米議会超党派機関の報告書~No.196 

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 2020年12月2日08:44 産経新聞「中国の圧力、台湾や香港で活発化 国連でも影響力 米議会超党派機関の報告書 
 中国の国章(奥)と米国の星条旗(AP)
 【ワシントン=黒瀬悦成】米議会の超党派諮問機関「米中経済安全保障調査委員会」は1日、最新の中国情勢をめぐる分析と提言をまとめた年次報告を公表した。報告書は、中国による台湾周辺での軍事行動の活発化や6月の香港国家安全維持法(国安法)の制定に関し「中国の指導部が既存の約束事を破って、自国の評価が下がることなどを気にせずに政治的目的を追求する決意を固めていることを実証した」と指摘し、米国が台湾と経済を中心に関係を緊密化させ、中国に対抗する必要があると提言した。
 報告は、中国が今年に入って台湾への軍事的圧力を一層強化させていることに関し「米国が長年の台湾政策を変えることの是非や、中国の『台湾統一』が米国の安全保障上の利益に及ぼす影響について早急に議論する必要があることを浮き彫りにした」と指摘した。
 また、中国軍の艦船や航空機による台湾周辺での行動の活発化により、偶発的事故や誤判断を原因とする危機が発生する恐れが高まると警告した。
 台湾支援策の一環としては、米国の対台湾窓口機関「米国在台協会」(AIT)の事務所長(大使に相当)について、一般の大使職と同様に大統領が指名し、上院が承認するよう求めた。事務所長は現在、国務長官が選び、上院の承認を必要としない。
 香港での国安法の制定に関しては、政治的迫害を恐れて香港からの脱出を求める住民らに米国ビザ(査証)を発給するために各種制限を撤廃するよう米政権に求めた。
 報告書は一方、「中国は国際的な統治システムを、普遍的価値観や個人的権利と相いれない自国の原則に合致するよう改変、破壊している」と批判し、中国が経済力をテコに国連や他の国際機関で影響力を拡大させていると訴えた。
 中華思想に基づき世界秩序を変えていこうとする策動は習近平体制から始まったものではなく、今後も続いていくと指摘し「米国益や国際機関、世界の自由民主体制に対する長期的な課題となる」との見通しを明らかにした。
 中国が半導体人工知能(AI)、クリーンエネルギーといった先端分野での世界的覇権を目指し、外国企業に技術移転の強要やサイバー攻撃による関連技術の窃取などを繰り返しているとも批判した。
 新型コロナウイルスをめぐっては、中国が医療機器を提供するなどの国際支援を通じて「責任感があり親切な国際的リーダー」であるかのように振る舞い、中国型の統治モデルが自由民主主義的な統治よりも優れていると見せつけようとしたが、あまり効果を上げなかったと指摘した。」
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 12月2日10:54 産経新聞「ロシアと中国を「巨大な脅威」 NATO、10年間の課題まとめた報告書 
 ブリュッセル北大西洋条約機構NATO)本部に掲げられたNATO旗(中央)を囲む加盟国旗=2018年6月(共同)
 【ロンドン=板東和正】北大西洋条約機構NATO)は1日、今後10年間の課題をまとめた報告書「NATO2030」を公表した。ロシアや中国を「巨大な脅威」と位置づけ、侵略行為やサイバー攻撃などに対処できる体制の構築を訴えた。
 報告書は独立した専門家グループが作成し、1日からオンラインで始まった外相会合で発表された。2日までの会合で議論された内容を踏まえ、ストルテンベルグ事務総長が21年に開催予定の首脳会議でNATOの今後の行動指針をめぐる戦略を提案する方針だ。
 報告書では、中国について「経済や軍事的な力に支えられ、グローバルな戦略を発展させている」とした上で「NATOは同盟国の安全を損なう中国の活動を予測し、対応する能力を高める必要がある」と表明。海洋進出などを進める中国の安全保障上の課題を議論する諮問機関の設置や、中国が仕掛けるサイバー攻撃や偽情報の拡散に対抗するための取り組みを継続することを求めた。
 ロシアについては、14年のウクライナ南部クリミア半島の併合をあげ、領土侵略が可能であることを証明したとし、「今後10年間はNATOの主な脅威であり続ける」と予測。ロシアの侵略行為に応じて制裁を強めることを同盟国に呼びかけた。また、NATO軽視の姿勢が目立ったトランプ米政権によって米国と欧州加盟国の間に溝が生じたことを受け、報告書は「ロシアや中国がNATOの政治的亀裂を悪用し、同盟国の安全を危険にさらす」と結束強化を強調した。
 NATOが10年の首脳会議で採択した10年間の行動指針となる「新戦略概念」ではミサイル防衛をめぐる対露協力などが盛り込まれ、中国については言及されなかった。ストルテンベルグ氏は今月1日、報告書について「(10年から)安全保障環境が根本的に変化した事実を反映している」と述べた。
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☭88』─1─ロシア、日本領土北方領土に対日戦用地対空ミサイル「S300」を初配備か~No.170No.171No.172 

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 ソ連軍とロシア人共産主義者は、逃げ惑う日本人避難民(女性や子供)を大虐殺した。
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 2020年12月1日20:05 産経新聞北方領土解決「一歩一歩」 首相、根室市長との面会で決意
 出邸する菅義偉首相=1日、首相官邸(春名中撮影)
 菅義偉首相は1日、北海道根室市の石垣雅敏市長と官邸で面会し、北方領土問題に取り組む決意を重ねて表明した。「問題を解決して平和条約を締結するという基本方針にのっとり、一歩一歩だが、しっかり取り組みたい」と述べた。
 9月に電話会談したロシアのプーチン大統領との間で、平和条約問題を含め対話を継続する考えで一致したことも強調した。石垣氏は記者団の取材に、首相が成果を上げるよう期待感を示した。」
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 12月1日21:43 読売新聞「ロシア、北方領土に地対空ミサイル「S300」を初配備か
 【モスクワ=田村雄】ロシア国防省は1日、クリル諸島北方領土を含む千島列島)に地対空ミサイル「S300」を初めて実戦配備したと発表した。露国防省は具体的な配備場所を明らかにしていないが、ロシアの軍事ニュースサイトは択捉島を配備先に挙げており、北方領土に配備された可能性がある。
 S300は中距離弾道ミサイルの迎撃も可能で、露軍は中東シリアの内戦にも投入している。ロシアは北方領土の軍備拡充を図っており、今年10月には最新型の主力戦車T72B3の配備を開始したと報じられた。」
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🔯10」─1─『旧約聖書』は戦いの書物。~No.26No.27No.28 

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 現代日本人には、歴史力の他に宗教力や文化力も乏しい。
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 ユダヤ教旧約聖書キリスト教新約聖書の正統性は、絶対神と関わりを持つ血筋・血統である。
 ユダヤ教の王統やキリスト教の皇統における正統性は、宗教である絶対神が承認していた。
 宗教に拠らない人の王統・皇統にあるのは、神聖な正統性でなく、便宜的な正当性のみである。
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 ユダヤ教旧約聖書キリスト教新約聖書イスラム教・コーランの中には、奴隷が存在する。
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 2020年11月29日 読売新聞「文化 本よみうり堂
 『旧約聖書〈戦い〉の書物』 長谷川修一著 慶應義塾大学出版会
 『対立』で読み解く歴史
 評・山内志郎
 旧約聖書をどう読むべきか。読み始めた人は複雑多岐な歴史と人名の列挙の中で迷子になる。一貫した思想を読み取ろうとする努力を凌(しの)ぐ複雑さと難解さがある。
 本書は迷わないための道筋を示す。人名の列挙も血統の追跡可能性を示し、原初の契約が現在でも継続することを示す根拠になる。旧約聖書を、相対立する勢力の拮抗(きっこう)する書物として見ると変わってくる。
 本書は六つの〈戦い〉を基軸とする。『イスラエル』という地域の誕生、神のアイデンティティ、『真のイスラエル』の担い手、祭司の正統性、『神の言葉』、異民族との結婚はそえれぞれ戦いだった。
 旧約聖書の最初の五つの書『律法』にはユダヤの歴史が刻み込まれている。紀元前7世紀ごろのヨシュア王の治世での改革(『申命記革命』)が断行され、その後、バビロン捕囚を迎える。政治と宗教をめぐる大改編が、諸血統の勃興と衰退を引き起こし、様々な戦いの一筋を形成した展開は手に汗握る展開である。
 預言者モーセの血統(ムシ族)と、モーセの兄アロンに由来する血統は、北イスラエル王国と南ユダ王国の興亡の中で、支配と従属をめぐって、権力と職分をめぐる『戦い』の中にあった。民族の代表的な血統の流れと、ユダヤ教の宗教組織とその内部における理(ことわり)の対立構図が見えてこそ、旧約聖書のなかの大きな歴史の道筋が浮かび上がってくる。
 旧約聖書は、新約聖書を準備したものとしての読み方もあるが、本書は、古代に成立していた世界システムの激動を示す解説書とみる。
 とりわけ、神ヤハウェをめぐる戦いは、一神教成立の様を解説する。祭りを司(つかさど)るレビ人とは何かを説明しながら、聖職者たちの中でも多くの階層の存在とそれらの軋轢(あつれき)を読み取り、旧約聖書の舞台裏を示す。預言者と祭司の関係に、旧約聖書の書き手とユダヤ教の担い手との対立が示されるなど、旧約聖書への関心を否(いや)が応でも高めてくれる本だ。」
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 元祖古代イスラエル12部族:1,ルベン族、2,シメオン族、3,レビ族、4,ユダ族、5,ダン族、6,ナフタリ族 、7,ガド族、8,アシェル族、9,イッサカル族、10,ゼブルン族、11,ヨセフ族、①マナセ族、②エフライム族、12,ベニヤミン族。
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 旧約聖書は、絶対神に愛され祝福されても何時かは絶対神に見捨てられる事を物語っている。
 イスラム王国は、サウル国王(ヨセフ族)が前1012年に建国した。
 2代目国王ダヴィデ(在位前1010頃~970年頃、ユダ族)。
 3代目国王ソロモン(在位前961年頃~前922年頃)。ダヴィデの子。ソロモン王が逝去して王国は北のイスラエル王国(ヨセフ支族)と南のユダ王国に分裂した。
 バビロンの捕囚。イスラエル王国は前722年に、ユダ王国は前586年に滅ぼされ、敗戦国のユダヤ人達はバビロンに強制連行された。
 前638年 アケメネス朝ペルシャのキュロス二世は、全オリエントを征服し、ユダヤ人達にイスラエルへの帰還を許した。
 ダヴィデとソロモンの血統を正統とする千年王国は、地上には存在しない。
 絶対神の深い御心を疑ってはいけない。
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 ダヴィデの男系父系血筋。アダムとエバの子セト…→ノア…→アブラハム→イサク→ヤコブ→ユダ(第4支族)…→ダヴィデ→ソロモン…→ヨセフとマリア→イエス・キリスト
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 ウィキペディア
 イスラエルの失われた10支族(英: Ten Lost Tribes)とは、旧約聖書に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)を指す。
 日本語では「失われた10部族」ともいうがどちらが正しいということはない。ただし「失われた10氏族」という表記は誤りである。
 古代イスラエルの歴史
 『聖書』によると、族長アブラハム(紀元前17世紀?)がメソポタミアのウルの地からカナンの地を目指して出発したことによりイスラエルの歴史がはじまる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住するが、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。奴隷の時代が400年程続いた後にモーセ(モーゼ)が諸部族をエジプトから連れ出し(紀元前13世紀?)、シナイ半島を40年間放浪し定住を始めた。200年程かけて一帯を征服して行く。
