- 作者:ローフス ミッシュ
- 発売日: 2006/11/21
- メディア: 単行本
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』
大衆が見出した唯一の組織形態が全体主義だ。
全体主義の特性は、非現実的なプロパガンダによって大衆を扇動して社会不安を煽り、扇動された大衆を誘導して既存の権力を解体し体制を乗っ取る。
全体主義は、大衆運動から生まれる。
大衆とは、他人の意見や特種な価値観を無条件に受け入れて自己の思考を停止し、周囲の空気に合わせて行動する心理状態にある人間。
身分や階級などと言った前近代的共同体に属さない、群れながら行動していても孤立した個人の事である。
庶民と大衆とは、別のものである。
ホセ・オルテガ・イ・ガセト「(大衆とは)自分自身凡庸である事を自覚しつつ、凡庸たる事の権利を主張し、自分より高い次元からの示唆に耳を貸す事を拒否(する人間)」
大衆の一員に過ぎなかったアイヒマン達は、盲目的に上司であるヒトラーの命令に従って、罪の意識もなく、事務的にユダヤ人達をアウシュヴィッツ絶滅収容所に送り込んでいた。
大衆とは、自分の意思や価値観を持たず自己責任を取って行動したがらないだけに、意図的な情報で洗脳され易く、恣意的な誘導で扱いやすい人間達である。
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アメリカ軍兵士は、ドイツ軍やイタリア軍の慰安所を利用した。
アメリカのピューリタン宣教師や女性達は、アメリカ人兵士を背徳な名売春行為から救う為に慰安所の閉鎖を求めた。
アメリカ軍は、本国の命令に従って、兵士達が利用できないように慰安所を閉鎖した。
アメリカ軍兵士は、町に出て、現地の女性を買って性欲を発散していた。
連合軍支配地では。仕事のない女達は、嫌々でも売春婦となり、アメリカ軍兵士達に身体を売ってば金を稼いでいた。
売春宿の主人達は、焼き出され行く当てのない戦争孤児の少女達を騙して集め、アメリカ軍兵士相手の売春を強要して大金を稼いでいた。
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アメリカ軍内の日系アメリカ人兵士は、ナチス・ドイツとの死闘の後に、ホロコーストのユダヤ人絶滅収容所を解放し、瀕死のユダヤ人達を救出した。
ほとんどの日本人は、日本国民であれ、アメリカ市民であれ、洋の東西と言わず、貧富の南北と言わず、人種差別をしないという相手を思い遣る「日本民族の心(天皇の御稜威・大御心)」からユダヤ人を助けた。
日系アメリカ人兵士達は、家族を人質として過酷な環境にある強制収容所に入れられていたが、アメリカ市民の責任と義務の為に国家に忠誠を誓って戦った。
日系アメリカ人は、市民権をくれたアメリカの為に、祖国日本と昭和天皇に銃を向けて、日本人と戦った。
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1945年 アメリカ政府と議会は、ソ連で起きている非人道的追放命令を知りながら、ナチス・ドイツとの戦争を優先して、武器貸与法にもとずく全ての援助を行った。
アメリカは、ソ連が対日戦参戦する条件として、南樺太と全千島列島をソ連領とする事を承認していた。
ソ連は、天皇制打倒と北海道と東北の一部を領土にする計画を立てていた。
日本人マルクス主義者は、日本の共産主義化の為にソ連軍が侵攻できる様に協力し、日本人を共産主義者に洗脳する為に教育に力を入れた。
スターリン「ソ連邦における全大事業の約三分の二は合衆国の助けにより、もしくはその技術的協力により建設された」
だが、ユダヤ人の救済は一度たりとも話し合われる事はなかった。
第二次世界大戦は、ユダヤ人をホロコーストから救う為に行われたわけではなかったのである。
イギリスとオーストラリアとフィリピンは、ソ連に同調して天皇制の廃止を望んでいた。
「イギリス人は、世界中に王様は二人しか認めない。一人はイギリス国王、もう一人はトランプのキング」
中国は、昭和天皇を戦犯として中国に護送し、侵略戦争を命じた責任で裁判に掛けて有罪にして、処刑するか終身刑にする事を望んだ。
