🔯47」─1─コロンブスの交換。中南米⇔ヨーロッパ。疫病の蔓延。~No.166 *  

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 神の御名によって異教徒・異端者を虐殺した不寛容な中世キリスト教会。
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 中南米からヨーロッパへ、ジャガイモ・サツマイモ・銀・梅毒・マラリア
 ヨーロッパから中南米へ、砂糖・黒人奴隷・天然痘・ペスト・インフルエンザ。
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 天然痘の犠牲者。
 アメリカ・インディアの9割が死亡した。
 中央アメリカの人口は2,500万人から100万人に激減し、アステカ王国インカ帝国が滅亡した。
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 世界の富の約8割は、中国・インド・オリエントなどアジアに存在し、富は内陸の陸上交通網で移動していた。
 ヨーロッパは世界の貧困地帯で、財力はおろか軍事力も弱かった為に、大陸帝国が支配するハート・ランドを封じ込め弱体化し打倒するべく海洋に乗り出した。
 後に、ヨーロッパ社会が支配する論理として「地政学」が生まれた。 
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 2016年4月7日 週刊文春「私の読書日記 鹿島茂
 微生物の『交換』、フランス中等教育の秘密
 人間の肉体や衣服、移動手段、またペットや家畜も微生物・極小動植物の巨大なコロニーにほかならない。だから、人と人が共同生活を営むというのは、ある意味、危険極まりないことなのだが、それが可能なのは長い間に免疫ができあがっているからである。逆にいうと、お互いに免疫をもたない共同体同士の『未知との遭遇』が起きたら、微生物・極小動植物はコロニーから解放されて、相手の共同体を完全に崩壊させてしまう可能性があるのだ。ところで、人類の歴史においてこの『免疫をもたない共同体同士の未知との遭遇』が劇的なかたちで起きたことがある。いうまでもなく1492年のコロンブスアメリカ『発見』(正確には西インド諸島)と翌年3月のスペイン帰国である。これにより微生物や極小動植物の『交換』もまた開始され、両方の世界を大きく変えたのである。
 サイエンスライターでジャーナリストのチャールズ・C・マンは『1493 世界を変えた大陸間の「交換」』(布施由希子訳 紀伊國屋書店 3,600円+税)で、アルフレッド・W・クロスピーの『コロンブス交換』というタームを用いながら、これまでに知られているトウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモなどのほかに、昆虫、草、バクテリア、ウイルスといった極小動植物や微生物も『交換』されたことで、世界全体の歴史が大きく変化したとする『環境史学』の概念を導入し、ジャーナリストらしい語り口で巧みに新しい歴史を物語っていく。
 例えば、16世紀から19世紀にかけてヨーロッパが体験した異様に寒い冬と冷たい夏。『小氷期』と呼ばれる地球規模の異常気温は最新の古気象学の説に拠ってこう説明される。すなわち、コロンブス交換以前には、アメリカ大陸ではネイティブ・アメリカンの森焼き・野焼きで二酸化炭素が大量に排出され、今日でいう温暖化効果が確保されていたのだが、コロンブス交換が始まるや、『ユーラシア大陸バクテリアやウイルス、寄生虫がまたたくまにアメリカ大陸に広がって、膨大な数の人々の命を奪う』。その結果、森焼き、野焼きが減り、大森林が復活して二酸化炭素を減少させ、地球を寒冷化させたというのである。
 また森の復活と寒冷化を好むハマダラカ属の繁殖に好条件を用意したが、ヨーロッパからマラリア保菌者が大量に到着したため、新大陸はまたたくまに汚染されて、タバコやサトウキビのプランテーション経営のために入植したヨーロッパ人も、ヨーロッパから連れてこられた年季奉公人も、また奴隷とされたインディアン・インディオも片っ端から死んで行った。人手不足を補うために入植者はアフリカ系奴隷を運んでくることを思いついたが、このアフリカ系の奴隷たちはマラリアへの先天的免疫を保有していたのでマラリアに罹患しなかった。経済的には奴隷よりも年季奉公人のほうが合理的だったが『ヨーロッパ人としては、採算を無視するわけにはいかなかった。トマトやコメ、サトウキビを栽培したければ、ヨーロッパ人の年季奉公人やインディアン奴隷より、アフリカ人奴隷を使ったほうがより多くの利益が期待できた』。かくて『奴隷と熱帯熱マラリアはいっしょに広まった』。このセットが強力に機能したのがバージニアやカロライナの南部だが、対するに北部ではマラリア原虫が生息できなかったからアフリカ人奴隷も必要なかった。南北戦争の遠因はここに求められるが、マラリアはまた南北戦争を長期化する原因ともなった。兵員、兵站とも圧倒的に優位だった北軍の兵士が南部のマラリア地帯に進軍したとたん大量死して、北軍の勝利を数年も遅らせたからである。れどころか、マラリアアメリカの独立にも貢献している。独立戦争勃発で、マラリアに汚染されていないスコットランドから派遣されたイギリス軍部隊がこの感染病のためにほぼ壊滅状態となり、アメリカ合衆国の成立を助けたのである。
