🔯36」─1・A─なぜローマ帝国はあれほど栄え、そして滅びたのか。〜No.123   

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 西ローマ帝国は、疫病蔓延で人口の半分が病死して人口が激減し国力が衰退し、そして異民族の侵略で大虐殺の中で滅亡した。
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 人類の歴史は、疫病蔓延が原因で激変していた。
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 2023年12月20日 MicrosoftStartニュース プレジデントオンライン「なぜローマ帝国はあれほど栄え、そして滅びたのか…最新研究でわかった「どちらも気候変動」という意外な答え
 ファルシッド・ジャラルヴァンド
 © PRESIDENT Online
 なぜローマ帝国は滅亡したのか。スウェーデン分子生物学者、ファルシッド・ジャラルヴァンド氏は「その答えは気候変動とパンデミックにあった」という。ジャラルヴァンド氏の著書『サルと哲学者』(新潮社)より、一部を紹介する――。
 ローマ帝国黄金時代のすさまじい規模
 歴史学というのは伝統的には人文科学に属してきた。しかしここ十年間で、歴史の謎を解く研究に携わる自然科学者が増えている。
 新たな技術のおかげで、人間が移住するにつれてどのように農業が世界に広まったのかや、われわれホモ・サピエンスネアンデルタール人が交配していたかなどを知ることができ、歴史的なパンデミックの原因となった微生物の調査も可能になった。こういった発見により、歴史学者の研究に強固な基盤が提供された。
 歴史上最大の謎の一つが、古代後期にローマ帝国が完全崩壊した原因だ。とはいえ仮説自体には事欠かず、歴史家アレクサンダー・デマントの研究によれば200説以上あるという。その解釈の多さからも、帝国の崩壊の理由が一つだけでは説明がつかないことが窺い知れる。
 キリスト誕生前後の数世紀に最盛期を迎えていたローマは、西側世界で政治的にも領土的にも他に類を見ないサイズだった。ローマ崩壊後、世界の銀行や商業信用機関が同じ規模の売上を達成できたのはなんと17世紀になってからだ。穀物輸送船が同じ大きさになったのは19世紀、同じ規模の大都市、つまりロンドンが誕生したのもその頃だ。ローマが崩壊したのも驚くべきことだが、その黄金時代の規模もまた驚嘆に価する。
 なぜヒト、モノ、カネが集まったのか
 歴史家カイル・ハーパーは著作『ローマの運命 気候、疫病、帝国の崩壊』で、自然科学研究を活用して、そのテーマに新たな光を投げかけた。
 彼の分析によると、ローマの全盛期は気候が暖かく安定し、珍しいほど温暖な時期、つまりローマの気候最適期だった。雨もたっぷり降り、オリーブやブドウが大陸の北のほうまで栽培できた。
 この好条件により、地中海沿岸では長期にわたって大豊作が続き、そのおかげで人口が何倍にも増えた。新しい村が雨後のタケノコのように出現し、集落は山の斜面を上っていった。ローマでは発達した徴税システムのおかげで金庫も満たされていた。
 税収と多くの人手があることで、相当数の職業軍人(兵士の数にして50万人という規模)を擁し、それによって領土を拡大し、主要地域の平和を維持していた。当時は世界人口の約4分の1がローマの統治下で暮らし、税収、貿易、都市化、そして帝国の隅々まで技術が普及したおかげで飛躍的な発展がもたらされた。
 温暖な気候、安定した政治インフラ、それに帝国の野心という組み合わせこそが、ローマを当時最強の帝国にしたのだ。ほとんどの人にとってほとんどのことが上手くいっている時期には、国を支配するのはさほど難しいことではないはずだ。
 嵐のない冬、暖かくない春、暑くない夏
 しかし良い時代は終わりを迎える。地軸の傾き、太陽活動の変化、惑星の軌道といった環境要因が相互作用し、200年代には気候がどんどん不安定になっていった。ローマの人口や領土は成長が止まってしまう。
 しかも2度のパンデミック─―一つはおそらく天然痘、もう一つはエボラ出血熱のような、フィロウイルス科の感染症だったのではないかとハーパーは推測している―─が帝国を襲った。
 それにより帝国は大きく揺れたが、崩壊はしなかった。ハーパーによれば、帝国の決定的な崩壊の裏には、もう一つの気候変動があったのだ。
 研究者らは近年、氷床コアと年輪の調査により、ローマ帝国崩壊の直前に極めて異常な気候現象が起きていたことを突き止めた。古代後期小氷期と呼ばれるものだ。
 6世紀に3回連続して起きた大規模な火山噴火により、大気に硫黄粉塵が充満し、それが数年にわたって太陽光を跳ね返していた。それに加えて太陽活動も弱いサイクルに入った。
 ローマの政治家カッシオドルスも536年に、“どれほど奇妙に思われても、太陽がいつものような明るさを失って輝いている”と記している。“今でも太陽は見えているが、海のように青い。驚くべきことに、人の身体は日中でも影を落とすことがない……嵐のない冬、暖かくない春、そして暑くない夏を過ごした”
 ローマの人口の半分が死に絶える
 そして過去2000年で最も寒い冬がやってきた。寒波と同時に、一説によればまさにその影響で、世界的に腺(せん)ペストが流行し、ローマの人口の半分が死に絶えるという信じられないような人口変動が起きた。労働力の不足に加えて日照量も減少したことで、数世代にわたって農作物の収穫量が大幅に減少することになった。