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メシアは、ヘブライ語のマシアハ(משיח)に由来し、「(油を)塗られた者」の意。
 出エジプト記には祭司が、サムエル記下には王が、その就任の際に油を塗られたことが書かれている。後にそれは理想的な統治をする為政者を意味するようになり、さらに神的な救済者を指すようになった。
 メシアのギリシャ語訳がクリストス(Χριστός)で、「キリスト」はその日本語的表記である。キリスト教徒はナザレのイエスがそのメシアであると考えている。イエスをメシアとして認めた場合の呼称がイエス・キリストである。イスラム教徒もイエスをメシア(マスィーフ)と呼ぶが、キリスト教とは捉え方が異なっている。
 対象はユダヤ人やユダヤ人社会に属するものであるとは限らず、イザヤ書では異教徒であるアケメネス朝のキュロス2世がメシアと呼ばれている。
 概説
 ヘブライ語におけるmashiachという単語は、直訳すると「油をそそがれた」という意味をもち、誰かあるいは何かを聖油によって聖別することを指す。

 ユダヤ教の終末論においては、メシアの概念は、ダビデの子孫から生まれ、イスラエルを再建してダビデの王国を回復し、世界に平和をもたらす存在とされている。
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*不寛容な攻撃的普遍宗教
 唯一の絶対神を信仰する一神教は、多神教よりもはるかに他宗教に対して不寛容である。
 モーゼは、マディアンの民を滅ぼす為に「男は子供でも殺せ。男を知った女も殺せ。処女はお前達の慰みに与えてやる」
 旧約聖書は、絶対神の名の下で、ユダヤ人以外の異邦人を根絶やしにし、生き残った異邦人を奴隷として所有し家畜と伴に競売にかける事も他人に贈答する事も認めている。
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 一神教に於いて、絶対神によって定められた法は、世俗の君主が定めた法律より上位に置かれた。
 信教の自由は、人間が作った立法にあっても、絶対神が授けた律法にはない。
 国家の法律には信じない自由が認められるが、宗教的な特定地域の掟には限りなく信じない自由は認められない。
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 旧約聖書は、絶対神との契約に基づく厳格な「道徳」を説いているが、あやふやで移ろいやすい人間の「良心」は言及していない。
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 旧約聖書にもとずき、神の戒律に従い、信仰によって絶対神と契約したユダヤ人のみが、正しき心を持った選ばれた人である。
 『旧約聖書』「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。あなたは如何なる像も造ってはならない。」(『出エジプト記』第20章)
「あなた[イスラエル]に仕えない国も王国も滅び 国々は全く廃墟となるであろう(イザヤ書60章12節)……他国の人々が立って貴方たちの為に羊を飼い……貴方たちは国々の冨を享受し(イザヤ書61章5〜6節)」
 「私は、復讐する」
 新約聖書にもとずき、神の愛に目覚め、信仰によって絶対神と契約したキリスト教徒のみが、神の子として死んだ後に魂が神の国に行ける。
 『新約聖書』「あなた方がわたしを選んだのではない。わたしがあなた方を選んだ」(ヨハネによる福音書第15章16節)
 「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづく」(コリント人への第二の手紙)
 マホメットが授かったコーランの掟に従い、信仰によって絶対神を称えたイスラム教徒のみが、殉教者としてその魂は72人の聖なる乙女が待つ天国に行ける。
 『コーラン』「かくして彼らは恥と惨めさを負わされ、アラーの怒りを招いた。これは、彼らがアラーの啓示を信じず、預言者達を不当に虐殺したからである。それは彼らの不服従と罪のせいである」(2章61節)
 いずれの普遍宗教も、排他的差別主義から、一神教として絶対神を信じない異教徒は獣と決めつけていた。
 異教徒は、人ではなく邪悪な存在とされた。正しい心を持った人間は、万物の支配者として、神に愛された人に害をなす自然の脅威を破壊して屈服させ、神の愛を拒否し従わない邪な心を持った異教徒を聖なる火で生きたまま焼き殺した。
 白人至上主義者は、排他的な名門主義者であり、閉鎖的な血縁重視主義者として、キリスト教徒白人以外の有色人種を動物同様にあつかった。
 信仰による人種的優越感により、人としての心の弱さや痛さや脆さを持たず、強者としての卓越した強靭的精神を誇示していた。ゆえに、彼らは地球上の覇者として世界を支配した。
 ちなみに、反宗教の無神論者は、宗教を憎悪する共産主義者同様に死生観、死後観を持たない。
 ゆえに、彼らは死後の世界を完全否定し、魂の救済や癒しや安らぎなど心の平安を認めない。
 つまり、彼らにとっての絶対的価値観は「生」であり、「死」とは絶望であり消滅であり漆黒の虚無にすぎない。
 それゆえに、彼らは全ての宗教を敵視して弾圧を加え、宗教そのものを破壊しようとしている。彼らは、嬉々として「神殺し」を行っている。
 マルクス「人間が宗教をつくるのであり、宗教が人をつくるのではない」「宗教は抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である」(『ヘーゲル法哲学批判序説』)
 「民衆の幻想的幸福である宗教を廃棄する事は、民衆の現実的幸福を要求する事である」
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 『旧約聖書詩編137篇「われわれはバビロンの川のほとりに坐り、シオンを思い出して涙を流す」
 バビロンの捕囚として異郷に強制連行されたユダヤ人は、人間性を否定された奴隷という不幸な境遇を慰める為に故郷を偲び、惨めな生活の悲哀をやわらげる為に何時か故郷に帰還するという希望を持ち、近い将来に現れる救世主によって救われるという夢を抱いた。
 ユダヤ人は、モーゼのような予言者が現れ、捕囚という民族の不幸から救い出さ、失われた祖国への帰還を絶対神に祈った。
 ユダヤ教は、そうしたユダヤ人の切なる希望から生まれた。
 だが、ユダヤ人が如何に絶対神に祈り願っても、希望の多くは裏切られ叶えられ事がなかったが、それでも「希望」が叶えられる様の絶対神に祈り御心に委ねた。
 現実社会は、絶望の方が多く、希望が叶えられる事は極稀な事である。
 絶対神の御心に叶い「希望」が現実化する事を夢見て、人は自分自身を見つめ生き方を改めに日々の苦しみを耐え忍んだ。
 サミュエル・ベケット「我々には待つ事しかない。何を待つのか。それが分からないのだ。ただ待ち続ける事が生きるという事なのだ」(劇曲『ゴトーを待ちながら』)
 『聖書』とは、絶対神の恩寵で、絶望から救い出してもらう事を期待する「希望」の書である。
 悲惨な状況下で絶望に沈みかける人の心を希望につなぎ止める為に、心に響く音楽が生まれた。
 ウォルター・ペイン「全ての芸術は、常に音楽の状態に憧れる」(『ルネッサンス』)
 エミール・シオランルーマニア人)「およそ真の音楽が、楽園への悔恨から生まれたものである以上、例外なく涙に由来する」
 音楽は時間の制約を受けず、過去と現在の絶望を未来の希望に導く霊力を持ち、悲哀・悲嘆に暮れる人々に涙を流させる事によって生きる望みを与えた。
 それは、「希望」を勝ち取り為の、現実からの逃避ではなく、ありのままの自己自身との出会いである。
 エルンスト・ブロッホ「私はある。我々はある。それで十分だ。ともかく始めなければならない」
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 亡国の民となり異教徒の支配で生活していたユダヤ人達は、神の子が自分達を異教徒から救い出し祖先の地に導いてくれる救世主(メシア)が表れる事を願っていた。
 ユダヤ教とは、排他的な民族性のみのメシア待望信仰であった。
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 旧約聖書は、天皇心神話である日本神話に比べて、血に塗られた気絶するほどの勇猛果敢な英雄叙情詩である。
 虐殺に次ぐ虐殺、陰謀に次ぐ陰謀の生々しい聖典である。
 それに比べて天皇の残虐物語は、子供の様なお粗末さである。
 天皇の物語は、世界の血生臭い経典に比べて、子供向けのおとぎ話程度に過ぎない。
 日本神話は、世界の神話に比べてちゃちな物語である。
 天皇中心の日本神話とユダヤ教旧約聖書とは、共通性は無きに等しいほど無縁である。
 天皇崇拝とユダヤ教は、縁もゆかりもない。
 日本民族ユダヤ民族も、また縁もゆかりもない。
 天皇は、ユダヤ人とは無関係である。
 日本神道は、人である祖先を神として祀り、氏神・祖先神として崇拝する。
 天皇は、氏神・祖先神信仰ゆえに存在する。
 新約聖書コーランも、旧約聖書から分かれたものである。
 日本の天皇は、日本民族日本人であり、ユダヤ人ではない。
 それは、水と油のように決して交わる事がない、異質なものである。 
   ・   ・   ・ 
 ネアンデルタール人ホモ・サピエンス(新人・現生人類)の違いは宗教であり、滅亡と生存の分かれ道は信仰の仕方にあった。
 ネアンデルタール人の宗教は、血縁・家族のみに共通する内々の小グループ信仰の為に血縁・家族でない他人グループまでを含める事がなかった。
 ホモ・サピエンスの宗教は、血縁・家族を超えてその地域に住む全ての人間を同じ信仰者とする大グループ信仰の為に、他の地域に住む血縁・家族ではない他人グループも迎え入れ信者数を増やし、生存圏を広め、食糧が不足すれば親友として支援して助け合い、敵対する宗教グループとの戦いでは戦友として協力して戦った。
 現代の普遍宗教=世界宗教は、こうして生き残ってきた。
   ・   ・   ・   
 古代国家は、宗教を中心に誕生し発展してきた。
    ・   ・   ・   
 日本神話である天皇神話(民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・国譲り神話)は、世界の神話・宗教の中でも争い・戦争が少ない平和的で穏やかな物語である。
 敵対した出雲の大国主命に対して、統治していた国を脅迫して譲らせる代わりに重要な神として祀る事を約束した。
 それが、正史『古事記』『日本書紀』の中の出雲神話である。
 死を怖れ血を穢れとすして忌避する日本神道は、世界の宗教の中でも珍しい。
 血の生贄に恐怖し、意に沿わない、嫌々な死では怨霊・悪霊を生んで呪われるとして、埋葬者への殉死者を埴輪に代えて傍らに置いた。
   ・   ・   ・   
旧約聖書:〈戦い〉の書物 (世界を読み解く一冊の本)

 AFP
 正統派ユダヤ教徒の女性、弾圧へと立ち向かう - イスラエル
 2007年2月10日 3:42 発信地:イスラエル [ 中東・北アフリカ イスラエル ]
 写真はエルサレム(Jerusalem)で4日、バスの中で祈りをささげる超正統派ユダヤ教の男性乗客。(c)AFP/GALI TIBBON
 【エルサレム/イスラエル 11日 AFP】2004年のある夏の蒸し暑い日、バスの車内でユダヤ人強硬派らが、1人の女性乗客に対して車内後方に移動するよう命じた。ただ選んだ相手が悪かった。彼らが命令した女性というのは、フェミニスト作家のNaomi Ragen氏だったのだ。
 「言ってやったの。すいませんが、この席に私が座ってはいけないという条文が、ユダヤ法のどこに書いてあるのか、ちゃんと示してくれたら、ここをどきますよ。それまでは、私の目の前から消えなさい、とね。そうしたら、バスに乗っている間、えんえんと侮辱され続けたの」ニューヨーク(New York)生まれのRagen氏は遠慮のない口調で、当時をこう振り返る。
 Ragen氏はユダヤ教超正統派(Haredi)に残る女性への圧力に不満を募らせて、9年前にユダヤ教正統派へと移ったのだ。
 先週、運輸省と、路線バスを運営しているEgged Bus Cooperativeを相手取って訴訟を起こし、女性乗客に対して、バスの後方への移動を命じるなど性差別を行っている30路線の廃止を要求した。
 このような女性差別がある路線の運行が開始されたのは、約10年前。超正統派教徒がが、この会社のバスへの乗車を拒否し財政上の打撃を与えると脅迫、こうしたバス路線の導入を強要した経緯がある。
