✬135」136」─1─ソ連の内戦。共産主義者は人民裁判で1,000万人以上のブルジョワジーと宗教関係者を虐殺した。1918年  ~No.385 ~No.386~No.387No.388@    

ロシア革命―レーニンからスターリンへ、1917‐1929年 (岩波現代文庫)

ロシア革命―レーニンからスターリンへ、1917‐1929年 (岩波現代文庫)

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   ・   ・  【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】 ・ 
 共産主義は。血に飢えた獰猛な獣の如く、敵対する者は女子供まで容赦なく「共産主義大義」の名の下で虐殺していた。
 共産主義体制とは、死と暴力による恐怖体制であり、密告・誣告を奨励する監視体制である。
 絶対的平等はあっても、自由も、人権も存在しない。
 反宗教無神論で、全ての宗教施設が破壊され、宗教関係者は処刑された。
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 レーニン「目的は、手段を正当化する」
 トロッキー「我々は、金持ちを打ち負かす為にロシア全土から略奪した」
 ライオネル・ロスチャイルドサンクトペテルブルクの宮殿と我が一族には、友好関係など有ったためしはない」
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☆1918(大正7)年
 1918年の赤軍兵力は、33万人。19年は、80万人以上。20年1月には300万人以上となり、20年末には550万人以上になった。
 赤軍兵士は、近代的な教育を受けた軍律を守る正規軍兵士ではなく、兇暴なパルチザン的性格を有し各地で容赦ない虐殺と略奪を繰り返していた。
 20年2月には、反日朝鮮人と共謀してニコライエフスク(尼港)で日本軍守備隊と日本人居留民約735名を虐殺した。
天皇と日本は、共産主義の狂気に恐怖し、共産主義が日本に蔓延しない様に抑える為に共産主義者への弾圧を強化した。
 レーニンは、盗賊の様な無法者集団である赤軍の立て直しを、アメリカで非公式に軍事教育を受けてきたトロッキーに依頼した。
 トロッキーは、人民委員会外務部を辞任して赤軍の全権を掌握し、寄せ集めで規律のない赤軍の再編強化に取り組んだ。
 党に忠誠を誓う帝政時代の旧軍人を大量に採用して、赤軍将校に訓練の強化と規律の徹底と絶対服従を叩き込んだ。
 軍律に違反する者は、軍法会議にかけて処断した。
 赤軍兵士には、苛酷な軍事教練を課して人間性を抹消し、上官命令を絶対遵守する冷血な殺人鬼に再教育した。
 トロッキーの手腕で、短期間の内に軍隊の立て直しに成功し、赤軍は厳しい軍律に従う世界最強の殺人集団に変貌した。
 西側で軍事教育を受けた無国籍ユダヤ人が、主要部局の幹部職に就任し、旧約聖書に基づくユダヤ的発想で赤軍を運営した。
 こうして、赤軍は最強の軍隊に成長した。
 財政難にあった革命新政府は、西側のユダヤ人金融資本の融資を得る為にユダヤ部門(イェクセクツィア)を設置し、クリミア半島ユダヤ民族による農業入植計画を立てた。
 一部のユダヤ資本は、ユダヤ人国家を、砂に覆われた不毛のパレスチナではなく、気候が温暖で豊かなクリミア半島に建設する計画を進めていた。
 そこは、カスピ海バクー油田ウクライナの大穀倉地帯にも近かった。
 クリミアに生活するウクライナ人やスラブ人らは、ユダヤ自治国が建設される事に猛反発し、先祖からの土地を守る為にユダヤ人入植者へのポグロムを起こして抵抗した。
 ロシア共産党は、クリミアにおけるユダヤ人国家建設を誤魔化す為に、国内数カ所にも同様の農業入植案を計画した。