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ワシントンでは、戦後のヨーロッパ復興政策(対ソ戦略)をめぐり、「弱いドイツ」の財務省・司法省の一部対「強いドイツ」の国務省・陸軍省の間で激しい主導権争いが起きていた。
反ナチ主戦派のルーズベルトは、マルクス主義に理解を示すユダヤ人のモーゲンソー財務長官を信任していたが論争に直接関与せず、ナチ勢力の一部を残そうとする強いドイツ派に対して「無条件降伏」の原則で早期講和を禁じていた。
財務省は、戦後の対外政策をソ連との協調を主軸とする構想から、ドイツを半永久的に弱体化させる「JCS1067」(戦後ドイツ占領政策の指針)を44年9月に成立させた。
司法省は、ドイツ財界が資本を集中してヒトラー体制を育てた元凶であったとして、ドイツの巨大企業を解体し産業集中化を排除すべきだと決意していた。
弱いドイツ派は、戦争の責任はドイツ国民全体にある(一体論)として、ドイツ企業の大半を解体し、警察力はあっても国防力なき農業国家にすべきだと考えていた。
国務省と陸軍省は、自由と民主主義を破壊する共産主義の拡大を阻止する為に、強力な国防力を持った強いドイツは不可欠と考え、反ヒトラー派のナチ党高官や国防軍首脳との早期和平を模索していた。
国内の親ドイツ派財界人も、共産主義から資本主義を守るべく、OSSのアレン・ダレスを通じてドイツ財界と秘密交渉を続けていた。
バチカンも、反宗教無神論のマルクス主義者から信仰の自由を守り、信者を共産主義の魔の手から救う為に、ナチ党やファシストと接触していた。
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ソ連軍は、アメリカ軍より先にベルリンを占領する為に如何なる犠牲をも厭わなかった。
ソ連軍の先頭を進撃してドイツ軍と激戦を繰り返していた赤軍兵士のその多くが、赤軍正規兵ではなく囚人や浮浪者など寄せ集めの兵士で機関銃はおろか小銃さえ足りていなかった。
死者の山を築いても非正規兵達をドイツ軍に向けて突撃させる為に、後方に正規兵による射殺部隊を排し、突撃しない味方の非正規兵を射殺した。
恐怖だけでは戦闘意欲が萎えるとして、占領地での強奪や強姦を認めた。
非正規兵達は、戦死と射殺という恐怖を打ち消す為に敵陣での強姦できるという幻想で、武器を持たずに戦場を走り敵陣に飛び込んで敵兵を殺していた。
共産主義には、ソ連には、救いは何処にもなかった。
人間性を完全に否定していたが故に、ソ連軍は最強の軍隊であった。、
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オランダは、ドイツ軍による港の封鎖に寒波が重なり、飢餓が深刻化した。
オランダ国民は、チューリップの球根まで食べたが約2万人が餓死した。
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1月3日 ハリマン駐ソ大使とモロトフ外相(ユダヤ人)は、戦争で荒廃したソ連の国土を再建する為の借款問題について協議した。
アメリカは極秘でドル紙幣印刷原板をソ連に渡し、ソ連は3億ドル以上を自由に印刷した。
モロトフは、国家再建の為の資材購入費として約60億ドルの長期借款を申し込んだ。
ハリマンは、ソ連の国内事情を充分知りながら資金要請に同意した。
西側のユダヤ人金融資本は、総額120億ドルの対ソ長期借款を決めていた。モーゲンソー財務長官(ユダヤ人)は、戦後のソ連救済に約100億ドルの貸し付けを計画していた。
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2月4日 ヤルタ会議。彼らは、ユダヤ人に起きていたホロコーストの事実を知っていたが、何故か救済の手を差し伸べる事を真剣に協議しなかった。
晩餐会を1時間後に控えて、スターリンはルーズベルトを表敬訪問し、ソ連軍の対日戦争参戦問題を話あった。
スターリンは、日ソ不可侵条約を踏み破り、国際法違反とならないように参戦する大義名分を求めていた。
日本は、スターリンを通じて、国家元首である天皇の地位を保障するという条件で降伏すると伝えた。
