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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
1846年 ビッドル船長のアメリカ船は、日本に来航。
初頭 アメリカ陸軍将校ジョン・フレモントは、太平洋への道を開発する名目で、60名の完全武装兵士と共にカリフォルニアに入った。
イギリスは、外国から安価で原材料を輸入する為に、国内農業を保護していた穀物法を廃止した。必要な食糧は、カナダなどの植民地自治国から安価で輸入した。
アメリカ南部諸州は、単一農産物の大農園を経営し、イギリスに綿花を輸出していた関係から、リカードが唱える国際分業システムを支持していた。
連邦派は、国内産業を保護育成の為に、輸入製品に関税をかけるという保護貿易政策を訴えた。
北部諸州は、金融と工業で富を得るべく、連邦政府に対して高関税をかける保護貿易政策の採用を求めた。
南部諸州は、南部連合を組織して、イギリス製品に高関税をかけると、イギリスは報復関税をかける恐れがあるとして猛反対した。
4月 ポーク大統領は、メキシコ側の煮え切らない態度に苛立ち、陸海軍にメキシコを恫喝する為に軍事的威嚇を命じた。
アメリカ連邦議会は、メキシコとの戦争には慎重であった。
4月25日 トーントン事件。メキシコ軍は、アメリカ軍の挑発行為に暴発し、テイラー将軍の偵察部隊を襲撃して、トーントン隊長を負傷させ、16名を死傷者させた。
国際社会は、最初の一発をどちらが撃つかを重大問題として、それ以前の挑発的軍事行動は問題にしない。
つまり、相手に犯罪を誘う囮捜査は合法とされた。
5月13日 アメリカ・メキシコ戦争。 アメリカ連邦議会は、卑怯にも騙し撃ちして来たメキシコに対する戦争を、圧倒的多数で承認した。
上院、40対2。下院、173対14。
「個」を重視するアメリカは、「集団」的行動を基本とする日本と違って全会一致する事はまず無い。
6月 アメリカとイギリスは、北緯49度線を国境とするオレゴン協定を結んだ。
カリフォルニアのアメリカ人入植者30名は、メキシコからの分離独立を要求して武装蜂起した。
6月14日 アメリカ人反乱軍は、メキシコ軍のソノマ砦を攻略して、アメリカへの併合を目的としてカリフォルニア共和国を樹立した。
7月 アメリカ海軍のストックトン提督は、カリフォルニアを軍政下に置き、カリフォルニア共和国を解散させた。
カーニー将軍の指揮するアメリカ陸軍は、地元のアメリカ人入植者の協力を得ながら、メキシコ軍砦を攻撃して占領していった。
西海岸にいたイギリス軍の軍船は、友好関係にあったメキシコを支援する事なく静観し、決してアメリカ軍の侵略を停めようとしなかった。
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1847年 ドイツ北西部のルール地方(ドイツ語発言ではルアー)。エッセンにあるツォルフェライン鉱山で石炭の採掘が始まる。
ドイツに於ける産業革命である。
ツォルフェライン炭鉱によってルール地方で重工業が発展し、ドイツ帝国は近代国家となった。
ルール工業地帯を代表するのが、日用品生産の為の鋼鉄の鋳造から事業を興したクルップ社である。
クルップ社は、蒸気機関車の普及で他国にまで製品が輸出できるようになると、より多額の収益が見込める銃や大砲などの武器や軍需品の大量生産に踏み切った。
生産を民需から軍需に転換する事で、クルップ社はドイツの鉄鋼会社から国際的財閥にのし上がった。
ボーフムやドルトムントなども発展して、ルール一帯は世界的な工業地帯となった。
ジーメンス社なども軍需産業に進出し、世界中に武器や軍需品を売る事で富を蓄えていった。
ドイツに富をもたらしている炭鉱や各種工場では、貧しい労働者が低賃金と過酷な労働環境で酷使されていた。
戦争が起きれば、敵国軍兵士捕虜が強制労働を強いられた。
将校はジュネーブ条約で優遇されたが、下士官以下には条約は準用されその処遇は敵国次第であった。
何故なら、将校は王侯貴族や資産家など社会的地位の高い上流階級出身者が多かったからである。
