🔯30」─1─アリウス派ウルフィラ神父とルーン文字。「ゴッド:GODの起源」。~No.103No.104No.105 ⑪ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 小アジアカッパドキア人の祖先はギリシャ人であった。
 ウルフィラのは母方祖先は、侵略してきたゲルマン民族西ゴート族によって拉致されたカッパドキア人女性であった。
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 ゴート‐もじ【ゴート文字】
 〘名〙 インド‐ヨーロッパ語族ゲルマン語派東ゲルマン語群に属するゴート語の文字。ギリシア文字、ラテン文字ルーン文字から作られた。ゴート語最古の文献であるウルフィラ訳新約聖書(四世紀)もこの文字で書かれている。
 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
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 http://tanemura.la.coocan.jp>re3_index>mo_word2
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 文字-中世
ラテン語-ロマンス語の歴史
□紀元1世紀頃:ローマ帝国ラテン語による言語の統一(例外:東方ヘレニズム(ギリシャ語)、ブリタニアケルト系言語/アングロ・サクソン語))
□1世紀頃:口語ラテン語と文語ラテン語の乖離
□6世紀頃:ラテン語のダイグロシア化
□8世紀末:カロリング・ルネサンスラテン語の改革(正統-文語-ラテン語と、俗語-口語-ロマンス語の分化)
◆ゲルマン語の歴史
□4世紀:西ゴートのアリウス派司祭ウルフィラによる聖書のゴート語訳(ギリシア語アルファベット)
□5-7世紀:ゲルマン語の文字文献発見されず、ラテン語による記述(『サリカ法典』、『ロタール王法典』)
ラテン語とゲルマン語のバイリンガル
□8世紀:ブリテン島からきたアングロ・サクソン修道士による、ゲルマン語の文字化
□9世紀:ルートヴィヒ敬虔王、聖書のゲルマン語翻訳を命じる
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 ウィキペディア
 ゴート文字(英: Gothic alphabet)とは、4世紀ごろウルフィラにより考案されたとされる、ゴート語を表記するための音素文字である。それ以前のゴート語表記はルーン文字で行われたと考えられている。
 ウルフィラは、聖書をゴート語に翻訳して布教を行うために、この文字を考案したという。この文字にはギリシア文字の強い影響が見られるが、いくつかの文字はラテン文字を借用している。各文字の名前は、ルーン文字の名前を由来とすることが明らかである。
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 「神」の発見
 小塩 節[著]
 教文館 7月12日刊行予定
 銀文字聖書ものがたり
 〈God=神〉のはじまりを辿る!
 著者がスウェーデンで出合った、国宝「銀文字聖書」。金と銀でゴート語が刻まれ、1500年の時を生き抜いた唯一の写本を起点に、ゴート人・ウルフィラの偉業を紹介する。ゲルマン民族大移動という動乱のなか、彼は文字を創り、聖書を母語に翻訳し遂げた。多神教の世界で、一神教の「神」をどのような言葉で表現したのか? 4世紀に生きた、ひとりの男の信仰と思索の翻訳物語。
天地を創造し、時と永遠を支配する「至高の存在」を表現することばを持つということ、つまり意識するということを、ゴート族も他のゲルマンもしなかった。ウルフィラというひとりのゴート人が聖書翻訳に当たって「神」をいわば発見した……(あとがきより)
『銀文字聖書の謎』(新潮選書、絶版)を初学者向けに改稿し、読みやすくなりました!
◆著者紹介
 小塩 節(おしお・たかし)
 1931年長崎県生まれ。中央大学文学部教授、フェリス女学院院長・理事長等を歴任。前駐ドイツ日本国大使館公使・ケルン日本文化会館館長。現在、ひこばえ学園理事長・園長、中央大学名誉教授。著訳書『旅人の夜の歌─ゲーテとワイマル』『木々との語らい』、トーマス・マン『ヨセフとその兄弟』ほか多数。
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 https://aulamagna.exblog.jp>..
 イタリア語って面白い!
 2017年 01月 27日
 「ゴッド:GOD」という言葉の起源を調べてみると.....
