🔯32」─1─原始キリスト教原理主義が、ローマ帝国を衰退させ、古代の文明・文化・知識・教養・宗教を消滅さて、中世を切り開いた。~No.112No.113No.114 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 原始キリスト教原理主義は、ヨーロッパから中東・北アフリカにかけての古代を滅ぼし消滅させて中世を生み出した。
 ギリシャ・ローマ、ペルシャ、エジプトなどの古代文明・古代宗教・古代科学・古代哲学も、原始キリスト教原理主義によって消滅し、廃墟の古代遺跡として放置された。
 世界が古代から中世に進歩・発展する橋渡しをしたのが原始キリスト教原理主義である。
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 世界的奴隷交易が成功したアフリカ大陸中部以南や南北アメリカ大陸は例外なくキリスト教国となり、公用語は西洋語とされ、伝統的現地語・民族語・部族語は野蛮な言葉として禁止された。 
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 中世キリスト教は、奴隷制度を容認する宗教であり、平和の宗教ではなく戦争の宗教であった。
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 2018年5月24日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
 隠れる精神
 ローマはアフロディテの息子アエネアスが建国した。
 だからローマ市民はギリシャの神々を信仰した。
 シーザーはアポロン神を祀る神官の家柄だった。
 ローマは中東、エジプトへと版図を広げたが、ローマ市民は征服先の神々も気が合えばどんどん招き入れて信仰した。
 エジプトのイシス神は航海の守護女神として信仰を集め、東方のミトラ神も多くの信者を得た。
 どんな神も歓迎したローマ市民だがキリスト教だけはその狭量さがどうにも嫌で受け入れなかった。
 使徒ペテロも布教を諦めてアッピア街道を下っていくとローマに向かうイエスとすれ違った。
 『主よ、いずこへ(クオバディス)』とペテロが問う。主は答えて『お前が諦めたローマに行く』とあてつけた。 
 そう言われたらペテロもしょうがない。ローマに戻り、捕まって逆さ十字の磔で苦しんで死んでいった。
 殺されても信仰を捨てないとイエスは言う。その狭量さをペテロも最後は憎んだことだろう。
 そういう受難を喜ぶ変態性ゆえにキリスト教は300年を耐え抜き、ローマの国教に認められた。
 途端に不寛容な性格が剥き出しになる。イシス神を叩き潰し、ギリシャの神々も追い、その聖地デルフォイは破壊されてキリスト教の教会が建てられた。
 ミトラ神も破壊され、この神の誕生日12月25日はイエスが横取りした。
 神々を殺し尽くしたキリスト教徒は海を歩いて渡れるイエスの奇跡を吹聴した。
 それを聞いてアレクサンドリア図書館の女流学者ヒェパティアは『迷信を真実と教えてはならない』と厳しく批判した。
 怒った信徒が彼女を襲い、裸にして牡蠣の貝殻で彼女の肉を削って殺した。
 信徒たちは図書館も焼き払い、ギリシャ文化が育んだ数学、科学、哲学はこのとき完全に消滅した。
 キリスト教の天下が始まると、そこに不寛容宗教だから些細(ささい)な教義の違いも許さない。喧嘩して、カソリック東方正教会が分裂し、新教旧教に分かれて、お互いに殺し合った。
 再洗礼派はどちらからも憎まれて殺された。
 ローマ市民はネロが偉かったことを改めて痛感したがもう手遅れだった。
 そんな忌まわしい宗教がやがて日本にもきた。信長は八百万の神々にもう一人増えてもいいと思った。
 しかし布教が許されると伴天連(ばてれん)どもはローマでやったのと同じに毘沙門天も八幡様も悉(ことごと)く打ち壊し、坊主たちを刻んで殺した。
 伴天連は切支丹(きりしたん)大名に戦争をやらせ、日本にはなかった捕虜を取ることを教えた。捕虜は海外に奴隷として売る払った。切支丹はビジネスマンでもあった。
 秀吉は怒った。伴天連に奴隷商売をやめろと言った。神社やお寺とも仲良く暮らせ、さもないとこの国から追い出すと言った。世に言う伴天連追放令だ。
 イエズス会のコエリヨはそれを鼻で嗤い、切支丹大名を糾合して秀吉を倒そうとまでした。
 秀吉の跡を継いだ家康も同じ思いだった。民に棄教を勧め、家光の時代までかけてキリスト教を日本からきっちり追い出した。
 ローマもできなかった特記すべき偉業だった。おかげで日本では現代に至るまでつまらぬ宗教戦争は一度も起こらずにすんだ。
 信徒の多くは棄教してまともになったが、五島列島の一部の人たちは慈母観音像をマリアに見立ててひっそり信仰を続けた。
 イエスは苦難の道を歩め、ペテロの如く死ね、それが正しい信仰だと言った。
 だから『隠れ』信仰などイエスの中にはあり得ようもなかったが、彼らは気にしなかった。ひっそり信仰していればいい。表に出て八幡様の社(やしろ)に火を放ち、磔にかかることが信仰とは考えてはいない風だった。
 世に言う『隠れ切支丹』が今度ユネスコ世界文化遺産に登録される。 
