🌄24』─1─忠君愛国の鑑となった沖縄出身帝国軍人達。~No.47No.48        

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 戦争において、現代に日本人とは違って沖縄県民は天皇と国を守る為によく戦った。
 現代日本人には、当時の日本人はもちろん沖縄県民やアイヌ人の気持ちや思いなどはとうてい理解できない。
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 松本健一昭和天皇伝説』(河出書房新社、1992年)
 「国民のすべてが(とくに戦後は)それぞれにじぶんのことを考え、じぶんの愛する人を想い、じぶんの家の永続性を祈り、じぶんの属する集団や共同体の利益を図るときでさえなお、一人でいいから、ほんとうにたった一人でいいから、国民のことを考え、想い、祈り、図ってくれる人がいてほしい。
 そのような幻の人を思い描いて、この昭和という時代のなかで、2・26事件の青年将校は『大御心にまつ』といい、戦争中の特攻隊員は『天皇陛下万歳!』と泣き苦しみながら死に、水俣病の患者は『て、ん、の、う、へ、い、か、ばんざい』と呻いたのではなかったか」
 「制度的な意味で権力から切れた戦後の昭和天皇は、……『民の心を抱きとめて、いつくしむ』ことこそが天皇政治の本質であるとおもい、つとめてそのように振る舞おうとした」
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 ウィキペディア
 沖縄出身帝国軍人
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 親泊朝省(陸軍大佐)
 親泊 朝省(おやどまり ちょうせい、1903年明治36年)9月18日 - 1945年(昭和20年)9月3日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。沖縄県出身。大本営陸軍部報道部部長、内閣情報局情報官。
 略歴
 1918年 熊本陸軍地方幼年学校入学
 1921年 陸軍士官学校(37期)騎兵科入学
 1925年 陸軍士官学校騎兵科を首席で卒業
 1928年 陸軍中尉
 1934年 陸軍大尉・騎兵第25連隊中隊長
 1936年 陸軍大学校馬術教官
 1937年 参謀本部副官
 1940年 騎兵学校教官
 8月 第38師団参謀
 1942年 陸軍中佐
 1943年 陸軍士官学校教官
 1944年 大本営報道部員
 1945年 陸軍大佐。戦艦ミズーリ号で日本が降伏文書に調印をした翌日(9月3日)、妻と子二人とともに拳銃自決。
 比島決戦の歌
 フィリピン戦を目前にして国民の士気を煽る必要から、敵将ニミッツマッカーサーの名前を入れるように要望があった。しかし打ち合わせで西條八十がそれを断ると出席していた陸軍報道部の親泊中佐がその場で「いざ来いニミッツマッカーサー出てくりゃ地獄に逆落とし」と代筆してこの曲が出来上がった。
 後にレコード会社が古関裕而の全集を発売する時、この歌のレコードと楽譜が見つからず、古関本人に尋ねたところ「もうこの歌だけは勘弁してくれ」とレコード化を拒否されたという。
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 漢那憲和(海軍少将)当時の大正皇太子、のちの昭和天皇が御搭乗された欧州御巡遊の御召艦・香取の艦長。また、日本海海戦では、音羽に搭乗し、同海戦勝利に貢献。
 漢那 憲和(かんな けんわ、1877年9月6日 - 1950年7月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員海軍兵学校27期卒。
 大正時代、当時の皇太子(昭和天皇)の欧州遊学の際、御召艦「香取」の艦長を務めた事で知られる。退役後は地元・沖縄県選出の衆議院議員となった。戦前最後の沖縄県選出議員の一人である。
 経歴
 1877年(明治10年) 漢那憲慎・オトの長男として琉球国那覇西村(現・沖縄県那覇市西)に生まれる。
 1892年(明治25年沖縄県尋常中学校(後の沖縄県立第一中学校、現在の沖縄県立首里高等学校)に入学。同期に伊波普猷がいた。
 1895年(明治28年)4月 連合艦隊旗艦「松島」が那覇沖に投錨した際、佐野常羽少尉と出会う。海軍へ進むきっかけとなる。
 同年11月 尋常中学校ストライキ事件が発生。首謀者の一人と目され、退学処分された。
1896年(明治29年)11月 海軍兵学校へ入校。沖縄県出身者として初。席次は123名中、4番の成績であった。
 1899年(明治32年)12月 海軍兵学校を卒業。卒業者113名中、3番の成績で、恩賜の双眼鏡が授与された。
 1900年(明治33年)7月 約6ヶ月の遠洋航海を終え横須賀に帰港。「橋立」乗組となる。その後、「金剛」「磐手」の航海長をつとめる。
 1905年(明治38年) 第三戦隊所属の巡洋艦音羽」に乗り組み日本海海戦に参加。
 1906年明治39年) 海大乙種学生を卒え、翌年、海大航海術専修学生(のちの航海学校高等科学生)を首席で卒業、恩賜の銀時計を下賜される。
 その後、兵学校教官兼監事を命ぜられ、35期から38期までを教える。この生徒の中に、南雲忠一などがいた。
 1909年(明治42年) 「宗谷」「阿蘇」二艦の練習艦隊で、旗艦「宗谷」の航海長兼指導教官として参加、北太平洋を航海する。
 1910年(明治43年) 少佐に進み、海大甲種学生となる。その頃、尚泰侯爵の五女政子と結婚する(漢那33歳、政子18歳)。
 1914年(大正3年) 海軍軍令部参謀兼海軍大学校教官となり、まもなく中佐に進級。同年、第一次世界大戦が勃発。
 この頃教えた甲種学生の中には、山本五十六などがいた。
 1916年(大正5年)5月 大戦下の欧州視察を命ぜられ、約11ヶ月を費やして、ロシア、スウェーデン、イギリス、フランス、イタリア、スイス、アメリカの7ヶ国をつぶさに視察。
 大正6年(1917年)12月 「対馬」艦長に補せられる。
 大正7年(1918年) 大佐に進級し、同年12月、軍令部参謀(軍令部第四課長)に補せられる。

 1920年大正9年)10月 「香取」艦長に補せられる。