 Ragen氏ほか4人の女性らは、黒いコートをまとった強硬派から言葉や肉体的な暴力を受けたと訴えており、徐々に社会に広がりつつある過激な思想に対抗している。
 写真はエルサレム(Jerusalem)で4日、バスの中で祈りをささげる超正統派ユダヤ教の男性乗客。(c)AFP/GALI TIBBON
   ・   ・   ・   
 宗教は、例外なく男系父系の一系統のみで、女系母系は完全排除されていた。
 つまり、宗教は男性優位女性劣位の女性差別が常識であった。
 女性神最高神とする宗教は例外中の例外であり、強いて言えば日本神道天照大神天皇家の祖先神)くらいである。
 キリスト教会の聖母マリアは、イエス・キリストの聖母であって神ではなく、聖母マリア信仰は聖人崇拝にすぎない。
 マグダラのマリア崇拝も同様である。
   ・   ・   ・   

 真の友人・仲間とは、事の善悪や理由が如何にあろうとも、困窮していれば損を承知で持てる物(食料や金)を分け支援し助け合う親友であり、窮地に追い込まれていれば死を覚悟して武器を取って共に戦う戦友の事である。
 助けに来ない友人とは、お互いが相手の顔を知っているだけの単なる知人である。
 お互いが相手の事を知っているからと言っても、それで友人・親友・戦友とは限らない。
 真の友人・親友・戦友であれば、相手に迷惑を掛けないように損を与えないように被害を出させないように、自分を律して分別と礼儀を厳格に守られなければならない。
 真の友人・親友・戦友とは、良友でもあり悪友でもあった。
   ・   ・   ・   
 日本民族にとって、朝鮮人は知人であり、中国人は敵であった。
 東アジアには、日本民族にとっての友人・親友・戦友、良友・悪友は存在しない。
 古代の一時期にはいたが、それ以降はいない。
 現代日本人は、アメリカの知人かそれとも友人・親友・戦友か。
   ・   ・   ・   
 戦前の日本人、特に昭和天皇A級戦犯達は、ヒトラーナチス・ドイツは知人であったが、ポーランドユダヤ人は友人・親友・戦友であった。
 日本陸軍は、救援を求める少数の親日派知日派中国人を助け、武器を持って攻撃してくる多数の反日派・敵日派中国人を滅ぼす為に、世界情勢の上で不利、戦況で苦戦する事を承知で、武士としての信義を貫く為に戦った。
   ・   ・   ・   
 日本軍部が戦った相手とは、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を皆殺しにし、日本国家を破壊し、日本民族日本人を死滅させようとした、ソ連コミンテルン中国共産党などの国際共産主義勢力であった。
 何故、共産主義と戦ったかと言えば、共産主義が反宗教無神論日本民族が数千年と守ってきた民族宗教・伝統神秘文化を根絶しようとしたからである。
 その様相は、現代日本でも変わってはいない。
 それ故に、軍国日本の戦争は積極的自衛戦争であった。
 日本人共産主義テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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🔯26」─1──ゲルマン民族大移住。フランス・ドイツは失敗し、イギリスは学び、日本は学ばない。~No.73No.74No.75 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 現代日本人は歴史力がない。
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 2019年2月号 正論「日本は世界史から学べ 木村凌二
 木村 かつて、今の欧州や中東の地域には、主に三つの文化圏がありました。オリエント文化圏、ギリシャ語文化圏、そしてラテン語文化圏です。その後、ラテン語文化圏のローマが他の二つの文化圏に進出し、現在のEUよりもはるかに広い地域を支配しましたが、400〜500年も経つと分裂します。どういう範囲で分裂するかと言うと、イスラム文化圏、ギリシャ正教文化圏、カトリック文化圏、つまり、ローマ帝国以前の文化圏を素地とする三つに分かれました。このことから、彼の地においては『元に戻る力』が非常に強く働くことが分かります。
 ……
 現代人の宗教心の希薄さを念頭に置いて、今のカトリック文化圏の影響力を小さく見積もる人たちがいるかもしれませんが、僕はそのような見方は間違っていると思います。僕はローマを訪問するたびに、作家の塩野七生さんとお会いするのですが、日本育ちの彼女がキリスト教にある種の距離を置いているのに対し、現地で育った息子さん、特別熱心に教会に通ったわけでもないのに、『キリスト教的な見方をする』と塩野さんは仰っていました。要するに、信仰の強弱を問わず、カトリック文化圏で育った人間には、キリスト教的価値観が自然と染み込んでいるわけです。
 『AI』は21世紀の民族大移動? 
 ──いにしえのローマ帝国ゲルマン民族の大移動、つまり、移民の急増も影響して滅びました。現代のドイツも移民の急激な増加によってその屋台骨を揺さぶられつつあります。
 木村 ゲルマン民族の未裔が移民に悩んでいることはまさに皮肉ですね。しかし、ユダヤ人の出エジプト記を持ち出すまでもなく、世界史とはある意味で移民の歴史と言い換えてもいいぐらいなのです。かつてゲルマン民族フン族など他の民族に追い払われる形でローマ帝国内に入り込んできました。当時のローマ帝国にはゲルマン民族の侵入を怖れる人たちが一方、『慢性的に人員不足のローマ軍だけでは異民族を追い払う事はできない。ゲルマン人を軍人として訓練し、彼らに他の異民族を撃退させよう』と考える人たちもいました。足らざる労働力は外国人に頼ろうとしている現代日本の経営者の発想とよく似ています。
 しかし、異民族を大量に受け入れると、必ず起こるのが文化的摩擦です。現に『毒を以て毒を制する』の発想で、多くのゲルマン人を招き入れたローマ軍は、次第に軍政、指揮命令系統、規律が乱れ、崩壊への道を辿ることになりました。また、ゲルマン人は野蛮人として差別されることや、ローマ市民との待遇の違いに不満を抱き、それが騒動や反乱へとつながり、それを鎮圧する羽目になるローマ帝国側にも疲労が蓄積していきました。
 ……
 古代ローマ人にとってのゲルマン民族は『何を考えているか分からない人たち』でした。それでもローマ人は『得体は知れないが、偉大なる文化を持つ俺たちには逆らわないだろう』と楽観し、異民族をローマに組み入れましたが、彼らをあざ笑うかのように言うことを聞かない異民族が増え、社会の不安定化に拍車をかけたことは先に述べた通りです。……
 ──ご著書で、ローマは『寛容』で繁栄し、『非寛容』で衰退したとかかれています。
 木村 ローマが繁栄した背景には、侵略した地域の文化や宗教を尊重し、無理に同化を求めず、逆に相手側から『ローマに組み入れてほしい』と言わせる寛容さ(クレメンティア)、いわゆる『ゆとり』がありました。しかし、想像を超える数の異民族が入ってきたことにより、発展の原動力となった寛容さを失った、もしくは失わざるを得なくなったころが、その崩壊につながったのではないかと僕は考えています。
 ──ローマが衰退していくと同時に広がりを見せたのがキリスト教でした。
 木村 ローマは日本と同じ多神教の世界でしたが、そこに一神教キリスト教が入り込んできました。当初、『自分たちが信じる神様だけが正しい』と主張し、古代人が何百年、何千年と大切にしてきた神々を否定するキリスト教徒は、多くの人の目には『とんでもない人たち』『無神論者』のように映りました。しかし、そのキリスト教徒が3世紀に入ると激増します。それは半世紀の間に70人もの皇帝が乱立し、『パックス・ロマーナ』に陰りが生じ始めた時期と奇しくも一致しており、人々の不安が『弱者への愛』に満ちたキリスト教への関心を引き寄せたのだと思います。
 そして、本来であればローマ帝国の中枢を担うべき優秀な人物が次第に教会に入るようになります。毅然として立ち居振る舞いで時のローマ皇帝を謝罪に追い込んだミラノ司教のアンブロシウスはその一例です。彼は異端派の放逐や教義固めなどで教会内部を統制し、その権力伸長に大きく貢献しました。 
 トランプ政権はローマに学べ
 ご著書では、『アメリカこそローマ帝国に学んでほしい』とも記されています。
 木村 ……ローマはその軍事力に陰りが見えてきた後も、ラテン語や文化芸術などの分野、いわゆる『ソフトパワー』で周辺のローマニゼーションを促し、大きな影響力を維持し続けました。……僕は『ゆとり』に支えられた米国のソフトパワーは、未だその絶大なる影響力を失っていないと思っているのですが、このまま寛容さを失えばローマの二の舞を演ずることになりはしないかと懸念しています。……
 ──寛容さを持つことは大切ですが、移民があまりにも急激に入ってくると、ローマ帝国のように倒れてしまうのではないでしょうか?
 木村 『寛容さ』と『規制』のバランスをうまく保つ必要があります。……
 ──米国と覇権を争う中国に関するご意見もお聞かせ下さい。
 木村 中国の長い歴史を振り返ると。飢饉などで生活苦に追い込まれた民衆の反乱により、その時々の為政者が倒されてきたことが分かります。今の中国を牛耳る共産党もその事を理解していて、『民衆が食えてさえいれば反乱は起こらない』と考え、ひたすら経済成長を目指しています。
 欧米諸国は頻繁に中国の民主主義の欠如や人権軽視を批判しますが、その効果は限定的だと思います。なぜかと言うと、両者の間には決定的な認識の違いがあるからです。古代ローマは市民同士の争いを収めるべく、その長い歴史を通じて民法を発展させ、6世紀に『ユスティニアヌス法典』としてまとめました。『法の基本は民法である』という考え方は、ナポレオン法典やドイツ民法典に引き継がれ、明治時代にドイツに学んだ日本もその影響を受けています。
 これに対し、中国は基本的に刑法を重視してきました。つまり、お上が『こいつは悪い奴だから処罰するのだ』と言えば、それに対して下々は口を挟まないような習慣があryのです。国家にとって良からぬ人間が排除されることは至極当然のことであり、いくら『人権』『民主主義』『基本的人権』と叫んでも中国の人々の心に響くことはありません。是非は別として、それが彼らの法意識なのです。中国の為政者が恐れているのは、欧米諸国からの批判ではなく、景気が低迷し、『食えぬ者』が増え、その怒りの矛先が自分たちに向くことなのです。
 『誠実さ』を失いつつある日本
 ──次は日本についてお聞きします。古代ローマ人と日本人の共通点の一つに、『正直を尊ぶ価値観がある』と指摘されています。また、ローマ帝国は誠実さを失って衰退してきたと書かれていますが、最近の日本でも企業によるデータ改ざんなどモラルの低下が目立っています。
 木村 相次ぐ企業の不祥事を見ていると、そう遠くない時期に日本は衰退してしまうのではないかという危機感を覚えます。古代ローマ人と日本人との間には『オリジナリティはないが、ソフィスティケイトされた能力に優れている』という類似点もあります。ローマ人は他民族が生んだ技術を独自に発展させ、優れた建築、街道、法などを残しました。そして日本人も外国で誕生した乗用車の性能を向上させ、世界中に輸出しています。
 質を高めるために必要なのは、一切の誤魔化しを排除する『誠実さ』です。
 ……
 また、日本に留学した小説家の魯迅もこの民族性に気付いていました。日中戦争に突入する直前、今より反日感情が強かった祖国に戻った彼は、同胞を前に『日本の悪口をどれだけ言っても構わないが、彼らの誠実さからだけは学ぶべきだ』と訴えたそうです。
 最近の日本人はラグーザや魯迅が感心した誠実さを失っているのではないか・・・。僕にはデータ改ざんが単なる一企業の不祥事ではなく、日本人が大切に守ってきた価値観を失いつつあることを示す、ある種の『象徴』のように見え、非常に心配しています。
 『重荷』を自ら背負う気概見せよ
 ──ご著書の中で『興味深いのは、モラルが低下していくとともに、人々が優しくなっていく傾向が見られることです』『今の日本も、必要以上に優しい社会になっているような気がします』と指摘されています」。
 木村 ……」
   ・   ・    ・   
 西ローマ帝国は、異民族移民によって弱体化して滅亡した。
 古代ローマ人は、異民族移住者によって虐殺され、そして死滅した。
 だが、イタリア、ローマに人が住み続ければイタリア人やローマ人は生き残る。
 イタリア人やローマ人とは、イタリアやローマに住む人間の事を言うのであって人種名でもなければ民族名でもない。
 ローマの虐殺によって、古代ローマ人は死滅し、新に住みついた異民族が新たなローマ人となった。
 つまり、見た目では、ローマ人が古代ローマ人なのかゲルマン人などの異民族なのか判別で切んない。
 それは、日本人と中国人・韓国人・朝鮮人が区別できないのと同じである。
   ・   ・   ・   
