✬141」142」─1─ユダヤ人は、ロンドンに王立国際問題研究所を設立し、その下に外交問題評議会を設置した。1918年  ~ No.397~No398No.399No.400@      

国際政治史 ?世界戦争の時代から21世紀へ?

国際政治史 ?世界戦争の時代から21世紀へ?

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   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・  
 マックス・ヴェーバー「今のロシアの共産主義はまさに犯罪で、道は未曾有の人間の悲惨に向って突き進み、恐るべき破滅に終わるだろう」
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☆西欧の崩壊
 中国における南北議和は失敗し、「我」の強い中国人同士による陰惨な動乱が再開された。正統派儒教の中国には、公共的な法秩序は存在せず、あるのは強弱による上下関係のみであった。
 そこには、対等とか、平等とか、公平といった観念は存在しない。
 東アジア世界では、戦乱のない平和な時代は極わずかな年数しかない。
 東部モンゴル人のブリヤート族の女性を母に持つセミョーノフは、大モンゴル国の建国する為に民族主義運動を始めた。
 反中国派汎モンゴル主義者は、民族独立の為に中国と敵対関係にある日本に接近した。日本軍は、彼等の民族主義を対ソ戦略に利用しするべく建国に協力した。
 モンゴル人革命家は、中国を外モンゴルから追い出す為にコミンテルンに接近した。
 中国軍は、外モンゴルは中国領であると主張して、内モンゴルに派兵して民族自決を叫ぶモンゴル人民族主義者を虐殺した。
 ロシア共産党は、1月に傀儡政権をベラルーシに樹立し、2月にはバルト三国のラトヴィアを占領して首都リガで反共産主義者民族主義者を一斉検挙して数千人を殺害した。
 レーニンは、国内外のユダヤ人の支持を得る為に、「共産主義革命は、反ユダヤ主義を撲滅し、古い封建制度や悪しき専制君主制度を打倒する」との演説を行った。
 財政難のソ連は、国際的ユダヤ人金融資本の財政支援を必要としていた。
 ユダヤ人金融資本は、ロシア経済を支配し国内の資源を独占する為に、資金支援を条件に財政部門中枢に多くの人材を送り込んだ。
 ユダヤ共産主義者達は、各地域で指導的地位に就いた為に、民衆は国家を裏切ったユダヤ人を憎悪した。
 共産主義政策の失敗によって、各地で深刻な飢饉が発生し、余剰食糧徴発令を発して農家を襲撃し、従わない農夫は家族もろともに反革命分子として処刑した。
 共産主義革命の成功の鍵は、飢えた革命兵士の為に大量の食糧が確保できるかであった。世界史の常識として、軍隊は食糧を供給する指導者に忠誠を誓い、主義主張の大義は欺瞞であり方便に過ぎなかった。
 チェカは、非ユダヤ人の貴族、商人、医者、技師など多少とも裕福な者を、家族もろともに反共産主義者として惨殺して私有財産を奪った。
 ヒュー・ギブソン「ロシアのあらゆる大きな国家政治的理想にとって最も関心の深い事柄は、共産主義の政府が、ユダヤ人の、ユダヤ人による、ユダヤ人の為の政府であると言う事、そしてロシアがユダヤ人を排除するならば、自動的に共産主義を取り除く事になるだろうし、逆の場合にしてもまた同じ結果になるという事」
 新興国ポーランド共和国は、シベリアへの日米ら多国籍軍の軍事介入と、白衛軍による内戦で、ソ連は弱体化したいる今こそ領土拡大の好機ととらえた。共産主義からキリスト教世界を防衛する事を大義として、ソ連領に侵攻した。
 ポーランドは、この干渉戦争をキエフ遠征と呼んだ。
