✙13」─4─少数民族虐殺とキリスト教的開拓精神。テキサス型解決策(テキサス・ソリューション)。アラモ砦の虐殺。ゴールドラッシュ。1828年〜No.63@                  

西部開拓史 (岩波新書)

西部開拓史 (岩波新書)

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗   
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 手に入れたい土地に大量の入植者・移民を送り込み、地元住民を圧倒する人数に達したら権利を不当に要求し、地元住民の反感・反対を煽り正当防衛を主張して分離独立運動を起こして内戦に持ち込んだ。
 大量の白人の入植者・移民によって、インディアンは故郷を奪われ虐殺され不毛な土地に追放され、メキシコは分離独立戦争に巻き込まれ多くの犠牲者を出し開墾した土地を奪れ追い出された。
 地元住民と雑婚し同化して消える事を拒否する自我意識の強い入植者・移民は、地元住民とは違う独自の主権と自由を確保できる排他的な土地・地域を欲し、安住できる土地・地域を獲得する為に実力を行使する。
 才能と腕力による実力で、自分達の権利と自由と土地を手に入れて生活圏を次第に拡大する。
 それが、ゼロから1を創造する、フロンティア・スピリット、開拓者精神、進取の気性である。 
 勝者・勝ち組は生き残り、敗者・負け組は死滅する。
 入植者・移民は権力と富を得て豊かに榮、先住民は支配され貧しくなり滅んでいった。
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 南北アメリカに移住した白人キリスト教徒集団は、道徳的に未開人を殺害する事は罪と認めていたが、広大な大地は絶対神の所有物で全人類が使用できる土地であるとして、勝手に開墾して農地を広げた。
 バッファローなどの動物を狩猟して生活していたインディアンは、新たな住民の為に土地を分け農作物の育て方を教えた。
 白人キリスト教徒集団は、さらに農地を広げる為にインディアンの土地を奪う事に、生存に不可欠なバッファロー1,400万頭を殺した。
 狩猟するバッファローを殺され肥沃な土地を奪われたインディアンは、農業移民である白人キリスト教徒集団を敵視して攻撃した。
 白人キリスト教徒集団は、正当防衛による正しい戦争としてインディアン戦争を始めた。
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 1820年代 フロンティアに燃えるアメリカは、メキシコに対して、メキシコ系住民約1万人と人数不明のコマンチ族やアパッチ族などのインディアンしかいない緑豊かなメキシコ領テキサスへの入植許可を求めた。
 メキシコ政府は、メキシコの法律を順守し、良きメキシコ市民として納税等の義務と責任を果たし、奴隷制度を持ち込まないなどの確約を得て許可した。
 先住民であるインディアン達は、当初はメキシコ人の入植には寛大であったが、人数が増えて農場が広がり出すや、祖先の土地を身勝手に掘り起こして行く事に激怒して襲撃し始めた。
 テキサスのメキシコ人は、インディアンからの襲撃を撃退し、治安を回復させる為にアメリカ人の入植を歓迎した。
 アメリカ人移民は、大農場や大牧場を経営し、各地にアメリカ人だけの砦を築き、メキシコ人の土地を奪う為にインディアンに酒と銃を売ってメキシコ人農場を襲わせた。
 1828年 アンドリュー・ジャクソン大統領は、社会の平等と民主主義を進展させた偉大な大統領とされている。このジャクソン・デモクラシーを受け継ぐ政党が、民主党である。
 ジャクソンの専横を批判して結成されたのがホイッグ党、つまり共和党である。
 インディアン強制移住法を制定し、ミシシッピー川以東を白人所有とするべく先住民を西の保留地に追放した。民族浄化を目的とした、悲惨な「涙の旅路」である。
 アメリカ政府は、先住民との間で300件近い約束や協定を結び、酒と銃を渡した。酒に酔って銃を乱射するのを口実にして、全ての取り決めを一方的に破棄し、彼等を追い出して土地を奪った。反抗する者は、家族諸共に容赦なく虐殺した。
 土地を巡って、白人入植者とインディアンは殺し合いを始めた。
 インディアン戦争である。
 キリスト教会は、戦闘的なインディアンを白人の従順な「しもべ」に去勢する為に洗礼を施した。
 キリスト教に改宗したインディアンは、文明人の一員として優遇された。
 民族宗教を守ろうとしたインディアンは、野蛮人として虐殺されるか、劣悪な生活環境にある保有地に強制移住させられた。
 アメリカ政府は、インディアンを騙して、取り交わした約束や条約や協定を全て破棄した。
 アメリカの大地は、宗教的人種差別が支配していた。
 インディアンの生存率は、数%とされた。
 現代に於いて、純血は少なく、多くが混血とされている。
 そして。キリスト教の普及によって、伝統的民族宗教は消滅した。
