🔯49」─1─ポルトガル王国は、海洋帝国となり植民地と奴隷制度で世界の富を手に入れて栄えた。1416年~No.172No.173No.174 @ ㉓ 

大航海時代 Online ~Gran Atlas~ プレイヤーズバイブル Premium Edition

大航海時代 Online ~Gran Atlas~ プレイヤーズバイブル Premium Edition

  • 発売日: 2014/05/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 人口が国力ではない。
 ポルトガル王国の総人口150万人。
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 宣教師は、聖なる使命として「隣人愛の信仰」を広め、信者に殉教を奨励した。
 キリシタンは、絶対神への信仰を護る為に、異教徒に処刑される事を望んだ。
 キリシタンにとって、死は恐怖ではなく、永遠の命を得る為の希望であった。
 総ての事は、絶対神の御心で定められている。
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 自国に愛着を持たず、自国の歴史に自信を持たない国は、確実に滅びる。
 スペイン帝国の衰滅は、スペイン人のスペイン嫌悪(イスパノフォビア)によるのであって、無敵艦隊の全滅ではない。
 如何なる国においても自虐史観を子供に教えている国は、衰滅し、そして滅亡する。
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 スペインとポルトガルは、獲得した植民地から他国を排除する為に「発見優先の原則」を打ち出した。
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 ポルトガル王国は、ヨーロッパ辺境の小国(人口約100万人)で、世界の冨の中心でる地中海に面していなかった。
 アラビア商人を介して高額で香料などを購入していた為に、国は貧しかった。
 1416年 初代国王ジョアン1世の第三王子エンリケは、国に留まっていても将来はない事を自覚して遠洋航海に出る事を決意した。
 最南西端のサグレス岬に引きこもり、世界中から学者や専門家や造船職人を集めて準備に取り掛かった。
 常識を持った教養人達は、最果ての地へと航海に出る事に没頭しているエンリケ王子は気が触れたと嘲笑した。
 何時の時代でも、先駆者は常識の無い狂人と馬鹿にされた。
 エンリケ王子は、ローマ教皇から「ボハドル岬の先で発見する地は全てポルトガルに属する」との勅許を得て、安心して航海に出た。
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 1441年 奴隷貿易の始まり。 
 アンタム・ゴンサルヴェスは、モーリタニア北部の海岸に達し、ベルベル系住民を捕らえ本国に連れ帰った。
 貴婦人は、黒人の少年をペットとして買い飼育した。
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 1481年 ポルトガル国王に即位したジョアン2世(〜95年)によって、ポルトガル(人口約150万人)の大躍進が始まった。    
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 ローマ教皇は、絶対神の代理として、地球上を好きなように切り取りキリスト教徒に分け与え、「隣人愛の信仰」で異教徒を奴隷とする事も認めていた。
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 1453年 コンスタンチノープル陥落。ビザンチン帝国(東ローマ帝国)滅亡。
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 1483年 ジョアン2世は、エンリケ王子の夢であったアフリカの南回りでインドにに向かうという夢に拘り、コロンブスの西回りでインドに向かう提案を断った。
 公開を認めるポルトガル王室にせよ、資金を提供する裕福な商人にせよ、保障のないコロンブスの提案より、南回りであれば確実にインドへの航路が開けるとの自信があった。
 1485年 コロンブスは、資金援助をスペインのイザベル女王に要請した。
 海の向こう側の未開の国で出会った異教徒を全てキリスト教に改宗させ、スペイン国王の忠実な下僕にする事をを誓った。
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 1488年 バルトロメウ・ディアスは、アフリカ大陸の南端を越えてインドに向かおうとした。
 乗船員は、見知らない海域に足を踏み入れる事に恐怖し、帰国を求めて暴動を起こした。
 ジョアン2世は、帰国したディアスから話を聞いて、アフリカ南端を「喜望峰」と名付けた。
