🎄50」─3─ヒトラーは、日本海軍がエジプトへの補給ルートを遮断し破壊する事を期待して対米戦を決断した。1941年9月~No.167No.168No.169 @ ⑩

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 カール・シュミット「(議会主義の)『討論』とは合理的な主張をもつて、意見の持つ真理性と正当性とを信ずるよう相手を説得すること。言い換えれば自らが真理性と正当性を持つ相手に説得されるという心構えを持つ事。一方、『交渉』とは合理的な正当性を発見するものではなく、利害関係および利得の機会を考量し、自己の利益をできるだけ実現する事を目的とする」(『現代議会主義の精神史的地位』)
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 ルーズベルトチャーチルは、ナチズムのヒトラーを滅ぼす為に共産主義スターリンと手を組んだ。
 ナチズム、ファシズム同様に共産主義も、自由・民主主義の敵であった。
 国際政治は、現実離れした机上の空論的理想ではなく、国益追求の冷徹な現実政治(リアルポリティック)で動いている。
 現実政治において、局面事に最善の行動を取り、友好な外交方針及び軍事戦略で組む相手を代える。
 アメリカとイギリスは、中国市場から日本資本を追放する為に、ナチス・ドイツと組んでファシスト中国と中国共産党を軍事支援していた。
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 アメリカのエジプトへの海上補給路は2つあり、1つ目は大西洋からアフリカ東部沿岸沖を北上するルート、2つ目は南太平洋からオーストラリアを経由してインド洋を横断するルートである。
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 秋。ポーランド人の地下出版の新聞は、ユダヤ人大量虐殺の関連記事を載せた。
 ユダヤ人虐殺という噂が、ヨーロッパ世界に流れ始めた。
 キリスト教徒は、誰もユダヤ人虐殺には気を止めなかった。
 キリスト教会も、まさか有り得ないとして取り合わず安易に考えていた。
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 ドイツ軍は、ソ連に侵攻し、各地でソ連軍を撃破して更なる進撃を続けた。
 ドイツ人兵士は、各地で女性とみれば強姦し殺害していた。
 ドイツ国防軍とSS裁判所本部は、強姦事件を抱えた前線部隊に対して、勝利を優先する為に戦時中における強姦罪の量刑には常に特別の配慮をを求めた。
 ナチス・ドイツは、戦時中における被占領地で強姦を犯した兵士の罪を問わず寛大に扱う事を決定していた。
 クリスタ・パウル「ドイツ将兵ドイツ国防軍の軍人、武装SSの隊員、そしてその他の軍機能の担い手達はポーランドやロシアやフランスなどで何千人もの女性を強姦した。彼らは処罰を恐れる必要がなかった」(『ナチズムと強制売春』)
 金があっても若い女性がいない被占領地域では衛生管理されっていない売春宿を利用した為に、性病に感染した兵士が続出して戦闘に支障をきたした。
 ドイツ国防軍は、軍隊内における性病を減らす為に、前線の各部隊に軍管理の慰安所を設置するように通達した。
 ドイツ軍管理の慰安所は、日本軍関与の慰安所に比べて徹底していた。
 人種差別主義のドイツは、慰安婦にしたポーランド人、ロシア人、ウクライナ人などを劣等民族と侮蔑して性奴隷の如く扱った。
 戦後。現代。ドイツは、戦時中にドイツ軍が管理した慰安婦問題に対して謝罪も賠償も行っていない。
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 9月 スターリンは、アメリカのユダヤ人金融資本から多額の軍事費を受ける為に、ユダヤ社会主義協会(ブント)を利用してユダヤ人反ヒトラー委員会の設立を命じた。
 反ヒトラー委員会は、国際敵ブルジュア階級と敵視していた、アメリカやイギリスのユダヤ人金融資本に財政支援を要請する為に宣伝活動を行った。
ナチス党員ヴァルター・フォン・ライヒェナウは、2日間でユダヤ人3万人を処刑した。
 アメリカは、敗走続きのソ連を救うために、武器貸与法を適用し100億ドル以上の財政支援と軍需物資の供給を約束した。
 ハリマンは、スターリンに対して、ペルシャ湾からカスピ海に至る自動車道の建設を提案した。
