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中世キリスト教会は、白人キリスト教徒商人と組んでアフリカ人と日本人を商品とする人身売買で大金を稼いでいた。
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2023年8月31日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「キリスト教は女嫌い? 妻帯司祭と女性司祭にまつわる真実の話 独身制は性を超えるか
竹下 節子
キリスト教の司祭といえば独身で……というのも、実は歴史的な一面にすぎません。結婚する司祭や女性司祭など、実際には多様な性(生)の形態があり、なおかつそこに聖母崇敬や女性蔑視が複雑に絡まり合って、事は複雑な様相を呈しています。ここでは、そんなキリスト教におけるジェンダーの問題について、『キリスト教入門』の著者・竹下節子さんが丁寧に腑分けして解説します。
アガペーとエロスのダイナミクス
19世紀フランスの作家バルベイ゠ドールヴィイに、『妻帯司祭』という挑発的な題名の小説がある。信仰を捨てた司祭が結婚してできた「贖罪の娘」がヒロインだ。
カトリック神父は独身制のため、その神父が独身の誓いを破るところにいろいろなファンタスムが生まれた。サマセット・モームの『雨』、M・G・ルイスの『マンク』、E・T・A・ホフマンの『悪魔の霊薬』、グレアム・グリーンの『権力と栄光』から、日本でも遠藤周作の『影法師』まで文学のテーマを提供しつづけている。
© 現代ビジネス
仏教でも鶴屋南北(つるやなんぼく)の『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』の清玄(せいげん)のような有名な破戒僧が歌舞伎に登場するが、キリスト教の場合は神の愛アガペーと肉体の愛エロスの拮抗が生むダイナミクスが特に芸術家を刺激したのだろう。
どうして独身制が始まった?
初期教会の司祭たちは選挙で選ばれる長老であり、妻子のある家長が普通だった。キリスト教が終末観の濃いヘレニズム世界に広がっていくうちに、禁欲的なプラトニズムの影響を受けて司祭の独身制が始まったようだ。
初めは終末思想が濃かったから、司祭どころか信者にも独身が勧められたこともあった。東方の正教会では妻帯者も司祭になることができ、司教のみが独身を要求されている。
独身制も実際は……
しかし、カトリック教会でもルネサンスの頃は子供のいる教皇もいたくらいで、建前が独身でも地方の教区では事実上女性と同棲している司祭も多かった。
独身ということが社会的に不可能に近いアフリカの村などでは今でも妻帯司祭が少なくない。
社会主義の時代にヴァティカンとの関係を断たれて潜行し妻帯した東欧の司祭たちや、女性司祭の誕生に不満を持ってイギリス国教会を離れた妻帯司祭たちをカトリック教会が受け入れているという実態もあり、10万人の妻帯司祭が存在すると言われている。
独身の司祭が信者と恋愛して結婚するというケースももちろんあり、そのような妻帯司祭の互助システムもあれば国際大会もあるほどなので、妻帯司祭がみな隠れたり聖職を離れたりするわけでもない。
性的スキャンダル
問題は結婚ではなく性的スキャンダルがある場合で、近ごろでは欧米のカトリック教会で神父による児童の性的虐待スキャンダルが持ち上がっていて、そのたびにカトリックの独身制そのものも問題にされている。
じつはカトリックだけでなく、プロテスタントにおいても宗教的な教育サークルではこの種のスキャンダルが絶えないので、それは独身制のせいではなく家父長制社会の病理なのだろうが、カトリックだとさらに後ろ指をさされる心理構造がある。
© 現代ビジネス
独身制廃止と女性司祭認可運動
1995年にはスイスの司祭が父親になって退職したのをきっかけに、独身制の廃止と女性司祭の許可を求めて7万人のカトリック信者が署名運動をした。ヨーロッパでは聖職の志願者が激減しているので、独身制を廃止すれば召命が増えると期待する向きもあり、アルザスの司祭グループは既婚者の叙階を求める嘆願書を出した。
1990年にはブラジルの枢機卿が妻帯者を2名(1人は68歳で病床の妻と同居中)叙階したし、妻帯して職を離れた司祭が離婚(結婚も離婚も教会でなく市役所レベルのみ)した後で職場復帰を勧められることもある。
独身制は効率がよい?
