🐼33」─1─中国共産党が仕掛ける「ウイグルの漢族化」。失われる宗教、言葉、尊厳…。〜No.128 

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 20223年7月15日 MicrosoftStartニュース TBS NEWS「失われる宗教、言葉、尊厳… 記者が見たウイグルで進む「漢族化」の実態 市場の刃物は鎖で繋がれ民家の玄関にはQRコードが…そのワケは?【news23
 © TBS NEWS DIG_Microsoft
 JNNのカメラが中国・新疆ウイグル自治区にー。人口はおよそ2500万人で半数近くを占めるのがイスラム教を信仰する少数民族ウイグル族の人々です。中国政府はここ数年、ウイグル族などに対する抑圧政策を強化していますが、これを欧米各国は「人権侵害だ」と厳しく批判、国際問題となっています。抑圧政策により失われていく宗教、言葉、そして尊厳。その実態を取材しました。
 市場では刃物に鎖 民家にQRコードのワケは?
 新疆ウイグル自治区カシュガル市。人口の9割をウイグル族が占める、ウイグルらしさが色濃く残る街です。厳しい移動制限を強いていたゼロコロナ政策が終わり、多くの観光客でにぎわっていました。観光客の多くは“漢族”です。
 漢族の観光客(女性)
 「ウイグルの人たちは、みんなとても親切でフレンドリーです」
 漢族の観光客(男性)
 「今は漢族とウイグル族の関係は、とても親密です。中国は少数民族と漢族との一体化を重視し、たくさん努力してきましたから」
 漢族の観光客(女性)
 「ますます民族が融合しています。ウイグル族の人たちも中国語が、だんだん喋れるようになっているし」
 “ウイグル族とは、うまくいっている”と口をそろえる漢族の人々。その実態は、どうなのでしょうか?
 カシュガル市の市場では、ウイグル族の人たちの食生活に欠かせない羊や牛が取引されていました。平穏に見える人々の暮らし。しかし、そこで目に留まったのは・・・
 記者
 「刃物に鎖がついています。テーブルに固定されていて、持ち出せないようになっています」
 市場の全ての刃物が鎖やヒモで固定されていました。
 ウイグル族の男性
 ーーいつから鎖をつけるようになった?
 「結構前からです。5、6年前かな」
 2009年にウイグル族と漢族が衝突した「ウルムチ騒乱」以後、中国政府は「テロ対策」の名のもと、ウイグル族に対する監視を強化。刃物を鎖で固定するのもテロ対策の一環だということです。あるウイグル族の男性は、複雑な心境を明かします。
 ウイグル族の男性
 「鎖をつけられることで、心理的に抑圧されている気持ちになる。尊厳が奪われている」
 監視の目は、ウイグル族の人々が暮らす住宅にも・・・
 記者
 「民家の玄関には、QRコードが貼ってあります。QRコードを読み込んでみると担当する警察官の電話番号と名前が書いてあります」
 一軒一軒、住民を監視・管理する態勢が整っていることをうかがわせます。さらに、こうした抑圧政策は宗教にも・・・
 破壊されたモスクも・・・ 「宗教の中国化」とは?
 記者
 「こちらはモスクだということですが、完全に壊されています」
 イスラム教徒であるウイグル族にとって大切なモスク。その多くが、取り壊されたり閉鎖に追いやられていました。何が起きているのか?近所の人に尋ねても、皆、かたくなに口を閉ざします。
 閉鎖されたモスクの近所に住む人
 ーーモスクはありますか?
 「ありません」
 ーー見に行きたいのですが、ないですか?
 「ありません」
 残された数少ないモスクも、様変わりしていました。2015年に撮影されたウルムチ市内の様子には、当時、ウイグル文字で書かれていた看板に、2023年には漢字表記が追加されています。別のモスクの壁には「愛国愛教」=「国と宗教を愛せ」の文字。こうした流れをつくっているのは、2015年に中国政府が打ち出した「宗教の中国化」です。
 習近平国家主席
 「我が国の宗教の中国化の方向を堅持し、宗教が社会主義社会に適応するよう積極的に導く」
 信仰を中国共産党の指導のもとに置くというもので、以来、宗教活動に対する統制が強くなっています。そのため人々の姿にも変化が。
 2015年に撮影されたウルムチ市内の様子には、宗教上の慣習に従って、女性たちはヒジャブで頭を覆っています。8年後の2023年は、ヒジャブをつけている女性は、ほとんどいません。ヒジャブは「過激派」のように見えるという理由で政府が許さないのだといいます。失われていたのは、宗教だけではありません。
 学校の授業は中国語 進む「漢族化」の実態
 子どもたちが暗唱しているのは、唐の時代の詩人「李白」の詩。学校では、中国語を使うようにという指導が徹底されていました。
 ウイグル族の子ども
 ーー授業は全て中国語?
 「そうです」
 ーーウイグル語は?
 「学校でウイグル語をしゃべっちゃいけないんだ」
 ーーなんで?
 「学校のルールだから。先生たちもウイグル語は使っちゃダメなんだよ」
 ウイグル族の子ども
 ーー中国語を勉強するのは好き?