 一方、旧大陸では、コロンブス交換で中国に入ったサツマイモ、トウモロコシが、またヨーロッパに入ったジャガイモが飢餓を救い、人口を急増させたが、いいことばかりとは限らない。とりわけ中国では必要な農地を確保するために棚田が乱開発された影響で水害が頻発し、清朝の崩壊を招いたといわれる。悪循環は毛沢東時代にも繰り返され。いずれ、共産中国も清朝と同じように、環境問題で崩壊するかもしれないのです。
 さらに銀、ゴム、そして人種など、コロンブス交換でもう一つの世界に入ったモノや人が両世界を均質化させ、グローバリズムが叫ばれる以前にグローバルな世界が現出されていたのである。世界史を微生物や食糧の交換の歴史として読み直すことを教えてくれる傑作である」
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 山本紀夫「アンデスでジャガイモの栽培が始まったのは紀元前4000年くらいと推定されているので、アンデスの狩猟採集民は、このような試行錯誤を数千年にわたってつづけてきたと考えられる」(『コロンブスの不平等交換』)
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 人類の人口爆発は農業革命で起き、新しい食糧源を得て人類文明は花開き、人類の歴史は大きく変わった。。
 最初は米・小麦で、次にジャガイモ・サツマイモ・トウモロコシで。 
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 岩田温「アメリカ・インディアンの悲劇
 1492年。
 『イヨクニ燃えるコロンブスアメリカ大陸の発見』
 多くの人が御存知のゴロ合わせですが、この『発見』という言葉は、大変失礼な言葉です。何故なら、コロンブスが到達する以前に、アメリカ大陸には多くの人々が住んでいたからです。彼らは『インディアン』と名付けられましたが、これはコロンブスアメリカ大陸をインドだと誤解したためにつけられた名称です。
 仮に、コロンブスの『発見』というのであれば、インディアンの人々を人間だと見なしていないということになるのでしょう。何故なら、既に人間が住んでいる場所に到達して『発見した』などという言い方は出来ないからです。この表現そのものが白人中心主義史観とでもいうべき立場を物語っていると言えそです。
 コロンブスが出会った先住民、バハマのタイノ族の人々は、極めて温和な人々で、武器の存在そのものも知らなかったといいます。コロンブスも感激して次のように記しています。
 『さほど欲もなく……こちらのことにはなんにで合わせてくれる愛すべき人びとだ。これほどすばらしい土地も人もほかにない。隣人も自分のことと同じように愛し、言葉も世界で最も甘く、やあしく、いつも笑顔を絶やさない』
 素晴らしい人々に出会ったと喜んだコロンブスは、一体何を始めたのでしょうか。
 彼はこの素晴らしい人々を捕えて奴隷としてスペインに連れ戻したのです。ちょっと我々の神経では理解できない所業と言わざるを得ません。先住民の人々はコロンブスを攻撃したわけでもなく、コロンブスに冷たい仕打ちをしたわけでもありません。外から来た異邦人を暖かく歓待したところ、タイノ族の人々は捕えられて、奴隷とされてしまうのです。コロンブスは、他にも酷いことをしています。黄金を手に入れたくて打ち震えていたコロンブスは、先住民の人々に金の採掘を命じます。圧倒的な武力をもったコロンブスに金の採掘を命じられた人々は、自らの畑仕事を放り出して、金の採掘のために血眼になりました。この結果、畑は荒廃し、5万人もの人が餓死するという深刻な飢餓が引き起こされたのです。
 悪逆非道の限りを尽くしたのはコロンブスばかりではありません。スペインのニコラス・デ・オバンドもかなり悪辣なことをしています。
 イスパニョーラ島に到着したオバンドは、島の有力者たちに敬意を表すために、豪勢な宴を催します。しかし、これは奸計であり、その宴に参加してくれた気のいい有力者たちは、全てその場で殺戮されてしまいます。この後に、圧政に堪えかねた人々が反乱を起こすと、オバンドは断固たる姿勢で臨み、7,000人ものタイノ族が殺されたともいわれています。スペイン人が入植して以降、10年も経たない間に、島の人口は、6万人から、1万1,000人にまで激減したと記録されています。彼らは過酷な労働で多くの人々が死ぬと、労働力の不足を補うために他の島から人々を捕えて奴隷としたのです。コロンブスをはじめとするスペイン人たちは、この地で徹底的な搾取を試みましたが、この島に永住し、新たな植民都市をつくろうとはしませんでした。」(『人種差別から読み解く大東亜戦争』)