そのうち独身が選択制になる日が来るかもしれないが、カトリックがその力の多くを独身聖職者に負ってきたことも事実だ。
カトリック系のミッション・スクールのレベルが高いことが多かったり、人道組織がよく機能したりしているのは、独身で身軽に世界中を移動できる神父や修道士やシスターたちがいるからだ。妻子への責任や家庭生活に煩わされないで研究や活動に集中できる効率性も大きい(あるいは仕事に集中しても妻子に迷惑をかけないですむとも言いかえられる)。一日の大半を人々の間で人々のために働いていると、仕事以外の時間には神と向き合う孤独が必要だという神父もたくさんいる。
聖母崇敬と女性蔑視
しかし、文学などで妻帯司祭がテーマにされると、背徳のイメージがつきまとうのは事実だ。女性はとかく宗教者や修行者を誘惑して堕落させる悪魔のように表現されることが多いからだ。
ところが、女性司祭を認めないカトリックや東方教会の神学では、聖母に代表される女性の重要性がむしろ大きくなっている。肉体的な性の禁忌が強いほど性的イメージをともなう神秘主義が花開いて、女性宗教の観を呈することすらあるのだ。
といっても「現実の女性」に対する見方は厳しく、5世紀の聖アウグスティヌスに始まって、13世紀ドイツのドミニコ会士であった聖大アルベルトゥスや、今もカトリック神学の基礎とされる聖トマス・アクィナスに至るまで、「女性は男性よりもモラルに欠ける」「女性はできそこないの男性だ。女性は男性よりも不備で不完全で(……)人は女性から毒蛇か悪魔のように身を守らなくてはいけない」などと書いている。
女性不在の「男性の神学」
それに対して、プロテスタントでは、結婚できるようになった牧師は良き夫の代表でなくてはならず、女性は「良き妻」という理想像を与えられて、女性の現実的、社会的地位の向上が始まった。
けれども神学の中から聖母崇敬が消えたように、「女神」や「神の愛人」のイメージが姿を消して、女嫌いではなく女不在の「男性の神学」ができてしまった。
女性司祭誕生
カトリックでも、東方典礼カトリック教会や1870年の第一ヴァティカン公会議で「教皇の無謬性」(ローマ法王は教義に関して公会議の承認を受けずに宣言することができる)に反対してローマ教会と袂を分かった復古カトリック教会などでは、妻帯司祭や女性司祭が存在する。オーストリアのローマ・カトリックの女性が司祭になる召命を感じて復古カトリックに改宗して叙階される例が、1998年に登場した。
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しかし独身の誓いを立てるカトリックの修道会にもいろいろ歴史があって、アイルランドやアングロサクソンの国には男女共存の修道院の例があり、12世紀初めのフランスのフォントヴローの修道院では、ある未亡人が女子修道院と男子修道院をまとめる総院長に就任して以来、18世紀の大革命まで女性のトップが伝統になっていた。女性に服従することも男性修道士の修行の一つだと説明されることもあったが、それを嫌って逃げ出した修道士も少なからずいたらしい。
独身は性を超えるか
1990年代から脳と遺伝子をめぐる性科学の研究が進んで、男と女には明確な区別があるのではなく連続しているということが分かり始めた現在は、ジェンダーの概念そのものが変化していくことだろう。独身も、天使のように性を超越する一つの選択であり得るかもしれない。
男も女も民族も人種も老若も、障害のあるなしも、みな連続した全体のヴァリエーションだと認識する時が来れば、「神の平和」はもうすぐそこかもしれない。
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人種、中絶、同性愛、進化論をめぐり保守的な態度を固持する「キリスト教原理主義」が胚胎する“両義性”については、「保守的で非科学的な「キリスト教原理主義」が秘める意外な可能性とは:排他主義か社会変革か」をお読みください!
