🎄15」─1─「正義は人それぞれ」という考え方、じつは「すごく危険」~No.44No.45No.46 

  ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2024年4月21日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「正義は人それぞれ」という考え方、じつは「すごく危険」だって気づいていますか…?
 玉手 慎太郎
 「正義」という言葉はどうにも扱いが難しい。言葉を使う人によって「正義」がもつニュアンスが違ったり、そのことによってすれ違いが起きたりするからだ。
 正義という言葉に関連して、いまの日本でしばしば耳にするのは、たとえば「正義の暴走」や「正義は人それぞれ」といった表現である。こうした表現は、「正義」という概念を厳密に考えてきた研究者の目には、どのように映るのか。
 このほど『今を生きる思想 ジョン・ロールズ』を上梓した学習院大学教授の玉手慎太郎さんが、政治哲学から見た「正義」について、いくつかの角度から語る。
 日本での「正義」のイメージ
——「正義の暴走」という言葉が使われているのをときどき見かけます。
たとえば、コロナ禍のさい飲食店などの営業自粛を求めて攻撃をおこなう「自粛警察」があらわれましたが、これは「正義の暴走である」と言われました。
 政治哲学や倫理学をご専門とする玉手さんからは、「正義の暴走」という言葉はどのように見えますか。
 玉手「正義の暴走」という表現には、日本おいて「正義」という言葉がもつイメージやニュアンスが比較的よくあらわれているように思いました。
 日本では「正義」という言葉には、「全面的に正しいこと」というイメージがつきまとうように思います。「正義の味方」「正義のヒーロー」のような言葉遣いが典型例ですね。
 先ほど挙げてくださった「自粛警察」もそうです。「自分が全面的に正しい」と思っているような、やや独善的な行動をする人たちを指して、「正義の暴走」という表現を使っているわけですよね。
 玉手一方、西洋の「正義」は、たとえば英語で言えば"justice"で、「司法」と同じ単語です。そのことからもわかるように、西洋の「正義」は、対立している意見や利害を、苦渋の思いで調停することや、そのための基準というニュアンスを強く含むものと言えます。
 いまNHKの朝ドラ『虎に翼』が放送されていますが、先日、離婚調停中の妻が夫から嫁入り道具を取り返そうとする裁判が描かれていました。当時の法律では妻の財産権を認めることは難しい。しかし状況を判断すると認めるほうが世間の理にはかなっている。裁判中、控え室にいる裁判官が、どのような判決をくだすか大いに悩み、葛藤するシーンがあります。
 © 現代ビジネス
 このように、対立の調停という意味での正義は、決してそれを行使していて気持ちの良いものではありません。悪者を倒してきれいさっぱり!というものではないのですね。自分は正義の味方だ、といって正義を行使したがる態度とは距離があります。そしてもちろん、自分は正義で相手は悪だから何をしても良い、というようなことではまったくありません。
 ただし西洋にも、「正義の戦争」と言うときのように、「全面的な正しさ」が前に出た「正義」の用法もあります。ここでお話ししたいのは、葛藤に力点が置かれるような使い方もあるのに、そのことが日本ではあまり理解されていないかもしれない、ということです。
 「正義の暴走」といった言葉遣いについて考えるさいには、こうした「正義」という言葉がもつニュアンスに分け入ってみると、理解が深まるかもしれません。
 「正義は人それぞれ」の危うさ
——「正義は人それぞれ」という言葉遣いもしばしばなされますが、これについてはどのように思われますか。
 玉手ここでもやはり、「正義」という言葉にどのような意味をもたせるかが大事だと思います。今回『今を生きる思想 ジョン・ロールズ』で紹介したロールズという政治哲学者は、正義を「人々の利益と負担を調停すること」として捉えています。
 このように捉えるならば、正義が実現している状態とは、みんなが納得できるような基準で、利益と負担の調停がなされている状態であることになります。そのような状態、つまり誰かが誰かを犠牲にすることのない社会を実現するために、正義はあるのです。
 目の前に利益と負担をめぐる対立が実際にあるにもかかわらず、「正義は人それぞれ」と言ってしまうと、最初から対立する利害の調停を放棄することになってしまいます。みんなが納得できる正義を模索することを、あきらめてしまうということです。
 少し強い言葉を使うと、一つの正義に従わないということは、結局は力がものを言う世界を肯定するということです。「自分は物事を拳で決める」「暴力で解決しよう」と態度表明しているのとほとんど変わらないとも言えます。
 現行の正義のあり方、つまり利益と負担の調停のされ方について、納得できない人は、ついつい「正義は人それぞれ」と言ってしまいたくなるかもしれません。しかし、重要なのは「人それぞれ」と言うことではなく、「納得できない」と意見を表明すること、そして、納得できる正義をなんとか見出していくことです。
 「俺の正義は俺の正義、お前の正義はお前の正義」と言ってしまうと、結局はパワーゲームになってしまうと思います。その意味で、「正義は人それぞれ」はやや危なっかしいところがある表現なのです。たしかに「正義は人それぞれ」と言いたくなる現実はある。でも、だからこそ、現状の正義について納得できない人もいることを受け入れて、誰もパワーゲームの犠牲になることがないような社会を実現する、新しい正義を考えていかなければならない。
 そのような取り組みを哲学の領域で徹底的に考え抜いたのが、ジョン・ロールズの『正義論』という本です。私がこのたび出版した『今を生きる思想 ジョン・ロールズ』では、そのようなロールズの試みについて、できる限り平易に解き明かしました。正義に関心がある人はもちろん、いまさら「正義」を語るなんてばかばかしい、正義は人それぞれだよ、と思っている人にこそ、ぜひ読んでほしいですね。必ず得られるものがあると思います。
 *
 ほかにも【日本人は、じつは「競争」について「大きな勘違い」をしているかもしれない】の記事や、【自尊心は、人間にとって「贅沢品」なのか…決してそうではないと考えられる「深い理由」】の記事で、正義にまつわるさまざまな論点について紹介しています。
   ・   ・   ・