✞40」─1・B─西洋白人世界は外国人移民・難民の流入で自死・自滅に向かう。明日は我が身の日本。〜No.203      

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 2019年3月26日号 週刊文春「新聞不信 幅広い思考力の記者を育てよ
 3月16日付の朝刊を開いて仰天する。ニュージーランドにあるイスラム教の礼拝所(モスク)で男が銃を乱射し、49人が死亡したのだ。
 朝日、毎日は一面トップ、さらには国際面などでも大きく報じている。犯人はオーストラリア人で、自ら犯行の様子をネット中継したという。銃にカメラを設置しており、意図的な政治的行為だったのは間違いない。
 犯行の背景について、各紙はニュージーランドやオーストラリアなどにおけり移民の増加を指摘。朝日は『反イスラム意識 広まる』(二面)、毎日は『白人至上主義 背景か』(三面)という見出しを掲げ、宗教や人種問題を挙げる。読売も記事でそうした見方について触れているが、適切な分析なのだろう。
 朝日によると、男の残した声明文は80ページ前後という、イスラム教徒を敵視していること、労働者階級の低所得者の家で育った家庭環境などが記され、『移民によって殺害された数千人の仕返しをしたかった』とあるという。
 今回の事件は、毎年のように起きている銃乱射事件の系譜に連なるのだろうが、人類史は一つの危機的状況を迎えているのではないか、移民の増加、宗教、民族への偏見などを理由とする白人至上主義者、反ユダヤ主義者が跋扈(ばっこ)し、アメリカ、ヨーロッパにおけるテロ事件は、早晩、被害者側がやり返す形になっていくだろう。テロによって報復の連鎖が生まれることは歴史が示してきたとおりだ。
 人類史は20世紀前半と同様、戦争、テロ、そして憎悪を土台にした不条理の世界に入ってくるのではないか。今回の犯人のような人物は今後も現れるように思える。そのつど分析、検証は必要だ。
 それと同時に、『歴史が奇妙な方向に歩を進めている』、『その克服にはどのような考え方や時代認識が必要なのか』など、新聞社は文明史家となって警鐘を鳴らす役割を担うべきだ。あるいは歴史家として、日常の変化と歴史の関連性、もっと視野の広い論考を展開できるスタッフを養成すべきだと提言したい。」
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 2019年4月号 正論「日本の自死 浜崎羊介
 暴走するリベラリズム
 日本は『自死』を遂げつつあるのか──『移民法案』という危機
 昨年12月、外国人労働者の受け入れを決めた出入国管理法改正案が臨時国会を通過した。法務省の統計によれば、今現在も、256万人の外国人が日本に暮らしており(2017年12月末時点)、日本の全労働人口の2%に当たる128万人が外国人労働者であるという。が、それに加えて政府は、2019年度から5年間で、最大34万5,000人、初年度は4万8,000人の外国人労働者の受け入れを考えているという(受け入れ予定人数を業種別でみると、5~6万人の介護事業をトップに、4~5万人の外食産業、3~4万人の建設・清掃業などとなっている)。OECDのデータ(2015年)によれば、日本は、すでにドイツ、アメリカ、イギリスに次ぐ世界第4位の『移民大国』とされているが、この度の法改正によって、この移民大国化の流れがより加速していくことは間違いない。
 しかし、国のかたちを変える可能性のある重大な政策決定であるにもかかわらず、この度の法改正について、まともな議論が交わされた形跡はない。2025年までに50万人の外国人労働者受け入れを決めた『骨太の方針』を政府が発表したのが昨年の6月。新たな在留資格の創設する出入国管理法改正案を閣議決定したのが昨年の11月2日。それから、衆参両院合わせてたった38時間という審議時間で法案は採択に持ち込まれている。政府は、『移民とは、入国した時から永住権を許可された人である』という手前勝手な定義(自民党労働力特命委員会)によって、『出入国管理法改正案は、移民法案ではない』と強弁しているが、それが下手な言い抜けでないとしたら、端的に『嘘』だと言うべきである。
