🔯50」─1─スペイン王国。インカ帝国とアステカ王国の滅亡。インディオの虐殺。ヴァスコ・ダ・ガマ。1486年。~No.175No.176No.177 @ ㉔ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
スペイン王国の総人口約900万人。
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 国家の繁栄は、必ずしも人口だけではない。
 人口だけが、国家や国民に富をもたらすわけではない。
 人口が多くても、国家は衰え滅びる事がある。
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 ペルーには、約2700年間、ティワナク文明が栄えていた。
 紀元後1300年頃、異常気象に襲われ、100年間続いた干ばつで食糧不足となって滅んだ。
 その子孫が、インカ帝国を築いた。 
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 キリスト教は、絶対神にひたすら祈る「祈る宗教」であった。
 ユダヤ教は、生涯を通じて難解な経典を研究し厳しい戒律を守る「学ぶ宗教」である。
 ユダヤ教についてゆけない知力の乏しいユダヤ人は、学習に付いていけなくなってキリスト教に改宗した。
 ユダヤ人は、教育を大事にして学力や商才のある優秀な者だけを残し、学習を苦痛として落ち零れた学力の低い者は汚いきつい重労働をさせた。
 成功した者は、学力のない者に対して援助し、商売で身を立てられるように支援した。
 ユダヤ教は、貧しい者へのツェダカ(善行)を命じていた。
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 大航海とは、崇高なキリスト教文化を未開の世界に伝播させるという崇高な使命による動機では亡く、西洋諸王国の金庫を豊かにし、王国戦争を勝ち抜く為の戦費にする為であった。
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 スペイン帝国は、インカ帝国とユカタン王国の征服とインディオ大虐殺の批判を浴びて、スペイン人を犯罪者と貶めるブラック・プロパガンダによって没落させられた。
 事ある事に非難され、ひとり発展から取り残されて、近代国家の仲間から追放された。
 歴史戦における国内外の議論に敗れた者や国際広報合戦に敗れた者は、名誉を傷つけられ、尊厳を踏みにじられ、人間としての国際的地位を失う。
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 若狭和朋「自国を悪く考えるようになってからイスパニア大帝国は衰滅に至った。では、誰がスペインを悪く言ったのか。イギリスとオランダである。イギリスやオランダが植民地でいかに酷いことをしたかは、いまでは広く知られている。同じことをスペインもやった『だけ』である。しかし、スペインは歴史の敗北者になり果てた。なぜか。スペイン人たちは自国の歴史に自信を持てなくなっていっったである。
 悪逆非道の国、虐殺の国……無数の悪口がスペインに浴びせられ、プロパガンダ(宣伝)合戦に敗北したスペイン人は、国民的に元気を失い、歴史の敗北者にさえられた。自信を喪失し、自己嫌悪に苦しみ、自虐に親しみ、さびしく自国を嘲笑(ちょうしょう)する国民には衰滅しか道はない」(『昭和の大戦と東京裁判の時代』)
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大航海時代=世界征服戦争 
 イグナチウス・ロヨライエズス会の創設者)「私の意図するところは、異端の地をことごとく征服する事である」…ローマ教皇パウロ3世は、聖人ロヨラの不撓不屈の信仰心を祝福した。
 バチカンは、異教徒を改宗させる事は神から与えられた神聖な使命であるとして、キリスト教スペイン王国(1650年の人口900万人)とポルトガル王国(1600年の人口200万人)が武力占領し植民地とした異教徒非白人の土地を祝福した。
 キリスト教会は、異教徒によって占拠された絶対神が創造し祝福した土地を奪い返し、絶対神の教えに背く異教徒を焼き殺す事は「正しい戦争」であると承認した。絶対神への信仰の証しとして、侵略戦争を「聖戦」として奨励したのである。
 カトリック教会は、非キリスト教世界を「唯一絶対神の真理」で生まれ変わらせる為に、崇高な普遍的価値観で「最後の審判」を実行した。
 そして、悔い改めた異教徒非白人には救世主キリストの御名によって「愛」の宗教を授け、奴隷の地位を与えた。
 「最後の審判」思想にもとずき、改宗を拒否する異教徒は人間ではないとして生きたまま焼き殺す事を許可し、地上をキリスト教徒で埋め尽くす為に異教徒を皆殺しにする事を承認した。
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 オスマン帝国が東地中海を、イタリアの貿易港都市が西地中海を、それぞれ支配していた為に、スペインとポルトガルは黄金の島であるジャパン(日本)への新たな航路を切り開く為に大海原に乗り出した。
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 マヤ文明は、残忍な生け贄の儀式を行っていた。
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 インカ帝国は、帝国の繁栄を神に祈るべく、山頂の神殿で10歳前後の男女の子どもを生け贄として生きたままミイラにした。
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 1486年 アステカ王国のアウィツォトル王は、大神殿の落成式を催し、周辺諸部族から強制連行した8万人以上を、太陽神への生け贄として4日間で惨殺した。
 アステカ族は、敬虔な信仰心と周辺諸部族の支配強化の為に、定期的に生け贄の儀式を行っていた。