 レーニン「戦争は偉大な災厄である。もし戦争がプロレタリアの利益に役立ち、資本主義との闘争の為のものであるなら、かかる戦争はそれがもたらす犠牲や被害に拘らず進歩である。革命階級は革命戦争を放棄し得ない。なぜならそれは嗤うべき平和主義の為の自己否認を意味する」
 オレク・プラトノフ(ロシア人歴史家)「20世紀だけで、ロシアでは少なくとも3,000万人がシオニストに強いられた戦争、革命、社会動乱で死んだ。そして、イスラエルアメリカ、イギリス、フランス、ドイツにいるユダヤ人銀行家がロシア人の汗の結晶である富を強奪した」
 I・M・パイカーマン(ユダヤ人歴史家)「ロシア人はユダヤ人が拘留されるのを見た事がない。……今や新参者のユダヤ人が権力の隅々にまで入り込んでいる。ロシア人の目に映るユダヤ人は、抹殺という手段を使って、旧首都モスクワのトップに、ネバ川沿いの首都(ペテログラード)のトップに、赤軍のトップに立っている」
 ロシアの内戦時。
 ロシア全土で、1600年代以来最大級のポグロムが発生した。
 18年から21年の間に各地で2,000以上のポグロムが起き、ユダヤ人というだけで女子供に関係なく15万人以上が無残に虐殺され、数千人の女性が強姦されそのうち数百人が残虐に残忍に惨殺された。
 50万人以上が全財産を略奪されて路頭に彷徨い、両親を目の前で惨殺された数万人の孤児は食う為に犯罪に走った。
 ロシア正教の多くの聖職者は、共産主義革命軍の中心勢力であり、神殺しの大罪を犯したユダヤ民族に対するポグロムを「聖戦」であるとして支持した。
 オデッサミンスクキエフなどの大きなユダヤ人組織は、自己防衛的に自警団を結成し、西欧やアメリカの軍需産業から殺傷力のある強力な武器を購入して同胞を暴力で守った。
 暴力に対する暴力の応酬が、各地で無秩序的に起きていた。
 アメリカの難民救済機関や国際赤十字機関は、調査団をウクライナ白ロシアなどのポグロム多発地帯に派遣して、その惨状を世界に知らせた。
 第一次世界大戦ロシア革命内戦で発生したポグロムによって、ロシア国内にあった多くのユダヤ人共同体は崩壊した。
 ロシア共産党最高指導者レーニンと革命軍事会議長トロッキーらは、白衛軍やウクライナ国民軍や極東共和国軍などの反共産主義勢力が行っている大虐殺を止めるようとはしなかった。
 だが、赤軍は国内外のユダヤ人を味方に付ける為に、ポグロムに参加した非ユダヤ人の赤軍兵士を処刑した。
 ユダヤ人は、家族や同胞を殺害された報復の為に赤軍に参加した。
ロシア・シオニストは、シオニズム運動に興味を持たないセヴェルスクのユダヤ人住民数十万人を、反ユダヤ主義者のポグロムに見せ掛けて隠密裡に虐殺したという。
 ロシア共産党は、少数民族保護を名目として7月27日に「大虐殺に関わった者に関する法律」を制定し、反ユダヤ主義の疑いのある者は誰彼なく人民裁判にかけ、無罪であったとしても疑わしいというだけで全員を銃殺刑に処した。
 マルクス主義による人民裁判には、法理による正義も人道による道理もなかく、他人に対する憎悪のみであった。 
 ユダヤ人は、家族や同胞を殺害された報復の為に赤軍に入隊した。
 ソ連は、急速に警察国家となり反革命活動や反社会運動に関係した者、疑いのある者、これから行う可能性のある者は容赦なく逮捕して流刑にするか処刑した。
 恐怖の秘密保安機関チェカの中枢は、政治シオニストユダヤ人が占めていた。
 彼らは、共産主義体制を守る事を大義として反ユダヤ主義の非ユダヤ人や反シオニストユダヤ人を人民の敵として集団殺害した。
 ロシア共産党は、共産主義体制の脅威となる宗教を消滅させるべく取り締まる法律を制定し、反体制派ロシア人と律法を守るユダヤ人を裁判抜きで銃殺刑としその財産を没収した。
 約1,900万人のロシア人が、共産主義テロの犠牲になったという。