 イタリア人やローマ人とは、人種や民族ではなく、イタリア半島ローマ市に住んでいる人間の事である。
   ・   ・   ・   
 日本人とは、日本列島に住む人間の事である。
 日本民族日本人とは、数万年前から南から渡ってきて日本列島に住みつき、日本人天皇を中心に歴史、伝統、文化、言語、宗教、風習、習慣を共にしてきた人の子孫である。
 某元総理大臣「日本は日本人だけの日本ではない」
 大量の外国人移民が日本に押し寄せても、彼らは新しい日本人と呼ばれる。
 それが、人類史である。
   ・   ・   ・   
 産経新聞 iRONNA
 「大英帝国はローマに学んだ
 今週末の日本ダービーは今年で80回目をむかえる。だが本場イギリスのダービーは1780年の創設だから、234回目というとてつもない数字になる。
 そのころ、のちに「18世紀イギリス歴史叙述の最高傑作」と謳(うた)われる『ローマ帝国衰亡史』が執筆されていた。その第1巻が出たのが1776年、アメリカ独立宣言の年である。数日にして売り切れ、第2刷もすぐに完売だった。5年後に第2巻、第3巻が出版され、これも続々と売れた。最終の第6巻が出たのが、1788年、フランス革命の前年であった。
 歴史家エドワード・ギボンが生きた18世紀後半、イギリスは農業国から工業国に脱皮しつつあった。さぞかし興隆期につきものの活気あふれる時代だったろうと想像されがちである。そのような時期に、なぜ『ローマ帝国衰亡史』が書かれ、多くの読者を得たのだろうか。疑問といえば疑問でもある。
 1773年12月、南アジア産の茶を陸揚げすることに反対した米ボストン市民は夜間に船に乗りこみ、茶箱を海に投棄してしまう。これをきっかけに、イギリスと植民地アメリカとの関係は悪化する。もともと本国の負債を課税で補おうとしていたから、植民地側はかたくなだった。とうとう武力衝突がおこり、戦況は次第にイギリス本国に不利に傾いていった。植民地側への義勇兵の参加もあり、1781年、本国は決定的な敗北を喫する。
ボストン茶会事件の翌年、ギボンは国会議員に選ばれている。それから敗戦にいたる数年間、ギボンはまさしく国家の舵(かじ)取りの現場をその目で見る所にいた。植民地側の実力行使に怒る対アメリカ強硬論者もいれば、植民地側の主張を支持し代弁する論客もいた。ギボンはこう語る。
 「内気が自尊心のために一層強くなり、文章の成功がかえって声を試してみる勇気を奪った。とはいえ自由な審議会の討論には列席して、雄弁な理路整然たる攻防戦に聞き入り、当代一流の人々の性格・意見・熱情などをすぐに傍らから見ることができた。…(中略)…しかもこの重大な討論の主題は、大英帝国アメリカとの連合か分離かであった。私が議員として列(つらな)った8度の議会は、歴史家のまず学ぶべきもっとも枢要な美徳、すなわち謙譲を教える学校であった」(『自伝』)
 ここから、興味深いことがわかる。おそらくギボンは議会で一度も発言しなかった。だが、錚々(そうそう)たる論客たちの人となり、息づかいまでも肌で感じていた。その経験は政治上の分別心を鍛えたにちがいない。北米大陸カリブ海域、さらにはインドやアフリカにもイギリスの覇権は拡大していた。その領土は広く、人種も社会も多種多様であった。その異様さのために、イギリスの支配層にはなにかしら心穏やかな気分になれなかった。そのうえ、アメリカ喪失が絵空事ではなくなり、不安感は高まる。
 そもそも、「ローマ衰亡のことを書物に著そう」という考えがギボンの念頭に浮かんだのはローマ滞在中の出来事だった。1764年10月15日、彼はカピトリーノ丘の遺跡に座って瞑想(めいそう)していた。そこにユピテル神殿の廃虚で夕べの祈りを朗誦(ろうしょう)する裸足(はだし)の修道士たちの声が聞こえてきたという。最初の着想は帝国よりもむしろ都市の衰退にかぎられていたのだが。
 イギリス史の専門家の間では、植民地アメリカの独立は島国イギリスを頂点とする海洋帝国にはそれほど大きな意味をもたないと考えられている。その後1世代もたたないうちにアメリカへの移民はふたたび活発になり、アメリカ喪失という記憶も薄れていったからという。しかし、ギボンと同時代を生きた人々には、拡大されすぎた領土とその喪失の危機という観念はどこか真に迫るものがあった。19世紀ヴィクトリア王朝期における大英帝国の飛躍は、むしろこの危機感を踏み台にしていたのではないだろうか。『衰亡史』という失敗から学ぼうとしたイギリス人。ギボンの著作の成功は、愛読したイギリス人のしたたかさの成功でもあったのだ。(東大名誉教授・本村凌二産経新聞 2013.05.23)
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 ローマ帝国はなぜ移民で滅んだのか
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 ローマ帝国は「武装難民」に自由を与え、そして自壊した
 『井上文則』 2018/07/30
 井上文則(早稲田大文学学術院教授)
 今から1500年前、陽光輝く北アフリカの地にゲルマン民族の一派、ヴァンダル人の王国があった。この王国の歴史は一見、歴史ロマン以外のなにものでもない。
 ゲルマニア地方の薄暗い森の中から出てきた金髪碧眼(へきがん)のヴァンダル人が長い流浪の末、「英雄王」ガイセリックに率いられてイベリア半島から北アフリカへ渡り、自らの王国を建設した。この王の下でヴァンダル人は強勢を誇り、地中海沿岸各地を海賊のように荒らし回り、455年には「永遠の都」ローマを攻略する。
 だが、その後、王国は100年ほどの命脈を保つが、最後はビザンツ皇帝ユスティニアヌスの送り込んだ遠征軍によってあっけなく滅ぼされ、地上から跡形もなく消え去ったのである。しかし、この興亡が歴史ロマンに感じられるのは、われわれがあくまでもヴァンダル人の側に立っているからである。
 ヴァンダル人が王国を建てた土地は、ローマ帝国の領土の一部であったのであり、ローマ帝国の住人にとっては、彼らは侵入者であり、征服者であった。ローマ帝国は、なぜ彼らの北アフリカ征服を許してしまったのだろうか。
 ヴァンダル人がライン川を渡って、ローマ帝国領に侵入したのは、406年の大みそかの日であった。アラン人とスエビ人もヴァンダル人と行動をともにした。彼らは、女子供を伴っており、何らかの事情で元の居住地を追われた人たちであったのであり、今日の言葉で言えば「武装難民」であった。
 ヴァンダル人たちは3年間、ガリア(現フランス)の地を荒らしまわった後、409年にはピレネー山脈を越えて、イベリア半島に入り、その地にいったん住み着いた。ヴァンダル人はハスディングとシリングという二つの部族から成っていた。
 ハスディング系ヴァンダル人はガラエキア(スペイン北西部)を、シリング系ヴァンダル人はバエティカ(スペイン南西部)を、アラン人はルシタニア(ポルトガル)とカルタギニエンシス(スペイン中南部)を、スエビ人はガラエキアの北西部を、それぞれ分捕った。
 このようなヴァンダル人らの動きに対して、ローマ帝国政府は即座に反応することができなかった。当時、本国のイタリア自体が、バルカン半島のゴート人によって脅かされていたからである。
 そもそも、ヴァンダル人たちがライン川の国境を突破できたのも、イタリア防衛のためにライン川の国境からローマ軍が大幅に引き上げられていたからであった。イタリアのためにガリアは犠牲になったのである。この処置を取ったのは、当時、政府の実権を握っていた将軍のスティリコであったが、スティリコの父親はヴァンダル人であった。
 ガリアに入ったヴァンダル人たちにさらに幸いしたのは、407年にブリテン島でコンスタンティヌス(3世)なる軍人が反乱を起こし、皇帝を称して、ガリアに乗り込んできたことであった。このためスティリコは、ヴァンダル人たちよりも、まずは簒奪(さんだつ)帝コンスタンティヌス3世を相手にしなければならない状況になったからである。
 結局、ローマ帝国の内乱は、彼らに大きく利することになったのである。結局、ヴァンダル人追討は遅れに遅れて、ローマ帝国政府が動き出すのは、416年になってからであった。
 スティリコに代わる実力者として411年に姿を現したコンスタンティウスは、簒奪者のコンスタンティヌス3世を倒すと、続いて先にガリアに入っていたゴート人に命じて、イベリア半島のヴァンダル人らを攻撃させたのである。ゴート人は、瞬く間にシリング系ヴァンダル人とアラン人に壊滅的打撃を与えた。ローマは、「夷を以て夷を制す」ことに成功した。
 しかし、ハスディング系のヴァンダル人は見逃された。コンスタンティウスは、ゴート人が圧勝することで彼らが過度に強大化するのを恐れていたのであろう。また同時に、ヴァンダル人に利用価値を見いだしていたのかもしれない。
 もともとローマ帝国は、帝国領内の異民族を兵力の供給源とみなし、その力を利用する政策を長年取ってきていたのである。しかし、この政策は裏目に出ることが多く、今回もヴァンダル人の勢力を温存させたことは、帝国にとって大きな災いの種となった。
 案の定、生き残ったハスディング系のヴァンダル人が、やがて南下を開始し、その王ガイセリックに率いられて、429年にジブラルタル海峡を渡ることになったからである。北アフリカに渡ったヴァンダル人の総数は8万人であったと伝えられる。
 ヴァンダル人が北アフリカに渡ることができたのも、ローマ帝国が内紛を起こしていたからであった。当時、北アフリカの支配権を握っていたのは将軍のボニファティウスであったが、ボニファティウスは、中央政府で実権を握る将軍アエティウスと対立していた。一説によれば、このボニファティウス自身が自らの勢力強化のためにヴァンダル人を呼び寄せたとされているのである。
 真相は定かではないが、いずれにしても、上陸したヴァンダル人は、アフリカの都カルタゴを目指して東進を開始した。ボニファティウスも遅まきながら攻撃を試みるが、敗退してイタリアに逃げ戻り、やがて439年にはカルタゴがヴァンダル人の手に落ちたのである。
 彼らが占拠した北アフリカは、ローマ帝国で最も豊かな地方であったのであり、この地方を奪われたことはローマ帝国にとって致命的な打撃となった。そして、ローマ帝国はその後40年もたたずに滅ぶことになる。
 ローマ帝国の滅亡の原因については、さまざまな説が出されているが、以上の事実から明らかなように、それにはローマ帝国の内紛が深く関わっていたのである。ガリアに入ったヴァンダル人が直ちに殲滅(せんめつ)されなかったのは、同じ時期にスティリコとコンスタンティヌス3世との対立があったからである。
 また、ヴァンダル人の北アフリカ渡航を許したのも、ボニファティウスとアエティウスの政争の故であった。結局、肝心なところで、ヴァンダル人に行動の自由を与えたのは、ローマ帝国自身であったのであり、この意味ではローマ帝国は自壊したといえるのである。
    ・   ・   
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 政府が外国人労働者の受け入れ拡大を検討する関係閣僚会議を発足させた。これに伴い、法務省所管の入国管理局の庁格上げの議論も始まった。この流れは、どう考えても移民政策への布石だが、労働力不足という大義名分だけで安易に進めて大丈夫なのか。いま一度、ローマの歴史をひもとき、この議論を冷静に考えてみたい。
 奥山真司(地政学者、戦略学者)
 現在はいわゆる「グローバル化」の時代であるが、それに大きく関係してくる移民・難民の受け入れ問題について書かせていただきたい。
 まず、先に結論だけいえば、移民や難民の受け入れが成功するかどうかは、歴史的に見ても「価値観や生活レベル、それに文化の違う人々をどこまで社会に溶け込ませることができるか」という点にかかっているということだ。
 「グローバル化」とは、国境を越えた「ヒト・モノ・カネ」の動きの活発化であるといわれている。「モノ」と「カネ」の動きは、自由貿易の促進という形で比較的受け入れやすいものと考えられているが、最も厄介なものが、「ヒト」の移動に関する移民や難民の問題である。
 本稿では、古代ローマ帝国と、その末裔(まつえい)である現代のドイツが直面している深刻な問題を振り返ることで、この厄介な移民・難民問題の核心を考えるための、いくつかのヒントを提供していきたい。
 古代ローマ帝国の崩壊というのは英国の歴史家、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をはじめとして、近代の欧州では実にさまざまな知識人たちが論じてきたテーマの一つである。その最大の要因の一つとして、次々に侵入してきた難民の処理を誤ったことにあるのは間違いない。
 もちろんローマ帝国自体は、当時から世界最大の多民族・多文化社会である。無数の移民を同化したり、他民族のいる場所を占領したりすることによって数世紀にわたって発展してきた国であった。端的にいえば、当時のローマは現在の欧米のように、移民や難民に寛大だったのである。