 1921年(大正10年)3月3日から9月3日まで、御召艦香取艦長として皇太子(のちの昭和天皇)の欧州遊学に同行。同年12月、「扶桑」艦長に補せられる。
 1922年(大正11年)12月 「伊勢」艦長に補せられる。
 1923年(大正12年)12月 海軍少将に昇進と同時に横須賀防備隊司令に補せられる。
 1924年大正13年)12月 軍令部出仕となる。
 1925年(大正14年)8月 待命となり、12月に予備役編入となる。
 48歳での予備役編入を聞き皇太子(昭和天皇)は「なぜ、漢那がそんなに早く予備役になるのか」と洩らしたという。
 海軍を退役後、郷党の熱烈な懇請により、政界への進出を決意。
 1928年(昭和3年) 沖縄から衆議院議員に立候補して当選、以後、当選5回、勤続10年におよんだ。5回のうち4回は最高得票であった。
 1939年(昭和14年) 平沼内閣の内務政務次官をつとめる。
 1942年(昭和17年) 選挙遊説中、妻が過労による脳卒中で倒れる(一命は取りとめたものの半身不随となる)。
 1945年(昭和20年) 衆議院議長候補に擬せられる。
 4月、米軍は沖縄本島に上陸。
 6月14日 小禄にあった海軍部隊は全滅。
 翌15日 米内海相に招かれ、6月6日付沖縄方面根拠地隊司令官大田実少将からの訣別電文を見せられる。漢那は、肩を震わせて嗚咽を堪えていたという。
 1946年(昭和21年)1月 公職追放令により失職。
 1949年(昭和24年) このころから嫌な咳をするようになり、翌年には吐血するようになった。診察をうけたところ、肺癌と診断された。
 1950年(昭和25年) 東京都にて死去。73歳。
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 当山全信(海軍中佐)
 当山 全信(とうやま ぜんしん、1910年(明治43年) - 1945年(昭和20年)1月23日)は、日本の海軍軍人。「伊48」潜水艦長として「回天」作戦中、米駆逐艦に乗艦を撃沈され戦死した。最終階級は海軍中佐。
 生涯
 沖縄県の出身である。沖縄一中を経て1931年(昭和6年)11月、海軍兵学校(59期)を123名中32番の席次で卒業。運動神経に恵まれ、柔道は三段である。当山は潜水艦専攻士官となり、潜水学校甲種を卒業して潜水艦長を歴任する。「伊169」、「伊38」潜水艦長として歴戦し、「伊48」艤装員長となる。同艦は竣工後に第六艦隊に編入となり、1945年(昭和20年)1月8日、回天特別攻撃隊金剛隊として4隻の「回天」を載せ出撃した。この作戦行動はウルシー泊地に在泊する米国艦隊を攻撃目標とするものであったが、当山は作戦計画に反対であった。同泊地に対しては、前年の11月に回天菊水隊による攻撃が行われ戦果を挙げたが、1945年(昭和20年)1月11日に攻撃を行い、さらに1月21日に攻撃を行うというもので、当山には21日の攻撃が命じられた。同じ攻撃を三度繰り返す危険を訴えたが受け入れられず、当山は出撃し、同泊地に向かった。しかし、西太平洋における米国艦隊の重要拠点の警戒は厳重であり、「伊48」は離脱することができず撃沈され、当山は戦死した。
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 長嶺亀助(陸軍少将)
 長嶺 亀助(ながみね かめすけ、1884年明治17年)5月1日 - 1975年(昭和50年)10月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
 経歴
 沖縄県出身。農業・長嶺松助の孫として生れる。沖縄第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第24連隊付となる。歩兵第24連隊大隊副官などを経て、1916年(大正5年)11月、陸軍大学校(第28期)を卒業し歩兵第24連隊中隊長に就任。
 1917年(大正6年)12月、参謀本部付勤務となり、1918年(大正7年)2月、中国出張を命ぜられ、同年9月から1920年大正9年)7月までイリに滞在し、同年12月、北京に到着した。1921年(大正10年)8月、関東軍司令部付となり、1922年(大正11年)4月、歩兵少佐に進級。1924年大正13年)3月、歩兵第6連隊大隊長に就任し、1925年(大正14年)2月、飛行第1大隊付となり、同年5月、兵科を航空兵に転じ航空兵少佐に任官。同年8月、航空兵中佐に昇進[1]。1927年(昭和2年)7月、下志津陸軍飛行学校教官に就任し、1930年(昭和5年)3月、航空兵大佐に進んだ。
 1930年12月、飛行第6連隊長に就任。1931年(昭和6年)11月、関東軍飛行隊を仰せつけられ、満州事変に出動した。1932年(昭和7年)6月、飛行第6連隊長に復帰し、1933年(昭和8年)3月、所沢陸軍飛行学校教育部長に就任。同年8月、同校幹事に転じ、1934年(昭和9年)8月、陸軍少将に進級した。1935年(昭和10年)8月、陸軍航空本廠長に就任し、1936年(昭和11年)8月に待命となり、同月、予備役に編入された。
 1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)まで特殊軽金属会社社長を務めた。
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 渡名喜守定(海軍大佐)元日本海水学会長
 渡名喜 守定(となき しゅてい、1902年2月5日 - 1993年2月1日)は、日本の海軍軍人。
 経歴
 海軍兵学校50期卒。太平洋戦争中は海軍軍令部参謀、南西方面艦隊参謀、大本営参謀兼海軍大学校教官、福山海軍航空隊司令にて階級大佐で終戦。戦後、沖縄に帰郷。
 帰郷後は沖縄銀行役員、琉球捕鯨協会会長、琉球漁業社長、琉球水難救済会会長、琉球海外移住公社理事長、沖縄観光開発事業団理事長などを歴任。 特に、観光開発事業団理事長の際には旧海軍司令部壕の修復に尽力した。
 またオランダで駐在武官として任務にあたっていた際、ヒトラーのオランダ侵略を事前にオランダ当局に警告し、当局の対応措置によって被害が軽減されたことから、オランダ政府よりオレンジナッソウ勲三等が与えられた。オランダでは同国の現役の中将大将でも勲四等しか与えられない中、当時38歳の日本の一中佐であった渡名喜への勲三等の授与は異例のことであった。
