🔯45」─2─コンスタンティノープル陥落。中世キリスト教会の宗教改革と宗教戦争。 1453年~No.158No.159 @ ㉑ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 「信仰者は天国、異端者は地獄」という悲惨な宗教戦争
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 アンリ・ピレンヌ『マホメットシャルルマーニュ』(1937年)
 シャルルマーニュは、フランク王国カロリング朝カール大帝の事である。
 14世紀頃 アラビア人は、一神教イスラム教の下で団結してオスマン帝国を建設した。
 豊かな地中海を目指して西に勢力を拡大するには、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)が行く手を遮っていた。
 15世紀前半 オスマン帝国は、東に勢力を拡大し、インドに向かったがチムール帝国に敗れて衰退した。
 1453年 オスマン・トルコの若きスルタンであるマホメット2世(21)は、ビザンチン帝国を滅ぼす為にコンスタンティノポリス攻略に出発した。
 ビザンチン皇帝コンスタンティヌス11世は、自軍の20倍以上のオスマン・トルコ軍を迎え撃つ為に籠城し、キリスト教諸国からの援軍を期待した。
 マホメット2世は、コンスタンティヌス11世に「降伏」を求める使者を送ったが拒否されたので、全軍に総攻撃を命じた。
 イスラム教の修行僧は、各陣営を廻って、「聖戦に身を奉じた者は、死後に川が流れ果実をつける樹木が生い茂る水と緑豊かな楽園が与えられ、そこにで黒い瞳の乙女達に抱かれながら、永遠の命と若さを享受できる」と殉教の素晴らしさを伝えた。
 5月29日 オスマン・トルコ軍は、「神は神。アラーの他に神なし。マホメットは神の使者なり」と雄叫びを上げ、コンスタンティノポリスに総攻撃した。
 最初は弱兵部隊の攻撃でビザンチン軍の疲弊を誘い、頃合いを見て精鋭部隊が突入した。
 難攻不落の城壁は瓦礫と化し、皇帝は乱戦の中で戦死した。
 オスマン・トルコ軍は、逃げ惑う市民の中から奴隷となりそうな男女を選び出して後は虐殺し、掠奪を行った。
 イスラム教徒は、聖ソフィア教会など全てのキリスト教会を破壊し、異教徒であるキリスト教徒を虐殺し、掠奪してから放火した。
 大陸世界において、奴隷はアヘンや香辛料と共に主要な輸出品であった。
 絶対神の奇跡を信じて聖ソフィア教会に逃げ込んだ数千人のキリスト教徒は、イスラム教徒によって虐殺された。
 マホメット2世は、コンスタンチノープルを首都と定め、町の発展の為に宗教宥和政策を採用して、キリスト教徒に帰還を促した。
 オスマン・トルコ軍は、バルカン半島への聖戦を開始した。
 此の後、キリスト教諸国とイスラム教帝国との宗教戦争が続いた。
 宗教絡みの戦争は、譲る事の出来ない絶対教義の為に、虐殺に次ぐ虐殺という悲惨を極めた。
 大陸の戦争は、民族や部族間の殺し合いの為に、相手を奴隷にするか根絶やしにするまで繰り返された。
 ヨーロッパ・キリスト教世界は、異教徒の侵略を防ぐ東方の砦を失った。
 オスマン帝国は、長期戦の末にコンスタンチノープルを陥落させビザンチン帝国を滅ぼして東地中海を手に入れた。、中東、バルカン、北アフリカを支配する巨大帝国となった。
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 ギリシャに住んでいた古代ギリシャ民族は消滅し、様々な人々が移り住み、現代ギリシャ人とは血のつながりのない別人である。
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 1454年 第208代ローマ教皇ニコラウス5世(在位:1447〜1455年)は、キリスト教徒白人のみを神に愛された人間と認め、異教徒非白人の奴隷化を公認した。