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 ドイツの神学者シュライエルマッハー(1768〜1834年)は、神は心にいると説いた。
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 1832年 アレクシ・ド・トクヴィル(フランス政治か)「黒人の存在は、アメリカを脅かす最大の害悪だ。メキシコ湾諸国では、白人より急速に黒人人口が増えている。ずっと奴隷にしておく事などできない。現代世界の潮流は、奴隷制を否定する方向に強力すぎるほどに進んでいる。といっても、黒人が白人の中に吸収されるのは無理だ。白人は黒人とは結婚しないからだ。黒人が自由の身になってすでに二世代が過ぎた北部でさえも通婚はない。いったん解放されれば、黒人はいまより危険な存在となる。政治的権利を取り上げられた状態には甘んじないだろうからである。必ずやひどい抗争が起きるだろう」
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 民主主義による住民の多数決で、テキサスはメキシコから独立した。
 アメリカ人入植者は、メキシコに移住したが、メキシコ国民となってメキシコ国家に忠誠を尽くす気はなく、アメリカ人として入植地と共にアメリカに帰属したいという希望が強かった。
 アメリカ人は、メキシコに移り住んでもアメリカ人として行動し、決してメキシコ人にはなるまいと決心していた。
 メキシコ人への同化を拒否して、アメリカ人として異化のままである事を選んだ。
 アメリカ人でありたいという思いから、メキシコ領で独立戦争を起こした。
 メキシコ政府は、国内に異国が誕生する事を認めず、メキシコ化を拒絶するアメリカ人の分離独立運動の弾圧に乗り出した。
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 アメリカ=メキシコ戦争。1846〜48年。
 アメリカは、メキシコ領であったテキサスやカリフォルニアを簒奪する為に、メキシコ人との人口比率が50%を超すまでアメリカ人を入植させた。インディアンなどの先住民を人間と見なさなかった為に、人権はもちろん、存在そのものを完全無視した。
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 アメリカ人入植者数が3万人を超してメキシコ系住民より多数派(1万人)となった所で、メキシコとの誓約を全て反故にして、5,000人以上の奴隷を持ち込み、納税を拒絶した。
 先住者・メキシコ人1万人対新参者・アメリカ人3万人。
 世界の常識として、相手の土地を奪うには、より多くの移民を送り込み地域の多数派とな、民主的に合法的手段で手に入れる事であった。
 土地は誰のものでもはなく絶対神のものである以上、そこに住む多数派が所有するもので、たとえ先に誰かが住んでいようとも少数派には権利はない。
 アメリカ人もメキシコ人も、テキサスの真の多数派がインディアンである事を完全に無視していた。
 世界史の常識は、力ある者が勝者として全ての権利を手に入れて「正義」となり、力なき者は敗者として全ての権利を剥奪されて「悪」とされた。
 人類史は力で築かれ、生物世界では弱い者には生きる権利を認めなかった。
 サンタアナ将軍は、テキサスはメキシコの土地でありアメリカ人入植者の土地ではないの大原則で、法を無視するアメリカ人入植者に約束を守らせるべく軍隊を派遣した。
 アメリカ人入植者は、メキシコの圧政から土地と家族を守るとの大義で、説得に訪れたメキシコ人部隊を待ち伏せして皆殺しにした。
 地域の多数派となったアメリカ入植者は、メキシコからの分離独立させる為に、民主的手続きとして多数決で独立を宣言した。
 テキサスのメキシコ人にとっては、インディアンに対抗し治安維持を守る為に、好意的にアメリカ人を移民させたが少数派となった為に、多数派のアメリカ人入植者の暴挙を止める事ができなかった。
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 1833年 イギリスは、奴隷の使用を禁じた。
 マンチェスターは、世界屈指の工業地帯であった。
 資本家は、労働力として人身売買で輸入していた奴隷が使えなくなった為に、貧困家庭の子供や女性を低賃金で働かせた。
 資本家達は、人力では生産性が上がらず思った以上の収益が見込めない為に、新たなエネルギーを生み出べく蓄えた富を投資した。
 新たな富を生み出すべく産業革命が起きた。
 新たなエネルギーで規模を拡大した機械制工場は、大量生産をする為に更に多くの安い労働力を必要とし、貧しい農村地帯から農民を駆り集めた。
 地方の地主や都市の資産家は、農地を拡大する為に、凶作で資金繰りが苦しくなった農家に農地を抵当に高金利の借金をさせ、期日に返済できなければ農地を取り上げた。
 農地を失った農民達は、低賃金でも家族が生活する為に都市の工場に職を求めた。