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🌄改編1』ー目次・参ー琉球人=沖縄県民=縄文人=南方系海洋民。尖閣諸島を強奪する中国共産党。~No.1 始めに。   

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2018-02-15
🌄2』3』─1─国連・国際諸機関は、琉球人とアイヌ人を日本民族日本人ではなく別個の先住民族と認めた。~No.2No.3No.4No.5No.6・ * 
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2019-06-08
🌄4』5』6』─1─国連はアイヌ人の次に琉球人も先住民族と認めるよう勧告している。~No.7No.8No.9No.10No.11No.12・ 
   ・   ・   ・   
2019-07-10
🌄7』8』9』─1─3万年前 日本人の祖先は丸木舟で台湾から沖縄に渡った。へ 〜No.13No.14No.15No.16No.17No.18・ 
   ・   ・   ・   
2019-06-25
🌄10』11』12』─1─正しい沖縄・琉球の歴史。〜No.19No.20No.21No.22No.24No.24・
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2018-04-06
🌄13』14』15』─1─琉球人は日本民族日本人の原初の祖先である。 島津の琉球侵攻。琉球王国と明国・清国との偽りの冊封体制。イギリスの琉球及び日本への侵略意図。~No.25No.26No.27No.28No.29No.30・ @   
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2018-04-07
🌄16』17』18』─1─琉球王家の正史『中山世鑑』は1650年に成立した。~No.31No.32No.33No.34No.35No.36・ @ 
   ・   ・   ・   
2018-04-08
🌄19』20』21』─1─琉球処分明治天皇は餓死寸前の沖縄県民を救った。中国系琉球人と琉球独立論。沖縄県民の海外移住。1879年~No.37No.38No.39No.40No.41No.42・ @ 
   ・   ・   ・   
2018-04-09
🌄22』23』─1─カイロ宣言沖縄戦尖閣列島戦時遭難事件と中国共産党。魂魄の塔。沖縄教育連合会。アメリカ軍の人道に対する重犯罪。1943年。~No.43No.44No.45No.46・ @    
   ・   ・   ・   
2019-07-18
🌄24』─1─沖縄出身帝国軍人。~No.47No.48  
   ・   ・   ・   
2018-04-11
🌄25』26』27』─1─沖縄・戦争孤児のネグレクト死(衰弱死)。アメリカ軍の人道に対する重大犯罪は戦勝国として免責されている。月刊誌『前衛』。1945年。~No.49No.50No.51No.52No.53No.54・ @  
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2018-04-12
🌄28』29』30』─1─日本共産党と沖縄教育連合会(後の沖教組)。中国共産党の対日対米アヘン謀略。日本共産党の沖縄独立論。中国は沖縄の領有を主張した。1945年~No.55No.56No.57No.58No.59No.60・ @ 
   ・   ・   ・   
2018-02-14
🌄31』32』33』─1─国連憲章の「敵国条項」は日米2ヵ国間の「安全保障条約」よりも上位に位置する。~No.61No.62No.63No.64No.65No.66 ・ @         
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2018-04-13
🌄34』35』36』─1─沖縄教職員会と本土復帰運動。沖縄の核。台湾有事。ベトナム戦争。コザ騒動。沖縄返還協定調印と核密約。沖縄から日本への横流し。1951年~No.67No.68No.69No.70No.71No.72 ・ @
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2018-04-14
🌄37』38』39』─1─沖縄復帰と繊維産業の壊滅。沖縄人民党日本共産党合流。中国共産党は、日本を解体し天皇制度を廃絶すべく沖縄独立論を支持した。1969年~No.73No.74No.75No.76No.77No.78 ・@ 
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2018-04-15
🌄40』41』42』─1─反日的な国連自由権規約委員会と国連人種差別撤廃委員会は、琉球民族日本民族とは異なる民族であると公表した。琉球独立運動。2008年~No.79No.80No.81No.82No.83No.84 ・ 
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2018-03-02
🌄43』44』─1─中国共産党と中国軍による東シナ海支配と尖閣諸島・沖縄強奪計画。普天間基地移転問題。東日本大震災。2010年~No.85No.86No.87No.88・ @   
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2019-04-07
🌄45』46』─1─中国共産党政府と中国軍は、秘かに尖閣諸島と沖縄の強奪を計画している。石原都知事尖閣諸島の購入計画を発表した。2012年4月~No.89No.90No.91No.92・ *  
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2019-04-09
🌄47』48』─1─日本政府は、中国への忖度から沖縄方面での日米共同統合演習を直前で中止を命じた。2012年10月~No.93No.94No.95No.96・ *   
