🔯3」─3─『旧約聖書』「ヨブ記」。善なる神が世界を創ったならば、なぜ悪は存在するのか?〜No.11 

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 2019年6月20日号 週刊文春「文春図書館 名著のツボ  石井千湖
 『旧約聖書 ヨブ記
 善なる神が世界を創ったならば、なぜ悪は存在するのか? と問うている
 『旧約聖書』は歴史、法律集、詩篇など多様なテキストで構成されている。なかでも『ヨブ記』は文学としての評価が高い。なぜなのか。前回の『創世記』に引き続き、作家の奥泉光さんにお話を伺った。
 『冒頭と結末はよくある話です。ヨブという信仰心の厚い善人がいて、神に次々と試練を与えられるけれどもよく耐えて乗り越えたので、財産を2倍にしてもらえました。めでたしめでたし、という。ただ間に神への長い問いかけが挟まれている。これが非常に優れた詩文になっています』
 ヨブは家畜と子供を失い、体中を腫れ物だらけにされ、妻に〈神を呪って死んだらよいのに〉と言われても苦難を受け入れる。ところが、一週間後に突然〈滅びよ、わたしが生まれた日〉と呪詛を吐き出す。
 『何があっても黙っていたのに、急にしゃべりだしたと思ったら、大変な迫力で自らの誕生日を呪い、神の創造のわざを否定する。その落差が面白いですね。「ヨブ記」は宗教学の重要なテーマでもある神義論のテキストにもなっています。神義論とは神の義を問うということ。言い換えれば、善なる神が世界を創ったなら、なぜ悪は存在するのか?と問うことです。一番わかりやすい答えは、神と対抗できるくらい強い悪魔がいるからという善悪二元論に立ったものです。でも「ヨブ記」の悪魔は神の使い走りで力は持っていません。それなのに罪を犯したおぼえがない自分が罰をうけるような酷い目に遭う理由を知りたくて、ヨブは神に語りかけるのです』
 神への問いかけをめぐってヨブは友人たちと論争するが、話は噛み合わない。それは友人達が因果応報の思想に立っているからだと奥泉さんは指摘する。
 『友人たちはヨブに自覚はなくても罪はあったはずだと諭すんですよ。何も落ち度のない人間に苦難を与えられるとしたら、自分の安全も脅かされるから。しかも彼らは神のことは人間に理解できるはずがないし、文句をつけること自体がよくないとすら思っている。ヨブも因果応報は認めています。しかし何か原因があるなら神に直接聞いていいはずだと考える。そこでレトリックを駆使して、神に応答を求めていくわけです』
 第38章の〈ヤハウェは暴風{あらし}の中からヨブに答えて言われた〉という一文で神がついに登場する。ヨブが答えを得られたかどうかは解釈が分かれるところだ。
 『神は要するに、この世界を創ったのはわたしだぞということだけをひたすら言うんです。全く質問に答えていないように読める。が、ヨブは神の言葉を聞いて納得しますし、神はヨブが正しいこと述べたと認めます。「ヨブ記」に限らず、「旧約」の神は超越的なのに対話可能な存在です。そこが他の宗教と比較して特異なところです』
 『ヨブ記』だけでなく、『旧約』では、たびたび因果応報を超えた神の怒りが描かれる。その怒りが社会倫理と結び付けられていることに『旧約』の特徴があると奥泉さんは指摘する。
 『他の神は儀式に失敗する怒りますが、「旧約」の神は、貧しい者を踏みつけにするとか、社会倫理が実現されないことに怒りを発し、国を滅ぼす。呪術性から離れたモラルの問題を重視していることは、後世の哲学や思想の大きな源になっているとおもいます』」
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 グローバル的普遍宗教によると、多発する自然災害は絶対神日本民族日本人に下された天罰であり、夥しい死傷者を出し甚大な被害を受ける日本民族日本人は、それだけ重い大罪を犯してきた犯罪者とされている。
 日本民族日本人は、日本列島に住み続ける限り、自然災害という天罰から逃れる事ができない。
 では、許しがたい大罪とは何か、それは、悪魔的な神を祀る異教徒の王・日本天皇を有り難く戴き、更には現人神・生き神として天皇を崇拝・崇敬・尊崇しているからである。
 「日本への天罰説」を強く主張するのが、韓国キリスト教会とアメリカの一部のキリスト教会である。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本民族日本人をアフリカ人同様に奴隷として売買して大金を稼いでいた。
 バチカンローマ教皇は、キリスト教徒に改宗した日本人を奴隷にしてはならないという教書を出したが、改宗を拒否する異教徒の日本人はその限りではないと認めた。
 キリスト教の「隣人愛」信仰とは、限定的な、限られた範囲の中だけで通用する「愛」である。
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