🎄21」─1─パリ講和会議。反日派のウィルソンは日本の人種差別撤廃条項を不採用とした。1919年~No.74No.75No.76 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 マックス・ウェーバー「戦争が終わった時点で『戦争の責任』という問題は少なくとも倫理的には葬られるべきであるにもかかわらず、数十年後に『敗戦の時に書かれた文書』が暴かれるごとに人々の悲嘆と憎悪と憤怒が新たにされる。戦争の責任という問題が倫理的に葬られるためには事実に即した姿勢と騎士道の精神が必要だし、何より品位が必要なのです。それはいわゆる『倫理』によっては不可能なのであって、そこで『倫理』と呼ばれるものは実は双方の品位の欠如を示すに過ぎないのです。
 政治家に必要なのは、この『倫理』問題にこだわることではなく、将来と未来への自らの責任について考えることです。倫理問題は過去における罪という不毛な問題にこだわるが、これは政治的には解決することのできない性質のものなのです。
 政治的な罪というものがあるとすれば、それはこのような『過去における罪にこだわる』ことです。そして過去における罪はこだわるならば物質的な利害のために全体の問題がゆがめられるのは避けられないということも見逃されてしまいます。『自分の正当性を誇示する者』が『倫理』を手段として利用した場合には、このような結果になるものなのです」(「敗戦の倫理問題」)
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 第一次世界大戦後。連合国は、敗戦国ドイツの政治家、軍人など指導者800人を戦争犯罪者として指名して訴訟を起こした。
 ドイツ政府は、戦争は双方に言い分があり、一方のみが完全に悪と言う事はあり得ず、敗北者のみに戦争責任を問い裁く国際法はないし、国際慣習もないと断固として拒否した。
 つまり。戦争とは、政府が国家の利益を守る為に決定し、軍人が国家の勝利の為に実行する行為である。
 殺すか殺されるかの戦場において、異常心理で行き過ぎは不可抗力である以上は、戦後に敗者の個人を戦争犯罪者として裁く事は傲慢である。
 戦争において。軍人は、騎士道・武士道で勝者・敗者なくお互いの名誉を重んじ、敗者を戦争犯罪者として辱める事はなかった。
 敗者である軍人に対して、戦争を犯罪として、報復感情から道徳的制裁を加え、個人責任を問うべきではないと。
 戦争とは複雑で、どこの国が「正義」でどこの国が「悪」とは決められるものではなく、当然、勝者が正義で敗者が悪とは言えない。
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 アメリカが参戦する契機となったドイツ軍が行ったという残虐行為を検証されたが、全てが捏造された嘘であった事が判明した。
 ポンソンビー「全てがアメリカ世論を操作する偽情報だった」(『戦時の嘘』)
 世界中の歴史家は、世界史に残る重大事件を公平な立場から検証して、より正しい事実を歴史書に書き記した。
 唯一、公正に検証されないのが、日本軍が行ったと言われる残虐行為である。
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 マックス・ヴェーバーの講演『職業としての政治』。
 「戦争の終結によって少なくとも戦争の道義的な埋葬は済んだはずなのに、数十年後、新しい文書が公開される度に、品位のない悲鳴や憎悪や憤激が再燃して来る。
 ……
 政治家にとって大切なのは将来と将来に対する責任である。ところが『倫理』はこれについて苦慮する代わりに、解決不可能だから政治的にも不毛な過去の責任問題の追及に明け暮れる。政治的な罪とは──もしそんなものがあるとすれば─こういう態度の事である」
 「善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。……これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である」
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パリ講和会議  
 1月に連合軍27カ国の代表が参加するパリ講和会議が開かれ、6月にヴェルサイユ条約とその他の条約が調印された。
 ウィルソン大統領「我が合衆国にも、共産主義思想に共感している非常に素晴らしい気質を持った人達がいます。彼らには、共産主義思想こそ、自分達の目標、すなわち、チャンスを与える体制を提供するものだと見えるのです」
 アメリカは、戦火の被害を被ることなく産業を発展させ、200億ドルを超える債務を抱える世界最大の経済大国にのし上がった。
 有り余った潤沢な資金でさらなる利益を得る為にソ連に投資したが、それは貧困に苦しむロシアやウクライナの人民を救済し豊かにする為ではなかった。
 欧米資本は、非白人から合法的に搾取し、非キリスト教社会の富を略奪して所有した。欧米の黄金は、こうして増えていった。
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 イギリスのシオニスト連盟総裁チャイム・ワイズマンは、珍田大使と接触してバルフォア宣言に対する日本政府の承認を求めた。
 日本政府は、八紘一宇の精神と日清戦争及び日露戦争時のユダヤ人の支援に対する恩義により、バルフォア宣言支持を伝えた。