 白衛軍のペトリューラ将軍は、ウクライナ戦線で赤軍と戦いながら、伝統的反ユダヤ主義からユダヤ人約5万人を共産主義者として虐殺した。その多くは、冤罪であった。
 ロシア・東欧の敬虔なユダヤ教徒ユダヤ人は、民族宗教ゆえに、無宗教反神論者のユダヤ共産主義者キリスト教徒の非ユダヤ人反共産主義者からポグロムされた。
 イギリスは、ウラジオストクの治安の回復と自国民保護を理由にして、香港から軍艦と軍隊を派遣した。
 日本も、ウラジオストクの各国領事の居留民保護を求める共同要請に従って、軍艦2隻と海軍陸戦隊を派遣した。
 極東において、緊急時に大部隊を派遣できるのは日本だけであった。
 現地の外交団と居留民は、地理的関係から本国政府ではなく日本軍の保護を要請した。
 袁世凱の死後。北京政権は、日本が支援した段祺瑞の安徽派とアメリカとイギリスの支援を受けた呉佩孚ら直隷派に分かれて争奪戦を繰り返していた。
 奉天派の張作霖、山西派の閻錫山、西南派の陸栄廷ら各地の軍閥も、中国の統一ではなく自分の利益の為に内戦を繰り返し、貧困に苦しむ民衆に国家の平和と発展の為と称して数十年先までの重税を課した。
 中国の指導者は、私利私欲の為に地方の大地主や都市の資本家と結託して、塗炭の苦しみにある民衆から搾取していた。
 中国は、各勢力による内戦が拡大し、数千万人の犯罪者によって無法地帯と化しつつあった。
 日本は、自国の経済発展の為に、中国の排他的民族主義運動によってその泥沼に引きずり込まれていった。
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ソ連の内戦  
 1月 ボリシェビキ(少数派、ロシア共産党)のレーニンは、25%の国民の支持を得て武力で議会を閉鎖した。
 他の政党を全て非合法の犯罪集団として禁止し、「プロレタリア独裁」(帝国主義一党独裁)を確立し反対派を弾圧した。
 党員数約50万人のボリシェヴィキは、死と暴力の恐怖で1億4,000万人のロシア国民を支配した。
 そこに存在するのは、マルクス主義の正義のみであった。
 マルクス「我々は極めて興味深い疑問を前にしている。すなわち絶対精神の崩壊だ」
 1月8日 ウィルソン大統領は、今後、「平和、正義、公正」といった普遍性の高い理念のもとで国際新秩序において主導的役割を担う事を表明し、民族自決や通商機会の均等や領土問題の公正な解決などの「14ヶ条」の教書を発表した。
 アメリカは、ヨーロッパ中心の古い国際秩序を新しく再編する為に反植民地の理想主義(ユートピアニズム的リベラル)外交を始めた。
 このウィルソン主義による新しい国際理念を信じ独立国家を樹立したのが、ポーランドチェコスロバキアハンガリーバルト三国などの東ヨーロッパの諸民族であった。
 だが、新たに誕生した民族国家はそれぞれに幾つかの少数民族を抱えて多民族国家であった。
 ポーランドでは、7割のポーランド人以外にウクライナ人、ユダヤ人、ベラルーシ人、ドイツ人などの非ポーランド人が生活し、少数民族も民族の自決と独立を求めていた。
 アメリカは、自国の安全保障の見地から中南米を「アメリカに裏庭」と位置づけて地域的集団安全保障体制を確立し、中南米での反米主義や民族主義に対して軍事介入政策を維持した。
 そして経済的保護政策として、西半球での自由貿易による通商機会の均等を認めず、中南米へのヨーロッパ諸国及び日本の製品進出に警戒した。
 アメリカは、ダブル・スタンダードを国策のコアとしていた。
 ウィルソン「生きていくのに安全な世界、とりわけアメリカと同じく、自国の制度と平和を愛する全ての国々にとって安全な世界、力による侵略に反対する人々にとって正義と公正が守られる世界、をつくりあげる」
 1月23日 ロシア共産党は、信仰の自由を制限した。モギリョフ大司教ロップは、信仰を守る為に正式の抗議した。バチカンは、短期間で事態が好転するとして静観していた。
