- 作者:国本 伊代
- 発売日: 2008/06/01
- メディア: 単行本
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日露戦争で、ロシアの大軍を新興弱小国の日本が援軍を得る事なく一国で撃破した事は、非白人諸国では偉大な歴史的勝利と讃えていた。
日露戦争に於ける日本軍の勝利は、欧米列強の圧力に苦しむ諸外国や白人の奴隷として苦役を強いられている植民地の人間にとっては、希望の星であった。
日本は、欧米列強・白人に屈しない憧れとしての「希望の星」であった。
日露戦争は、歴史的偉業の戦争であった。
非白人にとって、正しい戦争であった。
白人と非白人による平和的人道的な話し合いでは、帝国主義による植民地支配や奴隷待遇は解消される事はなかった。
日露戦争だけが、それを可能にした。
日本の軍事力は、正しかった。
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1914年1月 日本の軍艦がメキシコに到着するや、メキシコは友邦国日本が訪問してくれたとして熱烈に歓迎した。
三井物産は、メキシコの石油開発権を獲得する為に、武器弾薬などを売り込む極秘の商談を進めていた。
アメリカは、メキシコ油田の国有化を阻止すると共に、イギリスと共同で日本やドイツ帝国などの介入を排除しようとしていた。
アメリカのオショーネッシー駐メキシコ大使は、日本がウエルタ政権に財政援助と武器供与し国政に干渉していると報告した。
イギリスの駐メキシコ公使カルデン卿は、メキシコでの権益を拡大する為に、日本がアメリカの頭を飛び越えて独断でウエルタ政権に財政援助を行おうとしているとの情報を流した。
ニューヨークタイムズは、日本の中南米への勢力拡大で有り、モンロー主義への挑戦であると、反日世論を煽った。知識層も、日本の脅威論を声高に訴えた。西海岸では、激しい排日運動が起きていた。
ウエルタ大統領は、日本とアメリカの対立を利用して、アメリカのメキシコ政策を変更させようとしていた。
アメリカのランシング国務長官は、日墨軍事同盟説が流布するや、日本に対して両国関係を考慮してメキシコでの行動を慎重に行う様に警告した。
アメリカ政府内の報告書「森電三少佐の行った財政監査は、カルデン公使に要請されて日本がメキシコ政府の一部公債に応ずる準備の為であり、この真相を叩けば必ずやカルデン卿に結び付く」
イギリス大蔵省上級職員ジョージ・ペイシュ卿は、ロイド・ジョージ大蔵大臣に、「経済が不況に落ち込み、金準備が目減りして国庫・財政が破産状態にある」との機密内部報告書を提出した。
「金融改革への動揺を掻き立てているもう一つの要因は、ドイツの商業・金融の成長であり、また、両国の一大対決が始まる前後にロンドンの正貨(金)準備が襲われるのではないかという不安の増大である」
ウィルソン大統領は、タンピコ湾でアメリカ海兵隊が拘留された事を口実に、大西洋艦隊にベラクルコ占領を命じた。
アメリカ人20名とメキシコ人200名が犠牲となった。
アメリカの真の狙いは、メキシコの石油利権を支配する為に、イギリス系メキシコ・イーグル石油会社から資金援助を受けているウエルタ政権を打倒する事であった。
イギリスは、欧州戦争の為にウエルタ政権への支援を止めた。
ウィルソン大統領は、ウエルタ大統領を追放し、カランサ将軍を大統領にしてその政権を承認した。
スタンダード石油は、政権維持の為に資金と武器の支援を行い、政府首脳や軍隊幹部に裏資金を与えた。
カランサ大統領は、国内経済を守る為に、石油という国民の資産が外国資本に略奪されているとして、反米宣伝を行い愛国心に訴える民族主義運動を始めた。
メキシコの真の狙いは、アメリカやイギリスの石油資本に支配された油田を国有化する事であった。
メキシコ政府は親日政策を推進させ、メキシコ海軍も日本海軍との交流を深めて軍人使節団を派遣した。
スタンダード石油は、石油利権を守るべく、1916年頃から、反カランサ派やパンチョ・ピラら革命派に資金援助を行った。
アメリカ軍は、圧力をかける為に軍隊を派遣したが、失敗に終わった。
アメリカは、欧州戦争に参戦した。アメリカとイギリスは、メキシコ問題を一時棚上げにした。
カランサ大統領は、1920年に暗殺された。
