🐉5」─1─世界第一位の軍事力。役匪=国民党軍。赤匪=中国共産党軍。軍閥。馬賊。匪賊。兵匪。海賊。1937年~No.14No.15No.16 @ ④ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ファシスト中国軍は、ファシスト・イタリア、ナチス・ドイツソ連共産主義アメリカ、イギリスなどの軍事と財政の支援を受けて最強の軍隊となっていた。
 特に、ドイツ軍の全面協力を受けてドイツ方式で兵士に軍事訓練を施していた。
 ヒトラーは、反日派として、醜い異裏切り者の軍国日本を勇猛果敢なファシスト中国を利用して打ち砕こうとした。
 ドイツの保守派も国防軍も、親中国派としてファシスト中国を支援していた。
 ドイツは、黄禍論を唱えて、日露戦争の頃から親中国反日であった。
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 孔子「これを治めるべし、知らしむべからず」(『論語』)
 正統派儒教は、身分低い庶民を知恵なき愚鈍と決め付け、愚者に文字を教えて知識を持たせる事は世の乱れになるとして禁止している。
 正統派儒教は、無学文盲による愚民化政策を奨励していた。
 日本の異端派儒教と中国・朝鮮の正統派儒教とは、正反対の儒教である。
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 中国は、内戦が止まず、社会は大混乱し、各地で虐殺と略奪が繰り返されていた。
 軍閥各派や革命諸政府が乱立し、独自の民兵や私兵を正規軍・国軍・人民軍と称して私物化した為に、国内いたる所で夥しい血を流していた。
 個人の私益を最優先する彼等は、数百万人と言わず、数千万人を虐殺しても、内戦を止めなかった。
 中国の不幸は、民族的に、安定と発展をもたらす中心的存在が欠如していた事である。
 一個人の皇帝は、武力で大虐殺を行って中国を統一した存在にすぎなかった。
 帝国内における政治的権力は、武力によって正統性が保証された、一瞬のものであった。新たに強大な軍事力を持った者が、軍事力を失った古い皇帝を殺して、新たな皇帝に即位した。
 それが、中国の歴史である。
 東アジアの「紱」「良心」とは、武力を伴うもので、軍事力を伴わない徳や良心は無意味で無力で有害であった。
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 中国の伝統的戦略は、相手が自然災害などで弱っていると見るや、容赦なく侵略した。さもなくば、属国とする為に、にこやかに助けの手を差し伸べた。
 無策な周辺諸国は、中国の支援に感謝して、中国軍を受け入れ、占領されて滅亡した。
 無能な周辺民族は、中国人のにこやかな笑顔に騙され、中国人の支配を受け入れて奴隷となった。
 中国の4000年の歴史とは、そうした謀略の歴史である。
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 欧米における中心は、キリスト教会における宗教的権威であった。
 だが、ローマ・カトリック教会プロテスタント系教会やギリシャ正教会など、数多くの諸派に分裂することで不安定となって内戦や暴動を引き起こしていた。
 ヨーロッパ世界も、戦乱と虐殺、強姦と略奪が絶えなかった。
 ホロコーストは、キリスト教世界で起きた。
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 日本は、法治国家として警察当局が犯罪を取り締まり社会を安定させ、公理秩序が維持されていた。
 盤石なる国防計画の基で、皇軍は大陸からの侵略を防ぎ、日本軍は反天皇体制派による暴力的革命を抑えていた。
 他のアジア諸国とは違って、同じ国民による凄惨な内戦や、社会を混乱させる様な略奪や放火を伴った暴動は起きなかった。
 日本が中国化しなかったのは、神聖不可侵の万世一系男系天皇国家元首として、軍隊を統帥し、治安維持の大権を保持していたからである。
 政府や政党や財力ある個人が、私的に軍隊に介入し、軍隊を私物化できない様に統帥権を確立したからである。
 つまり、中国の様に実力者や権力者が個人として私兵・民兵を所有する事を厳禁としたからである。
 アジアで、日本が近代国家として発展できたのは「統帥権」を発明し、その大権を神聖不可侵の万世一系男系天皇(直系長子相続)一人に付与したからである。