 日本は野蛮、切支丹迫害の象徴のように言って喜ぶ連中もいるが、むしろ『隠れ』の精神こそ狭量で殺し合い好きのキリスト教徒が学ぶべき形ではないのか」
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 2018年10月号 新潮45パンとサーカス  適菜収
 2 国の威信をかけて『テルマエ』を作れ
 古代ローマの為政者は、競うように社交の場であるテルマエ(大型公衆浴場)を作った。
 書物への攻撃
 ……
 紀元前300年頃、プトレマイオス朝の初代ファラオ、プトレマイオス1世(紀元前367〜紀元前282年)は、エジプトのアレクサンドリアに図書館を建設した。目的は世界中の文献を収集することだ。そこには人類の知に対する強烈な意志が存在した。
 書物の収集のためにあらゆる初段をつかった。
 ……
 古代ローマはやがて暗黒の時代を迎える。知性を最大の敵とするキリスト教が拡大したのだ。4世紀以降、キリスト教徒はアレクサンドリア図書館に継続的に火を放ち、完全に破壊した。結局、古代の知はイスラム諸国を経由して人類に引き継がれたが、西洋は迷妄の中に落ち込んだ。
 攻撃された菜は知だけではない。
 人間の健康を促進するあらゆるものが攻撃の対象になった。
 風呂もそうだ。
 ローマから公衆浴場が消滅したのは、313年のコンスタンティヌス1世(272〜337)によるキリスト教公認によるところが大きい。いわゆる『ミラノ勅令』だ。
 キリスト教徒はローマ式の入浴スタイルは退廃的で贅沢であると考えた。ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェ(1844〜1900年)は言う。
 ≪パウロは「世の智慧」を辱めようと意志する、彼の敵はアレクサンドリアの科学で鍛えた優れた文献学者と医師とである、──彼らにパウロは戦いをいどむ≫(『反キリスト者』)
 ≪彼らの目的、彼らの本能は、破壊のみをめざしている。この命題の証明は歴史から読みとりさえすればよい。歴史のうちにはこの証明がすさまじい明瞭さでふくまれているからである。(中略)キリスト者ローマ帝国の吸血鬼であった、──時間のかかる偉大な文化が産まれるための地盤を獲得すべきローマ人の巨大な業績を、一夜のうちに無に帰してしまった≫(同前)
 『医学の父』『免疫の祖』と呼ばれる古代ギリシアの医者ヒポクラテス(紀元前460年頃〜紀元前370年頃)は、温泉の効能に気付いていた。東邦との接触により、入浴の習慣を身に着けた古代ローマ人も清潔を重視した。一方、キリスト教徒は不潔さが聖人の要件であると考えた。異教徒と同じ浴槽に入ることも考えられなかった。西欧ではそれ以降、千数百年にわたり、公衆浴場が姿を消した。」
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 日本人は、薄情である。
 豊臣秀吉伴天連追放令を読んでも、日本人の奴隷売買は嘘・ねつ造として切り捨てている。
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 日本のキリシタン弾圧は必然であった。
 何故、日本でキリスト教が受け入れられず拒絶されたのか。
 それは、絶対神の「隣人愛の信仰」を守る為に命を犠牲にする事を求めていたからである。
 信仰心の薄い日本人は、絶対神の神聖な教義の為に「殉教」する事が理解できなかった。
 宗教に強い愛着を持たない日本人は、神を捨てて生きる道と神を守って死ぬ道に二者択一を求められたら、迷う事なく前者を選ぶ。
 日本人にとって「生きてこその人生」であり、命の方が神や仏よりも大事なのであり、神や仏の為に命を捨てる事ほど馬鹿な事はない。
 それが、日本民族日本人の死生観・宗教観・人生観である。
 日本民族日本人は、架空を想定した論理思考ではなく、有りの儘の現実志向である。
 日本で、宗教対立・宗教紛争はあっても宗教戦争・神聖戦争が起きなかったのはこの為である。
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 日本神道が求めたの原則は、排他的閉鎖的な不寛容を穢れとして忌避する「和」であり、対立を避ける為にお互いが相手を尊重する共存共生の「棲み分け」であった。
 つまり、柔軟に実態・本態を薄め曖昧となって「争わない事」であった。
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 棲み分けの日本では、意見が違う者同士の議論・激論は尊ばれず、たとえ意見が違っても相手への忖度・配慮が尊重される。
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 現代においても、狂信的なキリスト教徒や一部の仏教徒による神社仏閣や石仏などへの宗教テロが時折発生している。
 特に、靖国神社への中国人や韓国人による宗教テロが起きている。
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 世界の良識は、キリスト教を排除しキリシタンを弾圧した事について、日本を厳しく非難し、その非人道的犯罪を後世に正しく伝える歴史教育を徹底する事を求めている。
