✠160」161」─1─ヒトラーの四ヵ年計画。ルーズベルトのニューディール政策。イギリス・フランスのブロック政策。スターリンの五ヵ年計画。タスキギー梅毒人体実験。1927年。 ~No.441No.442No.443No.444@  

ナチス・ドイツ、IGファルベン、そしてスイス銀行

ナチス・ドイツ、IGファルベン、そしてスイス銀行

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗    
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 マキャベリ「賢明な君主は、機会があれば奸策(かんさく)を弄(ろう)してでも、わざと敵対関係をこしらえ、これを克服することで精力の拡大をはかる」
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 スターリンの「幻想」とヒトラーの「熱狂」。
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 全体主義は、嘘、デマ、ブラック・プロパガンダなどの言論テロで民主主義が圧殺され、自己判断力をなくした無気力の上に広がる。
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 島田洋一ファシズムは、1920年代にイタリアのムッソリーニが、共産主義でも資本主義でもない『第3の道』として打ち出した政治運動である。
 国家主義的な独裁を永遠の統治原理としつつ、資本主義のエネルギーを抑圧体制活性化のために用いるというのが、『第3』ないし折衷案(せっちゅうあん)たる所以(ゆえん)である。
 対外膨張自体は、ファシズムの属性ではない。スペインのフランコは典型的なファシズム政権でありながら、ヒトラーの再三の圧力にもかかわらず、枢軸側に立って参戦しなかった。そのため、1975年まで政権を維持できた。一方、ヒトラーは対外膨張に突き進み、政権獲得から12年で破滅した」
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 ノエル・ノイマン(ドイツ政治学者)『沈黙のらせん理論』
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 オルテガ・イ・ガセット「(大衆とは)善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は『すべての人』と同じであると感じ、その事に苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずる事に喜びを見出しているすべての人の事」
 大衆は、一人でいる事に不安を感じ、仲間はずれにされる事に恐怖感を抱く。
 安心したいが為に、同じ様な意見を持つ群れに加わり、自分で考えるのを止めて多数の雰囲気に迎合し、自分で判断せず集団の価値観に従い、自分で決断せずに多勢に流され、自分で責任を取らない為に皆と同じ方向に向かって行動する。
 それが、世論であり、民意である。
 世論や民意とは、無責任で、いい加減で、決して正しいとは限らない。
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 無秩序な自由放任(レッセ・フェール)の自由主義経済で、世界恐慌が起きた。
 各国は経済復興の為に、社会主義的統制計画主義を採用し、保護主義経済政策を実行した。
 強欲な自由主義の失敗によって、抑圧された統制計画主義が世界経済の潮流となった。
 富裕層は富を失い、貧富の格差が縮小した。
 だが、保護主義統制経済が失敗するや自由主義自由経済に戻り、貧富の格差が徐々に戻っていった。
 自由放任の自由主義と抑制の統制計画主義による、世界経済における競争は存在しなかった。
 世界経済は、経済発展の限界と経済政策の失敗を原因として、自由放任の拡張財政と抑制の緊縮財政とを交互に繰り返してきただけである。
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 ロベルト・ミヘルスは、寡頭制の鉄則についての著書があり、強い民主主義的政党を作ると、政党は独裁的組織になると指摘した。
