🔯62」─2─アヘン戦争。イギリスは貧しい王国であり、清国は豊かな帝国である。1840年~42年。~No.232No.233No.234 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アヘン戦争は貿易不均衡の是正が原因であった。
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 清国は儒教的徳を重視し、イギリスはキリスト教的利を重視した。
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 富を集めて豊かになり幸せをもたらす経済・貿易は戦争の原因となる。
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 清国の総人口は3億5,000万人、陸軍兵力は約88万人でアヘン戦争に参加したのは約20万人。
 イギリスの総人口は1,300万人、アヘン戦争に投入した兵力は述べ2万人。
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 2020年3月号 歴史街道「貿易戦争の世界史
 『覇権争い』はここから始まった
 中国vs.イギリス
 貿易不均衡の是正が原因となったアヘン戦争
 宇山卓栄
 18世紀に君臨した中国・清王朝乾隆帝(けんりゅうてい)は、イギリスから交易を求めてやってきた使節に、『お前たちの国には貧弱なモノしかない。我々が欲するモノは何一つない』と言って、追い返しました。
 イギリスの使節団が持ってきたモノとは、ゼンマイ式時計、オルゴール、小型銃、機械人形、機関車模型など、機械化を国策としているイギリス独自の技術力を示すモノでした。乾隆帝はこれらのモノを見て、『浅はかな工作人の思い付き』と笑ったようです。
 イギリスは科学史家ジョゼフ・ニーダムは著書『中国の科学と文明』の中で、『中国人が発明した火薬を中国人自身が銃や大砲として実用化できなかったのは、技術革新という新規なものに対する潜在的な不信感があったからだ』と述べています。
 儒学的な因習(いんしゅう)や伝統に固執(こしつ)する中国人にとって、新規なものは伝統を破壊する忌避(きひ)すべきものと映ったのです。
 同時代、アダム・スミスは中国を産業資本が欠如した停滞社会で、自由貿易を拒否する閉塞社会であると批判しています。中国では、茶、砂糖、たばこ、桑(蚕の飼料)などの商品作物の生産が盛んで、大きな利益を上げていました。肥沃な水田地帯では、大規模な穀物栽培も盛んでした。
 中国の農業の生産性、利益性は高く、土地の痩せたイギリスとは違い、敢(あ)えて工業化を図らなければならんない必然がありませんでした。中国人は農業社会に固執していたというよりはみしろ、彼らにとって、農業経営で収益を確保することが、合理的で自然な選択であったのです。
 中国は乾隆帝の死後、イギリスとの貿易に応じます。イギリスは中国から主に、茶を輸入し、銀を支払いに充(あ)てていたため、銀の流出が止まらず、貿易赤字が累積(るいせき)する一方でした。
 イギリスの産業製品は一向に売れません。乾隆帝が『我々が欲するモノは何一つない』と言ったように、イギリス製品は中国人にとって、ほとんど必要とされず、イギリスは銀の支払いに応じるしかありませんでした。
 イギリスはこの貿易不均衡を是正するために、銀の代わりに、アヘンを中国に輸出しました。アヘンを排除しようとした中国に対し、イギリスは1840年、アヘン戦争を仕掛けます。
 イギリスはアヘン戦争で勝利し、清王朝関税自主権を奪い、巨大な中国市場に自国の綿製品を輸出し、一儲けしようという魂胆を持っていました。ところが、イギリスの綿製品は中国では売れませんでした。左上表のように、アヘン戦争後、中国への綿製品輸出はあまり増えず、茶の輸入が増えるばかりでした。

 {イギリスと中国の貿易推移
 年次 :イギリスの  :イギリスの  :中国の
    :綿製品輸出総額:工業製品輸出額:茶輸出
1841:23,499:   863 : ──
1843:23,447:  1,456: 17,727
1845:26,118:  2,395: 80,194
1847:23,333:  1,504: 76,688
1849:26,774:  1,537: 82,981
1851:30,088:  2,161: 99,191
1853:32,712:  1,750:101,227
1855:34,778:  1,278:112,661}

 なぜ、イギリスの目論見は外れたのでしょうか。カール・マルクスはイギリスの綿製品輸出の不調を、『イギリス資本に対する中国人の民族的抵抗』と説明しました。しかし、これは間違った解釈でした。
 機械で大量生産した英国製の綿製品はたしかに廉価(れんか)でした。しかし、中国人が手で織った綿製品はもっと廉価だったのです。
 中国は巨大な人口を有しているために、労働力は極めて豊富でした。ヨーロッパと比べれば労働コストはタダ同然で、結果的に機械よりも安く織ることができたのです。議会によって派遣されたミッチェル調査団がこのことを1852年に報告書で述べています。
 中国貿易はイギリスにとって、赤字を拡大させるものでしかありませんでした。中国へ貿易攻勢ができないので、イギリスは武力で脅して、中国を反植民地化して、富を強奪するしかありませんでした」
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 満州族清朝が、漢族系中国人の中国を支配し統治していた時代が最も豊かで平和な時代でった。
 満州族清朝は、中国の歴史における奇跡であった。
 清朝が滅亡した為に、中国は命軽視の非人道的が蔓延し、戦乱が絶える事のない大虐殺が繰り返される地獄と化した。
 日本・江戸時代の知識人は、世界帝国の清国であれば侵略してくる西洋諸国・キリスト教文明を撃退し、中華・アジアを護ってくれると確信していた。
 もし世界を救う文明があるとすれば、それは日本文明ではなく満州族の中華文明である。
 日本が明治維新で近代化できたのは、満州族清国で西洋近代の知識や技術が漢訳されていたお陰である。
 日本が感謝すべきは、満州族愛新覚羅氏であって、漢族系中国人ではなく、現代の中国人でもなく、ましてや反天皇反日派の中国共産党でもない。
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 世界史において、少数精鋭は少数人数の中ではなく多数人数の中で成立する。
 まとまりのない烏合の衆は、少数人数より多数人数に生まれやすい。
 多数人数では、傍観者的な無責任者が増える。
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如何なる大国・強国でも、裏切り者・売国奴によって内部から崩壊し滅亡する。
 満州族王朝清国にとって、夷狄のイギリスから大金を払ってまで輸入しなければならない素晴らしい商品、珍しい製品がなかった。
 イギリスにとって、総人口約4億人の中国は有望な市場であったが、満州族系清国人や漢族系中国人はイギリス製品を買わなかった。
 漢族系中国人秘密結社は、違法と知りながらアヘン売買を取り仕切って富を築いていた。
 アヘン戦争とは、イギリスと反清朝派漢族系中国人対満州族系清国人と親清朝派漢族系中国人との戦争であった。
 清国軍が負けたのは、最新式近代兵器のイギリス軍に対して旧式兵器で抗戦したからではなく、反清朝派漢族系中国人秘密結社が裏切ってイギリス軍に味方したからである。
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 日本、中華(中国・朝鮮)、アジアには、昔から外国勢力に協力・味方する「獅子身中の虫」が存在していた。
 裏切り者・売国奴になりやすかったのが、中国系住人とインド系住人であった。
 何故、中国系住人とインド系住人が裏切り者・売国奴になりやすかったのか、それは根無し草的に土着性が薄く、優れた商売気質を持ち利害損得感情が強く利益に聡く金儲けが上手かったからである。
 土着性が強い中国系住人とインド系住人は、裏切り者・売国奴にならなかった。
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