 だが、今から1700年ほど前の西暦300年ごろから、状況がおかしくなる。ユーラシア大陸の内部、中央アジアから移動してきたフン族の侵入により、東欧を支配していたゴート族をはじめとする部族たちが追い出され、「難民」としてローマ帝国との国境沿いに大量に集結したからである。その数は、当時としても驚異的な20万人にのぼるといわれている。
 それまでのローマ帝国であれば、異文化の「野蛮人たち」を同化させるために、その部族をまとまらせず、小集団に分割して抵抗してこないようにしてきた。いわゆる「分断統治」である。
 ところが、当時のローマ帝国皇帝のフラウィウス・ユリウス・ウァレンス(在位364-378年)に、このゴート族の一部であるテルヴィンギ族を分断するだけの兵力がなかった。しかも、皇帝ウァレンスには労働力や兵隊としてすぐにでも活用したいという意図があったことから、分断せずにまとまって住むことを許可したのである。ここで誕生したのが、いわゆる「難民キャンプ」である。
 しかし、ローマ帝国は、難民状態の「野蛮人」であるテルヴィンギ族に対し、食料の中抜きのような腐敗や汚職のせいで、保護が十分に行き渡らず、難民キャンプで暴動が発生する。この暴動を契機として、テルヴィンギ族は本格的な反乱を起こし、国境の外にいた西ゴート族たちと呼応しながら、ローマ帝国の内部で自治権を確立させることに成功した。
 そしてゴート族たちは、ついにローマ軍と現在のトルコ領内で行われた「ハドリアノポリスの戦い」(378年)に勝って、皇帝ウァレンスを殺害した。さらに、410年には「ローマ略奪」により、ローマはゴート族の手に落ちた。その後も東欧からやってくる部族たちの侵入が続き、ついに、ローマ帝国は決定的な崩壊を迎えることになる。
 この歴史から得られる教訓は、流入し続ける難民の扱いを間違えて同化に失敗すれば、それが確実に国家の生存に直結するような大きな政治問題へと発展する、ということである。
 もちろん、スケールの大きさは違えども、現代のローマ帝国の末裔であるドイツ連邦が、同じような形で移民・難民問題に悩まされ始めていることは、実に興味深い。例えば、最近のドイツで注目されているのは、移民・難民による女性暴行事件である。
 特に象徴的だったのが、6月6日に南西部のヴィースバーデンという都市で14歳の少女が暴行された上、殺害された事件である。難民申請中だったイラク人の容疑者は、事件2日後に高飛びしていた先の同国のクルド自治区で身柄を拘束された。
 その他にも、ここ1、2年で亡命希望者(asylum seekers)による性的犯罪が目立つ。実際のドイツ国内の犯罪率は全体的に減少しているのにもかかわらず、増加しているのである。とりわけ、このような難民や亡命希望者の男性による性的犯罪は、ドイツ国内で「中東系の男性に襲われるドイツの白人女性」というバイアス(偏り)の構図に拍車をかけ、実に悩ましい問題となっている。
 また、宗教的にも「イスラム教徒がキリスト教徒を襲う」という構図があるだけではない。欧州のリベラルな人々に対しても、「寛大な多元主義」を守るか、それとも「女性の人権」を守るかを迫っているという点で、強烈なジレンマを突きつけているともいえる。
 この問題に関しては、ドイツ与党でメルケル首相が率いるキリスト教民主同盟(CDU)の幹部、クレックナー食糧・農業相も、政府に対して、移民・難民の受け入れについて慎重にすべきだというトーンに変わってきている。メルケル氏の後継者の一人といわれるクレックナー氏ですら、有権者たちが直面する異文化との摩擦を目の当たりにして、政策転換を視野に入れ始めているのである。
 彼女が最近出版した本の中では、実際問題として、娘を遠足に行かせなかった移民や難民の両親や、女性教師と握手しなかった男親の存在などを挙げている。
 また、全体的に犯罪率は減っているとはいえ、バイエルン州では、2017年前期だけで性犯罪が50%上昇した。しかも、そのうち18%が移民や難民によるものという統計結果も出ている。ドイツは、全体的には「安全」になっているのかもしれないが、それがドイツ国民全体の「安心」にはつながっていないことがうかがえる。
 ここで、今ドイツで迫られている移民・難民に関する論点を整理すると、大きく二つの議論に分かれる。一つが「移民は国力になるし、難民受け入れは義務である」というものである。ドイツをはじめとする欧米の先進国による議論のエッセンスは、まさにこの言葉に集約されている。つまり、「経済」と「倫理・道徳」というリベラル的な観点から積極的に受け入れるべきだというものである。
 もう一つが「国境を開放してしまえば、ますます社会問題が深刻になる」という反対意見である。要するに「すでに生活している国民の安全を優先せよ」ということだ。だが、この主張をする人々は、とりわけ倫理・道徳面での話を無視していると感じられ、あまりいいイメージを持たれにくい。
 確かに、移民や難民問題において、日本とドイツ、さらにはローマ帝国までも比較することは無理な話である。だが、それでも、冒頭で記したように「価値観や生活レベル、それに文化の違う人々を、どこまで社会に溶け込ませることができるか」を真剣に考えなければならないのである。
 果たして、われわれはゴート族が侵入してくるまでのローマ帝国のように、外国から来る人々を上手に同化させることができるのだろうか。それとも、ドイツのように、移民や難民が増えて悩むことになるのだろうか。
 移民や難民の適応や同化を間違えれば、いったいどうなるのか。グローバル化している現代だからこそ、われわれも真剣に考えざるを得ないのかもしれない。
   ・   ・   
 ローマ帝国はなぜ移民で滅んだのか
 政府が外国人労働者の受け入れ拡大を検討する関係閣僚会議を発足させた。これに伴い、法務省所管の入国管理局の庁格上げの議論も始まった。この流れは、どう考えても移民政策への布石だが、労働力不足という大義名分だけで安易に進めて大丈夫なのか。いま一度、ローマの歴史をひもとき、この議論を冷静に考えてみたい。
 三橋貴明経世論研究所所長)
 ローマ帝国は元々、一都市国家であったが、領域国家として勢力範囲を拡大していった。そして最盛期には地中海沿岸の全域に加え、ガリア(現フランス)、ブリタニアダキア(現ルーマニア)、アルメニアメソポタミアにまたがる大帝国を築き上げた。ローマ帝国が繁栄したのは、軍事力やインフラ整備(道路や水道など)に関する突出した技術力に加え、「ローマ市民権」を慎重に、同時に着実に拡大していったためである。市民権は、支配下に置いた部族や民族はもちろん、解放奴隷にまで与えられた。
 ローマに征服された属州民であっても、補助兵に志願し、ローマ「国家」のために尽くすことで、世襲ローマ市民権を手に入れることができた。当然ながら、ローマ軍には各属州からも優秀な人材が集まり、軍事力が強化されていく。ちなみに、五賢帝の一人として名高く、ダキアを征服したトラヤヌス帝はスペイン属州の出身である。
 ローマ帝国は、支配する領域を拡大し、被支配地の人々をすら「ローマ国家の一員」として育成することで繁栄した。ローマ軍に屈した地域では、族長の子弟がローマに留学し(人質という意味合いもあったのだろうが)、完全にローマ化された上で故郷へ戻された。いわゆるソフトパワーをも活用し、帝国の「統合」が推進されたのである。
 そういう意味で、ローマ帝国は最近までのアメリカに似ている。アメリカは「移民国家」ではあるものの、アメリカ国籍を取得したい移民は、アメリカ合衆国憲法への「忠誠の誓い」を果たさなければならない。あるいは、法律が定めた場合に「兵役」に従事することも求められる。さらには、「言語」についてもアメリカ英語が強制された(現在は、かなり緩んでしまっているが)。
 ローマ帝国の場合、支配領域が拡大したがゆえに「外国人」を「ローマに忠誠を誓う」ローマ市民に育成する必要があった。アメリカは、膨大な外国人が移民として流入するがゆえに、国籍取得に際し「アメリカ国家への忠誠」を求めたわけである。
 ローマ帝国にせよ、アメリカ合衆国にせよ「ナショナリズム国民意識)」を重視し、国家として繁栄した、あるいは繁栄しているわけである。
 世界最古の自然国家「日本国」の国民である我々にはピンとこないかもしれないが、外国人を自国に受け入れる場合、ナショナリズムを重視した同化政策が必須なのである。ローマの場合、ゲルマン系民族を受け入れる際など、複数の小規模なグループに分け、帝国各地に分散して住まわせるなどの工夫もなされた。「帝国の中に別の国」が出現し、ナショナリズムが壊れることを、可能な限り回避しようとしたのだ。
 さて、西暦375年、ユーラシア・ステップの遊牧民フン族の脅威を受けたゲルマン系の西ゴート族約20万人が、ドナウ川の対岸からローマ帝国への亡命を求めてきた。当時のヴァレンス帝は、西ゴート族が好みの場所にまとまって居住することを許可してしまった。ローマ帝国の中に「別の国」ができてしまったわけである。
 さらに、当時のローマ帝国ドナウ川を越えてきた難民たちを杜撰(ずさん)に扱い、食料すら十分に供給されなかった。結果、ゴート族の難民が蜂起し、同族を次々にドナウ川の向こうから呼び寄せ、ゴート系のローマ軍の兵士たちまでが呼応し、大反乱に至ってしまった。
 鎮圧に向かったヴァレンス帝は、378年にアドリアノープルにおけるゴート反乱軍との決戦で戦死してしまう。その後、ゴート族はローマ帝国内部における「自治権」を確立。ローマ市民ではない人々の「別の国」を認めた結果、ローマ帝国(厳密には西ローマ帝国)は滅亡への道を歩んでいくことになる。
 さて、2018年。日本は少子高齢化に端を発する生産年齢人口対総人口比率の低下を受け、人手不足が深刻化していっている。何しろ、人口の瘤(こぶ)の世代が続々と現役を退いている反対側で、彼らを埋めるだけの若者は労働市場に入ってこない。現在の日本の人手不足は必然であり、しかも長期に継続する。
 日本の人手不足を受け、経済界を中心に、「人手不足を外国人労働者で埋めよう」という、国民国家、あるいは資本主義国として明らかに間違った声があふれ、安倍政権が続々と日本の労働市場を外国人に「開放」していっている。2017年時点で日本における外国人雇用者数は130万人に迫った。
 驚かれる読者が多いだろうが、データがそろっている2015年時点で、我が国はドイツ、アメリカ、イギリスに次ぐ、世界第4位の移民受入大国なのである。216年以降、ブレグジットの影響で、イギリスへの移民流入が減少している。2016年、あるいは2017年には、我が国が世界第3位の移民受け入れ大国になっている可能性が高い。
 人手不足ならば、生産性を高める。具体的には、設備や技術に投資し、「今いる従業員」一人当たりの生産量を高め、人手不足を解消しなければならない。生産性向上で経済を成長させるモデルこそが、資本主義なのだ。
 すなわち、現在の日本の人手不足は、まさに経済成長の絶好のチャンスなのである。逆に、人手不足を「外国人労働者」で埋めてしまうと、生産性向上の必要性がなくなってしまう。安倍政権の移民受入政策は、日本の経済成長の芽を潰す。
 その上、安倍政権は2025年までに外国人労働者50万人増を目指す方針を示しているわけだから、あきれ返るしかない。
 経済成長に対するネガティブなインパクトに加え、安倍政権の移民受入政策は、日本国民の「ナショナリズム」を破壊することになる。例えば、日本で暮らす外国人が、我々と同じように「皇統」に対する畏敬の念を持ち得るだろうか。ありえない。
 日本国は、世界屈指の自然災害大国である。自然災害が発生した際には、国民同士で助け合うという意味におけるナショナリズムが必須だ。被災者を助けてくれるのは、別の地域に暮らす日本国民だ。
 「困ったときはお互い様」という「ナショナリズム」なしでは、人間は日本列島で生きていくことはできない。2011年3月、東日本大震災が発生し、福島第一原発の事故が起きた際、東京のコンビニから外国人店員が消えた。多くの外国人が、原発事故を受けて帰国したようだ。筆者にしても、例えば韓国で働いていたとして、原発事故が起きたならば即刻、帰国するだろう。筆者の心の中に「韓国と心中する」などという気持ちは皆無だ。
 日本にいる、あるいは「移民」として来日する外国人たちも同じなのである。我々は外国人と「日本国のナショナリズム」を共有することはできない。ローマ帝国は「国の中の別の国」を認め、「市民権」というナショナリズムが崩れたと同時に、亡国に向かい始めた。
 そして現代、安倍政権は移民受入により、「安く働く労働者」と引き換えに、日本の経済成長を妨害し、かつ自然災害大国である日本には不可欠なナショナリズムを壊そうとしている。移民受入を推進する以上、安倍政権は「亡国の政権」以外のなにものでもないのだ。
   ・   ・   
北欧の神話 (ちくま学芸文庫)

北欧の神話 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:静, 山室
  • 発売日: 2017/03/08
