🦟2」─1─中国共産党が目指す「中華民族の偉大な復興」を理解するための3つの補助線。~No.2No.3No.4 

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 2023年8月30日18:11 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「習近平中華民族の偉大な復興」を理解するための3つの補助線
 <中国がどのような世界秩序を描き、地域の国々がそれをどう受容・拒否しているのか。既存の国際秩序を改めて問い直す。WEBアステイオンより>【鈴木絢女(同志社大学法学部教授)】
 習近平の論じる「中華民族の偉大な復興」とは一体なにを意味するのか。「中華」とはいったいどのような世界秩序なのか。『アステイオン』98号の特集論文から、現代東アジア国際関係を理解するための3つの補助線が浮かび上がった。
 【動画】中国は近い将来、すべての人工衛星を撃ち落とせるようになる
■中華の変容
 いくつかの論文で最も強く印象に残ったのは、かつての中華世界の柔軟性である。
 朝鮮やベトナム小中華思想に明らかなように、自分こそが中華だと信じる国が複数あった。チベットを自らの版図とした清朝に対して、チベット人たちは、二国関係を対等なものとして理解した。琉球にみられるように、二重朝貢も一般的に行われていた。中華世界は、国家間関係に関する主観的認識の複数性を許す世界だった。
 また、明に朝貢したマラッカ王国のように、隣国からの武力行使を抑止するために中国の威光を使うこともあった。華夷秩序は「周辺国」にとって、朝貢などの儀礼的な関係さえ守っておけば中国から干渉されたり、武力攻撃を受けたりするリスクを避ける仕組みでもあり、中国の優位を公式に認めることに躊躇がなければ、受け入れやすいものだった。
 しかし、主権国家システムを受容したあとのアジアでは、そうはいかない。華夷秩序のなかで劣位に甘んじてきた国々、植民地支配を受けた国々は、主権平等の原則によりながら、かつての従属関係からの脱却をめざした。
 マレーシアのヒシャムディン・フセイン外務大臣が、中国を「大哥/elder brother」と呼んだ際にマレーシア国内で激しい批判が起きたことは、「周辺国」にとって中華秩序に従うコストが上がったことを示している。
 他方で、香港の「中国化」、台湾に対する度重なる武力を用いた威嚇、チベットや新疆における抑圧的な支配、南シナ海東シナ海における攻撃的な海洋行動や東南アジア地域機構(ASEAN)に対する中国政府の圧力をみれば、習近平の中華に認識の複数性を許すような柔軟さを見出すことはできない。
 今日の中華は、「西洋の衝撃」以前のそれとは全くの別物のようである。習近平の中華の背景には、日本による台湾出兵琉球併合、日清戦争、欧米による大陸での利権獲得競争など、アヘン戦争以降の中華世界の喪失の歴史への思いが広がっている。
 他方で、内政不干渉原則への頻繁な言及にも明らかなように、中国は主権国家システムをガッチリと受け入れている。曖昧さを含んでいたかつての支配関係を、主権や領域支配の概念で捉え直そうとする中国の試みが、チベット、台湾、琉球、新疆で疎外や抑圧をもたらしている。
 主権国家システムを受け入れた中国が論じる中華は、単に中国の強国化という以外に、どういった含意を持つのだろうか。
■文化的・道徳的な正しさをめぐって
 秩序のロジックは、単に地理的なものではなく、中央(中国/漢民族)に儒教文化の精髄があるという文化的・道徳的優位によっても支えられていた。
 しかし、2010年代以降の香港市民による激しい抗議や、台湾アイデンティティの台頭、チベットや新疆で続く自治要求や抵抗運動は、これらの地域が中国に文化的・道徳的な正しさを見出していないことを示唆している。
 その意味で、「今の中国には文化の輝きはなく、経済や軍事というハードパワーによって弱いものを従えることしかできない」という野嶋「台湾で『中華』は限りなく透明になる」)の指摘には説得力がある。