 アメリカとイギリスはソ連への軍需物資輸送の為に、イラン皇帝レザ・シャーに要請した。レザ・シャーは、戦争に巻き込まれる事を恐れ、中立を守る為に要請を拒否した。
 イギリス軍とソ連軍は、南北からイランに侵攻して軍事占領した。
 レザ・シャーは、ルーズベルトに対して、大西洋憲章による民族の自決をもってイギリスとソ連の横暴を訴えた。
 人種差別意識の強いルーズベルトは、大西洋憲章民族自決は白人にのみに適用され、非白人には認められないとして訴えを突っぱねた。
 国際社会はキリスト教白人を中心として動き、キリスト教白人の常識が世界の正義となっていた。
 ハリマン「与え、与え、そして与えよ」
 国際法上、アメリカは依然として中立国である。
 9月4日 グリアー号事件。アメリカ海軍は、ホワイト・ハウスの示唆に従って、偽報告を発表し、事実を10月下旬まで隠蔽した。
 情報の統制、規制、操作、隠蔽は、如何なる国家の政府も行う事であり、如何なる国の国民も国家に不利な情報は教えられないのが当たり前である。
 戦争中の、日本政府及び軍部の大本営発表は、敗戦続きであったから当然の隠蔽発表であった。大本営発表を情報統制と隠蔽の悪とする者には、情報戦を論ずる資格はない。 
 ナチス・ドイツ側は、今回の攻撃はドイツ海軍潜水艦が最初に仕掛けたのではないと反論した。
 9月13日 イタリア軍は、イギリス保護領エジプト王国を攻撃し、北アフリカ戦線が形成された。
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 10月 ニューヨークのユダヤ系新聞は、ドイツ軍の占領下にあるロシア諸都市でのユダヤ人虐殺を報道した。
 ニューヨーク・タイムズも、ユダヤ人虐殺の事実を報道した。
 人種差別主義者は、異教徒で非白人である日本軍の南京虐殺事件を無条件で信じたが、キリスト教徒のドイツ人はそのような残虐行為はしないと信じていた。
 10月4日 ノックス海軍長官は、近日中に起きるであろう日本との戦争に備えて、安定した生産と供給を行う為に主要な軍需産業の代者を集めて対日戦の見通しに関する説明会を開いた。
 「戦争は3ヶ月以内に始まり、6ヶ月で終わるだろう」
 10月9日 ルーズベルトは、連邦議会に対して、戦略物資を輸送するアメリカ船籍の民間船を武装化するという中立法第六条の廃止を勧告するメッセージを送った。
 「私が提案する修正案は、武器貸与法が宣戦布告を必要としなかったのと同じ様に、宣戦布告を必要とするものではありません。これは、絶対不可欠なアメリカの権利の防衛に関わる問題です。……これらの条項の廃止、あるいは修正は、その結果として、合衆国の中立的立場を今日の状況と比べて少しも弱めるものではありません。しかし、それは我々がアメリカ大陸を防衛するにあたって、はるかに首尾よく事を進めることを可能にし、世界を侵略しようと進軍しているとてつもない勢力に対抗する為の援助を今よりはるかに効果的に提供する事を可能にするのです」
 10月17日 カーニー号撃沈事件。同事件も、アメリカ海軍駆逐艦が撃沈され11名が犠牲になった事は報道された事実は発表されたが、それ以外は意図的に隠蔽された。
 アメリカ政府は、「攻撃された」事と尊い犠牲者を出した事を公式に発表したが、攻撃した相手に対して宣戦布告は行わなかった。
 10月20日 ドイツ軍占領下にあるフランス西部のナント ドイツのホッツ大佐が、フランス共産党ジルベール・ブルストランに暗殺された。
 ヒトラーは、報復として、フランス人150人の処刑を命じた。
 10月22日 ドイツ軍兵士は、ブルターニュ地方のショワゼル収容所におもむきギィ・モケ(17)を含む27人を銃殺した。
 ナチス・ドイツに協力するフランス人が少なからずいた。
 10月27日 ルーズベルト「五ヶ月前の今夜、私はアメリカ国民に対し、非常緊急事態を宣言しました。それ以来、多くの事が起きました。我が国の陸海軍は西半球を防衛する為、一時的にアイスランドに駐屯しています。ヒトラーは、南北大西洋アメリカ大陸に近い海域で船舶を攻撃しました。何隻ものアメリカ船籍が公海で沈められました。9月4日にはアメリカの駆逐艦が一隻、攻撃されました。10月17日には別の駆逐艦が攻撃され、被害を受けました。11人の、勇敢で忠誠心の高い、我が国海軍の兵士がナチスによって殺害されました。我々は、発砲する事は避けたいと思っていました。しかし、砲撃戦はすでに始まっているのです。そして、歴史には誰が最初の一発を放ったかが刻み込まれました。……ヒトラーの攻撃の目的はアメリカ国民を脅して公海から追い出す事─つまり、我々を恐怖で震えあがらせて敗北させる事でした。彼が、アメリカの精神を見誤ったのはこれが初めてではありません。アメリカの精神は、今や高揚しています……こうした攻撃を甘んじて受ける事はしないという、我々の決意は『発見次第ただちに発砲せよ』というアメリカ海軍に下された命令に表れています。この命令は、いまなお有効です」
