🎄7」─1─ベルギーによるコンゴ大虐殺。~No.20No.21No.22 @ ③

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 コンゴの総人口は、1885年に約3,000万人で1908年には約900万人に激減した。
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 植民地支配の大原則は、現地民に教育を施さず、豊かな生活を与えず、希望や夢を奪う事であった。
 人間とは認めず、家畜の様に使役する事である。
 愚民化に徹する事である。
 キリスト教会は、隣人愛信仰を広め、生きている今の救済ではなく、死後の世界での救済と永遠の命を約束した。
 欧米列強の植民地であったアフリカや中南米諸国では、文化度の低い下級な民族宗教や部族信仰は全て消滅してキリスト教が普及し、民族言語・部族言語は日常語に限定され公用語に西洋語が強要された。
 キリスト教改宗と西洋語公用語は、植民地支配と奴隷の証拠とされた。
 宗教や言語以外にも、伝統や文化や風習や習慣も全て消滅した。
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 植民地支配された国や地域では、人口は減る方が多く、搾取されて社会は貧しく、産業は育たなかった。
 植民地では、虐殺は付きものであった。
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 1884(明治17)年 欧州のキリスト教国14カ国は、アフリカの分割ルールを話し合う為にベルリンで国際会議を開催し、「占有権」を取り決め、原住民の意志を無視して国境線を引いて植民地とした。
 支配者は、独立運動を防止する為に原住民への教育と武器の所有を禁止した。
 搾取と略奪を徹底する為に改宗原住民や混血児のみに支配国の言語を教えて現場を取り仕切らせ、反乱を起こさせない為に民族を地域ごとに細分化し、人間不信や部族不和を植え付ける事で分断してお互いに敵意を持たせて殺し合いをさせた。
 自由を求め逆らう者は、容赦なく弾圧し、見せしめに虐殺した。
 白人植民地では、人口が激減し、無人となった肥沃な土地には欧州人とキリスト教会が大地主となって入植した。
 欧州列強は、世界を分割し植民地化できるのはキリスト教徒白人種のみとの認識を共有し、非キリスト教徒非白人の反抗的態度には一致協力して撲滅した。
 世界常識は異化政策であり、同化政策は百害あって一利なしとして否定された。 
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 1885年 ベルギー国王レオポルト2世は、コンゴの天然ゴム、象牙、ダイヤモンド、金、銀などの資源を手に入れるべく、他の列強が手を出せないようにする為に王家所有(個人植民地)として、コンゴ自由国を成立させた。
 コンゴ自由国は、総人口3,000万人であった。
 レオポルト2世は、植民地経営に莫大な私財を投じ、投資分を回収する為に先住民に奴隷的重労働を課した。
 生産量が足りなければ、罰として手足を切断した。
 天然ゴム生産量は、1893年まで250トン足らずだったのが1901年までには6,000トンに増大した。
 レオポルト2世治世下の20数年間で、総人口の半分1,500万人が虐殺された。
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 1908(明治41)年 ベルギー政府は、国王からコンゴを買い取り正式に植民地ベルギー領コンゴとした。
 総人口は、約900万人に激減していた。
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 植民地とされた民族は、武力を用いて独立を勝ち取った。
 自力で自由を勝ち取った民族のみが、真の独立者となれた。
 だが、その大半が政府派と反政府派に分かれて内戦がを起き、混乱と共に虐殺が起きた。
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 自力で独立を勝ち取っていないのは、韓国と北朝鮮である。
 にている点は、内戦による虐殺である。
 朝鮮戦争で、韓国の李承晩は120万人以上を、北朝鮮金日成は160万人以上を、それぞれ虐殺した。
 韓国軍も北朝鮮軍も、女性を強姦し慰安婦として、その多くを惨殺した。
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 1960(昭和35)年6月30日 コンゴ共和国は、ベルギーから独立した。
 大統領は、コンゴ人同盟のジュゼフ・カサブブ。首相は、コンゴ国民運動のパトリス・ルムンバ。
 反政府派は内乱を起こし、旧宗主国ベルギー軍は軍事介入した。
 コンゴ動乱の始まりであり、コンゴ戦争へと泥沼化し虐殺が日常化した。





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