 なるほど、在留期限が5年で、家族帯同が認められていない『特定技能一号』と呼ばれる外国人労働者から受け入れを始めるというのは事実である。しかし、それが永住資格の取得と家族帯同可能な『特定技能二号』受け入れへの道を開くための助走であり、また、一度外国人を受け入れた現場が、それ以後、外国人なしで回らなくなることが明白である以上──それは諸外国の例や、この国の建設現場の例を見ても明らかだろう──、どこからどう見ても、この度の出入国管理法改正案が『移民法案』だという事実は動かせない。
 その証拠に、この度の法改正の大義名分は、欧州が『移民受け入れ』を開始したときの論理と同じ、『人口減少社会における労働力の確保(人材不足の解消)』なのだ。
 しかし、ここで『調整弁』にしようとしていたのが、『市場原理』でコントロールできる『モノ』ではなくて、『ヒト』である事実を忘れるべきではない。人材の需要は景気変動でコロコロ変わるし、人口構造の変化でも変わってしまう。また、外国人に『移動の自由』を許す限り、外国人労働者が、人材不足が深刻な地方(の介護現場など)に行く保証はないし(むしろ、海外の例を見れば、ますます東京一極集中が進むことが予想される)、地方に行った場合でも、たとえば日系ブラジル人を多く受け入れてきた群馬県大泉町の例を見ても分かるように、外国人に対する教育・福祉行政の混乱は必至であり、住民税・国民健康保険の未納問題や、無年金の外国人高齢者に対する生活保護費の支給など、新たな財政問題地方自治体が直面するだろうことも確実である(高橋幸春『外国人比率トップ群馬県大泉町の悲鳴──限界を超えた〝移民の町〟の今をおった』『文藝春秋』2018年11月号、参照)。
 いや、問題はそれだけではない。簡単には日本に馴染めない外国人(特に日本に呼び寄せられた家族)は、次第に日本人との棲み分けを始めることになるだろう。が、そうなれば、地域共同体の纏まりは失われ、『移民の同化(共生)』を図る日本人との間にも、どうしても摩擦や葛藤が生じてこざるを得ない。そのほか、外国人参政権の問題や、外国人労働者に引きずられる形での日本人労働者の賃金低下の問題(デフレの更なる深刻化)。仕事の奪い合いと、そのストレスから来る排外主義の台頭。外国人の社会的孤立(ゲットーの出現)と、その不安によって齎(もたら)される犯罪とテロ。そして、外国人との『共生』をめぐる、右と左による罵り合い=日本人の分断などなど、『移民政策』が 進めば進むほど、『同胞』を基盤とした『ナショナリズム』の凝集力は弱まり、それが引いては、福祉政策、安全保障政策に必要な国家的アイデンティティを掘り崩していくだろうことは火を見るよりも明らかである。
 移民社会の惨状──『西洋の自死』と『リベラリズムによる全体主義
 これは決して私だけの過剰反応、または被害妄想ではない(個人的には、妄想であって欲しいくらいだ)。それは、たとえば、英国のベストセラーとなって後に23ヵ国語に翻訳され、この度邦訳が出されたダグラス・マレー『西洋の自死──移民・アイデンティティイスラム』(中野剛志解説・町田敦夫訳、東洋経済新報社)を繙(ひもと)けば明らかだろう。
 イギリス、ベルリン、パリ、ギリシアなどの移民先進国の欧州各国を横断しながら、この若きジャーナリストが描き出すのは、まさしく移民社会の荒廃した現実である。そこで提示される風景は、移民によって齎される貧困と失業、移民によるユダヤ人の襲撃、強姦、女子割礼、少女の人身売買と頻発するテロ。ヨーロッパの文化的アイデンティティの崩壊と、それに対する極右の台頭など、この先の日本においても予想され得るディストピアと大差ない風景である。マレーは言う、『欧州は自死を遂げつつある。少なくとも欧州の指導者たちは、自死することを決意した』と。そして、ほとんど確信的に次のように書き記すのだ、『結果として、現在欧州に住む人々の大半がまだ生きている間に欧州は欧州でなくなり、欧州人は家(ホーム)と呼ぶべき世界で唯一の場所を失っているだろう』と。