 産業革命によって資本家は多くの富をえ、労働者は機械の一部とされ貧しく重労働を強いられ、社会於ける貧富の格差が広がった。
 都市中心の近代化は、地方の農村を犠牲にする事で成立していた。
 リヴァプールは、奴隷貿易と毛織物貿易で発展した国際的港湾都市であり、世界文化遺産に登録されている。
 奴隷貿易がなくなった後は、産業革命後はマンチェスターの外港として造船と製粉などの工業を発展させ海商都市として栄えた。
 産業革命の結果、大量生産で過剰になった商品と投資で枯渇した資金を得る為に、近代的植民地が求められ。
 そして生まれたのが帝国主義であった。
 世界遺産に登録された工業都市マンチェスターや海商都リヴァプールなどの膨張圧力を受けた政府は、経済・産業の為に植民地戦争・対外戦争を始めた。
 明治新政府は、ロシアの侵略から祖国を守る為に、近代化としてイギリスを工業化を雛型とし、中央と地方の格差を必要悪として受け容れた。
 日本産業界も、イギリスが行っている成功モデルを忠実に真似、国際競争力がない為に国際主力製品ではなく隙間産業商品を輸出品として、原材料自給率100%の生糸や日本酒と原材料輸入の綿製品などの日用雑貨品を売り歩いていた。
 マンチェスターは、産業革命の発祥の地として世界文化遺産に登録された。
 エンゲルスは、資本家に搾取され悲惨な状況に置かれている労働者の実情を、友人のマルクスに伝えた。
 エンゲルス「子供は採掘された鉱石を切り場から馬車道や本立坑まで運搬したり、鉱山のさまざまな採掘場を仕切っている出入り口を、労働者や鉱石が通るときに開け閉めするにに使われる。この扉の番にはたいてい幼児が使われるが、彼らはこのようにして毎日12時間も暗闇のなかに一人ぼっちで、狭くて、たいていじめじめした坑道に座っていなければならない。……子供が帰宅するやいなや、かまどの前の石の床に寝転がってすぐに眠ってしまったり、食事がまったく喉を通らず、眠ったまま両親に身体を洗ってもらい、ベッドに運んでもらわなければならなかったり、されには、帰宅途中に疲労して倒れてしまい、深夜に両親に探され、眠ったところを発見されたりする事などは始終おこっている」(『イギリスにおける労働者階級の状態』)
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 1836年 メキシコ領テキサスのアメリカ人移住者が、メキシコ人住民より1%多くなるや武装蜂起を起こし、テキサスをアメリカに編入させるべくテキサス共和国を樹立した。
 多くのアメリカ人入植者は、民主的に勝ち取った独立を守るべく武装してアラモ砦に集まった。
 元アメリカ議会下院議員デビー・クリケットは、同志を募ってアラモ砦に立て籠もった。
 サンタ・アナ将軍は、メキシコ領テキサスをアメリカ人入植者から奪い返す為に、政府軍(1,600人)を率いてアメリカ人叛乱部隊(300人)が立て籠もるアラモ砦を攻撃した。
 アラモ砦は、2週間の激闘の末にで陥落し、婦女子24名と黒人2名を除くアメリカ人入植者が虐殺された。
 「リメンバー・アラモ」
 アメリカ政府は、アラモ砦の虐殺に対する懲罰とアメリカ人入植者を助けるべく正規軍と市民義勇軍をテキサスに派遣した。
 アメリカ軍は、メキシコ軍を撃破してサンタアナ将軍を捕らえ、テキサスを軍事占領した。
 テキサス共和国は、アメリカの軍事力を背景として、多数決の原理でメキシコからの独立を宣言した。
 メキシコは、併合に反対して軍隊を送り、メキシコの安全を守る為にアメリカとの戦争に突入した。アメリカ軍に、首都を占領されて降伏した。
 メキシコは、テキサスに関する全ての主権を放棄し、アリゾナコロラドなどの北部を1,500万ドルでアメリカに譲渡した。
 アメリカは、メキシコ全土を併呑しようと圧力をかけていた。
 メキシコは、独立を守る為にイギリスに接近した。
 イギリスは、アメリカから中南米の利権を守り、ニカラグア運河建設で有利な立場に立つ為にメキシコを支援した。
 フランスは、ナポレオン3世の甥のマキシミリアン皇帝を擁立して親仏政権を樹立した。メキシコ人は、フランス支配を打倒する為の内戦を続け、4年後に自主権を回復した。
 アメリカ系住人は、アメリカへの編入を希望し、メキシコ人地主の土地はもちろん先住民インディアンの土地を、詐欺紛いの契約で奪った。
 アメリカは、自己利益に有利になる条項を誤魔化しながら契約書や協定文の中に忍ばせていた。
 アメリカによる交渉は巧妙なだけに、細心な注意を払い、言葉の一言一言を漏らさず聞いて即答を避け、条項文書の一字一句を深く読み解いて吟味して捺印しなければ、全てを失った。
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 1837年 カロライン号事件。イギリス領カナダは、アメリカ同様にイギリスから独立するべく叛乱を起こした。
 ニューヨーク、バーモント、ミシガンなどの北米各州のアメリカ人は、カナダ人独立運動を支援しするべく、義勇兵と武器や物資をアメリカ船カロライン号に乗せてナイヤガラ川のアメリカ領とイギリス領の間を往復していた。