 1月30日 ニューヨーク・タイムズ紙(ペトログラード至急電)「人民委員会は、金に対する国家独占命令を発した。
 教会、博物館をはじめとする各公共機関は、所有する金製品を国家の手に委ねるよう求められた。個人所有の金製品も、国家に供出されなければならない。
 密告者は、金製品の価値の三分の一の報酬を受け取る事になる」
 レーニンソヴィエト連邦は、慎重に独自の金を蓄えなければならない」
 1月31日 レーニンは、ソビエト連邦の成立を宣言した。独ソの和平交渉は、ドイツ帝国が賠償金支払いと領土割譲に固執した為に難航し、ドイツ軍の攻撃が再開された。
 2月 ウイルソン主義(ユートピアニズム的リベラル)による「民族自決」の原則を信奉する国際派朝鮮人留学生は、東京留学生学友会の忘年会で独立運動を決議した。
 ロシア共産党は、共産主義革命の大義を守るべく反革命派への報復行為を容認する布告を行い、無条件で秘密警察チェカに人民の生殺与奪の権を与えた。
 共産主義テロ組織は、人間を人間と思わず、内戦終結までに殺人や拷問で数百万人を闇に葬ったと言われている。
 ソ連国内は、急速に恐怖が支配する警察国家となり、反革命活動や反社会運動に関係した者、疑いのある者、これから行う危険性のある者は容赦なく逮捕して流刑にするか処刑した。
 厳しい統制によって自由は奪われ、共産党体制に逆らう思想や言論は全て弾圧され、共産主義価値観の下に画一化・一元化された。
 チェカの中枢は、赤軍同様に政治シオニストユダヤ人が占めていた。彼らは、共産主義大義として、反ユダヤ主義ユダヤ人や反シオニストユダヤ人を人民の敵として集団殺害した。
 主義主張に凝り固まったマルクス主義者は、血に飢えた猛獣の様に、「個」の意志を持った人民に牙を剥き出しにした襲いかかって行った。
 2月2日 ニューヨーク連邦準備銀行総裁トンプソンは、ソ連の国内の惨状を知った上で、ロシア共産党に活動資金として100万ドルを提供した。
 鉄道王ハリマンやロックフェラーのスタンダード石油も、国家建設に参加する為に資金を融資した。
 市場原理による金儲けにおいて、投資家の不利益になる様な国家や国民の意志は考慮されない。 
 3月 レーニンは、反ユダヤ主義を批判する声明を発表し、ユダヤ人へのポグロム反革命と禁止した。
 4月にソ連の人民委員384名が発表され、その構成はロシア人13名、アメリカ人22名、黒人2名、残りの300名以上がユダヤ人でその大半がアメリカから渡ってきた無国籍者である。
 党本部の指導的幹部の75%も、アメリカから来た反宗教無神論の非ロシア系ユダヤ人であった。
 彼等は、共産主義の名において、ロシア人の私有財産を没収して完全な搾取を行い、ロシアの冨を党中央に集中させた。
 レーニン中央銀行を設立すれば、国家の共産主義化は90%進んだ事になる」
 各国にあるアメリカ大使館の外交官や武官らは、繰り返しワシントンの国務省と軍情報部に対して、ロシア国内の共産主義革命は富裕層ユダヤ人と非ロシア系ユダヤ共産主義者の陰謀であるとする報告書を送った。
 ノーマン・C・シュティンネス中尉「その代議員の80%から85%がユダヤ人であり、しかもその指導者の100%がユダヤ人であった共産主義政府は……実際にはユダヤ人によって運営され、『ドイツの利益の為にのみ』……」「ユダヤ人の……ただ一つの目的物はユダヤ人自身の為の物質的向上あるいは政治的前進であったからである。……言い換えれば、ユダヤ人はロシア側に立つ者でもなく、『自己の利益にのみ立つ者』であった」
 アメリカ陸軍医療諮問委員会の教育手引き書「外国に生まれた者、特にユダヤ人は生粋なアメリカ人よりも仮病を使いやすい」
 アメリカ・ユダヤ人委員会(AJC、会長ルイス・マーシャル)は、陸軍内のユダヤ人に対する偏見、差別を是正し、正当な評価を求めた。