 だが、その天皇の正統性は憲法が認めものである以上、如何に天皇といえども憲法に従わねばならなかった。
 それゆえに、国際主義的共産主義者ら革命各派、神国日本を混乱させ内戦を起こさせて崩壊させる為に、宗教的男系天皇を廃絶しようと画策し、歴代天皇を暗殺するべく大逆事件を起こしていた。彼等は、天皇を葬る事で、皇軍・日本軍を無力化し、憲兵隊や警察機構を解体しようとした。
 つまり、日本を中国化である。
 欧州の皇帝や国王の権力は、共産主義的反体制派の暴力革命を弾圧する為に、天皇とは違って憲法の制約を受けず軍隊と警察を私物化していた。
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 だが、分別なき右翼や右派は、権力を得る為に「統帥権」を悪用して、政府を攻撃し、議会を混乱させ、日本を戦争に追い込んで国民を犠牲にした。
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 日本の中心である万世一系男系天皇制度(直系長子相続)本質は、政治権力でもなく、宗教的権威でもなく、「和」を維持する為の無力な「道徳」であり「良心」であった。
 故に、如何なる歴史上の実力者も天皇を越える事は出来なかったし、指導者として優秀な能力だあっても天皇にはなれなかった。
 日本においては、大陸社会と違って「道徳」や「良心」は私物化できなかったのである。
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 中国皇帝は、武力で保証された「徳」があれば、中国人・漢族でも、異民族でも、誰でもなれた。唯一、女性はなれなかった。だが、歴史的事実として女性皇帝は一人いた。
 徳で保証された政治的皇帝は、徳を失うと、天に見放されて一族諸共に皆殺しにされた。
 ローマ教皇は、人種、民族に関係なく、信者であれば誰でもなれた。それは表向きで、白人以外の有色人種で教皇に選ばれた信者はいない。
 信仰で保証された宗教的教皇は、信仰を失えば、絶対神の愛に見放されて暗殺された。
 だが、日本の天皇だけは、能力・知力に関係なく、「神の裔」である直系長子に連なる血筋以外はなれなかった。ただし、直系長子であれば男性はもとより女性でも天皇に即位できた。
 日本の最高神は、奇跡を起こす男性神最高神とする普遍的常識では有り得ない、霊験はあっても奇跡に縁のない女性神であった。
 祖先への祭祀で保証された「道徳」や「良心」の直系長子天皇は、退位し、上皇法皇となり隠居し、社会秩序を混乱させない為に表舞台から身を隠した。
 神の裔である天皇は、氏神・祖先神を持つ日本人ではなく、氏神・祖先神を抹殺する日本人に命を狙われ、日本に移住し日本を拒否する朝鮮人に殺害された。
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 中国には、梁山泊の物語がある様に、伝統的に疑似家族の相互扶助団体としての秘密結社が存在する。
 秘密結社は、都市から地方まであらゆる所に職業、武芸、宗教から犯罪組織までの業種で、政治や経済に影響を与えていた。
 国民党も軍閥中国共産党も、そして馬賊や匪賊まで、彼等を味方に引き入れて勢力を拡大していた。
 彼等には思想や信条はなく、行動を起こすのは主義主張はもちろん正義や善の為ではなく、利益や金儲けのみであった。
 自己欺瞞として、男気や好漢と称し、儒教的な仁義や礼儀を持ち出していた。
 中国社会には、マルクス主義が問題とする地主と小作人或いは資本家と労働者という階級は存在しなかった。
 専制君主と役人と領民という階層が存在していたが、社会全般を実質的に支配していたのは犯罪組織的な秘密結社でさった。
 役人達は、秘密結社とつながる事で賄賂を受け取って私腹を肥やし、秘密結社を庇っていた。
 酒、賭博、売春、そしてアヘンが、秘密結社の資金源であった。
 儒教は、言葉の上のアヤに過ぎなかった。
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 ハールフォード・マッキンダー「ロシアは海への出口が閉ざされた大陸国家に過ぎないが、長大な海岸線を持つ中国は海洋国家と大陸国家の利点を両具している」「中国を海洋勢力として取り込んでおくことはイギリスの責務だ」
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 抗日中国軍は、ファシスト・イタリア、ナチス・ドイツソ連共産主義アメリカ、イギリスなどの諸外国からの支援を受けて、世界最強の軍隊となっていた。
