🔯29」─1─キリスト教公認。西ローマ帝国の滅亡。313年。~No.100No.101No.102 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 現代に於いて、歴史的な正統性をを持っているのは、選挙制のローマ教皇世襲制の日本天皇の二人のみである。
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 ヘーゲル「対立するものを与えて、それを高みから統御せよ」
 カント「かかる最高善は、神の現在という条件のもとでのみ達成されるのであるから、神の現在を前提にする事は、義務と不可分離的へ結びついている、換言すれば、神の現在を想定する事は、道徳的に必然なのである」「このようにして道徳的法則は、純粋実践理性の対象及び究極目的としての最高善を通じて、宗教に到達する」(『実践理性批判』)
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 王侯貴族が悪政や執政で重税を課して領民を苦しめるや、革命が起きて、退位を強要されるか、追放されるか、悪くすれば処刑された。
 政治家であれば、責任を取らされて、落選して政界から追放された。
 軍人であれば、敗戦の責任で軍法会議にかけられ、で有罪となり解任された。
 宗教家は、神の御名によって罪に問われる事は無く、責任はそれを実行した信者が負った。
 信仰心篤い信者ほど、宗教指導者の罪を引き受け、信仰心の為に殉教死した。
 宗教は、阿片のように狂信化する事を正当と認めた。
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 パウロ「神は世の中の弱い者を、世の中の愚か者を、軽く見られている者をお選びになる」
 キリスト教会は、政治的権力や経済的冨を宗教的権威の下に押さえ込む為に、無教養で馬鹿な貧困層を主権者として味方に付けた。
 モンテスキュー「低レベルな人間に投票権を与えるな」
 ゲーテ「活動的なバカより恐ろしいものはいない」
 多数派である貧困者の民意は、自己意識が薄い為に洗脳して操りやすかった。
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 コリント書「主は、この世の愚かな者を選び、この世の弱い者を選び、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち無きに等しい者を、あえて選ばれたのである」
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キリスト教
 高位聖職者は、枢機卿から教皇に上り詰める為に、王侯貴族や豪商から巨額な資金援助を得た。コンクラーベ教皇に選ばれるや、その地位を利用して、身内をバチカンの要職に就け、子供達を裕福な貴族や豪商に嫁がせた。 
 教皇は、世俗権力と神聖権威を最大限に利用して巨万の富を手にして、豪邸に住み、綺麗な僧服をまとい優雅な生活を送った。都市の中心部に、豪壮な大聖堂や教会堂を建てた。
 信者は、慎ましい生活をしながら、教会にわずかばかりの金を寄附した。
 神聖ローマ皇帝は、地上の権力を教皇から奪還する為に戦いを挑んだ。
 中世は、教皇対皇帝、カトリックプロテスタント、領主対領主、領主対農民の争いが絶えなかった。
 戦争を悲惨なものにしたのは、契約兵士である傭兵軍団であった。傭兵は、日本のサムライとは異質な戦闘集団で、金の為なら大虐殺でも平然と行った。傭兵となったのは貧しい農民であり、盗賊として村々を襲撃したのも貧しい農民であった。
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 2世紀後半 地球は寒冷期に入り、カスピ海に北にいた多くの部族が南下し、東と西に分かれて大移動した。
 東に移動した異民族の群れは、中国に入って漢族の王朝を滅ぼし幾つかの王朝を建国して、漢族を支配して中国人を家内奴隷とした。
 異民族が中国を占領した時代を、五胡十六国という。
 西に移動した異民族の群れは、ヨーロッパに入って西ローマ帝国を滅ぼして幾つかの王国を建国し、ヨーロッパを支配した。
 異民族によるヨーロッパ支配時代の始まりを、ゲルマン民族の大移動という。
 歴史上、ゲルマンという民族は存在しない
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キリスト教公認
 キリスト教は、イスラム教同様にユダヤ教からわかれた一神教であり、唯一絶対神と個人の「信仰と魂の救済」という集団契約を拒否した個人契約で成り立っていた。