 周辺諸部族は、人質として差し出した身内が生け贄にされるのを目の当たりにし、その恐怖からアステカ国王に忠誠を誓った。
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 南米では、スペイン人が持ち込んだ天然痘チフスなどの伝染病が蔓延して、1億人以上のインディオが犠牲となった。
 生きた人間を生け贄にする宗教儀式は、世界中に存在していた
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*トルデシリャス条約。キリスト教徒白人による、アステカとインカの征服 
 1492年 スペインとポルトガルは、ローマ教皇の勅許を得て地球を分割する契約を結んだ。
 フェルナンド5世とイザベル1世のカトリック両王は、スペインをキリスト教化する為にユダヤ教徒追放令を発布した。
 ユダヤ人に対して、3ヶ月以内にキリスト教に改宗しない者は国外に出ること命じ、改宗せず領内に留まる者は処刑すると宣言した。
 強制改宗は失敗し、多くのユダヤ人は信仰を守る為にが全財産を放棄してスペインを出た。
 スペインが生地であり、
 祖国であり、愛していても、ユダヤ人は自分たちの民族宗教や自己の信念と信条を守る為にスペインを捨てた。
 それが、世界常識である。
 キリスト教徒は、自分たちに馴染まない異教徒ユダヤ人を目の当たりにして、改宗要求を拒否する事に苛立ち、信仰を死んでも守ろうとする信仰心を恐れて差別した。
 新たなユダヤ人迫害の始まりである。
 これ以降。キリスト教徒は、各地で改宗要求を拒絶するユダヤ人を虐殺するか追放した。
 1492年8月11日 ロドリーゴ・ボルジア枢機卿は、インノケンティウス8世没後のコンクラーヴェで、多くの枢機卿を買収して教皇に選ばれ、第214代ローマ教皇に即位しアレクサンデル6世と名乗った。(〜1503年8月18日)。
 アレクサンデル6世と息子のチェーザレ・ボルジアは、一族の繁栄とローマ教皇庁の軍事的自立に精力を注いだ事で、イタリアを戦火に投じた。
 12月5日 コロンブスは、エスパニョーラ島をインドと思い込んで上陸し、スペインの植民地とした。 
 1493年 ローマ教皇アレクサンデル6世は、スペインとポルトガルの植民地獲得競争を円滑にするべく分割線「教皇子午線」を地球上に引いた。
 大西洋のベルデ岬諸島の西を通る子午線から西方をスペイン、東方をポルトガルの勢力圏と決めた。
 スペインとポルトガルは、世界を分割支配させる為に、教皇アレクサンデル6世の仲介で西側の分界線を画定する「トルデシリャス条約」を締結した。
 性病は西インド諸島の風土病であったが、コロンブスが性病をヨーロッパに持ち込んだ。
 性の乱れの酷かったヨーロッパで性病が瞬く間に拡がったが、誰も性病に罹る事を恥とは思わなかった。
 性病は、1513年に日本にもたらされ、畿内で爆発的に流行して根付いた。
 1494年 アレクサンデル6世の大勅書。それぞれの国が、開拓した航路と発見した土地の領有及び交易の占有権を与えた。
 それぞれの国と提携する修道会に、キリスト教布教の独占を認めた。
 1496年 スペインは、イスパニョーラ島を完全占領し、5つの大国を攻め滅ぼした。
 300万人の島民を奴隷とし、まともな食事を与えず重労働を課し、病気になっても治療を行わなかった為に、人口は急速に減少して200人となった。
 サン・フワン島やジャマイカ島などでも、強制労働が行われ数十万人の島民全てが死に絶えた。
 1498年 ヴァスコ・ダ・ガマは3隻の船を率いて、マダガスカル島の対岸にあるモザンビークに到着した。
 ヴァスコ・ダ・ガマは、水や食糧を得る為に住民と交渉するが、らちが明かない為に砲撃して住人を殺し、人質を取ってさらに威嚇した。
 船団は、必要な物資を手に入れてモザンビークを離れて帰国した。
 東アフリカの現地人は、ポルトガル人の横暴ぶりに恐怖した。
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 岩田温「アメリカ・インディアンの悲劇
 1492年。
 『イヨクニ燃えるコロンブスアメリカ大陸の発見』
 多くの人が御存知のゴロ合わせですが、この『発見』という言葉は、大変失礼な言葉です。何故なら、コロンブスが到達する以前に、アメリカ大陸には多くの人々が住んでいたからです。彼らは『インディアン』と名付けられましたが、これはコロンブスアメリカ大陸をインドだと誤解したためにつけられた名称です。
 仮に、コロンブスの『発見』というのであれば、インディアンの人々を人間だと見なしていないということになるのでしょう。何故なら、既に人間が住んでいる場所に到達して『発見した』などという言い方は出来ないからです。この表現そのものが白人中心主義史観とでもいうべき立場を物語っていると言えそです。
 コロンブスが出会った先住民、バハマのタイノ族の人々は、極めて温和な人々で、武器の存在そのものも知らなかったといいます。コロンブスも感激して次のように記しています。
 『さほど欲もなく……こちらのことにはなんにで合わせてくれる愛すべき人びとだ。これほどすばらしい土地も人もほかにない。隣人も自分のことと同じように愛し、言葉も世界で最も甘く、やあしく、いつも笑顔を絶やさない』
 素晴らしい人々に出会ったと喜んだコロンブスは、一体何を始めたのでしょうか。
 彼はこの素晴らしい人々を捕えて奴隷としてスペインに連れ戻したのです。ちょっと我々の神経では理解できない所業と言わざるを得ません。先住民の人々はコロンブスを攻撃したわけでもなく、コロンブスに冷たい仕打ちをしたわけでもありません。外から来た異邦人を暖かく歓待したところ、タイノ族の人々は捕えられて、奴隷とされてしまうのです。コロンブスは、他にも酷いことをしています。黄金を手に入れたくて打ち震えていたコロンブスは、先住民の人々に金の採掘を命じます。圧倒的な武力をもったコロンブスに金の採掘を命じられた人々は、自らの畑仕事を放り出して、金の採掘のために血眼になりました。この結果、畑は荒廃し、5万人もの人が餓死するという深刻な飢餓が引き起こされたのです。