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8月29日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「保守的で非科学的な「キリスト教原理主義」が秘める意外な可能性とは
排他主義か社会変革か
竹下 節子比較文化史家 プロフィール
人種、中絶、同性愛、進化論などをめぐる保守的な態度を頑なに維持し、アメリカにおいては政争の行方に隠然たる影響力を発揮してきた「キリスト教原理主義」。このほど『キリスト教入門』(講談社学術文庫)を上梓した竹下節子氏が、その歴史とヴァリエーションを辿るなかから、「原理主義」の意外な‟両義性”を掘り出します。
原理主義、5つの教義
原理主義(fundamentalism)という言葉は1895年のアメリカで初めて使われた。
伝統的なプロテスタント教派が、工業化と自由主義の風潮に対抗して、キリスト教にとって原理的(fundamental)である5つの教義の強調を確認した。
・神に与えられた書のテキストの絶対的な真理
・キリストの神性
・キリストが処女マリアから生まれたこと
・キリストの死の贖罪的価値
・生者と死者を裁くための再臨
がその5つだ。
カルト化する原理主義
その後、聖典や典礼が時代とともに変化する(べき)ものだという進化主義に反して、聖書の字義どおりの真実性にこだわる傾向が原理主義だと言われるようになった。
保守的であり、概して初期のピューリタンのように禁欲的で高い倫理意識を持っている。しかし閉鎖的になる傾向が強く、ひどい時には秘密結社化したりカルト化したりすることになる。
その例である白人至上主義のクー・クラックス・クランは、黒人に選挙権を与えるのを阻止するため生まれた。1871年に禁止されたが、1915年に復活した。
初期KKKメンバーの装束
南部アトランタでは元メソジスト派(イギリス国教会から分かれた謹厳なプロテスタント)の牧師が指導して、反黒人に反ユダヤ、反カトリック、反近代主義を付け加えるようになった。
創世記vs.進化論
原理主義的な動きは中世から存在していて、現世の既成秩序を倒して普遍的で平等な国の建設を目指すミレナリスト(至福千年主義者)の運動も出た。
近代においては、聖書の中の「創世記」とダーウィンの進化論の矛盾が原理主義者たちを悩ますことになる。
「創世記」によると神は7日間でこの世を創造したが、それは紀元前4000年くらいのことだと言う人がいる。ヴィクトリア女王時代の動物学者フィリップ・ゴスなどは、神が人間の信仰の強さを試すためにわざわざ化石を創って発見させたのだと言ったほどだ。1925年にはテネシー州でダーウィンの進化論を教えた教師が訴えられて追及された。
これは過去の話だけではなく、今のアメリカでも蒸し返されている問題であることに驚かされる。
反社会的、反国家的
原理主義はその成り立ちからいって、どうしても反社会的、反国家的になりやすい。
社会と隔絶したアナクロニックな教派として有名なものに『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985)という映画に出てくるアメリカのアーミッシュがある。
ペンシルバニアのアーミッシュ
アーミッシュは17世紀末にメノナイト教派から分かれたものだが、オランダから移民した一八世紀当時の服装や生活様式を守っている。幼児洗礼を拒否し初期教会の信仰生活の再現を目指す。信仰コミュニティと農業中心の生活コミュニティが一致していて、平和主義が徹底し、兵役拒否のため迫害された歴史もある。
排他主義か社会変革か
平等主義がコミュニティ内部だけではなく社会に向かっている場合は社会運動が起こる。
17世紀イギリスで生まれたクエーカー教派などがそうで、やはり兵役拒否をし、平和運動や非差別運動に熱心である。農本主義的で時代錯誤的なアーミッシュとは反対で、どちらかというとリベラルでインテリ的だ。
冠婚葬祭用のご都合宗教と化していることも多い伝統教派に比べて、志の高そうな改革原理主義的な教派は社会を変える原動力となり得るのだ。
原理主義が独善排他主義という病に至るか社会を活性化するかは、神のみぞ知ることなのだろうか。
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