🔯47」─3─16世紀ヨーロッパによる占領地を植民地にしていく3つの方法。拒絶した日本。~No.168 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 大航海の黄金時代を締めくくったのは、アフリカ人と日本人を奴隷とした世界交易であった。
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 中世における一神教の啓示宗教であるキリスト教は、神聖な信仰ではなく俗世の道具であった。
 それは、自爆テロを繰り返す宗教テロリストのイスラム原理主義者を見れば変わらない。
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 2023年12月19日 MicrosoftStartニュース WANI BOOKS NewsCrunch「16世紀スペインがフィリピンで実行した「植民地にしていく3つの方法」
 16世紀スペインがフィリピンで実行した「植民地にしていく3つの方法」
 © WANI BOOKS NewsCrunch
 大航海時代に発見された大陸の多くで、欧州各国の活性化のための植民地支配が始まりました。植民地となった「属国」は、支配者である「宗主国」のいわゆる奴隷となり、宗主国の利益のための政策が展開されました。京都大学大学院工学研究科教授でグローバリズムに詳しい藤井聡氏が、16世紀のスペインに征服されたフィリピンの植民地政策について解説します。
 ※本記事は、藤井聡:著『グローバリズム植民地 ニッポン -あなたの知らない「反成長」と「平和主義」の恐怖-』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。
 「植民地」という“かりそめの国”
 植民地とは、主として欧州各国が16世紀から20世紀にかけて、アジア・アフリカ・南アメリカの国々を軍事的に征服したうえで実行していた支配形態です。植民地支配がもっとも激しく進められたのが、第一次大戦前後の時期で、20世紀初頭の頃には、ヨーロッパ系白人が地球上の土地の84%を支配するに至ります。
 こうした植民地支配は、大航海時代に遡ります。15世紀、欧州の海洋航海技術の進展で、地球上のあらゆる地域への「大航海」が可能となりました。当時の大国であったスペインやポルトガルが、この大航海を積極的に行い、コロンブスアメリカ大陸を「発見」しています。その後、両国は大航海を繰り返し、訪れた地の原住民たちを圧倒的に強い軍事力にものをいわせて、植民地として支配するようになっていきました。
 その典型的な植民地の一つが、フィリピンです。フィリピンは16世紀にスペインに征服されて植民地化され、スペインにいいように使われ、搾取されていきます。そして、19世紀末から20世紀中盤に「独立」するまで、今度はアメリカの植民地として同じように搾取されていました。
 16世紀スペインがフィリピンで実行した「植民地にしていく3つの方法」
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▲地図:pytyczech / PIXTA
 もともと複数の島から構成される現在のフィリピンには、それぞれの島を統治する複数の王国がありました。しかし、強大な軍隊を持つスペインが、フィリピンのそれら複数の王国を軍事的に制圧し、それらをまとめてスペインの植民地としたのでした。植民地にも、一応は「国」が存在してはいるのですが、その国は、支配者である「宗主国」の「属国」なのです。
 というより、このフィリピンの例では、宗主国が原住民から効率的に富・利益を吸い上げる(搾取する)ことを目的として“でっち上げられた国”が、植民地の国ということになります。つまり、植民地となった国とは、主人=宗主国の奴隷なわけです。奴隷ですから、主人のいいように使われます。自分で何かを決める自由などなく、主人の道具という存在意義しか与えられません。
 欧州で価値の高い「香料」が欲しかったスペイン
では、宗主国がどのように属国である植民地を利用し、搾取していくのかと言えば、それには主に以下の三つの方法があります。
・原料供給地(香料や金、銀などの原材料・資源を供給させる=奪い取る)
・資本輸出地(資本輸出の輸出先にする。つまり鉄道・港等のインフラ投資や工場投資などを行い、自国のものとして利用する)
・商品輸出地(貨幣経済を導入させたうえで、宗主国でつくったものを買わせる)
 つまり、宗主国はまず、属国のなかにある価値あるもの(香料や金、銀など)を奪い去ります。もちろん、その採掘や生産については原住民たちに強制させます。すなわち、原住民の「労働力」を活用するわけです。これが「原料供給地」としての活用です。