  • メディア: 文庫

🔯40」─1─マホメット。イスラム教のヨーロッパ侵略、それは聖戦。~No.115No.116No.117 ⑨ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 610年頃(〜23)年 イスラム教の誕生。
 預言者マホメットムハンマド)は、年に数回しか気候の変化がない、緑と水が乏しく生き物が少ない荒涼とした砂漠の中で、絶対神と人間、絶対神と自然の関わりを、神の啓示を預かって『コーラン』に書き記した。
 第二章「牝牛」159節「まことに天と地の創造の裡(うち)に、夜と昼との交替の裡に、人々に益なす荷を積んで海原を逝(ゆ)く船の裡に、そしてまたアッラーが空から水を降らせて枯死した大地を蘇生させ、そこにある種類の獣を播(ま)き散らす、その雨の裡に、風の吹き変わりの裡に、天と地の間にあって賦役する雲の裡に、頭の働く人ならば徴(しるし)を読み取る事が出来るはず」
 一神教イスラム教は、ユダヤ教の『旧約聖書』やキリスト教新約聖書』と同様に、神のお告げを集めた一冊の『コーラン』の解釈をめぐって幾つもの宗派学派に分裂し、解釈をめぐって対立し殺戮を繰り返していた。
 中東での、スンニー派シーア派の対立。
 その宗教的情熱が昂じて狂信化すると、過激派は他宗教を消滅させようという聖戦へと暴走した。
 世界での、イスラム教信者とキリスト教徒の対立。
 ミャンマーなどでの、イスラム教信者と仏教信徒と対立。
 信仰心の篤い人間は、自分が信じる宗教が最も優れ、自分が信仰する絶対神こそが唯一の神という視野狭窄の宗教的感性から、他人が信仰している宗教・神を敬わず低レベルの神と下位に置き消滅させようとした。
 ロレンス「それでも私は心からアラビア人の皮膚をつける事はできなかった。あるのは、ただ見せ掛けだけであった。人間が無信仰の徒にされるのは実に簡単である。しかし他の信仰に改宗されられる事はまことに難い。私は一つの形式を振り落としてしまったが、しかし別の形式を取り上げたのではない」(『知恵の七柱1』)
 622年 ムハンマドの聖遷。
 637年 イスラム軍は、聖都エルサレムを占領。
 650年 イスラム教の聖典コーランが編纂される。
 711年 イスラム教軍は、イベリア半島を侵略し占領した。
 征服者のイスラムは多数はとなり、征服されたキリスト教とは少数派となった。
 イスラムは、異教徒の対して寛容を示し、人頭税(ジズヤ)を支払えば居住と信仰の自由を認めた。
 イスラム教に改宗すればアラブ人と同等の権利を与えて、急速に信者を増やした。  
 732年10月10日 トゥール・ポワティエ間の戦い。フランク王国1万5,000(〜7万5,000)人対ウマイヤ朝6万(〜40万)人。
 フランク王国軍は勝利して、イスラムの危機は去ったが、フランスとイギリスなど西欧にイスラムへの恐怖が残った。
 750年 アブー=アルアッバースは、クーファで初代カリフに推戴され、多数派のスンナ派を採用した。
 アッバース朝(〜1258年)が成立した。
 756年 ウマイヤ家のアブド=アッラフマーン1世は、アッバース朝に追われてイベリア半島後ウマイヤ朝(〜1031年)を開いた。
 地中海はイスラムの内海ととなり、ヨーロッパは北に追い遣られ海に出る道を塞がれて内陸国家となった。
   ・   ・   ・   
 イスラム教における主権者は絶対神(アラー)であり、世の統治者も絶対神(アラー)であり、立法者も絶対神(アラー)であった。
 絶対神(アラー)は、守る律法を預言者マホメットムハンマド)を通じて信者に伝えた。それが、『コーラン』であった。
 マホメットが生きている間。信者達は、絶対神(アラー)と話せる唯一選ばれた人・マホメットの言葉を絶対神(アラ)の御意思と信じて従っていた。
 マホメットの死後。絶対神(アラー)の声によると導きを失った信者達は、信仰や日々の生活の判断基準を記憶残るマホメットの言動に求めた。
 それが、『ハディース』(伝承)である。
 時代が下ると、『コーラン』や『ハディース』では対処できない事が多くなった為に、主立ったイスラム教徒が共同体の合意(イジュマー)が形成された。
 共同体の合意で解決できない事柄は、イスラム法学者(ウマラー)達が、『コーラン』や『ハディース』の規定から類推(キャース)して判断した。
 イスラム法学者による法体系は、9世紀から11世紀の間で確立され、今日まで至っている。
 法体系は、主張するイスラム法学者の解釈によって穏健から過激なものまで数多く存在し、統一されてはいなかった。
 イスラム過激派テロリストは、アル=マーワディーなど異教徒殲滅を説く過激なイスラム法学者の思想を取り入れている。
 「ムスリムは、捕らえた多神教徒の兵士を、戦闘中の者であれ、戦闘中のでない者であれ、殺して良い」
 「もし戦闘中で敵が、女や子供を盾に隠れたりしたら、敵を殺すときに女子供は殺さない様にしなければならない。しかし、もし、女子供を殺さなければ、敵を殺す為に敵の所まで到達することができない場合は、女子供を殺して良い」
 「彼らの女子供は奴隷にされ、彼らの財産は戦利品として没収され、彼らの中で捕虜とならなかった者は殺される。
 捕虜となった者は、次の四つのうち最も有益だと考えられる扱い方によって扱われる。
 1,首を刎(は)ねて殺す。
 2,奴隷にして売ったり解放したりする。
 3,金あるいは味方の捕虜と引き換えに釈放する。
 4,寛大に扱い釈放する」
 イスラム教は一神教でありながら、広大な地域を支配する為に異教に寛大で、異教徒が人頭税を払えば、共存を認め、イスラム教への改宗を強要せず信仰の自由を認めていた。
 ごく一部の狂信的な原理主義者が、過激なイスラム法学者の律法を信じて非人道的なテロ活動を行っている。
 問題は、大多数の穏健で敬虔なイスラム教徒ではなく、中世の特定のイスラム法学者の律法を信じている少数派である。
 全てのムスリムに共通する事は、偶像崇拝預言者マホメットを描く事の禁止である。
 1989年 イラクの最高指導者・ホメイニ師は、マホメットを描いた小説『悪魔の詩』の作者サルマン・ラシュディと関係者に対して一方的な死刑宣告を行った。
 1991年 『悪魔の詩』を翻訳した筑波大学助教授・五十嵐一が、大学構内で惨殺された。
 2012年 マホメットを描いたアメリカの映画『イノセンス・オブ・ムスリム』への抗議
デモが、世界20ヶ国以上で起きた。
 イスラム武装集団が、エジプトやイエメンなどのアメリカ大使館を襲撃し、大使を含む数十人が殺害された。
 2015年1月7日 マホメットの風刺画を掲載したフランスの週刊誌シャルリー・エブドが、アルジェリア系フランス人兄弟に襲撃され、編集長を含む12名が殺害された。
 砂漠で生きる遊牧民は、民族ではなく部族で生活していた。
 各部族を支配するのは王族か独裁者で、国家ではなかった。
 砂漠では、民主主義は向かない。
   ・   ・   ・    
 砂漠の民における隣人とは、親しい友人や顔見知りの知人ではないく、厳格に規定された条件がある。
 第一の条件は、宗教・宗派を同じくする事。
 第二の条件は、血縁で、同じ祖先を持つ部族である事。
 第三の条件は、地縁で、同じオアシスを共有する事である。
 同じ地域に住んでいようとも、同じ血筋であっても、信仰する宗教・宗派が異なれば「隣人」ではなく「敵」であった。
 三条件に合致しない者は、利益を共有する友人か知人に過ぎない。
 反宗教無神論者は悪魔として戒律に従って殺害したが、異教徒は人頭税を払えば恩恵を与え共に暮らす事を認めた。
 イスラム教とキリスト教及びユダヤ教は、必ずしも敵対してはいなかった。
 砂漠の団結を守る為に、俗世の権力が定めた法律に違反する犯罪を行っても、その行為が絶対神が定めた戒律に叶っていれば隣人を助け、戒律に背かない限り見捨てはしない。
 隣人ではない友人や知人が、友好の証として自己犠牲的に人道的活動をしようとも決して信用せず、余裕があれば助けるが、さもなければ見捨てる。
 砂漠の民は、隣人以外は信用せず、信用する条件は三条件であった。
 異教徒にして、血のつながらない人間で、長年同じオアシスの水を飲まない部外者が、いきなり現れて献身的に奉仕活動をして感動を与えても、決して人徳者とは認めなかった。
 砂漠とは、世界共通の道徳観は通用せず、生きるか死ぬか、殺すか殺されるか、敵か味方かの二項対立のみが支配する世界である。
 日本人の曖昧な志向は砂漠には通用しないし、キリスト教にもイスラム教にも利害関係がないから仲介者になれるという浅はかな考えも有害なだけでる。
 脳天気で、表も裏も想像できない、深い考えもできない日本人では、砂漠は理解できない。
 八方美人的な日本が紛争の仲介者になる事は、絶対にあり得ない。
 「この部族の不幸は他部族の利益」
 ある部族、ある地域、ある国に対する中立的人道支援は、それ以外の部族、地域、国にとって敵対行為で、破壊すべき憎しみの対象に過ぎない。
 三条件による隣人同士は、共有する利益を守る為に部外者を殺してでも排除する。
 「同胞は国により、敵は宗教によって決まる」
 日本人は、イスラム教徒にとって異邦人である。
 砂漠で、反宗教を叫び神を否定すれば命はなく、即殺される。
   ・   ・   ・    
 砂漠の民は、部族が持つオアシスを命の泉として集まり、何時枯れて干上がるか分からないオアシスを他の部族から守ながら生活していた。
 オアシスの水は、部族以外では、隣人とされる友好関係の部族や利益をもたらす者や同じ宗教・宗派を信仰する者には分け与え、それ以外の隣人でない者には一滴も与えず砂漠に追放した。
 生きるか死ぬかは、絶対神・アラーの思し召しとして見捨てた。
 砂漠の自由とは、そういうものである。
   ・   ・   ・   
 如何なる宗教でも、解釈次第で如何様にも読み解く事がで、その結果として人に感謝されるボランティアもあれば人から憎まれるテロリズムもある。
 イスラム教は、キリスト教の様に不毛な神学論争で硬直化していない分、個々の宗教指導者が自分に都合の良い解釈を正当化できる柔軟性があった。
 個人の自由な解釈を許す柔軟性が偏執的イスラム原理主義を生みだし、自爆テロなどの狂信的イスラムテロリストを作り出していた。
   ・   ・   ・   
 キリスト教イスラム教は、どちらが布教活動に優れているか。
 宗教戦争の原因のある一面には、信仰の起源に関わる問題が関与している。
 一神教の普遍宗教であるキリスト教イスラム教に於いて、一方の信者が増える事は、一方の信者が減少する事を意味する。
 ゲルマン民族は、ローマ世界に移住してローマ化しキリスト教に改宗した。
 イスラム教国に支配されたゲルマン人は、アラビア化してイスラム教に改宗した。
 アラビア文化とイスラム教には、古ヨーロッパの一部を持っていた。
 ヨーロッパ文化とキリスト教には、アラブの要素は一切ない。
 イスラム教からキリスト教に改宗するアラブ人の人数は、それほど多くない。
 そして、アラブ文化を捨てて西洋文化に同化する者も少ない。
   ・   ・   ・    
 イスラム教徒は、コーランハディースマホメットの言行集)で禁止されていない事以外は、どんな事でも許されると信じられている。
 つまり、信仰を守る聖戦の為ならば、核兵器化学兵器生物兵器を使って大量虐殺を行っても罪とはされない。
 イスラム教には、キリスト教の様な原罪は存在せず、悪をなすのはジンという精霊で人には罪がないとされた。
 敬虔なイスラム教徒は、悪を為すジンか遠ざかっている自分が行う行為は、全てアラーが命じる事であり正しいと信じ切っていた。
 自己否定としての罪の意識はなく、反省もなく、アラーさえ裏切らなければ何をしても許されるという自己肯定のみが存在する。 
   ・   ・   ・   
コーラン (まんがで読破 MD133)

コーラン (まんがで読破 MD133)

🔯23」─1─共和制ローマとカルタゴの平和。シーザー。ローマ帝国とオクタビアヌス。紀元前292年。~No.64No.65No.66 

通商国家カルタゴ (興亡の世界史)

通商国家カルタゴ (興亡の世界史)

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 例えるなら、カルタゴは日本で、ローマが中国共産党である。
 将来、日本はカルタゴのように内部から崩壊し、カルタゴがローマの領土になったように日本は中国にのみ込まれて地上から消える。
 戦争を嫌う日本人は、戦わずして平和が保てるのであればそれでも構わないと考えている。
 「戦争は嫌いだ!」と。
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 ローマの名門貴族・元老院は、ギリシャローマ神話の神々の子孫である。
   ・   ・   ・   
 2017年4月16日 産経ニュース「【イタリア便り】今年はローマ暦で2770年 皇紀で2677年って知ってました?