 陸軍は、新移民のユダヤ人の多くは信仰を盾に取る良心的兵役拒否者であり、国家に忠誠を誓わない好ましくない者達であり、よって軍隊や戦友と共に戦う様な勇敢な兵士にはならないし、犠牲的精神を持たない彼らは国旗及び軍旗を辱める卑劣な卑しき存在であると突っぱねた。
 アメリカ政府は、国内での共産主義拡大に恐怖して、17年に外国人を反逆罪と結びつけるスパイ条例を、18年には外国生まれの扇動家に対する暴動教唆条例を施行した。
 ミッチェル・パーマー司法長官(民主党)は、国内には6万人以上のトロッキー信奉者が破壊活動を行っていると警告を発した。
 そして、ロシア共産党の最高指導者であるレーニン以外は全員がユダヤ人で、評議員の大半がニューヨークのイースト・サイド出身であると報告した。
 国家に忠誠を誓って同化した上流階層のユダヤ人(善良なユダヤ人)は、信仰ゆえに兵役を拒否するとして軽蔑される東方ユダヤ人(悪いユダヤ人)との同一化を避けるべく、非ユダヤ人兵士以上の愛国精神を見せるべく志願して戦場に赴いた。
 アメリカ社会では、ゲットーの経験のない上流階層に属する純血ユダヤ人(セファルディ系ユダヤ人)と、ゲットーから逃げ出した貧困層の混血ユダヤ人(アシュケナジィ系ユダヤ人)に二分化して、彼らは文化、習慣、言語などから反発しあっていた。
 非ユダヤ将兵の多くは、徴兵されたユダヤ人兵士はコネを使って戦死の恐れのない後方勤務に転属して、銃を取り進んで国家への責任と国民の義務を果たさない忠誠心なき卑怯者と軽蔑した。
 某将校「この国にやって来た何千もの外国人は、海外での兵役を避ける為にやって来た。したがって国籍離脱をする者の愛国心は、疑わしい。……いったいどの様な手段によって、これらの人々に、兵役からの避難所としてのみ見ている、この国の為に命を捧げるよう説得する事ができるのか。いやできない」
 某将校「ロシア系ユダヤ人が金銭を獲得する目的でこの国にやって来て、軍隊あるいは自分の利益にはならない他の勤務に反対しています。大多数のユダヤ人が、金銭的に豊かになればヨーロッパに戻るつもりであり、彼らの繁栄を妨げる事には憤慨するのです」
 某将校「人種としてのユダヤ人は、自らの生存の為には闘わないだろう。しかし、ユダヤ人は、他の人種がユダヤ人の為に犠牲となり、ユダヤ人を保護する様に要求する。ユダヤ人は、世界の兵士によって殺戮から守られてきた為に現在も生き延びているのである。ユダヤ人は、ごく僅かな者─この人種の極めてわずかなパーセンテージ─を除いて進んで兵士に志願しない」 
 3月3日 ソ連は、ドイツ帝国オーストリア帝国と、ポーランドのブレスト・リトフスク会議で単独講和条約に調印して戦争から脱落し、賠償金60億マルクを支払いポーランドフィンランド、バルト地方、ウクライナなど旧帝国領を割譲した。
 ドイツとオーストリア両軍約80万人は、食糧不足をウクライナの小麦で補い、コーカサスの石油を手に入れ、充分休養した後に西部戦線に転進して連合軍を攻撃した。
 レーニンは、ロマノフの金(金塊と金貨)とルーマニアの金の6億4,500万ループル=約500トン、モスクワ東方のカザン市の国立銀行カザン支店に移した。
 首席代表として講和交渉に当たっていたトロッキーと多くのボルシェビキ幹部等は、屈辱的条約に猛反対し、戦闘を中止しても条約締結には応じないと突っぱねた。
 ニコライ・ブハーリンは、戦争継続を強硬に主張した。
 スターリンは、レーニンを支持した。
 トロッキーは、2月23日のロシア共産党中央委員会で、レーニンに恩を売る形で条約締結に賛成した。
 3月11日 グリーン駐日イギリス大使は、ウラジオストクに集積された軍需物資を含むシベリアの物資を確保し敵軍に渡らぬようにする為に日本軍のシベリア出兵を要請した。
 アメリカも、西部戦線の苦戦を好転させる為に日本との共同出兵に同意した。
