- 作者:猿谷 要
- 発売日: 1982/05/20
- メディア: 新書
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
手に入れたい土地に大量の入植者・移民を送り込み、地元住民を圧倒する人数に達したら権利を不当に要求し、地元住民の反感・反対を煽り正当防衛を主張して分離独立運動を起こして内戦に持ち込んだ。
大量の白人の入植者・移民によって、インディアンは故郷を奪われ虐殺され不毛な土地に追放され、メキシコは分離独立戦争に巻き込まれ多くの犠牲者を出し開墾した土地を奪れ追い出された。
地元住民と雑婚し同化して消える事を拒否する自我意識の強い入植者・移民は、地元住民とは違う独自の主権と自由を確保できる排他的な土地・地域を欲し、安住できる土地・地域を獲得する為に実力を行使する。
才能と腕力による実力で、自分達の権利と自由と土地を手に入れて生活圏を次第に拡大する。
それが、ゼロから1を創造する、フロンティア・スピリット、開拓者精神、進取の気性である。
勝者・勝ち組は生き残り、敗者・負け組は死滅する。
入植者・移民は権力と富を得て豊かに榮、先住民は支配され貧しくなり滅んでいった。
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南北アメリカに移住した白人キリスト教徒集団は、道徳的に未開人を殺害する事は罪と認めていたが、広大な大地は絶対神の所有物で全人類が使用できる土地であるとして、勝手に開墾して農地を広げた。
バッファローなどの動物を狩猟して生活していたインディアンは、新たな住民の為に土地を分け農作物の育て方を教えた。
白人キリスト教徒集団は、さらに農地を広げる為にインディアンの土地を奪う事に、生存に不可欠なバッファロー1,400万頭を殺した。
狩猟するバッファローを殺され肥沃な土地を奪われたインディアンは、農業移民である白人キリスト教徒集団を敵視して攻撃した。
白人キリスト教徒集団は、正当防衛による正しい戦争としてインディアン戦争を始めた。
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1820年代 フロンティアに燃えるアメリカは、メキシコに対して、メキシコ系住民約1万人と人数不明のコマンチ族やアパッチ族などのインディアンしかいない緑豊かなメキシコ領テキサスへの入植許可を求めた。
メキシコ政府は、メキシコの法律を順守し、良きメキシコ市民として納税等の義務と責任を果たし、奴隷制度を持ち込まないなどの確約を得て許可した。
先住民であるインディアン達は、当初はメキシコ人の入植には寛大であったが、人数が増えて農場が広がり出すや、祖先の土地を身勝手に掘り起こして行く事に激怒して襲撃し始めた。
テキサスのメキシコ人は、インディアンからの襲撃を撃退し、治安を回復させる為にアメリカ人の入植を歓迎した。
アメリカ人移民は、大農場や大牧場を経営し、各地にアメリカ人だけの砦を築き、メキシコ人の土地を奪う為にインディアンに酒と銃を売ってメキシコ人農場を襲わせた。
1828年 アンドリュー・ジャクソン大統領は、社会の平等と民主主義を進展させた偉大な大統領とされている。このジャクソン・デモクラシーを受け継ぐ政党が、民主党である。
ジャクソンの専横を批判して結成されたのがホイッグ党、つまり共和党である。
インディアン強制移住法を制定し、ミシシッピー川以東を白人所有とするべく先住民を西の保留地に追放した。民族浄化を目的とした、悲惨な「涙の旅路」である。
アメリカ政府は、先住民との間で300件近い約束や協定を結び、酒と銃を渡した。酒に酔って銃を乱射するのを口実にして、全ての取り決めを一方的に破棄し、彼等を追い出して土地を奪った。反抗する者は、家族諸共に容赦なく虐殺した。
土地を巡って、白人入植者とインディアンは殺し合いを始めた。
インディアン戦争である。
キリスト教会は、戦闘的なインディアンを白人の従順な「しもべ」に去勢する為に洗礼を施した。
キリスト教に改宗したインディアンは、文明人の一員として優遇された。
民族宗教を守ろうとしたインディアンは、野蛮人として虐殺されるか、劣悪な生活環境にある保有地に強制移住させられた。
アメリカ政府は、インディアンを騙して、取り交わした約束や条約や協定を全て破棄した。
アメリカの大地は、宗教的人種差別が支配していた。
インディアンの生存率は、数%とされた。
現代に於いて、純血は少なく、多くが混血とされている。
そして。キリスト教の普及によって、伝統的民族宗教は消滅した。
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ドイツの神学者シュライエルマッハー(1768〜1834年)は、神は心にいると説いた。