【外信コラム】
 伝説によると、ローマは紀元前753年4月21日、ギリシャ神話の英雄アイネアスの子孫で牝狼に育てられた双子の兄弟、ロムルスとレムスによって最初の町の輪郭がしるされたとされる。だが兄弟の主導権争いで、レムスが殺され、ロムルスが、その後7代続く王制ローマの初代の王となり、その名がローマのもとになったといわれている。
 もっとも、この年月日の「決定」は簡単でなかった。初代皇帝アウグス帝時代の多くの歴史家などが神話や伝説を調べ、最後は天文学者が月日を割り出した。この説に従うと今年の4月21日はローマ暦で2770年になるわけだ。
 日本にも昔は初代天皇神武天皇の即位の年、紀元前660年2月11日から数える皇紀という年号があった。日本の歴史がいかに長いかを内外に喧伝(けんでん)する方法に使われ、「建国記念の日」の2月11日は、かつては紀元節と呼ばれた祝日であった。
 この皇紀によると2017年の今年は、皇紀2677年に当たる。
 第二次大戦終了までの日本の学生たちは、歴史を習うのに西暦年号、日本の皇紀元号(現在の平成)を覚えるという複雑な努力をしたものだった。だが、たとえ伝説にせよ、こうした年代の数え方が存在するのを知るのも一興であろう。(坂本鉄男)」
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 ローマ人の祖先は、ギリシャ神話の美の女神アフロディティ息子アエネアスで、トロイア戦争に負けてローマに落ち延びてきた人々である。
 ギリシャ人やローマ人達は、ギリシャ神話の神々の子孫としてギリシャ神話を崇め、祖先の神々を信仰していた。
 ローマ人は、多神教徒として、オリエントで人気のある太陽神ミトラを受け入れ、さらにエジプトの神イシスをも受け入れた。
 初期ローマ帝国は、多民族帝国として宗教には寛大で、領土を巡っての戦争はあったが宗教による戦争はなかった。
 信教の自由は、認められていた。
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 紀元前 人類の総人口は、500万人程度と推計されている。
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共和制ローマ
 ローマがイタリア半島中部の小都市国家であった頃、北イタリアのエトルリア人や山岳民のサムニウム人の攻撃を受けて苦戦を強いられていた。
 ローマは、同じ小都市国家と反エトルリア同盟を結び攻勢に出て、エトルリアを滅ぼした。
 高度な文化を持っていたエトルリア人の痕跡を完全消滅させる為に、全てのエトルリア人を奴隷として売り飛ばし、反抗的な男は猟奇的手法で惨殺した。
 紀元前292年 ローマ軍は、サムニウムの将軍ポンティスを討ち取るや大攻勢に出た。
 サムニウム人は、敗北を認めて降伏を申し込んだ。
 ローマ軍は、降伏を認めず、サムニウム人を根絶やしにする為に総攻撃を掛けた。
 同盟を結んだいた諸都市国家は、ローマ軍の容赦ない残虐行為に恐怖して、ローマへの忠誠を誓った。
 ローマのやり方に不満を持っ都市は叛乱を起こしたが、例外なくローマ軍の猛攻で敗北し、住民は全て奴隷として売り飛ばされた。
 ローマは、従順に従う者は寛容に許したが、従わず抵抗する者は容赦なく攻撃し大虐殺を行った。
 そして、貿易立国カルタゴとの熾烈なポエニ戦争が起きた。
 同時に、バルカン半島イベリア半島もローマ軍の猛攻を受けて戦火に焼かれ、多くの者が奴隷として売られた。 
   ・   ・   ・   
ポエニ戦争。前264〜前146年
 金儲けの経済を優先し、教育・外交・国防を疎かにして滅亡した通商国家カルタゴ
 紀元前264年 第一次ポエニ戦争
 紀元前218(〜紀元前202)年 カルタゴの平和。 第二次ポエニ戦争
 カルタゴは、ローマの講和条件を無条件で受諾し、外交と安全保障をローマに支配された。
 ローマ全権代表のスキピオは、敗北したカルタゴに以下の平和条項を突きつけた。
「1,ローマはカルタゴの独立を承認し、同盟を締結する。ただし従属ではなく対等の関係とし、ローマは自治権を奪わず、駐留軍も残さない。
 2,カルタゴシチリアサルディーニャヒスパニア等の海外領土を放棄する。ただし、開戦以前のアフリカのカルタゴ領は保持を認める。
 本国以外の海外領土の放棄。
 3,カルタゴ支配下ヌミディア領を全てマシニッサに引き渡し、ヌミディアの独立を承認する。
 4,カルタゴは1万タレントの賠償金を50年賦でローマに支払う。
 5,カルタゴが捕虜としているローマ人を全てローマに引き渡す。
 6,以後、カルタゴはローマの許可なくいっさいの戦争を行わない。
 交戦権の剥奪。
 カルタゴはローマの保護下に置かれ、自衛の為の戦争といえどもローマとの事前協議で承認されないかぎり不可。
 専守防衛自衛軍を認めるが、海外での戦争行為は許されなかった。
 7,カルタゴは10隻をのぞいて全ての軍船、および戦象をローマに引き渡す。また、以後は軍船の建造、戦象の育成を行わない。
 武装解除。軍事力保持の禁止。
 8,カルタゴは14歳以上30歳以下の子弟100名を人質としてローマに差し出す。人選はスキピオが行う。
 9,以上の仮条約が元老院に承認されるまで、カルタゴ領にとどまるローマ軍の経費はカルタゴが負担する。」
 国家の再建を経済一辺倒として、外交と国防そして教育を疎かにした。
 こうして。カルタゴの平和が達成された。
 マルクス・ポルキウス・カトー「カルタゴを滅ぼさねばならない」
 ローマは、幼児をパール・ハモン神やタニト神に生け贄として殺害してたカルタゴを滅ぼした。
 カルタゴによる幼児の生け贄は、国家の繁栄と飢餓や疫病からカルタゴ人を守る目的であった。
 ローマは、自国の安全の為にカルタゴを地上から消滅させる事を決定し、女子供に関係なく全てのカルタゴ人を大虐殺した。
 紀元前204年 ローマ市民総人口21万4,000人。
 紀元前191年 カルタゴは、交易で大金を稼ぐや賠償金の残額を一括で支払う事を申し込んだ。
 ローマは、財政難に苦しんでいた為に、表面的には友好の素振りを見せながら、カルタゴ侵攻の大義名分を探し始めた。
 紀元前146年 第三次ポエニ戦争カルタゴは、隣国ヌミディアが領土侵犯を行った為に、ローマとの事前協議をせず自衛行為としてヌミディア軍を攻撃した。
 ローマは、カルタゴの条約違反を口実として大軍を派遣した。
 国際協定や国家間条約は、一時の方便に過ぎず、大国の觥合で何時でも破られてしまう。
 それは、古代でも現代でも同じ事であった。
 国際協調が国家安全保障の担保になると信じている者は、国際外交の理解力のない者で外交を語る資格は無い。
 そうした無能力者が行う教育は、有益どころが害毒である。
 ある意味、現代日本歴史教育は真面ではなく、特定の人間の悪意に満ちた内容である。
 紀元前145年 カルタゴは、ローマによって滅ぼされた。
 カルタゴの歴史家「カルタゴの歴史は、文明の浅薄さと脆弱さをハッキリ示している。それは彼らの富の獲得だけに血道を上げて、経済的のほかに、政治的な、知的な、倫理的な進歩を目指そうと、何ら努力もしなかった、と言う事である」
 一部の有識者は、カルタゴの悲劇を日本に当てはめて見ている。
 日本も、利益優先の金銭至上主義に固執し、倫理や道徳を軽んじ、祖国を愛する教育を忌避し、外交能力を磨かず、祖国を守る軍事力を持たなければ、何れはカルタゴのような運命を辿るであろうと。
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 古代ローマは、主要官職を市民選挙で選んでいたが、金権社会として投票は売買されていた。
 クラッススなどの富豪は、大金を使って票を買い集めて執政官や護民官に当選し、その利権を利用して資産を増やしていた。
 カエサルは、クラッススポンペイウスらから大金を借金し、市民に金をばらまいて当選していた。
 保守貴族の小カトーは、清廉潔白を貫いて票を買わなかった為に護民官以上には出世しなかった。
 金権選挙に反対する一部の知識人は、ローマ市民の権利たる票を売買する事に嫌悪感を抱き、変人達に投票した。
 ローマ市民は、カエサルら金権実力者を英雄と称えたが、小カトーを正直者と言う意味で変人と呼んだ。
 ローマの英雄とは、ローマ市民に富と恩恵をもたらす者であり、高邁な理念を掲げても清貧だけを強いる理想主義者より人間の本姓である欲を隠さず利益を還元してくれる現実主義者である。
 ロストフツェフ「(非常軍事指揮権が)ローマ貴族層の中の最も優れた人々に、軍隊とより緊密な接触を持ち、それを贈物と約束という強い絆で自分たちに個人的につなぎとめる機会を与えた。今度は軍隊の指揮者を、彼が兵士たちの間に人気を保っている限りにおいて、国家の主人としたのである」
 票を買って当選した権力者達は、利権で得た富の多くを人気を維持する為に、私財をローマ領土内の公共事業に投じ、街道、水路、公衆浴場など他方面で数多くの公共施設を造った。
 アウグストゥスオクタウィアヌス)「レンガの街を引き継ぎ大理石の街を残した」
 最も巨費を投じて盛大に行った人気の催しが、「パンとサーカス」のサーカスであるコロッセオで行われた剣闘士の死闘であった。
 名門貴族で富豪は、自分の領内で「パンとサーカス」を行った。
 ローマ皇帝は、ローマ市など主要都市で「パンとサーカス」を行った。
 ローマ時代、全ての公共事業を政府の金で行った分けではなく、全ての軍隊の給与を政府が支出していたわけではない。
 ローマの金権政治は、全領土の全ローマ市民に対して平等に利益還元する事を約束して維持された。
 ローマ領土のローマ市民権を持つ者は、約束を果たして利益をもたらす権力者を支持し、実現できない理想や現実にそぐわない理念を有害として公の場から排除した。
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 人類の歴史は、平和の歴史ではなく、殺戮と強奪による戦争の歴史である。
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 紀元前70年 ローマ市民総人口91万人。
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 ユリウス・カエサル「人は、自分が望んでいる事を喜んで信じる」
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 カエサル「兵士は金しだい。金は力しだい。そして力は兵士しだい」
 兵士は、この司令官の指揮下にいれば、戦争に勝ち、金も女も、地位も名誉も、欲しいものは手に入ると信じて命令に従って戦った。
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 ガリア人諸部族は、ゲルマン人に押されてローマ属州を通過して西に移動した。