 ソ連軍は、共産主義を西方へ拡大させ、キリスト教文明を破壊する事を大義としてポーランド領に侵略した。
 ソ連の目的も、領土の拡大であった。
 こうして、ポーランドソ連戦争が勃発した。
 イギリス陸軍ライト大尉「ポーランドのどな団体も、……ユダヤ人追放の意向を固めている。ポーランドの最も反ユダヤ主義的団体は軍隊で、将校達は最も反ユダヤ主義的な階層である貴族と知識人層から採用された」「繰り返し非難され続けようと、ユダヤ人政治家は決して公に共産主義を拒否しなかった。よって私はこう結論づける。彼等の仲間うちには多くの共産主義共鳴者がいるに違いない」
 伝統的領主将校が、安全の所に立ってポーランド軍を指揮し、都市や農村で強制徴兵した兵士を最前線に送り込んだ。
 ポーランド国民は、愛国心に燃え、祖国をソ連の侵略から守るべく兵士に志願して戦場に赴いた。
 正統派ユダヤ人は、国益より個人益を優先し、忠誠心や愛国心や祖国愛よりも、信仰を守る為に軍役に就く事を拒否した。
 ポーランドにおける、ユダヤ人人口は全人口の約10%で310万人であった。
 憲兵隊は、徴兵回避者や脱走兵を捕らえたが、その大半が忠誠心なきユダヤ人であった。
 軍役を回避できなかったユダヤ人兵士は、ユダヤ人の智慧を働かせて、戦場に出ない為に政府高官や軍司令部に大量の賄賂を使って後方の事務職に就いた。
 ポーランド人は、祖国の危機に際して兵役を逃れるユダヤ人を国家の敵と見なして、愛国心なきユダヤ人を軽蔑の目で見下した。
 民族派政治家は、国家崩壊をもたらす恐れのあるユダヤ人を速やかに国外に追放するべきであると、政府に迫った。
 ごくわずかなユダヤ将兵が、国家に忠誠を誓って戦場に出て、ポーランド人兵士と共に戦った。
 ポーランド軍首脳部は、祖国防衛に志願したユダヤ人兵士の忠誠心は口先だけであるとして疑い、ヤブウォンナに駐屯していたユダヤ人志願兵部隊1万7,000人を検束した。
 ポーランド兵士は、ユダヤ人を「敵」と判断して、各地の占領地でポグロムを行った。ユダヤ人兵士も、祖国に忠誠を示す為に、戦友のポーランド兵士と共にポグロムに参加した。
 西欧の報道機関は、その実態を世界に伝えた。
 ワルシャワ駐在のヒュー・ギブソンは、ワシントンに対して、アメリカ救援機関ユダヤ人合同配給委員会(ジョイント、JDC)がポーランド軍を弱体化させる為に、事実を歪曲しながらポグロム事件をユダヤ系新聞社に流していると報告をした。
 アメリカ大使館付き武官エルバード・E・ファルマン大佐も、アメリカ国内でポーランドユダヤ人への同情論が絶えないのは、「ロシア・東欧系ユダヤ人がワシントンに強い影響力を持っている証拠だ」と軍情報部に報告した。
 欧州各国の大使館付き武官らも、ワシントンは「ユダヤ人金融資本の利益追求に利用され、共産主義を支援するユダヤ人を保護する様に圧力をかけられている」と報告していた。
 財政破綻にあったイギリスは、向こう10年間は国際的な対外戦争に参加しないとの基本方針を打ち出し、「10年原則」で軍事予算を圧縮した。
 1919年度の軍事予算は総額6億400万ポンドであったが、22年度には1億1,100万ポンドに縮小された。
 28年に更新され、32年度には戦後最低の数字を示し、ヒトラーによるドイツ軍再建に対抗するまで軍縮を続けた。
 平和政策と名を借りた軍事費削減によって、ドイツの野望を抑えきれず、第二次世界大戦の勃発を招いた。安易な平和思想が、悲惨な戦争をもたらした。
 ロンドンで王立国際問題研究所(RIIA)が設立され、その下に外交問題評議会(CFR)が誕生した。
 その主要メンバーが、ロスチャイルドと並ぶ世界的な大富豪であるユダヤ人のアスター卿である。アスター家は、中国とのアヘン貿易とアメリカ国内での毛皮取引の独占で財を成し、その資金をアメリカの各企業に投資して財閥を形成した。