ルール地帯の最大の欠点は、周辺の農業地帯には工業地帯に急増する労働人口を賄えるだけの農産物がなく、絶えず食糧不足に陥っていた事である。
貧しい農村地帯であった為に、農民は仕事を求めて産業労働者となった。
マルクス主義者は、労働者の権利を守る為に労働組合を結成し、資本家や政府と対立した。
必要な食糧を確保する為には、薄利多売的な日常品生産より大金が稼げる軍需品を作るしかなかった。
非人道的な劣悪な労働環境と栄養価の乏しい食事で、敵国軍兵士捕虜は多くが骨と皮になって過労死した。
戦争がなければ、人種差別から、ユダヤ人や外国人の出稼ぎ労働者、移住者を牛馬の如くこき使った。
クルップス社などは、ルール工業地帯の利益を守る為に、世界最大の重工業地帯を背景にして中央政府の規制、統制を嫌った自己主張をしていた。
後年。ヒトラーとナチ党を支持し活動資金を与え、ナチ党政権を財政と軍需で支えたのはルール工業地帯であった。
その見返りに、数多くのユダヤ人やソ連軍兵士捕虜を労働力として提供してもらい、過労死を承知で奴隷的重労働を強制した。
ルール工業地帯には、産業革命遺産として世界文化遺産に登録されている遺産群が数多く点在している。
1月13日 カリフォルニアのメキシコ軍司令官アンドレ・ピコ将軍は、降伏文書に調印し、メキシコ領カリフォルニアはアメリカ軍の占領下に置かれた。カフェンガ条約である。
9月14日 アメリカ軍は、メキシコ軍を撃破して首都メキシコシティーを占領した。
アメリカは、敗戦国メキシコとカリフォルニアの領有権の譲渡を強圧に求めた。
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1848年 マルクス(ユダヤ人)とエンゲルスは、ユダヤ人バルーフ・レヴィの依頼を受けて1月に『共産党宣言』を発表した。
経済的反ユダヤ主義が宗教的反ユダヤ主義に取って代わると同時に、格差が広がり固定化した階級社会を改革する革命思想として共産主義がプロレタリアート階層に受け入れられた。
共産主義は、暴力的手段をとって、全ての宗教を破壊し、民族主義を否定し、国際主義による無階級社会という無秩序的理想を実現しようとする過激的主義である。
社会主義とは、合法的に抵抗勢力を排除しながら労働者独裁体制を実現しようという急進的思想である。
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フランスの2月革命の影響で、ドイツやオーストリアで3月革命が起き、革命運動は中欧から全ヨーロッパに拡大した。
自由主義者や急進派らによる革命運動が中欧から全ヨーロッパに拡大した。
ユダヤ人リベラルは「ユダヤ人の解放」を掲げて民衆の先頭に立ち、新聞などの報道機関に働くユダヤ人知識人が共産主義革命運動を支持した。
各国の保守派や右翼は、ユダヤ人が国家転覆の革命をリードしていると見なし、ユダヤ人を社会の破壊者と警戒して、自国の政府に反ユダヤ人政策の強化を求めた。
中欧のドイツ圏に住んでいた無国籍ユダヤ人は、ヨーロッパの反ユダヤ感情の悪化に身の危険を感じて、より自由な社会を求めてアメリカやイギリスへと逃亡した。
財産の少ない下層階級の旧移民は、教養と財力を持った新移民に仕事を奪われた為に、家族を養うべくやむなく新天地を求めて西部へと移住した。
政府は、西部で白人移住者の生活を保障するべく、インディアンなどから土地・自然を奪う為に言葉巧みに300以上の約束や協定を結んでは全て破った。
軍隊は、インディアンに無理難題の条件を押し付け非人道的差別を繰り返して挑発し、暴動を誘発させた。インディアンが、先祖代々の土地を取り戻す失地回復の暴動を起こせば、白人移住者の生命財産を保護する事を目的に正当防衛としてインディアンを攻撃し、抵抗する者は虐殺した。
インディアンは、民族の誇りを守る為に戦ったが、敗れ、多くの仲間を戦いの中で失った。勝てないと分かっていても、勝てると盲信して絶望的な戦争を起こした。
白人の金持ちは、政府が認めた合法的手続きで、インディアンを追い出して無人の大地と主張して所有権を宣言した。インディアンは、合法的に人の住めない不毛の土地に追い遣られ、貧困生活を強いられて多くの者が抵抗する気力を無くして死亡した。