 蒋介石は、ヒトラーが送り込んできたドイツ軍軍事顧問団の指導の下で日中戦争を始めた。
 日本は、対ソ戦略から中国との戦争を望まなかったが、中国にいた日本人居留民が虐殺された為に、やむを得ず侵略戦争を始めた。
 国際社会は、日本の自衛戦争を犯罪行為であると激しく抗議し、日本への経済制裁を訴えた。
 その先頭に立っていたのが、ユダヤ系国際資本であった。
 反天皇の日本人マルクス主義者や反日朝鮮人独立派も、国際的日本包囲網に協力し、日本や朝鮮で活動していた。
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 戦場での中国軍兵士戦死者が多いのは、激戦中に陣地から逃げようとする自軍兵士を射殺した督戦隊による。
 中国人民の被害が増えたのは、一般人を盾として戦った便衣隊(ゲリラ。テロリスト。スパイ)による。
 日本軍を含む外国の軍隊はもちろん中国軍自体も、一般人と便衣隊の区別がつかず、便衣隊と戦うとき否が応でも一般人を巻き込まざるを得なかった。
 国際的司法機関は、戦時国際法に照らして、日本軍が便衣隊と一般人を区別せずに虐殺した事を戦争犯罪として、便衣隊と一般人を区別せず殺した日本人を戦争犯罪者として処刑した。
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 清国の乾隆帝(在位1735〜1795年)時代に人口が1億人に達した。
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1937(昭和12)年 極東アジアの軍事情勢
☆中国
 人口は、4億から5億人。
 蒋介石の国民政府軍は、250万人以上で世界一位の軍事力で、軍事費も世界一であった。兵器も、アメリカやナチス・ドイツソ連などから最新鋭の強力な武器を輸入して装備していた。
 ユダヤ人の金融資本家は抗日戦の為に莫大な資金を提供し、キリスト教国の武器商人は抗日戦の為に大量の武器を売り込んでいた。国際主義のユダヤ人は、天皇至上主義の日本と敵対する国際陣営を支援していた。
 各国の軍隊は、政府の命令で、抗日戦の為に多くの軍事顧問団や技術者を派遣し、正規軍人をわざと退役させて義勇兵として抗日軍に参加させていた。
 非正規軍として、中国共産党軍に20万〜40万人、中小革命政府軍及びや地方軍閥軍に300万人以上、準兵士として匪賊・馬賊・海賊・秘密結社などの犯罪集団に2,000万人以上が存在していた。
 中国全体では、女性兵士や子供兵士などを加えて総兵力は約1億人と言われた。
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 兵員数こそ世界最大であったが、正規な教育を受けた指揮官が乏しく指揮が統一されておらず、軍隊に軍律や軍規はなく、兵士は粗暴で規律が悪く命令に服従せず盗賊まがいな行為を平然と行っていた。
 政府軍は、欧米諸国の武器商人から最新装備を購入する資金とする為に、アヘンの密売と人身売買を行っていた。
 上級将校が軍資金を横領し軍需物資を横流しする為に、全ての部隊で物資が不足し、兵士への給与が未払いとなっていた。
 兵士の給与や食糧などの生活物資は、伝統的に現地調達で賄われていた。
 中国兵は、世界一柄が悪く、腹いせに暴力を振るい強姦を行い、気晴らしに略奪や殺人などの犯罪行為を繰り返していた。
 軍隊首脳部も、武装した兵士の反乱を恐れて、兵士をアヘン漬けにし、貧困化した兵士が不足分を人民から略奪する事を黙認した。
 極東アジアの政治家や軍人は、軍事行動を優先して民衆の塗炭の苦しみを歯牙にも掛けず、貧苦にある農村に対して重税を課し、ソ連共産党軍やナチス・ドイツ軍の軍事支援及びロックフェラーとサッスーンやオッペンハイマーなどのユダヤ人財閥からの経済支援でさらなる軍備増強に力を入れた。
 彼らには奴隷の如く弱い人民などを救済する気はなく、4億人以上の人口の内数千万人の自国民が死のうが「自分さえ良ければ」それで良かったのである。
 内戦や天災で生活基盤をなくした貧しい人民にとって、浮浪者として路上で凍死もしくは餓死するか、さもなくば兵士として合法的に奪うか盗賊になって非合法に略奪するかであった。
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 各地に割拠する軍閥達は、銃で正統性を主張する絶対独裁者として法はおろか良心の制約を受けず、領民を自由に搾取した。