 悪逆非道の限りを尽くしたのはコロンブスばかりではありません。スペインのニコラス・デ・オバンドもかなり悪辣なことをしています。
 イスパニョーラ島に到着したオバンドは、島の有力者たちに敬意を表すために、豪勢な宴を催します。しかし、これは奸計であり、その宴に参加してくれた気のいい有力者たちは、全てその場で殺戮されてしまいます。この後に、圧政に堪えかねた人々が反乱を起こすと、オバンドは断固たる姿勢で臨み、7,000人ものタイノ族が殺されたともいわれています。スペイン人が入植して以降、10年も経たない間に、島の人口は、6万人から、1万1,000人にまで激減したと記録されています。彼らは過酷な労働で多くの人々が死ぬと、労働力の不足を補うために他の島から人々を捕えて奴隷としたのです。コロンブスをはじめとするスペイン人たちは、この地で徹底的な搾取を試みましたが、この島に永住し、新たな植民都市をつくろうとはしませんでした。」(『人種差別から読み解く大東亜戦争』)
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 1502年 ドミニコ会派のバルトロメー・デ・ラサ・カサスは、カリブ海のスペイン植民地エスパニョーラ島に上陸した。
 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』「キリスト教徒達は、まずインディオ達から女や子供を奪って使役し、虐待し、また、インディオ達が汗水垂らした食糧を強奪した。……
 キリスト教徒達はインディオ達に平手打ちや拳固をくらわし、時には棒で彼等を殴り付け、ついには村々の領主達にも暴力をふるうようになった。口には出すのも恐ろしく恥ずかしい事であるが、キリスト教徒のある司令官は島で最大の権勢を誇る王の后を強姦した。この時から、インディオ達はキリスト教徒達を自分達の土地から追放しようといろいろ策を練り始めた。……キリスト教徒達は馬に跨がり、剣や槍を構え、前代未聞の殺戮や残虐な所業を始めた。彼等は村々へ押し入り、老いも若きも、身重の女も産後間もない女もことごとく捕らえ、腹を引き裂き、ずたずたにした。その光景はまるで囲い込んだ子羊の群れを襲うのと変わりがなかった。
 ……」
 『裁かれるコロンブス』「猟犬を使うこの新しい方法は、このエスパニョーラ島で初めて、悪魔が思いつき、考え出し、そして思いのままに操ったものだが、やがてその後インディアスの全域へと広がって行ったものである」
 ラサ・カサスは、インディオの叛乱が鎮圧された後、インディオを奴隷として所有し使役する地主となった。
 ヴァスコ・ダ・ガマは、インド洋を征服する為に20隻の大艦隊を率いて出港した。(〜15)
 ポルトガル海軍は、インド洋海域の主だった港町を攻撃して略奪と殺戮を繰り返した。
 誰でも自由に航海できた海は、ポルトガル人に支配され自由をなくした。
 ポルトガル軍による殺戮が、各港を襲った。
 ポルトガルの侵略は、インド洋から南シナ海を北上して日本に向かった。
 1511年 スペインは、キューバ島に上陸して占領し、反抗的な島民を容赦なく生きたまま焼き殺し、子供は陰惨な方法で惨殺した。
 12月21日 ドミニコ会修道士アントニオ・ドミンゴは、ディエゴ・コロン副王(コロンブスの息子)に対して、スペイン人が植民地で続けている原住民に対する虐殺を弾劾した。「あなた方は一人残らず死罪の身です。……どうしてあなたがはこんなふうに彼等を弾圧し、へとへとになるまで扱き使うのですか。食べ物も与えず、病気を癒してやる事もしないで。その病気も、もとはと言えばあなた方が働かせすぎたからではありますんか。確かに彼等はあなた方のせいで死んだのでは無いかもしれません、もっと正確に言うなら、あなた方が直に命を奪ったのではないかもしれません、でも、あなた方は来る日も来る日も彼等に金を掘らしたのです。……いったい彼等は理性ある魂を与えられた存在ではないのでしょうか。あなた方には、彼等をあなた方自身の様に愛する義務が有るのではないのですか」
 1512年 コロンブスの息子ディエゴは、植民地の総督に任命されるや、キューバ島を征服する為に軍隊を率いて攻めた。
 ラサ・カサスは、従軍司祭として征服軍に加わっていた。
 アステカ王国を滅ぼし、メキシコを植民地化したコルテスも参加していた。
 スペイン侵略軍は、島内至る所で、インディオに対して皆殺しを辞さない拷問と虐殺を繰り返していた。
 ドミニコ会のモンテシノスらは、インディオに対する常軌を逸した蛮行を激しく糾弾した。
 フランシスコ会は、インディオは肌の色が違う野蛮人(バルバロイ)であり、キリスト教を信仰しない異教徒である以上、理性も良心も道徳も持たない野蛮人を人として認める必要はなく、人でない獣を殺害し奴隷とする事は絶対神の御心にかなう事であるとして、植民地拡大と支配を擁護した。
 スペイン国王は、インディオ問題を解決する為に神学者や法律家らに協議を命じ、その結論をまとめてブルゴス法を制定した。
 ブルゴス法は、インディオを人と認め、正当な賃金を支払い、家や土地を与えて文明の恩恵に浴させるように努める事などを定めた。
 スペインから遠く離れた中南米の植民地では、本国の法律が守られる事は少なく、インディオが置かれた悲惨な境遇は改善される事がなかった。
 スペイン人達は、教会が襲われ神父が殺害されるや、報復としてインディオ討伐を繰り返した。
 捕らえられたインディオ達は、処刑場に引き出されても、永遠の命を与えられてもキリスト教徒しかいない天国を拒否し、洗礼と悔悟を拒絶して異教徒として処刑された。
 コロンブスエスパニョーラ島上陸してから約30年後、エスパニョーラ島やキューバプエルト・リコ、ジャマイカなどカリブ海の島々で平和に生活していたインディオは絶滅した。
 スペイン人は、新たな労働力を得る為に南米での奴隷狩りを始めた。
 ラサ・カサスは、インディア問題を再度喚起する為に『インディアス史』を書き上げた。
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 1530年 ポルトガル国王ジョアン3世は、ある法学者に、「異教徒の海を支配し、現住民を奴隷化する」にあたっての正当性の根拠を諮問した。