 イギリス軍は、カロライン号を急襲し、船体に火を付けてナイアガラ滝に投じて沈めた。
 国際法は。カロライン号事件は自衛権に基づく措置として認めた。
 アメリカ領海内で、イギリス海軍は、イギリスの植民地であったカナダの反乱分子が潜伏していたカロライン号を攻撃し撃沈した。
 アメリカは、イギリス海軍の戦闘はアメリカの主権を侵害する行為であるとして激しく非難し、外交問題に発展した。
 イギリスは、反乱を企む犯罪者集団が目の前に居る以上、反乱を未然に防ぐ為には他国の主権の及ぶ領土でっても攻撃する事は自衛行為であるとして、正当性を主張した。
 自衛権として先制攻撃が認められるかどうか、それが他国の主権下の領土でも行使できるかが、論争となった。
 アメリカの国務長官は、1842年に、他国の主権を侵害し他国人に被害を与えない事を条件として自衛権行使による先制攻撃を認め、カロライン号事件におけるイギリス側の主張を受け入れた。
 「切迫し、圧倒的で、他に手段が残されておらず、熟考の時間が存在しない自衛の必要性」

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 1839年 中央アメリカ連邦解体。
 アメリカは、潜入したイギリス人スパイを逮捕した。
 イギリスのパーマストン外相は、イギリス人を釈放する様に恫喝した。
 ビューレン大統領は、イギリスの軍事的圧力に屈してスパイを開放した。
 アメリカ世論は、イギリスの横暴に激高したが、イギリスの軍事力の前では沈黙するしかなかった。
 フランスは、北米で失った植民地を再獲得する為に、ウジェーヌ・モラフをメキシコに派遣した。
 モラフは、カリフォルニアにフランス人入植地を建設する為に現地調査に入った。
 イギリスは、フランスに対抗して、カリフォルニア獲得計画を立案し始めた。
 1840年 アヘン戦争
 南北カナダ統一。
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 1841年 ロシア・アメリカ会社は、カリフォルニアでの乱獲でラッコが減少した為に、フォート・ロス砦をスイス出身でメキシコ政府のカリフォルニア総督アルヴァラードの支援を受けたジョン・オーガスタ・サッターに売却して、カリフォルニアから撤退した。
 1842年 アシュバートン条約。メーン州でのカナダ・アメリカ国境画定。
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 2016年8月号 Voice「原悦子とフリードリヒ・リスト 渡辺惣樹
 アメリカ流保護貿易思想
 経済学者フリードリヒ・リストは、たしかにドイツ歴史学派の大家である。明治期には自由貿易保護貿易かの論争があり、当時の経済学界ではリストの主張する保護貿易理論を学んだ者が多かった。彼は歴史を振り返りながら、発展段階によっては保護貿易を採用すべきだと主張した。彼自身ドイツ人であり、その著作『政治経済学の国民的体系』(1841年)はドイツ語で発表された。そのため『ドイツ歴史学派』の重鎮とされる。だが彼がその理論を培ったのはアメリカだった。
 リストは1825年6月にペンシルベニア州に移住し、1832年までアメリカで暮らした。このころのアメリカは農業国であった。アメリカの富はイギリスに輸出する綿花によるものだった。独立を成し遂げたとはいえ、まだまだアメリカの工業は幼稚であり、イギリスの工業力の前に立ちすんでいた。当時のアメリカ知識人は、アメリカの将来をいまのままの農業国でいくのか、工業化をめざすのか真剣に悩んでいた。
 こうした知識人のなかに、豊かな天然資源と人的資源の存在をいち早く気付き、アメリカはイギリスに十分に対抗できる工業国に変貌できると信じた一群がいた。マチュー・カレイやヘンリー・クレイがその代表である。彼らは、イギリスの経済学者の説く自由貿易思想をアメリカの方針にしてしまえば、アメリカの工業化は永遠にできないと恐れた。自由貿易理論が正しいと説くイギリスの経済学者アダム・スミスやデイヴィッド・リカードに対抗できる理論を構築しなくてはならなかった。リストは、芽吹き始めたアメリカ流保護貿易思想に強い影響を受けたのである。
 その思想はアメリカンシステムと呼ばれる。高関税政策、関税収入によるインフラ整備(鉄道網、港湾施設、運河)、中央銀行創設がこの思想の核であり、イギリスに対抗できる中央集権的な国家づくりをめざした。リストはこれをドイツに応用した。刺激を受けたプロイセンがドイツを統一し、普仏戦争(1870年)に勝利し強国に変貌を遂げた」   ・   ・   ・   
 1844年 ポーク大統領領は、メキシコ領カリフォルニアで商売をしていたトーマス・ラーキンをアメリカ領事に任命した。
 ラーキン領事は、カリフォルニアをアメリカの領土とするには、テキサス同様に多くのアメリカ人を移住させ、移住者アメリカ人に武器を与えて武装蜂起させて独立させる事であると提案した。