 他方で、倉田(「香港の『中国式現代化』は可能か?」)が論じるように、中国は「西洋化」とは異なる「現代化」の経路を示そうともしている。とりわけ、中国が「西側戦勝国主導の国際秩序」に異を唱えるとき、少なからぬ途上国がこれに賛同することは見逃してはならない。
 もっとも、そこで主張されるのは、中国の正しさというよりは、既存の国際秩序を作り上げてきた西側先進国の道徳的欠陥である。 
 ウクライナ紛争をめぐる国連総会決議では、ロシアによるウクライナの主権侵害や国際人道法違反を糾弾しようとする西側の決議案に対して、途上国の多くが反対あるいは棄権票を投じた場面があった。
 そこで語られたのは、西側諸国による奴隷制、植民地支配、アパルトヘイト、軍事侵攻の歴史であり、かつての加害者が自らの過ちを清算せずに、ロシアの軍事侵攻には制裁を加えようとする「ダブルスタンダード」への憤りだった。
 世界秩序・国際秩序の併存・相剋
 ひょっとすると、現代には複数の世界秩序が併存し、相剋しているのかもしれない。もっとも、このような状態は、特に新しいものではない。
 近代以降しばらく、北東アジア諸国は条約交渉や国際法などを「朝貢関係において観念」し、主権国家体系を「部分的に利用」した。
 本特集でも、朝鮮が条約や主権といった概念を取り入れつつも、必要な時には清に相談や仲介、派兵を要請するといった折衷的なアプローチをとったことが述べられている。
 ひるがえって、前近代の東南アジアでは、中国や中東との中継貿易で港市国家が繁栄したことから、「支配者たちは、中華秩序やイスラームの秩序を熱心に維持しつつ、それらを包摂できる原理を模索した」。
 こうしたあり方は、現代でも観察できそうである。たとえば、南シナ海問題について極めて抑制的なASEAN共同声明に典型的に示されるように、東南アジア諸国が中国を批判することは稀である。このような自制的行動は、中国への経済的な依存によって説明されることが多い。
 しかし、中国ほどではないとしても相当程度の経済的プレゼンスを有し、また、この地域の安全保障で中国よりも大きな役割を果たしているアメリカに対しては、ほとんどの国があけすけな批判を繰り返す。
 いくつかの東南アジア諸国は、中国との関係では中華秩序のプレーヤーとなり、アメリカなどそれ以外の国とは主権国家システムの規範の中でゲームをしているのかもしれない。
 大国中国との安定的な関係は、それ自体として有益である。しかも、西側先進国に対する不満があれば、中国との安定的な関係は、西側への異議申し立ての梃子となりうる。
 アメリカに麻薬撲滅戦争を批判されたフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が「アメリカとの別れ」を宣言し、自らが立ち上げた投資会社が資金洗浄の疑いをかけられたマレーシアのナジブ・ラザク首相が「第二次大戦の戦勝国による国際制度」に異議を唱えるとき、横には中国がピッタリと寄り添っていた。
 いずれのリーダーも南シナ海問題で譲歩し、外交や内政の場で中国を讃えることを忘れなかった。
 主権国家システムは普遍的な秩序ではないかもしれない。複数の世界秩序が併存する世界では、自分の寄って立つ秩序を正義とし、それに従わない者を「修正主義者」と断じるアメリカ的なアプローチは、支持を集めにくい。
 中国がどのような世界秩序を描いているのか、地域の国々がそれをどう受容・拒否しているのか、既存の国際秩序にどのような欠陥があるのか。
 第二次世界大戦の敗戦国であり、西側先進民主主義国でありながらアジアの一員であり、漢字文化圏に属する日本だからこそ答えられる問いが多くありそうである。
 鈴木絢女(同志社大学法学部教授)
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 7月26日11時05分 WEBアステイオン習近平は他国首脳に「大国・パートナー」「運命共同体」と言うが、日本にはどれも言わない
 白石 隆(熊本県立大学理事長)