 ヨーロッパの奴隷商人は、キリスト教会の許可を受けて非白人の奴隷狩りを行い、キリスト教会に奴隷貿易で得た莫大な利益の一部を信仰の証しとして寄付した。
 ヨーロッパは、1789年のフランス革命で『人権宣言=人間と市民の権利宣言』を採択し、「自由と平等と博愛」の崇高なる理想を高らかに謳った。同時に、奴隷制を普遍的絶対神から与えられた正当権利とし、改宗非白人奴隷を持つ事を「神聖かつ不可侵」の所有権とした。
 キリスト教徒白人は、各地の異教徒非白人を民族浄化し、非白人国王の統治権を無効として、その領地を無主の土地と見なしてキリスト教国家のみを建設した。
 ヨーロッパで成立した国際法(万国公法、1648年成立)は、大地を支配する権限をキリスト教徒白人のみに許された神聖な権利と定め、非白人が住んでいようとも無主同様の土地と裁定した。
 基本的人権キリスト教徒白人の間に存在し、優生学による人種差別から非白人は対象外とされた。こうして、キリスト教徒白人による植民地獲得競争は合法化され、地球上の異教徒有色人種は奴隷として売買されるか、人間以下の狩られる動物として虐殺された。
 キリスト教諸国は、アフリカを文明無き暗黒大陸と決めつけて植民地として分割した。彼等は、日本を含むアジアをも植民地化し、非キリスト教徒の原住民を奴隷にする為に軍隊を派遣した。欧米列強軍は、原住民が自主独立と民族宗教を守る為に抵抗すれば、「神の御名」のもとに異教徒を大虐殺した。
 植民地支配を円滑にし、搾取を滞りなく行う為に、改宗原住民や混血児や華僑らに植民地支配の協力の見返りとして特権を与えて利用した。改宗原住民、混血児、華僑らは、奴隷にされた原住民の憎悪から身を守る為に反抗する者を弾圧し、白人支配者に盲従する仲間を増やす為にキリスト教への改宗を強要し、手下である混血児を増やす為に無垢の乙女を白人に人身御供・慰安婦として差し出して子供を産ませた。
 これが、当時の欧米列強による近代化であった。
 この有色人種の暗黒時代は、1905年9月に、小国日本が日露戦争で超軍事大国ロシア帝国を破った事によって終結した。日露戦争の歴史的意義を否定する一部の現代日本人が、日本の歴史的勝利をアジアへの侵略行為と否定している。
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 フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィア、ローマ、ナポリの五大都市国家は、オスマン帝国の侵略からキリスト教世界を守る為に、これまでの内戦を停止して和平条約を結んだ。「ローディの和」である。
 各都市国家は、いつ終わるか解らない内戦で財政難に陥っていたが、内戦の終結で財政が豊かになり、イタリア・ルネサンスが花開いた。
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 1483年 ユダヤ人のイサク・アプラバネルは、スペイン王国の国家財政長官に任命された。
 ユダヤ教徒ユダヤ人は、キリスト教徒との取引を円滑にさせる為に、嘘の改宗を行いキリスト教徒となった。隠れユダヤ教徒・マラーのである。
 嘘の改宗は、弾圧を逃れてではなく、金儲けの為の狂言でしかなかった。
 ユダヤ教のラビや律法学者は、絶対神の聖なる教えが冒涜され、ユダヤ教が乱れるとしてキリスト教会に告発した。
 ドミニコ会修道士であるユダヤ人トルケマダは、多くの改宗ユダヤ人は真のキリスト教徒ではないと訴えた。
 バチカンは、トルケマダをスペインの異端審問所初代長官に任命した。