 法学者は、「文明」と「野蛮」、「世界中の民の霊魂を救済する」という、白人キリスト教徒の世界支配を正当化する根拠を示した。
 オスマン・トルコ帝国の領土以外は無主の地と見なし、他のキリスト教国が占領する前に占領すべきであると。
 つまり、そこに如何なる王国があろうとも、敵対するだけの軍事力を持たなければ無視してもかまわないという事である。
 地球上を、キリスト教に改宗する為にはい如何なる手段を使っても許される。
 絶対神の御名によって異教徒を殺す事は、悪神によって汚れた霊魂の救済につながる恵みとなる。
 「隣人愛の信仰」を広める事が、全てに優先する。
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 1532年 マキアヴェリは『君主論』を出版した。
 「君主は愛されるより恐れられるべきだ」
 君主にせよ国家にせよ、愛されるという事はバカにされると同意語であった。
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 1537年 ローマ教皇パウルス3世は、「新大陸のインディオも理性ある人間として扱われるべきである」という回勅を出したが、それを守る白人キリスト教徒はいなかった。
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 1543年 ポルトガル人は、種子島に鉄砲を伝えた。
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 羽田正「カルタス(通行証)制度によって、インド洋海域にそれまで見られなかった新たな帝国が生まれた。それまでの帝国は『陸の帝国』であり、広大な陸地を支配領域とし、農耕地からあがる税収をその主たる収入としていた。しかし……『ポルトガルの鎖』の内側は海なのである。ポルトガル人のインド領は、この海における交通と貿易を支配し、そこからあがる税収をその主たる収入とする『海の帝国』である」(『東インド会社とアジアの海』)
 陸軍力の弱いポルトガルは、海を支配して陸地を求めなかった為に各地の国との争いを避けた。
 内陸地の王国は、大陸的発想で領地を求めなければ、海のを譲り、支配権が及ばない港湾外での外国船の管理略奪を許した。 
 時代は、陸上輸送の「陸の時代」から海上輸送の「海の時代」に変わり始めていた。
 陸地に拘り海に出ようとしなかった国や民族は衰退し、海からの侵略によって植民地となり奴隷とされた。
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 航空輸送の「空の時代」に空を目指さない者や、宇宙輸送の「宇宙の時代」に宇宙を目指さない者は、やはり衰退し弱貧国となる。
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 1513年 オスマン・トルコ帝国のピリ・レイス提督は、南極大陸を詳しく書いた世界地図を作成した。
 1607年 明の時代に作成された百科事典『三才図会』の「山海輿地全図」は、南極大陸を記載した。
 1712年 江戸時代の日本初の百科事典『和漢三才図会』にも、南極大陸が記載されている。
 1820年 南極大陸が発見された。
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バチカンは地球を二分するサラゴサ条約を祝福した。
 アステカ王国滅亡。
 スペインは、アステカ帝国を滅ぼす為に、対抗部族のトラスカラを手なずけた。
 この後、スペインはもちろんイギリスやアメリカなど白人キリスト教諸国は、征服したい土地がれば、その土地の異教徒異人種同士を敵対させ殺し合わせて絶滅させた。
 1513年 バスコ・ヌネス・デ・バルボアは、パナマ付近に上陸して西進し、地峡を横断し西海岸に達して太平洋を発見した。
 バルボアは、この地域をスペイン領である宣言したが、自分の王国を創ろうとした為に反逆罪で処刑された。
 1517年 スペイン人は、メキシコを征服する為に、度々訪れて敵情視察を行っていた。
 アステカ人等は、白い顔で髭を生やしたスペイン人を創造神ケツァルコアトルと勘違いして受け入れた。
 1519年 コルテスは、600名の部下を率いてチョルラを攻略し、町を破壊し、2〜3時間で3,000人の住民を虐殺した。
 11月8日 コルテスは、アステカ王国内の反乱分子と周辺部族を味方に付け、首都テノチティトランに入城した。
 1520年 コルテスは、反スペインを表明する周辺都市を、親スペイン派の軍事支援を得て攻め滅ぼし大虐殺を行った。
 アステカ王国第九代君主モクテスマ2世は、スペイン人の侵略から祖国を守る為に戦ったが敗北して死亡した。
 1521年 コルテス軍は、テスココ湖岸都市イスタパラパを陥落して、6,000人を大虐殺した。
 若き王クァウテモックは、首都を防衛して戦ったが、75日目に降伏した。
 コルテスは、クァウテモックを追放し、アステカ人をキリスト教に改宗させて奴隷とした。 
 スペインは、アステカ王国(人口1,000万人以上)を征服し、キリスト教を広める事で民族宗教とアステカ文化を滅ぼし、アステカ人を陰惨な方法で虐殺した。
 スペイン人が持ち込んだ疫病で、1,000万人のアステカ人を死滅させた。
 1522年 スペインは、メキシコ南部にあったタラスコ王国を征服し、住民を金採掘の為に鉱山で強制労働してその多くを殺した。
 1524年 オランダの人文主義エラスムスは、人間の理性を信じ、人間の自由意思を尊重し、人が行う全ての行動の責任は人間にあるという『自由意志論』を書いて発表した。
 宗教改革を推進していたルターは、人間の自由意志を否定し、全知全能の唯一絶対神の恩寵で救われるか救われないかは予め決定されていて、人間の善行や功績は関係ないとして批判した。これを、『奴隷意志論』という。
 人間は、自分が罪人である事を自己認識し、如何に努力をしても罪をあがなう術がない事に絶望し、その無力感で謙虚となって「個人」として直接絶対神の恩寵にすがるしかないと。