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2018-04-16
🌄49』─1─反日中国共産党機関紙は、日本を解体する意図で反天皇反日琉球人の沖縄独立論を支持した。2013年~No.97No.98・ @ 
2019-04-10
🌄49』─2─中国共産党は、日本領土沖縄と尖閣諸島を強奪にする為に、情報戦・宣伝戦として日本に暴力で奪われたと世界に公言した。2013年4月~No.99No.100・ *
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2019-04-11
🌄50』51』─1─中国共産党と中国海軍は、日本領尖閣諸島周辺の領空にドローンを飛ばして侵犯した。〜No.101No.102No.103No.104・ *  
   ・   ・   ・   
2018-04-19
🌄52』─1─琉球分離独立と中国共産党。沖縄米軍基地反対派活動家の一部は、地元住民の生活を無視して活動を過激させている。「土人」発言。2016年~No.105No.106・@
2018-04-22
🌄52』─2─日本による「日本領琉球奄美尖閣世界自然遺産登録」に猛反対する中国共産党内政干渉。 ~No107No.108 ・@   
2018-03-30
🌄52』─3─沖縄・尖閣諸島を奪おうとする反日中国共産党と中国海軍の脅威に対して消極的話し合いで平和を求める日本人。2016年8月。~No.109No.110・@ 
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2018-03-26
🌄53』─1─中国海軍軍艦が尖閣諸島の接続水域に侵入した。その時、日本の国会議員は?2016年~No.111No.112・@
2018-07-04
🌄53』─2─軍事委は傘下編入した中国海警局の船3隻を沖縄・尖閣諸島周辺に派遣した。~No.113No114・  
2019-04-12
🌄53』─3─中国共産党尖閣侵攻力さらに…中国軍、海兵隊を海軍直轄に格上げ。〜No.115No.116・ *  
   ・   ・   ・   
2018-04-23
🌄54』─1─中国共産党は、日本領琉球奄美尖閣を日本から強奪する為に日米安保は邪魔であった。日米共同声明全文。  2017年~No.117No.118 ・ @  
2018-04-24
🌄54』─2─警察庁は、沖縄反基地運動に関して「極左暴力集団の参加」と「4人の韓国籍逮捕」を明らかにした。2017年~No.119No.120 ・@     
2018-04-25
🌄54』─3─中国共産党が支援する沖縄独立論。朝日新聞の未来予想。2017年~No.121No.122・ @      
2018-04-26
🌄54』─4─米国防総省の年次報告書。中国海軍は、沖縄領有を目指して尖閣急襲作戦の部隊を育成。2017年~No.123No.124 ・  @     
2018-04-27
🌄54』─5─国連人権理事会での、沖縄米基地問題に関する基地移設反対派と賛成派の演説。中国共産党の日本と沖縄の分断工作。2017年~No.125No.126・ @  
2018-04-28
🌄54』─6─沖縄戦72年。沖縄全戦没者追悼式に飛び交う怒声。2017年~No.127No.128・ @
2018-04-29
🌄54』─7─日本国内に存在する中国共産党政府への忖度。空気を読む日本人は絶えない。尖閣諸島の危機。~No.129No.130・ @   
2018-04-30
🌄54』─8─沖縄が危ない。反日派中国軍による悪意・敵意を持った領海侵入と領空侵犯が繰り返されている。2017年~No.131No.132 ・@   
2019-04-13
🌄54』─9─中国軍の日本領沖縄・尖閣諸島周辺海域における軍事行動の常態化。2017年。〜No.133No.134 ・ *   
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2018-05-03
🌄55』─1─日本共産党と反米軍基地運動。赤旗日曜版と琉球新報・沖縄タイムズ。~No.135No.136・ @         
2018-05-04
🌄55』─2─【尖閣国有化5年】。「日本の実効支配崩した」。反日中国共産党の野望は尖閣諸島・沖縄の強奪である。~No.137No.138・ @   
2018-05-05
🌄55』─3─沖縄・石垣市長は12月市議会で尖閣諸島の字名を「登野城」から「尖閣」への変更議決を明言。~No.139No.140・ @    
2018-05-09
🌄55』─4─年々、竹島尖閣諸島北方領土ヘの関心が薄れていく。No.141No.142・@
2018-05-11
🌄55』─5─日本と沖縄の分断を画策する中国共産党の組織が日本で暗躍。~No.143No.144 ・ @
2018-05-12
🌄55』─6─反戦平和の日本人達は、沖縄本島尖閣諸島先島諸島石垣島八重山諸島など一帯を非武装化・無防備化しようとしている。No.145No.146・@  
2018-05-14
🌄55』─7─トランプ米大統領の日本訪問。中国・北朝鮮抑止の為の日米関係の強化。~No.147No.148・ @    
2018-05-17
🌄55』─8─沖縄県議会は沖縄を無力化する為に米海兵隊の撤退要求を抗議決議した。No.149No.150 ・ @       
2018-05-18
🌄55』─9─尖閣周辺接続水域に潜った状態の中国海軍潜水艦との艦艇が侵入した。~No.151No.152・ @       
2018-05-19
🌄55』─10─名護市民、辺野古「反対」63% 朝日新聞など世論調査 。No.153No.154 ・ @ 
2018-05-21
🌄55』─11─海洋強国。中国共産党は対尖閣諸島・沖縄占領の為に中国海警局を中国海軍の指揮下に組み込んだ。~No.155No.156・ @  
2018-05-22
🌄55』─12─沖縄に忍び寄る中国共産党・中国軍の陰。中国人逮捕者。~No.157No.158・ @ 
2018-05-23
