🔯13」─1─歴史人名学。西洋における姓名命名法の歴史。三連命名法→単一命名法→二要素命名法。~No.41No.42No.43 @ ④ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 当然の事ながら、日本の家・姓名の考え方や思いは、キリスト教の西洋亜や儒教の中華(中国・朝鮮)とは根本的に違う。
 日本民族日本人の家と姓名には、神道の祖先神・氏神の人神信仰が根底にある。
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 2018年8月30日号 週刊文春「私の読書日記  
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 9月からエマニュエル・トッドの家族人類学を援用した『≪日本=二本≫の歴史の謎解き』(仮題)の連載を開始することになっているので、夏休みの中に日本史ばかりか民俗学、歴史人口学などを集中的に読書しなければならないが、ここに来て、芝紘子『歴史人名学序説 中世から現代までのイベリア半島を中心に』(名古屋大学出版会 5,400円+税)によって、歴史人名学というとてつもなく面白い学問が存在していることを知ってしまったので、人名にも気をくばらなければならなくなった。では『歴史人名学』とは何なのか?著者によれば、『姓名という切り口から社会を捉え直すことによって、これまで感知されなかった社会の諸事象間の側面や関係性を明らかにし、それらの事象自体の理解をより深化させる研究』と定義できる。その深化のプロセスは、コンピューター技術の発達で基礎データの膨大な集積が可能になったことで人口学がクロス・レフェランスを通じて歴史人口学として新しいジャンルを生み出したのと似ている。
 まず、ローマ帝国末期から中世初期にかけてだが、この時期にヨーロッパ、とりわけイベリア半島の姓名システムは大きく変化する。キリスト教の影響により、ガイウス・ユリウス・カエサルのような『名・氏族・家名』の三連命名法は衰退して、単一名だけの命名法となる。キリスト教が祖霊信仰は異教と関係すると見なしたからである。当初、ラテン系、ゲルマン系、アラブ系など単一名のストックは多かったが、10世紀以後、ストックが縮減し、名の集中が行われる。中世初期には信徒の名に無頓着だったカトリック教会が幼児洗礼を介してキリスト教的な名を普及させていったためだ。初め、命名は地方殉教聖人にちなんでいたが、すぐに流行遅れとなり、福音伝道者などの大聖人の名が人気となり、集中はさらに進む。ところが、中世盛期に大きな変化が訪れる。家産の継承者と目される息子一人ないし二人に『要となる男性名』が付けられることが多くなり、やがて祖父の名を孫の男子に付ける習慣が現れ、次に父の名を長男に与える習慣へと変化する。『名は家族構造とはなんのかかわりもなかった。しかし祖父または父の名を与えられた息子が家族の過去と将来を結びつける人物とみなされ、祖父・父の名をその権力および家産とともに相続する長男の特権的地位が確立していくにつれて、名は家族構造と密接に結びつくにいたる。典型的には、封建秩序が確立した地方において直系家族となって現れる』。
 ここから単一命名法→二要素命名法というジャンプはほんの一息であるが、地域により家族構造が異なったためだろうか、移行のスピードには、同じイベリア半島でも西と東ではかなりの差があった。これぞまさに家族人類学のコラボレーション!新しい学問の誕生と呼んでいい画期的な一冊である」
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 何れの民族においても姓名の誕生には、神話、物語、逸話、謂われなどが存在する。
 日本民族の姓名にも、何らかの物語が存在する。
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 朝鮮の姓名だけは、物語性が乏しい。
 朝鮮の一字姓は、中華帝国の一字姓を工夫もなくそのまま丸写し的に導入した二番煎じである。
 屁理屈は後からどうとでも言えし、後出しジャンケン的屁理屈は朝鮮人が得意とするところである。


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