 「全ての組織の中には少数者支配の傾向が歴然と出現する」
 そして、民主主義を進化させて広く意見を聴くと、大衆は衆愚化して寡頭制となって衰退すると。
 「民主主義の進化は放物線の弧を描き、組織の進展につれて低落していく」
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 教養ある学生や知識人が、マルクス主義共産主義の暴力に惹かれたのは「人民の幸福」という「幻想」からであった。
 共産主義大義とは、実現しない「幻想」であった。
 事実。共産主義国家の統制体制は、悲惨な結果を人類に残し、失敗して消えた。
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 スターリンは、五ヵ年計画を始めるに当たって資金がない為に、アメリカのユダヤ系国際資本から巨額の資金提供を受けていた。
 欧米のユダヤ系国際資本は、経済的な利益目的の為に共産主義と裏取引していた。
 後に、反ユダヤ主義者であるフォードはロシア国内に自動車生産工場を建設し、多くのアメリカ人技術者を送り込んだ。
 スターリンが大粛清を始めるや、ソ連在住のアメリカ人の殆どが強制収容所に送られて死亡した。
 ルーズベルトは、ソ連との関係を維持する為に彼等を棄民として見捨てた。
 その犠牲者は、1万人以上と言われている。
 ウクライナスターリンは、軍備優先の重工業化を推進する為の労働力を確保する為に、農業集団化を強引に推し進めた。
 ウクライナ農民の多くは、地方の農地にこだわり都市の労働者になる事に躊躇した。
 スターリンは、共産党の命令に従わない農民の頑迷に激怒して、ウクライナ農民約300万人を餓死させた。
 共産主義体制において大事なのは、〜イズムであって人命ではなかった為に、共産主義大義の為に自国民を人為的餓死屁へと追い込んだ。
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 木村元「ハイデガーナチスに加担した事で悪名を残したが、それは、アメリカやロシアはすでに技術の自己運動にとりこまれてしまっており、唯一ナチスだけが生きた人間を復権させる事によって、非人間的な技術文明を乗り越える可能性を秘めていると考えたからのようだ。ところが、結局ナチスも列強の同類だと言う事に気付き……全てに絶望したのだと弁明している」「人間は次から次へと可能性を広げていく技術の自己運動に、ただ酷使されているようにしか思われない」
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 エリック・ホッファー「無為を余儀なくされた有能な人間の集団ほど爆発しやすいものはない。そのような集団は過激主義や不寛容の温床になりやすい、いかに不合理で邪悪であろうとも、壮大な行動を約束してくれるならどんなイデオロギー的改宗でも受け容れてしまいやすいのだ」(『現代という時代の気質』)
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 1827年 アメリカとソ連には国交はなかった。
 9月 スターリンは、第一次五カ年計画(1928〜33年)に必要な技術情報と人材をアメリカから獲得する為に共産党中央委員会内部に小委員会を設置した。
 ソ連は、アメリカ企業が国内に工場を設置し投資できるように、一定の利益を保障する事を約束した。
 アメリカ企業は、ソ連国内に工場を建設してソ連経済の発展に貢献した。
 ソ連は、アメリカ企業から大量生産という最新製造ノウハウを盗み取っていた。
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 1929年 アメリカ人技術者1,700人は、ソ連の各種プロジェクトにアドバイザーとして参加した。
 10月 世界大恐慌
 アメリカ企業は、対ソ投資を見直し、工場を閉鎖し、漸次(ざんじ)撤退を始めた。
 アメリカ人技術者は、帰国していった。
 コミンテルンは、日本に対する赤化工作を続けていた。
 スターリンは、日本との戦争に勝つ為にはアメリカの最新技術情報が欠かせないとして、アメリカから盗み出すように指示した。 