連合国は、「無条件降伏の原則」を堅持して、日本の降伏条件である「国體護持」を拒否した。そして、昭和天皇をヒトラー同様に戦争犯罪で処罰する事に一致していた。
スターリンは、ルーズベルトにユダヤ人問題で協議する為に延長を要請した。だが、ルーズベルトはサウジアラビアのアブドゥルアジズ国王との会談を理由にして断った。
シェークスピア「鷲は小鳥たちが何を歌おうが勝手にさせておき、その意味など気にはしない。翼を広げるだけで、小鳥の歌など何時でも止めさせらる事を知っているからだ」(『タイタス・アンドロニカス』)
2月7日 ヤルタ会談。暗号名「アルゴナウテース」。ルーズベルト「私は、今、一年前にも増して血に飢えている……私が希望するのは、貴方(スターリン)が5万人のドイツ将校の処刑を提案し、もう一度乾杯をしてくれる事だ」
アメリカは、ソ連軍の進撃を速める為に大量のトラックを供与した。
ヤルタ宣言「我々は、ドイツ民族の絶滅を意図するものではないが、ドイツがナチズムと軍国主義を根絶した後でなければ、その生存と連合国側の機構内でのそれ相応の扱いを期待するのは不可能であろう」
フランクリン・ルーズベルトの傍らには、ソ連のスパイである大統領顧問アルジャー・ヒスと特別補佐官ロークリーン・カリーらが同行していた。
ソ連のスパイは、アメリカの機密情報をスターリンに伝え、ソ連の為に活動していた。
イギリスは、ドイツ海軍のUボートによる海上封鎖で存亡の瀬戸際に追い込まれた時、ユダヤ系資本が資金援助し、ユダヤ系海運業者が撃沈される事を覚悟で商船を出して食糧・武器弾薬を運んでくれた事に対し恩義を感じていた。
「窮地に追い込まれた時に自己犠牲で助けてくれるのが真の友人」というのは、生き物の絶対的真理である。
チャーチルは、ユダヤ人への恩義に報いる為に、ユダヤ人が切望している「パレスチナにユダヤ人の国家」を建国する事を提案した。
だが、ルーズベルトは反対した。
「その聖地は、いまではユダヤ人だけの聖地ではない。キリスト教の聖地でもあり、イスラム教の聖地でもある。そこにユダヤ人国家の建国を認めると、イスラム教徒を追い出さなければならなくなる。それは新たな紛争の種。第三次世界大戦の始まりともなるだろう。絶対に認めるわけにはいかない」
アメリカはユダヤ人問題解消策として、ユダヤ人国家建国の候補地はアフリカ・コンゴ辺りとし、建国までの一時的仮住まいとしてアラスカを提供すると提案した。
ユダヤ人は、パレスチナ以外の土地でのユダヤ人国家建国案を拒否した。
アメリカ国内では、アラスカをユダヤ人の仮住まいに提供する事に猛反対していた。
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44年末までの戦死者、ソ連軍は800名以上。アメリカ軍41万6,000人。イギリス軍は38万3,000人。
戦死者が多いスターリンが、ヤルタ会議の主導権を持っていた。
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空爆による民間人の犠牲者数は、空爆を実行せず戦争を長引かせたときの犠牲者に比べて少ない。
多くの民間人を救う為ならば、少数の犠牲者はやむを得ない。
世界は、勝利の為に功利主義的正当性を承認していた。
2月13日・15日 ドレスデン大空襲。ドレスデンに避難していたドイツ人は、古都ドレスデンは人類共通の財産と信じていただけに、連合国は攻撃しないと盲信していた。
イギリス空軍爆撃兵団司令官アーサー・ハリス大将は、イギリス空軍とアメリカ空軍の重爆撃機を総出撃させて、防空体制の弱い平和都市ドレスデンを徹底的に破壊し、多くの一般市民を死傷させた。
文化都市ドレスデンは、非防衛都市宣言を行っていた。
都市には、ソ連軍侵攻から逃げてきたに難民で溢れていた。
軍需産業や軍事施設もほとんどなく、空爆する戦略上の意義はなかった。
犠牲者は、少なく見積もって2万5,000人で最大で13万5,000人といわれているが、正確な数字は不明とされている。
連合軍は、ロシアからの攻撃要請によって爆撃したと発表した。
戦争において、攻撃目標が、世界文明的民族文化的に貴重であろうと関係なかった。
