🐊13」─1─駐豪州大使が緊急寄稿「中国への認識を改めよ」。中国共産党、戦狼外交の実態。~No.77 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2024年3月10日 YAHOO!JAPANニュース 文藝春秋「駐豪州大使が緊急寄稿「中国への認識を改めよ」
 文藝春秋 2022年4月号
 ウクライナ危機において、ロシアの軍事行動に理解をしめす中国の対外政策に改めて注目が集まる中、2020年11月から駐豪州大使をつとめる山上信吾氏が3月10日発売の「文藝春秋」に対中政策に関する論考を寄稿。山上氏は論文で、中国に経済的利益を求めるだけだった豪州がいかにして変わったかを分析し、日本の対中政策の転換を提言している。
 〈かつての豪州にあっては、左派政治家、旧世代の外交当局者、中国との石炭・鉄鉱石貿易等に携わってきた財界人を中心として、ナイーブで柔弱な対中認識が主流であった。ところが、情報機関の働きによって、国家安全保障を損なうような中国からの投資に光があてられ、国会議員をはじめとする要人への不当な浸透工作が暴露されてきた。その結果、「与党のみならず野党労働党、一般国民の間にも、中国に対する警戒感が広がった。この5年間で豪州の対中認識は一変(sea change)した」と言われるほどになったのである〉
 そこに追い打ちをかけたのが、中国による貿易制限措置だった。
 豪州にとって中国は輸出額の30%超を占める最大の貿易相手国。その関係に亀裂が入ったのは、豪州が5Gからのファーウェイの排除や新型コロナの国際調査を呼びかけたためだ。烈火のごとく反発した中国は、大麦、ワイン、石炭など、豪州の主な輸出品目に対し、貿易制限措置を次々講じた。
 こうした豪中関係の変化から、中国に経済的に依存する日本が得られる教訓として、情報機関の重要性を挙げる。
 〈目の前の相手との関係の維持・改善に注力しがちな外交当局とは別に、中国の動態、性向を冷徹に把握、分析、警戒する人間が必要となる。対外情報庁であり、対内防諜担当機関である。
 このような情報機関が、今般の豪州による対中政策の大転換に不可欠の役割を果たした。某首相経験者は、対内防諜担当機関からのブリーフを受けて認識を大いに改めた旨、しみじみと私に吐露したことがある。
 ひるがえって日本はどうか? 日暮れて道遠しの一言である〉
 山上氏 ©共同通信社
 日本がとるべきだった“道筋”
 そして、山上氏は〈このように猛烈な攻勢と威圧に直面した豪州が辿ってきた軌跡は、実は日本こそがとるべき道筋だったのではないだろうか〉とした上で、〈そもそも、日本こそが北東アジアでの地政学的課題と脅威の最前線にいる。その日本が、情報収集能力や防衛力の抜本的増強を通じて抑止力を高め、地域の平和と安定を維持するために自ら率先して行動すべきなのは、言を俟たない〉と断じる。
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 3月4日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「「中国問題に口出しするな」と露骨なけん制も…元オーストラリア大使が見た「戦狼外交の実態」
 オーストラリアでは長年親中派政権が続き、中国と緊密な経済関係を築いてきた。ところがコロナ禍をきっかけに、中国の態度が一変。オーストラリア国内で活発な情報工作活動を展開しているという。
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 ひるがえって日本は「戦狼外交」を繰り広げる中国とどのように向き合うべきなのか。ここでは、2023年までオーストラリア大使を務めた山上信吾氏による新刊 『中国「戦狼外交」と闘う』 (文春新書)を一部抜粋して紹介する。
 ◆◆◆
 2020年11月、駐豪大使として発令を受けて間もない頃、送別ランチに招待されて東京三田のオーストラリア大使公邸に赴いた。
 かつての華族、蜂須賀家の屋敷跡とされ、風格と趣、そして広大なスケールを有する庭が自慢だ。東京の一等地にあまたある各国大使の公邸の中でも、屈指の環境。その美しい庭園を愛でつつ食前酒の豪州産スパークリング・ワインを共に堪能していた際、突如ホスト側から問われた。
 「アンバサダーヤマガミ、なぜ日本はオーストラリアより遥かにうまく中国とやっているのですか」
 一瞬、耳を疑った。中国海警局の巡視船が恒常的に尖閣諸島周辺の日本の接続水域に進出、しばしば領海侵入まで企てているのは、東京に駐在している各国の外交官にとっては周知の事実だ。外交常識や国際標準に照らせば、際だって挑発的な行動をしかけてきている。しかも、目を海から空に転じれば、日本列島には人民解放軍の戦闘機が接近するのは常態だ。何と平均して1日2回もの割合で、航空自衛隊スクランブルをかけざるを得ない状況。加えて、何人もの日本人ビジネスマンがスパイ容疑で中国国内に拘束されたままでいる。
 2022年12月に作成された新たな国家安全保障戦略が明記するとおり、中国の外交姿勢と軍事力増強は日本にとって最大の戦略的挑戦なのだ。
 「悪魔の誘いか」と思った
 にもかかわらず、くだんの豪州外交官は「日本の方がうまくやっている」と言う。同時に、これからキャンベラに赴任する新任の大使を相手にしての問いかけなので、何かを期待しての「悪魔の誘いか」と思った。その後、豪州赴任後にも、何人もの豪州人から同じ質問を受ける端緒となった。
 どういうことなのか?