 紀元前58年 ガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)は、ガリア遠征の為にローマを出発した。
 ガリア人諸部族は、カエサルに、ゲルマン人ライン川の東から押し寄せて苦しんでいると訴えた。
 だが、カエサルガリア人諸部族の話し合いは決裂して戦争になった。
 ウェルキンゲトリクスは、ガリア人諸部族を統一してカエサルを攻撃した。
 カエサルは、追い詰められたがアレシアでガリア連合軍を撃破し、8年間にわたる激戦の末にガリアを平定した。
 カエサルガリア侵攻は、ローマ共和国の安全の為ではなく、個人的な利益の為であった。
 ローマの戦争は、領土を拡げる事で軍団を養う税収と退役した兵士に与える土地を獲得すると共に、奴隷を大量に供給する最善の手段であった。
 カエサルは、元老院に許可された4個軍団以外に、元老院の許可を得ず自費で4個師団を増設した。
 軍団は、
 借金王で資産を持たないカエサルは、軍団維持の為に独力でガリアを平定し、ブリタニアまで侵攻して、全ガリアの利権を手に入れた。
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 カエサルは、新たなローマの属州・植民地を得る為にガリアを征服したのではなく、ローマの領土を広げる為にガリアを平定したのである。
 領土拡大のビジネスモデルとして、ガリア人にローマ人同様の市民権を与え、ローマ市民と同様の権利を認めた。
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 ローマ元老院は、カエサルの寛容政策で非ローマ人であるガリア人やヒスパニア人が元老議員になる事は、ローマの民主主義が破壊され、家名による既得権が奪われると危機感を抱いた。
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 紀元前44年2月 カエサルは、終身独裁官に就任した。
 ローマは、専制君主を出さない為と権力を乱用させない為に独裁官を任期6ヶ月と期限付きで任命していた。
 3月15日 カエサル暗殺。
 急進的共和制派元老院議員は、専制君主化するカエサルを排除すれば、民主主義を支持する市民から歓迎されると思い込み暗殺を計画し、暗殺後の計画もなく暗殺を実行した。
 市民は、カエサルを暗殺したブルータスやカシウスら暗殺者達に激怒した。
 暗殺者達は、身の安全を心配して聖地であるカピリーノの丘の神殿に逃げ込んだ。
 3月17日 カエサルの部下であったアントニウスは、カエサルの古参兵を集めて、カエサルの寛容政策を踏襲して、元老院会議を開き暗殺者達の罪を追求せずカエサルの人事案に従って属州総督などの要職を与えた。
 3月19日 ブルータスやカシウスら暗殺者達は、罪が許されたが、ローマに留まっていれば市民に襲われる危険があるとしてローマから逃亡した。
 元老院は、8月に暗殺者達の身の安全を図る為に、ブルータスをマケドニア属州総督に、カシウスをシリア属州総督に任命したが、軍指揮権を与えなかった。
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 ローマ時代の権力は、ローマ市民の支持ではあったが、実は金次第であった。
 ローマ市民を満足させるのは、ローマ軍団という私兵への給付金とローマ市民という領民への競技会の開催費であった。
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 紀元前43年11月 オクタビアヌスアントニウスレピドゥスによる第二回三頭政治の成立。
 アントニウスは、自分に反対するキケロなど元老院議員約300人と騎士身分約2,000人を虐殺し、財産を没収した。
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 紀元前33年 オクタヴィアヌスは、アグリッパと戦乱を鎮めた後のローマの在り方について協議した。
 永遠の平和の為に、内戦の原因である権力者による武断政治を終わらせ、個人の利益より公の利益を優先する統治機構の建設を目指す事にした。
 内戦が終わった後に軍団を縮小させ、退役兵士や無産市民を各地のインフラ整備の建設要員として再雇用して地方に定着させる。
 ローマ人入植地では共存共生を大原則として、異化政策でローマ人を征服者として新たな階級社会を作るのではなく、同化政策で地元住民と雑婚させ混血児を増やして無条件でローマ市民権を与えて公平に扱った。
 首都ローマの拡張ではなく、人口過密を解消する為の地方活性であった。
 ローマ経済を発展させる為に必要なのが、ローマ基準による、安定した交通・物流と信用できる金融・貨幣である。
 ヨーロッパの都市文化の原型は、この時、作られた。
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 紀元前31年 アクタヴィアヌスとアグリッパは、アントニウスをアクティウムの海戦で破った。
 オクタビアヌスは、ヤヌス神殿の扉を閉じ、100年近く続いた内戦の時代が終了した事を宣言した。
 パクス・ロマーナ(ローマの平和)の始まりである。
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 オクタビアヌスは、内戦で50万人に膨れ上がった軍隊を17万人に減らした。
 退役兵は、交通要所や戦略要地とされる何もない原野に新都市を築く建設労働者として送り込まれた。
 イタリア・ローマで膨れ上がったローマ市民の人口を減らす為に、退役兵の建設労働者は建設した都市の住人として定住させた。
 2016年3月17日号 週刊新潮「世界史を創ったビジネスモデル 野口悠紀雄
 ローマ帝国自治都市の連合体だった
 ……
 地表の景観がかわった
 植民地都市の建設は、アウグストゥスを継いだ皇帝によって推進された。かつて村落だった土地は、新しい都市に姿を変えていった。
 ロストフツェフ『ローマ帝国社会経済史』(東洋経済新報社)にれば、アウグストゥスによって始められた属州の都市化は、クラウディウス(前10年ー54年)の下で急速に前進した。地表の景観は一変した。
 ウェスパシアヌス(9年ー79年)は、新しい都市を建設し、帝国全域、特に北イタリア、ヒスパニアの土着の町に都市の権利を付与した。
 同じ政策は、トラヤヌス(53年ー117年)とハドリアヌス(76年ー138年)によって推し進められた。トラヤヌスが影響力を行使できたのは、彼の軍事的勝利のみによったのではない。その大きな部分は、彼がルーマニアブルガリアの都市化に最初に着手し、これらの地方をギリシャとローマの文明に向けて解放したことによると、ロストフツェフは言う。カエサルと1世紀の皇帝たちが北イタリア、ガリア、ライン、ブリタンニアヒスパニアなどに対して行ったことを、トラヤヌスとその後継者たち、とくにハドリアヌスは、ドナウ地方の東部地域に対して行ったのである。
 アフリカにおける都市化は、アウグストゥスの時代以来、休むことなく進行した。これらの街の住人の大部分は原住民だったが、一部はローマの退役兵の植民都市であった。
 ロストフツェフによれば、それは帝国全体を文明生活のより高い水準に引き上げるための、皇帝たちの意図的な政策であった。彼らは自分たちの権力を支える基盤を拡大するために、この過程を熱心に推し進めた。なぜなら、彼らの権力が依拠していたのは、帝国の文明化された部分、すなわち都市住民だったからである。ローマ帝国は、その支配者の意識的な努力によって、徐々に都市国家の集合体へと変えられていったのだ。
 われわれが無意識のうちに(あるいは映画などに影響されて)イメージしているローマ属州の姿は、貧しい農村地帯で、そこにローマの軍団が駐屯しているというものだろう。しかし、実際にはそうではなく、ローマ市よりも生活環境がよい都市の連合体だったのである。
 ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』(ちくま学芸文庫)で、マルセイユ。アルル、ニームボルドー、リヨンなどのガリア諸都市の状況は、今日より勝っていたかもしれぬとさえ言っている。
 ヨーロッパには魅力的な地方都市が多数あるが、その基盤は、この時代に築かれたのだ。
 しかし、ハドリアヌス以降、都市化の進行は完全に止まってしまったわけではないものの、都市の創建は稀になっていった。
 自治権を持っていたから発展した
 16世紀の海洋国家による大航海の場合にも、空間的なフロンティアが拡大された。それは、南北アメリカ大陸とオーストラリア大陸の征服にまで発展した。しかし、これとローマ帝国の拡大は、本質的に違う。
 スペインは、インカ帝国を滅ぼして南米を制覇した。アメリカの西部開拓やオーストラリア大陸の開拓も、原住民の大虐殺を伴っていた。しかし、ローマの場合には、原住民を抹殺したのではなく、彼らとの共同社会を作ったのだ。
 ローマへの特別の奉仕・忠誠の報酬として、あるいは、反対派武将への敵対の功に応じて、属州の住民にローマ市民権が与えられていった。この政策はカエサルによって始められた者だが、アウグストゥスもそれを引き継いだ。
 さらに、補充軍兵が25年の兵役を終えて除隊するとき、ローマ市民権が与えられた。この政策によって、2世紀半ばまでに200万人以上の新市民が生まれた。これら新市民の妻子を介して、新定住地の多くの住民がローマ市民を近親に持つにいたり、また、将来のローマ市民権獲得の可能性がローマ支配共同体に対する近親館を育てたと、弓削達ローマ帝国の国家と社会』(岩波書店)は述べている。
 ローマ帝国における都市は、ほとんど完全な自治を享受していた。帝国の官僚機構が地方の事柄に介入することは、極めて稀であった。このために、ローマ帝国は、広大な領域をごく少数の官僚機構で支配することができたのだ。ローマ帝国は、自治を行なう諸都市の連合と、その上にはめ込まれた絶対的な君主制との混合物だったのである。
 ところで、日本の高度成長期にも、山が切り開かれてニュータウンが建設された。道路の舗装や下水道の整備が進められ、劣悪だった社会資本インフラは飛躍的に改善された。そして、新幹線や高速道路など、それまで存在しなかった社会資本が登場した。これらは、日本人に高揚感を与えるものであった。
 しかし、日本の地方都市は、排他的であり、地域外から移住者を迎えて成長したわけではなかった。排他的である半面で、財政的には国に依存した。日本の地方都市に決定的に欠けていたのは、財政的な地方分権地方自治である。このために、地方都市の多くは、ローマ植民地都市のように発展するのではなく、個性を失って、衰退していったのだ」

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