 連合国の主要な戦争目的には、非人道的犯罪の主導者を処罰する事であると警告した。
 つまり。
 非人道的犯罪行為が人類に対する犯罪である以上、アメリカは人類の尊厳を護る為に参戦すると宣言した。
 非人道的犯罪を食い止め処罰する刑罰戦争は、キリスト教的「正しい戦争」とされた。 そして。大きな民族・国家が、小さな民族・国家に恫喝・脅迫・威嚇を加えて国家主権を侵害し内政に干渉する行為も「悪」とされた。
 翌日、ホワイト・ハウスに届いたメッセージの8割以上が大統領演説支持であった。
 アインシュタインら亡命ユダヤ人も、ヒトラーの暗黒支配から世界を救う為に一刻も早い参戦を支持した。
 介入主義者と資本家は、正当な開戦理由があれば国民は戦争を支持すると分析した。
孤立主義者は、如何なる正当な理由があっても、合衆国憲法の精神からアメリカ大陸以外の戦争に参戦すべきではないと猛反対した。
 ドイツ海軍は、ルーズベルトの意図が参戦であり、アメリカ海軍がドイツの勝利を妨害している以上、戦争を勝利で終結させる為にアメリカ艦船への攻撃を求めた。
 ヒトラーは、反共産主義の立場から、アメリカとの対ソ連共闘を希望していた為に、国防軍からのアメリカ軍艦への攻撃要請を却下した。
 アメリカの参戦支持派は、ルーズベルトの「アメリカは攻撃された」演説を理由にして開戦に持ち込もうとしたが、攻撃された駆逐艦が先にドイツ海軍潜水艦を追跡し攻撃した事が知れ渡るや参戦に失敗した。
 ホワイト・ハウスは、ナチス・ドイツの侵略から自由と民主主義の大義を守る戦争に参戦し、ヒトラーの野望を打ち砕く為にアメリカ兵をヨーロッパ前線に送るべく新たな外交戦略を展開した。
 10月30日 タンカーのサリナス号撃沈事件。
 10月31日 駆逐艦ルーベン・ジェームズ号轟沈事件。
 ルーズベルトは、「ナチス・ドイツとの外交関係を断絶するのか」という記者の質問に答え、中立と反戦綱領に従って戦争参戦はおろか外交断絶も考えていないと拒否した。
 そして、現時点でアメリカ艦船への攻撃があったとしても、連邦議会に「宣戦布告」の要請はしないと公言した。
 その裏で、連邦議会に対して、戦争に巻き込まれる危険性が高い「民間商船の武装化アメリカ国籍の船舶を交戦地帯に入れる」という中立法全般の修正を要求した。
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 11月 連邦議会は、自衛的措置として民間船の武装化法案と攻撃を受けたら自己防衛として発砲する権限を認めた法案を可決した。
 11月7日 連邦議会上院は、短期化の集中討議の末に「商船の武装を認める」という中立法修正案を可決した。下院は、13日に可決した。
 11月17日 ルーズベルトは、戦争に一歩近づく為に中立法修正案に署名した。
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 11月15日 第69回大本営政府連絡会議。大日本帝国の戦争戦略・国家戦略として、対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案が決定された。
 ・その方針。
 1,アメリカ、イギリス、オランダの極東の拠点を叩いて南方資源地帯を獲得し、自存自衛の体制の確立。
 2,蒋介石政権の屈服。
 3,ドイツ、イタリアと提携してイギリスの封鎖、屈服。
 4,イギリスの屈服によるアメリカの戦争継続の意思の喪失。
 アメリカ海軍主力については、あらゆる手段を尽くしてこちらに誘い込んで撃破するという守勢作戦であった。
・イギリスの屈服を図る為の方策。
 1,ビルマの独立を促進し、インドの独立を刺激する。
 2,ドイツ、イタリアは近東、北アフリカスエズに侵攻し、対英封鎖を強化する。
 3,日独伊三国はインド洋での海上作戦を強化し、イギリスへの物資輸送を遮断する。 
 インドやオーストラリアに対して攻略および通商破壊等の手段により、イギリス本国と遮断して離反を図る。
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 日本海軍は、イギリスを屈服させ、アメリカの継戦意思を挫く目的で、真珠湾攻撃及び南方作戦後にインド洋及び中近東各地への「西亜作戦(せいあさくせん)」を計画した。