 アヘンとギャンブルと慰安婦に大金を湯水の如く注ぎ込み、金がなくなれば略奪し、抵抗すれば平気で殺した。
 彼らにとって、人の命には価値わ感じる事がなかった。
 戦場で負傷した兵士を助けるのは、金がもったいないとして見捨て、兵士が不足すれば領地から若い男を強制連行して新兵とした。
 連行される男達は、逃げ出さないように数人ごとに縄で縛った。
 兵舎まで数百キロをろくな食べ物を与えずに歩かせ、体力が弱って病気になり脱落すれば容赦なく殺した。
 その為に、数万人狩り集めても兵舎にたどり着く者は半分以下であったという。
 兵舎にたどり着いても人としての待遇は期待できず、不衛生な小屋に押し込められ、まともな食事を与えられずマラリアチフスなどに感染して治療を受けられずに病死するか、地獄の様なしごきを受けて衰弱死か餓死したという。
 逃げだそうとしたり反抗すれば、見せしめに手足を切断し腹を割き時間を懸けて苦しませながら殺した。
 まともな軍服や武器は支給されず、ボロの民間人の服装のまま鎌や棒きれを渡された。
 戦争となれば、そのままの格好で数人ずつ縄に縛られて敵陣へと突進させられ、躊躇すると容赦なく全員が射殺された。
 軍閥の私兵以外の雑兵は、人とは認められず、単なる弾よけの死兵にすぎなかった。
 思うように兵士が集められなければ、不足分は民間の人身売買業者から購入した。
 人身売買業者は、個の利益の為に浮浪者や乞食はおろか農民や労働者を捕らえて、男は兵士として売り、女は慰安婦として売り、子供は奴隷として売った。
 個を優先する彼らにとって金のみが大事であり、数億人の中の一人の命などなんら価値がなかったのである。(R・J・ラムス『中国の民衆殺戮』)
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 中国には、世界常識的な軍属は存在せず、武器弾薬やその他の荷物を運ぶ苦力がその都度強制的に徴用された。
 その場にいた男は勿論女や子供や老人までもが、棍棒や銃で殴られ銃剣で脅されて無理矢理に荷物を背負わされて戦場まで歩かされた。
 日当は払われず、食べ物はほんの僅かで、歩けなくなり役に立たなくなればその場で捨てられた。
 体力が弱りそのうえ無一文の苦力は、一人で数百キロ離れた故郷に歩いて帰るしかなかった。
 大都市では乞食をしながら食いつないでいけたが、地方の町や村では病弱な乞食同然の彼等を可哀想とは思われず疫病神として惨殺された。
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 アメリカやイギリスは、極東アジアの安定の為にキリスト教徒である蒋介石ファシスト軍事独裁政権への支援を強化し、日本を中国市場から放逐しようとした。
 欧米ソ列強は、抗日戦の為に大量の武器を輸出したが、その目的は世界大恐慌から脱出して自国経済を建て直し自国民の生活を安定させる事にあった。
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 1923年 孫文は、ソ連の軍事支援を得るべく共同宣言を発表した。
 コミンテルンは、中国国民党ソ連軍事顧問団を派遣した。
 日本軍は、孫文を裏切り者として見捨て、蒋介石中国国民党軍を警戒した。
 5月 匪賊2,000人以上は、山東省の津浦(しんぽ)鉄道で急行列車を襲撃して外国人約20名を含む300名以上を拉致したが、中国政府の正規軍となり軍籍を得た事によって人質全員を解放した。
 中国は、世界一の無法地帯として、犯罪が絶えなかった。
 中国の中央軍は、高度な訓練を積んだ正規兵としてまともであった。
 対して、地方軍は盗賊とかわりがなく、兵士は匪賊とかわりがなかった。彼等は、人を人と思わず殺しまくり全てを奪った。中国軍が去った後には、死体の山と廃墟のみが残された。
 幸運にも生き延びた住民は、何もなかった様にいつもの生活を続けた。暴行と略奪、強姦と殺人を繰り返していた為に、民衆は彼等を兵匪と恐れた。
 中央軍は全兵力の極一部にすぎず、大半が地方軍であった。
 国際世論は、中国軍の抗日戦の為の軍拡を平和目的と認めたが、日本軍に対しては国防力を低下させる軍縮を強要した。
 エドガー・スノー「非人間性とは、四川省の街道で残飯を奪い合っていた乞食が相手の首を絞め殺したのを眺めていた、絹服の男共の笑い声であった」
