- 作者:ドルー・ギルピン ファウスト
- 発売日: 2010/10/01
- メディア: 単行本
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
ビスマルク「南北戦争は、欧州の金融権力によって誘発された」。
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アメリカ人起業家は、中国から騙されるようにしてアメリカに連れられてきて、大陸横断鉄道施設現場で奴隷的に酷使され、病気や怪我で働けなくなった者は殺処分された。
中国人苦力達は、同胞が殺されて捨てられようとも気にせず、白人支配人に逆らわず従順に従って働き報酬を得ていた。
中国人は、自分は自分、他人は他人として、他人事であると割り切っていた。
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1856年 パリ条約。ロシア帝国は、クリミア戦争で敗北して、アラスカ及び北アメリカ大陸の経営を続けるだけの経済力がなくなった。
シベリアと極東アジア開発に基本方針を転換して、日本近海に勢力を拡大し始めた。
アメリカは、北太平洋海域を手に入れるべく、クリミア戦争で苦境に立たされているロシアを支援していた。
ロシアは、イギリス・フランス連合軍に苦戦していた為に、アメリカに感謝した。
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1857年 ドレッド・スコット事件。トーネー最高裁判所判事が黒人奴隷の訴訟権を否定。
3月9日 ロシア帝国は、戦費を確保する為に、再度、アメリカに対してアラスカとアリューシャン列島の売却を持ちかけた。
アメリカは、アラスカ買い取り価格720万ドルで購入する事を決めた。
イギリスは、ロシアの侵略から植民地カナダを防衛する為に、アメリカに720万ドルを融資してアラスカを購入させた。
連邦議会は、アラスカ購入には賛成ではなかった。
アメリカは、アジアへの太平洋航路を確保する為に、ベーカー島、ハウランド島、ジャービス島などの領有を島民の意向を無視して宣言した。
8月28日 北太平洋の中間地点にある無人のミッドウェイ島をアメリカ領とした。
アメリカは、カナダに対して、新たな領土となったアラスカを鉄道で結ぶ為に太平洋西海岸の要地購入を打診した。
イギリスは、アメリカの北米支配を警戒してカナダ連邦政府を樹立し、太平洋西沿岸のブリティッシュ・コロンビアを1871年にカナダに編入した。
カナダ連邦政府は、アラスカとカリフォルニアをつなぐ鉄道網を遮断する為に大陸横断鉄道の敷設に取り掛かった。
10月 清国海軍は、国際法を無視して、イギリス商船アロー号を臨検した。
広東領事ハリー・パークス(後の駐日公使)と香港総督ジョン・ボーリングは、開港港での通関業務が清国側の妨害でされて意図的に遅延されている事を改善させるべく、本国の了解を得て戦争準備を始めていた。
清国の地方役人は、国禁とされているアヘン売買に宣教師が関与している事に苛立っていた。
排外主義思想を持った中国人知識人は、儒教を守る為にキリスト教会を非難し、宣教師を口汚く罵り、貧民を煽って犯罪行為を続発させていた。
12月 アロー号事件。イギリス軍は、清国軍を攻撃した。
フランスは、カトリック教宣教師が殺害された事を理由にして参戦し、イギリス軍と共同して天津に向かった。
宣教師の殺害は、戦争の理由になるとされていた。
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1858年 リンカーン「これまで私は黒人が投票権を持ったり、陪審員になったりすることに賛成した事は一度もありません。彼等が代議士になったり白人と結婚できる様になる事も反対です。皆さんと同じように、白人の優位性を疑った事はない」
「私は現在もこれまでも白人と黒人の間に社会的・政治的平等をもたらす事を好んだ事はありません」
「私はここにいる誰もと同じように、白人に与えられている優等な地位を保持する事を好んでいるのです」
リンカーンは、人種差別主義者であったが、政治として「奴隷解放」を利用した。
政治家の個人的政治信条は、現実の政策とは正反対である事がままある。
現実社会を無視して私的ロジックを強引に政策として押し通そうとする政治家は、百害あって一利なく、国家を破滅させる大悪人である。
リンカーンは、正しい政治的決断をした。
6月 清国は、不利な条件が含まれている事と知りながら、イギリスとフランスの軍事力に屈して天津条約を結んだ。
アヘン売買は合法化され、宣教師は官憲の監視を気にせず重篤なアヘン中毒者にアヘンを渡す事が出来る様になった。