 戦略目的は、艦隊決戦によるイギリス海軍東洋艦隊の殲滅と潜水艦隊によるアフリカ東部沿岸・スエズ運河・インド西部沿岸の補給路の破壊であった。
 ナチス・ドイツが、アメリカとの戦争に参戦する目的は、日本海軍にエジプトへの補給路を破壊させる事であった。 
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 11月18日(〜12月30日) イギリス軍は、ロンメル指揮のドイツアフリカ軍に包囲されたトブルクを救出するべく反攻作戦「クルセーダー作戦」を発動した。
 イギリス軍、総兵力・11万8,000人。戦車・738輛。航空機・616機。
 被害、1万8,600人。戦車・278輛。航空機・300機。
 枢軸軍、総兵力・11万9,000人(ドイツ軍、6万5,000人。イタリア軍、5万4,000人)。戦車・414輛。航空機・342機。
 被害、2万4,500人(ドイツ兵、1万1,500人。イタリア兵、1万3,000人)。戦車・300輛。航空機・560機。
 11月28日 イタリアの統治下にあったイタリア領東アフリカが連合軍によって占領され、エチオピアでは皇帝ハイレ・セラシエ1世の統治が再開された。
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 冬 ドイツ軍占領下のギリシャでの食糧事情が悪化し、餓死者を出す恐れがあった。
 アドルフ・ヒトラーは、連合軍側が申し込んできた食糧支援を受け入れ、赤十字国際委員会や中立国からギリシャへの食糧輸送を認めた。
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 12月2日 イギリス情報部は、日本海軍の「ニイタカヤマノボレ・1208」の暗号電文を解読して、日本軍の攻撃が近いとの警戒情報を報告した。諜報機関は、日本海軍の機動部隊が11月25日にヒトカップ湾を出港して南下した事を、日本海軍の暗号『JNー25』を解読して知っていた。
 ロンドンの軍上層部は、チャーチルの命令によって、難攻不落の要塞と信じられているシンガポールには最新軍事機密情報を知らせなかった。
 シンガポール守備隊約13万人は、歩兵が主力で、航空機は少数保有していたが、戦車や重砲などの重装備は無く、防備力は脆弱であった。
 海軍は、不沈戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパレスを航空支援を持たせずに、日本海軍に軍事威圧をかける目的でシンガポールに派遣した。
 イギリス極東軍は、カナダやオーストラリアなどの各国の軍隊をシンガポールからビルマまでの半島部に配備した事を発表して、タイと仏印に軍事的威圧を加えた。
 諜報機関は、東南アジア全体の反日勢力や共産主義組織各派に、「自由と独立」の為に防衛戦線に参加するようにラジオ放送を流していた。
 ハリマンは、対日戦が確実となった事を受けて、日本の友好国であるソ連に飛んだ。スターリンモロトフと、日本への参戦について協議した。スターリンは、アメリカとの協力関係を深める為にユダヤ人のリトヴィノフ元外相を、密使としてワシントンに派遣した。
 日本はギリギリまで戦争を回避する為に外交努力を続けたが、アメリカとイギリスは早々に戦争以外の選択肢を捨てていた。
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 イランのパーレビ皇帝は、ルーズベルトを表敬訪問して、イランの独立を保証して貰う見返りとして連合国側に付く事を約束した。
 アメリカは、イランを傀儡国家と戦争に利用した。
 人種差別主義者のルーズベルトは、ビルマ首相のウ・ソーの「対日戦争にビルマ兵を参戦させる見返りに独立を承認して欲しい」という提案を門前払いした。
 アメリカが考えた「民族自決」の適応範囲は、白人とキリスト教徒という条件の民族に対してであって非白人と非キリスト教徒ではなかった。
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 12月7日 天皇への親書は、攻撃開始の53分前まで引き延ばされた。
 ルーズベルトは、駐米中国大使・胡適に「親電は功を奏さないかもしれない」と語った。
 受信された親書は、慣例に従って、東條英機首相に渡さた。東條首相は、内容を検討し、早朝で睡眠である昭和天皇を起こして手渡すように木戸幸一内大臣に指示した。
