🔯51」─1・B─同じ太陽神の子孫でも、インカ皇帝(男性神)は惨殺され、日本天皇(女性神)は生き残った。~No.181 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 異教徒・異端者に対する虐殺は、中世キリスト教原理主義者が行った宗教的神聖な使命であって、現代のキリスト教を信仰するスペイン人やポルトガル人とは無関係である。
 如何なる宗教にも、陰湿・陰険、偏狂、凶暴、凶悪な原理主義が内在されている。
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 岩田温『人種差別から読み解く大東亜戦争』 彩図社
 「第一章 大東亜戦争と人種差別
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 第二章 世界侵略を正当化した人種差別思想
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 第三章 アフリカ、インカ、アメリカの悲劇
 アフリカの奴隷貿易
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 アメリカにおける黒人差別
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 インカ帝国、断末魔の声
 マチュピチュ
 アンデス山脈に連なるウルバンバ渓谷の山間、静謐な山の頂に築かれた『空中都市』は、多くに人々を魅了してやみません。山の頂上に築かれた堅牢な石製建造物群は確かに驚嘆に値しますし、何より美しいものです。吸い込まれるような青空、草木の新緑、そして神秘的な建造物。何とも形容しがたく、犯しがたい気品に満ちた絶景といってよいでしょう。一度は訪れてみたいと願う人々が世界中に存在しているのは当然だともいえます。
 しかし、この神秘的なマチュピチュを作り上げたインカ帝国、インカ文明の盛衰の歴史を知る人は少ないのではないでしょうか。マチュピチュの南東に位置するクスコに首都を置いたインカ帝国は、南米大陸の太平洋沿岸部を制した巨大な帝国であり、1つの特異な文明を築き上げていました。その文明を『特異な』と形容したのは、私自身の思い付きではありません。驚くべきことに、我々の一般的な通年からすれば、『文字』、『鉄』、『車輪』が存在していないかったのです。我々の一般的な通念からすれば、『文字』、『鉄』、『車輪』を持たない国家が高度な文明を築き上げることは困難なことです。しかし、インカ帝国は自らの力でマチュピチュのような壮麗かつ堅牢な石製建造物を築き上げていたのです。
 思いつくままに何点かインカ帝国の興味深い点を列挙してみることにしましょう。
 インカの民は太陽神インティを崇拝し、インカ皇帝をインティの子孫と信じていました。すなわち、インカ皇帝とは民を統べる王であり、民の平安を祈る王でもあったのです。宗教の式典の際には、トウモロコシから作られた『チチャ』という酒が神に捧げられていたといいます。まあ、『インカ道』と呼ばれる道路網も興味深いものです。帝国内のありとあらゆる場所に首都であるクスコにいたる『インカ道』が敷設されていたのです。要所には『タンポ』と呼ばれる宿駅も設置されており、インカ皇帝の命令は、直ちに帝国内全土に布告されることになっていました。インカ帝国は野蛮な国家などではなく極めて独特で、高度な文明を誇った帝国だったのです。
 隆盛を誇ったインカ帝国の滅亡は突然おとずれます。