 トルケマダは、異端者を見つける為の宗教的秘密警察を設置した。
 秘密警察は、ユダヤ教徒の協力を得て、異端者の炙り出しを行い、疑わしい者を逮捕し地獄のような拷問で自白を引き出し、自白しない者は冤罪でも構わず拷問で殺害した。
 宗教が狂気で暴走すると、世にも恐ろしい虐殺が起きた。
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 1487年 オスマン艦隊は、地中海西部に勢力を拡大し、フランスやスペインの沿岸を襲撃して略奪を繰り返していた。
 ヨーロッパ世界に、アジアあるいはアフリカの何処にキリスト教徒の王プレスター・ジョンの王国がるという噂が流れ得た。
 キリスト教徒は、プレスター・ジョンと連合してイスラム教徒を挟み撃ちし、異教徒を討伐し、多くの異教徒を改宗させようと考えていた。
 1492年 スペイン王国は、イスラム教のナスル朝グラナダ王国を滅ぼしてレコンキスタ(国土回復運動)を達成した。
 スペイン出身のロドリーゴ・ボルジア枢機卿は、ローマ教皇になる為に全財産を費やして多くの枢機卿大司教を買収した。教皇選挙に勝利し、教皇に即位してアレクサンデル6世(〜1503年)と名乗った。
 史上もっとも堕落したローマ教皇の誕生である。
 中世のローマ教皇は、敬虔な信仰ゆえに選ばれていたわけではなかった。
 当時のローマは、他の都市国家に比べて領土が少なく弱小であった。
 アレクサンデル6世と息子のチェーザレは、ローマ教皇の権威と同盟国フランス王国の軍事力を利用して、反ボルジアの枢機卿大司教らを毒殺し財産を没収して失った以上の財産を築いた。
 アレクサンデル6世は、教皇領拡大の戦争を行う為に、バチカン内に80以上の役職を新設して高値で売った。
 新たな内戦は、ローマ教皇が発した「神の御名」によって始まった。
 イベリア半島でのユダヤ人追放令。
 ルーマニア南部ワラキア公国ヴラド3世(1431〜1476年)は、イスラム教徒からは「串刺し公」と恐れられたが、キリスト教徒からは異教徒を虐殺した英雄と称賛された。
 イタリア南部のイモラとフォルリの女領主カテリーナ・スフォルファ(1463〜1509年)は、夫リアリオ伯爵を暗殺した犯人とその家族全員を処刑した。
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 1494年 ミラノ公スフォルツァ家のイル・モーロ(ルドヴィーゴ)は、他の都市国家を攻撃する為にフランス軍を引き込んだ。
 フランス王国は、イタリアの富を奪う為に大軍を派遣して、イタリア内戦を半島全体に拡大させた。
 アレクサンデル6世は、内戦激化を教皇領の拡の好機と捉え、ドイツ皇帝を「神聖ローマ帝国皇帝」に任命し、ドイツ軍を引き入れた。
 各都市国家の商人は、イタリアが外国の軍隊に侵略されイタリア人が虐殺さようとも一切意に介さず、個人に利益の為の商売を続けていた。
 商人にとって国境は、商業活動を制限する枠組みではなく、イタリアが危険であればフランスかスペインかドイツに逃げ出していた。 
 修道士サヴォナローラは、フィレンツェで禁欲的キリスト教精神を説いて市民の支持を勝ち取り、厳格な神権政治を始めた。その結果、ルネッサンス文化に輝いていたフィレンツェは、偏狭的キリスト教教義の解釈で陰気で活気のない町に変貌した。
 フィレンツェ市民は、以前のような人間性開放文化を取り戻すべくサヴォナローラを生きたまま焼き殺して、キリスト教会支配を排除した。
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 1498(1420〜)年 トマス・デ・トルケマダ異端審問官は、死ぬまでに3,000〜8,000人を異端者として焼き殺した。、