🌄55』─13─奄美大島を飲み込む中国資本。日本に潜む中国共産党・中国軍の覆面工作員スリーパーセル)。No.159No.160 ・ @ 
2018-06-17
🌄55』─14─中国共産党政府は大陸棚を沖縄トラフ付近まで延ばして沖縄を自国領と主張している。~No.161No.162・
2018-07-23
🌄55』─15─中国の東シナ海での無許可海洋調査。中国の海洋調査船が沖縄沖で海底資源サンプル採取。~No.163No.164・ @
2018-08-02
🌄55』─16─沖縄県の振興予算要求3600億円規模。反米軍基地・反自衛隊市民運動。No.165No.166・ @
2018-09-25
🌄55』─17─防衛戦略の「重大な欠陥」。尖閣有事で「弾切れ」の恐れ。~No.167No.168・@ 
2018-11-21
🌄55』─18─日本政府は沖縄の反対派を押し切って「自衛隊の空白地帯」宮古島に配備を強行する。~No.169No.170・ @       
2018-12-22
🌄55』─19─過激化する沖縄の反基地派運動家。~No.171No.172・  @   
   ・   ・   ・   
2019-02-25
🌄56』─1─県民投票、辺野古移設、反対72%、賛成19%。~No.173No.174・ 
2019-03-14
🌄56』─2─一国二制度が沖縄の新たな希望。地方主権と民族主権。~No.175No.176・
2019-05-13
🌄56』─3─沖縄を中国共産党の一帯一路構想に売る日本人達。~No.177No.178・
2019-05-31
🌄56』─4─沖縄は地域経済戦略から中国共産党に忖度して日米両政府に苦言する。~No.179No.180 ・ 
2019-03-22
🌄56』─5─自衛隊が離島に中国軍侵略に備えた基地を建設する事に猛反対する反対派。宮古島。~No.181No.182 ・  
2019-06-24
🌄56』─6─沖縄の揉め事は反日親中国でイデオロギー化し始めている。沖縄戦終結74年の慰霊の日。~No.183No.184 ・ 
2019-07-07
🌄56』─7─沖縄知事は、中国共産党政府に忖度して沖縄の国防強化に反対している。~No.185No.186・ 終わり。   
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₩96」─32・B─南西太平洋の中央部・オセアニア。日米豪がフィジー軍支援で連携。 〜     

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 2019年7月13日22:25 産経新聞「日米豪がフィジー軍支援で連携 攻勢の中国に巻き返し
 政府が自衛隊の他国軍への能力構築支援(キャパシティ・ビルディング)をフィジーに拡大し、太平洋島嶼(とうしょ)国の軍支援で米国、オーストラリアとの3カ国連携が初めて実現することが13日、分かった。島嶼国では中国が経済支援と合わせ軍事的な影響力を高め、有事で米豪連携阻止を図る。多額の支援を受けてきたフィジーは中国の軍事拠点になりかねず、日米豪の安全保障協力で巻き返しを狙う。
 能力構築支援は自衛官らを派遣したり支援対象国の実務者を招いたりして他国軍の能力を向上させる。支援対象国と国際安保環境の安定化に貢献し、日本の信頼性も高める意義がある。
 太平洋島嶼国は14カ国あり、自衛隊の能力構築支援の対象となる軍を保有するのはフィジーパプアニューギニア、トンガ。自衛隊パプアニューギニアの軍楽隊育成などを支援し、昨秋にはフィジー軍に短期研修を行ったこともあるが、新たにフィジーに対する本格的な支援に乗り出す。
 フィジー津波やサイクロンに伴う洪水といった災害を受けやすく、2016年にはサイクロンで人口の6割にあたる約54万人が被災した。それを踏まえ、自衛隊の能力構築支援は災害救援分野から始める。
 災害救援ではまず医療から着手し、今年度中にフィジー軍の関係者を都内にある陸上自衛隊衛生学校や自衛隊中央病院に招き、自衛隊医療関係者の育成や教育訓練の内容、装備の運用方法を教える。その後、道路復旧などの施設分野にも支援を拡大する見通しだ。
 フィジーに対しては豪軍がフィジー軍の医療施設建設を支援しており、米軍も医療・衛生の装備品をフィジー軍に供与する。こうしたハード面の支援に自衛隊のソフト面の能力構築支援が加わることで日米豪の連携が実現する。
 能力構築支援は他国との安保協力の柱として重要性が増している。政府は昨年末に策定した新たな「防衛計画の大綱」で米豪両国との関係強化について能力構築支援での協力推進を柱に掲げ、フィジーへの支援はその方針を実行に移す措置と位置づけられる。
  ◇
 ■能力構築支援 自衛隊は平成24年度から始め、東南アジアを中心に15カ国・1機関へ実施。災害派遣や国連平和維持活動(PKO)で蓄積した能力を活用できる災害救援や施設分野が多い。日米豪が連携した支援はベトナムやフィリピンなどで行っている。」
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 7月13日22:31 産経新聞「省庁横断「インド太平洋使節団」が推進 日米豪のフィジー支援
 太平洋島嶼(とうしょ)国の軍支援で日本、米国、オーストラリアの3カ国連携が初めて行われることが13日、判明した。「自由で開かれたインド太平洋」を推進する日米両国に加え豪州と、巨大経済圏構想「一帯一路」を掲げる中国が影響力を争う最前線。フィジーへの安全保障協力は政府内で「インド太平洋使節団」と呼ばれる一行が道筋をつけた。
 使節団は薗浦健太郎首相補佐官が率い、6月5~7日、外務、経済産業、国土交通、防衛の4省と海上保安庁日本貿易振興機構(JETRO)が同行し、フィジーを訪問。使節団が有効なのは、協力案件を持ち帰って検討するのではなく「安保と経済の両面でその場で内容を詰められる」(薗浦氏)ことにある。
 日本政府が提唱するインド太平洋構想は(1)法の支配、航行の自由、自由貿易(2)経済的繁栄(3)平和と安定の確保-が3本柱だ。各国に働きかけるには省庁横断の取り組みが求められる。
 (3)の平和と安定の確保に向けては能力構築支援と災害救援での協力を打ち出しており、フィジーでの支援は合致する。海保の海上法執行能力の支援や貿易と投資の促進でも意見を交わし、使節団はフィジーで構想の3本柱を網羅した。