 このような発言の背景には、幾つかの要因がある。
 ひとつは、豪州が過去数年間にわたって晒されてきた中国による経済的威圧が、異様なほど広範で厳しいことだ。2010年の日本に対するレア・アースの輸出制限に始まって、ノルウェーのサーモン、フィリピンのバナナ、カナダのカノーラ(菜種)、韓国への団体観光客等、中国の不当な経済的威圧によって貿易や往来が制限されてきた「狙い撃ち」事例には事欠かない。しかしながら、今般のオーストラリアほど、様々な品目にわたって、しかも長期間、貿易制限措置に晒されてきた国はない。その苛烈さに、南半球にあって戦略的競争に慣れてこなかった豪州人が戸惑うのも無理はなかった。
 もうひとつは、5Gからのファーウェイ(中国華為技術)社排除の推進、コロナ禍の原因の国際調査要求など、豪州のスコット・モリソン政権(当時)が対中強硬姿勢を声高に宣明したことに対しての批判が豪州国内にはある。特に、外交当局関係者や労働党関係者の間では、そうした批判が根強い。「メガホン外交は豪州の国益に資さない」との主張が典型例である。
 下手に同意すれば…
 だからこそ、自国政府の対中政策に対する批判の裏返しとして、「日本はうまくやっている」と振れることとなる。下手に同意すれば、「日本大使も批判している」としてモリソン政権批判に使われることは必至だ。したがって、日本大使としてこうした議論に安易に与するわけにはいかない。ましてや、相手の発言を額面どおり受け止め、豪中関係に比して日中関係は上手くいっているなどと鼻の下を長くするなど論外だ。むしろ、対中外交最前線にある日本が直面している挑戦を過小評価しているとして戒めるべき筋合いなのである。
 そこで、ひとこと言っておいた。
 「That is bullshit!」
 豪州人がよく使う表現でもある。
 字義どおりに訳せば、「牛の糞」、要は、「たわけたことを言うな」だ。外交官が公の場で口にするには上品な言葉ではないが、相手の目を覚ますには最適の言葉でもあった。
 手厳しく反論されたと感じたのだろうか、質問した女性外交官は呆気にとられ、赤面した。
 だが、こうした場面は、私の豪州着任後、何度も繰り返されることとなる。
 中国大使館から「暴言」となじられて
 それだけではなかった。「中国問題に口出しするな」とまで露骨に牽制されたのは一度で済まなかった。圧力に耐え忍ぶ豪州にエールを送ろうとすれば、中国大使館の戦狼たちから「暴言」となじられ、「適切に仕事をしていない」とまで批判された。のみならず、歴史カードを振りかざされ、「日本大使は歴史を知らない」とまで「説諭」された。そんな挑発に接しても、決して口をつぐむことなく、かつ、相手と同じレベルに引きずりおろされて口角泡を飛ばすことなく、理路整然と時にユーモアを交えて反論し、豪州社会の理解と共感を得ていく。これが私の駐豪大使生活の基調となった。
 中国の猛烈な反発に遭い、車のヘッドライトに照らされたカンガルーのように立ち尽くしてしまう豪州人が一部にいたことは事実だ。そうした中で、ヘナヘナと原則なき妥協に走ることは豪州にとってのみならず、日本の国益、更にはインド太平洋地域の秩序作りにとって最悪である。
 そうした事態の展開を防いでいくために、必要な突っかい棒を打っていく。何よりも、日本の対中認識を冷静に説得力ある形で説明し、日豪の足並みを合わせていく。私の豪州での奮戦記の始まりだった。
 日中関係の特異な変遷
 戦後、とりわけ1972年の国交正常化以降の日中関係の変遷は特異で奇妙なものだった。
 1970年代、日本政府に台湾との外交関係を断念させて日中国交正常化を実現した中国外交官が異口同音に発した合言葉は、「日中友好」。これは日本側にも伝播し、大東亜戦争(筆者注:「太平洋戦争」とは呼称しない。当時の日本政府が採用した名称であるとともに、戦争の本質が中国を巡るものであったことを考えると、大東亜戦争の方が適切と考えるからである)の最中や戦争前の行為に対する贖罪意識に捉われた政治家、財界人、官僚の間だけにとどまらず、マスコミ、言論界を含めて広く日本社会でも暫くの間「日中友好」ムードが世の中を席巻していくこととなった。
 私は、外務省にあってはいわゆる中国(チャイナ)スクールではなく、米国ニューヨークのコロンビア大学大学院で研修したアメリカンスクールだった。だが、1990年代後半には中国課の首席事務官を務めたことがある。日中関係を所掌する中国課が中国語研修のチャイナスクールだけに偏ってはならないとの昔からの配慮で、課長に次ぐ首席事務官にはチャイナスクール以外の者が就くことが多い。私もその一例だった。そして、1998年夏、中国課勤務を終えた後に香港の総領事館に派遣され、さらに2年間にわたってナンバー3の総務部長ポストを務めることとなった。
