✠162」163}164」─1─ユダヤ人軍事組織ハガナーのユダヤ人難民船パトリア号轟沈事件。カティンの森虐殺事件。コベントリー。・1940年 ~No.465No.466No.467No.468@ ⑯          

危機の指導者チャーチル (新潮選書)

危機の指導者チャーチル (新潮選書)

   ・   ・   ・   
 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗   
   ・   ・  【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】 ・   
・ドイツ総人口 8,000万人内労働人口4,100万人。
   1938年 総所得 72億6,000万ポンド
         軍事費 17億1,000万ポンド
・イギリス総人口 4,600万人内労働人口2,000万人
   1938年 総所得 52億4,200万ポンド
         軍事費  3億5,800万ポンド  
   ・   ・   ・   
 ユダヤ人過激派は、神聖なユダヤ人国家を建国する為ならば多少の同胞の犠牲はやむを得ないと割り切っていた。
 祖国建設という目的の為には、如何なる犠牲も正当化される。
 それが、人類史であり、世界史であり、大陸史である。
 人類の歴史には、花に包まれた天国の様な理想主義による綺麗事は存在しない。
   ・   ・   ・   
 チャーチル「成功は最終的なものではない。失敗は致命的なものではない。大事なのは、続ける勇気だ」
   ・   ・   ・    
 ニューヨークに本拠地を置くAP通信は、アメリカ新聞協会が、1848年に設立した世界最大級の通信社であった。
 ナチス・ドイツは、第一次世界大戦時に国際報道機関による反ドイツ宣伝でドイツ帝国が敗北・崩壊した事を教訓として、報道統制として編集者法に基づき国内で取材活動する者に対して記者登録を義務付けた。
 国際世論に好印象を与える為に、国際報道に強い影響力を持つAP通信を利用して宣伝を行った。
 AP通信は、ナチス・ドイツとの間で「互恵的協力関係」を築く事で枢軸支配地域で自由な取材活動が認められ、ヒットラーを美化しナチス・ドイツに有利な報道を行った。
 独裁国家内部の情報を報道する通信社・新聞社などのマスコミ各社は、独裁者の意に従い、独裁者の検閲を受け、独裁者を批判する記事は書かない。
   ・   ・   ・   
 1940(〜42)年 ユダヤ強制収容所では、約3万5,000人のユダヤ人女性が売春が強制され、後に口封じとして殺害された。
 収容所に於いてユダヤ人を管理・監視していたのは、ユダヤ人の「カポ」(労働監視員・収容所監視員)であった。
 ナチス・ドイツは、ユダヤ人カポが如何に忠誠を誓い、ユダヤ人のホロコーストに協力しても、彼らも同じ薄汚いユダヤ人として虐殺した。
 (クリスタ・パウル『ナチズムと強制売春』)
   ・   ・   ・   
 1940年 スターリンは、撤退するソ連軍に対して、ドイツ軍の進撃を食い止める為に徹底破壊の焦土作戦を命じた。
 ドイツ軍は、占領地を拡大すると共にインフラ整備の破壊で進撃が鈍り始めた。
 同時に。ドイツ軍の支配下となった地域のロシア人達も物資不足に苦しむようになり、女性達はドイツ軍兵士に体を売って食べ物や生活必需品を手に入れた。
 到る所で、生きる為の売春行為が行われていた。
 ナチス・ドイツは、ルーズベルトを追い詰める為に、孤立主義上院議員7名と下院議員13名に極秘に政治運動資金を提供した。 
 バートン・ホィーラー上院議員は、大統領候補に名乗りを上げ、選孤立主義者の支援を受けて民主党予備選挙に出馬した。FBIのフーバーは、ホィーラー事務所は議員特権を利用してナチス・ドイツを支援する郵便物を発送している証拠を掴んでいた。