 だが、中世キリスト教会と白人キリスト教徒が布教と金儲けを目的とした日本人奴隷交易をなかったこととして歴史の闇に葬っている。
 世界・国際の良識とはその程度の良識であり、人類・人間の良心とはその程度の良心に過ぎない。
 日本民族日本人は、アフリカ人同様に奴隷として売られた民族である。
 所詮、日本民族日本人は「井の中の蛙、大海を知らず」である。 
 その無知さは、現代においても変わるないどころかさらに酷くなっている。
 その原因が、敗戦後に押しつけられたのキリスト教歴史観マルクス主義共産主義歴史観と1980年代以降に周辺諸国から押しつけられた日本人極悪非道の重犯罪人史観である。
 それは、現代の日本史や世界史を見れば明らかである。
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 世界の良識や人類の良心は、アフリカ人奴隷交易は間違いだったと認めたが、日本人奴隷交易は認めず黙認を続けている。
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 現代の普遍的価値観の元となっている現代キリスト教会と日本人・アフリカ人奴隷交易を容認した中世キリスト教会とは、別物である。
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 人類史・世界史・大陸史において、武力・財力における大国・強国、勝者・強者が小国・弱国、敗者・弱者を奴隷として家畜のように使役する事は合法的として認められていた。
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 キリスト教に対して、儒教や仏教は排斥したが、日本神道は受け入れた。
 三元論の日本神道が、キリスト教を拒否したのは、二元論・二項対立の絶対教義で他の神々や仏達を悪・邪として否定し、キリスト教会以外の神社仏閣など宗教施設を破壊し、キリスト教に改宗しない人々を殺し、奴隷とし、宗教戦争を起こすからである。
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 日本人奴隷交易は、戦争で使う「火薬」の為であった。
 火薬の原料である硝石(硝酸カリウム)は日本では生産できなかった為に、南蛮貿易としてポルトガル・スペインから購入するしかなかった。
 戦国時代。銀など輸出品を持たない戦国大名は、大量の火薬を手に入れる為に戦争捕虜を白人キリスト教徒商人に売った。
 宣教師達は、中世キリスト教会が合法として認めに従い、日本人奴隷交易を仲介して、その手数料を元に布教活動を行っていた。
 日本人奴隷交易が収束したのは、豊臣秀吉が天下を統一し石見銀山などから産出した銀を主力輸出品としてからである。
 白人キリスト教徒商人は新たな奴隷交易先を朝鮮に求め、中世キリスト教会も新たな布教先を朝鮮と定めた。
 豊臣秀吉朝鮮出兵は、世界宗教史的な必然であった。
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 何故、中世キリスト教会やスペイン・ポルトガルが日本人奴隷交易を禁止したのか、豊臣秀吉が世界帝国並みの軍事力・動員力を見せたからである。
 中世キリスト教会とスペインは、日本帝国を内部から崩壊させる為に、豊臣秀吉徳川家康に南蛮交易継続の条件としてキリスト教布教の許可を求めた。
 キリスト教布教の目的は、日本人をキリシタンに改宗させ、増えたキリシタンを神の聖戦士・教皇の神聖騎士団として組織し正義の反乱を起こし、邪悪な幕府を倒し、異教徒の天皇を殺害し、野蛮な日本を文明的にキリスト教化する事であった。
 中世キリスト教会・スペインの日本人キリシタンの反乱で日本を征服する戦略を徳川家康に教えたのは、イギリス人の三浦按針(ウイリアム・アダムス)であった。
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 江戸時代、日本は世界の7大帝国の1つとして恐れられていた。
 江戸時代後期。ロシア帝国は、日本人漂流民を日本帝国の一員としてイギリス王国イギリス人より上位において優遇した。
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 世界はおろか東アジアにおいての国家的順位は、中華帝国(中国)の次が日本で、3番手が琉球王国で、最下位が朝鮮王国でった。
 中華帝国の明国や清国が、日本国を琉球王国や朝鮮王国よりも上位国と見なしていた。
 その証拠に、朝鮮国王は中華皇帝の承認がなければ国王に即位できなかったし、朝鮮国王は中華皇帝への忠誠の証として命じられた人数の宮廷慰安婦・妓生(キーセン)を献上していた。
 それが、朝鮮王国の中華帝国への朝貢貿易の実態である。
 中華帝国は、朝鮮王国を見下していた為に版図に組み込まず、モンゴル・チベットウイグル北ベトナムのように領土とせず属国として放置した。



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