 「人間の意志は両者(神と悪魔)の間に、いわば荷役獣のように置かれているのである。もし神がその上に坐し賜うなら、神が欲する処へ向かうであろう。もし悪魔が坐していれば、悪魔が欲する処へ向かうであろう。二人の馭者のどちらを選択する力は、人間にはない。むしろ馭者の方が、自分達のどちらが人間を捕まえ独り占めにするのかを、競り合っているのである」
 ニ−チェ「ルターは教会を再興したのであった、つまり彼は教会を攻撃したからだ」(『アンチクリスト(反キリスト)』)
 1527年 サンタンジェロ城の惨劇。スペイン国王カール5世は、ローマを攻撃して虐殺と掠奪を行った。
 1529年 スペインとポルトガルは、東インドをも分割し植民地化するべく、新たな分界線を画定する為に「サラゴサ条約」を結んだ。
 両国は、大量の黄金が眠る日本を分割し、植民地にして富を分け合う事に合意した。
 キリスト教会は、両国に対して、異教国日本をキリスト教化し、異教徒日本人を改宗して「神のしもべ(奴隷)」にする事を希望した。
 1540年までに、カリブ海はスペイン人によって占領され、西インド諸島の島民は全滅状態に追い込まれた。
 1562年 スペインは、ユカタン王国を征服し、住民を奴隷とした。
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 インカ帝国滅亡。
 インカの民は、太陽神インティを崇拝していた。
 インカ皇帝は、インティの子孫である事を皇位の正統性として即位していた。
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 1530年頃 インカ帝国皇位継承をめぐって、ワスカルとアタワルパの二人の王子が争う内戦が発生した。
 アタワルパが、ワスカルを制して第12代インカ皇帝に即位した。
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 1533年 ピサロは180名の私兵を引き連れて、インカ帝国(人口1,000万人以上)を攻め、わずか30分程で5,000人以上の非暴力無抵抗のインディオを虐殺し、征服した。
 ピサロインカ帝国征服とインカ人虐殺に手を貸したのは、ドミニコ会バルベルデであった。
 インカ皇帝アタワルパは、ピサロと謁見し、遠路はるばる来訪した労をねぎらい、太陽神インティに捧げる神聖な酒「チチャ」を盃に注いで差し出した。
 ピサロは、野蛮人からの盃の受け取りを拒否して投げ捨て、アタワルパの目の前で神聖な酒「チチャ」を冒涜した。
 それは、インカの民の民族宗教「太陽神インティ崇拝」を侮辱した事を意味する。
 アタワルパは、キリスト教への改宗を拒否し、バルベルデが差し出した聖書を投げ捨てた。
 中世キリスト教会やスペインが目指した「神の王国」「光の国」「天国」が、中南米大陸であった。
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 ペルーのクスコは、約300年間にわたってインカ帝国の首都で、ケチュア語で世界の「へそ」と言う意味とされている。最盛期には、約30万人が住んでいたと言われている。
 こうして、高度な文明を誇ったインカ帝国は滅亡した。
 彼等は、攻撃を開始する前に必ず「神の栄光」を讃える敬虔な祈りを捧げ、地上に「神の王国」を招来する為に占領した土地の一部を教会に寄進する事を誓った。
 強大な帝国を滅ぼす為に皇位をめぐる兄弟喧嘩を利用し、民族主義愛国心を消滅させる為に家臣団の権力闘争を激化させて内部分裂を煽った。
 王国や王朝を滅ぼすには、強力な大軍を必要とはしない。なぜなら、如何なる国家も、外敵によって滅びるのではなく、国内の利権絡みの裏切り者、国益・公益より民益・私益を大事にする金儲けの亡者によって、いとも簡単に滅びたからである。
 布教活動を行った改宗ユダヤ人宣教師や修道士らは、民族宗教である太陽信仰を滅ぼしてキリスト教を普及する為に、皇帝アタワルパを改宗させてから「神の名」によって絞首刑にした。
 死刑の罪名は、宗教的罪としては、普遍的絶対神への冒涜、偶像崇拝、一夫多妻(日本的に言うところの側室)、近親相姦(日本的に言うところの異母兄弟結婚)であり、政治的罪としてはスペイン王国への謀反であった。
 インカ帝国は独立国であってスペイン王国の属国ではなかったし、インカ皇帝はスペイン国王に忠誠を誓った臣下でもなかった。
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 もし、皇帝が民族宗教を守る為に改宗を拒めば、生きたままとろ火でじわじわと惨たらしく焼き殺されていた。
 キリスト教会は、地域的民族宗教を根絶するまで弾圧し、洗礼を受けて改宗しても民族宗教を捨て切れないインディオを、異端審問で有罪として生きたまま火あぶりにして虐殺した。
 改宗ユダヤ人宣教師は、資産を持つインディオに改宗を強制し、従わない者は家族諸共に宗教裁判にかけて生きたまま火炙りにして、その全財産を強奪して教会の資産とした。
 こうして、中南米大陸はキリスト教化され、自然神崇拝の伝統的民族宗教は抹消した。
 普遍宗教の一神教は、民族宗教多神教を許さなかった。
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 キリスト教徒白人は、信仰の証しとして征服した土地に僧院や教会を建設し、山に籠る異教徒を女子供に関係なく獣の様に狩り出して「文明」の名のもとに大虐殺した。
 キリスト教徒の奴隷商人は、改宗者した男を奴隷として死ぬまで鉱山で働かせ、改宗した女は性の奴隷・慰安婦として混血児を産ませ、子供は強制的に洗礼してキリスト教徒に改宗させてから奴隷とし売った。
 金鉱を掘り尽すや、次に白い黄金といわれる砂糖を生産する為に自然を破壊し、豊穣の大地をサトウキビ畑に変えて荒廃させた。
 金儲け至上主義の商人は、キリスト教会と協力して植民地から全ての富を略奪して巨万の財をなし、ゴージャスな中世ヨーロッパの繁栄の基礎を築いた。