 「好きじゃないけど勉強しなきゃいけないんだ」
 ーーなんで好きじゃないの?
 「難しいから」
 ーーウイグル語の方が楽?
 「そうだよ」
 中国語ができないと、就職などが不利になるといいます。
 漢族の女性
 「今、就職するには中国語が必要です。ウイグル族も中国語が喋れないと仕事ができないんです」
 伝統の街並がテーマパーク化 失われる宗教・言葉・尊厳
 レストランを訪ねると・・・
 記者
 「レストランの入り口には、警備員がいて金属探知機が置かれています」
 新疆では、どこの街にも金属探知機が置かれ、装甲車や警察官の姿が多くみられます。しかし、住民によると、これでも警備は数年前より緩くなったのだといいます。
 今、中国政府は、新疆ウイグル自治区の経済発展、特に観光産業に力を入れています。伝統的なウイグルの街並みは壊され、代わりにテーマパークのような観光施設が登場していました。
 新しく整備された民宿街。経営しているのは漢族です。政府の支援があるため、ビジネスはやりやすいと話します。
 漢族の男性
 ーー商売はどうですか?
 「とてもやりやすいです。政府も積極的にサポートしてくれます」
 ーー10年前は漢族とウイグル族の衝突がありましたよね?
 「ないです」
 ーーなぜ今は良くなったんですか?
 「党の政策がいいから。このような取材はしないほうがいい。10年前の話題は良くない」
 観光用に再開発された地区には「中国共産党に感謝」の看板。
 漢族の男性
 「インフラの建設に国が多くのお金を投資しています」
 ーー発展の変化は大きいですか?
 「ここの発展はとてもはやいです」
 漢族の女性
 ーーウイグルの人たちが流暢に中国語を話すのにびっくりしましたが?
 「みんな中国人だから、標準語を喋るのはもちろんです」
 当のウイグル族の人たちは、どう思っているのでしょうか。
 ウイグル族の男性
 ーーウイグル族の習慣や宗教に変化は、ありましたか?
 「質問の意図がわかりません」
 ウイグル族の女性
 ーー話を聞いてはダメですか?敏感だからですか?
 「・・・(手で振り払う)」
 人々が本音を口にすることはありませんでした。
 習近平国家主席
 「中華民族共同体意識の強化を主軸とし、党の民族対策を強化し改善する。中華民族の偉大な復興を全面的に推進し団結奮闘しよう」
 ウイグルで進んでいたのは、宗教活動を制限され中国語を使うことを強いられ、中華民族の一員として生きていくことを余儀なくされる「ウイグル族の漢族化」。その流れを止めることはできないのか。「ウイグル族側に選択肢はない」ある住民はそっと打ち明けました。
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 7月15日 MicrosoftStartニュース TBS NEWS DIG_Microsoft「「中国化」と引き換えに発展する新疆ウイグル自治区 「何も言えないけど、分かってください」 目で訴えるウイグル族
 「中国化」と引き換えに発展する新疆ウイグル自治区 「何も言えないけど、分かってください」 目で訴えるウイグル族
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 北京で出会ったウイグル族の友人に導かれ新疆を訪れてから10年。この間、新疆ウイグル自治区は「教育施設への強制収容」「虐待、拷問」など中国の「人権問題」の象徴として世界の注目を集めていた。今回、JNN北京支局カメラマンとして10年ぶりに訪れた新疆で、私が見たもの。それは「中国化」と引き換えに発展する街並みと、沈黙を守る人々だった。
 (・後編のうち後編)
 10年ぶりに北京支局カメラマンとして訪れた新疆 “変貌ぶり”に驚嘆
 北京で出会った初めてのウイグル族の友人アクバル(仮名)とウルムチの夜を過ごしてから10年。今回、私はJNN北京支局のカメラマンとしてウルムチカシュガル、ホータンの3か所を取材で訪れた。この間新疆ウイグル自治区の何が変わったのか、自分の目で確かめたかった。
 2017年以降、欧米諸国は中国政府がウイグル族を再教育施設へ強制収容していると厳しく批判。ウイグル族は中国の人権問題の象徴ともいえる存在になっていた。
 中国政府は外国メディアに新疆の現状を見せたくないのか、記者が新疆に入るとたちまち公安関係者に尾行され、取材を妨害される、という状況が続いていた。
 しかし、今回私たちは取材を妨害されることもなく、行きたいところに行き、撮りたいものを撮影することができた。
 観光地には大量の漢族の旅行客が押し寄せ、漢族の観光客相手にウイグル族の店員がにこやかに商売をしていた。そこに、民族間の緊張は感じられなかった。
 10年前にも訪れたウルムチの街は、急速に発展していた。林立する高層ビルを目の当たりにし、同じ街に来たのか分からなくなる程の変貌ぶりに驚嘆した。
 街行くウイグル族の若者をつかまえて「漢族とウイグル族の争いはもう無いの?」と聞くと、「当たり前でしょう。ウイグル族だって中華民族なんだから、みんな仲間です」と中国語で淀みなく話した。