 <なぜ「中国」ではなく「中華」なのか? ...この20年間に「中国」の外につくられた「都合の良い環境」を「拡散・深化」で再考する>
 『アステイオン』98号の特集「中華の拡散、中華の深化――『中国の夢』の歴史的展望」を読んでまず考えたことは、「中国」「中華」とは何か、ということである。
 岡本隆司氏は巻頭言で、「『中国』そのもの・『中国』人その人たちは、古今さして変わっていない、とみてよい。変わった、ないし変化しているのは、そこをChinaと呼びながら、同時に『中国』『中華』と言ったり、言わなかったりする側のほうではあるまいか」と書く。
 「中国」、「中国」人がどれほど変わったかは知らない。しかし、歴代皇帝の下、帝国がそれなりに安定的に統治されている時も、統治機構が壊れて各地で乱が起こっていた時も、「中華人民共和国」なる党国家が「中華人民」を統治している時も、大陸のある領域に「中国」と呼ばれる統治機構とこれを運転する人たちがおり、その統治下に置かれた「中国」人と呼ばれる人たちがいることは間違いない。
 そうであれば、この物語の主人公は「国家」、「統治機構」、state apparatusであり、特集のタイトルも「中国の拡散、中国の深化」が相応しいはずである。では、なぜ「中華」なのか。
 もっと焦点を絞るべきだと言うのではない。本にはいろいろな編み方がある。私は「ハンガー」と呼ぶが、壁に釘を一本打ち込んで、いろんなものを引っ掛けるように、「中華」ということばが歴史的に「拡がり」「深まり」「変遷していった」ことをわかった上で、このことばを「中国」周辺地域の研究者がどう受け止めるか、このことばで何を考えるかを書いてもらうことは特集として十分ありうる。
 実際、本特集を一読しての感想は、「明清交代」に伴う「中華」の再定義、19世紀における「朝貢システム」解体プロセスなど、「中華」ということばで直ちに思いつく問いに応えようとする小論もあれば、台湾、チベット、新疆など、予想外のエッセイもあった。
 では、私は「中華」ということばで何を考えたか。本特集の趣旨から外れることを承知で言えば、「中国」国家を運転する人々を理解する上で「中華」がどれほど有用かである。
 かつて2010年にハノイでARF(ASEAN地域フォーラム)会合が開かれた。そのとき楊潔篪(ヤン・チエチー)外相(当時)は「中国は大きな国である、ここにいる、どの国よりも大きい、これは事実だ」と言った(J・A・ベーダー著、春原剛訳、『オバマと中国』東京大学出版会、2013年、193頁)。
 争点は南シナ海における領有権問題と国連海洋法条約に規定された航行の自由の原則だった。楊潔篪は事実上、南シナ海にはいかなる問題も存在しない、小国はつべこべ言うな、と言った。
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 5月19日 WEBアステイオン「日本人が無関心だった、中国周辺国・地域への「中華」の拡散
 岡本隆司京都府立大学文学部教授)
 <これまで「中華」と「中国」をどのように論じてきたのか、これからどう語ることができるのか。論壇誌アステイオン』98号の特集「中華の深化、中華の拡散」──「中国の夢」の歴史的展望」の巻頭言「「中華」の拡散・深化と「夢」みる中国」より全文転載>
 昨年2月24日に勃発したウクライナ「戦争」を契機として、現代世界はけだし何十年かに一度の歴史的な転換の真っ只中にある。
 ロシアと欧米との相容れない対立構図が露呈、西側の結束は近年まれにみる緊密さを加えた。わが日本も旗幟を鮮明にし、欧米と結束同調している。
 しかし西側に与しない国も少なくない。インド・中国という人口の第1、2位を争う大国すら、そうである。いわゆる「グローバル・サウス」は、独自の立場・路線を模索して久しい。
 その間に周知のとおり、内外で世界の今後を論じるおびただしい論考や分析が公になった。関連の報道・議論も巷に溢れる。だからといって、それで全てがわかると、誰が考えるだろうか。