 昨年9月のオマーンから始まった使節団訪問は今年に入り太平洋島嶼国を重視し、5カ国を回った。政府高官はその意図を「中国をにらんだ外交安保上の重点国を集中的に支援する必要がある」と説明する。
 豪州と同国ダーウィンに米軍拠点を置く米国は中国が太平洋島嶼国を取り込むことに懸念を強めている。島嶼国に中国の軍事拠点が築かれれば海軍の太平洋進出の脅威は高まり、南シナ海有事などで米豪連携が阻まれる恐れもあるためだ。
 実際、フィジーパプアニューギニア、バヌアツなどでは中国の軍事拠点化の布石が指摘されている。薗浦氏は米豪とも密に協議しており、中国の攻勢に歯止めをかけるには日米豪がそれぞれの特性と強みを効果的に太平洋島嶼国へ投じていくことが欠かせない。(半沢尚久)
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₩96」─40・B─アジアインフラ投資銀行(AIIB)に参加承認の国・地域が100。〜    

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 2019年7月13日 22:11 産経新聞「参加承認の国・地域が100に アジア投資銀、影響力拡大
 アジアインフラ投資銀行(AIIB)の看板=2016年1月、北京(共同)
 中国が主導する国際金融機関のアジアインフラ投資銀行(AIIB)は13日、加盟を認めた国・地域が100に達したと発表した。アフリカのベナンジブチルワンダの参加を承認した。引き続き、アジア地域以外での影響力強化を狙う。
 AIIBはルクセンブルクで、アジア以外では初となる年次総会を13日まで開催。欧州や中東、アフリカの国・地域との協力拡大を目指した。12日には、ユーロ圏の金融安定網「欧州安定メカニズム(ESM)」と連携を進める覚書を結んだ。(共同)」
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☧65」─1─マキアヴェッリ『君主論』。西洋の国王・皇帝・教皇、中華皇帝、日本天皇。~No.143No.144   

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 2019年7月18日号 週刊文春「文春図書館 名著のツボ 石井千湖
 マキアヴェッリ君主論
 第六章が最重要。世襲君主と市民の連合のために〈政教分離〉を唱えた
 マキアヴェッリの『君主論』は近代政治学の古典として名高い。〈愛されるよりも恐れられよ〉といった警句の詰まった政治術、経営術を学ぶ書として現代でも読み継がれている。しかし、イタリア文学者の原基晶さんは『警句は枝葉末節で、それを味わっていても「君主論」の本質は理解できません』と語る。『16世紀初頭に書かれた「君主論」は、14世紀初頭にダンテが「神曲」で取り組んだ問題を受け継いでいます。どうすれば戦争を終わらせて、平和を実現できるか』
 マキアヴェッリフィレンツェ共和国の外交官だったが、1512年、フランスとスペインがイタリア諸国間の紛争に介入して勃発したイタリア戦争のさなかに失脚し、翌年『君主論』を書き始める。その核心は、第6章から第11章にある、と原さんは指摘する。
 『ダンテが唱えた〈皇帝〉は非現実的だと考えたマキアヴェッリが平和実現のために提案したのは、ある領域を支配する世襲君主による政治権力が市民の支持を受けて、軍事力を独占し、内乱のない安定した国家を樹立することでした。このような政体は今なら〈主権国家〉と呼ばれるでしょう。現代だと当たり前に思われるかもしれませんが、マキアヴェッリの時代には、そうではありませんでした。当時は教皇と大銀行と傭兵を擁する政治権力が結託して、経済力を蓄える一方、政治権力や宗教的権威、軍事力の所在がバラバラで統一されていなかったため、西欧の政治情勢は極めて不安定で、戦争が絶えませんでした。その元凶は教皇です。教皇は絶大な宗教的権威と大銀行と手を組んで築いた経済力を持っていましたが、極めて脆弱な軍事力しか持っていなかった。教皇は西洋の諸国家に支配のお墨付きを与える代わりに軍事力(傭兵)を提供してもらっていました。この歪(いびつ)な権力がイタリアに混乱をもたらしていたのです。そのことを見抜いたマキアヴェッリは、教皇・大銀行・傭兵勢力に対抗できる世襲君主と市民の連合による〈主権国家〉を実現するために何よりもまず教皇勢力を世俗から排除することを唱えました。これが〈政教分離〉です。そのために書かれたのが第6章なんです。第7章から第11章は、〈政教分離〉後の世界で望ましい政体を論じています』
 第6章は、新しい君主国を建てた偉大な先人としてモーゼ、キュロス、ロムルス、テーセウスの名前を挙げられている。
 『この章が「君主論」で最も重要です。当時の歴史認識では、ユダヤ民族を率いてエジプトから脱出させたモーゼの行いは、すべて神の意思によるものだとされ、それゆえにモーゼは正しく、成功したとされていました。この論法で自らの行動を正当化していたのが教皇です。教皇は神の意志を体現しているがゆえに常に正義であり勝利する。ところがマキアヴェッリはkの歴史認識に抗して、モーゼはユダヤ民族の軍事司令官であり〈自己の軍備と力量〉によって新しい国と政治体制を勝ちとった書きました。これは〈革命的〉でした。なぜなら、モーゼの成功と勝利の理由を単に彼が優れた指導者であり、運に恵まれていたからだとしたからです。マキアヴェッリはこうして地上を自由意志を持つ個人が衝突する場所にしたのです』」
   ・   ・   ・   
 大陸の王侯は、軍隊と奴隷を持ち、高い城壁と深く広い濠に守られた宮殿で生活していた。っていた。
   ・   ・   ・   
 中華皇帝は、軍隊と家庭奴隷を持ち、高い城壁と深く広い濠に守られた王宮で生活していた。っていた。
   ・   ・   ・    
 日本天皇は、軍隊も奴隷も持っていなかったし、住まいの御所には濠はなく飛び越え可能な低い塀しかなかった。
   ・   ・   ・   
 大陸の王侯や中華皇帝に求められたは、カリスマとリーダーシップであった。