 ヨーロッパ文明に負けないほどの、高度なインカ文明やアステカ文明を築いた誇り高き勇敢な戦士民族は、周辺民族と共に伝統的民族宗教を捨て、すすんで洗礼を受け入れて死滅した。
 この後、約80年間で3,000万人以上の異教徒インディオが地上から消え、南北アメリカ大陸は改宗インディオや混血児によってキリスト教化された。
 こうして、現代の中南米世界には混血児によるキリスト教支配国家のみが存在し、歴史的な人種・民族・部族は存在しない。
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 大陸の世界常識とは、異質な敵は決して許さず、勢力を盛り返して復讐をさせない為に生かしてはおかなかった。
 敗れた人々は、異質を捨てて同化するか、異質を守る為に絶対服従を誓って奴隷として生きるか、さもなくば遙か遠くの不毛に近い荒れ野に逃れて生き長らえるかであった。
 征服地で異教徒非白人を大虐殺し、有色人種を家畜同様に扱って人身売買し、異教徒をキリスト教に改宗させ、非ヨーロッパ人を奴隷としてヨーロッパ文明に同化させ、キリスト教価値観を世界基準とする事を「必要悪」として許した。
 それが、「欧米諸国も植民地で良い事をした」論である。 
 植民地では、ヨーロッパから持ち込まれた天然痘やペストなどの疫病が蔓延した。
 白人は、人種差別から非白人を助けなかった為に1億人近くのインディオが死亡して労働不足に陥った。
 逆に、インディオの女子や美男子に対する抑制の効かない性欲で強姦を重ねた結果、梅毒などの性病がタバコや砂糖と共にヨーロッパに持ち込まれた。
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 1540年 スペイン王は、ドミニコ会からのインディオ報告を受けて困惑し、インディオ問題の抜本的解決の為に評議会を招集して協議を命じた。
 ラサ・カサスは、評議会の為に『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を書き上げて提出した。
 スペイン王は、異教徒への寛大なる処置とインディオ保護のインディアス新法を公布した。
 スペイン王国は、長らくイスラム教に支配され、レコンキスタキリスト教国家に復帰したが、国内には依然としてイスラム教徒やユダヤ教となどの異教徒が同居していた。
 その為に異教徒には寛大であったが、金儲けや利益の為に便宜的にキリスト教に改宗した異端者を容赦せず弾圧していた。
 ローマ・カトリック教会も、政治判断として、異端者には厳しく対処し異教徒には融和を示し、キリスト教社会内での異教を攻撃する事には賛成しなかった。
 ただし、キリスト教社会の外ではその限りではないとした。
 ローマ・カトリック教会が、異教徒を認めたのは相手の宗教を尊重したからではなく、単に金の為であった。
 当時。世界交易を支配していたのは、イスラム教徒であった。
 ローマ・カトリック教会が、異教徒に対する生ぬるいほどの宥和策をとるようになったのは、聖地エルサレム回復の十字軍が暴走して大虐殺を行った事に対する一時的な恐怖からであった。
 ローマ・カトリック教会は、異教徒を処罰する基準を定めたイノケンティウス4世の沙汰に従って、1,異教徒が男色・一夫多妻・偶像崇拝・人肉食・人身御供などの自然法に反する蛮行を行っている時、2,異教徒に対する宣教師や伝道師の布教活動を拒否したり妨害した時、以上の二つに該当した時に武力を使用する事が許されるとした。
 自然法に違反しない時と布教活動を拒否或いは妨害しない時は、異教徒に危害を加えてはならないと定めた。
 中南米を支配したスペイン人は、自然法違反と布教活動妨害を理由にしてインディオを弾圧した。
 キリスト教徒白人は、宗教的白人至上主義者として、異教徒にして非白人を人間以下の獣と見下した。
 土着の未発達な民族宗教が、キリスト教という普遍宗教によって根絶やしにされた。
 諸悪の根源が宗教ではなく、自分の利益・金儲けの為に宗教を利用する欲深い人間が問題であった。
 ビクトリア「もしも他の方法をもってしては宗教の為にならないという理由があれば、スペイン人が彼等の土地や地方を占拠し、新しい支配者を任命してそれまでの支配者を退位させる事が、そしてその他の聖戦において許されている全ての事を実行し、正しい戦争の法を行使する事ができるということである」
 「もしも一部のバルバロがキリスト教に改宗したとして、彼等の君主が暴力をふるって、あるいは脅しをもって彼等を偶像崇拝に引き戻そうと望む場合、スペイン人はそれを理由として、必要とあらば、そして他に方法がないのであれば、戦争を起こし、そうした不正を止めるようバルバロを強制し、聞き分けのない者達に対して戦争の法を適用する事ができる、というものである。そして結果として、その他の正戦の場合同様、ときには彼等の支配者を更迭する事もできる」
 イギリスやオランダなどのプロテスタント教諸国は、海外進出としてカトリック教国のスペインやポルトガルの植民地を奪う為に、スペインを貶めるべく「悪の帝国」とのブラック・プロパガンダを行った。
 1550(51)年 バリャドリ大論戦。スペイン国王は、ドミニコ会士ラス・カサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』で、中南米に於けるスペイン軍の略奪と殺戮の事実を知って衝撃を受け、一時、新征服を中止する勅令を発した。
 今後の征服事業を如何するかについて、14人委員会を設置して討議させた。
 ラサ・カサスとアリストテレス学派のフワン・ヒネース・デ・セプールベタとスペイン・スコラ哲学のフランシスコ・デ・ビトリアの間で大激論がなされた。
 世にいう、バリャドリ大論戦である。
 セプールベタは、アリストテレスの先天的奴隷人説や聖トマスの自然法に照らしてインディオ征服は正当であるとの論陣を張り、聖アウグスティヌスの『神の国』から「神はローマ人に広大無辺の栄光ある帝国を授けたが、それは多くの民族の間で普及している重大な悪を征服する為であった」との一節を引用して征服する事は可能であると主張した。