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 1845年 アメリカは、テキサス共和国の住民が合併を希望した為に併合した。
 テキサス型解決策(テキサス・ソリューション)である。
 全住民の過半数を占めたところで、1846年にオレゴン・ワシントン・オレゴン諸州を、1848年にカリフォルニア・ネヴァダ・ユタ・アリゾナ諸州を、多数意見を理由にしてアメリカ領であると宣言した。
 移住者を送って多数派になったところで土地を奪うという手法は、ハワイ王国簒奪でも使用された。
 国際常識では、土地の人口比率でその土地の所有が決められた。
 つまり、日本国内で特定の外国人移住者が日本人よりも多数を占めたとき、その地域は日本ではなくその外国人の国の土地とされた。
 中国が版図を拡大して大国となったのは、中国人の海外移住による。それが、世界の中国化である。
 無防備に移民を受け入れる事は、国内国家を作り出し、ついには国家の消滅につながった。
 中国の土地を奪う、常套法である。
 ジョン・オサリバン「我が国の住民を西へと動かしていく一般的法則の避ける事のでない実現のプロセスで、100年以内に2億5,000万人もの人口に達するアメリカが、アメリカ大陸を占有するのは明白な神意、神の意志なのだ」
 カトリック教会のアイルランド人ユージーン・マクナマラ神父は、カリフォルニアにプロテスタントのメソジスト教徒の入植者が増える事の危機感を抱き、アイルランド人家族2,000世帯約1万人の入植を計画した。
 カトリック教会とプロテスタント各派は、非キリスト教地帯での信者獲得の為に熾烈な布教競争を繰り広げ、それが原因で植民地戦争が各地で起きていた。
 1月 アメリカ大統領ポークは、カリフォルニアを買い取る為に、ジョン・スライデル下院議員をメキシコに派遣した。
 メキシコは、自国領カルフォルニアを確保するべく、イギリスやフランスの介入を期待して買収交渉をノラリクラリと引き延ばした。
 3月 ポーク大統領は、宿願としていたテキサス共和国を合衆国に編入させ、次に狙ったのはメキシコ領カリフォルニアを含む西海岸の領土であった。
 世にいう、テキサス型解決策(テキサス・ソリューション)である。
 奴隷制度廃止派は、奴隷制度を維持するテキサス共和国編入には反対していた。
 イギリスは、東海岸が独立した為に西海岸を手に入れるべく、カナダを運営管理している国策独占会社ハドソン・ベイ会社にオレゴンの運営を任せ、カリフォルニアの獲得に動いていた。
 当時。メキシコ政府は、イギリスの金融資本から5,000万ドルの借金をしていた為に、国益を理由にしてイギリスの要求を拒否できなかった。
 ポーク大統領は、自由と民主主義の理想社会を建設するという責務(明白なる使命)を掲げて、カリフォルニア領有の為にイギリスと極秘で交渉を行っていた。
 アメリカは、アジア市場への参入の為にも太平洋航路を確保する必要があり、その為にも良港サンフランシスコを持つカリフォルニアを獲得せねばならなかった。
 10月 ポーク大統領は、カリフォルニアを奪取するべく、ラーキン領事にテキサス型解決策の実行を命じた。
 ラーキン領事は、カリフォルニアをメキシコから独立させるべく、アメリカ系住民に武装蜂起させ為の武器を渡した。
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 1846年 ビッドル船長のアメリカ船は、日本に来航。
 初頭 アメリカ陸軍将校ジョン・フレモントは、太平洋への道を開発する名目で、60名の完全武装兵士と共にカリフォルニアに入った。
 イギリスは、外国から安価で原材料を輸入する為に、国内農業を保護していた穀物法を廃止した。必要な食糧は、カナダなどの植民地自治国から安価で輸入した。
 アメリカ南部諸州は、単一農産物の大農園を経営し、イギリスに綿花を輸出していた関係から、リカードが唱える国際分業システムを支持していた。
 連邦派は、国内産業を保護育成の為に、輸入製品に関税をかけるという保護貿易政策を訴えた。
 北部諸州は、金融と工業で富を得るべく、連邦政府に対して高関税をかける保護貿易政策の採用を求めた。
 南部諸州は、南部連合を組織して、イギリス製品に高関税をかけると、イギリスは報復関税をかける恐れがあるとして猛反対した。
 4月 ポーク大統領は、メキシコ側の煮え切らない態度に苛立ち、陸海軍にメキシコを恫喝する為に軍事的威嚇を命じた。
 アメリ連邦議会は、メキシコとの戦争には慎重であった。
 4月25日 トーントン事件。メキシコ軍は、アメリカ軍の挑発行為に暴発し、テイラー将軍の偵察部隊を襲撃して、トーントン隊長を負傷させ、16名を死傷者させた。
 国際社会は、最初の一発をどちらが撃つかを重大問題として、それ以前の挑発的軍事行動は問題にしない。
 つまり、相手に犯罪を誘う囮捜査は合法とされた。
 5月13日 アメリカ・メキシコ戦争。 アメリ連邦議会は、卑怯にも騙し撃ちして来たメキシコに対する戦争を、圧倒的多数で承認した。