 ギリシャ語からゴート語訳の聖書を作ったゴート人司教、青年ウルフィラ(Ulfilas:ca.311年–383年)は、聖書布教のために、まずゴート文字を発案しました。即ち、現存する最も古いゴート語の書物はこの翻訳版聖書ということになります。
 ウルフィラは、ゴート人が唯一神を崇めなかったことから「神」の訳語に苦心し、「話し相手・相談役」を意味する「グス」という言葉をあて、これが英語の「ゴッド」の起源となったということです。
 「ゴッド:GOD」という言葉の起源を調べてみると....._f0172744_1736941.jpg
 アンブロジウス写本 (Codex Ambrosianus )
 後にゴート人は歴史から姿を消しますが、翻訳版聖書は写本(Codex:コデックス)として残り、ヨーロッパの精神と文化の形成に重大で大きな影響を与えました。
 by aula-magna | 2017-01-27 17:44 | ・日記 | Trackback | Comments(0)
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 ゴート族 - 通信用語の基礎知識
 https://www.wdic.org>CUL>ゴート族
 人文科学・芸術 > 文明・社会 > 民族
 ゴート族辞書:文化用語の基礎知識 文化編 (LBUNKA)
 読み:ゴートぞく
 外語:Goths 英語
 品詞:名詞
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 ゲルマン民族のうち、スカンディナヴィア半島南部を原住地とする東ゲルマンの一派。1世紀頃から南下し、3〜4世紀頃に黒海北辺に広がり、司教ウルフィラの布教によりアリウス派キリスト教に改宗した。
 この頃、そのまま黒海北辺に定住した東ゴートとドナウ下流北岸に定住した西ゴートに分かれる。
 東ゴートを "光輝のゴート"、西ゴートを "知恵のゴート" と称した。
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 ルーン文字の由来
 河崎, 靖. ルーン文字の由来. ドイツ文學研究 2012, 57: 41-56
 2012-03-25
 http://hdl.handle.net/2433/155101
 ―41―
 ルーン文字の由来
1.かつて民族大移動期に、1王国を築いていた西ゴート人が残した、まとまった文献がゲルマン語の最古のテキストである。すなわち、4 世紀に『聖書』を翻訳した西ゴート人ウルフィラ(Wulfila;アリウス派の司教、311年‐382年)によるテキストであり、次に挙げる「主の祈り(Paternoster,独 Vaterunser)」(マタイ 6, 9‐13)は、6 世紀に転写された写本「銀文字聖書 „Codex argenteus“」を1行ずつ忠実に再現したものである。このテキストは紫色の羊皮紙の上に銀色のインクで書かれており、当時ラヴェンナに居住していた東ゴート人のテオドリクス王のもとで仕上げられたという。

 Atta unsar þu in himinam:
 天にましますわれらが父(神)よ
 weihnai namo þein. Qimai thiudi [–]
 あなたのお名前が聖なるものとなりますように あなたの王国が
 nassus þeins. Wairþai wilja
 やってきますように あなたの御意志が
 þeins, swe in himina jah ana
 天においてと同じようにこの地においても実現されますように
 airþai. Hlaif unsarana þana sin [–]
 われわれの毎日のパンを今日も
 teinan gif uns himma daga. Jah
 われわれにお与え下さい そして
 aflet uns þatei skulans sijai [–]
 われわれが犯すであろう罪をお許し下さい
 ma, swaswe jah weis afletam þai~
 われわれもまたわれわれの中の罪深きものを
 skulam unsaraim. Jah ni brig [–]
 許すように われわれを誘惑の手に
 gais uns in fraistubnjai, ak lau[–]
 さらされないで下さい その代わりにわれわれを
 sei uns af þamma ubilin. Unte
 悪しきものからお救い下さい なぜなら
 þeina ist þiudangardi jah mahts
 あなたの王国は全能で
 jah wulþus in aiwins. Amen.