 その資金を持ってイギリスに渡り、貴族の地位を買ってアスター卿となった。
 欧米社会とは、爵位を気にする名門主義社会であり、名家に属さない者は財を成しても社会的地位は低かった。
 イギリスは官立暗号学校を開校し、世界中の海底電線網を管理するケーブル&ワイヤレス社の協力を得て、各国の秘密通信を入手してその暗号を解読していた。
 日本の外交電文も全て傍受し、外交館向けの暗号通信「パープル」はもとより海軍の「JNー25」さえも解読していた。
 アメリカ、イギリス、そしてバチカンは、世界中に情報網をめぐらしていた。
 日本には、そうした情報収集能力はなかった。
 アイルランド民族主義運動が盛んとなり、イギリスは武断政策で戒厳令を布告して武力鎮圧を行った。
 カトリック民族派や共和国派は、イギリスとの宥和的条約に反対して暴動を起こした。
 平和的解決を目指す穏健派は、イギリスとの戦争を避ける為に妥協案を模索した。イギリスとの共存を目指す自由国政府は、イギリス軍の全面的な軍事支援を得て同胞の武闘派民族主義者を攻撃した。
 アイルランド内戦の勃発である。
 イギリス軍とアイルランド自由国政府軍は、民族主義者への容赦なき攻撃を開始した。
 アイルランド警察当局やイギリス軍情報部は、女子供でも反英派とわかれば容赦なく逮捕し、民族派や共和国派をあぶり出す為に死亡する事は承知で拷問的尋問を行った。
 過激な民族派活動家は、報復としてイギリス人や親イギリス派アイルランド人に対してテロを行った。
 イギリスは、主権国として、日本以上の武断政策を採用して反対派を徹底的に弾圧した。内戦は解決の糸口の見えないまま、血を血で洗う悲惨な状況となり、テロがテロを呼んだ。
 そうして、多くの人が犠牲となった。
 アメリカの社会主義政党(党員10万人以上)内の左派は、1月にシカゴでロシア共産党政権を支持する集会を開き、2月15日にはニューヨークの群衆を前にしてロシア共産主義革命を称賛する演説を行った。
 左翼は、シアトルなどの各都市で赤旗を振りかざしてストライキを扇動し、社会不安を煽り、下層労働者や人種的偏見に不満を持つ兵士を組織し暴動を引き起こしていた。
 軍情報部や警察当局は、国家存亡の危機にあるとの切迫感を募らせ、ニューヨーク在住の東方ユダヤ人移民が急進的社会主義陣営の中心勢力と分析し、急進派の活動を監視した。
 ベルンのアメリカ大使館付き武官ウィリアム・ゴットソン大佐は、スイスを拠点として活動している共産主義勢力の国際的秘密情報網への潜入捜査と各国の大使館付き武官の協力を得て共産主義寄りのユダヤ人の洗い出しを行っていた。
 ゴットソンは、ソ連政府の高官は外国籍ユダヤ人(ユダヤ人294名、ロシア人19名)で、秘密情報部の幹部の90%がユダヤ人であり、各国の反共産主義派政治家や指導者への暗殺や暴行などのテロ行為を裕福な国際的ユダヤ人が資金を出して支援していると、ワシントンに報告した。
 そして、こうした有害なユダヤ人活動家がアメリカを世界革命の活動拠点にするべく、ユダヤ人移民に紛れ込んでアメリカに潜入しようとしていると警告した。
 ゴットソンは、20年にドイツのコブレンツで開かれたヨーロッパ各国の大使館付き武官会議で、調査報告をして注意を喚起した。
 某将校「無視する事は、ヨーロッパでの増大するユダヤ人憎悪の傾向と見なされるかもしれないが、それはあらゆるやり方におけるユダヤ人の悪辣な振る舞いから引き起こされたものなのだ。
 戦時中であれ戦後であれ、ヨーロッパで何か問題となる事があった所ではどこであれ、ほとんどの場合、打算的なユダヤ人が見出される。