キリスト教会は、絶望に打ちひしがれているインディアンに、悔い改めて「絶対神の愛」への信仰に目覚めるように諭した。失意のインディアンは、言われるまま盲目的に絶対神への信仰に救いを求めて洗礼を受けた。だが、白人の人種的偏見は絶対不変であった。
インディアンを強制移住させた保護区に金鉱や石油が発見されるや、金に貪欲な白人資本からは「天から与えられた明白な使命」を理由にして土地を奪った。
カリフォルニアで金鉱が発見されて、ゴールドラッシュが起きた。
メキシコ政府は、自国領カリフォルニアをアメリカに奪われない為に大量移住計画を立て、同じカトリック教徒のアイルランド人を送り込もうとした。
当時のカリフォルニアの人口。先住民インディアン2万4,000人。カトリック教徒スペイン系メキシコ人1万2,000人。プロテスタント各派アメリカ人約500人。
2月2日 メキシコは、イギリスやフランスの介入を期待したが支援が得られず、カリフォルニア及びその周辺を1,500万ドルで売却する条約に調印した。グアダルーペ・イダルゴ条約である。
メキシコは、全国土の半分を失った。
同じ頃、カリフォルニアで金が発見され、ゴールドラッシュが起きた。
12月5日 ポーク大統領は、カリフォルニアで金が発見された事を発表した。
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カウフマン「ユダヤ人の同胞にさえ、移民達は歓迎されなかった。イギリスのユダヤ指導者によって1849年に発行された回覧状は、ドイツのユダヤ人に対してイギリスへの移住を制限するよう求めた。1878年に開催されたパリ会議で、アメリカ合衆国のユダヤ人の代表は公式に、ユダヤ人の見境のない移住に警告を発した」(『ユダヤ民族の偉大な時代と思想』)
1849年 アメリカはハワイと和親条約を結ぶ。
ゴールドラッシュが起き、貧困層のアメリカ人は一攫千金の夢を抱いてカリフォルニアに向かった。
犯罪者紛いのアメリカ人入植者は、先住民インディアンやメキシコ人から土地を二束三文で奪った。
カリフォルニアでゴールドラッシュが起きるや、白人労働者はもちろん兵士さえも職場・職務を放棄して金探しの為に山に入った。
大陸横断鉄道敷設現場でも、労働者の流失で人手不足に陥り、残った労働者は賃金の値上げと生活環境の向上を求めてストライキを起こしていた。
セントラル・パシフィック鉄道は、ユニオン・パシフィック鉄道との競争に勝つ為に、支那人労働者=苦力の採用に踏み切った。
清国は、伝統的海禁政策を取っていた為に、許可なく海外に出る事は犯罪行為とみなして厳しく取り締まっていた。
アメリカ政府も、不法移民を取り締まる為に、1947年と49年にアメリカ商社が苦力貿易に携わる事を禁ず法律を成立させた。ただし、アメリカ国内ではなく、第三国に輸送する事は許可した。
アメリカ商社は、ペルーなどの中南米諸国に一度輸送してから、移民の為の偽造書類を作ってアメリカに送り込んで利益を上げた。
中国人苦力は、本人の自由意志で雇用主と契約を結んだ契約移民で、人身売買可能な奴隷ではないとされた。
対中貿易を行っていたのは、ビック・フォーと呼ばれていたラッセル商社、オリファント商社、オーガスチン・ハード商社、ウエットモーア商社の4商社であった。
オリファント商社は、イギリスのジャーディン・マセソン商社同様にアヘン売買を行い、中南米への中国人苦力輸送で巨万の富を得ていた。
最大のアヘン密売業者は、ラッセル商社であった。その経営パートナーは、ニューヨーク商工会議所会頭アビエル・ローであった。
ゴールドラッシュによって、ヨーロッパに大量の金が流入して、ロンドン・シティーは、世界金融の中心という立場が揺らいだ。
南アフリカのオランダ人入植地(ボーア人)で金とダイヤモンドの鉱脈を発見された。 オランダは、イギリスの敵であるフランスとの関係改善を行った。
イギリスは、金鉱脈を手に入れる為に、ボーア人のトランスヴァール共和国とオレンジ自由国への圧力を掛けた。
ボーア人側は、イギリスとの戦争を避ける為に譲れる範囲で最大限の譲歩を行った。