 攻撃の23分前に、親書が、起こされた昭和天皇に渡された。昭和天皇には、親書に答え、戦争を回避する命令を出す時間はなかった。
 12月8日 アメリカ議会は、日本に対する宣戦布告を可決した。
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 ソ連は、アメリカからの大量の軍事支援物資をウラジオストクに陸揚げし、シベリア鉄道でヨーロッパ戦線へとたえず輸送していた。
 ソ連軍は、大反撃を開始していた。
 ドイツ軍の東部戦線における、戦死者16万2,314人、負傷者57万1,767人、行方不明3万3,334人。
 ドイツ軍は、ソ連軍の大攻勢で敗走し始めていた。
 軍国日本は、日ソ中立条約を日独伊三国同盟よりも重視し、アメリカから軍事物資を輸送するソ連輸送船団の自由な航行を認めていた。
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 12月11日 ドイツとイタリアは、アメリカに宣戦布告した。
 ナチス・ドイツとイタリアは、苦戦している北アフリカ戦線を好転させる為に、南アフリカからアフリカ東海岸沖をエジプトに運ばれる軍事物資を遮断するべく、 日本海軍にインド洋占領の軍事行動を要請した。
 アメリカのエズプト・中東へ大量の軍事支援物資を運ぶ補給路は、大西洋南部ーアフリカ東部沿岸ースエズ運河ーエジプトの港湾だった。
 ドイツ海軍Uボートは、中部大西洋以北と地中海の航行を占有していたがインド洋までは手が舞わなかった。
 日本海軍がスエズ運河に向かうアメリカ輸送船団を撃退してくれれば、エジプトのイギリス軍の軍事物資が底をついて敗北する可能性があった。
 そして、エジプトや中東で反英蜂起が起きれば勝利は間違いなかった。
 ロンメル指揮のドイツアフリカ軍団は、翌年に再度エジプトへ侵攻を開始した。
 その勝利は、日本海軍のインド洋作戦の成果にかかっていた。
 が、日本海軍は、ナチス・ドイツとイタリアの期待を裏切ってインド洋には出ず、アメリカとの決戦の為に太平洋へと去っていった。
 日本海軍は、アメリア海軍、イギリス海軍に次ぐ世界第三位の海軍であったが、ロシア・バルチック艦隊を撃滅して日露戦争を勝利に導いた戦闘能力は世界第一位であった。
 西洋列強の植民地にされているエチオピア・中東からインド・南アジアにかけての広範囲の人々、そしてイスラム教徒の多くは親日派であり、日本を一国でロシアを打ち破って勝利に導いた日本天皇を偉大な指導者と崇め崇拝していた。
 植民地支配され、奴隷の如く使役されていた人々は、白人キリスト教徒のドイツ人を信用しなかったが、日本人であれば解放者として歓迎し味方した可能性があった。
 イスラム教徒は、キリスト教を憎み、反宗教無神論共産主義者を敵視していたが、日本神道・日本仏教の日本人だけば友人と見なして親しんでいた。
 中東の人々は、エチオピアを侵略したファシスト・イタリアと共に戦うナチス・ドイツを憎んでいたが、軍国日本はファシストの一員ではないと見なしていた。
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 12月15日 ルーズベルトは、モーゲンソー財務長官が提出した『敵対国との取引法令修正案』に署名した。これ以降、財務長官が特別に許可すればナチス・ドイツなどの敵対国との取引は可能となった。ただし、日本のみが対象外とされた。
 アメリカ企業は、この法案に従ってナチス・ドイツとの貿易を続けた。アメリカ政府は、連合軍の攻撃でそれらの企業の現地工場等が被害を受けた事に対して、国家の責任として賠償した。
 12月22日〜翌42年1月14日 アメリカとイギリスは、暗号名「アルカディア」と呼ばれる軍事会議を開催した。
 戦前に、アメリカで発表された『勝利の計画』に基づく短期決戦の作戦を修正して、長期戦の作戦が承認された。
 大兵力を持ってフランスに上陸してナチス・ドイツを敗北させるのではなく、インドと中近東を維持する為に北アフリカから極東までの大包囲網を構築すべきとの結論を出した。 




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歩兵は攻撃する

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砂漠のキツネ

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