アメリカとロシア帝国は、イギリスやフランスを非難しながら、漁夫の利を得る様に天津条約と同じ条約を清国と結んだ。
アメリカは、出遅れていた中国貿易に参入する為に、第一条で国が外国政府と揉め事が起きた時、清国に味方して紛争調停に乗り出す事を明記した。だからといって、軍隊を出してまで救援する気はなかった。つまりは、汚れ仕事は他国に任せて、上手い汁だけをすするという自己中心主義のご都合外交である。
後年。軍国日本は、アメリカの中国重視外交によって破滅に追い込まれた。
7月29日 日米修好通商条約。
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1859年 ダーウィンは、『種の起源』を出版した。「生存競争と適者生存による自然淘汰で、優秀種が生き残り、劣等種が滅びる」という、ダーウィニズムの誕生である。
ダーウィニズムと人類史・人類学が結合して、人種差別的優生学が誕生した。
優秀人種=白人は支配者として劣等人種=非白人から富を搾取し、社会正義から優秀種の純血を守る為に劣等種の混血を排除し消滅させるべきと主張した。
バーナード・シュー「人種的優秀性を教義とするナチは、ユダヤ人の選民思想の教義を模倣したにすぎない」
普遍宗教の特権階級は、支配権を唯一絶対神から与えられた神聖なものとして維持し、更なる利益を得る為に社会進化思想と優生学を結合させた。
世俗的上流階級は、搾取される下層階級は貧しいのが当然であるとして、平等思想と自然権思想を否定した。
アメリカの財閥は、富の独占に狂奔する自己を正当化する為に、他者を科学的に排除しようとするドイツ優生学会に多額の寄付を行った。
アメリカ優生学会は、階層差別を正当化しようとする財閥からの援助を受けて、1913年に誕生した。
アメリカ独自の排他的な理想主義的社会進化思想は、伝統的保守主義と優生学が結合して生まれた。
ウォール街の国際金融資本家らも、血縁関係にない赤の他人を秘密結社に加えない為に、会員資格を確定するべく社会の原理を研究する優生学に援助を続けた。
ワスプ(WASP)は、支配階層として血のつながらない他人を会員クラブから排除するべく、家名を上げ血族を強固にする為に欧州の名門・名家との政略結婚を繰り返した。
イギリスのランドルフ・チャーチル卿のもとに、ユダヤ人ヴァンダービルトの一族の娘が嫁ぎ、この家系からウィンストン・チャーチルが生まれた。
こうした政略結婚は、20世紀初頭だけで500件以上と言われている。
ウィリアム・グラハム・サムナー「百万長者は、自然淘汰の産物である。彼らは、一定の実績によって自然に選ばれた社会のメンバーであると見なしてよいだろう。彼らは、高収入を得て贅沢な暮らしをしている。しかし、それは社会にとって好ましい事である」(1914年『真実の挑戦』)
ジョン・D・ロックフェラー「大きな事業を成し遂げて行くのは、一つの適者生存にすぎない。バラの一種である『アメリカ美人』は、周囲で成長している若芽を犠牲にして始めて、見る者をうっとりさせる絢爛さと芳香を持った花に育っていく。これは、事業においても悪しき傾向ではない。自然の法則と神の法則から生まれたものにすぎない」
チャールズ・パーキンス「牧師や慈善家よりも、この世にとってためになる事をしたのは、偉大な商人や、偉大な製造業者や、偉大な投資家でなくて誰であろう」
アジアとヨーロッパを結ぶ為に、スエズ運河建設が始まった。
イギリスは、植民地インドと短期間で往復する為にスエズ運河の完成に期待した。
エジプトは、国際市場におけるエジプト綿花販売の好調を好材料として、建設債券を売って莫大な建設費を得た。
アメリカ南北戦争(1861〜65年)勃発によってアメリカ産綿花の輸出が激減した事で、エジプト綿花は売り手市場となって、大金がエジプトに流れた。
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1860年 ロシア帝国は、アジア侵略の為に日本の対岸にあるウラジオストークに東洋一の軍港を建設した。
翌年61年 対馬海峡を支配する為に対馬を軍事占領し、徳川幕府に対して対馬を植民地として割譲する事を要求した。
戦争を回避する為に、タイ方式の平和的解決方法を強要したのである。
62年 老中安藤信正は、尊皇攘夷派に知られないように極秘に処理したが、江戸城坂下門外で水戸藩脱藩浪士の襲撃に遭い失脚した。
フランスは、イギリス型自由貿易主義を受け入れて英仏通商条約(コブデン条約)を締結し、イギリスと同様に南部連合を支持した。
11月 共和党のアブラハム・リンカーンは、奴隷制度廃止を掲げて大統領選挙に勝利した。だが、本心は奴隷制度廃止ではなかった。