イギリスは、すでに武力による解決を決めていた為に、如何なる平和的提案も拒絶した。
ボーア戦争は、イギリスの世界金融一本化という必要悪の為に不可避であった。
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1850年代 アメリカ各地で、アフリカ系黒人の奴隷市場が開かれていた。ただし、新たにアフリカから強制的に拉致されたのではなく、国内にいる多くの有色人種奴隷がその所有者によって安価な労働力として売買されていたのである。
ある奴隷の手紙「愛する妻。私はいま競りに出される事を、貴女に悲しみをもって伝えようとしている。……お父さんとお母さんに私の愛情を伝えて欲しい。そして私に代わってサヨナラを言って欲しい。また君に思う。この世界で二度と会えないのならば、天国で会いたいと。ああ、私の愛する妻よ。子供達よ」
当時、世界の準備金の大半をイングランド銀行とロスチャイルド系銀行が保有していた。
白人キリスト教徒は、人種差別主義者として、黒人やインディアンやヒスパニックに人権を認めてはいなかった。彼等を、奴隷か下僕の様に死ぬまで重労働を強要した。
1850年 カリフォルニア州はアメリカ連邦に加入。
逃亡奴隷取締法。
クレイトン=バルワー条約。パナマをめぐる英米の対立は解消。
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1852年 ストウ夫人は、『アンクル・トムの小屋』を出版したが、黒人奴隷を家畜の様に扱って死亡させる描写は虚偽であったとされている。
「黒人奴隷は、牛や馬同様に売買の対象である為に、病気や怪我をさせない様に大事にされたという」
ヘンリー・カレイは、『イギリス型自由貿易の仕組み』を発表して、イギリス絶対優位の自由貿易体制を非難した。
ドイツの政治経済学者フレデリック・リストは、ドイツをイギリス以上の工業立国にする為に、カレイが唱えた国内産業を保護育成を優先するアメリカ型保護貿易思想を支持した。
北部諸州は、南部諸州の綿花プランテーションが黒人奴隷を労働力としている事に目を付けて、わざと奴隷解放を主張した。
奴隷解放は、南部諸州経済を衰弱させる為の政治的スローガンにすぎず、本心で主張したわけではなかった。
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1853年 クリミア戦争。ロシア帝国は、黒海から地中海に出る航路を手に入れるべく南下政策をとっていた。
オスマン・トルコ帝国は、ロシア帝国の侵略に備えてクリミア半島を支配した。
ロシア帝国は、クリミアの「ロシア正教徒保護」を名目として出兵した。
ドイツ(プロイセン)は、独露提携という国策に従ってロシア寄りの中立を保った。
11月 ロシア黒海艦隊は、港湾都市に碇泊してトルコ帝国艦隊を奇襲攻撃して壊滅的被害を与えた。
イギリスは、ロシア帝国の南下から植民地インドを守る為に、フランスと共にトルコ帝国と同盟してロシア帝国に宣戦布告した。
イギリスとフランスは、「自国民保護」を名目として軍隊を派遣して、ロシア黒海艦隊の基地があるクリミア半島セバストポリを攻撃した。
1856年 イギリス・フランス連合軍は、激戦の末にセバストポリ軍港都市を占領したが、甚大なる被害を出して戦争を続ける力を失った。
ロシア帝国も、これ以上の戦争は不可能と判断して講和に同意し、西進及び南進を一時停止して東進に本腰を入れた。
この時に活躍したのが、「白衣の天使」であるナイチンゲールであった。
世界文明における社会機構の改善や技術の発展の多くが、戦争の恩恵であった。
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1853年7月8日 ペリー東インド艦隊司令官兼遣日特別大使、浦賀に来航。
1854年3月31日 日米和親条約。
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- 作者:西本鶏介
- 発売日: 2011/08/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)