 実際、マレーの報告する数字は、その予想を裏付けている。2011年の英国の国勢調査によれば、イングランドウェールズに住む外国生まれの居住者は直近の10年で300万人以上増えており、ロンドンに住む『白人の英国人』に至っては、既に44.9%と半数を割り込んでいる。また、ロンドンの33区中の23区で『白人の英国人』は少数派になっているが、それもそのはず、既に94万人もの新生児が外国生まれの母親から誕生しており、新生児の33%は少なくともどちらか一方の親が移民なのだ。オックスフォード大学の人口学の研究者は、これ以上の移民流入がなうとも(現状のペースを維持しても)、2060年のイギリスにおいて、『白人の英国人』は少数派に転じていると言う。
 この数字は、たとえば『自由で情け深い人道主義超大国』であるスウェーデンでも大差ない。1990年には、スウェーデン人口のたった3%を占めるに過ぎなかった非欧州系の移民は、その出生率の高さも手伝って、2016年には、その数値が13~14%に跳ね上がっており、しかも、それが年率1~2%で上昇しつつあるという。このままいけば、スウェーデンの全ての主要都市でスウェーデン民族は少数派に転じると予想されている。
 しかし、ことは単に人口構成の問題ではない。マレーの報告は、移民の浸透が、欧州の宗教的・文化的性格を、後戻り不可能な形で変容させてしまうことを教えている。
 たとえば、2002年から2011年の約10年間で、イスラム教徒の数は倍増する一方で、自分がキリスト教徒であると答えたイギリス人の割合は72%から59%に低下しており、その数を約400万人も減らしている。(イングランドウェールズでの調査)。2010年には全体の3分の2近くを占めていたイギリスのキリスト教徒は、2050年までに、その3分の1が減少し、過半数を割り込むものと考えられている。
 しかし、さらに驚くべきなのは、これだけの文化的・社会的破壊を目にしてもなお、欧州の政治家、官僚、マスメディアなどの『エリート』たちが、移民受け入れの態度を変えようとしないことである。そんな彼らが口にするのは、日本でもよく聞く次のフレーズだ。曰くなど『移民は経済成長に必要である』、『高齢化社会では移民を受け入れるしかない』、『多様性はいいものだ』、『グローバル化が進む以上、移民は止められない』・・・。
 だが、彼らの口実に確固たる論拠はない。事実、マレーは、その一つ一つに反証を挙げて──例えば、一人当たりのGDPの低下(賃金低下)の事実や、移民もまた老いているという事実、また若者の失業率と出生率の関係など──丁寧に反論を試みている。が、その一方で、マレーは、それらの反論がほとんど効果を持たないことも知っているように見える。というのも、移民推進派の弁明は、『お互い絡み合い、置き換え可能になって』おり、『そのため一つが破綻しても、常に別のものが取って代わる』ようになっているからである。
 実際、一般国民がどんなに移民反対の態度を示しても、これまで移民拡大の流れが止まることはなかった。2011年の世論調査で、67%の英国人が、過去10年間の移民を『英国にとって悪いこと』だと答え、『良いこと』だと答えた11%を遙かに上回ろうとも、進歩的なエリートたちが、その結果に配慮するということはなかったのである。いや、それどころか彼らは、移民のマイナス面に頷いたり、移民反対の声に耳を傾けたりする者に対して、『心が狭い、不寛容、外国人嫌い、人種差別主義者』などのレッテルを貼りさえしたのだった。『西洋の自死』の解説者である中野剛志氏の言葉を借りれば、それはまるで、『リベラリズムによる全体主義』を思わせるほどに『不寛容』な態度を見せている。
 が、注意すべきなのは、それが20世紀の古典的な全体主義──コミュニズムファシズムなどの設計主義的な全体主義──ではなくて、歴史的に醸成された『リベラルな空気』による『全体主義』(欧州における空気の支配)だという点である。
 その『空気』は、たとえば、次のような言葉のなかに示されている。2015年、中東難民(移民)の受け入れを決めたメルケルはこう語っていた。