 西暦1530年頃、インカ帝国は内乱状態に陥っていました。第11代インカ皇帝ワイサ・カパックの死後、帝位継承をめぐって、ワスカルとアタワルパの二人の王子が争っていたのです。結局アタワルパがワスカルを制し、第12代インカ皇帝に就任します。ちょうどこの頃、インカ帝国には招かれざる客人たちが到来していました。フランシスコ・ピサロの率いるスペイン人たちです。
 1532年10月16日、アタワルパはピサロと会見するためにカハマルカに到着します。ピサロは総勢200名に満たない手勢のみを率いていましたが、事前に周到な罠を仕掛けていました。すなわち、カハマルカの広場付近に銃を装備し、戦闘準備の整った部下を潜ませていたのです。罠の存在など露知らずアタワルパはピサロとの会見に臨みます。このとき、突如、ドミニコ会バルベルデが、通訳を介して、キリスト教への帰依とスペイン王権への服従とをアタワルパに勧告します。このときバルベルデは一冊のキリスト教の書物をアタワルパに差し出しました。突然の無礼極まりない勧告に対し、アタワルパは峻拒(しゅんきょ)し、書物を投げ出します。このときにアタワルパが書物を投げ出したのは、無礼極まりない突然の勧告に怒ったからなのでしょうが、その他にも理由があったといいます。それはピサロとの会見に先立って行われたスペイン人の謁見の際の彼らの無礼な態度です。スペイン人たちはアタワルパが差し出した盃を投げ捨て、まみまみと注がれていたチチャが宙に飛び散ったのです。アタワルパは自らの差し出した盃を投げ捨てられたことに屈辱を感じていたのだといいます。
 さて、キリスト教徒に改宗することも、スペイン王権に服従することも潔しとしなかったアタワルパに対し、スペイン人たちが躍(おど)りかかります。ピサロが潜ませておいた兵士たちが発砲し、騎兵がインカ兵に突撃を敢行したのです。あまりに突然の攻撃に対し、アタワルパ率いるインカ兵たちは為す術もありませんでした。突然の攻撃に狼狽した兵士たちは潰走(かいそう)し、アタワルパ自身は捕らえられてしまいます。
 囚われの身となったアタワルパに対し、ピサロは莫大な身代金を要求します。身代金を求められたアタワルパは、全国の配下たちに金銀の拠出を命じ、たちどころに金銀がアタワルパの下に届けられます。アタワルパやインカ帝国の人びとは、スペイン人たちが余りに金銀に執着する様を眺め、理解に苦しんだといいます。彼らは、スペイン人たちが何故にさほどに金銀に執着するのかがわからなかった。インカの民の間では『白人は金を食料にしている』との噂まで囁かれたといいます。
 脅迫にも等しいスペイン人の身代金の要求に対し、アタワルパは金銀を以て応えました。しかし、ピサロたちはこうしたアタワルパの反応に、誠実に応えようとはしなかったのです。アタワルパがスペイン人に対する謀反を企てていると決めつけ、アタワルパを処刑してしまうのです。無論、アタワルパは謀反など全く企画していなかったのは、いうまでもありません。そもそも、謀反も何も、インカ帝国はそもそもアタワルパの統治している帝国であり、インカ帝国の皇帝がスペイン人に『謀反を起こしている』などと決めつけることの方が異常です。しかし、スペイン人たちは、全くの虚偽からなる『反逆罪』を捏造し、一帝国の皇帝を殺害したのです。
 アタワルパの死後、インカ帝国の統治を円滑に行うため、ピサロは傀儡政権を設置します。第11代皇帝ワイサ・カパックの息子マンコ・インカをインカ皇帝として即位させたのです。傀儡皇帝であったマンコ・インカは、何度となくスペイン人に裏切られることになります。スペイン人たちは、マンコ・インカに『反逆罪』などの罪を着せ、彼を拉致し、莫大な金銀を要求したのです。
 マンコ・インカの息子、ティトゥ・クシ・ユパンギはその著『インカの反乱』において、彼の父の言葉を記しています。
 あるとき、マンコ・インカがスペイン人に向かって語りかけた言葉です。