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1832年 アレクシ・ド・トクヴィル(フランス政治か)「黒人の存在は、アメリカを脅かす最大の害悪だ。メキシコ湾諸国では、白人より急速に黒人人口が増えている。ずっと奴隷にしておく事などできない。現代世界の潮流は、奴隷制を否定する方向に強力すぎるほどに進んでいる。といっても、黒人が白人の中に吸収されるのは無理だ。白人は黒人とは結婚しないからだ。黒人が自由の身になってすでに二世代が過ぎた北部でさえも通婚はない。いったん解放されれば、黒人はいまより危険な存在となる。政治的権利を取り上げられた状態には甘んじないだろうからである。必ずやひどい抗争が起きるだろう」
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民主主義による住民の多数決で、テキサスはメキシコから独立した。
アメリカ人入植者は、メキシコに移住したが、メキシコ国民となってメキシコ国家に忠誠を尽くす気はなく、アメリカ人として入植地と共にアメリカに帰属したいという希望が強かった。
アメリカ人は、メキシコに移り住んでもアメリカ人として行動し、決してメキシコ人にはなるまいと決心していた。
メキシコ人への同化を拒否して、アメリカ人として異化のままである事を選んだ。
アメリカ人でありたいという思いから、メキシコ領で独立戦争を起こした。
メキシコ政府は、国内に異国が誕生する事を認めず、メキシコ化を拒絶するアメリカ人の分離独立運動の弾圧に乗り出した。
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アメリカ=メキシコ戦争。1846〜48年。
アメリカは、メキシコ領であったテキサスやカリフォルニアを簒奪する為に、メキシコ人との人口比率が50%を超すまでアメリカ人を入植させた。インディアンなどの先住民を人間と見なさなかった為に、人権はもちろん、存在そのものを完全無視した。
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アメリカ人入植者数が3万人を超してメキシコ系住民より多数派(1万人)となった所で、メキシコとの誓約を全て反故にして、5,000人以上の奴隷を持ち込み、納税を拒絶した。
先住者・メキシコ人1万人対新参者・アメリカ人3万人。
世界の常識として、相手の土地を奪うには、より多くの移民を送り込み地域の多数派とな、民主的に合法的手段で手に入れる事であった。
土地は誰のものでもはなく絶対神のものである以上、そこに住む多数派が所有するもので、たとえ先に誰かが住んでいようとも少数派には権利はない。
アメリカ人もメキシコ人も、テキサスの真の多数派がインディアンである事を完全に無視していた。
世界史の常識は、力ある者が勝者として全ての権利を手に入れて「正義」となり、力なき者は敗者として全ての権利を剥奪されて「悪」とされた。
人類史は力で築かれ、生物世界では弱い者には生きる権利を認めなかった。
サンタアナ将軍は、テキサスはメキシコの土地でありアメリカ人入植者の土地ではないの大原則で、法を無視するアメリカ人入植者に約束を守らせるべく軍隊を派遣した。
アメリカ人入植者は、メキシコの圧政から土地と家族を守るとの大義で、説得に訪れたメキシコ人部隊を待ち伏せして皆殺しにした。
地域の多数派となったアメリカ入植者は、メキシコからの分離独立させる為に、民主的手続きとして多数決で独立を宣言した。
テキサスのメキシコ人にとっては、インディアンに対抗し治安維持を守る為に、好意的にアメリカ人を移民させたが少数派となった為に、多数派のアメリカ人入植者の暴挙を止める事ができなかった。
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1833年 イギリスは、奴隷の使用を禁じた。
マンチェスターは、世界屈指の工業地帯であった。
資本家は、労働力として人身売買で輸入していた奴隷が使えなくなった為に、貧困家庭の子供や女性を低賃金で働かせた。
資本家達は、人力では生産性が上がらず思った以上の収益が見込めない為に、新たなエネルギーを生み出べく蓄えた富を投資した。
新たな富を生み出すべく産業革命が起きた。
新たなエネルギーで規模を拡大した機械制工場は、大量生産をする為に更に多くの安い労働力を必要とし、貧しい農村地帯から農民を駆り集めた。
地方の地主や都市の資産家は、農地を拡大する為に、凶作で資金繰りが苦しくなった農家に農地を抵当に高金利の借金をさせ、期日に返済できなければ農地を取り上げた。