 そしてヨーロッパでは普通、共産主義の問題を徹底的に究明する為には、ユダヤ人問題がそれとの緊密な関係のなかで究明されねばならない、と信じられているのだ」
 新生オーストリアユダヤ人銀行家は、ハプスブルク帝国の支配から解放されて自由になるや、ドイツ人を装いながら産業界の大半を金の力で支配した。彼等は、国家への忠誠心や政治的信念に関係なく、国民から嫌われた少数派であった。
 ユダヤ人金融家は、商売上の利益を伸ばしてくれる左右両派の政治家に政治資金を提供し、その資金力で政治を思うままに動かしていた。
 戦時の好景気には軍需産業に巨額の投資を行って資産を増やし、戦後は没落した名門貴族の令嬢を金で買って高級レストランやナイト・クラブで豪遊し、かっての支配階層の名士を顎でこき使った。
 路上生活の様な貧困に落とされたウィーン市民は、市の財産の80%以上を所有するユダヤ人を人の生き血をすすって不当に利益を得た闇商人と憎悪し、政治的力を増したシオニストユダヤ共産主義者を敵視した。
ウィーンのアメリカ大使館武官アラン・L・ブリッグス大佐の報告「大人も子供も、裸足で、ぼろをまとい、不潔で、……束の間の快楽の為に道端の吸い殻を拾っている……ユダヤ人達は高級ホテルやレストランの席を占め、着飾った娼婦を伴って通りを闊歩し、高級車でホテルに乗り付けているが、この瞬間にも餓死者は確実に存在している」
 ウィーン市長に、反ユダヤ主義者のルーガーが再選された。ドイツ系住民の極右勢力は、共産主義の侵略を防ぐ為にユダヤ人中産階層を攻撃した。
 ユダヤ系新聞は、ポグロムの被害を事実以上に誇張して報道して反ユダヤ主義者の残虐性を書き立てて反撃した。
 ドイツ語圏の経済と金融を支配するユダヤ人資本家や実業家は、表向きに「富の還元」を標榜して社会的宗教的な慈善活動を行って批判をかわそうとしたが、裏では極右の反国家的シオニスト運動と極左の反体制的共産主義運動を財政支援していた。
 さらに、金儲け主義的ユダヤ人は莫大な個人的利益を得る為に賄賂などの不正行為を公然と行ってい、その個人資産をいざという時の為にアメリカやイギリスやスイスの主要銀行に預けた。
 ベルリンのアメリカ大使館付き武官エドワード・デーヴィス大佐らは、アメリカから派遣させれてくるジャーナリストの大半が同化ユダヤ人で共産主義の同調者であると、ワシントンに報告して警鐘を鳴らした。
 日本の参戦は、山東半島及び遼東半島と太平洋地域にあるドイツ帝国領の領有の支持を得る為であった。
 イギリス、フランス、ロシア、イタリアなどから、日本は外交交渉で日本の要求を支持するという密約を取り付けた。
 大戦後、日本は世界新秩序の確立の為に、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアと共に五大国の一員となってパリ講和会議に出席した。
 日本の代表団には、近衛文麿松岡洋右、有田八觔、野村吉三郎、重光葵吉田茂芦田均など後に首相や外相になり、昭和前期の日本外交を担ったそうそうたる人物が参加していた。
 珍田捨巳(ちんだすてみ、津軽出身)駐英日本大使は、五人の全権の一人としてパリの講和会議に出席した。
 現代日本の政治家や官僚には、こうした国際外交を経験した有能な人間は絶無である。個人的経験がないだけに、「歴史を教訓として学ぶ」とお題目を唱え、現実離れした理論や原理原則を理屈でもてあそび、役に立たない屁理屈の空理空論をがなり立てて満悦に耽っている。
 現代の政治家や官僚は、戦前の政治家や官僚に比べれ雲泥の格差があり、見比べるまでもなく劣悪に等しい。
 重要なのは、堪能な語学力ではなく、優れた人間的素質である。現代の日本人には、そうした洗練された個人的素質がない。