それは、日本の京都や奈良も同様であった。
チャーチルは、ドレスデン爆撃の惨状の責任を空軍に転嫁するべく、3月28日に書簡を空軍参謀総長チャールズ・ポータル元帥に送った。
「別の口実の下とはいえ、恐怖をいや増すためだけのドイツ都市爆撃の問題を再考すべき時期が来たように私には思える。……ドレスデン破壊は連合軍の爆撃行為への深刻な疑義となる」
空軍首脳は、無差別爆撃の責任を押し付けられる事を恐れて、書簡の受け取りを拒否した。
チャーチルは、ドレスデン爆撃への言及を削除した書簡を書き直して、ポータル元帥に渡した。
イギリス空軍爆撃機隊は、ドイツ空軍戦闘機の迎撃による被害拡大を恐れて、ドイツ軍兵士も一般市民も関係なく夜間に無差別爆撃を行った。
アメリカ空軍爆撃機隊は、ドイツ軍兵士と一般市民を区別し、昼間に軍事目的のみを破壊する精密爆撃を行っていた。
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2月14日 ルーズベルトは、帰国の途中でアブドゥルアジズ国王と会見した。
国王は、ホロコーストから生還したユダヤ人難民が大挙してパレスチナに移住し、ユダヤ人国家を建国する可能性があるとの懸念を表明した。
ルーズベルトは、石油資源の排他的利用権を得る為に、アラブ人に敵対するユダヤ人を支援しない事を約束した。
スタンダード石油とアラコム石油は、戦後の国際石油市場を支配する為に、ペルシャ湾の優先的採掘権を独占した。
3日後。チャーチルは、ルーズベルトの秘密外交に激怒し、国王と会談した。
イギリスは、永年かけて築き維持してきた中東の利権を放棄する意志はなく、パレスチナ問題でもアラブ民族に如何なる譲歩もしないと発言した。
イギリスは、金融と海運で民族の生活圏を拡大してきたナチス・ドイツを滅ぼし、かっての植民地帝国の栄光を復活させる為に戦っていた。
アメリカは、新たな世界の指導者として、軍事力による古い植民地主義的帝国主義を廃棄する為に、自由と民主主義の旗を掲げた。
ウォール街の国際金融資本は、閉鎖的市場の植民地体制を打破し、開放的自由市場を全世界に拡大した。
巨大な軍事力と莫大な経済力を背景とした、ドルを基軸通貨とする新秩序の誕生である。
アメリカは、金融・経済で世界市場を支配する為に戦っていた。
2月19日 ヒトラー政権内部で、ドイツ軍が敗北が明らかになるや、ヒトラーに隠れて講和交渉を始めた。
アメリカ財界と深いパイプを持つヒムラー国防軍司令官は、中立国スウェーデン王国を通じて連合国側に和平交渉を打診した。
アメリカ財界の親ドイツ派は、ヒトラーの排除とナチ党政権の解体を停戦条件とする事を提案した。
アメリカ政府は、「無条件降伏」の原則でのみの和平を譲らなかった。
アメリカ財界は、モーゲンソー財務長官の「弱いドイツ(ドイツの農業国家化)」を支持し、早期和平に猛反対した。
アメリカ産業界は、国際的競争力を強化する為に、ドイツの優れた科学技術を求めた。
アメリカ軍は、ソ連の対日戦参戦を引き出すべく、ソ連が要求するドイツ領の一部を割譲する為に、ドイツに余力を残す形での和平交渉には猛反対した。
つまり、ヒトラーの排除、ヒトラーの死いがいでの停戦は拒否された。
いずれにせよ、ホロコーストにあっているユダヤ人の身の上を案じる者は如何勝った。
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3月1日 ルーズベルトは、ヤルタからの帰国後の議会で、ファシスト国家に「無条件降伏」を要求し、今後この様な戦争が起きない様にする国際機構構想を発表した。
「以降、排他的同盟は存在しません。何世紀にもわたって試され、常に失敗してきたこの方策はすべて破棄され、代わりに国際連合が恒久平和をつくる事になる」
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4月12日 ルーズベルトが急死した。
スターリンは、イギリスが毒殺したのではないかと疑っていた。
ルーズベルトは、死ぬ間際、ドイツ人2,500万人を餓死させよと漏らしていた。
反日派のルーズベルトは、昭和天皇と日本に対しても、立ち上がれないほどの厳しい処置が必要であると力説していた。