共和党は、人種差別主義者に支配され、夢想的理想主義を嫌い、奴隷制度の即時廃止や白人と黒人の人道的平等には反対していた。
サウスカロライナ州、アメリカ連邦を脱退。
南部連合は、内戦を回避する為に、リンカン大統領に対して妥協案を示しながらは和平交渉を試みていた。
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1861年1月15日 駐日アメリカ公使館通弁ヒュースケン、暗殺される。12月14日 賠償。
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2月 南部11州は、奴隷解放に反対し、イギリスの支援を受けて、アメリカ合衆国連邦を脱退してアメリカ南部連合国を結成した。
3月 リンカーンは、第16代大統領に就任するや、戦争を回する為に南部連合との妥協を図っていたウィリアム・スワードを国務長官に起用した。
リンカンは、内戦を決断して全ての和平交渉を拒絶し、スラードに対して南部連合が国家として承認されない様に外交交渉を命じた。
スワードは、イギリスとフランスが南部連合を支援して干渉してこない様にする為に、戦時外交を開始した。
リンカーンは、祖国アメリカを分裂させる事なく再統一する為に戦争を決断した。
アメリカの正義の戦いが始まった。
リンカーンの大統領就任演説「私は現在の奴隷州の奴隷制には、直接的にも間接的にも干渉するつもりはありません。私にはそうする法律上の権限はないと思うし、またそうしようとも思わないのです」
リンカン大統領は、統一連邦の権限を強化する為に大幅な自由裁量権を持つ州権を制限しようとしていた。
奴隷制廃止とは、自由を制限する中央集権的連邦政体に反対する南部諸州を押さえ込む為の方便に過ぎなかった。
4月 南部連合は、合衆国憲法の離脱権を行使し、アメリカ連邦から脱退して、新たな独立国アメリカ連合国を結成した。
フランスは、イギリスに対抗する為に、いち早くアメリカ連合国を自主独立国として承認した。
欧州諸国は、アメリカの内戦には介入できなかったが、アメリカ連邦とアメリカ連合との国家間戦争であれば軍事介入は合法化できた。
リンカーンは、アメリカ連合国の独立を認めず、国際社会で認知させない為にイギリスに対して外交工作を行った。
4月12日 南部連合は、北軍が守るサムター要塞(サウスカロライナ州チャールスト
ン)を砲撃し、南北戦争が勃発した。
アメリカ合衆国の総人口。北部連邦の人口は2,200万人で、兵役人口は約400万人であった。
南部連合の人口は900万人(内400万人が黒人奴隷)で、兵役人口は約100万人であった。
民主主義による住民主権の原則から、奴隷制度を認める州(奴隷州)になるか認めない州(自由州)になるかは州民の意思で決めるとされていた。
リンカーンは、大統領の特権として、長男ロバートの徴兵義務を外した。
ロバートは父の命令に逆らって志願したが、軍司令部は戦死させない為に安全な後方勤務を命じた。
政治家や企業家は、兵役免除の条件である高額な金を払った。
何時の時代でも、如何なる国でも、兵隊として戦場に送られるのは貧しい家庭の若者であった。
それは、アメリカでも変わる事がない事実であった。
北軍連邦政府は、軍需企業が納める武器弾薬の不良品や軍需品の粗悪品が多い事に悩み、社員が企業家の不正を告発する「密告法」(現代の「笛を吹く人法」)を成立させ、内部告発を奨励し、告発した者には奨励金と地位を保障した。
南北戦争。リンカーンは、早期に戦争が終結するとの楽観からから、4万5,000人の兵士に南部連合国首都リッチモンドへの進軍を命じた。
北軍は156万人を、南軍は90万人を、それぞれ動員した。
犠牲者、約62万人。負傷者は不明。
北軍のシャーマン将軍は、ジョージア州の州都アトランタを攻撃して、徹底的に破壊し、虐殺を行った。
北軍の、南軍も、激しい戦いとともに、町を破壊し、虐殺を行った。
敵方の庶民も「敵」として、女子供に関係なく容赦なく虐殺した。
北軍と南軍は、それぞれ捕虜仮収容施設を設けて敵軍兵士捕虜を収容したが、戦争の勝利を優先して食料や医薬品を送らず、多くのアメリカ人を敵と言うだけで飢えと病気で死亡させた。
両軍の従軍牧師は、敵を殺す事は絶対神への信仰ゆえに許されると説き、内戦を煽った。
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アメリカのガンマンは、「天から与えられた明白な使命」を掲げて、数百万人のインディアンを虐殺し、生き残ったインディアンを不毛の保留地に強制移住させて土地を奪った。
保留地で多くのインディアンが餓死したが、政府は救済する事なく放置した。