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 1930年 ヨーロッパで極右勢力が台頭したのは、長引く不況が原因であった。
 ワイマール共和国憲法のドイツも不況と重税に苦しみ、人民革命を起こそうとする共産主義勢力が浸透し、国論は分裂した。
 左派陣営は、ソ連の援助を受けて人民の権利を尊重し人民の幸福を追求せよと、親ソ路線を訴えた。
 右派陣営は、栄光ある偉大なドイツを復興させ、反共の盟主として欧州を共産主義の毒牙から守る為に反ソ路線を訴えた。
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 1931年夏 ソ連は、優秀な若手研究者75人をアメリカの大学に留学生として送り込んだ。
 留学生らは、インフラ整備に必要な技術系を専門として学びながら、極秘任務として軍需産業界とのコネクションを構築した。
 アメリカ財界は、ソ連共産主義を敵とは見なさなかった為に裏取引的に協力した。
 フランクリン・ルーズベルトは、第一次五カ年計画を成功と見なし、恐慌からの脱出し経済を立て直し発展させるにはソ連の計画経済を真似た国家統制的手法が有効だと確信した。それが、後のニューディール政策である。
 その為、ソ連の対米工作を黙認し、政府高官にスパイが潜り込む事を放置した。
 ソ連軍は、アメリカの技術を導入する事で近代化し強力な軍隊に改造された。
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 1932(〜72)年 タスキギー梅毒人体実験。アメリカ公衆衛生局は、黒人の性生活を調査する為に人体実験を長期間実施した。
 アラバマ州タスキギーに住む黒人小作農夫600人を被験者としてに梅毒を注射し、399人を実験体として治療せず、201人には治療を施し、梅毒の進行過程を観察した。
 1950年代にペニシリン使用が可能になったが、注射せず死ぬに任せ100人を見殺しにした。
 1972年7月26日 ニューヨーク・タイムズ紙は、タスキギー梅毒人体実験を報道した。
 アメリカもソ連も、非人道的な人体実験を極秘で行っていた。
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 1932年 イギリスは、中東の石油を独占する為にイラク保護国にするべく、まず独立させて国際連盟に加盟させ、独立国として条約を結び、国際連盟のA式委任統治領に指定し、イギリスの受任国とした。
 アラビア半島の西岸を支配していた名門ハーシム家は、イギリスの後押しでイラク(国王ファイサル1世)とトランスヨルダン(現在のヨルダン、国王アヴドゥラー1世、)に王国を建国した。
 ハーシム家は、預言者マホメットの子孫としてイスラム世界では大変な権威があったが、アラブ世界は遊牧の部族社会であった為に、地域ごとに地元の名門・名家がいて反目し合っていた。
 アラビア半島には、サウド家が勢力を張ってサウド家の入り込む余地がなった。
 イラクを合法的なイギリスの傀儡国家として、イギリスに最恵国待遇を与えさせ、政府機関にイギリス人顧問団を派遣し、イギリス軍を駐屯させた。
 11月8日 フランクリン・ルーズベルトは、大統領選挙で、ハーバート・フーバー大統領の積極的財政策は税金の無駄遣いと激しく罵倒して当選した。
 アメリカは自由と民主主義を理念として建国された人工国家で、海外との交流を断絶して国内に閉じ籠もって理想社会を築こうとする孤立主義と、国を豊かにする為にはアメリカの理想を国外に広げるべきだとする国際主義が、存在していた。
 アメリ外交政策の不安定さは、時の大統領が孤立主義と国際主義の何れかを基本方針とした為に起きていた。
 その影響を強く行けたのは、日本でった。
 アメリカの対アジア外交は、大統領が誰に替わろうとも一貫して親中国反日的であった。
 軍国日本を滅ぼす為に、ファシスト中国や中国共産党の残虐行為は不問に付された。
 冷戦下で対ソ連戦略から、中国共産党政府の大躍進も文化大革命も、中国軍のチベット侵攻と大虐殺も、カンボジアクメール・ルージュへの軍事支援も、ポル・ポト派の大虐殺も、非難しないどころか容認した。
 その結果、中国共産党のアジアへの影響力強化と共産主義勢力の勢力拡大を許した。
