🔔39」─1─西欧諸国につきまとう「植民地支配」賠償の悪夢。〜No.110No.111No.112 

   ・   ・   ・   
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 植民地支配で、要求され反省と謝罪を繰り返し、言われるままに償い金を支払い続けるのは、日本だけである。
   ・   ・   ・   
 2023年7月7日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済ONLINE「西欧諸国につきまとう「植民地支配」賠償の悪夢
 アジア、アフリカ諸国からの賠償要求は今後も続く
 的場 昭弘 : 哲学者、経済学者
 2023年6月、ウクライナを訪れゼレンスキー大統領と会談した南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領(右)(写真・2023 Bloomberg Finance LP)
 2023年5月、チャールズ国王の戴冠式の際、インドとイギリスの間で1つの小さなもめごとがあった。それは、カミラ王妃が即位式ヴィクトリア女王(1819~1901年)の王冠をかぶるのかどうかという問題であった。
 結果はかぶらなかったので事なきを得たが、インドはこれに対し不快の念を示した。それは、このダイヤモンドが、19世紀半ばから始まるイギリスによるインドの植民地化の象徴だからであった。
 ヴィクトリア女王は1876年にインドの女帝になった。名実ともにインドは、イギリスの支配下に組み込まれた。インド帝国は、イギリスの植民地の名称になったのである。
 イギリスで問題となったインド産ダイヤモンド
ヴィクトリア女王の王冠には、世界で一番大きいと言われてきたダイヤモンドがつけられている。そのダイヤモンドは、19世紀半ばにイギリスがインドから戦利品として獲得したものだ。今その王冠は、ロンドン塔にある博物感に展示されている。とても厳重に保管されているが、ロンドン塔を訪問する観光客の最大の目玉である。
 このダイヤモンドの由来は正確にはわかっていないが、14世紀には歴史に登場する。そしてあちらこちらを転々とし、第2次シク戦争(1848~1849年)のときに、その戦利品としてイギリスのものになり、1850年ヴィクトリア女王の所有になったという。
 シク戦争は1845年から1846年の第1次シク戦争とともに、イギリスの東インド会社と、北西インドを支配していたシク王国との間に起こった2つの戦争だ。
 力あるものがそのダイヤモンドを所有してきた歴史から見れば、19世紀の世界を支配したイギリスは、そのダイヤモンドを力によって奪ったのであり、当然の結果だったともいえる。
 しかし、今や21世紀だ。インドの経済成長は目覚ましく、GDPにおいてもインドはイギリスを抜いている。今やインドは従属するインドではなく、自立するインドである。現在のイギリスの首相であるリシ・スナクもインド系の人物だ。
 2023年6月中旬、南アフリカのラマポーザ大統領やアフリカ連合AU)を中心とするアフリカの国々が、ウクライナのゼレンスキー大統領のもとを訪問した。その理由は、彼らはアフリカ諸国としてウクライナ戦争の終結を求める平和交渉だった。しかし、訪問を受け入れたゼレンスキーは、彼らは小麦の物乞いに来たのかと一蹴したという。
 これに怒ったのか、先日パリで行われた途上国支援や気候変動対策を話し合う首脳会議の場で、南アフリカの大統領は居並ぶ西欧先進国の面々を前にして「私たちは乞食ではない、同じ人間として遇してくれ」と述べ、アフリカへの差別を再度厳しく批判した。
 「私たちは乞食ではない」
 インドがダイヤモンドの問題にこだわったのも、同じ理由からだ。旧宗主国のイギリスに対して、インドの怒りはいまだ収まったわけでない。イギリスが植民地時代にどれほどインドを搾取したのか、外務大臣ジャイシャンカルはイギリスの首相に何度も問い詰めている。
 こうした問題については、1998年7月17日に国際刑事裁判所の設立という提案が採択された「ローマ規定」の7条「人道に対する罪」の規定が、今も生きている。旧植民地問題は、その国が独立したからといって終わったわけではない。
 2001年8月31日から9月8日まで南アフリカのダーバンで、国連主催で開催された「人種主義、人種差別、排外主義および関連する不寛容に反対する世界会議」(ダーバン会議)で採択された「宣言」でこう記されている。
 「第14項 植民地主義が人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容をもたらし、アフリカ人とアフリカ系人民、アジア人とアジア系人民、および先住民族植民地主義の被害者であったし、いまなおその帰結の被害者であり続けていることを認める」(小倉英敬『「植民地主義論」再考』揺籃社、2017年、7ページ)
 このダーバン会議の後、旧植民地の国々は、かつての宗主国に対して賠償請求を出し始めた。その額がいくらになるのかの算定は確かに難しい。しかし、奪われたものを求める運動は今後もやむことはあるまい。ちなみにインドのモディ首相は2023年6月にアメリカを訪れ、バイデン大統領と会談した際、インドから奪われた美術品の返還を約束されたようである。