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 第4代ローマ教皇クレメンス1世(在位:91年〜101年)「神は、命令を下し、逆らう者を罰し、従う者に報いる、万物の唯一の支配者である。その神の権威を代行するのが教会の指導者だ。神が定めた権威者に逆らう事は、神に逆らう事と同じ。それが誰であろうと、『死の罰』をこうむるべきだ」
 キリスト教徒ヨーロッパ人は、宗教的選民思想を信奉し、絶対神が自分に似せて創造したのは白人のみであるとの信仰から、異教徒非白人は神を冒涜する悪魔・サタンと契約した邪悪なモンスターである以上、地上から絶滅させるのが神の意志であると確信していた。
 ローマ・カトリック教会は、アジア・アフリカを文明化する為に侵略する事を承認し、異教徒原住民を虐殺したり、改宗させて奴隷にすしたりする事を神の名によって祝福した。異教徒先住民が所有している金銀財宝を浄化する為に、教会に寄進する事を奨励した。
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 313年に、ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス帝は、帝位を目指す内戦による混乱状態にある帝国を再興し、競争相手との皇帝権争奪戦に勝利する為にミラノ勅令でキリスト教を公認した。
 帝位は、家柄や出身ではなく実力ある者が敵とその支持者を皆殺しにして即位した。
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 キリスト教が普及するヨーロッパ世界は、日本同様に民族神話や土俗宗教が信じられていた為に、自分と接点がある仲間集団とそれに属さない他人という狭い世界での「世間」が存在していた。
 キリスト教の普及により、仲間内という地域的世間は消滅し、信仰や価値観を共にする広域的社会が出現した。
 ローカルな世間は、他との違いを際立たせる多様性に富んでいたが、同時に、その違い故に閉鎖的差別的排他的に走る事が多かった。
 グローバルな社会は、多様性が少ない為に他との違いが分からず、同じ信仰と価値観で知らない者同士でも気楽に付き合ったし困っていれば手を貸した。
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 キリスト教会は、ローマ・ギリシャ文明を徹底的に破壊した。
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 カトリック教会は、自然神信仰や精霊崇拝のゲルマン民族ケルト民族を改宗するに当たって、彼らとの宗教対立を避ける為に民族宗教を聖母・マリア信仰と一体させた。
 マリア信仰が根付いた所で、キリスト教信仰をその上に置いた。
 カトリック教会の布教は、二段階方式で行い、自然神信仰や精霊崇拝をトラブルなく消滅させた。
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 公会議は、各地の主教達が集まって正しい教義を決める会議で会った。
 決定は多数決で行われたが、精霊によって成されるとして絶対視された。
 背く者は、異端として追放されるか弾圧された。
 325年 第一回ニケーア公会議(宗教会議)で、ユダヤ人の貧しい大工ヨゼフとマリアの子でパリサイ派の伝道師であるイエス・キリストを、生身の人ではなく創造主と同じ神性を持った「神の子」として復活した奇跡を不動にする為に、ユダヤ教徒ユダヤ人に「神(キリスト)殺しの民」という大罪の烙印を押した。
 「神の子・キリストの復活」「救世主(メシア)による魂の救済」「死後、神の愛により天国への再生」という「救世主による『愛』の救済」教義を信者に信じ込ませる為に、作為的に「神殺し」を全ユダヤ人(ユダヤ民族)に擦り付け、ユダヤ人を闇の手先と決めつけ、悪魔の邪悪な陰謀に加担する全人類の敵と告発した。
 宗教問題である以上、唯一の解決策は、ユダヤ人が選民思想に基ずく排他的な民族中心主義的民族宗教ユダヤ教を棄教して、非民族性の普遍宗教であるキリスト教に改宗する事であった。
 キリスト教会が、ユダヤ教を恐れそして赦さなかったのは、共通の聖典である『旧約聖書』による絶対神と基本教義とモーセ十戒(律法)でイエス・キリストの神性を否定した以上に、人を生まれ変わらせる為に神から許された「魂の救済権」を譲らなかったからである。
 『新約聖書』「ユダヤ人達は、主イエス預言者達を殺したばかりでなく、私達をも激しく迫害し、神に喜ばれる事をせず、あらゆる人々に敵対し、……神の怒りは余す所なく彼らの上に臨みます」(テサロニケの信徒への手紙・1 第二章15節)