 『ドイツ人の徹底ぶりは素晴らしいものですが、今はドイツ人の柔軟性が必要とされています。欧州は一体となって行動し、また各国が保護を求める難民への責任を分かち合わなければなりません。普遍的な市民権はこれまでのところ、欧州やその歴史と不可欠でした。欧州が難民問題を解決し損ねれば、その普遍的市民権との緊密なつながりは断ち切られてしまいます。それは私たちが思い描く欧州ではありません』ドイツ連邦議会における、アンゲラ・メルケルによる記者会見、2015年8月31日

 このメルケルの声明に対して、イギリスの『エコノミスト』誌は『大胆王メルケル』との見出しで、『難民問題に関して、ドイツの首相は勇敢で、果断で、正しい』と褒め称えたという。が、そのとき、まだ彼らは分かっていなかったのだろう。この〈リベラルな空気〉によって、リベラルではない人々──つまり、人権も、法の支配も、言語の自由も尊重する気のない難民=移民たち──を受け入れてしまったのだとアイロニカルな現実を。
 事実、その年の大晦日には、一つの、耳を疑うようなニュースが世界中を駆け巡ることになった。ドイツのケルンで、2,000人もの難民たちが、約1,200人の女性に対して性的暴力に及んだというのだ。『普遍的市民権』を信じる人々は、移民の危機を言う『人種差別主義者』に侮蔑の眼差しを向ける一方で、しかし、『誰かが微笑んでいるのを見たら、自分を抑えるのは難しい』と語る難民たちに対しては、歓迎の意を示したのだということである。
 『自死』の裏にある──歴史的罪悪感と実在的ニヒリズム
 しかし、ではなぜ欧州は、『自死』を呼び寄せるまでに過激な『リベラリズム』に、その身を任せてしまったのか。マレーが指摘するのは、主に次の二つの要因=病である。
 一つは『西洋の道徳的麻薬』とまで呼ばれる『歴史的罪悪感』であり、もう一つは、西洋の文化的基盤である宗教的価値観を悉く熔解させてしまった『西洋啓蒙思想』の影響である。
 前者の病は、常に過去の歴史を否定的にしか扱わない日本の知識人にも身に覚えがあるところだろうが、要するに、西洋の植民地支配、帝国主義的拡張、ホロコーストを引き起こしたユダヤ人差別などの歴史に対する欧州自身の歴史的自己嫌悪である。その罪悪感によって自分自身に自信が持てなくなってしまった西洋人は、絶えず過去に対して謝罪しながら、ついには他者(移民)からの要求を拒絶することができなくなってしまったというのだ。
 が、おそらく、よりより根が深いのは、後者の西洋啓蒙思想の方だろう。つまり、『普遍的人権』、『寛容』、『多様性』を無際限に拡大しようとしてきた西洋的りの無理と、それが欧州に齎した〈実在的な疲れ=ニヒリズム〉の問題である。
 マレー自身は示唆する程度にとどめているが、リベラリズムの起源の一つに、個人の『信仰の自由』(人権)を守ろうとするプロテスタンティズム(特に、17世紀に登場する洗礼主義などのピューリタニズム)の伝統があることは間違いない。事実、『リベラル』(Iiberal)という言葉が、その政治的意味を帯び始めるのは、『新プロテスタンティズム』(エルンスト・トレルチ)が登場してくる17世紀以降のことだが、それは基本的に、共同体(カトリック・国家)による『信仰の強制』から、個人の『信仰の自由』を守ろうとする政治的文脈で語られはじめていたのである。思想史家のアイザイア・バーリンの言葉を借りれば、つまり、初期のリベラリズムは、『~からの自由(消極的自由)』の擁護者として現れていたのだということだ。
 しかし、それなら、この『リベラリズム』を加速していった先に、一つの『虚無』が待ち受けているのは必然だろう。はじめ『共同体』からの自由を唱えていたリベラリズムは(17世紀)、次第に『伝統』からの自由を唱えはじめ(18世紀)、ついには、『信仰』そのものからの自由を語りはじめるのである(19世紀)。しかし、『信仰のための自由』が『宗教からの自由』に反転してしまえば、私たちが、その『自由』を使って守るべき価値(信仰)を見失ってしまうことは当然だろう。後に残るのは、『価値判断は誤りであるという価値判断』、あるいは一切の確信を失った『実在的ニヒリズム』(マレー)でしかない。
 なるほど、しかしだからこそ欧州は、『神の死』(ニーチェ)が明らかになった20世紀に入って、理想社会(ユートピア)に対する設計主義的で進歩主義的な神話、新たなリベラリズムの夢(~への自由=EUへの積極的自由の夢)を紡がなければならなかったのだろう。が、それさえ、一度なくしてしまった信仰の穴を埋め合わせるための『夢』でしかなかったのであれば、EUの没落という『現実』に直面した21世紀の欧州が、再び、その信仰なき自己に直面しながら、脱構築のゲームに身をやつさなければならないというのも分からぬ話ではない。
 しかし、だとすれば、自己を見失った欧州が、移民を説得し、彼らを文化的に同化するなどということができるはずもなかろう。人々は、ただ『神はいない。思い悩むのはやめて、人生を楽しもう』と語りながら、安価な労働力を確保でき、私たちの生活が保たれるのは、移民の齎(もたら)すマイナス面に目を瞑(つぶ)ることもやぶさかではないと語るだけなのである。
 『日本の自死』を傍観する保守派──ネオリベラリズムを批判せよ
 けれども、それが本当だとしたら、『歴史的罪悪感』を引きずり、『リベラリズム』に寄り掛かりながら移民に門戸を開いた日本が、緩慢な『自死』の道を歩いていないという保証はどこにもないというべきである。そして、さらに絶望的なことは、この移民政策を押し留めるどころか、押す進めているのが、ほかならぬ保守派の安倍政権であるという事実である。
 にもかかわらず、この国の『保守論壇』は、未だに〈共産主義へのシンパ=左翼〉対〈資本主義陣営(アメリカ)の理解者=保守〉とでも言うような時代遅れの『冷戦脳』を引きずったまま、どうでもいいLGBT批判や反アサヒキャンペーンにうつつを抜かし、その一方で、種子や水道や労働規制といった社会的共通資本やその制度を『交換』(タネ)に晒そうとしている安倍政権の過激なネオ・リベラリズム政策(新自由主義政策)に目を瞑り続けているのである。
 とすれば、この国の守るべき価値を見失っているのは、『リベラル』はもちろん(それはもはや敵でさえない)、『保守』も例外ではいというべきだろう。党派性に開き直るならともなく、取り返しのつかない形で、〈この国のあり方=私たちの生き方〉を変革しようとしている人間を支持する保守派の心性が私には分からない。いずれにしても、『日本の自死』が決定的になる前に、何としてもこの蛮行を止めなければならない。
 さもなければ、今度こそ本当に、『日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう』(三島由紀夫)。ただし、今、私たちの目の前にある日本は、もはや『富裕』でも『経済大国』でもなくなっていることは言っておかなくてはならないが」
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 西洋キリスト教世界は、中東イスラム教世界に対する罪悪感を持っている為に、中東系イスラム教徒難民に対して寛大で、イスラム教徒が犯罪やテロを繰り返しても差別や排斥を行う事に躊躇いを持っている。
 その罪悪感が良識となって、外国人移民排除を主張する極右勢力の拡大を抑え込んでいる。
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 キリスト教は、非暴力無抵抗、自己犠牲、隣人愛である。