 栄光のあるものですから アーメン

 西ゴート人の僧侶ウルフィラが『聖書』翻訳のために用いた文字は、実は、ギリシア語(と部分的にルーン文字)をもとにして生み出されたアルファベットであった。このルーン文字には何かしら呪術的な秘密のニュアンスが内包されているように感じられ、この文字で書かれたテキストは古代ゲルマンの息吹を感じさせるものである。ただ、基本的に呪文を記した断片的な形でしか今日の私たちには伝わっていない。
 通常、ゲルマン人側から見ると南方系の影響を受けたとされるルーン文字の素性に関しては、次の引用が示す通り、詳しいことはあまりわかっていない。
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 『銀文字聖書の謎』 - Relationes - はてなブログ
 2012-02-27
 『銀文字聖書の謎』
 銀文字聖書の謎 (新潮選書)
 作者: 小塩節
 出版社/メーカー: 新潮社
 発売日: 2008/02
 メディア: 単行本
 購入: 2人 クリック: 2回
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 目次は以下の出版社HPを参照。
 http://www.shinchosha.co.jp/book/603599/
 たまたま書店で見かけて図書館で借りて読んでいます。「銀文字聖書」というタイトルの言葉が最初に目に入り、なんだろう?と思って手にとってみました。すると、紀元後4世紀に生きたゴート人司教ウルフィラと彼が訳したゴート語聖書についてのエッセイであると分かり、驚きました。「銀文字聖書」という言葉を知っていればすぐにピンときたのでしょうが…
 古代末期地中海史を勉強している者として「ウルフィラ」という名は以前から知っていました。4世紀に生まれたゴート人で、大都市アンティオキアで学び、その後司教としてゴート人への布教活動に従事した人物です。キリスト教といい、ゴート人といい、「古代末期」と呼ばれている時代を研究している者にとっては目を引くキーワードばかり。本書はP. Heatherを代表とする、ゴート族に関する近年の研究動向をフォローしていませんが、日本語で読める類書として貴重なものではないでしょうか。
 ところで個人的に興味を引いたのは、ウルフィラが司教として派遣された時期の皇帝がコンスタンティウス2世であることです。彼はキリスト教徒ではありましたが、現在では異端とされるアリウス派キリスト教徒でした。そのため、キリスト教著作家たちの彼に対する評価は厳しいものがあります。また彼の治世を最も詳細に述べているアンミアヌス・マルケリヌスも、コンスタンティウス2世に対して非常に辛辣な叙述と評価をしています。他にもコンスタンティウス2世に対立した次の皇帝ユリアヌスの著作、ユリアヌスを賞賛しコンスタンティウス2世を貶めるリバニオスの著作など、コンスタンティウス2世はとにかく批判的な史料には恵まれている皇帝なのです。
 しかしウルフィラにとっては自らと同じアリウス派を信奉し、またゴート族との協約を守った皇帝ということで、本書では(短い言及にすぎませんが)コンスタンティウス2世に好意的な叙述が見られます。特に「篤実な人物」(本書46頁)という表現は、なかなかコンスタンティウス2世に対しては用いられない表現だと思います。
 ちなみに、本書で扱われる「銀文字聖書」は以下のホームページで画像を閲覧できます。
 Codex Argenteus Online
 a-meng_under_wu 11年前
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 世界史の窓
 アリウス派
 325年、ニケーア公会議でイエスの神性を否定して異端とされたキリスト教の一派。ローマで排除されゲルマン人に広がった。
 キリスト教がローマ領内で広がっていく過程で生まれた教義の一つで、アリウス(250頃~336)はアレクサンドリア教会の長老であった。彼は、神の本性はいかなる分割もありえないものであるから、キリストは神から放射されたもの(被造物)、したがって神に従属するものでなければならない。キリストの本性は、神聖ではあっても、神性をもつものではない、その本性は神の本性とは異質のものである、と主張した。つまり、平たく言うと、イエスはやっぱり人だった、ということ。
ニケーア公会議で異端とされる
 325年、コンスタンティヌス大帝が主催してニケーア公会議が開催されると、アリウスはキリストは父なる神に従属するものであるという主張を崩さなかった。それに対してアタナシウスは、父なる神と子なるイエスは同質(ホモウーシス)であると主張し、両派は激論となった。しかし大勢はアタナシウスに傾き、ついにアリウスの説は異端であるとされ、コンスタンティヌス大帝はアリウスのローマ領からの追放を命令した。アタナシウスの説は「ニケーア信条」といわれてキリスト教の正統とされた。
 参考 コンスタンティヌス大帝の変心
 もっとも、アリウス自身は、335年にコンスタンティヌス大帝によって追放処分が解除されている。それは、ニケーア公会議ではアリウスの説を否定したのだが、教父エウセビオスなど、アリウス支持派はまだ宮廷で大きな力を持っていたからであった。大帝自身も次第にアリウスの考えを認めるようになり、ついに追放処分解除としたのだった。337年、大帝が死の床で洗礼を受けたが、その洗礼を施したのもエウセビオスだった。このようにコンスタンティヌスの時にアタナシウス派が正統として確立したわけではなく、次のコンスタンティウス2世の時には逆にアタナシウスが追放されている。アタナシウス派が正式に正統とされるのは、381年のコンスタンティノープル公会議においてである。
 ゲルマン人に布教される
 アリウス派は、コンスタンティヌス大帝の晩年に異端であることが取り消されたので、コンスタンティノープルローマ帝国宮廷ではしばらくの間、優勢であった。