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 ワイマール共和国は、不毛な政争を繰り返して政情不安を深刻化させ、議会は無意味な解散と大金を費やす総選挙で機能不全に陥っていた。
 政治家は、国家の再建や国民の生活安定よりも、大企業と癒着して賄賂を取って国民の信用を失っていた。
 国民は、政党による政府や議会に絶望して、ヒトラー率いるナチ党に救いを求めた。
 ワイマール共和国の崩壊は、権力を私する腐敗した政治家と既得権で利益を得ようとする官僚によって崩壊していった。
 国民の民意は、栄光あるドイツを復活させる為にワイマール共和国の終焉を望んだ。
 ドイツの悲劇は、ヒトラーとナチ党の台頭ではなく、金に汚い強欲な政治家と政策能力のない無能な官僚にあった。
 イアン・カーショー「大戦、敗戦の屈辱、革命の混乱がなければ、芸術家の夢を断たれ、落ちぶれた人間が政治の世界に身を投じ、ビアホールの民衆扇動家として才を示し、その活動に人生を捧げるようなことはなかっただろう。そして大戦、敗戦、革命がトラウマを残し、そのせいでドイツ社会が政治的に急進化することがあければ、この民衆扇動家の憎しみに満ちた耳障りな言葉に耳を傾ける者もでなかっただろう。ヒトラードイツ国民の道が交わる前提を作り出したのは敗戦の遺産だった」
 「ヒトラーがしたことといえば、独創性のない思想を独創的な方法で宣伝することだった。同じことを言う者はいたとしても、それによって衝撃を与えることができる者はいなかっただろう。問題は何を言うかではなく、どのように言うかだった」
 「すなわち、ヒトラーの個人支配は、下からの急進的なイニシアティヴを誘発し、ヒトラーがゆるく規定する目標と一致するかぎり、そうしたイニシアティヴを後押しした。このことは、競合しあう諸部局のあいだでも、そうした諸部局内の個々人のあいだでも、つまり体制のあらゆるレベルで猛烈な競争を生んだ。・・・動機は何であれ、結果として、彼らはあくなき急進化を助長し、そこから総統の『使命』というかたちで政策目標が徐々に具体化することになったのだ」(『ヒトラー 上 1889─1936 傲慢』・『ヒトラー 下 1936─1945 天罰』)
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 1933年 ドイツはは、「フランスが兵力削減に消極的」とフランスに責任を転嫁して、国際連盟軍縮会議から脱退した。
 ヒトラーは、戦勝国が何ら対応策を講じないと見るや、35年にベルサイユ条約の軍備制限条項を破棄し、国防軍の要請に従って陸軍を3倍に増強し、禁止されていた空軍を新設した。
 イギリス、フランス、イタリアは、ストレーザに集まり対応を協議するが各国とも国内問題を優先して対抗策をまとめる事ができず、ドイツの再軍備を黙認した。
 ヒトラーは、不況下の戦勝国が条約違反を理由にして制裁をしてこないとがわかるや、国力が劣勢な内は周辺諸国の警戒心をかき立てないようにゆっくりと既得権の拡大と領土の拡張を始めた。
 既成事実を積み重ねるという、サラミ・スライス戦略である。
 ドイツ軍は、機関銃やライフルといった軽装備で、イギリスやフランスはおろかイタリアとさえ真面に戦っては勝てない軍事力しか持ってはいなかった。
 もし。戦勝国が、強力な軍事力を持つ前にヒトラーの野望を断固とした制裁を加えて打ち砕いていれば、第二次世界大戦は起きなかった。
 1月3日 ロスチャイルド系J・ヘンリー・シュローダー銀行商会社長のシュローダー男爵は、資金難にあるナチ党を救済する為にヒトラーと会談を持った。
 シュローダー「天下国家の大目的をかなえる為に軍資金が必要と思う。そういうわけで、ナチス党の全債務をこの際、我々が一切合切、肩代わりさせていただいて、あなたは身軽になって、大奮闘していただきたい。そういう相談がまとまっているのです」
 ドイツの金融業界を支配していたのは、ユダヤ人が経営するドイツ銀行ドレスデン銀行、ダルムシュタット銀行の三大銀行であった。
 国際的業務を行う各国の大手の銀行は、ロンドン・シティのユダヤ人金融資本と深い関係にあった。
 金融・投資は、西欧の王侯貴族との姻戚関係を持つユダヤ人上流階級が支配していた。
 1月4日 政財界への影響力を持つハリマンは、ドイツへの融資を行うに当たって、情報機関OSSのナンバー2である血族のドノバンを通じてダレス兄弟の協力を得た。