 イギリスのスパイであるカナダ人のウィリアム・スティーヴンソンも、ニューヨークのロックフェラーセンターに事務所を構え、アメリカ国内の親ナチ派を極秘に調べていた。
 イギリス大蔵省イングランド銀行は、チャーチル首相に「大英帝国の破産近い」と報告した。イギリスは国家破綻していた為に、ヒトラーとの戦争を続ける為に中立国アメリカの支援を切望していた。
 ドイツ軍はは中立国ノルウェーデンマークを軍事占領した。
 ソ連軍・共産主義勢力は、中立国フィンランドや中立国のバルト三国を軍事占領した。
 中立国のスウェーデン王家は、国際金融資本と歴史的な血縁関係にあった。そして、同国の兵器産業ノーベル財閥(ノーベル賞の企業)や世界的ボールベアリングのSKF社が両陣営に武器や弾薬を供給している為に、如何なる国からも攻撃される事はなかったし、軍事占領もされる事がなかった。
 フィラデルフィアにあるSKFのアメリカ工場は、高射砲などに使用するボールベアリングを生産して、戦争継続の為にナチス・ドイツに輸出していた。国務省のアチソン次官補は、同工場を敵性施設指定から除外して製造を認めた。J・P・モルガン社などのユダヤ人金融資本は、スウェーデン王室と同国の兵器産業に融資を続けた。
 現実の国際社会で、「中立国宣言」や「非武装平和宣言」などは分別無き子供の戯れ言の様に無力にすぎなかった。それを信ずる者は無知無能な単なる「バカ」にすぎず、まともな政治家で有ればその様な「バカ」はしない。
 フェリックス・フランクファーター「ナチズムの徹底的な敗北が我々の制度や諸機関の存続に不可欠だとルーズベルト大統領が確信する瞬間が到来した。その時期はサムナー・ウェルズ氏が欧州行きの任務について報告した時期[1940年3月]より後という事では決してあり得ない。間違いなく、フランスの陥落が切迫していると見られた時点から、大統領は連合国の敗北を防ぐ為に可能な限りのあらゆる手段を尽くす事を決意していた。……従って、日本が攻撃を行ったあの日曜日の午後の国家的惨事に際して、内閣と軍の幹部を集めた場で、大統領がしっかりと冷静に事態に対処しているのを見て、大統領の補佐官達の中でも、もっとも経験豊かな政治家達も自分自身に『これぞ私のリーダーだ』という事が出来たのだった
   ・   ・   ・   
 ソ連フィンランドとの冬の戦争。
 フルシチョフフィンランド人は赤ん坊が歩くのを覚えるより先にスキーを覚える。高速ライフル銃を装備したスキー部隊に、ソ連軍は手も足もでなかった。ソ連兵にもスキーを履かせたがまったく役立たずで、意気揚々と出発して彼らはほとんど還ってこなかった。」
   ・   ・   ・    
 チャーチルは、ドイツ空軍によるイギリス本土爆撃で苦境に立たされていた為に、反撃としてドイツ主要都市への無差別空爆の必要性を国民に訴えた。
 人口集積地である都市は、軍事拠点でも軍需工場地帯でもなく、非戦闘員である一般市民が生活する非武装地域であった。
 イギリスは、敗戦に追い込まれる「最高緊急事態」として、「非戦闘員の殺傷を禁止する」交戦規約を破る事を説明した。
 イギリス空軍は、戦線の後方にある都市部を空爆して市民から戦争継続の意思を阻喪させ、目の前における死から厭戦気運を高め、空爆の恐怖から政府や軍部への不平不満を煽るべく、謀略ビラを撒いた。
 「我々はドイツを爆撃しつつある。都市から都市を、さらにひどく。それは貴方達に戦争を止めさせるためだ。……昼も夜も我々は出撃するだろう。帝国のどこも安全ではない。働く人々は貴方の近所に住む。だから我々は貴方の家を、貴方を直撃する」