 制限の無い取材環境、発展した街なみ。両民族の友好的な共存を目の当たりにして、10年前アクバルが打ち明けてくれたウイグル族の中国における立場はここ数年で変わってしまったのか、と煙に巻かれたような気持ちになった。
 「上の人はモスクを開けさせたくないのよ」 新疆の裏側にある“違和感”
 しかし、数日間街を歩き、つぶさに観察すると10年前と違う点に気が付いた。
 一つは女性の服装だ。
 10年前に撮影した写真を見返すと、ほとんどのウイグル族女性イスラム教徒が習慣的に着けるヒジャブと呼ばれるスカーフで頭を覆っているのに対し、現在では年配の一部の女性を除いてほとんどつけていなかった。
 モスクにも変化が見られた。
 10年前はどこの街角でもモスクを見ることができ、礼拝をするイスラム教徒の姿が印象に残っていた。しかし、今回カシュガルでは街の中心部にある観光地化した大きなモスク以外、小さなモスクはほぼ閉鎖されていた。
 ある高齢のウイグル族の女性は小さな声で「上の人はモスクを開けさせたくないのよ」と話し、私たちに向かって人差し指を口の前に立て「シー」というジェスチャーをした。彼女が立ち去る姿に、ウイグルの人たちが置かれた状況を想像せざるをえなかった。
 閉鎖されたモスクの隣に住む男性と話をした。はじめは「知らない」と言葉少なだったが、打ち解けてくるにつれ、思い切って何かを話してくれそうな様子を見せ始めた。
 「私はただ平穏に暮らしたいだけなんだ」
 周囲で誰か聞いていないか。誰も見ていないか。そんなそぶりをし始めた彼は、ふと私の持っているカメラに目を止めた。
 「まさかそれで今撮影していないだろうな?」
 私は「撮っていない」と答えたが、彼が話を続けることはもはやなかった。動揺した彼は頭から汗を吹き出しながら「私はただ平穏に暮らしたいだけなんだ。余計な面倒には巻き込まれたくない」と言って、私たちを部屋から追い出した。
 彼が何を伝えようとしたのか、今となってはわからない。しかし、彼の仕草、あの動揺ぶりが、何よりも雄弁にウイグル族の現状を物語っていたように思えた。
 「ウイグル語を話してはいけない。そういう決まりがあるんだ」
 ウイグル族の若者の中国語能力の向上も実感した。10年前に訪れた際は、若者であっても簡単な中国語しか通じなかった。しかし、今回の訪問ではタクシー運転手やお土産店の店員と、中国語でスムーズなコミュニケーションをすることができた。中国語が話せないと仕事に支障がでるため、幼稚園から中国語を学ぶそうだ。
 小学校を訪れると教室からは生徒が中国語の文章を読み上げる声が聞こえた。校庭でサッカーを楽しむウイグル族の小学生に話を聞くと「学校では先生も生徒もウイグル語を話してはいけない。そういう決まりがあるんだ」と話した。口をつぐむ大人たちに反して、子どもはあっけらかんとウイグル族の置かれた状況を教えてくれた。
 また、私たちはウイグル族を強制収容し、中国語教育や共産党思想教育などを強いていると国連などから指摘された「再教育施設」とされる場所を10箇所以上訪れた。有刺鉄線や高い塀など異様な特徴をもつ建物を見ることができた。
 近所の住人は「以前はそうだったが、既に施設は無くなった」とだけ話した。以前施設に両親が収容されていたと話すウイグル族の男性とも出会った。「2年近く両親が収容され中国語を学ばされた」と打ち明けてくれたが、それ以上多くを語らなかった。
 「何も言えないけど、分かってください」 目で訴えるウイグル族
 モスクや中国語教育、再教育施設など政治性を帯びた話に及ぶと、途端に口が固くなるウイグル族の人たち。彼らにとって政治的な話題を口にし、誰かにそれを聞かれるということは自身だけでなく家族や親戚を危険に巻き込むタブーなのだ、とこの取材中何度も思い知らされた。
 物言えぬ中国社会の中で彼らはYesともNoとも言わず、いつも私たちに目で訴えかけてくるのだ。「何も言えないけど、分かってください」と。
 その目を見るたび、10年前出会ったウイグル族の友人アクバルがウルムチで政治的な話題に触れた私に話した「どこに私服警察官がいるか分からないから、政治的な話はここではやめてくれ」という言葉と強張った顔が何度も思い出された。
 この10年、経済的な発展を遂げ、ウイグル族の人々の暮らしぶりは豊かになったように見えた。しかし、その発展は、ウイグル民族らしさやイスラム色の強い文化を手放し、中国化を受け入れることと引き換えなのだと改めて思い知らされた。
 今回、新疆に行くにあたって、久々にアクバルに連絡をしてみたのだが連絡はつかなかった。彼がいまどこで何をしているのかはわからない。
 10年前、私を新疆に導いた彼は、ウイグル族が置かれた今の状況についてどのような想いを抱いているのだろうか。
 いつかまた北京のあのバーで、ビールを飲みながら聞いてみたい。
 (・後編のうち後編)
 JNN北京支局カメラマン 室谷陽太
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