キリスト教会は、彼等を救済し、半強制的に改宗させ、祖先からの部族宗教を捨てさせた。こうして、多くの民族宗教が消滅した。
インディアンの組織的抵抗は、1890年のウーンデッドニーの虐殺で終結した。
白人キリスト教徒は、インディアンを女子供に関係なく抵抗したり、気に食わないと感じたら虐殺した。
アメリカは、領土拡大の為に戦争を繰り返し、敵と見なした相手は女子供に関係なく容赦なく皆殺しにした。
欧米の大陸史とは、平和ではなく、植民地と奴隷を獲得する為の戦争と略奪の歴史であった。
普遍宗教であるキリスト教の伝道史は、民族宗教の撲滅を使命としていただけに、戦争と略奪史と切っても切れない密接な関係にあった。
アメリカは、一時アジア貿易から姿を消した。
その結果、小笠原諸島や琉球・沖縄を領土化する動きが鈍り日本に先を越され、中国進出の好機を失った。
アジアにおける新たな拠点造りの為にスペインとの戦争を画策し、中国市場に参入する為に満州への販路を拡大しようとした。
アメリカの国家戦略の障害は、新興国日本で会った。
富の独占を切望する個人主義のアメリカは、近代化し殖産興業で経済力を付けてきた新興国日本とアジア・中国市場で共存する気はなかった。
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アメリカ政府は、財政難から、奴隷制を維持する為にかかる行政及び軍隊の経費を削減するべく、奴隷制の廃止を宣言した。
奴隷制を維持する為にかかる軍隊の経費削減の為に、奴隷制は廃止された。
同様に、反植民地主義者は、植民地に掛かる莫大な費用が国家財政を圧迫するとして廃止を主張した。
植民地を廃止し奴隷を解放して一定の賃金を労働者に払った方が生産性が上がるとしたが、その賃金を各種の社会保障費や税金として搾取する手段を講じた。
リンカーン「マネーは、法律の産物である。マネー発行の源泉は排他的に政府が独占し続けるべきだ」
リンカーン政権の財務省は、民間の中央銀行に頼る事なく、憲法の権限を利用して、金利のない法定通貨紙幣を発行した。
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北軍は、民間銀行から高利で融資を受ける事なく、ヨーロッパのユダヤ系国際金融資本に縛られる事なく、政府紙幣で戦費を調達した。
ロンドンの国際金融資本家は、リンカーンの戦後復興計画や保護貿易政策に猛反対していた。
南北戦争後、アメリカは急速に重工業化が進み、経済の発展により一部の財閥による独占体制が確立された。
ニューヨーク・ウォール街の巨大金融資本は、各産業に多額の投資を行って支配を強化した。
弱肉強食の市場政財理論を信奉する彼らは、更なる利益獲得の為にアジア・中国へと進出していった。
ドイツ帝国の宰相ビスマルクは、「南北戦争は、欧州の金融権力によって誘発された」と話した。
マクギア(カナダの弁護士、1934年)「奴隷を解放したアブラハム・リンカーン大統領は、その『国家信用』の大望を恐れた国際金融業者の利益を代表するグループの策略で暗殺された」
財政当局は、奴隷を解放し、最低賃金で最下層労働者として働かせれば生産性が上がるし、彼等の賃金を税金や各種の社会保障費として搾取すれば財源が確保できると分析した。
事実、都市人口は急増して税収は増加した。
同時に、貧困地区に最低賃金で奴隷的長時間重労働を強制される極貧労働者が溢れた。
同様に、反植民地主義者も、植民地維持の費用が国家財政を圧迫しているとして、植民地の廃止を主張した。
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南軍は、戦費を賄う為に、勝利後の関税などを担保として外債引受をイギリスやドイツなどの銀行団に依頼した。
北軍は、戦費調達を国内に求め、戦争公債を国内の小口投資家に要請した。
潤沢な資金を持つ欧州資本と強い絆を築いた投資銀行家は、戦争の勝利とは関係なく、ウォール街に集まり有力な投資銀行群を形成していった。
南北戦争後、アメリカは急速に重工業化が進み、経済の発展により一部の財閥による独占体制が確立された。
ウォール街の金融資本は、イギリスやドイツの銀行から巨額の融資を受け、各産業に多額の投資を行って支配を強化した。
弱肉強食の市場政財理論を信奉する資本家達は、更なる利益獲得の為にアジア・中国へと進出して行った。
ドイツ帝国宰相ビスマルク(一説に、ユダヤ人)は、「南北戦争は、欧州の金融権力によって誘発された」と語った。