 日本政府は、国益に関係なく、ユダヤ民族に友好的であり、国家建設に直接力を貸さなかったがその悲願を支持する事を明言していた。
 日本で最も親ユダヤ的であったのは、皇室であり、ヒロヒト皇太子であった。
 ヒロヒト皇太子は、朝鮮人テロリストに命を狙われていた。
 珍田大使は、外圧に屈することなく古武士的に妥協せず筋を通すところから、交渉しずらい外交官ではあったが着任国において誠実な好人物として人望厚く信頼を勝ち得ていた。
 人口増加に苦慮する日本は、国際貿易で国民を養うと共に余剰人員の国外移住を促進する為に、国際法を厳守する自由と平等な模範的平和国家という印象を与える必要があった。
 国際世論は、日本人の国内外の言動や行動を監視し、どんな些細な事でも日本批判が出来る材料を探していた。
 当時の日本人は、一言半句も失言が許されない、極度の緊張状態の中にいた。
 珍田捨巳「日本政府は、パレスチナユダヤ人の為の民族郷土を設立するというシオニストの悲願を喜んで受け入れ、こうした希望が、提案された内容を基礎に現実化されることを共感的な関心を持って期待している」
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 西洋世界には、キリスト教的的反ユダヤ主義が根強くあり、各地でキリスト教徒によるユダヤ人への迫害がまだ存在していた。 
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 アメリカ支配階層となった旧移民の改宗ユダヤ人は、浮浪者の様なみすぼらしい新移民・東方ユダヤ人の大量移住を阻止する為に、彼らの出国を止める事と脱国難民をパレスチナに送り込む事を希望した。
 アメリカ・シオニスト諸組織は、パレスチナユダヤ人国家の樹立というバルフォア宣言の履行と、反ユダヤ主義の強い新設東欧諸国家に少数民族の権利を保障させる条約を求める為に、代表団をパリに送り各国代表団に対して示威運動を行った。
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 パレスチナへの移住を渋る西洋化したヨーロッパ系ユダヤ人は、パレスチナではなくヨーロッパでのユダヤ自治国家の建設を目指し、ポーランドなどの新興国少数民族の権利拡大を求めた。つまり、「国家内国家」を指向したのである。
 彼等は、ユダヤ人の権利拡大に関心を持ったが、多数者である非ユダヤ人の犠牲には興味がなかった。
 新しく誕生した諸国家は、独自文化を守る為に同化を拒否し、排他的絶対神への信仰から国家への忠誠心を拒絶し、自民族の権利のみを要求するユダヤ人に恐怖した。
 憲法を遵守し、多額の税を納付しようとも、少数民族の権利を拡大する為に多数者を犠牲にする要求を受ける入れる事は、国家存続の危機と受け取った。
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 メッカ太守フサインの息子ファイサルは、アラブ代表(総人口1億5,000万人)として講和会議に出席したが、ユダヤ人の陰謀でパレスチナが奪われようとしている事に驚愕した。
 そこで、家族とともに生き続けたいという願いの為に、アメリカに対してアラブの主権を訴えた。
 アメリカは、ファイサルの要請で調査団をパレスチナに派遣したが、パレスチナ住民の90%が自由意志としてユダヤ人の移民に反対であると知るや、報告書を紛失させてアラブの訴えを退けた。
 だが、パレスチナ住民の大半がアラビア語を話すアラブ=パレスチナ人であり、彼らは1000年以上その土地を所有して生活していた。
 アラブ人部隊は、勝利の暁には部族ごとに独立させるという連合国との約束を得ていたが、それは裏切られた。王族のサウジ家はアラビア半島を領有し、同じ王族のハシム家はトランス・ヨルダンのみを与えられた。
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 ワイズマンら政治シオニストは、イギリス軍の全面的協力を得て植民地主義的計画を推進し、パレスチナのアラブ人を完全排除した人口400万人〜500万人のユダヤ人国家建設を目指していた。
 だが、近代的文化生活を謳歌しているヨーロッパ・ユダヤ人で、荒涼たる砂漠のパレスチナに移住を希望する者はあまりいなかった。
 ワイズマン「バルフォア宣言では、ユダヤ人の国家的郷里という用語を使用するが、我々は当然、それがユダヤ人国家である事を了解する」
 カーゾン卿「シオニストの望みとシオニスト国家に関しては慎重に進めるべきであり、さもなければ、我が国がこれまでに得たものを全て危険に晒す事になりかねないというでありました。……いかなる形であれユダヤ政府が成立すれば、アラブは暴動を起こすで有りましょう」(19年1月16日付け バルフォア外相に宛てた書簡)
 ロイド・ジョージ首相「疑いもなく閣僚の全員が、その当時……やがてパレスチナは独立国家になると考えていた」
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 アメリカ、イギリス、フランスなど主要国家の軍情報部は、講和会議の裏側で蠢動している共産主義者らの謀略に警戒し、新生ポーランド共産主義の浸透を食い止める防波堤にする為に支援した。
