- 作者:重治, 松本,Charles Austin Beard
- メディア: 単行本
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
1814年9月 アメリカ合衆国国歌『星条旗』。
詩人・弁護士のフランシス・スコット・キーが「マクヘンリー砦の防衛」という詩を書きそれが歌詞となった。
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2015年10月8日 週刊新潮「世界史を創ったビジネスモデル 野口悠紀雄
アメリカは意識的に古代ローマを模倣した
アメリカの政治制度が古代ローマに酷似していると、しばしば指摘される。
例えば、元老院だ。日本語訳では、ローマの場合は『元老院』、アメリカの場合は『上院』と、別の言葉になっているので気づきにくいが、ラテン語のsenatusと英語のsenateは同じ言葉である。
類似性はそれだけではない。外観も似ている。アメリカの国会議事堂は、『新古典主義』と呼ばれる様式の建築だ。これは18世紀中頃から19世紀初頭にかけてヨーロッパで支配的になっていた様式だが、古代ローマの復活を夢見たものだ。
その議事堂が建つのは、ワシントンのキャピトル・ヒル。これは、『カピトリーの丘』の英語形である(この丘は、ローマの7丘で最も高い丘で、ローマの中心地。最高神であったユピテルやユノーの神殿があった)。
アメリカの国章は鷲である(ハクトウワシが翼を広げ、13枚の葉のついたオリーブの枝と13本の矢とを左右の足に握る)。ローマ帝国の国章も鷲だった。
古代ローマを理想化し、その後継者たらんと願ったのは、アメリカだけではない。しかし、アメリカと古代ローマは、名称や外観だけでなく、政治システムの基本思想において似ている。そして、それは偶然ではない。アメリカ建国の父たちが、古代ローマを意識して新しい国を建設したからだ。ハンナ・アレントは、『革命について』(ちくま学芸文庫)の中で、次のように言う。
『アメリカ革命の人々の活動は、異常なほど古代ローマの先例によって鼓舞され、導かれた』
『マキャヴェリのばあいと同じく、彼ら(アメリカ建国の父たち)にとっても、偉大なモデルと先例はローマの共和政であり、その歴史の偉大さであった』
『彼らが自分たちのことを創設者だと考えたのは、彼らがローマの例を真似し、ローマ精神を模倣しようと意識的に努力したからである』
(なお、アレントによれば、アメリカの上院にsenateという言葉をあてたのは誤りだ。なぜなら、ローマにおいて元老院は権威の所在であるのに対して、アメリカの制度では、権威の所在は司法部門に移されているからだ)
アメリカは金権体質を受け継いでいた
建国の父たちがローマを理想にして政治制度を作ったとすれば、前回述べたローマの金権政治体質がアメリカにも引き継がれていたとしても、不思議ではない。
実際、選挙に巨額の金がかかることを頭からは否定しないという点で、ローマとアメリカは似ている。
2008年の大統領選挙において、バラク・オバマ陣営は7億7,000万ドルを集めたと言われる。12年の大統領選挙での選挙資金額は、それを上回った。
大統領選挙にかくも巨額の資金が必要とされる一つの理由は、大統領が選ばれるまでに、予備選挙など非常に長い選挙戦を戦い抜く必要があることだ。予備選は1月初めに始めに有権者の一般投票があり、12月の選挙人による投票を経て、やっと大統領が決まる。
なぜこのように長く複雑な選出過程をとるのか? 日本人にはなかなか理解できないのだが、この制度は、建国の父の一人であるジョージ・ワシントンが作ったものだという。彼はローマ共和国でなぜカエサルという独裁者が生まれたかを研究し、『その原因は、ガリア平定に成功したカエサルを迎えたローマ市民の熱狂にある』と結論づけた。
だから、独裁者の出現を防ぐには、大統領選を長い時間かけて行なう必要がある。そうすれば、一時的な人気によって大統領が選ばれることはないだろう。選挙期間が長くなって金がかかることになっても、独裁者がでてくるよりはましだ。ワシントンは、そう考えたのではないだろうか? ここでは、古代ローマは、半面教師として用いられている。
さて、アメリカにおける政治献金は、個人だけに認められている。ところが、アメリカ連邦最高裁判所は、10年1月に、『企業の政治献金を規制する連邦法は、合衆国憲法の定める表現の自由に反する』との判決を下した。この結果、政治行動委員会(PAC)を組織すれば、労働組合や企業からも合法的に献金を受けることができるようになった。
アメリカでは、もともとロビイストたちが利権団体を代表して政治家に請願を行っている。『選挙に金をかけること、それ自体が悪』という考えからすれば、ロビー活動を基本とするアメリカ政治の金権体質は、この判決によって強まったことになる。
ローマの場合、金権政治に対して、アメリカ最高裁判所判決のような正当化が行われたわけではない。当然のことと思われていたのどろう。前回述べたように、小カトーのような高潔な人はいたが、『変人』と思われていた。不正の弾劾者として知られた雄弁家・哲学者のキケロさえ、官職から富を得た。モンタネッリ『ローマの歴史』(中央文庫)によると、彼は、官職在任中に『わずか』6,000万円相当しか私財を増やさなかったので、廉潔の士とよばれ、自らもそれを吹聴して回ったそうである。
アメリカの『敗者同化作戦』
ローマとアメリカの類似性は、以上にとどまらない。もっとも重要な共通点は、戦争後の対外政策にある。それは、よく言えば『寛容主義』であり、やや否定的なニュアンスを含めて言えば、『敗者同化主義』だ。
アレントは前掲書の中で、『ローマ人にとっては、戦争の終わりは単に敵の敗北や平和の回復のことではなかった。かっての敵がローマの「友」すなわち同盟者になったとき、はじめて戦争は満足のうちに終わるのである。ローマの野望は、全世界をローマの権力とその支配のもとに服従させることではなく、ローマの同盟システムを全地球上に投げかけることである』と言う。
アメリカは、第二次大戦後にローマ的同化路線を典型的な形で実践した。連合国軍(その実態はアメリカ軍)の日本占領によって、日本は『アメリカ化』された。
中でも重要なのは、アメリカンデモクラシーの導入である、これを通じた民主化政策によって戦後日本の高度成長が可能になったと、一般に考えられている。この考えが正しいかどうか、私は疑問に思っているのだが、アメリカが日本を植民地化せず、経済援助をしたのは間違いない事実である。
そして、日本人はその占領政策に感謝した。ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が離日するとき、日本人は沿道に集まって星条旗の小旗を振り、別れを惜しんだ。
西ドイツとの関係でもそうだ。48年6月、ベルリンがソ連によって封鎖されたとき、アメリカは大空輸作戦を展開してベルリン市民を助けた。
63年にベルリンを訪れたケネディ大統領は『Ich bin ein Berliner(私はベルリン子だの)』とドイツ語で呼びかけて、ベルリン市民の喝采を浴びた。
古代ローマ敗北同化路線の原型は、カエサルによるガリア統治に見られる」
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2017年4月号 Voice「深刻化していく米国の分裂現象 伊藤貫
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ローマ帝国の崩壊し始めたのは、建国後、5世紀目のことです。ローマ帝国末期には貧富の差が激化し、政治が腐敗し、少数民族が大量に流入しました。ローマ帝国は、内部から崩壊したのです。アメリカ帝国も、ピューリタンが植民を開始してから5世紀目です。最近の米帝国も、貧富の差が極端になり、少数民族が激増し、民主・共和両党の職業政治屋たちが腐敗し、米国民は共通の価値観を失いました。
米国の分裂現象は構造的な問題であり、解決するのは容易ではありません」
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