 1年以上つづくウクライナ戦争は、まだ終わりが見えない。その影響と帰趨がやはり世界・欧米の最大関心事ではあり、その西側と日本も足並みをそろえる。
 それでも極東に暮らすわれわれは、ロシアに劣らず中国を無視するわけにはいかない。「同盟」相手のアメリカと「対立」する関係にあり、ウクライナに侵攻したロシアと親密で、なおかつ、それ以上に謎の大国だからである。
 当初ロシアの「盟友」たる立場を示した中国は、動きがやはり目まぐるしい。昨年の10月下旬に共産党大会を終え、習近平体制も異例の3期目に入った。
 これまで固守してきたゼロ・コロナ政策を事実上撤廃したのも、大きな転換である。この3月に開催をみた全国人民代表大会を経て、新たな政権体制も固まった。
 目前にあるそうした中国は、時空として現代・現状ばかりではない。時系列がまず然り、「現代」とは過去を経過して、未来に向かう時点の謂(いい)である。中国の最新事情といっても、その範囲はつねに振幅をもって考えなくてはならない。
 空間もそうである。「現状」とは中国国内の範囲だけでは成り立たない。接し関わる多くの国々・地域を含んだ動態である。当事者は決して「一衣帯水」の日本にとどまらない。
 その習近平体制が呼号を続けるのは、「中華民族」の「一つの中国」である。実はとりたてて目新しい概念ではない。長くとれば100年以上も以前から背負い、となえてきた課題であるとともに、現代・現状も解決をみておらず、なればこそ「夢」と表現せざるをえない段階なのである。
 今後「夢」はかなうのか、それとも「夢」まぼろしのまま消えゆくのか。
 ここまでは、納得できない史実、提起できない設問ではあるまい。しかしもっと立ち入って考えても、わからない、気づかない、あるいは疑問に感じない事柄もあろう。
 その種の事柄は数えはじめたら、あれもこれも、キリがないかもしれない。さしあたって「夢」の「中華民族」「一つの中国」に即していうなら、たとえば「中華」「中国」という、人口に膾炙(かいしゃ)する熟語である。
 われわれは何の疑いをもさしはさむことなく、これを国名や文化の名称・固有名詞として用いてきた。しかしそんなあたりまえは、ほんとうにそうだろうか。
 オリジナルの漢語にさかのぼれば、「中華」も「中国」も固有名詞ではない。中央・中心というくらいの語義であって、特定の場所や事物をさすことばではなかった。それにもかかわらず、歴史を経るにつれ種々派生・転義して、現在のようなあたりまえに至ったのである。
 「中華」「中国」という名辞がそのように拡がり、また深まり、変遷していったプロセスそのものが、中国史だったともいってよい。
 「中華」と「中国」はややニュアンスを異にしながらも、おおむね同義語として用いてきた。いまもそうであって、英訳すればいずれもChinaだろう。
 ここが見のがせない。そのChinaとは固有名詞で、今も昔もあの地域とそこの住民たちをさす。秦の始皇帝の「秦(チーン)」に由来するのは、すでに周知のことかもしれない。
 しかし「中華」「中国」というオリジナルの漢語は、異なる意味である。中心・中央は、どこでもよい。地球は丸いから、どこでもそうなりうるはずで、中心・中央がとりもなおさずChinaなのかどうかは、自ずから別の問題なのである。
 もちろん人間は、自己中心主義な生き物なので、自身・地元を中心・中央とみることはおかしくないし、少なくもない。だからChinaの住民が「中国」「中華」を自称するのは史上通例だったし、今もそうである。
 そうした意味で「中国」そのもの・「中国」人その人たちは、古今さして変わっていない、とみてよい。変わった、ないし変化しているのは、そこをChinaと呼びながら、同時に「中国」「中華」と言ったり、言わなかったりする側のほうではあるまいか。これまた「中華」が拡散深化した影響だといってよい。
 日本人がその典型であろう。戦前はことさら「支那China」と呼んで、「中国」を忌避した。
 戦後は「支那」を死語にしてChinaを「中国」「中華」と同一視し、なおかつ食堂・コンビニで「中華そば」「中華まん」と注文して疑わない。そして肝腎の「中国」「中華」が深化転化した文脈・意義を忘却してしまっている。それで中国を理解することなどできるだろうか。