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 中国や朝鮮の軍事力に翻弄された、古代日本の王朝割拠期さながらの内戦である。
 日本が日本でいられたのは、大王家・天皇家の大和王朝が他の諸王朝を滅ぼして、日本を大和中心に統一したからである。
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宗教改革
 宗教改革は、ローマ・カトリック教会の堕落と腐敗に抗議する潔癖で厳格な新教・プロテスタントプロテスタンティズム)との神学的対立を産んだ。
 プロテスタントは、聖書中心主義を掲げて、イエス・キリスト代理人を主張するローマ教皇の権威を否定し、ローマ・カトリック教会の様な中心教会を作らず、バチカンが認証した聖職者・神父を認めなかった。
 自国語の聖書が普及するや、教会には聖書を深く理解する人間を信者代表として牧師に選んで置いた。
 ちなみに、1045年頃にはローマ教皇の地位は信仰ではなく金650キロで売買され、カトリック教会の司教や司祭や修道院長などの高位の聖職もキリスト教徒であれば、国籍や人種・民族に関係なく金さえあれば平等に買う事ができた。高位の聖職を高額で購入した者は、権威を笠に着て有力者にばらまいた金額以上の金を敬虔な信者から徴収した。
 領主や権力者は自分の命を金で買ったが、貧しい者は死ぬしかなかった。それがキリスト教が支配した、ヨーロッパであった。
 人間味の強い教皇は、人間性を殺し欲を捨てる事を強制されている万世一系男系天皇とは、本質が正反対の最高位聖職である。教皇には、キリスト教徒であれば、白人やアジア人やアフリカ人でも、人種・民族に関係なく誰でも自由になれた。
 両派は、お互いに相手を堕落した異端者と罵り合い、1562年から約100年に渡る宗教戦争を起こし、「血と炎」でヨーロッパ人口の3分の1を「神の名」のもとに殺した。
 王国には徴兵制義務を持った国民が存在しなかった為に、国王や領主は獰猛で野蛮な他国出身の傭兵を大量に雇って軍団を作って戦争を続けた。傭兵は、戦争のプロとして金の為に敵と戦ったが、同時により多くの褒美を得る為に嫌いな仲間を倒す隙を窺うライバルで有った。
 戦争をしたのは、古代から領民ではなく、貴族や傭兵であった。彼らは、貧しい者を家畜のように平然と殺害した。
 キリスト教会は、殺されるだけの庶民に対して、神が定めた聖なる宿命であるから抵抗せずに諦めるように説教を垂れた。貧しい庶民は、神の名を称えながら、「非暴力」で奴隷として、「無抵抗」で家畜の様に屠殺人の前に出て殺された。教会は、その行為を正しい行いとして称えた。
 騎士道を重んずる騎士団ではない傭兵軍団や外人部隊は、通過した敵地で平然と虐殺と略奪と婦女暴行を繰り返した。
 異教徒ユダヤ人は、両陣営から嫌われて攻撃を受け殺害され略奪されたが、異教徒ゆえに「神の御名」による不毛な戦場に狩り出される事はなく、持てるだけの財産を手にして国境を越えて大地が続く限り各国・各地域を逃げ回った。そして、生き残った。
 彼らは、キリスト教徒が目の前で殺されても、自分には関係ないとして助ける事なく立ち去った。お人好しにも助ければ、次の瞬間に異端者として殺され、全財産を奪われる危険があったからである。
 ユダヤ人高利貸しは、異教徒ヨーロッパ人と距離を置き、国家への愛国心や政府・領主への忠誠心にも無縁と割り切り、両陣営に更なる殺し合いをさせるべく戦費を融資して高額の利益を得た。
 ユダヤ人商人は、非ユダヤ人に対して詐欺まがいの高利貸しを行って金を荒稼ぎした。
 その事が、ユダヤ人の世界征服という陰謀説を生み、新たな憎悪の原因となった。
 チャールズ・キャレブ・コルトン「人は宗教の為に論争するであろう。その為に書き、その為に戦い、その為に死に、その為に生きること以外は何でもやる」(『スパルタ人』)