 ジョン・フォスター・ダレスとアレン・W・ダレスの兄弟は、ケルンのシュローダー屋敷でヒトラーと会談した。
 ダレス兄弟は、ナチ党に資金提供しヒトラーを首相に就任させる事に対する見返りとして、顧問をしているクーン・ロエブ商社のドイツでの信用貸しの返済保証を求めた。
 ヒトラーは、返済保証を承諾した。クーン・ロエブ商社は、第一次世界大戦時に帝政ドイツに対し戦費として短期信用貸しを行っていた。
 保守的王侯貴族とロイヤル・ダッチ・シェルイングランド銀行及びハンブロー銀行などは、シュローダー銀行(最高経営責任者F・C・ティアークスはイングランド銀行重役)を通じてヒトラーとナチ党に資金支援した。
 長兄のジョン・フォスター・ダレスは、J・P・モルガン商社、ナショナル・シティ銀行、クーン・ローブ商社、ブラウン・ブラザーズ・ハリマンなどの法律顧問を行な、シュレーダー銀行やスタンダード石油などの代理店業務をも行っていた。
 弟のアレン・W・ダレスは、IGファルベンなどのドイツの有力企業とアメリカ企業との仲介を手広く行っていた。
 イギリス・シティの親ドイツ派金融団も、ヒトラーナチスへの多額の資金援助を行っていた。
 アメリカの駐英大使ジョセフ・ケネディも、アメリカ資本のドイツ産業への投資を支援していた。
 国際金融資本は、ソ連共産主義諸国とファシズム陣営による新たな戦争を起こす為に、ナイス・ドイツの再軍備に多額の融資を行った。
 ユダヤ人商法の成功の秘訣は、両者に均等に援助し、勝者からも敗者からも利益を取る事であった。
 ヒトラーは、英米の親ドイツ派が支援してくれる限りアングロ・サクソンとの戦争は起きないし、英米とは協調関係を保てると信じていた。
 ドイツ財界とキリスト教会などの伝統的保守勢力は、反ユダヤ共産主義のナチ党に接近した。
ヒトラーは、栄光ある「新生ドイツ」を大義として保守派のカトリック政党ドイツ中央党党首パーペン元首相と連立内閣を組む事に同意した。
 1月30日 ヒトラーを嫌うヒンデンブルク大統領は、パーペンら保守派の説得を受け入れ、首相になれば穏健な政策を実行すると期待してヒトラーを首相に指名した。
 ヒトラーナチスは、民主的な合法的手段で政権の座に着いた。
 伝統的保守派官僚機構(行政、司法、国防軍)は、ヒトラーの指示下に入った。
 世界恐慌で職を失った若手の有能なインテリは、行政府内に然るべき地位を確保する為にナチ党に入党した。
 10代や20代の若者は、ヒトラーのカリスマに魅了され、ヒトラーの演説に自分の将来を重ねて反ユダヤ主義運動に進んで参加し、祖国と民族を守る為に屈強の兵士に成るべく健康に気をつけて努力した。
 ナチ党は、伝統的宗教や文化による倫理道徳の常識に囚われた分別臭い大人層よりも、平和と正義の為なら合理的に暴力を肯定する純真な若者らの戦闘集団で強化された。
 ワイマール政権下では失業率が30%以上あり、絶望的な貧困に喘いでいた民衆は、強いリーダーを望んでいた。
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 2月27日 ゲーリング無任所相兼プロイセン内務相は選挙中に国会議事堂を放火し、元オランダ共産党員ルッペ(24歳)の犯行とでっち上げて、ドイツ共産党の国会議員や党員を一斉逮捕した。
 ヒトラーは、左派の反撃を押さえるべく「国民と国家を防衛する為の大統領緊急令」を発し、ワイマール憲法基本的人権条項を停止して、左翼勢力を徹底的に弾圧して選挙妨害をした。
 共産主義者ユダヤ人の一部は反ナチのテロや暴動を起こした為に、愛国心に燃えるドイツ国民は反国家主義者を犯罪者として憎んだ。
 ゲッペルスは、新聞、ラジオ、映画、出版物、芸術、演劇などを総動員して国民を洗脳し、国家、民族の敵である共産主義を憎む様に大衆を操作した。
 各国政府は、政策を実行するに当たって、情報を操作して自国民を洗脳した。情報操作をしない政府は、存在しない。
 何処の国民も、国家に不利な真実を知らされる事は絶無であった。
 つまり、国民には知る権利はなかったのである。
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 ヒトラーは、ハイパーインフレが終息してから10年が経過したデフレと大量失業の中で政権を掌握した。