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鉄道王ハリマン家(イギリスからの移民)は、健全な鉄道経営で財を成して大財閥になったのではなく、20万人以上のアヘン中毒の中国人労働者(苦力・クーリー)を大陸横断鉄道の建設現場で奴隷的重労働をさせて冨を集めたのである。
ハリマンは、20万人以上の中国人労働者に支給した賃金をアヘンや博打や売春などで回収していた。
病気や怪我をすれば人として扱わずまともな治療も施さず、多額の寄付を与えているキリスト教会の施設に放り込んだ。
キリスト教会は、改宗した中国人を優遇し、改宗を拒否する者を施設の隅に追い遣り差別した。
奴隷時代が長かった黒人労働者は、悪条件での肉体労働に慣れていたが、アヘンを常用せず、賭け事や女遊びもやらず、真面目に効率よく働く為に搾取しづらいとの理由から敷設現場に雇用しなかった。
中国人労働者を合法的契約奴隷として中国から運んで来たのは、世界最大の蒸気汽船会社のペニンシュラ&オリエンタル海運会社の蒸気船であった。
この海運会社を所有していたのは、ロスチャイルドの資金支援を受けていたイギリスのインティケープ卿であった。
インティケープ卿は、中国のアヘン貿易で財を成した香港上海銀行の設立役員でもあった。
クーン・ローブ商会などのドイツ系投資銀行群とモルガン商会などのヤンキー投資銀行群は、鉄道建設や鉄鋼生産や石油開発など国内の莫大な資金需要を賄う為に、欧州諸銀行からの投資を促進していた。
アメリカ国内の鉄道敷設が一段落するや、投資銀行は融資先を国外に求めて国際金融資本へと成長した。
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12月 フランスは、メキシコが対外債務不履行を理由にして、イギリス・スペインと連合して軍隊をメキシコに派遣した。
メキシコは、外国政府からの借金が膨らみ返済不能に陥った為に、他国の軍事介入を受けた。
フランス皇帝ナポレオン3世は、北米に植民地を獲得する為にメキシコへの派兵を決定し、スペインとイギリスが撤兵しても軍隊を駐留させた。
リンカーンは、フランスがイギリス同様に中立の立場を取り限り、ナポレオン3世がメキシコに影響力を持とうとする事を黙認した。
12月28日 リンカーンは、総額1億5,000万ドルの戦費をニューヨークの銀行団に要請していた。
ニューヨーク銀行団は、ロンドン・シティーのユダヤ系国際金融資本の出先機関が多かった。
アメリカ金融界をイギリス銀行界の支配から独立させるべく、戦時財政金融政策として、連邦政府の銀行管理強化と政府紙幣発行と一般個人向け政府権の発行などを発表した。
アメリカ政府は、銀行団の貸し出し拒否に合い、政府紙幣であるグリーンバックスを発行して戦時財政を賄った。
ジェン・クック商社は、ソロモン・チェース財務長官との深い関係から独占的に戦時国債の販売を行い、ヨーロッパの投資家に利率の高い商品としてアメリカ公債を売って多額の手数料を得て財を成した。
だが。1873年9月に債券相場が暴落し、鉄道債券も下落してジェイ・クック商社は倒産した。
ロンドン・シティーのロスチャイルド系銀行と提携していたJ・P・モルガンが、ドレクセル・モルガン商会を立ち上げて戦時公債を引き受け、ノーザン・パシフィック鉄道に資金を提供した。
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ロンドン・タイムズ紙は、リンカーンの政府発行紙幣・グリーンバックについての社説を掲載した。
「もし、北米共和国で始まったこの有害な財政政策が継続されて定着するような事にでもなったら、その際には北米共和国政府はコストなしで自国通貨を供給できる事になる。過去の負債を全額支払い、将来も負債なしで国家を運営していく事になる。商業活動に必要な通貨を、全て所有する様になるのだ。世界の歴史に先例のない繁栄がもたらされるだろう。あらゆる国の頭脳も富も、北アメリカに殺到するだろう。こんな政府は叩き潰して仕舞わなければ、世界中の君主国が反対にやられてしまう事になる」
国際金融家は、一国の財政を管理するには国家の信用を担保とした国債が最適で有り、政府が独自に通貨を発行して流通させる事は好ましくないとして嫌った。
つまり、利子で借金漬けにすれば悪さはできなくなと。
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イギリスのライオネル・ロスチャイルドは南部連合を支援し、フランスのジェームズ・ロスチャイルドは北部連邦を支援していた。
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- 作者:内田 義雄
- 発売日: 2007/03/20
- メディア: 新書