グリスウォルド「(アメリカの)極東に於ける目的は、徹頭徹尾日本の北満州及びシベリアへの進出に抵抗する為であった」(『米国極東政策史』)
 ウィリアム・クリスチャン・ブリット「日本のシベリア侵入を放置しておけば、世界中の大衆の指導者としての大統領の道義的立場が完全に損なわれる。……大統領は、民主主義と自由主義の名において、日本のシベリア侵入に反対しなければならない。さもなけば、全世界の自由主義の道義的指導者としての立場を失うだろう」(ヴェルサイユ講和会議アメリカ代表団)
 5月14日 ウラル山脈東側のチェリアビンスク駅でチェコスロバキア(チェック)軍団(5万5,000人)を、西部戦線に投入すべくソビエト人民委員会議会の了解を得てシベリア鉄道を東進中に、ドイツ軍とトラブルを起こして暴動に発展し、ソ連軍が武装解除しようとした為に戦闘行為に突入した。
 チェコスロバキア軍は、オーストリア軍の一部であったが、ロシア帝国に集団投降して民族独立の為にウクライナ戦線でオーストリア軍と戦っていた。
 ソ連は、お荷物となった友軍チェコスロバキア軍を連合国に引き取らせた所で暴動が起きた。
 チェコスロバキア軍は、ウラルからシベリア一帯を占領して反共産主義政権を樹立し、カザン市を占領し6億4,500万ルーブルの金塊と紙幣9,500万ルーブルを手に入れた。
 ロマノフの金塊は、非ロシア人諸民族の反ソビエト諸国を統一して出来たシベリア政府に引き渡され、オムスク国立銀行支店に保管された。
 11月 イギリスの支援を受けた元黒海隊司令官のコルチャック提督が、クーデターを起こして反共産主義ユダヤ軍事独裁政権を樹立した。
 中央アジアからモンゴルにかけて広く分布して生活していたイスラム教徒達も、共産主義政権の宗教弾圧から信仰を守る為にチェコスロバキア軍に参加した。
 日本軍も、対共産主義戦略によるイスラム政策から彼等を支援した。
 6月 反日朝鮮人は、レーニンの「民族自決の原則」を受け入れ、ハバロスクで韓人社会党を結成して共産主義革命を伴った独立闘争を目指した。
 朝鮮のソウルや平壌、日本の東京や大阪や神戸、中国の上海や香港や満州アメリカのハワイやカリフォルニアなど、世界各地にあるの朝鮮人社会においても数十の反日独立運動組織がすでに活動していた。反天皇反日朝鮮人の大半が、キリスト教に改宗していた。
 7月 レーニン(母方ユダヤ人)は、反民族主義のもとコミンテルン(第三インターナショナル)で世界を国際主義共産主義化する為の単一綱領を採択し、加盟する各国共産党に対して反革命と干渉との闘争を献身的に支援し、自国での暴力革命の決行とプロレタリア独裁の確立を指示した。 
 レーニンは、チェーカー議長ジェルジンスキーとスヴェルドロフ全ロシア中央執行委員会議長に、ロシア民族統合の象徴であり、ギリシア正教の守護者として精神的道徳的規律的支柱であり、白衛軍の忠誠と士気の源泉である、ロシア皇帝ニコライ2世とその一家の皆殺しを命じた。
 第三インターナショナルの指導者グリゴリー・ジノヴィエフユダヤ人)も、1,000万人以上のブルジョワジーの抹殺を命じた。
 捕らえられていた皇族、貴族、帝政時代の政府や軍隊の高官、官僚、資産を持つ社会的知識層である医師、弁護士、科学者、技術者ら900万人以上を、反動階級として家族もろとも猟奇的に惨殺した。
 その財産は彼等に奪われたが、富みは貧しい労働者に分配される事はなかった。
 反宗教無神論共産主義者による容赦なき虐殺がロシア全土で行われ、光り輝いていた洗練された文化を持っていたロシア帝国は消滅した。
 ロシア民族が歴史や風土で培った文化や芸術で築いた高度な教養を持ったキリスト教的教育は、共産主義を敵視する反社会的思考の原因になるとして抹殺された。 後に、ロシア文化は革命輸出の為のプロパガンダに最大限利用された。