 マルクスユダヤ問題に関する諸問題』「ユダヤ人は、王達を王位に就かせたり、王位を奪ったりする。ユダヤ人が支配する世界政府を目指している。さらにユダヤの神は銭であり、その職業は高利貸しである」
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宗教改革から逃亡するユダヤ人 
 16世紀 ローマ教皇庁は、苦しい財政を補う為に、市内の売春宿をライセンス制として収入の一部を上納させていた。
 最盛期。5万人のローマ市民に対し、約7,000人の娼婦が居たといわれている。
 ヴェネツィアは15万人の市民に対して、1万人の娼婦が居たといわれている。
 こうした売春事情は、ヨーロッパ全体で同様であったといわれている。
 枢機卿や司教達は、キリスト教会の権威を利用して富を手に入れて豪華な邸宅に住んでいたが、妻子を持てなかった為に高級娼婦を囲って淫乱で堕落しきった生活を送っていた。
 司祭や修道士も、市民と共に下級売春婦を買って遊び、中には性病をうつされた者もいた。
 中世キリスト教会は、腐敗堕落しきっていた。
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 1503年 ユリウス2世が、アレクサンデル6世の逝去に伴う教皇選挙で選ばれた。
 サン・ピエトロ大聖堂の再建と教皇拡大の戦争を行って、教皇庁の財政を圧迫した。
 ユリウス2世は、戦争と好色に明け暮れ、そして性病を患っていた。
 イタリアは統一国家とはなりきれず、各都市国家が利益で離散集合する分裂状態にとどまた為に、絶えずドイツ、フランス、スペインの侵略を受け虐殺と掠奪にあった。
 中世イタリアの悲劇は、イタリア人に愛国心が欠如していたからである。
 統一性を持たない国家は滅亡し、愛国心を持たない国民は奴隷となる。
 それが、大陸史、世界史、人類史の常識である。
 1513年 フィレンツェを追放されていたメディチ家は、フィレンツェに帰還する為に、スペイン国王の力を借りてジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿ローマ教皇に即位させた。レオ10世である。
 メディチ家は、ローマ教皇の権威とスペイン国王の軍事力を持ってフィレンツェに帰還し、市政を掌握して間接統治をおこなった。
 レオ10世は、禁欲による信仰生活よりも放蕩三昧の自堕落な生活を愛し、バチカンの財産を湯水の様に使い果たした。さらなる資金を得る為に、免罪符の販売を開始した。
 同時に、フィレンツェの財政も圧迫した。
 「一代で、三代分の教皇の収入を使うほどの派手な生活を楽しんだ」
 1517年 ルターは、腐敗堕落したキリスト教会を正す為に『95ヵ条の論題』を発表して改革運動を本格化させた。
 ルターやカルヴァンらは、宗教権威で絶対神と原罪を持つ人の間に介在し、絶対神に代わって人の罪を許すというローマ・カトリック教会の免罪権を否定した。罪深い人の救済は、教会が販売する免罪符の購入ではなく、「人は善行ではなく、神の恩寵への信仰で救われる」と説いた。そして、宗教を利用して金儲けをしたり女と酒で享楽に耽る堕落した聖職者を批判し、世俗の政治権力と癒着して利益を得てゴージャスな装いに酔いしれる醜悪な教会の腐敗を告発した。
 1520年 教皇は、聖書を盾にしてカトリックの教義を批判するルターを破門した。血に塗られた、陰惨な宗教改革の始まりである。
 1521年 レオ10世が逝去して、ハドリアヌス6世が即位するや1年余で急死した。
 1523年 教皇選挙によって、ジュリオ・デ・メディチ枢機卿が選ばれてクレメンス7世(〜1534年)として即位した。