 上院、40対2。下院、173対14。
 「個」を重視するアメリカは、「集団」的行動を基本とする日本と違って全会一致する事はまず無い。
 6月 アメリカとイギリスは、北緯49度線を国境とするオレゴン協定を結んだ。
 カリフォルニアのアメリカ人入植者30名は、メキシコからの分離独立を要求して武装蜂起した。
 6月14日 アメリカ人反乱軍は、メキシコ軍のソノマ砦を攻略して、アメリカへの併合を目的としてカリフォルニア共和国を樹立した。
 7月 アメリカ海軍のストックトン提督は、カリフォルニアを軍政下に置き、カリフォルニア共和国を解散させた。
 カーニー将軍の指揮するアメリカ陸軍は、地元のアメリカ人入植者の協力を得ながら、メキシコ軍砦を攻撃して占領していった。
 西海岸にいたイギリス軍の軍船は、友好関係にあったメキシコを支援する事なく静観し、決してアメリカ軍の侵略を停めようとしなかった。
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 1847年 ドイツ北西部のルール地方(ドイツ語発言ではルアー)。エッセンにあるツォルフェライン鉱山で石炭の採掘が始まる。
 ドイツに於ける産業革命である。
 ツォルフェライン炭鉱によってルール地方で重工業が発展し、ドイツ帝国は近代国家となった。
 ルール工業地帯を代表するのが、日用品生産の為の鋼鉄の鋳造から事業を興したクルップ社である。
 クルップ社は、蒸気機関車の普及で他国にまで製品が輸出できるようになると、より多額の収益が見込める銃や大砲などの武器や軍需品の大量生産に踏み切った。
 生産を民需から軍需に転換する事で、クルップ社はドイツの鉄鋼会社から国際的財閥にのし上がった。
 ボーフムドルトムントなども発展して、ルール一帯は世界的な工業地帯となった。
 ジーメンス社なども軍需産業に進出し、世界中に武器や軍需品を売る事で富を蓄えていった。
 ドイツに富をもたらしている炭鉱や各種工場では、貧しい労働者が低賃金と過酷な労働環境で酷使されていた。
 戦争が起きれば、敵国軍兵士捕虜が強制労働を強いられた。
 将校はジュネーブ条約で優遇されたが、下士官以下には条約は準用されその処遇は敵国次第であった。
 何故なら、将校は王侯貴族や資産家など社会的地位の高い上流階級出身者が多かったからである。
 ルール地帯の最大の欠点は、周辺の農業地帯には工業地帯に急増する労働人口を賄えるだけの農産物がなく、絶えず食糧不足に陥っていた事である。
 貧しい農村地帯であった為に、農民は仕事を求めて産業労働者となった。
 マルクス主義者は、労働者の権利を守る為に労働組合を結成し、資本家や政府と対立した。
 必要な食糧を確保する為には、薄利多売的な日常品生産より大金が稼げる軍需品を作るしかなかった。
 非人道的な劣悪な労働環境と栄養価の乏しい食事で、敵国軍兵士捕虜は多くが骨と皮になって過労死した。
 戦争がなければ、人種差別から、ユダヤ人や外国人の出稼ぎ労働者、移住者を牛馬の如くこき使った。
 クルップス社などは、ルール工業地帯の利益を守る為に、世界最大の重工業地帯を背景にして中央政府の規制、統制を嫌った自己主張をしていた。
 後年。ヒトラーとナチ党を支持し活動資金を与え、ナチ党政権を財政と軍需で支えたのはルール工業地帯であった。
 その見返りに、数多くのユダヤ人やソ連軍兵士捕虜を労働力として提供してもらい、過労死を承知で奴隷的重労働を強制した。
 ルール工業地帯には、産業革命遺産として世界文化遺産に登録されている遺産群が数多く点在している。
 1月13日 カリフォルニアのメキシコ軍司令官アンドレ・ピコ将軍は、降伏文書に調印し、メキシコ領カリフォルニアはアメリカ軍の占領下に置かれた。カフェンガ条約である。
 9月14日 アメリカ軍は、メキシコ軍を撃破して首都メキシコシティーを占領した。
 アメリカは、敗戦国メキシコとカリフォルニアの領有権の譲渡を強圧に求めた。
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 1848年 マルクスユダヤ人)とエンゲルスは、ユダヤ人バルーフ・レヴィの依頼を受けて1月に『共産党宣言』を発表した。
 経済的反ユダヤ主義が宗教的反ユダヤ主義に取って代わると同時に、格差が広がり固定化した階級社会を改革する革命思想として共産主義プロレタリアート階層に受け入れられた。
 共産主義は、暴力的手段をとって、全ての宗教を破壊し、民族主義を否定し、国際主義による無階級社会という無秩序的理想を実現しようとする過激的主義である。
 社会主義とは、合法的に抵抗勢力を排除しながら労働者独裁体制を実現しようという急進的思想である。 
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 フランスの2月革命の影響で、ドイツやオーストリアで3月革命が起き、革命運動は中欧から全ヨーロッパに拡大した。