 インディオを征服する事は、野蛮な異教という悪から救い出して正しい道に導く事で有り、彼等の内にある偶像崇拝と人身犠牲というを大罪を滅ぼす事である、その神聖な使命を果たす為には多少の行き過ぎは許されると罪にはならない。
 短時間で野蛮人を悔い改めさせ改宗させる為には、武力を持って征服して、そこにある全てを破壊し、信仰心を持たせる為に正しい教育を施す事である。
 「不信仰者に教えを説いても、恐怖心を植え付けなければ、彼等は古来の習慣に因循し、なかなか救霊への道を歩まないだろう」(聖アウグスティヌス
 「慣習の中に深く刻まれ、長い間維持されたものが言葉による説明だけで改められたり、根絶されたりする事はあり得ないし、たとえあったとしても、稀である」(アリストテレス
 キリスト教における「隣人愛信仰」を未開地・野蛮人に広める為には、障害となるモノ全てを殲滅する必要があり、その手段として武器を使用する事は正しい行為である。
 分別ある人間であれば、キリスト教の崇高な教義に目覚めて洗礼を受け、絶対神の至高の法に従って信仰の道を歩むはず。
 キリスト教徒が行う行為すべてが、悪を亡ぼし善を広め、奪う事ではなく与える事である。
 絶対神の御言葉を聞かず福音を拒否する人間は、邪悪な獣として、容赦なく聖なる火で焼き払い根絶やしにすべくであると。
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 1552年 スペインの司教ラス・カサスは、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を本国の皇太子に送って、現地の惨状を訴えた。
 だが、利益を得て財を成す事を、原住民の命よりも優先した為に惨状が改善される事はなかった。
 ラサ・カサスは、インディオを重労働から解放する為に、アフリカから大量の黒人奴隷を移住させるべきだと提唱した。
 オーストリアハプスブルク家からスペイン王家に養子に入ったカルロス1世は、アフリカ人を奴隷として強制連行する事を認めた。
 モンテスキュー「(黒人やモンゴロイドを)人間だと考えるのは、不可能である」(『法の精神』)
 キリスト教徒白人は、150年間、キリスト教会を利用して中南米で異教徒であるインディオ約6,000万人(一説には、1億人以上ともいう)を「神の御名」によって虐殺した。
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 スペインは、黄金を奪う為にキューバに住むインディオ約300万人を虐殺した。
 征服者は、若い女を強姦して手足の様に使える混血児メスチソを産ませた。
 インディオが減少して労働力が不足するや、アフリカから大量の黒人を奴隷として強制連行させた。
 黒人女性を強姦して混血児ムラート(男)・ムラータ(女)を産ませ、メスチソの下の階級とした。
 キリスト教会は、混血児が産まれたらすぐに洗礼を与えてキリスト教徒とした。
 白人植民地社会は、白人、混血児のメスチソとムラート及びムラータ、インディオの階級で構成された。
 白人キリスト教徒は、民族宗教インディオを人間ではなく野蛮な獣として扱い、狩猟狩りするようにインディオを殺害してその数を競った。
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 スペインやポルトガルは、植民地の原住民から強奪した金銀財宝を、商船を使って本国に送っていた。
 イギリス、オランダ、フランスで公認された海賊が、財宝を積んだ商船を襲撃して、船員を虐殺して、高価な積み荷を略奪した。
 スペインとポルトガルは、商船を守る為に重装備で船足の速い帆船を大量に建造した。イギリスやオランダやフランスも、対抗して帆船の性能改善に取り組んだ。
 こうして、帆船の性能は格段に向上した。
 森林資源に余裕があったイギリス、フランス、オランダが、自国船保護を理由にして世界の海を分け合い、植民地を拡大して植民地帝国を築いた。
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 白人が上陸した先では、ヨーロッパの疫病が流行して多くの先住民が病死した。
 同時に、ヨーロッパになかった性病がヨーロッパに持ち込まれた。
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*スペインとポルトガルは、日本と中国に向かった。
 宣教師達は、絶対神への信仰と隣人愛の福音と魂の救済を広める為に、命の危険をおかして万里の波濤を越えて行った。
 目的地に向かうろ途中で、多くの宣教師や修道士が死亡した。
 苦難の末に辿り着いた宣教師や修道士らは、異教徒に殺される事を覚悟で、悪魔の教団(仏教や神道などの異教)から迷える子羊の魂を救出する為に布教活動をおこなった。
 霊的援助者として、人々の魂を浄め、人々に正しい道を示した。
 弾圧や迫害に遭っても、精神を強く持ち苦難を受け入れ、絶対神の愛を信じて殉教する事を勧めた。
 殉教によって汚れた罪深い肉体を滅ぼし命を失おうとも、棄教・背教をする事なく、絶対神の愛を堅く信じ殉教によって永遠の命を受けるべきであると語った。
 命を大事にする気弱な日本人は、命の尊厳よりも殉教してまで魂の救済を優先するキリスト教邪教邪宗と恐怖した。
 国法をもって、宣教師・修道士の入国を禁止し、密入国したばあいは問答無用として処刑した。日本人キリシタンで、転んで棄教し踏み絵を踏まなければ処刑した。
 宣教師達が、殉教を奨励した為に、日本人キリシタン5,000人〜30万人が命を犠牲にして処刑された。そして、多くの外国人宣教師や修道士も絶対神に感謝し、狂喜して殉教した。
 キリスト教会は、絶対神への信仰を守って殉教した信者を聖人として崇め、異教徒の弾圧に耐え抜いて殉教した者を特に殉教福者として名前を留めた。
 そして、異教徒の弾圧を悪逆非道の行為として歴史に書き記して、未来永劫その罪を告発した。
 ルビノ神父「何よりも私たちは神の掟に従うべきであり、幾千人の霊魂を地獄の苦しみから救い出させよう努力し、キリストの血によってあがなわれたこれらの魂の救いの為に、自分の生命を犠牲にする様に勤めねばなりませぬ」