 人間は一人では生きられない。人間関係あってこその生存・生活である。国もまた然り、意識するとせざるとに関わらず、自国の存立は外国との関係で成り立ってきた。
 中国もその点は同じである。だから数多ある中国論のなかでも、他国との関係は議論が絶えない。しかし中国をどうみるのか、みてきたのか、という「中華」「中国」に対する長期的な見方を考察、討論することはあまりなかった。
 そもそも日本の中国観がそうであって、さきに「支那」・China・「中華」・「中国」の言葉遣いで、みてきたとおりである。いわんや、ほかの国々・地域の「中華」「中国」に対する見方など、深く考えたこともあるまい。
 「中華」の拡散で中国と関係を有した国々・地域それぞれの「中華」観・「中国」論は、日本人の関心を引くことはほぼなかった。しかし主体・方法・視角もふくめ、各国各地の内情を示しており、ひいては日本と無関係ではありえない。
 以上の経緯に鑑みれば、現代の東アジアをみつめなおすにあたり、現代日本人に欠けているものは自明であろう。「中国」「中華」に対する、多様で変化に富む見方を、長いタイムスパンのなかで、あらためて考えてみるべきではないか。
 「中華」「中国」はかつてどのように見えたのか、いまどう映っているのか。これまでいかに論じてきたのか、これからどう語ることができるのか。
 本特集では現代の日中とは異なる立場・視座から、そうした命題に応じる論考を集めてみた。多かれ少なかれ中国と直接の関わりをもつ、それぞれの地域研究・歴史研究に従事する気鋭の研究者の手になる。
 まずは森万佑子(東京女子大学准教授)に、中国・北京、および日本と最も近隣する朝鮮半島にとっての「中国」と「中華」を論じてもらった。
 14世紀末にはじまる朝鮮王朝が「小中華」をめざし体現して以来、半島は「中華」の矜恃を持して、現在にいたっている。それこそが当時から目前まで、日中と朝鮮半島との関係のほとんどを形づくっているといっても過言ではない。そしてそれをほとんどの日本人が気づいていないのも、また事実なのである。
 それほどに希薄な日本人の「中華」意識は、どう測定できるか。そこを石田徹(島根県立大学教授)に朝鮮半島に対する史上の「征韓論」で試みてもらった。
 「征韓論」とは日本人の世界観の発露でありながら、特定の時期に表出し朝鮮半島に特化した思想観念である。つねに是非褒貶(ほうへん)の対象だった日本人の「征韓論」を、一般化した思想分析に還元することで、日本と「中華」の関わりをあらためて考えてみたい。
 なぜ日本企業は無能な高齢社員が居座れるのか。非常に頭のいい人が日本から去ってしまう納得の理由。
 そんな日本の一部でありながら、基地問題に揺れ「自己決定権」を渇望し「独立」さえ叫ぶ沖縄は、かつて琉球王国として「中華」にも帰属していた。
 そんな中国との関係を断絶させ、沖縄県という日本の一部にしたのが1870年代のいわゆる「琉球処分」であり、基地問題をふくむ沖縄問題は、遅くともここから考えなくてはならない。アメリカとも無関係ではなかったからである。
 ティネッロ・マルコ(神奈川大学准教授)は太平洋に及ぶ当時のアメリカのプレゼンスを、その「琉球処分」の過程からとらえかえし、日本・沖縄をめぐる史実を見なおすばかりでなく、現代の「米中対立」まで展望を試みた。
 そのアメリカの言動を台湾問題において、中国政府は「一つの中国」に対する最大の障碍とみなす。その台湾の人々は「中国」「中華」といかなる関係にあるのか、またそれはどう変化してきたのか。
 昨年のペロシ元米国下院議長訪問から波の高くなった台湾海峡は、しかし以前から決して平穏だったわけではない。いまなお「他者」ともいいきれない微妙な歴史があって、その様相を野嶋剛(ジャーナリスト、大東文化大学教授)がつぶさに論じる。
 沖縄のいう「独立」をいまの台湾人は口にしない。中国政府のとなえる「中国」「中華」と抵触矛盾するセンシティヴなタームだからである。