 ポーランドを敵国とするドイツ軍情報部は、国防の為に、ポーランド人によるユダヤ人へのポグロムを誇張して報道し、ポーランドに対する国際的信用を低下させ、ポーランド軍の弱体化を図った。
 国際的協調による反戦平和は、所詮見せ掛けの戯れ言、欺瞞に過ぎず、それが必ず守られると信じる者は、常識ある国際人には誰もいなかった。
 フィリップ・ブラウン「あらゆる思慮深い観察者を印象付ける事は、現在秩序の批判者としてのユダヤ人によって現在演じられている、際立った役割である」「ユダヤ人は不安定であり、共同体に定着するのを不利にする人種的な団結意識のゆえに、本質的にほとんどの民族主義的利益から疎外されている。……実際ユダヤ人は一つの人種として、いかなる国にも同化しようとはしなかった」
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 敗戦国ドイツは、1月の国民選挙の結果、社会民主党を中心とした連立内閣が成立した。
 2月には、中流市民層を中心にして反ユダヤ的ドイツ民族至上主義攻守同盟が組織された。
 「攻守同盟は、健全な人種本姓の復活・促進によるドイツ民族の美風良俗の再生を追求する。同盟は、ユダヤ人の抑圧的破壊的影響をドイツ瓦解の主因とみなし、このような影響の排除を、国家・経済復興、ドイツ文化救済の前提と考える。同盟は、ユダヤ人のもたらす災厄の本質と広がりについて国民を啓蒙し、あらゆる政治的・経済的手段を用いてこのユダヤ人のもたらす災厄を除去する事を本務とする」
 駐ドイツ大使のパチェリ大司教(後のピウス12世)は、革命騒動で一時スイスに避難していたが19年2月にミュンヘンの大使館に戻った。
 ユダヤ人革命家は、ミュンヘンバイエルン共和国を支配していた。「残酷なユダヤ系ロシア人革命家の暴政にバイエルンの首都は苦しんでいる」
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 6月28日 ヴェルサイユ条約は、ヴェルサイユ宮殿鏡の間で調印された。
 ドイツの賠償問題は第8篇(231条から247条)に記載され、「戦争責任(ウォー・ギルト)」である231条は屈辱的条項として全額賠償支払いを敗戦国のみに負わされた罪状であった。
 戦争の責任は、敗戦国が無条件で全てを負い、戦勝国は如何なる行為も免責され裁かれる事はない。
 悪いのは敗戦国で、戦勝国は正しい。
 フランスの首相ジョルジュ・クレマンソーは、ドイツが再軍備して報復戦争を起こして勝利しフランスが敗北する事を恐れ、戦後処理として再軍備できないようにする為に巨額の賠償金の支払を命じてドイツ経済を崩壊させる事を強く望んでいた。
 イギリスなどは、崩壊したドイツには過大な賠償金を支払う能力がない事を知っていたが、強いドイツの復活を阻止する為にフランスの主張を支持した。
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 1919年夏。アメリカ海軍は、ドイツ海軍の脅威が取り除かれた為に、新たな競争相手である日本に備えるべく艦隊を分割し、最有力艦隊を太平洋側に配置した。
 日本とアメリカは、戦艦建造の拡張計画を相次いで発表した。
 イギリスも、戦争傷手で財政が苦しかったが、巡洋艦4隻の建造計画を発表した。
 各国の財政は、軍事費の増加で逼迫した。
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 1920年 シドニー・B・フェイ(歴史修正主義者)「いま歴史家が手にする事の出来る証拠に鑑みれば、先の大戦の責任はドイツ及びその同盟国にあり、とするベルサイユ条約で下された判決は誤魔化しである(unsound)。歴史の書き換えが必要となった(should be revised)。そういっても戦勝国に広がった公式解釈は簡単には変わらないだろう。まず学者が歴史を修正し、それが広範な世論にならなければならない」(『世界大戦の起源』 1928年)
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 1923年 オスマン・トルコ帝国の崩壊で、トルコ共和国は樹立し、ギリシャは独立した。
 両国は、人種・民族・宗教などで起きる危険性のある国内独立運動を解決する為に「住民交換」を行った。
 トルコ国内に住む全てのギリシャ人を、生まれ育った土地から切り離してギリシャに追放した。
 ギリシャも、国内に住むトルコ人を土地から切り離してトルコへ追放した。
 国内を安定化させる正しい手段は、人種・民族・文化・宗教の多様性ではなく、異なる人種・民族・文化・宗教を排除して単一化・画一化して国境線を明確に確定する事であった。
 国内に、独立・自治を求める異分子を抱え込む事は内紛・内戦の原因となった。
 トルコは、国家を持つギリシャ人との棲み分けには成功したが、国家を持たないクルド人との棲み分けには失敗した。
 もしクルド人の要求に従えば他の民族や部族の独立要求を認める事になって国家が崩壊する為に、少数民族の独立要求は断固として拒絶した。
 国内の人種・民族・文化・宗教などを起因とする紛争・内戦を防ぐには、異分子を国外に追放するか、政治勢力に成長しない程度に人数を制限する事である。
 国内の平和と安定の為に、同化させて消滅させるか、異化として僻地に封じ込め完全監視下に置くかであった。


 
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