カルデナス政権は、外国人石油所有権の国有化を断行した。アメリカとイギリスの石油メジャーは、30年代後半までメキシコの石油をボイコットした。
7月29日 ロシア帝国は、セルビアを支援する為に軍隊の動員を命じた。
ドイツは、ロシアがセルビアを支援するならば、オーストリアを支援すると約束していた。
ドイツ皇帝は、ロシア皇帝に動員の取り消しを要請する電報を送った。
ロシア皇帝は、動員命令を取り消した。
8月15日 大西洋と太平洋をつなぐパナマ運河が、10年の歳月と多くの犠牲者を出して開通した。
セオドア・ルーズベルト「我、ついにアメリカ大陸を掌中にせり!」
アメリカ海軍は、艦隊を二分して、大平洋と大西洋に配置した。太平洋艦隊は、日本との戦争を想定して増強された。
スタンダード石油は、石油利権を守るべく、1916年頃から、反カランサ派やパンチョ・ピラら革命派に資金援助を行った。
アメリカ軍は、圧力をかける為に軍隊を派遣したが、失敗に終わった。
アメリカは、1917年4月、欧州戦争に参戦した。アメリカとイギリスは、メキシコ問題を一時棚上げにした。
10月 イギリスの戦争省は、戦争に必要な戦略物資を調達する為に代表団を中立国のアメリカに派遣し、J・P・モルガンを単独代理店として指名した。
モルガン商社は、ロックフェラーとの協議での上で、戦争に必要な軍需物資の購入代金15億ドル以上を用立てし、価格を設定してイギリスやフランスなどに供給した。
J・P・モルガンは、アメリカが参戦するまでに約50億ドル相当の軍需物資を輸出した。戦争の長期化が、アメリカに巨額の富をもたらした。
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1915年1月 イギリスは、戦略物資の購入と戦争負債の取り次ぎの為に、アメリカの金融業者J・P・モルガン商会を単独指名した。
モルガン商会は、イタリア、フランス、ロシア帝国などと独占的代理店契約を結び、物資と資金調達の保証人となり、他の金融機関にクレジットを設定してその手数料を得た。
ウォール街のシティ銀行ら大手投資銀行も、連合国の戦費調達に協力した。
デュポン財閥、レミントン社、ウィンチェスター社などの軍需産業は、融資を受けて製品をヨーロッパに輸出した。
ウィルソン大統領は、マカドゥー財務長官の説明を受け入れて、連合国への物資と資金の流れを認めた。
中立国アメリカは、物資・資金の供給基地となり、連合国の勝利に貢献した。
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1920年 メキシコのカランサ大統領は、反対派によって暗殺された。
新たなカルデナス政権は、外国人石油所有権の国有化を断行した。アメリカとイギリスの石油メジャーは、経済性差として、30年代後半までメキシコの石油をボイコットした。
ナチス・ドイツは、メキシコの石油や中南米の鉱物資源を獲得する為に、反米派民族主義者に接近した。
ナチス・ドイツは、中南米大陸の覇権をめぐってアメリカと熾烈な抗争を始めた。
アメリカは、各国で自国の権利を制限する様な命令でも反対せず、国益や国民の利益を犠牲にしても忠実に実行する傀儡政権を樹立して対抗した。
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アメリカの総人口は、1910年に9,197万人を越えた。1821年から1920年までの移民数は3,366万人で、1905年から1914年まででは1,012万人に達していた。ユダヤ人口は、東欧からの移民が急増して1880年の25万人から1924年には420万人に激増した。
移民の多くは、仕事を求めて、工業の発達が目覚ましい北部東海岸諸州や五大湖周辺諸州の大都市に居住し、西部の新天地に向かう者は少数であった。
ロシア帝国のユダヤ人は522万人で、1881年から1914年までに200万人以上が国外に移住し、内156万人がアメリカに渡った。
アメリカの人口比は、アメリカに移民して三世代以上経ったアメリカ生まれの旧移民・生粋のアメリカ白人が53.8%で、外国生まれの移民一世の家族は新移民・外国系アメリカ人とされ35.2%で、アフリカ系アメリカ人である黒人は10.7%で、その他が中国系か中南米出身のラテン系であった。