 ヨーロッパの小国であったポルトガルは、大躍進を遂げて海洋帝国を建設した。 
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 1492年 イザベル女王は、コロンブスの提案に同意した。
 8月 コロンブスは、スペインのパロス港を出港した。
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 アフリカの現地の奴隷商人は、内陸部の村々を襲撃し、集めてきた黒人を奴隷としてポルトガル商人に売った。
 ポルトガル商人は、黒人奴隷を大西洋諸島や南アメリカ大陸プランテーション(巨大な農場)に労働者として送り込んだ。
 人間を人間として扱わない黒人奴隷制度の始まりである。
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 2016年1月号 歴史通「武士道への道 終わりなき武士道への旅 執行草舟、インタビュー樋渡優子。
 人は死ぬために生きる。武士道の精神と相通じる絶対負の実践に精進する
 ……
 運命への愛、死の跳躍
 ──他に『絶対負』の代表的人物はいますか?
 執行 西郷隆盛も明治における〝絶対負の代表的人物〟と考えていいと思います。内村鑑三キリスト教思想、西郷は西南戦争で示した思想と生き方と、分野は異なりますが。西郷隆盛は日本が急激な欧米化することに抵抗し、『日本は武士道精神を残したまま、徐々に欧米化しなければならない』と強く主張しました。征韓論という一部分だけが特筆されていますが、実際には、西郷が背負った最大の相克とは、急激に日本を欧米化しようとする人たつの対立でした。
 ──しかし、西郷さんは敗れました。
 執行 西郷が負けたことにより、武士道が死んだのです。続いて、内村鑑三が昭和5年に死んで、この二人の屍の上に出来上がっていったのが、昭和の狂信的な軍部でした。日本を敗戦に向かわせた狂信的思想は、西郷隆盛内村鑑三のような『絶対負』の思想を持つ人たちを、日本社会から抹殺することによって生まれたものなのです。『絶対負』が死ねば、あとは狂信と拝金そして出世主義と経済成長しか残らないのです。つまり自惚れです。
 ──キリスト教も武士道も、人間より大きな存在や大義に殉じるという生き方です。
 執行 それを無くしたとき、『自分の力で何でもできる』という底知れぬ自惚れが人間を支配します。
 『死の跳躍』、ラテン語で『Salto Mortale(サルト モルターレ)』と言います。これは、生の最も重要な瞬間に、生命が死の跳躍をなすことを表しています。これは明治政府に雇われて、東京帝大医学部の教授を務めたベルツ博士が明治維新の日本を語るとき用いた言葉です。世界中の碩学(せきがく)が指摘するように、明治日本は、世界史上、類をみないほど無茶苦茶なやり方で西洋化しました。ベルツ博士はその様子を日本いて目の当たりにして、『日本人は失敗すれば頸骨を折るような〝死の跳躍〟を成し遂げる』と日記に書き残しています。そして、その勇気を讃えているのです。
 ……
 私の好きな言葉で、ポルトガルエンリケ航海王は、『航海をすることが必要なのだ、生きることが必要ではない』と言いました。この言葉を、大航海時代ポルトガルは国是にしてていましたが、これを国是にできた国だから、世界を制覇できた。
 負のエネルギーが世界を制覇するというのもおかしいのですが、〝負は本物〟ですから、本当に戦ったら強いんだと思うんです。そして実際に、〝命を捨てる想い〟が結果として世界制覇を成し遂げたのは、ご覧のとおりです。
 あの頃、ポルトガルとスペインの船団は3分の2が海に沈んだのですから、いまの宇宙旅行よりよほど危険なんです。
 ──それをものともせずに、みな海に出て行ったのですね。
 執行 そうです。当時はインドや中国のほうが航海術も船もずっと素晴らしいものを持っていたにも拘わらず、ヨーロッパには勝てなかった。この違いは何かといえば、ヨーロッパ人は『絶対負』の精神、つまり、命を投げ出して何事かを成すという精神を持っていたことに尽きる。それはおそらく、キリスト教思想から出てきたものだったと思いますが。
 ──メメントモリですね。いかなるときも『死を想え』。
 執行 そう、死ぬために我々は生きているのだ・・・その思想が当時のヨーロッパ人の体に染みついていたのです。イベリア半島では、ムーア人とスペイン人が800年間戦っていましたが、まあ、戦争がそれだけ続けば、幸福になろうとか生きようといか、人間、思わないでしょう。しかし、絶望から立ち上がってくる情熱こそ、人間が成しうるこの世界を動かす何ものかなのです。そして、自分の生命の燃焼だけに向かって生きる。その正否は、天に委ねるのです。そして、どのような結果でも決して悔いない。それが運命への愛であり、絶対負の精神です」



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