「ドイツ人には厳しく対処すべきだ。ナチス党員だけじゃなく、ドイツ人全部の事だ。ドイツ人を去勢するとか、昔の様な生活を続けたいと思う人間が増え続けない様に、処置する必要がある」
ヒトラーは、ルーズベルトの死を聞いて狂喜して喜んだ。
日本は、敵国アメリカに指導者の死を悼み、哀悼の意を伝えた。
トルーマン副大統領が新大統領に就任するや、アメリカの外交戦略は親ソから反ソに大転換された。
アメリカの政策は、10年以上続けられる長期的なものではなく、大統領一代の中期的(8年)か短期的(4年)にすぎない。
弱いドイツ派のモーゲンソー財務長官は、親友のルーズベルトの死と共に財務長官を辞任した。
親ドイツ派の銀行家ジョン・スナイダーが後任の財務長官に就任するや、財務省内のモーゲンソー派を退職させるか閑職に追いやり、JCS1067を形骸化した。
4月22日 アレン・ダレスは、バチカンを介してイタリア駐留のドイツ軍司令官カール・ヴォルフ大将と和平交渉(サンライズ交渉)を成立させ、北部イタリアのドイツ軍約130万人を降伏させた。
ソ連は、無条件降伏の原則を盾にして激しく抗議したが、強いドイツ派に無視された。
ソ連軍は、ヨーロッパの多くを共産主義化する為にベルリン目掛けて猛進撃し、抵抗する者は容赦なく虐殺した。
共産軍が通過した土地には、屍体の山が残され、女性は強姦された。
ドイツ軍は、ソ連軍の進軍を遅らせる為に激しく抵抗した。
連合軍は、戦後の対ソ戦略から、ドイツ軍の降伏を受け容れながらベルリンに向けて快進撃を続けていた。
4月25日 ソ連軍200万人は、ベルリンを完全包囲した。
4月28日 元国家元首ムッソリーニと愛人が自国民によってリンチ処刑され、ミラノの広場で見せしめとして逆さまに吊られた。
イタリアは、かっての国家元首を差し出す事で無条件降伏した。
ヒムラーは、ヒトラーを裏切り、単独で連合軍と降伏交渉を始めた。
ヒトラーは、国家元首として、国土を焦土と化し、全国民を殺害し、全てのモノを連合国に渡す事なく破壊する様に全軍に命じた。
「もし、戦争に負けたらドイツ国民も滅びるのだ。彼等が、生き長らえる為に要求するものを考慮する必要は何もない」
政府高官や軍首脳部は、ヒトラーの命令を拒絶し、ドイツ政府は崩壊した。
4月30日 ヒトラーは、ソ連軍の猛攻の中で自殺した。遺言で、全ての国民を殺害し、国土を焦土にする様に厳命した。
大陸の独裁者は、国民を自分個人の下僕と認識し、国土を自分個人に所有物ととらえていて、国民や国土に対する愛着はない。
指導者の当然の権利として、自国民を不当に逮捕し、地獄の様な拷問をし、闇から闇に処刑した。故に、大陸国では国内外での大虐殺が付きものである。
大陸では、大の為に小を平然と犠牲にする事が、強いリーダーシップの証しとされている。
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東プロイセン地方に駐屯していたドイツ軍は、約150万人のドイツ人をバルト海経由で西方の安全地帯に移送するべくソ連軍の猛攻を食い止めた。
もし、ドイツ軍が全滅覚悟で防戦しなかったら、ドイツ市民はソ連軍によって大虐殺されていた。
人々は、ソ連・共産主義勢力から逃げるように西へ向かった。
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5月1日 ゲッペルスは、ソ連に停戦を申し込んだが、無条件降伏を要求されて停戦交渉が失敗し、家族と共に自殺した。
デーニッツ提督は、臨時政府であるフレンスブルク政府を樹立した。
5月3日 イギリス軍機は、病院船に改装された大型客船カップ・アルコナ号とティールベク号を撃沈した。
カップ・アルコナ号には、ハンブルク付近のノイエンガンメ強制収容所から7,000人から8,000人の収容者と、ロシア人とポーランド人捕虜、フランス、デンマーク、オランダなど24カ国の人が乗せていた。
ドイツ船は、約490人のドイツ人乗員や親衛隊員を救助した。
親衛隊は、岸に辿り着いた生存者を射殺しが、350人が逃げ延びた。
5月6日 ソ連軍は、ベルリンを占領した。ソ連兵士は、市内に生き残ったドイツ人女性50%上を強姦した。