 マイケル・ウォルツァー「その時点でのイギリス指導者の意図は、一般市民を殺害し、恐怖を与え、ドイツの軍事力よりむしろドイツの士気に打撃を与える事にあった」(『緊急事態の倫理』)
 チャーチルは、古都コベントリー爆撃の報復としてドレスデン空爆を許可した。
   ・   ・   ・   
 2月10日 ルーズベルトは、ソ連フィンランド侵略を非難する声明を出した。
 「事実を直視する勇気の或る人なら誰でも知っている様に、ソ連は世界の全ての独裁国と同様に、絶対的な独裁によって運営されされている。ソ連はもう一つの独裁国と同盟しており、自国に対しておよそ考えうる如何なる危害をも加えられないほどちっぽけな隣国、そして民主主義を目指す自由国家として平和裏に生きる事だけえお求めている隣国を侵略したのである」
 ハリー・ホプキンズ商務長官は、悪化したソ連との関係を改善する為に、ルーズベルトスターリン観を変えるべく説得した。
 ホプキンズは、共産主義者で、スターリンの協力者であった。
 ルーズベルトは、ニューヨーク州知事時代からの友人で、最も信頼する側近中の側近であるホプキンズの話を聞いて、スターリンヒトラーより信頼できる好人物と信じた。
 ホプキンスは、ルーズベルトの勧めで5月10日からホワイト・ハウス起居し、アメリカの極秘情報をソ連に伝えていた。
 オレク・ゴルジエヒスキー「ホプキンズが意識的な工作員であるよりは、自ら意識しない工作員だったという結論に達した」
 イスハク・アフメロフ「(ホプキンズは)アメリカ合衆国における戦時中の最も重要なソビエト工作員だ」
 ソ連の秘密情報機関は、アメリカ、イギリス、日本などの大学で、マルクス主義に興味を持つ有能な学生を共産主義者の細胞にすべくスカウトしていた。
 ソ連のスパイとなった者は、エリートとして各国の政府に潜入して国家機密をソ連に伝え、ソ連に有利になる様に国家政策を誘導していた。
 2月28日 イギリス海軍は、アメリカからヨーロッパに発送される郵便物をを積んだ船を海上で臨検すると通告した。
 船が、アメリカ船籍でも、他の中立国船籍でも、無差別に臨検した。
 ルーズベルトは、明白な主権侵害が行われているのに黙認した。
   ・   ・   ・   
 カティンの森虐殺事件。ソ連軍は、ポーランド人を銃で脅して強制収容所ラーゲリ)に押し込んだ。
 スターリンは、ポーランド人に無駄飯を食わせる事は合理的ではないとして殺害命令を下した。
 ソ連軍は、強制収容所ポーランド人に「君達は帰国が許されたので、西に向かう」と嘘を付いて安心さ、移送中での暴動を未然に防いだ。
 共産主義者の相手を想って言う発言の大半は、嘘である。
 共産主義者は、目的を達成する為には陰謀をめぐら平気で嘘を付くし、平然として虐殺を行う。
 共産主義大義の為ならどんさ犯罪行為を行っても、罪の意識はない。
 内務人民委員部(NKVD)は、春から夏にかけてグニュズドヴォ村近郊のカティンの森で、ポーランド人の軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者ら約2万2,000人を銃殺した。
   ・   ・   ・   
 ドイツ軍のフランス侵攻。フランス軍は、ドイツ軍の侵攻を食い止めるべく、アルデンヌの森の前にアルジェリアセネガルの植民地兵2万人を配置した。
 5月10日 チャーチルは、与野党一致で戦争に勝利する為に戦争内閣を組閣し、平和を求める宥和派や親ドイツ派を敗北主義者として中央から排除した。6月までに、反対派1,847人を逮捕して投獄した。
 ケネディ駐英大使からルーズベルトへの報告「チャーチルは残酷で腹黒く、アメリカを戦争に巻き込もうとしており、特に影響力のあるユダヤ人のリーダーと接触している」
 チャーチルは、ルーズベルトに親ドイツ派のケネディ大使の更迭を要請した。