 個々の事例は別として、19世紀から本格化していった西欧諸国による帝国主義的戦略によって、アジア・アフリカ各地は相次いで植民地となっていった。その最初の例はカリブ海地域だ。
 2013年にカリブ共同体(CARICOM、カリコム)はスペインやポルトガル、イギリス、フランス、オランダに対し賠償請求をしている。CARICOMはカリブ地域の14カ国1地域が加盟しており、域内の経済統合や加盟国間の外交政策の調整などを行っている協議体だ。
 植民地の西欧諸国への従属関係は、今ではより巧妙なものとなっている。先進資本主義国は植民地であろうと、独立していようと大量に資本を貸し付けている。とりわけドルが基軸通貨であり、ドルによる借款はこうした国々にとって頭の痛い問題だ。経済発展のために借りた西欧資本によって、次第にこれらの国々が借金地獄に陥っていくのだ。
 今でも生きるローザ・ルクセンブルクの分析
 19世紀前半にすでに独立していったメキシコなどの諸国は、この借金に苦しめられた。原料基地、燃料基地、低賃金労働基地として位置づけられたこうした国は、近代的産業が発展せず、ひたすら西欧から商品を購入して、原料、燃料ときに労働を西欧に売ることで経済を運営してきた。
 ドル不足、ポンド不足が起こると、それを埋めるためにまた借りるのである。そうすると雪だるま式に借金は増え、それを逃れるために、革命あるいは国家破綻をする。しかし、そうなるとそのたびに西欧は、軍を送り込み、国家を支配するようになる。 
 この問題でもっとも大きな貢献をした経済学の書物は、ポーランド出身のマルクス主義者だったローザ・ルクセンブルク(1871~1919年)の『資本蓄積論』である。この書物は1913年に出版され、西欧がいかに西欧以外の非資本主義地域の人々から搾り取っているかということを、経済学的に展開したものである。
 出版されるやいなや、あちこちから批判が殺到した。それは当然である。西欧社会の資本家ばかりでなく、その労働者も含む西欧人すべてが植民地から搾取しているというのだから。
 しかし、この書物は資本主義の生産の矛盾を抉ったという点では白眉である。資本主義は、一方で植民地のような非資本主義がないと成り立たないシステムであり、また一方で、非資本主義地域を資本主義化しないと成り立たないシステムだというのだ。
確かに、それは完全な矛盾である。この矛盾こそ資本主義が長く続かない理由だと、彼女は主張するのである。この書物の最終ページでは、大胆にもこう語られる。
 「資本主義は、伝搬する力をもった最初の経済形態であり、地球上に拡大して他の一切の経済形態を駆逐する傾向をもち、他の経済形態と併存することを許さない、そういう経済形態である。しかし、資本主義は同時に、自己の環境と培養土としての他の経済諸形態なしには、一人で存在することのできない経済形態である。―――資本主義は、それ自身において、一つの生きた歴史的矛盾であり、その蓄積運動は、矛盾の表現であり、矛盾の不断の解決であると同時に矛盾の強化である」(『資本蓄積論 第三編』小林勝訳、御茶の水書房、2013年、219ページ)
 植民地は、最初は非資本主義的な赤裸々な搾取を受ける地域として、西欧資本主義社会の利益のために、むさぼりとられる。つまり、超安価の原料と燃料、そして奴隷としての労働によって、膨大な利益が奪いとられるのである。
 しかし、その資本主義は一方で、その植民地を資本主義化していき、次第によりもっと洗練された形で利益を吸い上げていく。つまり植民地を独立させ、政府を建設し、民主化も図りながら、利益を合法的に奪っていくというのである。
 インドもアジア・アフリカ諸国も、植民地時代の赤裸々な強奪に対して「賠償金」を払えと述べているのだ。もちろん、そうしたことが言えるようになったのは、皮肉にも先進国がこれらの国を資本主義化し、発展させたことにある。
 だからこそ、西欧ではアジア・アフリカ諸国の啓蒙に果たした役割を逆に強調することで、こうした賠償金を支払う義務などはないという議論も出てくる。
 西欧資本主義は持続可能か
 払う、払わないといった論理は、確かに一筋縄ではいかない。しかし、資本主義化したアジア・アフリカ諸国は、最近BRICSなど次第に西欧諸国に対して強い態度に出始めていることは重要である。
 西欧諸国にとってこの地域の市場を失うことは、経済成長の実現の意味からいって致命的である。1国や2国ならば、無視することも可能である。しかし、こう徒党を組まれると譲歩するしかない。最近では、西側通貨もいらないと言っている。
 原料と燃料、最大の消費者をもつアジア・アフリカ地域が、西欧資本主義のシステムの外に出て行けば、それは西欧資本主義の危機といってもいい。
 結局、植民地時代の搾取、そして今も残る不等な交換が是正されないと、西欧資本主義のシステムそのものが動かなくなるのである。アガサ・クリスティの小説の題名「終わりなき世に生まれつく」ではないが、西欧諸国はこの終わりのない賠償の悪夢に、今後ずっとつきまとわれるのである。
 的場 昭弘さんの最新公開記事をメールで受け取る(著者フォロー)
   ・   ・   ・