 クレメンス7世の子であるアレッサンドロ・デ・メディチが、フィレンツェ市政を支配し、ローマ教皇の権威を笠に着て暴君的に振る舞った。
 1524年 ドイツ西南地方で農民の叛乱が起き、叛乱は中部ドイツに拡大し、ドイツの3分の2を戦火に巻き込んだ。領主や聖職者による租税によって、最貧困に追い込まれていた農民層は、都市住民との凄まじいほどの生活水準格差に、慢性的な不満を抱いていた。極貧の農民は、「絶対神の前では平等」を訴えて、天地ほどの格差を是正させる為に武装蜂起した。不平等な格差は、暴動の引き金となった。
 ルターは、農民や職人らの叛乱は聖なる身分による秩序を破壊するとして、領主や騎士らに暴徒を鎮圧するように呼びかけた。
 プロテスタントも、他派を異端者として生きたまま焼き殺し、領主が選んだ宗教を拒否した領民も異端者として処刑した。
 ルター「もし農民が公然と叛乱を起こしたならば、彼は神の法を踏み外している。なぜなら暴動は単なる殺人ではなく、国土全体に襲いかかってこれを荒廃に帰せしめる大火の如きものだからである」「神にとっては、多くの農民を虐殺する事など取るに足らない。神は全世界を洪水で溺死させ、火をもってソドムを滅ぼし給うたではないか」
 農民は、限られた土地で、食糧と家畜用の飼料を作っていた。その為に、家族用の食べ物はほんのわずかしか残らず、貯蓄して財産を残すことは不可能であった。
 教会が説くような「平等」は、現実の階級社会において存在しなかった。
 ジョージ・ハッパート「冬が始まり、日が短くなってゆくと村人達は寒さと飢えに対する準備を始めます。収穫の3分の1は領主や聖職者や租税徴収人へ支払ってしまうので、夏がめぐってくるまで何とか生きてゆくだけのものが残されている事を望むのがせいぜいでした。食糧がなくなれば餓死するだけであり、誰からも助けてもらえるあてなどありませんでした。一方、町には蓄えがありました。囲壁のなかには司教や司祭のものである巨大な倉庫があって、そこには農民の田畑から十分の一税として徴収された穀物が詰まっていました。そして町の中の屋根裏や地下室には、一年間の穀物、ワイン、油、塩漬けの豚肉、その他の生活必需品がストックされていました」(『西洋近代をつくった男と女』)
 ルター派ランツクネヒト軍団は、神聖ローマ帝国皇帝の傭兵として強力な防衛的軍事力を持たない脆弱なローマを攻撃して占領した。金で雇われていた傭兵は、ローマを見るも無惨に破壊して、虐殺と略奪の限りを尽くした。絶対神の名において、大量の血が流された。
 クリストファー・ヒバート「各所で屍体が嵩高く積み上げられ、街路を塞ぐほどであった」(『ローマ ある都市の伝記』)
 当時において、非暴力無抵抗主義の無防備都市とは幻想であった。
 1525年7月 叛乱は武力鎮圧され、叛乱に加わった農民達は見せしめとして、世にもおぞましい残酷な手段で処刑された。女子供に関係なく、全員が虐殺された。犠牲者の数は夥しいが、正確な数は不明である。
 だが、生活水準の格差が存在する限り、残虐な処刑で農民を震え上がらせても、農民蜂起は繰り返された。
 西欧と中国は、拷問を文化に変えた。
 西欧の軍隊の主力は、自国の領民ではなく、他国の契約兵士・傭兵である。契約兵士は、無国籍者や出稼ぎ兵士であり、より多くの敵を殺せば多額の報酬が得られるとって、他国人を喜んで殺した。そして、占領地では強姦や略奪を当然の権利として行った。指揮官は、蛮行を見ても見ぬ振りをして止めなかった為に、人的被害は増大した。大陸における、大人の世界戦争とはそうしたものである。
 日本の戦争は、家族性を強調し、流血を最小限に食い止めようとするだけに、馬鹿馬鹿しい稚拙な子供の喧嘩に過ぎない。