10万人以上のドイツ人女性が性病の治療を受け、多くの混血児が産まれた。
ソ連軍は、各地で反共産主義者や民族主義者や宗教関係者を虐殺し、資産や工業施設を全て強奪した。
ソ連は、世界を共産主義化する事を大義として、領土を拡大する為に戦っていた。
スターリンは、ドイツ産業を解体して田園風景の農業国にする様に、アメリカの財務次官ハリー・ホワイト(ソ連のスパイ)を通じてモーゲンソー財務長官に吹き込んだ。
5月7日 フランスのランス。デーニッツ提督は、ソ連軍の支配拡大を恐れて、アメリカ・イギリス軍に降伏を申し込んで、無条件降伏を受け入れた。
ドイツ国軍のヨードル大将と連合軍のアイゼンハワー元帥は、無条件降伏文書に調印した。
各地の強制収容所で虐殺を免れたユダヤ人が、連合国軍によって解放された。
アメリカの日系部隊も、勇猛果敢に戦い、多くの犠牲者を出しながらユダヤ人強制収容所を解放した。
ソ連軍兵士は、ドイツ全土で200万人以上のドイツ人女性を強姦した。
ベルリンでは、13万2,000人が強姦され、9万2,000人が市内の戦火でも残っていた二ヶ所の病院で手当を受けた。
抵抗する者や止めようとした者は、反共産主義者として容赦なく殺害された。
生き残る為には、見て見ぬふりをするか、助けずに逃げるしかなかった。
政府が崩壊して無条件降伏し、保護してくれる国家を失った民族が辿る運命である。
ソ連軍兵士は、産院を兼ねたダーレムハウス修道院を襲撃し、礼拝堂など全ての宗教施設を徹底的に破壊した。そして、修道女や妊産婦とその付き添いの家族、そこに居合わせた全ての女性を強姦した。
共産主義者は、反宗教無神論者として、全ての宗教施設を破壊し、宗教関係者を皆殺しにした。
共産主義軍隊占領地は、共産主義者とシンパサイザー以外の人間にとって暴力と死による恐怖が支配する地獄であった。
第二次世界大戦は、民主主義対全体主義の戦いではなかった。
5月8日 停戦が発効されて、第二次世界大戦・ヨーロッパ戦線は終結した。
ドイツ及び連合国にとっての終戦記念日は、5月8日である。
スターリンは、ソ連軍占領地で別個の降伏文書調印を要求した。
ベルリンで、ソ連軍総司令部とドイツ国軍カイテル元帥との間で無条件降伏文書調印が行われた。
5月9日 フレンスブルク政府は、ベルリンで降伏文書に調印して、解散した。
敗戦国ドイツは、無条件降伏を受諾して統治する政府を失った。
ドイツの正規憲法であったワイマール憲法も失効した。
ソ連・ロシアの終戦記念日は、5月9日。
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バチカンは、ナチス・ドイツの残虐行為を知りながらドイツ人戦犯達の逃亡を手助けした。
バチカンの逃亡ラインは、別名「修道院ライン」と言われた。
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アメリカ系5社とイギリス系2社の大手石油会社は、両国の国際金融資本の支援を受け、世界の石油市場を支配し、自由に価格を設定して暴利を得た。
キッシンジャー「石油を掌握すれば、諸国を操作できる」
アメリカ・イギリス両国の石油メジャーは、独自に戦略物資である石油を手に入れようとする政府や企業をを、国家権力を利用して潰した。石油の為なら、謀略をめぐらし、暗殺や暴動や反乱、そして戦争さえも厭わなかった。
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フランソワ・モーリアック(カトリック作家)「占領軍が抗しがたい圧力になった事、教皇とその組織の沈黙が恐ろしい義務であった事は明白である。重要なのは最悪の事態を避けることだった。それでもやはり、これほどの犯罪が行われた責任のかなりの部分は、沈黙の理由はともかくとして、声を上げなかった全ての当事者に帰すべきである」(1951年 レオン・ポリアコフ著『憎しみの聖務日課書』序文)
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- 作者:大隅 和雄
- 発売日: 2002/03/01
- メディア: 単行本