 国際勢力図は、帝国主義のイギリス(パクス・ブリタニカ)からデモクラシーのアメリカ(パクス・アメリカーナ)へと変化した。
 日本指導部の一部に、第一次世界大戦後の国際政治体制で指導的立場に立つのはアメリカであるとして、アメリカとの協調を重視すべきであると主張した。
 森恪「日支親善の為に、日米親善の為に、……我らは、先ず世界に与えたる日本軍国主義の印象を一層しなくてはならない」
 戦前の日本には、古来からの皇国史観による「八紘一宇」の精神があって人種的宗教的差別・偏見はなく、大陸世界とは違ってボグロムやホロコーストなどの大虐殺もなかった。
 気の弱い日本人には、神道的に血を見る事を嫌いそれを実行する蛮勇はなく、宗教的に死への恐怖から想像する発想力もない。
 神道において、人間が行く宗教的な天国も地獄もなかった。
 「八紘一宇」とは、天の下にある人すべてが尊い命を持った一家とする大家族主義の事で、初代神武天皇が橿原の地に都を開いた時に発した神勅の事である。
 だが、「八紘一宇」は植民地拡大の為の理想像ではなく、国内的な統合理念であった。
 日本は、領土と支配地を拡大する事で否応もなく多民族集団となっていた。
 戦前の日本にも、欧米諸国のような反ユダヤ主義はあったが、ロシア帝国及びロシア共産党ナチス・ドイツの様な弾圧や虐殺はなかった。
 むしろ、ヨーロッパのキリスト教徒やナチズム及び共産主義の迫害から逃げてきたユダヤ人難民数万人を、天皇の心・天皇の御稜威で助けた。 
 天皇主義者や国粋主義者などの民族主義者は、日露戦争時のユダヤ人ジェイコブ・シフの恩義をけっして忘れる事はなかった。
 アメリカの要請を受け対ソ干渉戦争(シベリア出兵)に参加した彼らは、日本軍の占領地にあったユダヤ人共同体を反ユダヤ主義キリスト教徒から保護した。
 アメリカは、日本資本が中国市場を独占し、アメリカを中国から閉め出すのではないかとの恐怖感に囚われっていた。
 政府は、中国市場に復帰し、日本資本を中国から追放する為に新たな銀行団の結成に取り組んだ。
 アメリカ銀行団は、モルガン商会、クーン・ローブ商会、ファースト・ナショナル銀行、ナショナル・シティ・銀行の四大銀行が中心として組織された。それらの巨大銀行は、全てユダヤ系であり、ロンドンのユダヤ系国際銀行とつながっていた。
 日本は、貧弱な資本を補う為に、国際借款団参加交渉中に満鉄米貨社債発行引受をナショナル・シティ銀行に打診した。
 満鉄は、満蒙における諸鉄道敷設権及び鉄道借款供与優先権を中国から獲得した為に、アメリカ金融資本の融資を必要とした。
 朝鮮の東拓も、二十一箇条要求により業務領域を満州へ拡大する為に資本増加を図り、その資金をニューヨーク市場で調達するべくアメリカ資本に接近した。東拓の資本は、1918年には1,000万円であったのが、外資の導入で翌19年には5,000万円に増資された。
 国務省は、中国関係を重視して銀行に対して満鉄米貨社債交渉の中止を求めたが、東拓の米貨社債引き受けは朝鮮開発に限られたものとして認可した。
満鉄は、ニューヨーク市場を諦め、ロンドン市場で社債を発行して投資を募った。
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 1918年11月11日 ドイツ共和政政府は、7日にパリ郊外コンピエーニュの森で連合軍側と休戦協定交渉を開始し、そして欧州停戦協定に調印した。
 オーストリア=ハンガリー帝国皇帝カール1世は、同日に国事不関与声明を行い、二重帝国は崩壊した。 























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