 マストリリ神父「将軍をキリシタンとし、できるなら日本人全員をそうさせたい為に参りました」
 ザビエル神父「神の前に謙って罪を悔い改めなければ、あなたは永遠の苦悩に落ちるだろう」「あなたはを心から愛し、あなたの救いの為に遠い国からはるばると来た者に、何故その様に辛く当たりなさるのか」「デウスこそ天地の創造主でござる。デウスを拝みなされ」
 日本でキリシタンが増加したあかつきには、伝統的民族宗教である神道悪魔崇拝の異教として消滅する恐れがあった。
 キリスト教の目的は、日本をキリスト教化して反キリスト教的宗教価値観を滅ぼす事であった。
 中世のキリスト教会と現代のキリスト教は、けっして同じキリスト教会ではない。
 中世のキリスト教会を現代のキリスト教会と同一とし、中世のキリスト教会の布教活動を現代のキリスト教会の布教活動を理解すべきではない。
 同様に、中世の反キリスト教勢力によるキリシタン弾圧を、現代の反キリスト教勢力の反キリシタン弾圧と同一として判断すべきではない。
 中世のキリシタン弾圧と現代のキリシタン弾圧は別物である。
 現代のキリシタン弾圧は非人道的であると非難すべきものであるが、中世のキリシタン弾圧は非人道的であると非難すべきではない。
 村尾次郎「ローマ教会では幕府の弾圧で刑死した宣教師たちを聖人としてその悲惨を伝道史を殉教史としてえがたいている。しかし、これを日本側から、主として国の立場で眺めると彼等宣教師は、明らかに密入国者なのである。現代の国際社会では、その目的が何であろうと、よその国に密入国することは許されない。むかしだって同じことである」(『これからの歴史教科書』)
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 1549年 ザビエルは、日本に上陸し、天皇を改宗させて、日本をキリスト教国家に改造しようとした。
 ポルトガル商人は、日本を混乱させる為に、大量の武器を売って戦争を助長させた。彼らにとって、金になれば、異教徒日本人がどれだけ戦闘で死のうが関心はなかった。
 スペインは、日本を植民地にする為に、キリスト教徒日本人に武装させて利用しようとした。
 キリスト教会は、中国を教会領にし、その莫大な富を独占する為に日本の軍事力を利用しようとした。
 両国政府とキリスト教会は、日本にアステカやインカと同じ運命を押し付けようとした。日本人キリスト教徒や混血児は、天皇に代わる新たな支配階級になる為に、彼らの野望に協力していた。
 国際社会は、朝鮮を中国の一部と見なし、朝鮮を独立国家とみなさず、朝鮮に興味を持たなかった。 
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キリスト教徒白人商人による奴隷貿易。 
 ポルトガルとスペインは、虐殺と疫病で激減した労働力不足を補う為に、アフリカで黒人を狩り集めて奴隷としてアメリカ大陸に送って巨万の富を得た。
 奴隷を確保する為に、各地の集落を襲撃し、拒む者は焼き殺し、非暴力で抵抗せず従順に従う者は奴隷として連行した。
 途中で逃亡する者は、動物狩りの様に追い詰めて惨殺した。奴隷貿易で莫大な財をなしたのが、キリスト教徒である白人貿易商であり、セファルディ系改宗ユダヤ人奴隷商人と言われている。
 奴隷貿易は、砂糖と胡椒などの香辛料、金やダイヤモンドなどの貴金属に次ぐ利潤の大きな産業であった。
 キリスト教は、古代ローマにおいて奴隷階級や下層階層で信仰されていた関係で、極一部の宣教師や修道士は奴隷貿易と奴隷商人を批判した。
 だが、ユダヤ教の『旧約聖書』は、異教徒を奴隷として個人所有する事は神から許された聖なる権利と認めていた。
 キリスト教イスラム教も、異教徒に対する奴隷と大虐殺を認める『旧約聖書』を聖典として敬っている。
 奴隷船の船倉に押し込められた奴隷の半数が、目的地に着くまでに病気となり、衰弱した奴隷は商品価値はないとしてゴミの様に生きたまま海に投棄された。
 奴隷貿易商人は、異教徒非白人を人ではなく動物以下の商品として扱った。
 アメリカで競売にかけられたアフリカ出身奴隷の数倍が、死亡もしくは殺害されたと言われている。
 奴隷として売買されたのは1,500万人以上といわれたが、アフリカから連れ出された正確な数は不明であり、奴隷狩りの途中で殺害された数も解らない。
 イギリス王国は、他国の貿易船が積み込んでいる高額な貴金属を強奪する為に、海賊を公認して商船を襲撃させた。
 他国の船員は、皆殺しにした。
 イギリスは、略奪した富を資本として活用して「近代資本主義」を誕生させた。
 新大陸から運ばれた大量の金や銀の貴金属は、貨幣に鋳造されて全ヨーロッパに流通した。
 だが、それを資本として経済基盤の強化に活用せず、計画なくゴージャスな人生を享楽し散財した為にスペインとポルトガルは衰退した。
 世界の普遍的都市文明は、自然を野蛮・未開・悪(悪魔)として破壊し征服する事によって栄えた。
 同時に、自然を信仰する民族的な自然信仰を邪悪な異教として滅ぼした。
 それが、大陸の人類史であり、普遍宗教の歴史である。    
 他国を征服する者にとって「戦争」とは、勝利する事により、合法的に敗戦国から富を搾取する最善の手段であった。
 何時の時代においても、勝者は自分に都合良く法をねじ曲げて、ありもしない普遍的価値観で敗者を懲罰裁判にかけ処刑した。
 世界史の常識として、敗者の有罪は最初から決まっていて、寛大な処置として無罪になる事はまずありえなかった。
 許されたのは、自分のみが助かる為に仲間・同胞を裏切った者だけである。
 非暴力で抵抗しない敗者を殺さず人権を認めず奴隷として扱うのが、勝者の温情である。
 第265代教皇ベネディクト16世「中南米キリスト教がもたらされたのは、西欧人の強制によるものではない。先住民は、キリスト教を歓迎した」(2007年 ブラジルのサンパウロで開催された第5回ラテンアメリカ・カリブ司教協議会総会)
  


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