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 1926年 毛沢東は、紅軍(共産主義革命軍)を組織する為に『中国社会各階級の分析』という論文を発表した。
 毛沢東の論文の幾つかは、毛沢東本人ではなく別の誰かが書いたとうい説がある。
 優れた革命戦士になるのは、土地を失った没落農民や仕事を失った低所得労働者ら失うものが何もない流民無産者(浮浪者・乞食)である、と説いた。
 「これらの人々は非常に勇敢に戦えるが、破壊性も持っており、うまく導けば革命の力になり得る」
 如何に貧しく困窮していても土地を持っている農民は土地にしがみつき、低賃金で生活が苦しくとも雇われてい労働者は仕事を失う事を嫌がる。
 内戦や災害で故郷を捨てた流民が、豊かな都市や食べ物がある農村地帯を目指して動いていた。
 血気盛んな流民は、生きる為に匪賊・盗賊となって各地を暴れ回り、金持ち襲撃し虐殺と強奪を繰り返していた。
 中国文学は、権力や権威に楯突き叛逆する彼らを男気のある無頼と呼んでいた。
 国民党は、紅軍兵士を軍事教育を受けた事のなく軍律・軍紀を持たない「ごろつき」と軽蔑した。
 人民は、紅軍を共匪共産主義匪賊)と恐れた。
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 1937年8月22日 陝西省洛川で中国共産党政治局拡大会議が開催された。洛川会議である。
 毛沢東は、党と軍の幹部に対して極秘命令を口頭で伝えた。
 「中日の戦いは、我が党の発展にとって格好の機会だ。我が軍の兵力の内、70%は我が党の発展の為に使い、20%は(国民党との)妥協の為に使い、残りの10%だけを抗日戦争の為に使う」
 毛沢東は、中国共産党が勝利する為の戦略は、日本軍と国民党軍を全面戦争で疲弊させ、中国共産党軍は戦闘に参加せず勢力を拡大して「漁夫の利」を得る事であると。
 つまり。中国共産党は、抗日戦争の主役にならず脇役に徹し、第一線で大きな戦いに参加してはならない、と。
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 1938年1月12日 長沙焦土事件。湖南省長沙の警備司令官は、日本軍が遙か遠くにいるにもかかわらず城を焼き払い、城内にいた同胞2万人以上(一説に20万人以上)を「虫けら」の様に殺した。中国の戦争は、敵はもちろん味方さえも大虐殺(大屠殺)し、30万人だろうが40万人だろうが意味なく虐殺した。
 中国は、同事件を日本の戦争犯罪として告発した。
 中国人は、相手が不利になる事ならば、自分の犯罪さえも相手に擦り付けて恥と感じない。
 2月 ソ連軍は、抗日戦の為に正規兵数千人を中国軍に派遣し、軍用機1,235機、戦車82台、大砲及び榴弾砲1,140門以上、機関銃1万4,000挺以上、歩兵銃5万丁以上、爆弾3万発以上、砲弾200万発以上、小銃弾1,000万発以上、手榴弾不明、毒ガス弾(化学兵器)不明、細菌兵器不明、その他多数の軍事支援を行った。
 5月20日 中国航空隊は、九州に飛来し反戦ビラを散布し、アジアの平和の為に中国人民と共に天皇制国家日本を打倒する事を呼び掛けた。共産主義者は、公然と反戦平和を訴えた。ソ連空軍(パイロット2,000人以上)の支援を受けた中国空軍は、日本航空部隊と互角に戦い、長距離飛行してくる日本軍攻撃機を基地周囲で待ち伏せして多数を撃墜していた。日本側は、恐怖を感じた。
 3月 蒋介石は、国外華僑1,100万人以上に対しても抗日戦への動員を命じた。
 世界中で、華僑による反日運動が起き、反日的市民団体が反日運動を支援した。
 8月2日 中国軍は、日本軍の進撃を阻止する為に揚子江上流で堤防を破壊し、自国民数百万人の生活を奪い、数十万人を犠牲にした。同様の作戦を、各地で実行し、自国民を大量に溺死させ、その後に飢餓と疫病をもたらして甚大な数の人々を死に追い遣った。
 反日的国際世論は、日本軍が細菌兵器を使用して、多くの罪もない中国人を殺害していると非難した。
 抗日中国人ゲリラは、日本軍に食糧を渡さない為に被災地で清野(焦土)作戦を行い、数千万人の飢餓に苦しむ被災者を日本軍陣地に残した。
 中国側は、勝利の為ならどんな卑劣な行動でも平然と行った。
 9月9日 国際連盟理事会で、イギリス、フランス、ベルギーなど欧州に駐留している中国大使らは、各国政府に対して抗日戦支援を要請する事を申し合わせた。国際連盟は、日本を「国際平和の敵」とみなし中国に味方していた。