 しかし、381年に再び異端として認定されたため、ローマ領内での布教はできなくなり、主として北方のゲルマン人に布教されていった。一方のアタナシウス派の教義は三位一体説に発展していったが、その「父と子と聖霊は三つの面を持つが一体である」という教義は理解が困難であったのに対して、アリウス派の教義は神とイエスの関係をわかりやすく説明できたので、ゲルマン人に受け容れやすく、さらにゲルマン人の土俗的な信仰と合体して独特なキリスト教となっていく。
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 旺文社世界史事典 三訂版 「アリウス派」の解説
 アリウス派
 アリウスは
 キリスト教の異端の一派
 アレクサンドリアの司教アリウス(256 (ごろ) 〜336)の説で,キリストは父なる神につくられたもので,神と同質ではないとして人間性を強調した。アタナシウス派と論争し,325年ニケーア公会議で異端と断じられ,アリウスは追放されて死んだ。その後アリウス派は,まず西ゴート,さらにヴァンダル・ブルグントなど東ゲルマン諸族に伝わった。
 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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 百科事典マイペディア 「アリウス派」の意味・わかりやすい解説
 アリウス派【アリウスは】
 アレクサンドリアの聖職者アリウスArius〔250ころ-336ころ〕(ギリシア名アレイオス)の教説,またはその信奉者。アリウスは,父なる神と子なるキリストは〈異質的(ヘテロウシオス)〉だとする説を立て,一時は東方全域に支持者を得たが,325年ニカエア公会議で弾劾された。アリウスの死後は3派に分裂,なお勢力を保ち,ゴート人にも伝わったが,アタナシオスらの正統派に押されて消滅した。
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 ウィキペディア
 ウルフィラまたはウルフィラス
 Bischof Ulfilas erklärt den Goten das Evangelium.jpg
 ゴート人に福音を説くウルフィラ
 生誕 311年
 死没 383年
 子供 (養子)ドゥロストルムのアウクセンティウス(en)
 著作 ゴート語による聖書
 役職
 ゴート族主教
 ウルフィラまたはウルフィラス(Ulfilas, ゴート語:Wulfila(Ulphilas, Orphilaとも)、311年頃 - 383年)は、4世紀のゴート人司教。聖書翻訳家で、聖書の布教のためにゴート文字を発案した。彼によるゲルマン語の金字塔であるゴートの聖書の重要な断片は今日も残っている。
 彼が布教を始めた時代はアリウス派の全盛期にあたり、ニコメディアのエウセビオスによって司教に叙階された彼は、自然にアリウス派の神学を受け入れた。彼と彼によるゴート人の教会は、360年のコンスタンティノープルの相似本質説的教会会議によって決定された意味におけるアリウス説を公言し続けた。
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 ウルフィラ
 西ゴート族の司教。ウルフィラスUlphilasとも。カッパドキアの出身。341年エウセビオスによって司教に任じられ布教に尽力。ギリシア文字,ルーン文字から借りてゴート文字を作り,聖書を翻訳。これはゲルマン語研究の貴重資料である。
→関連項目ゴート語
 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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 【ゴート語】より
 …インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派のうち東ゲルマン語に属し,現在は死語となっている。ゴート語の話し手であるゴート人は,1世紀の初めころまでに,南スウェーデンからバルト海をはさむ対岸のビスワ河口地帯に移住し,さらに東ゴート,西ゴートに分かれて南下し,2世紀の中ごろには黒海沿岸に到達したが,ゴート人のこのような早い時期におけるギリシア文化圏との接触により,4世紀の中ごろには西ゴートの司教ウルフィラによって聖書がギリシア語からゴート語に翻訳された。この聖書は,現在残されているゴート語資料の主要な部分をなしている。…
 ※「ウルフィラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
 出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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 ウルフィラス Ulfilas
 [生]311?
 [没]382? コンスタンチノープル
 ゴート人の司教。ゴート名 Wulfila。祖先は小アジアカッパドキアの人であったと伝えられる。ドナウ川の北のダキアに住むゴート人の間でキリスト教の布教に努めたが,のちドナウ川の南のニコポリスの近くに移り,布教を続けた。ギリシア文字をもとにした 27文字から成るゴート文字を考案し,『列王紀』を除く聖書全部をゴート語に翻訳したと伝えられる。現在はその翻訳の一部が5~6世紀の写本で残っているにすぎない。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 キリスト教の歴史は2つあり、表の顔として隣人愛の信仰と絶対神の福音・奇蹟・恩寵の歴史であり、裏の顔としては異端者弾圧・魔女狩り・異教徒根絶であった。
 中世キリスト教会は、裏の顔として日本に渡来し、日本人を奴隷とした。
 現代の日本人は、反宗教無神論者として宗教が理解できない。
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