 『私は心から君たちに好意を寄せ、友人になりたいと願って数々の親切をしてきたのに、君たちはそれをすっかり忘れ去り、わずかばかりの銀のために私の願いを無視し、挙句の果て、君たちの飼っている犬に対するよりも酷い仕打ちを加えたのだ。……(略)……結局、銀を欲するあまり、君たちは私と私の国のすべての人びとの友情を失い、一方、私や私の部下は君たちの執拗な責め立てや甚だしい欲望のために宝石や財産を失った』(ティトゥ・クシ・ユパンギ『インカの反乱』岩波文庫

 結局、マンコ・インカは、自らがもてなした7人のスペイン人の客人の罠に嵌められ、殺害されてしまいます。ビトコスという村にある館で、彼がスペイン人とともに鉄輪投げの遊びに興じていると、突如スペイン人は凶器を取り出し、マンコ・インカに襲いかかったのです。斬りつけられたマンコ・インカは死に至る怪我を負うことになります。この後、彼が息子を前にして遺した言葉も『インカの反乱』には記録されています。

 『何があっても、決してあの連中の言うことを信じてはならない。この命令を守れば、私にふりかかったような災難を受けずにすむだろう。たとえ連中が言葉巧みに言い寄ってきても、決して彼らをここへ入れてはならない。私は彼らの甘言に騙された。だから、もし連中の話を信じれば、同じように、お前も欺かれるだろう』(ユパンギ 前掲書)

 インカ帝国の皇帝は、スペイン人たちの襲来により、権力を失い、国家を失うことになるのです。
 スペイン人たちの犯罪行為は、当然のことながら、インカ帝国の支配者に対するものばかりではありませんでした。彼らはインカ帝国の住民から徹底的に搾取し、虐待し、殺戮したのです。
 『極悪非道』としか形容の出来ないスペイン人の犯罪を記し続けた1人の聖職者がいました。その名をラサ・カサスといいます。従軍司祭として戦に参加したラサ・カサスは、スペイン人のインディオに対する過酷な扱いを目の当たりにします。そのとき、彼は、激しい良心の呵責を感じるようになったのです。彼はインディオに関する幾つもの著作を遺していますが、その中でも最も有名なのが『インディアスの破壊についての簡潔な報告』です。本書は極めて簡潔な報告ですが、その叙述にはラサ・カサスの激しい憤りが含まれています。本書からは、傍若無人なスペイン人に虐げられたインディオの嘆き、義憤に駆られたラサ・カサスの情熱的な訴えが聞こえてきます。
 キリスト者であるラサ・カサスは、キリスト教徒に関しても激しい批判の声をあげています。

 『この40年間にキリスト教徒たちの暴虐的で極悪無慙な所業のために男女、子供合わせて1,200万人以上の人が残虐非道にも殺されたのはまったく確かなことである。それどころか、私は、1,500万人以上のインディオが犠牲になったと言っても、真実間違いではないと思う』(ラサ・カサス 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』岩波文庫

 『実際、キリスト教徒たちはこの人たちを畜生にも劣るとみなし、粗末に扱ってきた(もし彼らがこの人たちを家畜とみなし、扱っていたら、まだましであったであろう)。それどころか、彼らはこの人たちを広場に落ちている糞か、それ以下のものとしか考えていなかった』(ラサ・カサス 前掲書)

 『家畜』以下の『広場に落ちている糞』として扱われたインディオたちの悲惨な真実、逆に言えば、スペイン人たちの為した余りに残虐な行い、これらが生々しく列挙されている本書を読むのは実に陰鬱な作業です。正直にいえば、本書は、読んでいるのが辛くなってしまうような叙述ばかりで埋め尽くされています。しかし、夥しい流血と人間に為したとは思われない虐待の数々は、植民地支配の真実の一面でもあり、科学技術が飛躍的に進展した近代の持つ負の遺産でもあります。過酷な真実に真っ直ぐに向き合う勇気が必要なのでしょう。
 ……