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 1493年 アメリカ大陸に到達した西洋人探検家は、インド、シナ、ジパングに向かう航路を探す為にカリブ海沿岸を調査し先住民と接触した。
 西洋人探検家は、アメリカ大陸にはなかった天然痘、ペスト、インフルエンザなどの感染症をもたらした。
 未知の感染症に対する免疫を持たない先住民の間に爆発的な大流行が起き、元の人口の4分の3以上が死滅した。
 先住民は狩猟農耕民で、原始的な焼き畑農業を行っていた。
 1000年以上、焼き畑農業を行っていたアメリカ大陸は、雑草を焼く事で自然環境が保ち、森林の拡大を防ぐことで地球環境を維持していた。
 焼き畑農業を行う先住民が疫病だ大量死するや森林が再生され、空気中の二酸化炭素が減り酸素が増え地球は寒冷化し、地球に小氷河期が到来した。
 アメリカ大陸奥地に閉じ込められていた熱帯性感染症であるマラリアや黄熱病は、森林の拡大によって沿岸部や河川地帯にまで感染地域を広め、生き残っていた先住民を襲って命を奪った。
 西洋人探検家の時代から西洋人征服者の時代に移るや、西洋人達は非白人非キリスト教徒の先住民を獣と見做して、彼らが持っている貴金属を奪い、鉱山労働に狩り出し、反抗する者は残忍な方法で虐殺した。
 アメリカ大陸から強奪した貴金属がヨーロッパ世界にもたらされ、ヨーロッパは豊かに発展した。
 アメリカ大陸の貴金属がヨーロッパ世界の富をもたらし、ヨーロッパ世界の天然痘・ペスト・インフルエンザがアメリカ大陸に蔓延して先住民の命を奪った。
 アメリカ大陸にしかなかった梅毒などの病原菌が、世界にもたらされた。
 これをロンブス交換という。
 その御陰で、世界は西洋的キリスト教価値観による均質新世が始まった。
 西洋人征服者は、アメリカ大陸での労働不足を解消する為に、疫病に強く心身共に強靭で指示命令に柔順なアフリカ人を奴隷として大量に連れてきて、地獄の様な重労働を最悪な労働及び住環境の中で死ぬまで使役した。
 スペインは、アメリカ大陸からシナへの太平洋航路が発見される、イギリスやオランダの海賊がいない太平洋航路を使ってメキシコから植民地フィリピンのマニラに銀を直接送った。
 マニラは、メキシコ銀を使って中国から陶磁器や絹などを購入してヨーロッパに輸送した。
 スペインは、アメリカ大陸特産のジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシなどの農産物をヨーロッパ世界やシナにもたらした。
 ヨーロッパ諸国の下層民は、ジャガイモを食べることで飢える心配がなくなった。
 ジャガイモの普及によって、後にアイルランド飢饉が発生した。
 シナでは、ジャガイモやサツマイモのお陰で人口が増え始めたが、社会基盤の脆弱で貧富の格差が広がり大量の貧困層を生み出した。
 食料が確保され、富を得る機会が増えるや、人口は自然と急増した。
 食料と富の確保という二大条件で、人口は増減した。
 アメリカ大陸から世界にもたらされ文化と産業に重大な影響を与えた植物に、タバコとゴムの木があった。
 ゴムは、化石燃料・石炭と鉄鉱石に産業革命に必要不可欠な製品であった。
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 1521年 アステカ王国滅亡。 
 1533年 インカ帝国滅亡。
 白人キリスト教徒による、アステカ人やインカ人など中南米大陸及びカリブ海に住む先住民の大虐殺。
 全ては、中世キリスト教絶対神の御名によって行った聖戦であった。
 当時の中世キリスト教会は、異端審問や魔女狩り、十字軍、宗教弾圧や宗教戦争を際限もなく繰り返す、世界一不寛容で残虐な宗教であった。
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 中世キリスト教会は、絶対神の真理と隣人愛の信仰を世界中に広めるべく、アジアへ、そして日本へと触手を伸ばし始めていた。 
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 数十年後、中南米インディオが疫病で大量に死亡して労働不足となった為に、アフリカから奴隷を移住させた。
 18世紀だけで、約800万人の奴隷が連れて来られた。
 多数派であったインディオは、急増した移住者によって少数派に転落し、文化・宗教・言語が違う為に人として見なされず権利を奪われ家畜扱いされた。
 先祖代々の土地を奪われ、山や森林の奥地に追いやられてた。

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