 自由主義者や急進派らによる革命運動が中欧から全ヨーロッパに拡大した。
 ユダヤ人リベラルは「ユダヤ人の解放」を掲げて民衆の先頭に立ち、新聞などの報道機関に働くユダヤ人知識人が共産主義革命運動を支持した。
 各国の保守派や右翼は、ユダヤ人が国家転覆の革命をリードしていると見なし、ユダヤ人を社会の破壊者と警戒して、自国の政府に反ユダヤ人政策の強化を求めた。
 中欧のドイツ圏に住んでいた無国籍ユダヤ人は、ヨーロッパの反ユダヤ感情の悪化に身の危険を感じて、より自由な社会を求めてアメリカやイギリスへと逃亡した。
 財産の少ない下層階級の旧移民は、教養と財力を持った新移民に仕事を奪われた為に、家族を養うべくやむなく新天地を求めて西部へと移住した。
 政府は、西部で白人移住者の生活を保障するべく、インディアンなどから土地・自然を奪う為に言葉巧みに300以上の約束や協定を結んでは全て破った。
 軍隊は、インディアンに無理難題の条件を押し付け非人道的差別を繰り返して挑発し、暴動を誘発させた。インディアンが、先祖代々の土地を取り戻す失地回復の暴動を起こせば、白人移住者の生命財産を保護する事を目的に正当防衛としてインディアンを攻撃し、抵抗する者は虐殺した。
 インディアンは、民族の誇りを守る為に戦ったが、敗れ、多くの仲間を戦いの中で失った。勝てないと分かっていても、勝てると盲信して絶望的な戦争を起こした。
 白人の金持ちは、政府が認めた合法的手続きで、インディアンを追い出して無人の大地と主張して所有権を宣言した。インディアンは、合法的に人の住めない不毛の土地に追い遣られ、貧困生活を強いられて多くの者が抵抗する気力を無くして死亡した。
 キリスト教会は、絶望に打ちひしがれているインディアンに、悔い改めて「絶対神の愛」への信仰に目覚めるように諭した。失意のインディアンは、言われるまま盲目的に絶対神への信仰に救いを求めて洗礼を受けた。だが、白人の人種的偏見は絶対不変であった。
 インディアンを強制移住させた保護区に金鉱や石油が発見されるや、金に貪欲な白人資本からは「天から与えられた明白な使命」を理由にして土地を奪った。
 カリフォルニアで金鉱が発見されて、ゴールドラッシュが起きた。
 メキシコ政府は、自国領カリフォルニアをアメリカに奪われない為に大量移住計画を立て、同じカトリック教徒のアイルランド人を送り込もうとした。
 当時のカリフォルニアの人口。先住民インディアン2万4,000人。カトリック教徒スペイン系メキシコ人1万2,000人。プロテスタント各派アメリカ人約500人。
 2月2日 メキシコは、イギリスやフランスの介入を期待したが支援が得られず、カリフォルニア及びその周辺を1,500万ドルで売却する条約に調印した。グアダルーペ・イダルゴ条約である。
 メキシコは、全国土の半分を失った。
 同じ頃、カリフォルニアで金が発見され、ゴールドラッシュが起きた。
 12月5日 ポーク大統領は、カリフォルニアで金が発見された事を発表した。
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 カウフマン「ユダヤ人の同胞にさえ、移民達は歓迎されなかった。イギリスのユダヤ指導者によって1849年に発行された回覧状は、ドイツのユダヤ人に対してイギリスへの移住を制限するよう求めた。1878年に開催されたパリ会議で、アメリカ合衆国ユダヤ人の代表は公式に、ユダヤ人の見境のない移住に警告を発した」(『ユダヤ民族の偉大な時代と思想』)
 1849年 アメリカはハワイと和親条約を結ぶ。
 ゴールドラッシュが起き、貧困層アメリカ人は一攫千金の夢を抱いてカリフォルニアに向かった。
 犯罪者紛いのアメリカ人入植者は、先住民インディアンやメキシコ人から土地を二束三文で奪った。
 カリフォルニアでゴールドラッシュが起きるや、白人労働者はもちろん兵士さえも職場・職務を放棄して金探しの為に山に入った。
 大陸横断鉄道敷設現場でも、労働者の流失で人手不足に陥り、残った労働者は賃金の値上げと生活環境の向上を求めてストライキを起こしていた。
 セントラル・パシフィック鉄道は、ユニオン・パシフィック鉄道との競争に勝つ為に、支那人労働者=苦力の採用に踏み切った。
 清国は、伝統的海禁政策を取っていた為に、許可なく海外に出る事は犯罪行為とみなして厳しく取り締まっていた。
 アメリカ政府も、不法移民を取り締まる為に、1947年と49年にアメリカ商社が苦力貿易に携わる事を禁ず法律を成立させた。ただし、アメリカ国内ではなく、第三国に輸送する事は許可した。
 アメリカ商社は、ペルーなどの中南米諸国に一度輸送してから、移民の為の偽造書類を作ってアメリカに送り込んで利益を上げた。
 中国人苦力は、本人の自由意志で雇用主と契約を結んだ契約移民で、人身売買可能な奴隷ではないとされた。
 対中貿易を行っていたのは、ビック・フォーと呼ばれていたラッセル商社、オリファント商社、オーガスチン・ハード商社、ウエットモーア商社の4商社であった。