 キリストを神と同一視するアタナシウス派が正統とされ、キリストを人間とするアリウス派は異端とされた。
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 375年 ゲルマン民族の大移動。
 ゲルマン人は、自然や精霊や英雄などを物語る神話(後の北欧神話)を信仰していた。
 ゲルマン神話多神教で、一神教キリスト教とは違って「なんとなく」信仰で、信者を強く拘束はしなかった。
 ゲルマン諸族の王家は、ゲルマン神話の神々の末裔であった。
 ゲルマン人が、ガリアに移動して定住し、西ローマ社会に溶け込んで社会の一員となるや、ローマ文化に染まってローマ化したが、身分としては貧困層の住人で教養は低く文字が読めなかった為にローマ文化を継承しなかった。
 ローマ・カトリック教会は、新たな住人となったゲルマン人の反発・反感を買わない様に、キリスト教の教義の中にゲルマン神話を巧みに取り入れ共存させながら布教活動を行った。
 異教徒に対する柔軟な布教活動が、一神教が持つ絶対不変の教義に対する厳格さを弛め、聖書の自由な解釈で幾つもの宗派を生みだし、後の宗教戦争の原因となった。
 同じローマでも。東ローマ社会は、急激な人口減少で労働力不足に陥る事がなく、労働者不足を補う為にゲルマン人など他民族の移住を拒絶した。
 ギリシャ正教は、異教徒への妥協的布教活動を行わなかったぶん変質する事なく、正統派として厳格な教義を守っていた。
 地中海沿岸のローマ世界の公用語ギリシャ・ローマ語でったが、ガリアから東方にかけては地元言語が話されていた。
 380年 テオドシウス1世(在位379〜395年)は、国教と定めてキリスト教を全土に広める為に、ギリシャ神話やエジプトの土着宗教などの異教の弾圧を命じた。
 ローマ帝国は、地中海世界の唯一の統治者であるという正当性と、市民に富を与え何不自由のない快適な生活を保障し、帝国内には明るい豊かな未来をもたらす事と帝国外にはローマ的価値による光り輝くローマ文化を広げるというビジョンを掲げる事、という発展モデルで栄えていた。
 ローマの発展モデルの効力が弱まり分裂傾向が深まるや、帝国をつなぎ止める為に信者を急速に増やしてきたキリスト教を帝国唯一の宗教と定めた。
 381年 第一回コンスタンティノープル公会議。三位一体が正統教義とされた。
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 391年 異教祭祀禁止令を発布し、平和の祭典であったオリンピア競技会などの宗教性のある祭典を、例外なく弾圧した。
 普遍宗教を中心とする神聖国家を建設する為に、ナショナリズムを想像させる民族中心神話を全て破壊した。
 ギリシャローマ神話にしろ、メソポタミア神話にしろ、エジプト神話にしろ、北欧神話にしろ、民族の歴史と文化を想像させる全てのモノは徹底的に破壊された。
 キリスト教会は、絶対神の真理で大帝国を一つにまとめるために、大帝国を分裂させ民族ごとに凝集させる力のある民族中心宗教の撲滅に全力をあげた。 
 博識な宗教指導者に導かれた敬虔なキリスト教徒は、言われるがままに、人類の知的遺産の宝庫であるエジプトのアレキサンドリア図書館を邪悪な異教異端の巣窟として焼き払った。
 異教徒の偶像を一体も残さずに破壊し、キリスト教以外の教義を一切認めず地上から抹消し、そして猫や蛇を異教の守護神とし狼や梟を悪魔の化身として殺した。
 異教徒が住んでいた土地の上に、贅を尽くした豪華絢爛たる人を威圧する大礼拝堂を持った神の家・教会を建てた。
 キリスト教は、永年にわたって下層民や奴隷の宗教と特権的上流階級から軽蔑され、ローマの神話的社会秩序を破壊する危険宗教として弾圧されたが、皇帝によって公認された国の宗教となるや、他宗教への報復を繰り返す不寛容で不自由な独善的宗教に変容した。
 一つの絶対的価値観しか持たない民衆の思考は、合理的であるが単調で画一化され、その価値基準を逸脱する事は神への大罪として恐れた。
 そして、宗教的指導者が発する意図的宣伝や歪曲され捏造された情報を盲信し、「神の名」で示された方向のみを真理と確信して、夢遊病者の如く意志を持たずに暴走した。
 金銀財宝の独占の為に詐欺と暴力と略奪を正当化する排他的現世利益追求型宗教の出現は、人類史の悲劇の始まりであった。
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 392年 テオドシウス帝は、ササン朝ペルシャゾロアスター教を国教と定めた事に対抗して、多神教ギリシャローマ神話に基ずく多神教を捨て、一神教キリスト教を国教と定めた。
 一神教キリスト教以外の多神教を禁止した為に、宗教的寛容さを失い、精神的柔軟性も消えた。