 『口語 新約聖書日本聖書協会、1954年
 マタイによる福音書 第5章
 21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
 29 もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。
 30 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。
 39 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
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 ヨハネによる福音書 第8章
 7 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。

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 イスラム教では、豊かになるも貧しくもなるも、殺すも殺されるも、生きるも死ぬも、栄えるも滅びるも、全ては絶対神の思し召しと説いている。

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 ユダヤ教キリスト教イスラム教に共通する唯一の絶対真理とは、「私をおいて他に神がない以上、私だけを信仰し、他に神を作って崇め信じてはならない」である。

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 マルクス主義共産主義)は、反宗教無神論と人民の正義・人民の大義から全ての宗教を否定し破壊した。

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 ユダヤ教では、天地創造絶対神モーセに「十戒」を与えて契約を結んだ。それが旧約聖書である。

 『旧約聖書 [口語]』日本聖書協会、1955年
 出エジプト記20章(十戒) 
 3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
 4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
 5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
 6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
 7 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
 8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
 9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
 10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
 11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
 12 あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
 13 あなたは殺してはならない。
 14 あなたは姦淫してはならない。
 15 あなたは盗んではならない。
 16 あなたは隣人について、偽証してはならない。
 17 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。
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 人類は、アフリカで突然変異種として誕生し、異常気象による生活環境の破壊、強力な捕食動物と生存競争に敗れて、同じ人間の強者との生活権争奪戦に敗れて、などの原因で故郷のアフリカから逃げるように地球上に移動していった。
 人類の出アフリカは、強者や勝者による開拓や冒険ではなく、弱者は敗者の惨めな逃亡にすぎない。
 その逃亡劇において、幾つもの人類が絶滅した。
 絶滅を免れた人類のみが生き残った、それが現代の人類(ホモ・サピエンス)である。
 そして、新たに特殊能力を持った優秀な人類が出現した時、現代の人類は地球上に逃げ場がなく絶滅する。