 日本の天皇に求められたのは、カリスマだけでリーダーシップは必要なかった。
   ・   ・   ・   
 日本の天皇・皇族・皇室を守った尊王派・勤皇派は、下級武士、貧しい庶民(百姓や町人)、卑しい芸能の民(歌舞伎役者・曲芸師・軽業師ら)、差別された賤民(非人・穢多・河乞食ら)、軽蔑された部落民(山の民・川の民・海の民ら)ら、下層民達であった。
   ・   ・   ・   
 大陸では、他国の人間でも即位できた為に、王朝は変わっても王家は途絶える事なく続いた。イギリス国王はイギリス人ではない。
   ・   ・   ・   
 中華では、200年~300年周期で易姓革命が起き、戦乱で王朝は打倒され、王家と忠臣は虐殺された。
   ・   ・   ・   
 日本天皇が持っていた権威とは「菊の御威光」であって、軍事力を持った政治権力や経済力の宗教権威は持っていなかった。
 天皇の「菊の御威光」は、空気のように掴み所のない虚像であって、破壊できる実像ではなかった。
   ・   ・   ・   
 日本では、日本民族の中で特殊な血筋・血統を正統継承とする特別な一家系による世襲万世一系男系天皇・皇室が、途絶える事なく2000年近く守られてきた。
 日本天皇制度は、血筋・血統を正統とする世襲万世一系男系天皇を守る為に女性天皇を即位させても女系を臣下に落として皇室から排除した。
 日本天皇制度における正統性は、特殊な血筋・血統であって、人である事の皇統ではない。
 人としての皇統を正当とするならば、開かれた王家である西洋と同じように、天皇に即位するのは日本民族日本人に限る必要なない。
 つまり、皇統が憲法・法律を正当性とするなら、天皇ローマ皇帝のように、中国人でも、韓国人でも、アメリカ人でも、ユダヤ人でも、それこそアフリカ人でも人であれば即位する資格がある。
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 中華皇帝の忠実な臣下であり下僕であった、朝鮮の歴代国王を世界史レベルで論ずる意味はない。
 何故なら、世界史・大陸史はおろか東アジア史・極東アジア史に主体的に関与した事がないから、存在感さえない。
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🔯20」─1─21万年前にヨーロッパに移住した西洋系白人の祖先。人の幸福とは?~No.45No.46   

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 人とは、普遍宗教が言うような、全知全能の絶対神が自分に似せて塵芥を集めて作り命を吹き込んだ「泥人形」ではない。
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 人類の誕生と進化は、当然でもなく必然でもなく、たまたまの偶然と幸運に過ぎない。
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 人類は、アフリカで生まれたアフリカ人である。
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 2019年7月11日 朝日新聞「21万年前 ギリシャホモ・サピエンス
 アフリカ大陸出た時期 見直しも
 ギリシャで見つかった頭骨(とうこつ)化石が約21万年前のホモ・サピエンスのものだったと、同国やドイツの研究チームが11日、英科学誌ネイチャーで発表する。年代が正しければ、ユーラシア大陸における最古のホモ・サピエンスとなり、初期の現生人類がアフリカ大陸を出た時期の見直しにつながる可能性がある。
 この頭骨は後頭部のみ。ギリシャ南部にあるアピディマ洞窟の調査で、1970年代後半に見つかった。チームが今回、改めて調べると、約21万年前のものとみられ、ネアンデルタール人ではなく現代人に通じる丸みある形などの特徴を持つと考えられた。
 現生人類のホモ・サピエンスは約25万~30万年前にアフリカで誕生後、世界に拡散したと考えられている。アフリカを出てユーラシア大陸に移った時期については、5万~6万年前くらい前との説が有力だが、それに先立つ15万~20万年前にも第一波があったとの見方もある。
 特徴的な顔面部がない頭骨をどう評価するかは簡単ではないが、チームは『従来考えられていたより古い時代に、さらに遠くまで現生人類がアフリカから出ていたことになる』と結論づけている。(米山正寛)」
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 エピクロス
 「自然研究に神話を入れるな」
 「神話だけは遠ざけるべきである」
 「神は人の祈りを聴かない」
 「夢は預言にならない」
 「万物は偶然であつても問題ない。万物は必然だという人は、偶然だという人がいるのも必然になってしまうからだ。第一必然は悪だ」
 「善悪は結果の見通しだ」
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 ネアンデルタール人は、血縁による核家族共同体で生活していた。
 ホモ・サピエンス(現生人類)は、宗教による地域集団共同体で生活していた。
 核家族で生活していたネアンデルタール人は、家族内で子供が生まれなくなって絶滅した。
 ホモ・サピエンスと乱婚し混血化したネアンデルタール人は、宗教的地域集団共同体の中に吸収されて自然消滅した。
 ネアンデルタール人の絶滅は、ホモ・サピエンスに皆殺しにされたわけではなく、共同体における生き方の違いが原因であった。
 ネアンデルタール人にせよ、ホモ・サピエンスにせよ、オス・メスの間には愛もなければ恋もなかった。
 血縁による共同体でも、宗教的地域集団共同体は生き残り、核家族共同体は死滅する。
   ・   ・   ・   
 自然環境において生物が子供を産み育てるのは、愛情からではない、ただ単に優秀な子孫を残す為である。
 自然に生きるとは、そういう事である。
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 2019年7月18日号 週刊文春「臆病者のための楽しい人生100年計画
 12 性愛編 結婚と妊娠はなぜ悩ましい?