 ナチス・ドイツは、ハイパーインフレを克服したのではなくデフレと大量失業の経済対策で表舞台に登用し、その経済政策が生活圏の確保と拡大であった。
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 3月4日 民主党のフランクリン・D・ルーズベルト(2分の1ないし4分の1のユダヤ人の血が入っている)が、アメリカの参戦に反対する事で第32代大統領に就任する。
 国民は、共和党政権の政策の失敗で株が暴落して生活が打撃を受けたとして、新しい民主党政権に期待した。
 これまで共和党を支援していたアメリカ系ユダヤ人の85から90%が、変革を求めて民主党を支えた。
 世界恐慌いらい業績不振に苦しむ産業界は、市場の開拓の為にソ連の承認を求めた。革新的リベラル派も、新たな世界秩序を形成するにはソ連の承認は不可欠と主張した。
 歴代共和党政権と国務省や治安当局が、ソ連派暴力的共産主義革命を輸出しているとしてソ連の承認に強く反対していた。
 コーデル・ハルは、ジェイコブ・シフの親戚である。
 ルーズベルトは、社会主義運動を起こしている失業者の雇用を救済する為に、ハリマンらが考案した「産業の国有化により生産と分配を国家が統制する」というニューディール政策を発表した。
 選挙公約を破棄して超積極財政策を採用し、若手経済学者や社会主義思想家等からなるブレイン・トラストに経済立て直しを一任した。
 ブレイン・トラストは、計画経済政策として毎年30億ドルの巨額資金を公共投資に投入した。
 公共事業の増加で一瞬景気は上向いたが、財政赤字を膨らませるだけで全て失敗に終わった。
 公的資金を手に入れた国際金融資本と巨大財閥は、さらなる財政出動をさせる為に超積極財政とニューディール政策を支持した。
 工業生産額は減少し、失業者も溢れ1,000万人を超えた。
 有力メディアは、「ニューディール政策によるアメリカ経済の復活」という嘘の報道をして、国民の不満がルーズベルト政権に向けられないように情報操作を行った。
 社会主義ユダヤ人知識層は、ラスキーとケインズの「拡大経済と国家管理」を目指す共産主義ニューディール政策の実行に参加した。
 アメリ共産党は、スターリンの指示でニューディール政策を支持した。
 財閥が組織する自由同盟は、労働者よりの共産主義的政策と猛反対した。
 労働組合や農民は、ルーズベルト貧困層の味方であるとして支持した。
 財閥による軍産複合体は政治献金で政府に圧力を強め、労働組合は大量の選挙票で政治家を拘束した。
 マフィアは、暴力で選挙を妨害して選挙民の投票行動を操作した。
 大手銀行は、新たな戦争に備えて、軍需産業に関係した重工業と化学工業の増産体制を整備する為に巨額の投資を行い、巨万の利益を得た。
 ルーズベルト大統領の母ゼールス・ルーズベルト夫人は、ユダヤアメリカ人から合衆国の勇敢な指導者を生んだとして讃えられ、シオン団体からユダヤ憲章(ジューイッシュ・メダル)を授かり、ニューヨーク・ユダヤ協会の名誉会員に推薦された。
 ニューヨーク市長ラガーティアは、全ユダヤ人の名において、彼女に金牌を贈与した。
 金牌の図柄は、表がルーズベルトで、裏がダビデの星であったといわれている。
 ルーズベルトは、ドイツ人には親近感を持っていたが、反ユダヤ主義を公言してはばからないヒトラーへの嫌悪を隠さなかった。
 そして、反ユダヤ政策を実行するナチス・ドイツ政権を粉砕する事を決めた。
 対ドイツ戦略から、ユダヤ共産主義者が建国したソ連を支援し、ユダヤ人のスターリンに接近して譲歩と援助を繰り返した。
 だが。アメリカのユダヤ人は、反ユダヤの人種差別の激しいアメリカ社会で、少数派としての権利と利益を守る為に、国家としてヨーロッパのユダヤ人を助ける如何なる行動もとる事には猛反対した。
 ヨーロッパのユダヤ人を救出する為に、善良なアメリカ人青年が犠牲になると知れるや、人種差別主義者が激怒して反ユダヤ暴動を起こす恐れがあったからである。
 アメリカの孤立主義者は、アメリカの利益の為にだけアメリカ国民は戦うのであって、決して他国と他国民の利益の為に犠牲になってはいけないと訴えていた。
 現代において。
 アメリカが、本気で戦う事を嫌う平和国家日本を助けてくれるのか?