 個人力ではなく集団力があった人類種のみが生き残った。

 ホモ・サピエンスが生き残りクロマニヨン人が絶滅したのは、お互いに助け合うという宗教・信仰と集団力であった。

 個人的な能力は、クロマニヨン人の方がホモ・サピエンスよりも優れ秀でていた。

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 地球は、現代の人類だけの地球ではない。
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 人類が生き残れたのは、絶対神の恩寵や奇跡でもないし、生きものとしての必然でもない。
 生き残れるのは、勢いと偶然と幸運(判断が正しかった)である。 
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 ユーラシア大陸の西の果てにあるヨーロッパ半島の住人や宗教は、時代によって入れ替わっている。
 旧人ネアンデルタール人)。現生人類(ホモ・サピエンス)。ケルト人。ガリア人。古代ギリシャ人。古代ローマ人。ゴート人、スラブ人などの東ゲルマン諸部族。フランク人、アングロ・サクソンなどの西ゲルマン諸部族その子孫としてフランス人、ドイツ人、イタリア人、イギリス人、その他の現在の西洋白人。
 中世ヨーロッパ世界には、地中海沿岸にラテン語系民族、西ヨーロッパにゲルマン語系民族、東ヨーロッパにはスラブ語系民族が住んでいて、そこにオリエントからウラル語系民族・アルタイ語系民族などが流れ込んでいた。
 宗教の変遷としては、自然精霊宗教、ケルト神話ギリシャローマ神話ゲルマン神話キリスト教である。
 キリスト教では、ローマ・カトリック教会、東方キリスト教会(東方正教会)、プロテスタントイギリス国教会、その他の諸宗派。

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 ヨーロッパが最も恐怖を感じた異民族とは、中央アジアから怒濤の如く侵略してきたフン族とモンゴル人であった。

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 大移動したゲルマン民族は、476年に西ローマ帝国を滅ぼして王国を築き、古代ローマ市民を虐殺するか奴隷にした。

 732年 西フランク王国は、侵略してきたイスラム軍をトゥール・ポワティエで撃退して、イスラム教の侵入を阻止した。

 オスマン・トルコ帝国は、1453年にビザンチン帝国(東ローマ帝国)を滅ぼして、バルカン半島からオーストリアに侵攻しウィーン(1529年)を包囲したが攻略できずに撤退した。