 ヨーロッパ世界は、キリスト教一色に染め上げられ、ローマの発展モデルはルネッサンス大航海時代まで忘れ去られ暗黒の中世が始まった。
 キリスト教会は、帝国の国教となるや、これまで受けて来た激しい宗教弾圧の仕返しとして他宗教を禁止した。
 不寛容な宗教として、偶像崇拝禁止を徹底させる為に、帝国領にある神話の神々を祀る神殿と神々の彫刻を全て破壊した。
 ギリシャローマ神話北欧神話や自然崇拝など数多くの民族神話が、キリスト教の布教によって生活の場から姿を消した。
 一神教は、各地にあった土着信仰の多神教を破壊していった。
 キリスト教会の宗教的権威が強くなるや、テオドシウス帝はテッサロニケ事件でミラノのキリスト教司教アンブロシウスに屈服した。
 キリスト教会は、ローマ皇帝の権威を利用して布教活動を強引に推し進め、民族神話に拘る蛮族の不満を皇帝と帝国に転嫁した。
 ローマのカトリック教会は、正統派として従わない教派を異端として撲滅し、皇帝の支持を受けて各地に教会を中心にして都市を建設した。
 中世キリスト教会は、数千年の歴史を持つ民族宗教ユダヤ教を捨ててキリスト教徒に改宗したユダヤ人に対し、神から与えられた権限により、信者として神の家である教会に入る事を許し、心正しき文明人としての品位・品格を認めた。
 だが、機知に富んだ才能あるユダヤ人商人は、嘘も方便として、キリスト教世界での商業活動を有利にし利益・売り上げを上げるべく上辺だけで改宗した。
 信仰を死んでも守る事を誓った厳格なユダヤ教徒は、機略に富んだ改宗ユダヤ人の行為を唯一絶対神と迫害を受ける定めの民族に対する裏切り行為と軽蔑し、彼とその家族を呪われた卑怯者として仲間内から追放して差別した。
 改宗ユダヤ人商人は、ユダヤ教徒から裏切り者と差別され、キリスト教徒からは寝返った薄汚いユダヤ人と軽蔑され、誰からも一人前の人として相手にされない為に、それを逆手にとって違法すれすれのきわどい手口で大金を稼ぎ資産を増やした。
 そして、個人の命と財産を守る為に、教会の権威に反発する有力な封建領主に大金を払って保護を求めた。
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 ローマ帝国市民は、「平和と食糧はタダで手に入る」ものと高を括り、国防を蛮族の傭兵に任せて享楽に耽った為に大虐殺された。
 ローマ帝国は、劫火に焼かれて焦土と化し、掠奪されて滅亡した。    
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 中世ヨーロッパは、陰謀と暗殺が日常的に起きていた暗黒時代であり、その中心にいたのがバチカンであった。
 公開処刑は、犯罪の抑止効果と処刑人の生存を否定する事と民衆への娯楽であった。
 公開処刑日には、多くの民衆が押し変えた為に市が立つほどの賑わいとなった。
 イギリスは1868年に公開処刑を廃止し、フランスは1939年に廃止した。
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 395年 ローマ帝国は、東西に分裂した。
 431年 エフェソス公会議キリスト教会は、聖アウグスチヌスの『神の国』を正統論として継承し、その教義に反する教義は全て異端として排除した。
 キリストの神人両性が教義となり、神性と人性を分離させるネストリウス派は異端とされた。
 地上での神の王国は教会である以上、千年王国を期待する未来信仰は迷信であるとして否定した。
 前千年王国論。後千年王国論。無千年王国論。
 451年 カルケドン公会議。キリストは神性と人性という二つの本姓を持つ両性論が正統とされ、単一の性であるという単性論は異端とされた。
 476年 西ローマ帝国が滅亡した。
 ローマ・カトリック教会は、政治的な後ろ盾を持たず、独力で蛮族を教化して西洋文明の精神的基盤を築いていった。
 西ローマ帝国は、帝国の防衛をローマ市民ではなく、忠誠度ではなく報酬で契約した異民族の傭兵に依存して滅亡した。
 トインビー「如何なる巨大な国家も何時かは衰弱し滅亡もするが、その最大の原因は国家自らの事を国家自身が決められなくなる事だ」
 553年 第2回コンスタンティノポリス公会議
 590年 グレゴリウス1世がローマ教皇に即位し、キリスト教会内の内紛を収めて基盤を固める。
 597年 イギリスにキリスト教が伝わる。
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 610年頃(〜23)年 イスラム教の誕生。

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