 自分は銃をとらず金だけを出して仲間を見捨てて逃げる卑怯者・日本人の為に、アメリカ人の親は最愛なる我が子を戦死させられるのか?
 歴史を見れば、その結論は自明の理である。 
 アメリカは、国民主権の民主主義国家で、最優先するのは自国の利益と国民の生命財産である。
 そして、潜在的人種差別主義国家である。
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 3月5日 アンドリュー・ナゴルスキ(ドイツ文学者)「粗野で、無知で、教養もなく、ユダヤ人を口汚く罵り、誇大妄想にしか見えない『わが闘争』構想を延べ、批判を一切許さず、一対一のインタビューでさえ、質問抜きに演説に終わらせてしまう」(『ヒトラーランド──ナチの台頭を目撃した人々』)
 ヒトラーは、「民族共同体」という国民受けする演説をおこない「栄光あるドイツ」の再生を誓って支持を得た(得票率43.9%、288議席)。社会民主党は18.3%を、共産党は12.3%を獲得した。
 世界大恐慌で職を失った貧困層は、夢物語的に空想的政策をささやく共産党よりも、将来への希望を語りその為の現実的政策を打ち出したナチ党を支持した。
 古き伝統を守ろうとした信仰心厚い民族主義者は、国際主義で国家、民族、文化、家族、宗教を破壊する共産主義的改革派を敵視した。同12日 ナチスが地方選挙でも勝利するや、地方自治から社会民主主義者を追放する事を決定した。
 保守勢力は、選挙に大勝したヒトラーに対する影響力を弱めた。
 フランクフルト市長であるユダヤ系民主主義者のL・ランドマンはオランダに亡命し、ユダヤ人や社会民主主義者は市役所、公立学校、美術舘から追放された。
 世界的な著名なユダヤ人や左翼系ユダヤ人らは、ナチス政権の誕生と共にドイツを脱出した。資産家のユダヤ人も、早期に国外へ移住した。
 諸外国では、激しい抗議が起きドイツ商品のボイコット運動が拡大した。
 シオニストは、パレスチナをアラブ人から暴力的に奪い、イギリスから独立させる為に、ナチス・ドイツに協力してユダヤ人を強制移住させようとしていた。
 33年から34年までに55万人の内6万人のドイツ系ユダヤ人が、平和的に国外に移住した。
 だが、不毛なパレスチナへの移住を希望する者は極少数にすぎなかった。
 ドイツ国籍を持っていたユダヤ人は、ドイツ人ではなくユダヤ人として生きる事を選び国家を捨て、さらに移住先のフランス人やアメリカ人になる事も拒否した。
 彼らは、国家を捨て、国民になる事も拒否したが、人として救済を求めた。
 流離う人々は、生きる為に国家権力を信用せず、金のみを信頼して国境を越えていった。
 アメリカは、大量の貧しいユダヤ人難民を受け入れる事は大恐慌以来の失業者問題を悪化させるとして、自活できる才能なるユダヤ人難民を条件付で受け入れるという移住制限を強化し、ユダヤ人差別はナチス・ドイツの国内問題として慎重に対応した。
 ユダヤ人問題が表面化するや、反ユダヤ主義の将校団は国務省の所管として静観した。
 アメリ在郷軍人会や民間のアメリカ連合と一部のキリスト教神父などの移民制限派は、「アメリカ人の為のアメリカ」という大義で、排他的で同化できないユダヤ人の割当量を削減するという移民法の改正を求め、国家に忠誠を誓わず、国家と地域に貢献せず自己の利益しか考えない反社会的ユダヤ人の国外追放を求めた。