 ヒトラーは、なおもイギリスとそ戦争を回避する為に、アメリカの親ドイツ派財界人に接触していた。
 ドイツ軍は、東部戦線の安全を確保して、西部戦線で大攻勢にでた。
 ドイツ軍機甲師団は、マジノ線を避け、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグを占領してフランスに侵攻した。
 フランス軍は、反戦平和市民団体の軍事費削減だ弱体化していて、祖国防衛の為にドイツ軍と戦わず敗走した。
 何時の時代でも、何処の国でも、戦争を嫌い、武器を持とうとしない、自己満足の反戦平和市民団体の為に国家は滅亡した。
 国境防衛のフランス軍は、植民地兵のよる防衛ラインが破られた為に撤退した。
 植民値兵の戦死者は、2万人を超した。
 5月16日 ルーズベルトは、チャーチルが要求している駆逐艦供与に対する曖昧な返事を送った。
 チャーチルは、再度、駆逐艦供与を懇願する手紙をルーズベルトに送った。
 「駆逐艦の案件については極めて残念です。貴方の難しい立場は理解する。ただ、戦いは英仏両国にとって極めて厳しい状況が続いている事は分かって欲しい」
 5月18日 ジェームズ・S・ケンパー(アメリカ商工会議所会長)「今日のアメリカ経済が抱える最大の関心事は、我が国が外国の戦争に巻き込まれない様にする事です。我々財界は、戦争による利益を求めるのではなく、外国の土地に戦闘の為にアメリカ人の若者を送る事を断固反対するべきです」
 アメリカ世論は、イギリスはもちろんユダヤ人を救う為に、ナチス・ドイツと戦争する事に反対していた。
 5月20日 ケント事件。ロンドンのアメリカ大使館は、 イギリス政府は、駐英アメリカ大使館暗号文書事務係タイラー・G・ケントを国家機密法違反で逮捕し、ケントの部屋からルーズベルトチャーチル海軍大臣との対独戦参加に関する機密外交交信記録文書約1,500通を押収した。
 暗号電報は、イギリスがアメリカを如何にして戦争に導こうとしているかの証拠となってた。
 イギリスは、同時に国内のナチス・ドイツもスパイ組織をも摘発した。
 当時のチェンバレン首相は、成る可くならねナチス・ドイツとの戦争を回避しようとしたが、一閣僚に過ぎなかったチャーチルルーズベルトが対ドイツ戦で極秘に外交交渉をしている事を全く知らなかった。
 5月22日 反ユダヤ・反チャーチルの親ドイツ派ライト・クラブ会員が逮捕された。
 チャーチルは、ケネディ大使や親ドイツ派や和平派に対して、不退転の決意を示した。
 ユダヤ人組織は、ヒトラーの魔の手からユダヤ人同胞を救う為に「正義の戦争」を指示した。
 5月24日 ドイツ機甲師団は、英仏連合軍をダンケルクまであと2日という地点で進撃を停止し、ヒトラーの命令で退却するのを傍観した。
 ハリフェックス外相は、ナチス・ドイツとの戦争を終結させるべく和平派をまとめ、ファシスト・イタリアを介して和平交渉を始めた。
 チャーチルは、「正義の戦争」を主張して、ヒトラーとの和平に断固反対した。「必要ならば一人でも戦いを続ける」
   ・   ・   ・   
 6月 陸軍情報部(G—2)のマイルズ将軍は、アインシュタインマンハッタン計画の中心的科学者として参加させるかどうかの人物調査を、FBIに依頼した。
 フーバー長官は、スペイン内戦時にエイブラハム・リンカーン大隊を支援した経歴があり、その政治信条から参加させるべきではないと報告した。フーバーは、反ユダヤ主義者として、個人的にアインシュタインを嫌い、国家の敵と見なしていた。
 「急進的な背景を考えると、慎重に調査する事なくアインシュタイン博士を極秘活動に関係させる事は望ましくない。こうした背景を持った人物が、短期間で忠実なアメリカ市民になるとは考えにくい」