中国系移民は、新たな労働奴隷として大量に輸入された。移民の初期は、イギリスやアイルランドや北欧などの諸国であった。
次に移民してきたのは、イタリアを中心とした南欧諸国であったが彼等の多くは独身男性で出稼ぎ労働者として定住することなく、金を貯めるやその多くが帰国した。
アメリカの人口を爆発的に増加させたのは、ポーランド、バルト三国、ロシアと言った東欧諸国から来た家族連れの永住者であった。
彼等の多くが、農村部ではなく都市部に集中して新たな労働者階級を形成したが、低賃金で働く新たな労働者集団の出現でアメリカ経済は急速に発展した。
だが、旧来の都市下層階層を構成していた生粋のアメリカ白人労働者は、低賃金で働く新移民・外国系アメリカ人に仕事を奪われるとの危機感を持ち、彼等との対立を深めしばしば死傷者を出すほどの暴動事件に発展した。
ニューヨークの人口は、1890年には144万人であったのが374万人の新移民を受け入れて、1910年には477万人に膨れあがった。
生粋のアメリカ白人は20%以下で、外国系アメリカ人は79%で、黒人は2%弱で、アジア系やそのたが1%であった。
移民は、ドイツやロシアやポーランドなどの出身国で区別される為に、国家を持たないユダヤ人は移民として数えられていなかった。
ユダヤ人を証明するものは、宗教としてのユダヤ教を信仰しているかであり、よって改宗ユダヤ人は本人の希望がなければ自動的に非ユダヤ人に数えられた。
ニューヨークにおけるユダヤ人の人口は、1890年に20万人であったのが1910年には125万人となり、1880年には人口の33%であったのが1920年には45%に上昇した。
世界最大のユダヤ人を抱えるニューヨークは、ユダヤ人の都市として「ジューヨーク」と揶揄された。
全米のユダヤ人の半数が、ニューヨークと周囲の都市に住み付いた。
彼等は、アメリカという新天地を得て、自由主義を受け入れて中産階級化し、宗教的は欧州的な古典的伝統派を捨て改革派ユダヤ教を信奉した。
世俗化したユダヤ人は、行商や専門職人や熟練労働者から企業家や商店主や専門職業家として成功し、大商人、投資銀行家などの資産家としてユダヤ人である事をキーワードに排他的閉鎖的運命共同体を形成し、全米の金融・資源・生産・運輸そして情報を支配し各種市場を独占するメジャーに成長した。
差別的階層社会のアメリカでは、成功したごく一部の北方人種の白人集団は上流階層を形成して、治安の守られた繁華街に大邸宅を構え湯水の様に金を浪費して贅を尽くした生活を送っていた。
貧困に喘ぐ下層階層は、治安と衛生の悪い人口密集地のスラム(黒人地区)や同じ出身者が住む排他的居住区(イタリア人地区、チャイナタウン、ユダヤ人地区)に寄りそうにして生活していた。
極一部の白人特権階層は、富の分配の不平等や人種・民族差別に不満を持つブルーカラーの下層階層の反逆に備えて、経営基盤の弱い中小企業経営者やホワイトカラーの中産階層を味方に取り込む為に、努力し成功すれば普通の金持ちとなり見栄えのいい社会的地位が得られるという見せ掛けの「アメリカン・ドリーム」を見せた。
それは、社会的保証がない為に一瞬で消えてしまうはかない幻影であった。
単純な単細胞的人間ほど、目の前の大金が得られるという夢物語の様なアメリカン・ドリームを信じた。
フレデリック・マーティン「我々は、金持ちである。我々が、アメリカを所有している。いかにしてアメリカを獲得したかは、神のみぞ知る。出来る事なら、我々はアメリカを所有し続けたい。我々の金、我々の政治的コネ、我々が買収した上院議員、我々が抱えている金に飢えた下院議員、我々が持っている演説上手な扇動家達を総動員して、我々の利益を脅かすどんな立法、政治綱領、大統領選挙戦も潰したいものだ」
ジェイコブ・A・リース「報告書を読む事は、人間の悲惨という主題に関する変奏曲を次から次へと聞く様なもの、再三再四、悲惨、混雑、不潔、飢餓、栄養不良、不安、欠乏といった同じ言葉が単調に現れてくる」(『他の半分はいかに住むか』 1890年)
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- 作者:杉原 誠四郎
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