 オリファント商社は、イギリスのジャーディン・マセソン商社同様にアヘン売買を行い、中南米への中国人苦力輸送で巨万の富を得ていた。
 最大のアヘン密売業者は、ラッセル商社であった。その経営パートナーは、ニューヨーク商工会議所会頭アビエル・ローであった。        
 ゴールドラッシュによって、ヨーロッパに大量の金が流入して、ロンドン・シティーは、世界金融の中心という立場が揺らいだ。
 南アフリカのオランダ人入植地(ボーア人)で金とダイヤモンドの鉱脈を発見された。 オランダは、イギリスの敵であるフランスとの関係改善を行った。
 イギリスは、金鉱脈を手に入れる為に、ボーア人トランスヴァール共和国オレンジ自由国への圧力を掛けた。
 ボーア人側は、イギリスとの戦争を避ける為に譲れる範囲で最大限の譲歩を行った。
 イギリスは、すでに武力による解決を決めていた為に、如何なる平和的提案も拒絶した。
 ボーア戦争は、イギリスの世界金融一本化という必要悪の為に不可避であった。
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 1850年代 アメリカ各地で、アフリカ系黒人の奴隷市場が開かれていた。ただし、新たにアフリカから強制的に拉致されたのではなく、国内にいる多くの有色人種奴隷がその所有者によって安価な労働力として売買されていたのである。
 ある奴隷の手紙「愛する妻。私はいま競りに出される事を、貴女に悲しみをもって伝えようとしている。……お父さんとお母さんに私の愛情を伝えて欲しい。そして私に代わってサヨナラを言って欲しい。また君に思う。この世界で二度と会えないのならば、天国で会いたいと。ああ、私の愛する妻よ。子供達よ」
 当時、世界の準備金の大半をイングランド銀行ロスチャイルド系銀行が保有していた。
 白人キリスト教徒は、人種差別主義者として、黒人やインディアンやヒスパニックに人権を認めてはいなかった。彼等を、奴隷か下僕の様に死ぬまで重労働を強要した。
 1850年 カリフォルニア州アメリカ連邦に加入。
 逃亡奴隷取締法。
 クレイトン=バルワー条約。パナマをめぐる英米の対立は解消。
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 1852年 ストウ夫人は、『アンクル・トムの小屋』を出版したが、黒人奴隷を家畜の様に扱って死亡させる描写は虚偽であったとされている。
 「黒人奴隷は、牛や馬同様に売買の対象である為に、病気や怪我をさせない様に大事にされたという」
 ヘンリー・カレイは、『イギリス型自由貿易の仕組み』を発表して、イギリス絶対優位の自由貿易体制を非難した。
 ドイツの政治経済学者フレデリック・リストは、ドイツをイギリス以上の工業立国にする為に、カレイが唱えた国内産業を保護育成を優先するアメリカ型保護貿易思想を支持した。
 北部諸州は、南部諸州の綿花プランテーションが黒人奴隷を労働力としている事に目を付けて、わざと奴隷解放を主張した。
 奴隷解放は、南部諸州経済を衰弱させる為の政治的スローガンにすぎず、本心で主張したわけではなかった。
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 1853年 クリミア戦争ロシア帝国は、黒海から地中海に出る航路を手に入れるべく南下政策をとっていた。
 オスマン・トルコ帝国は、ロシア帝国の侵略に備えてクリミア半島を支配した。
 ロシア帝国は、クリミアの「ロシア正教徒保護」を名目として出兵した。
 ドイツ(プロイセン)は、独露提携という国策に従ってロシア寄りの中立を保った。
 11月 ロシア黒海艦隊は、港湾都市に碇泊してトルコ帝国艦隊を奇襲攻撃して壊滅的被害を与えた。
 イギリスは、ロシア帝国の南下から植民地インドを守る為に、フランスと共にトルコ帝国と同盟してロシア帝国に宣戦布告した。
 イギリスとフランスは、「自国民保護」を名目として軍隊を派遣して、ロシア黒海艦隊の基地があるクリミア半島セバストポリを攻撃した。
 1856年 イギリス・フランス連合軍は、激戦の末にセバストポリ軍港都市を占領したが、甚大なる被害を出して戦争を続ける力を失った。
 ロシア帝国も、これ以上の戦争は不可能と判断して講和に同意し、西進及び南進を一時停止して東進に本腰を入れた。
 この時に活躍したのが、「白衣の天使」であるナイチンゲールであった。
 世界文明における社会機構の改善や技術の発展の多くが、戦争の恩恵であった。
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 1853年7月8日 ペリー東インド隊司令官兼遣日特別大使、浦賀に来航。
 1854年3月31日 日米和親条約







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日本の昔ばなし20話 (名作よんでよんで)

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