 アインシュタインは、ヒトラーを倒す為に勝利に貢献するう事を希望したが、マンハッタン計画から外された。
 6月4日 チャーチルは、下院で「イギリスは断固、最後まで戦い続ける」と宣言し、第二次世界大戦を地球全体の戦争に拡大させた。
 ヒトラーは、宿願のソ連共産主義勢力と戦う為に、イギリスとの和平を望んでいた。
 6月7日 ナチス・ドイツは、「ソ連ルーマニアからの大量の石油輸送によって、我が国のガソリンは確保されている」と公表した。
 チャーチルは、中立国アメリカを戦争に引きずる込む為に実業家ウィリアム・S・スティーブンソン(暗号名イントレピッド)をワシントンに送り込んだ。
 イントレピッドは、カナダで撮影した、「ナチスの残虐行為」や「ナチスは教会や修道院を破壊」するヤラセ写真を反ナチスユダヤ系報道機関を通じて公表した。
 国際報道機関は、事実をねじ曲げ、軍国日本やナチス・ドイツへの悪意に満ちた捏造報道を垂れ流していた。
 ルーズベルトは、戦争に参戦する為にイントレピッドに協力した。
 参戦反対派の共和党議員ハミルトン・フィッシュやバートン・ウィーラーやジェラルド・ナイらは、親ドイツ派の孤立主義者とのレッテルを貼られ、選挙で落選に追い込まれた。
 6月21日 ペタン元帥は、ナチス・ドイツに降伏した。
   ・   ・   ・   
 7月 アメリカ海軍は、アインシュタインを日給25ドルで技術顧問として雇った。
 7月1日 ペタン元帥は、新たな政府の首都をヴィシーに定めた。
 フランス駐屯のドイツ軍は、兵士の為の慰安所を開設する為にフランス人売春婦を集めた、 
 フランス人斡旋業者は、ドイツ軍の要求に見合った女性を慰安所に送り込んでいた。
 7月18日 ポーランドユダヤ人達は、各国の大使館や領事館でビザを取得しようとしたが全て拒否された為に、最後の望みとして杉原千畝が総領事としているリトアニアの日本領事館に殺到した。
   ・   ・   ・   
 9月2日 ルーズベルトは、イギリスが保有する西インド諸島の軍港やカナダの空軍基地の使用権とのバーターで、旧式駆逐艦50隻を供与した。
   ・   ・   ・   
 10月 ドイツ軍衛生部は、ポーランド占領地で慰安所を開設した。
 「国防軍、奉仕団、空軍、親衛隊が売春施設の設営を引き受ける。売春婦としては、ポーランド人の売春婦として働いていた女性を使う事になるだろう」
 約3万5,000人の女性がかり集められ、兵士が飽きないようにする為に半年ごとに入れ替えた。
 10月7日 ルーズベルトは、一通の報告書を受け取った。
 「ドイツ、イタリアは、アメリカから無関心な態度を取り続けるようあらゆる手段を尽くしてきたとの見方を支持する相当な証拠がある」
 ウェデマイヤー陸軍中将回想録「アメリカ国民はニュルンベルク軍事裁判の際、ドイツの機密文書を徹底的に調べた結果、ドイツはアメリカ攻撃計画を何ら持っていなかった事を承知している。アメリカ攻撃どころか、何トンにものぼる膨大な記録文書を調べたところでは、ヒトラーアメリカとの戦争を回避する為に、全力をつくしていた事が判明している」
 アメリカは、戦争には参加しなかったが、イギリスやソ連に大量の武器弾薬や食糧などの軍事物資を送っていた。
 10月15日 チャールズ・チャップリン監督の『独裁者』(『チャップリンの独裁者』)。
 ハリウッドは、ウォール街アメリカ企業がナチス・ドイツと取引していた為に反ヒトラー映画を製作しなかった。
 そのかわりに、反天皇反日映画を製作した。
 アメリカは、ナチス・ドイツを刺激する事を恐れていた為に、ユダヤ人難民を見捨てていた。   ・   ・   ・   
 11月 チャーチルは、ヒトラーとの戦争に勝つにはアメリカを戦争に引き込むしかないとして、スティーブンソンをアメリカにおけるイギリス情報機関(BSC)の責任者に任命してワシントンに送り込んだが。