 政府高官や保守派エリート、上層階級や中産階級、チャールズ・E・クーリン神父やジェラルド・B・ウィンロッド師ら宗教指導者らは、アメリカをヨーロッパの混乱と戦争から救うべくユダヤ人救済に反対した。
 在郷軍人会は、アメリカは迫害を受けているユダヤ人の避難場所ではない以上、その子供達をも条件で受け入れるべきではないと表明した。
 アメリカ・ユダヤ人協議会救援委員会(RCAJC)がピザを取得した難民の数は、全体の約5.9%にすぎなかった。
 3月 アメリカのユダヤ系新聞は、ナチス・ドイツユダヤ人への迫害報道するや、同月27日に全米でユダヤ人に同情し反ユダヤ政策の中止を求める集会(参加者約100万人)が開かれ、ドイツ製品のボイコット運動が拡大した。
 ニューヨークでは25万人が参加し、マヂソン・スクエア・ガーデン会場に5万5,000人が集まった。23日 国務省は、在ドイツ大使館に迫害事件の真相調査を命じた。
 アメリカ・ユダヤ人会議(AJC)は、迫害に苦しむ東欧系ユダヤ人の受け入れをルーズヴェルトに嘆願した。
 移民制限派は、国民世論を動かして、失業者の自殺が急増している時にユダヤ人のみの為に血税を使い時間を割く事に反対した。
 ドイツとの貿易を拡大させつつあったアメリカ資本は、ナチス・ドイツを孤立化させない為に政府に圧力を掛けて両国の友好関係を維持させた。
 彼らにとっては、ユダヤ人の生きる権利よりも貿易が出きる平和が大事であった。
 アメリカ・ユダヤ人会は、人種差別主義者への恐怖から、ユダヤ人難民の救済に反対した。アメリカ系ユダヤ人(約500万人)の大半も、ドイツやオーストリアの同胞に同情しても国内のキリスト教的反ユダヤ意識を刺激する事を恐れ、ユダヤ人のみの移住制限の緩和を求める事はしなかった。
 つまり、他人よりも自分と自分の家族が大事であったのである。
 ユダヤ人財閥は、ハリマンらの協力を得て、ユダヤ人への迫害報道を中止させるべく報道機関に圧力をかけた。報道機関の大半は、ユダヤ人が経営していた。
 ワシントンやニューヨークなどの日本総領事から東京の内田康哉外相へ、ユダヤ人迫害反対運動の仔細な報告がなされ、同時にカリフォルニアなどにおける日本人移民に対する優生学による人種差別的運動の知らせもあった。
 アメリカは、アメリカ企業が抱える余剰生産物の輸出促進の為に、ソ連の経済発展を利用するべく輸出入銀行を設立してソ連に融資した。
 民主主義に相反するイデオロギーによる強権的独裁体制であっても、相手国内での事で国外に影響力を拡大しなければ黙認した。
 ナチス・ドイツの反ユダヤ政策にしても、ドイツ国内に限定されていれば内政不干渉の原則で口を出さなかった。
 まして、ヒトラー政権打倒の陰謀に加担する気はなかった。
 経済援助的融資は次第に政治目的化され、アメリカの意向に従った政策をとった国に対して優先的に行った。
 ソ連の情報機関OGPUは、NKVD(内務人民委員部)と改称させて、トロッキストやレーニン主義者など反体制派知識人を取り締まり、フルシチョフやブレジネフらは反スターリン派数十万人を粛清した。 
 「死と恐怖」を支配する秘密警察の幹部は、全てが非ロシア系ユダヤ人であった。流刑地にある強制収容所の所長は、ほぼ全員が国際主義者ユダヤ人であった。
 彼らは、多くのユダヤ人を虐殺した。
 ソ連共産主義諸国では、ナチス・ドイツ以上に、絶えず大量の流血事件が起きていた。


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