 そんな「独立」をとなえて弾圧を受けたのが、香港人だった。それから現在まで、着々と進む香港の「中国化」は、「一つの中国」の進展であるといってよい。
 かつて中国の「香港」化ではじまった香港の「一国二制度」の歴史と帰趨は、やはり今後の「中国」「中華」のありようを占うものであり、その機微を倉田徹(立教大学教授)に解説してもらった。
 香港の「一国二制度」は、独立を定めたものではない。明記するのは香港の「高度な自治」であり、しかし中国政府はその「自治」をも否定しつつある。
 香港で現在進行形のそのプロセスは、実に西方のチベットでつとに完了していた。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世はインドに亡命を余儀なくされ、かつまた今も「高度な自治」の回復を訴えつづけている。
 その歴史的由来を知られざるチベットの「中国」観とあわせて、小林亮介(九州大学准教授)が解き明かしてくれる。
 このように「中華」「中国」の拡大深化と対峙するのは、台湾・香港・チベットばかりではない。チベットと同じく西方にあり、しかもチベットよりも「中華」に疎遠だったはずの新疆・東トルキスタンは、やはり「中国化」の只中にあって、否応なく世界の耳目を集めている。
 現代の人権問題として取り沙汰される「新疆問題」は、しかしながら大小消長・名称のちがいこそあれ、19世紀からすでに存在してきた。
 その150年以上もの歴史は、日本とはるかに隔たりながらも無縁ではありえない。熊倉潤(法政大学准教授)は今日の「新疆問題」の構図と論点を確かめるべく、くわしく史実を跡づける。
 「中華」に否定的な周辺ばかりではない。北に朝鮮半島の「小中華」があれば、南にも「南国」ベトナムという「中華」があった。牧野元紀(東洋文庫文庫長特別補佐)はそんな「誇り高き」ベトナムの歴史をひもといて、「中国」に対峙対抗するため実践してきた「中国化」の過程と現状を明らかにしている。
 いまやベトナムは、多数の若者を送り出して日本国内の労働、ひいては暮らしを支えるばかりでない。南シナ海上の南沙・西沙諸島の領土主権を中国と争うなど、日本と共通の利害を有する存在でもある。従前のような無知無関心で見過ごすことは許されない。
 しめくくりに、小長谷有紀(国立民族学博物館名誉教授)を囲んで、今昔のモンゴルを縦横に語り合った。日本でもすっかりおなじみになったモンゴルほど、古今にわたって「中華」「中国」との関わりの深いところも少ないからである。
 「中華」の長い歴史のなか、「夢」みる中国はいかなる地点に立っているのか。「夢」の正体とは、何なのか。「中国」を囲繞する世界からみた「夢」の実体とは、何なのか。拡散・深化を続けた「中華」「中国」は、どのように見えるのか。
 「中国」「中華」の意義・影像によって、中国に対する言動・関係が変わり、その過程を通じ、各国各地の運命も決まってきた。
 何度も干戈を交えた日本も、もちろん例外ではない。ほかの国々はなおさらそうだろう。いまや「米中対立」と言って憚らないアメリカすら然り。中国史の多くをそうした史実経過が占める。
 「中華」の拡散・深化と「中国の夢」を、外の眼からあらためてさぐってみることで、東アジアの現在を考えたい。
 岡本隆司(Takashi Okamoto)
 1965年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。宮崎大学教育学部講師、同教育文化学部助教授を経て、京都府立大学文学部教授。専門は近代アジア史。著書に『世界史序説』(筑摩書房)、『「中国」の形成』(岩波書店)、『東アジアの論理』(中央公論新社)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)、『中国の誕生』(名古屋大学出版会)、『世界史とつなげて学ぶ 中国全史』(東洋経済新報社)など多数。
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