 スティーブンソンは、和党大会で避戦を訴えるフーバー元大統領ら孤立主義者を押さえる為に、民主党のウェンデル・ルイス・ウィルキーを共和党の大統領候補に押し込んだ。
 ウィルキー大統領候補は、事前の予想通りに、ルーズベルトに大統領選挙で敗北した。
 スティーブンソンは、ルーズベルトを当選させる為に、世論調査を改竄したり、マフィアや労働組合汚職警官らを動員して選挙妨害を行った。
 パレスチナのイギリス軍は、アラブ人の不満を抑える為に、ユダヤ難民人1,700人を強制送還者としてモーリシャスに送るべくパトリア号に乗船させた。
 ユダヤ人軍事組織ハガナーは、イスラエル北西部のハイファ湾に碇泊していたパトリア号を轟沈させ、約250人の同胞を殺害した。
   ・   ・   ・   
 1939年12月 アラン・チューニングが、ドイツの暗号エニグマを解読する計算機を開発する為に10万ポンド(約20億円)を要求した。
 ポーランド製計算機を改良して完成した計算機は、解読不可能と言われたエニグマ暗号を解読し、戦争終結を2年早め、1,400万人の命を救ったと言われてる。
 11月8日 イギリス王室空軍(RAF)は、ミュンヘンを爆撃した。
 ヒトラーは、報復としてコベントリーを500機以上の爆撃機空爆するムーンライト・ソナタ作戦を命じた。
 11月14日 コベントリーの悲劇。
 国家は、国民を見捨てる。
 チャーチルは、ドイツ軍がコベントリーを空爆する事を暗号解読で知ったが、暗号解読をドイツ軍に知られない為に町民約4,000人に空襲警報を出さなかった。
 死者、554人。重傷者、865人。
 だが、この事によってチャーチルは偉大な指導者として歴史に名を残した。
 戦争の勝利の為には、如何なる犠牲も厭わないし、如何なる手段も実行するのが、大陸における世界史の現実である。
 連合国軍は、戦争の勝利の為にナチス・ドイツホロコーストに抗議せず、ドイツ軍に捕まった自国兵士捕虜が虐待を受ける事を恐れてユダヤ人虐殺に目を瞑った。
 ローマ・カトリック教会バチカンも、各方面からホロコースト情報を受けていたが、ドイツ人がそこまでの残虐はしないと自分に言い聞かせ、悲痛なうめき声が聞こえない様に耳を塞ぎ、真実を見ない様に目を閉じて瞑想し、そしてただただ絶対神に敬虔な祈りを捧げていた。
   ・   ・   ・   
 12月29日 ルーズベルトは、炉辺談話として「我が国は、民主主義の大兵器廠で有らねばならない」と、国民に訴えた。国民は、アメリカの参戦には猛反対したが、大統領の国家戦略には大賛成して武器貸与法案成立を支持した。
   ・   ・   ・   
 中立国アメリカは、ソ連への軍需物資を北海経由でムルマンスクに陸揚げしていたが、独ソ戦開始と共にシベリア経由に切り替えた。
 ソ連の大反撃が開始するや、インド洋経由でペルシャ湾に陸揚げして支援した。
 アメリカは、間接的に、既に参戦していた。
   ・   ・   ・    
 2017年5月号 Voice「大西洋会談とルーズベルトの不倫旅行 渡辺惣樹
 ノルウェー王女に亡命を勧める
 ナチス・ドイツにとって、鉄鉱石の供給ルートを安全なものにすることは大きな課題であった。ドイツは戦争が始まった1939年当時、およそ1,000万tの鉄鉱石をスウェーデンから輸入していた。全輸入量のおよそ半分に当たるだけに、その供給ルートは安定させなくてはならなかった。
 スウェーデン産鉄鉱石は同国の港ルレオから積み出されていた。ルレオの港はバルト海の最北部ボスニア湾に面している。北緯60度以北にあり冬季には凍結する。ドイツは、スウェーデン産鉄鉱石の安定確保のための不凍港が欲しかった。ノルウェー北部の港ナルヴィクはその条件を満たしていた。ルレオと同じような緯度にあったが、北大西洋海流(暖流)の恩恵を受ける不凍港であった。