 『……』

 信じがたいほどの残虐な行為ですが、これがインカ帝国においてスペイン人たちが為した残虐な行いの真実なのです。
 スペイン人の過酷な仕打ちい耐えかねて、スペイン人から逃げ回っていたある島の領主は、スペイン人に捕らえられると、生きたまま火あぶりに処せられることになりました。最期にキリスト教聖職者は、その領主にキリスト教への改宗を迫ります。キリスト教へ改宗すれば、栄光と永遠の安らぎのある天国へ向かい、改宗せぬままに死ねば、地獄に落ち、果てしない責苦を味わうことになると説いたのです。この聖職者に対し、領主はたった1つだけ質問をします。それは、彼のいう『天国』にキリスト教徒たちが存在するのかというものでした。キリスト者として聖職者は、正しい人々は天国に召されると返答します。聖職者の返答を受け、領主は改宗を拒絶します。彼は、その理由として、二度と残虐なキリスト教徒に会いたくないから答えたといいます。傍若無人、残虐なキリスト教徒に会いながら天国で暮らすよりも、キリスト教徒のいない地獄へ行った方がましであるというのが、その領主の考えだったのです。
 ラサ・カサスの叙述から見えてくるスペイン人たちの冷酷無比な暴虐の数々こそ、世界中の植民地の真実に他ならないのです。欧米人たちは、徹底した人種差別、宗教差別によって植民地の人びとを苦しめたのです。
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 第四章 奴隷貿易と無縁ではなかった日本
 豊臣秀吉キリスト教
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 売られていく日本人
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 滅亡したインカ帝国と生き残った日本との違いは、キリスト教追放と限定的鎖国政策であり、強力な軍事力であった。
 インカ人は、戦争を避け平和を求めて、白人キリスト教徒の奴隷となる事を受け入れた。
 日本民族日本人は、奴隷になる事を拒絶し、日本の平和を守る為の戦争を厭わなかった。
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 江戸時代の日本は、数十万人の大軍を海を越えて派遣できる軍事力から、世界七大帝国の1つと恐れられていた。
 スペイン王国ポルトガル王国、イギリス王国やオランダにも、大艦隊を持っていても数十万人の軍事力はなかったし、大部隊を海を越えて他国に送るだけの輸送力がなかった。
 フランス王国神聖ローマ帝国(ドイツ)は、数十万人の軍事力はあっても、大艦隊を持っていなかった。
 キリスト教諸国が恐れた、オスマン・トルコ帝国やペルシャ帝国なのモンゴル帝国の後継者達も数十万人の軍事力を持っていても大海軍を持っていなかった。
 それは、中華帝国も同様であった。
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 インカ皇帝は、太陽神インティの子孫であった。
 日本天皇は、女性神天照大神の子孫であった。
 絶対神の真理を広める事を神聖な使命とするキリスト教会は、「隣人愛の信仰」を拒絶するインカ皇帝や日本天皇は一族もろともに皆殺しにし、悪魔を信仰する異端民族は地上から消し去るべきだと信じていた。
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 日本民族日本人は、中華圏諸民族(漢族=中国人や朝鮮人)とは違うし、ユダヤ民族とも違い、どちらかというとインカ人やハワイ人などの太平洋島嶼人に似ている。
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 シベリヤから、南下した縫い針の極寒モンゴロイドは釣針の海原モンゴロイドと草原モンゴロイドと混血して土器の縄文人となった。
 シベリヤから、西に移動してベーリング海を渡った極寒モンゴロイドは、さらに北米大陸を南下し、中米のユカタン半島でアステカ人となり、南米のアンデスでインカ人となった。
 縄文人の子孫である日本民族日本人は、極寒モンゴロイドの子孫であるアステカ人やインカ人、インディアン、インディオと繋がっている。
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 日本は、草原モンゴロイドの子孫である中華(中国・朝鮮)を敬して遠ざけ、物の交易をしても人の交流をしなかった事で、静かな平和と豊かな発展を手に入れた。
 江戸時代の日本人は、疑り深かった為、中国人や朝鮮人の発言をけっして信用しなかった。
 「朝鮮通信使は友好の使節だった」とは、真っ赤な嘘である。
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 反日派敵日派の韓国・北朝鮮中国共産党が告発し証明しようとしている「日本の極悪非道な植民地支配」の実像は、キリスト教徒がアジア・アフリカそしてアメリカ大陸で行った虐殺行為にどことなく似ているところがある。
 もしそうなら、彼らの考え、想像力、発想力、空想力幼児以下である。