 天皇天皇擁護者は、血を好むモラル破壊の国際主義共産主義者の蛮行に恐怖し、民族宗教民族主義を破壊的国際主義者から守る為にいシベリア出兵を決定した。 
 モスクワの人民委員会議(大半が無国籍ユダヤ人)は、各地方議会に対して、国際主義に反対する民族主義活動家を絶滅させる様に命じた。
 都市労働者を中心とした共産主義者は、都市部のユダヤ人商人や土地を所有するユダヤ人小農民を階級の敵として弾圧し、私有財産を没収して殺害した。
 無国籍ユダヤ人に指揮された秘密警察(チェカ)は、共産主義に反対する改宗ユダヤ人とその家族を逮捕し、170万人以上を反社会的分子として家畜用列車に押し込め、極寒のシベリアか乾燥した中央アジアなどの強制収容所に送って殺した。
 キリスト教の教会は破壊され30万人以上の聖職者と宗教関係者は殺されたが、ユダヤ教シナゴーグは破壊される事がなくその関係者も殺される事はなかった。
 補給が得られない前線の赤軍は、食糧など物資が不足するや、現地調達する為に地方の集落を攻撃して略奪した。
 宗教施設やユダヤ人農民は真っ先に襲われ、要求された物を供出しなければ反革命分子として殺された。
 家族の分しかなくとも容赦なく略奪され殺され、本当になくてもやはり殺された。
 都市部では多少は問題になっても、名も無き地方の事は誰も気にはしなかったのである。
 よって正確な数値はわからないし、無名の犠牲者は忘れられるだけであった。
 それが、「個」性の強い大陸気質である。
 他人を押しのけて殺しても、「個」を強く主張しなければ生きられなかった。
 こうして、30万人以上の人民がポーランド、トルコ、バルト沿岸諸国、バルカン諸国に脱出した。
 政府公報「(シオニスト党は)民主主義の仮面の下にユダヤ人青年を堕落させ、彼等を英仏資本主義の利益となる反革命ブルジョア階級の腕の中に投げ込もうとしている。パレスチナ国家を再建する為に、これらのユダヤブルジョア階級の代表者達は、ポワンカレ、ロイド・ジョージローマ教皇の様な強欲な帝国主義者達を含む反動的勢力に依存している」(22年4月26日付け)  
 ロシア人亡命者達が、虐殺を繰り返す共産主義革命から逃れる為にあらゆる船に乗って、ウラジオストクを出航して上海に辿り着いた。
 ロシア人亡命者とは、宗教家や貴族や大地主などの特権階級から農民や職人や貧民などのあらゆる階層の人々と、ユダヤ人やジプシーなど人種差別を受ける人々など様々であった。
 彼らは白系ロシア人として、共産主義を憎み、愛国心からロシア国民として皇帝と国家に忠誠を誓っていた。
 上海共同租界の自治行政機関である参事会(MC)とその執行業務を実際に担当する工部局(SMC)は、大量のロシア人難民の上陸には反対した。
 フランス租界は、フランス総領事の指導のもとで独自の行政機関と議決機関を持っていた。
 上海は、入国ビザのいらない自由な国際都市であった。
 ロシア人亡命者らは、租界警察の監視の目をかいくぐり夜陰に乗じて上陸した。
 亡命船団は、租界からの引き取り要請を聞かずに、食糧や水などの補給物資を受け取るやマニラに向けて出航した。
 ロシアの共産主義政府は、ロシア人難民の所持した莫大な金銀財宝はロシア人民の共同の財産として引き渡しを要求したが、上海共同租界は人道上の見地から拒否した。
 陸上からは、シベリアや中央アジアなどから鉄道を乗り継いで市内に入り込んだ。
 上海のロシア人亡命者は、約5万人とされている。
 租界当局はキリスト教会と協力して、慈善団体からの資金の提供を受けて無料の給食施設を開設して炊きだしを行った。



  
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電磁波で説く日本神道

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