 ヒトラーはイギリスとの戦いを止(や)め、本来の狙いであるウクライナ方面へ侵出したかった。しかし、頑迷なチャーチルは国内の対独宥和派を排除し、ドイツとは最後まで戦うと宣言していた。ヒトラーの攻勢は、ポーランド侵攻後しばらくはおとなしいものだった。ヒトラーの『消極的な戦い』の時期である。欧米の歴史家はこの時期の戦いを『見せかけの戦争(phony war)』と呼んでいる。ヒトラーは英国との手打ちの機会を探っていたのである。
 チャーチルの態度は変わらないと決断したヒトラーは長期戦を覚悟した。彼がノルウェー北岸の制圧を決め侵攻を開始したのは1940年4月9日のことであった。これを予期していた英国艦隊との激しい戦闘となった。『見せかけの戦争』はヨーロッパ全土に拡がる『真のヨーロッパ大戦』になった。
 ノルウェー王室のマーサ(マッタ)王女(1901年生まれ)は、ハラルド王子(3歳)を連れて母国スウェーデンに逃れた。同国は中立国であったが、ナチス・ドイツを刺激することを恐れ彼女を歓迎しなかった。マーサ王女にアメリカへの亡命を勧めたのはフランクリン・ルーズベルト大統領(FDR)だった。彼女はフィンランドの港ペツァモからアメリカに向かった。米海軍輸送船『アメリカン・レジョン』が二人を運んだ。
 『不倫旅行』だった大西洋会談
 ルーズベルトは、無事ニューヨーク港に入った王女と王子を歓迎した(1940年8月28日)。二人をニューヨーク・ハロルドパークの私邸で、そしてホワイトハウスでしばらく過ごさせた。その後、王女はワシントンDCから遠くないベセスダ(メリーランド州)の町に邸を借りた。この町には、FDRが新聞記者に隠れて心臓疾患の治療を受けていた海軍病院があった。
 ルーズベルトとマーサ王女はたちまち親密になった。ルーズベルトの当時の記録からマーサ王女が頻繁にFDRの傍にいたことがわかる。FDRと妻エレノアは、彼のルーシー・マーサー(エレノアの祕書)との不倫が発覚(1918年)して以来、仮面夫婦だった。1941年6月、FDRの祕書ミッシー(Marguerite LeHannd)が心臓発作で倒れた。彼女もFDRの愛人であった。
 同年8月4日早朝、FDRは大統領専用ヨット『ポトマック』号で釣りの旅に出た。船上にはマーサ王女の姿があった。その晩はマサチューセッツ州マーサズ・ヴァインヤード沖に停泊した。
 翌未明、FDRは重巡洋艦オーガスタに移り、カナダのニューファンドランド沖に向かった。チャーチルとの極秘会談が目的だった。ポトマック号には自身の影武者と警護のシークレットサービスを残して新聞記者を攪乱(かくらん)した。王女はカムフラージュ工作の道具でもあった。
 FDRは戦艦プリンス・オブ・ウェールズでやって来たチャーチルとの会談に臨んだ(大西洋会談:8月9日〜12日)。実態はいかにしてアメリカの参戦を実現するかの打ち合わせだったが、戦後の和平構想の理念を語る大西洋憲章の作成が目的だったと胸を張った。
 FDRとマーサ王女の関係がどこまでのものだったかは詳(つまび)らかではない。しかし、歴史家の作成したFDRの愛人リストには彼女の名が見えている。あの戦争の(偽りの)目的を高らかに謳(うた)いあげることになった大西洋会談の旅は、同時にFDRの不倫旅行でもあったことは確かである。
 ワシントンのノルウェー大使館庭に王女の像が立つ。王女なりの国難への対処への感謝の証(あかし)なのだろう。」
    ・    ・    ・    





   ・   ・   ・   

神道とキリスト教―呼応する心意構造

神道とキリスト教―呼応する心意構造