 もともとスペインは、フィリピンに欧州で価値の高い「香料」があると見込んで植民地としたのですが、この狙いは外れ、あまり香料が取れないということがわかります。
 続いてスペインは、このフィリピンの地を交易の中継基地として活用していきます。当時、アジアとの交易は、欧州の国々に巨万の富を与えたからです。そして、19世紀にはマニラに大規模な港をつくり、さらに交易を加速していきます。さらにスペインは「プランテーション農場」をフィリピンの地につくり、欧米で高く売れるタバコやマニラ麻や砂糖などを原住民を使って生産させていきます。
 こうしてスペインは、港や農場という「資本」をフィリピンの地につくっていき、それを使ってビジネスを展開し、カネ儲けをするようになっていったわけです。すなわち、スペインはフィリピンを「資本輸出地」として活用していき、自国ではできないビジネスを、フィリピンという植民地の土地と原住民の労働力を使って、低コストで展開していったのです。
 以上が「原料供給地」と「資本輸出地」としての植民地活用のあらましですが、宗主国はこの二つに加えて、もう一つ、重要な搾取アプローチを展開します。
 それが、「商品輸出地」としての活用です。
 「カネ儲けマシーン」に変えられた原住民たち
 以上に述べたのは、宗主国による植民地の「土地」「資源」「労働力」の搾取・収奪という話しでした。
 ですが、この商品輸出地としての活用するのは植民地の「需要」なのです。この植民地の「需要」というものは、16世紀や17世紀の頃はさして重視されませんでしたが、19世紀以降の帝国主義の時代には、欧米列強から植民地政策における最も重要な政策として位置づけられるものとなっていきます。
 そのように植民地政策の方針が転換されたのは、19世紀からの帝国主義の時代、宗主国となった欧州各国は皆、デフレ不況に苦しんでいたからです。
 つまり、生産能力が過剰になり、自国の需要だけでは、生産したもの全てがさばききれない状況になってしまっていたのです。ですので、欧州各国は過剰生産を消費してくれる「需要」を渇望する状況にあり、これが帝国主義=植民地による支配が地球上で横行した主な原因だったのです。
 つまり欧州各国は、当時、需要不足を解消する方法として、その国の人々に自国の売れ残った品物を無理矢理売りつけたわけです。こうして宗主国は植民地の人々の需要を収奪し、自国民の産業を活性化させ、賃金水準を維持し高めていくという格好で、植民地を自国のために都合良く利用した経済成長を図ったわけです。
 ただし、そうして無理矢理に自国製品を売りつけ、原住民たちの人々の需要を奪い去るためには、彼らが「貨幣」というものを使っていなくてはなりません。ついては、宗主国側は、属国に対して「貨幣」というものを持ち込んで、それを軸とした「貨幣経済」を作り上げることとしたのです。
 宗主国はそのために、まず「徴税」という概念を持ち込みます。つまり、原住民はそこで生きているだけで、それまで見たことも無い「オカネ」なるものを手に入れて、それをお上(宗主国)に毎月毎月支払わないといけない、という状況を宗主国側が作り上げるわけです。
 そうすると、住民たちは必死になってオカネを稼ごうとして、同じく宗主国が経営する農場なり工場なりで働くようになります。こうして徴税という仕組みを使って、原住民たちを「カネ儲けマシーン」に仕立て上げることを通して、資本主義における「労働者」にするわけです。
 そして、それと同時にモノやサービスを買うときにはオカネを使うように仕向け、「消費者」に仕立て上げていきます。そしてそういう制度設計アプローチを通して、その国のなかに「貨幣経済」を作り上げていくのです。
 そのうえで宗主国は、自分の国でつくった多くの商品を植民地の原住民に売り飛ばし、原住民の需要を収奪していったわけです。それと同時に、先に述べた「資本輸出」で、現地に工場や鉄道などをつくることでも、植民地に新たな需要を発生させることができるのです。
 16世紀スペインがフィリピンで実行した「植民地にしていく3つの方法」
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▲マニラ大聖堂 写真:Richie Chan / PIXTA
 宗主国スペインは、こうして「徴税システムの導入」「貨幣経済の導入」という壮大な改革を敢行したうえで、フィリピン人たちの「需要」を収奪すると同時に、新たな「投資需要」を産み出すことに成功したわけです。
 なお、このフィリピン人たちの需要収奪は、19世紀末にスペインのあとにフィリピンの宗主国となったアメリカが、特に強力に展開していった収奪方法でした。
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