 今や帝国は弱体化し、皇帝の税金庫は長いこと空っぽのままだった。ローマはもはや有能な軍隊を維持したり、住民に無料で穀物を配布したりすることができなくなった。それが国家安定の2本の柱だったのに。
 “パンとサーカス”のコンセプトを覚えているだろうか。今やその方程式からパンが消えてしまい、社会の安定は空洞化した。そして最終的に近隣民族の侵略によって崩壊したのだ。
 気候変動とパンデミックがローマの栄枯盛衰に大きく影響したという説が広く受け入れられるようになるかはまだわからない。しかし、太陽活動のわずかな変化が文明の崩壊につながると考えると空恐ろしい。人的要因と環境要因の絶え間ない相互作用は、歴史を理解するために欠かせないのだ。
 とはいえローマ帝国の崩壊は人類の終焉(しゅうえん)にはならなかった。ローマの領土を奪った者たち、つまりフランク人とアラブ人がさまざまな理由により腺ペストや気候変動を免れたのは特筆すべきことだ。敗者がいるところには、必ず勝者がいるものだ。
 2人に1人が死亡した病
 スーパーヒーローが活躍する2018年の映画『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』では、悪役サノスが魔法の石を奪い、全宇宙の生命体の半分をランダムに消し去ろうとする。
 持続可能な範囲を超えて人口が増加したせいで均衡が失われたと考え、その均衡を回復させようとしたのだ。生き残った人々の生活は良くなるという言い分により、大量殺戮をイデオロギーとして正当化している。資源や空間を巡って競り合うことなく、繁栄と平和を享受できるというわけだ。
 ほんの数百年前に地球でもほぼ同じようなことが起きていて、この映画もそれにインスピレーションを受けたのかと思う人もいるだろう。その時の殺戮者はもちろん、紫色のスーパーヴィラン、サノスではなく、小さなスーパーヴィランエルシニア・ペスティス──つまりペスト菌だった。
 1347年から1351年にかけてユーラシア大陸黒死病が猛威を振るい、大陸の人口が大幅に減少した。このパンデミックによりスウェーデンでは2人に1人が死亡したと推定されており、ペストに襲われた他の国もおそらく同じような状況だった。
 腺ペストは恐ろしい病気だ。うつるきっかけはノミに咬まれることだが、それ自体は中世に生きた人々なら気にも留めないようなことだ。しかし数日後には高熱、頭痛、そしてリンパ節の重度の腫れ、膿瘍が発生する。
 ローマ帝国で起きたパンデミック
 細菌はさらに血流に侵入し、敗血症や壊死を引き起こす。内出血のせいで皮膚が黒くなるのが、黒死病の名前の由来になった。腺ペストの死亡率は50%超だが、もともと飢餓に苦しんでいたり、基礎疾患を抱えていたり、高齢だったりした場合にはそれをはるかに上回っただろう。
 エルシニア・ペスティスは腺ペスト以外にも肺ペストと呼ばれる病気を引き起こす。特に凶暴で急速に進行する感染症で、肺炎を引き起こし、ほぼ100%の死亡率だ。肺ペストはノミなどを媒介せず、人間同士で直接感染するが、患者は通常、多くの人に感染させる暇はない。最初の症状が出てから2日も経たずに死ぬのだから。
 すでに述べたように、エルシニア・ペスティスは中世のペスト流行の原因になっただけでなく、古代で最も激しいパンデミックも引き起こした。それが6世紀のユスティニアヌスのペストで、ハーパーはそれがローマ帝国崩壊に大きく影響したと考えている。
 パンデミックを引き起こしたのがその細菌だとわかった理由は、古微生物学(先史時代の微生物の研究)のおかげだ。その分野は近年の技術開発により飛躍的に発展した。
 帝国崩壊から1500年後にわかったこと
 私自身は古代DNA(aDNA)解析という技術が頭に浮かぶ。極めて高感度の配列解析装置、DNA汚染を回避するための厳格な措置および強力な計算プログラムのおかげで、古い考古学発見物の遺伝子の内容をつなぎ合わせることができる技術だ。
 2010年にはネアンデルタール人のゲノムが解明されたが、先史時代のものでも充分な試料が入手できれば、どの微生物がどの疫病を引き起こしたのかを解明することができるのだ。
 とりわけ歯はaDNAを抽出するのに適していて、状態の良いDNAを豊富に供給してくれる。それ自体は不思議なことではない。歯を構成する物質はDNAなどの生体分子を硬い殻に埋め込み、その分解を遅らせるからだ。
 2013年にドイツ南部の集団墓地から発掘されたペスト犠牲者19人の歯を分析したところ、そのうち8人からペスト菌特有のDNA配列が検出された。
 他の日和見感染症の病原体と同様にこの微生物の無症候性キャリアはいないので、ユスティニアヌスのペストがやはり腺ペストのパンデミックだったという強力な裏づけになった。これで歴史家たちにとっては議論すべき問題が一つは減った。長く議論を醸してきたローマ帝国崩壊の要因となったマイクロヴィランが特定されたのだ。
 この研究を行った研究者たちはさらなる分析を行った。DNAの断片をペスト菌に属する他の既知のDNA配列と比較することで、この細菌の起源をたどる系統樹を作成したのだ。それにより、ペスト菌中央アジアからやってきたことが特定された。

                    • ファルシッド・ジャラルヴァンド 分子生物学1984年イラン・テヘラン生まれ。3歳のときに家族とともにスウェーデンに移住し、マルメで育つ。微生物学者、ワクチン研究者。朝刊紙のエッセイストでもある。『サルと哲学者 哲学について進化学はどう答えるか』(新潮社)がデビュー作。 ----------

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