 9月24日 国際連盟で、中国は抗日戦への支援を再要請し、ソ連は中国への支援を表明し日本の侵略行為に対抗すべきだと主張した。
 10月14日 日本政府は、日本が主張する共産主義に対する自衛と日本人居留民の保護を認めない国際連盟に対し、「帝国は国際連盟脱退後継続して来たれる連盟諸機関との協力関係を終了す」と決定した。日本の孤立化は、この宣言で始まった。
 10月24日 日本軍が、抗日中国軍への武器供与を遮断する為に揚子江を武力で封鎖した。武器輸出で利益を得ていたアメリカ、イギリス、フランスは、自由貿易を阻害する行為であるとして、日本の暴挙を激しく非難した。
 国際連盟は、中立性を失い、38年末に残ったのは加盟国62ヵ国中49ヵ国のみであり、40年には自然消滅した。
 中国軍は、ナチス・ドイツソ連アメリカから軍事支援を受けながら日本軍と戦っていた。
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 中国共産党が武力で中国を統一した後は、数千万人の人民を反共産主義者として処刑された。
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 中国の歴史は植民地帝国の歴史である以上、軍拡の歴史であり、領土拡大志向による侵略戦争の歴史である。そして、他国民はおろか自国民大量虐殺及び人権蹂躙(じゅうりん)、人命軽視の暗黒の歴史であった。
 それは、武官ではなく、武を嫌い労働を軽蔑する正統派儒教倫理を金科玉条とする文官・文人・読書家の支配が原因であったといわれている。
 日本とは違って中国価値観では、武官や軍人や武士は最下層の役職とされ、庶民からは人殺し役人として軽蔑された。
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 中国軍は、世界一規律のない腐敗堕落した軍隊であり、上官の感情一つで部下の将兵を勝つ害した。
 中国では、人の命には価値を持たなかった。
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「将は智を貴び、兵は愚を貴ぶ」
「賤しい者は力を労し、貴い者は心を労す」
「良い鉄はクギにしない。良い男は兵士にはならない」 
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 グラハム・ベック「中国には徴兵制があるが、徴兵の方法は簡単で無情である。中国の徴兵には、整理番号も体格検査も、法律に基づいた徴兵免除も無い。重慶政府が何人の兵士を必要とするかを決定すると、直ちに各省に供出人数が指令される。これを受けて各省は、各県と各郷に対して供出人数を指令する。こうして徴兵が開始される。ある地域では、まだ比較的公平である。しかし全体から言えば、徴兵工作の腐敗汚職は筆舌に尽くしがたい。金持ちは、絶対に戦争に参加する必要はない。各地の官吏が公開の価格を作って、徴兵免除証明を金持ちに売るのである。金を集められれば、農民でも賄賂を使って兵役を逃れる事ができる。かくして最終的に徴兵されるのは、極貧で家を離れられない人間という事になる。もしある地区の徴兵人数が必要数に満たないと、通行人を拉致するか、人買い組織から壮丁を買い入れて充足する。徴兵の過程で、ある者は殺され、ある者は傷を負わされ、多くが部隊の駐屯地にたどり着く前に餓死してしまう。……路上や徴兵の過程で死んだり、野蛮な新兵訓練処や長い行進の途中で死んだりする人間の数が、軍隊に入る人間の数より多いのである」(『アメリカ人の見た旧中国』)
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 葉聖陶「ある日、夕食を終えると、突然に沸き立つような人声が聞こえた。さらに、家の屋根の上を歩く足音が聞こえた。突然、一人の男が家の屋根を踏み破って飛び降りてきた。そして声を出さないようにと、大慌てで懇願した。彼が言うには、自分は17歳で、わら紙の職人だが、集金に出たところを軍隊に捕まってしまい、服とお金は没収され灰色の軍服を着せられたのだ、と」(『日記』)