 韓国人・朝鮮人中国共産党政府の日本批判に賛同し協力する日本人の思考力も、同レベルである。
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 現代日本人は、脳天気で、お気楽な、そして無神経で、薄情で、心が冷たく、心が歪んだ日本人である。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒によって、日本人が祖先が奴隷として売られた事を意図的に忘れ、奴隷として売られた日本人の身内がキリスト教を禁止し、キリシタンを弾圧した事を非人道的罪であったと認め謝罪している。
 そうした日本人だから、中世キリスト教会と白人キリスト教徒がアフリカや南北アメリカ大陸で行った事から目を逸らし、虐殺の末に滅ぼされた先住民のインカのアンデスユカタン半島のアステカの廃墟・遺跡を観光で訪れて感激している。
 「日本人が世界で愛され、信用されている」とは、悪い冗談である。
 現代の日本人は、白人の西洋キリスト教文明史観を神聖不可侵の原理原則と受け入れ、日本人が奴隷として売られた事を忘れ、アフリカから奴隷として売られた黒人や南北アメリカ大陸での原住民大虐殺から、意識的に目を逸らしている。
 それは、敗戦国日本に押し付けられた西洋キリスト教文明史観とマルクス主義共産主義)史観、そして1980年代頃の近隣諸国から強要された日本人極悪非道の重罪人史観(自虐史観)による反戦平和の歴史教育の賜物である。
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 アメリカ・GHQとソ連共産主義者は、キリスト教の宗教侵略と西洋列強及び近隣諸国の武力侵略から日本を守る為の戦争あったという、自衛権を主張する全ての書籍を廃棄処分した。
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 中世キリスト教会と現代キリスト教会は、別のキリスト教会である。
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 キリスト教会は、白人キリスト教徒が行ったアフリカ人奴隷売買や南北アメリカ大陸大虐殺を認めても、日本人奴隷売買を認めず、日本人が行ったキリシタン弾圧の罪を訴えている。
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 日本人は、キリスト教徒でもないのに、結婚式を教会で挙げる事に憧れ、クリスマスなどキリスト教の祭りを感激して祝う。
 だが、誰1人として日本人が奴隷として売られた事に思いを至らない。
 それどころか、豊臣秀吉の日本人奴隷売買を禁止する公文書が存在しているに、誰1人真剣に読もうともしなければ、目を向ける日本人もいなかった。
 徳川幕府が、キリスト教を禁止し、キリシタンを弾圧し、限定的鎖国政策を行った事を非難する日本人も後を絶たない。
 外国人であれば仕方ないとしても、日本人であれば許されない。
 まして、日本人奴隷交易を行ったのが中世キリスト教徒である以上、日本人キリスト教徒は知っているはずであり、知らないとあれば無知蒙昧というしかない。
 日本人奴隷売買の歴史的事実を抹消した上で、日本民族日本人と天皇制度に対する非難中傷を叫ぶ日本人キリスト教徒は「人にあるまじき輩」である。
 それが、学校の先生、教育専門家、教育関係者ならなおさら罪は重い。
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 現代日本人の性根は、非情、薄情、冷淡、冷酷である。
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 現代日本人は、作家が書く作り話としての時代劇を好んで読むが、先祖が残した歴史は嫌いである。
 自分に都合のいい話は取り上げるが、都合の悪い話は切り捨てる。
 それが、戦後、現代の日本史である。
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 現代日本人から立ち上る体臭は、吐き気が出るような悪臭でしかない。
 特に、日本民族日本人を否定する人権派日本人や天皇制度廃絶を訴える良心的日本人は、同じ日本人とは思えないほどの救いがたい消臭できない悪臭に包まれている。
 中国共産党政府など近隣諸国に媚びへつらい、歓心を買って褒められて有頂天に喜んで浮かれる哀れな日本人。
 消せない悪臭を撒き散らしている反天皇反日的日本人が、高学歴出身知的エリートで、その悪臭は日本民族日本人を失神させるどころか殺すほどに強烈な毒ガスである。
 現代日本には、そうした猛毒な悪臭を撒き散らす日本人が少なからず存在し、社会的地位をえて影響力ある活動をしている。
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 だが、日本をことさら美化する右翼・右派・ネットウヨは、最も嫌悪すべき「下劣な輩」である。


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