 外務省のいかなる課でもそうだが、中国課にあっても首席事務官はほぼすべての決裁文書に目を通し、精査して決裁する役回りだ。当時、チャイナスクールの担当官が起案して首席事務官の決裁を求めて上がってくる総理や外務大臣の発言要領の中に、「日中友好」というセリフが何と多く盛り込まれていたことか! その適否について何ら議論することもなく、いわば条件反射的に使われていたのだ。日米関係に携わる外務官僚が「日米安保堅持」を言い募る性癖を想起させられた。むろん、文脈やその当否に照らし、似て非なる実態だが、呪文のように繰り返す有様には心底驚いた。まさに、思考停止そのものだった。
 あれから、ほぼ四半世紀。状況は大きく変わった。時代が音を立てて変わったと言って過言ではないだろう。その最たるものが戦狼外交なのだ。
 福島処理水を巡る中国の容喙
 今、外交慣例ではおよそ理解できない異様なことが起きている。2023年8月に始まった東京電力福島第一原発での処理水の海洋放出に対する中国政府の執拗な問題提起だ。国際原子力機関IAEA)の理解と協力を得て、「科学的に安全」との専門家のお墨付きも得られているにも拘らず、国際社会にあって中国政府が公の場で先頭に立って繰り返し、かつ、声高に、「汚染水を海洋放出する日本は無責任」だとキャンペーンを張っているのである。国際社会、とりわけ北朝鮮や太平洋の島嶼国に対して同調するよう働きかけているのも明白だ。
 元はと言えば、この問題は、未曾有の被害と犠牲が発生した東日本大震災に遡る。震災直後に寄せられた国際社会からの温かい数々の支援、とりわけ台湾からの義捐金の額が突出していたことは多くの日本人の記憶に鮮明だ。
 あれから苦節十余年。福島を始めとする被災地の人々の血のにじむような努力、国内外の同情と支援があって復興は相当程度進んできた。その復興をさらに前に進める大きな一里塚としての処理水海洋放出なのである。
 翻って地震被害は中国にもある。2008年に四川省で発生した大地震のいたましい惨禍とその際の日本始め国際社会の支援は記憶に新しいところだ。
 かつて「日中友好」を繰り返しお経のように唱えていた中国政府であれば、そうした日本の事情に対する温かい理解と他国に率先したモラル・サポートを期待してもよさそうなものだ。しかしながら、極めて残念なことには、事態は全く正反対のベクトルで動いてきた。
 東北だけではなく、日本全国の飲食店やホテルなどに寄せられてきた中国からの心ない嫌がらせ電話が一例だ。だが、問題はそれだけではない。日本事情と日本人の心情に最も通じている筈の日本に駐在する中国の外交官自らが先頭に立って処理水放出を取り上げ、悪しざまに批判を重ねているのである。何たることだろう。
 典型例は、大阪総領事の薛剣だ。
 「日中友好」は遠くなりにけり
 2023年8月10日には関西プレスクラブで講演し、処理水放出に関して、「本当に安全ならなぜ飲用水や灌漑水に使わないのか」とまで述べて批判したのである。のみならず、7月に公表され、処理水の放出は「国際的な安全基準に合致する」としたIAEAの包括報告書にも噛みついた。薛は「報告書は海洋放出の許可証ではない」とし、「もし安全でないなら全人類の健康を脅かす」とまで滔々と論じたのである。
 誰しもが、世界各地で膨大な数の罹患者、死者を出すこととなったSARSやコロナの発生地を覚えている。そうした大抵の日本人にとっては、まさに噴飯物の主張だ。神経を逆なですると言っても過言ではないだろう。
 「そのお言葉。熨斗をつけて貴方にお返しします」と言いたくなるのが人情だ。
 事態の異様さは、日本との関係を重んじるべき立場、そして日本の事情や立場について本国関係者の理解を促進し、日中関係の摩擦要因を取り除くよう努力すべき立場にいる大阪の中国総領事が先頭に立って挑発的な批判を展開していることだ。外交官の立ち居振る舞いとしてこれを異様と言わずして何を異様と言うのだろうか?
 外交官が任国との関係を気にかけることなく、本国の方ばかりを見て「これだけやっています。これだけ言っています」と声を振り絞るかのように喧伝して回る醜態。これが戦狼外交のまごうかたない一断面なのだ。「日中友好」は遠くなりにけり、の感慨を禁じ得ない。
 山上 信吾/文春新書
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