 1538年にプレヴェザの海戦でキリスト教国艦隊を破って地中海の制海権を握り、古代ローマ帝国の版図の4分の3を支配する大帝国を築き、ヨーロッパよりも富み栄えた。

 オスマン・トルコ帝国は、不寛容なヨーロッパと違い多様な民族・宗教・言語が同居するの多様性ある多文化共生社会を築いた。
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 西洋言語は、ローマ帝国の共通語であるラテン語が廃れ、各地域に移り住んだ異民族の部族言語が定着した。
 ルネッサンスで生み出された印刷技術で、ラテン語聖書やギリシャ語聖書が民族言語で印刷されて普及した。
 キリスト教会は、ミサをラテン語ではなく部族言語で行った。
 それは、絶対神が、天にまでとどくようなバベルの塔を建設する人間の傲慢に怒り、一つの言語を混乱させ、一つに強固にまとまっていた人間社会を崩壊させ、コミュニケーション不通に分裂させ、人々を蜘蛛の子のように散らした話に似ている。
 『旧約聖書 [口語]』日本聖書協会、1955年
 創世記第11章 (バベルの塔
 1 全地は同じ発音、同じ言葉であった。
 2 時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。
 3 彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。
 4 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。
 5 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、
 6 言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。
 7 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。
 8 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。
 9 これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。
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 流動性の激しい地域は多様性社会・多民族多宗教多文化共生社会になるが、同種や異種に関係なく人間の感情に基づく各種の軋轢が原因で、部族・民族・人種の人間戦争と神々の宗教戦争などが絶え間なく起きていた。
 戦争の原因は、他者を激論の末に論破して完全に排除する妥協なき不寛容な自己主張である。
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 人類の進歩発展は、活力ある移住者が衰えた先住民の土地に移住して新住民となって起きてきた。
 数千年の人類史・文明史・宗教史からすれば、世界の指導者の地位から西洋白人とキリスト教会が引きずり下ろされても不思議ではない。
 歴史的事実として、新旧が入れ替わる時、摩擦による流血事件が起きるのは当然の当たり前の現象であり、非難しべきで事ではない。
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 中東、オリエンタル、ペルシャ、アラブ、エジプト、更にはアジアの中華=中国、インド、そして中南米アメリカ大陸でも、歴史的世界文明を生み出した地域では、数千年の歴史を見れば住人や宗教は目まぐるしく新旧が入れ替わっている。
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 現代の西洋白人文明は、大移動して西ローマ帝国(~476年)を滅ぼしたゲルマン民族がローカルな民族神話を捨てグローバルなキリスト教に改宗した時から始まっている。
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 普遍宗教であるキリスト教は、イスラム教と同じく一神教を奉ずる民族宗教ユダヤ教の一宗派に過ぎない。
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 現代中国は、中国共産党が1949年10月1日に反宗教無神論共産主義に基づいて中華人民共和国を樹立して時から始まっている。
 漢民族による中華4000年の歴史は、架空話で、現実には存在しない。
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 欧米社会では、白人キリスト教の住民と中東系イスラム教の外国人移民との間での文化・宗教・言語・習慣などでの摩擦が深刻化し、暴行や殺人などの刑事事件、さらには無差別殺人のテロ事件が起きている。
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 将来、外国人移民がこのまま増え続ければ欧州社会の宗教勢力図は、キリスト教徒とイスラム教徒が拮抗する事になり、地域によってはイスラム教徒が多数派でキリスト教徒が少数派になっている。
 場合によっては、欧州内にイスラム教を国教とする国が出現する可能性さえある。
 だが、宗教発展史を見れば不思議な事でもなく、むしろ当然起きうる宗教布教である。
 キリスト教が世界の多数派となって世界のルールやモラルを作り出した以上、今度はその役目をイスラム教が担っても構わない話である。
 それが、多様性社会、多宗教多文化共生社会である。
 そもそも、西洋白人はヨーロッパの住人ではなかったし、キリスト教はヨーロッパの宗教ではなかった。
 西洋白人の祖先は東方からの異邦人・移住者であり、キリスト教も東方からの渡来宗教・異教であった。
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 歴史的に見れば、今西洋白人社会は自死・滅亡ではなく、ルネッサンス以降の白人キリスト教時代が終わり、新たな時代へと脱皮、生まれ変わりをしつつある時代である。
 旧社会にとって死滅という悪夢であるが、新社会にとっては誕生という吉兆である。
 そもそも、キリスト教とは、「創世・生まれと終末・死する」という有限時間宗教であり、「最後の審判と永遠の命で神の国に再生する」という永久救済宗教である。
 対象は、信仰する個人であって、世界、国家、社会、家族ではない。
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日本民族日本人とは、数万年の歴史において乱婚を繰り返した混血で雑種の単一民族である。
 日本民族日本人の血は、純血ではなく汚れている。
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 日本民族日本人は、他の人種民族に比べて優れてはいないどころか劣っているし短所・欠点が多い。
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 日本は、少子高齢化による人口激減を食い止めるべく、欧米諸国の移民政策を参考に為て外国人移民受(主に中国人移民)け入れを決定した。
 日本は、「背に腹はかえられぬ」として、多様性豊かな多文化共生社会を目指すとして、コスモポリタニズムやリベラリズムを受け入れてナショナリズム保守主義を捨てた。
 外国人移民を受け入れるにあたり、人種差別主義者・外国人排斥主義者・民族主義国粋主義者ら右翼・右派らの犯罪・テロから如何にして外国人移民を守るかである。
 犯罪・テロを防ぐ為の監視を強化し、武装した犯罪者やテロリストを鎮圧する治安維持能力を高める必要がある。
 治安が保たれた安定した移民国家になる為には、少数派である外国人移民の安全を確保する必要があり、その為に国内の反移民勢力を如何に封じ込めるかが重要である。
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 日本は、男性の精子劣化と女子の卵子老化による生殖機能の退化・繁殖能力の衰退による人口減少を食い止めて人口を増やすには、外国人移民の受け入れしか手段が残されていない。
 増加する老人は、労働者として再利用できても人口を増やす事はできない。
 子供を産んで育てる若者が減る事は、生まれくる赤ん坊はさあに減る事を意味する。
 労働力不足はAIやロボットで代替が可能だが、子供を産み育てるのは若い男女でしかできない。
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 日本人の若い男女の生殖機能は退化し、日本民族の繁殖能力は衰退している。
 結婚しようが、子供を産もうが、それは個人の自由である。
 日本民族の存続と個人の自由は別物である。
 個人の生きる権利と日本民族生存権とは別物である。
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