 ……
 そもそも幸福とは?
 ……
 ここで、『そもそも幸福とは何か?』を問うひとがいるにちがいない。その答えはシンプルにシンプルで、『進化の過程で幸福と感じるようプログラムされたもの』になる。現代の進化論では、喜びや悲しみ、怒りなどの感情はすべて、遺伝子の複製を最大化するための『設計』だと考える。
 愛されることが幸福でなかったり、セックスで快感を感じなかったりする個体は子どもをつくらなくないから、そのような遺伝子は淘汰されて消えていくはずだ。ここまではわかりやすい理屈だが、進化論では現代社会の制度を正当化することはできない。
 『結婚』の制度が成立したのはせいぜい1万年ほど前の農業革命までしか遡れないから、進化とはなんの関係もない。『一夫一妻制』も同じで、すくなくともヒトは、結婚すれば末永く幸せになるように『設計』されていない。
 子どもが生まれれば、母親は強い愛着を、父親もそれなりの愛情を持つようにヒトが『設計』されていることは間違いない。しかし、避妊法のない旧石器時代には、『子どもが欲しい』という欲望を持つ必要はなかった。男と女がセックスしれば自然に子どもは生まれたのだ。
 だがさまざま避妊の手段が登場した現代では、私たちは子どもを産むかどうかを選択しなくてはならなくなった。そのとき、自分のこころに問いかけてもそこに答えはない。なぜなら、そのように『設計』されていないから。
 さらに最近では、子どもを持つリスクを思い知らされるような事件が立て続けに起きている。若い男女がますますどうしたらいいかわからなくなるのも無理はないだろう」
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🌄7』8』9』─1─3万年前 日本人の祖先は丸木舟で台湾から沖縄に渡った。へ 〜No.13No.14No.15No.16No.17No.18  

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 日本列島の最初の人間は、南の海から、丸木舟に乗って台湾、沖縄を経て上陸した。
   ・   ・   ・   
 2019年7月9日 産経新聞「3万年前の航海実験成功 丸木舟で台湾から沖縄へ
 台湾沖を進む、国立科学博物館のチームが乗り込んだ丸木舟=7日午後(同博物館提供)
 3万年前、日本人の祖先がどのように海を越えてきたかを探る実験航海に挑んだ国立科学博物館のチームが9日、丸木舟で台湾から200キロ以上離れた沖縄県与那国島に到着、実験は成功した。
 地図や時計は持たず、星や太陽の位置で方角を判断しながらの旅。流れの速い黒潮を横切り、夜を徹して丸2日近くこぎ続けた。
 エンジン付きの船で丸木舟に付き添ったチーム代表の海部陽介・同博物館人類史研究グループ長(50)は「一時は方向を見失いどうなるかと思ったが、到着でき本当によかった」と話した。こぎ手の5人は疲れているが健康状態に問題はないという。こぎ手のキャプテン、原康司さん(47)は「完璧な航海だった」と語った。日本列島には、朝鮮半島やサハリンからとは別に、大陸と地続きだった台湾から海を越えて渡来した人々がいたと考えられている。」
   ・   ・  ・   
 7月18日 msnニュース 毎日新聞「難しい航海なぜ?「謎残ったまま」 3万年前プロジェクト代表ら会見
 © 毎日新聞 3万年前の航海再現の苦労を語る海部陽介国立科学博物館人類史研究グループ長(右)とこぎ手キャプテンの原康司さん=東京都千代田区で2019年7月18日午後3時ごろ、大場あい撮影
 約3万年前に日本人の祖先が大陸からやってきた航海の再現に成功したプロジェクトのメンバーが18日、日本記者クラブで記者会見した。丸木舟のこぎ手としてキャプテンを務めた原康司さん(47)は「陸が見えない中でも風や海の色で潮の流れを判断することができた」と笑顔で話した。
 プロジェクトは、国立科学博物館などが旧石器時代に台湾から沖縄・与那国島に渡った航海を検証しようと実施。当時の技術で作った舟で今月7日に出発し、約45時間かけて無事到着した。
 舟に乗った男女5人は星や太陽の位置を頼りに針路を決めてこぎ続けたが、「2日目の夜は雲で星が見えなくなった」。慌てることなく舟の上で休息を取り、うまく与那国島に向かう潮の流れに乗ることができたという。
 かじ取り担当の田中道子さん(46)は「日中の暑さが半端なかった。海に飛び込んで体を冷やした」と過酷な航海を振り返り、「今回は成功したが、(3万年前は)無事到着した人より命を落とした人の方が多かったかもしれない」と語った。
 プロジェクト代表の海部陽介国立科学博物館人類史研究グループ長は「これだけ難しい航海を祖先はなぜ挑戦したのかという謎は残ったまま」と述べ、「僕らが舟を作りながら少しずつ自信を深めたように、当時の人たちも経験を重ねる中で目的地に着けるという自信を得たのかもしれない」と話した。【大場あい】」
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