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 H・ホワイト「中国全体が、徴兵騒ぎに沸騰している。徴兵の為に壮丁を拉致する残虐さと野蛮、冷酷と無情、腐敗と欺瞞は、中国の暗黒史の中でも、悪質さは群を抜いている。多くの人間が金で兵役を免れる為、保甲長などの地方役人は、徴兵人数を確保できない。そこで巡邏隊が組織され、付近の村々を巡っては道行く人を拉致し、地方の役人に売り渡して『人肉』を供給するのである。成都闇市場では、巡邏隊に掠われた一人の壮丁の値段は、法幣(国民政府の法定紙幣)で5万元から10万元であり、白米5袋か豚3匹の値段であった。……ナチス強制収容所の悲惨を極める状況が伝わってきた頃、中国では徴兵がクライマックスに達していた。当時、徴兵された壮丁達を収容する施設である成都の壮丁営に勤務していた医者達は、ドイツでの恐ろしいやり方に驚くどころか、『ナチス強制収容所の様子は、我々の所と全く同じである』と語ってた。成都のすぐ近くにあった壮丁営の一つでは、4万人を収容して兵士にする訓練を施すはずであったが、多くの人間が連れて来られる途中で死んでしまい、生きて訓練を受けたのは8,000人であった」(『来自中国的驚雷』)
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 張登上「壮丁を送る部隊というのは、犯人を護送する軍警の様なものであった。壮丁の大多数は、脅迫されたり、陥れられたり、騙されたりした者達である。彼等は護送の途中では常に一本の太い縄で数珠つなぎにされており、兵士達は着剣した銃に弾を込め、大敵を前にした様に隊列の前後左右を固め、虎視眈々と護送したのである」(『国民党兵役視察目撃記』)
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 蒋夢麟(中国赤十字会長)「私は軍営の中で、多くの壮丁が繋がれているのを見た。逃げるのを恐れての事である。僅かの行動の自由さえなく、動けば殴られる。粗末な食べ物も少量で、命を維持し餓死させない為だけである。このような残酷な待遇のもとで、多くの壮丁が前線に着く前に死んでしまう。……貴陽にあった壮丁収容所で、私は広州から来た壮丁と話した事がある。『何処から来たのか』と問うと、『広東の曲江から来た』と言う。『全部で何人いるのか』と問うと、『曲江から出発した当初は700人だが、今では17人しか残っていない』と言う。『なぜ17人しか残っていないのか。途中で逃げたのか』と問うと、『誰も逃げてはいない。逃げたって何処へ行くのか。途中はどこもかしこも荒れ果てており、食べ物もなく、飲む水さえない。ここに来るさいには途中の食料を全く用意しておらず、食べ物が有る所では食べ、ない所では飢えを待つだけで、しかし歩かなければならなかった。多くの所では、水を飲むと腹を下した。腹を下しても病気になっても薬はなく、それで大部分の人間は途中で死んだ』」(『新潮』)
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 エドガー・スノー「1927年の反革命から1949年まで政治的理由により処刑、江西、福建などでの国民党による討伐、湖南省河南省などでの人的に作られた飢饉、幾つかの事件を通じて犠牲数はほぼ5,000万を上回ると見積もる」
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 方誠「敵軍の中級以上の士官の戦術レベルは、我が軍よりも一,二段階は高い、下級士官の場合は、二、三段階は高い。そして兵士の素質に至っては、我軍は全く敵に及ばない。単独で戦闘できる能力でみると、我軍は一個連の兵力でも、単独では戦闘できない。しかし敵は、一つの班あるいは一人の兵士でさえも単独で戦闘し、大きな効果を発揮する。第一回の南寧作戦の際、我軍の数個師の追撃兵力は、敵軍の一つの班の兵力に阻まれ、数時間も進軍が遅れた」(『8年抗戦小史』)
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 毛沢東中国共産党は、ペン(プロパガンダ)と剣(暴力)で権力を握った」
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 スティルウェル将軍日記「一個師団は、5,000人を越えていない」
 「兵士は給料を貰えず、栄養失調と病気に悩まされているが、軍隊に医療班もない」
 「汚職が蔓延っていて賞罰がひどく不公平である」
 「兵士達は商売に走っている」
 「中国の赤十字は、ヤミ市場の本場である」



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