農地を失った農民達は、低賃金でも家族が生活する為に都市の工場に職を求めた。
産業革命によって資本家は多くの富をえ、労働者は機械の一部とされ貧しく重労働を強いられ、社会於ける貧富の格差が広がった。
都市中心の近代化は、地方の農村を犠牲にする事で成立していた。
リヴァプールは、奴隷貿易と毛織物貿易で発展した国際的港湾都市であり、世界文化遺産に登録されている。
奴隷貿易がなくなった後は、産業革命後はマンチェスターの外港として造船と製粉などの工業を発展させ海商都市として栄えた。
産業革命の結果、大量生産で過剰になった商品と投資で枯渇した資金を得る為に、近代的植民地が求められ。
そして生まれたのが帝国主義であった。
世界遺産に登録された工業都市マンチェスターや海商都市リヴァプールなどの膨張圧力を受けた政府は、経済・産業の為に植民地戦争・対外戦争を始めた。
明治新政府は、ロシアの侵略から祖国を守る為に、近代化としてイギリスを工業化を雛型とし、中央と地方の格差を必要悪として受け容れた。
日本産業界も、イギリスが行っている成功モデルを忠実に真似、国際競争力がない為に国際主力製品ではなく隙間産業商品を輸出品として、原材料自給率100%の生糸や日本酒と原材料輸入の綿製品などの日用雑貨品を売り歩いていた。
マンチェスターは、産業革命の発祥の地として世界文化遺産に登録された。
エンゲルスは、資本家に搾取され悲惨な状況に置かれている労働者の実情を、友人のマルクスに伝えた。
エンゲルス「子供は採掘された鉱石を切り場から馬車道や本立坑まで運搬したり、鉱山のさまざまな採掘場を仕切っている出入り口を、労働者や鉱石が通るときに開け閉めするにに使われる。この扉の番にはたいてい幼児が使われるが、彼らはこのようにして毎日12時間も暗闇のなかに一人ぼっちで、狭くて、たいていじめじめした坑道に座っていなければならない。……子供が帰宅するやいなや、かまどの前の石の床に寝転がってすぐに眠ってしまったり、食事がまったく喉を通らず、眠ったまま両親に身体を洗ってもらい、ベッドに運んでもらわなければならなかったり、されには、帰宅途中に疲労して倒れてしまい、深夜に両親に探され、眠ったところを発見されたりする事などは始終おこっている」(『イギリスにおける労働者階級の状態』)
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1836年 メキシコ領テキサスのアメリカ人移住者が、メキシコ人住民より1%多くなるや武装蜂起を起こし、テキサスをアメリカに編入させるべくテキサス共和国を樹立した。
多くのアメリカ人入植者は、民主的に勝ち取った独立を守るべく武装してアラモ砦に集まった。
元アメリカ議会下院議員デビー・クリケットは、同志を募ってアラモ砦に立て籠もった。
サンタ・アナ将軍は、メキシコ領テキサスをアメリカ人入植者から奪い返す為に、政府軍(1,600人)を率いてアメリカ人叛乱部隊(300人)が立て籠もるアラモ砦を攻撃した。
アラモ砦は、2週間の激闘の末にで陥落し、婦女子24名と黒人2名を除くアメリカ人入植者が虐殺された。
「リメンバー・アラモ」
アメリカ政府は、アラモ砦の虐殺に対する懲罰とアメリカ人入植者を助けるべく正規軍と市民義勇軍をテキサスに派遣した。
アメリカ軍は、メキシコ軍を撃破してサンタアナ将軍を捕らえ、テキサスを軍事占領した。
テキサス共和国は、アメリカの軍事力を背景として、多数決の原理でメキシコからの独立を宣言した。
メキシコは、併合に反対して軍隊を送り、メキシコの安全を守る為にアメリカとの戦争に突入した。アメリカ軍に、首都を占領されて降伏した。
メキシコは、テキサスに関する全ての主権を放棄し、アリゾナやコロラドなどの北部を1,500万ドルでアメリカに譲渡した。
アメリカは、メキシコ全土を併呑しようと圧力をかけていた。
メキシコは、独立を守る為にイギリスに接近した。
イギリスは、アメリカから中南米の利権を守り、ニカラグア運河建設で有利な立場に立つ為にメキシコを支援した。
フランスは、ナポレオン3世の甥のマキシミリアン皇帝を擁立して親仏政権を樹立した。メキシコ人は、フランス支配を打倒する為の内戦を続け、4年後に自主権を回復した。
アメリカ系住人は、アメリカへの編入を希望し、メキシコ人地主の土地はもちろん先住民インディアンの土地を、詐欺紛いの契約で奪った。
アメリカは、自己利益に有利になる条項を誤魔化しながら契約書や協定文の中に忍ばせていた。
アメリカによる交渉は巧妙なだけに、細心な注意を払い、言葉の一言一言を漏らさず聞いて即答を避け、条項文書の一字一句を深く読み解いて吟味して捺印しなければ、全てを失った。
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