 ドイツ国内のユダヤ人達は少数で行動し、他の集団が虐殺されようとも、自分達の集団が生き残る為に逃げ惑った。彼等によって、生き残るのも、死ぬのも、全てが絶対神の思し召しであった。無国籍ユダヤ人にとって、祖国がないだけに愛国心はなく、絶対神を信仰して主君を持たないだけに忠誠心もなかった。ユダヤ教徒にとって、陰惨な宗教戦争は、キリスト教徒の内紛に過ぎなかった。だがら、キリスト教徒がどうなろうとも関係ないとして、金目の物を持って一目散に逃げた。戦火に苦しむ地元のキリスト教徒は、自分だけ助かれば良いという平和主義を口にする自己中心的ユダヤ人を憎んだ。
 世界的常識では、武器をとって一緒に戦わない者は、如何なる理由があろうとも敵であった。戦いを嫌って仲間を見捨てる者は、人として助ける必要はないというのが、世界基準であった。
 離散したユダヤ人は、逃亡が宿命付けられていただけに、どんな状況にあっても冗談を言い合いながら苦しみに堪え、笑いながら諦めることなく前向きに逃げ回った。迫害から逃げるユダヤ人は、絶えず殺されるという恐怖の中にあっても、絶望するという事を知らない陽気で屈託のない民族である。
「ジョークの花は、悲しい時代に咲く」
 非ユダヤ人は、他人の生き死にに関係なく冗談を言い合いながら陽気に逃げ回り、非ユ
ダヤ教徒の不幸を冗談で片付けて金儲けするユダヤ人高利貸しの図太さが癪に障った。
 ヨーロッパには、知的で高度で高級なジョークやユーモアやエスプリやシャレが生まれた。閉塞感の強い島国的日本人は、開放的な大陸的欧米人に比べてジョーク感覚がなく、ジョークを理解する知的能力が欠けていると言うのが世界的な通説である。
 ジョバンニ・ボテロ(イタリア人)「偉大な国家を滅ぼすものは、決して外面的な要因ではない。それは何よりも人間の心の中、そしてその反映たる社会の風潮によって滅びるのである」
 1527年 クレメンス7世は、アレッサンドロがフィレンツェから追放されるや、神聖ローマ帝国カール5世に軍事支援を要請した。
 1531年 アレッサンドロは、ドイツ・スペイン連合軍の力を借りてフィレンツェ共和軍を破り、フィレンツェに帰還した。
 だが、反メディチ派によって暗殺された。
 1536年 カルヴァンは、フランスを逃げ出してジュネーヴに亡命し、独裁的宗教改革を指導した。聖書に基ずく厳格な禁欲生活を説き、違反する者や反対する者を容赦なく厳罰に処した。
 信者を厳しく拘束する為に、監視組織として長老会を設立させた。
 だが、現世利益としての蓄財と金利5%までの金貸しを認めた為に、商工業者が資本を蓄える為に長老会に参加した。
 カルヴァン派は、イングランドやオランダに支持者を拡大し、その地域に近代的資本主義の芽が生まれた。
 1537年 時代は、キリスト教会が取り仕切る絶対君主制の時代に突入した。 
 コジモ・デ・メディチは、フィレンツェ都市国家を守るべく公国に移行して、コジモ1世として即位した。 
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 1543年 バチカンの高位聖職者の多くが、ユダヤ人金貸しの賄賂と美女で籠絡されて腐敗堕落していた。
 マルチン・ルターは、敬虔な信仰に立ち戻り、ユダヤ人金貸しを追放すべきであると決心し、『ユダヤ人と彼らの嘘について』を出版して宗教改革を訴えた。
 ジェームズ・E・バルジャー神父「もしもルターが教会を内部から改革できていたならば、人々は数世紀にわたったヨーロッパを荒廃させた恐ろしい宗教戦争を免れたかもしれないのです。ユダヤ人はルターの信奉者達を全て虐殺する事で、彼を滅ぼそうとした。ユダヤ人の扇動による、このいわゆる宗教戦争なるものは、人間性に対するユダヤ人の最も邪悪な犯罪の一つです」



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