🐉12」─2─中国共産党指導部は、結党以来、嘘偽りと裏切りの内部抗争で同志を粛清した。~No.44 @ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中国人は、「自分達はいつも誤解される被害者だ」という被害者意識を前面に押し出して、他人の説明や説得を一切聞かず一歩も引かず、協調する事なく自己権利のみをごり押して相手から奪えるものは全て奪って行く。
   ・   ・   ・   
 性悪説中国文明性善説の日本文明。
 聖人君主と祖先崇拝の中国。
 祖先神・氏神の人神信仰の日本。
 キリスト教会は、儒教の祖先崇拝を認めたが、神道の人神信仰を認めない。
   ・   ・   ・   
 津田左右吉支那の知識社会に発達した思想の特色としてまず考えられるのは、全てが直接に人の現実の生活に関係のある、いはば実際的の、問題に集中せられているといふ事である。道徳か政治か、然らざれば処世の術、成功の法か、あらゆる思慮は殆どみな何れかについてである」
 「畢竟、等しく処世の術である。支那人ほど人に対する法、人を利用し人を御する術を考え、さうしてそれを説きそれを教えたものはあるまいと思はれるが、さういふ事が注意の焦点になっているところに支那思想の特色がある」
   ・   ・   ・   
 2014年8月号 文藝春秋
 「中西輝政
 裏切りの中華文明研究
 中国はなぜ平気で嘘をつくのか
 ……
 『嘘の桁』がまるで違う
 ここで我々日本人が訝しく思うのは、なぜ中国はいつもいつも後で調べればすぐに馬脚を顕すような、見え透いた『嘘』を平気でつくのか、ということでしょう。
 ここ数年、日中間に起きた事件を少し振り返っただけでも、こうした事例は枚挙に暇がありますん。
 先にも触れた、2013年1月、東シナ海海上自衛隊護衛艦が中国海軍のフリゲート艦に火気管制レーダーを照射された事件も、日本の抗議に対して中国は『あれは監視用レーダーで、日本側の捏造』と主張しました。しかしその後、複数の中国軍幹部が『実は攻撃用の射撃管制レーダーだった』と認めています。
 もっと身近な例でいえば、2008年1月に発覚した中国製毒入り冷凍ギョーザ事件です。日本の警察が捜査の結果、『国内で毒物が混入した可能性は低い』と発表し、中国公安省に捜査協力を求めると、なんとわずか数日後、中国側は中国国内で毒物が混入した可能性を全面否定したのです。しかしその後、同年6月に中国国内でも被害者が出ていたことが明らかになり、はては10年3月にギョーザ製造元の元臨時授業員が逮捕されました。それでは、当初の全面否定は何だったのか、どういう捜査と証拠に基づいたのか、という点に関して、中国側の説明はもちろんありませんでした。
 こうした中国の対応は、日本相手に限ったものではありません。海南島事件でも、中国は米軍の電子偵察機が急旋回したと主張、アメリカが中国側のパイロットの挑発行為だと反論しましたが、『水掛け論』となり、ついに真相は明らかにされませんでした。
 記憶に新しいところでは、今年5月、南シナ海ベトナムの漁船が中国船に体当たりされて沈没した事件でも、中国外交部は『ベトナムの漁船が延べ1,200回以上衝突してきたから、それに対応した』と逆にベトナムを非難しました。しかし、とても頑丈とは思えない小さなベトナムの漁船が(いくら数十隻を合計した数字とはいえ)そんなに体当たりできるものでしょうか。
 同じ時期、シンガポールでの国際会議で、中国が南シナ海で一方的に石油の採掘を始めたことを非難され、人民解放軍の王冠中副参謀長は、『中国は2000年前から早くも南シナ海の管理を始めていた』と主張しました。2000年前といえば、漢王朝の時代、ヨーロッパでいえば古代ローマ帝国の最盛期です。そんなことを言い出したら、ヨーロッパのあらかたはイタリアのものだということになる。これは会議に出ていた多くのヨーロッパ人お仰天しました。『中国の嘘』は文字通り『嘘の桁』が違うのです。
 『長い歴史の国』という壮大なフィクション
 こうした一連の中国の『反論』をみていくと、共通の要素に気がづきます。いずれの場合も、中国が自国の非を追及され、不利な状況であること。そして、いわゆる『面子の論理』かもしれないが、証拠にもならない証拠を持ち出して、議論をウヤムヤにしようとすることです。
 日本であれば、事実に基づき、正邪や責任の所在を明らかにするとが議論の目的となります。それに対し、中国は自らに明らかに不利な場合、はじめから『水掛け論』に持ち込むことを狙って猛烈な逆攻撃に出てくるわけです。
 そのためには、後でバレる嘘でも何でも構わないから、相手の言い分を否定し、黙らせるために、ことさらに口やかましく非難を重ねて迫ってくる。論破することが目的ではなく──もともと事実無根なのですから論破できるはずもありません──表面上、『どっちにも言い分がある』と周囲に思わせるよう、とりあえず強硬に言い張ることが出来れば、それで勝ち、というのが彼らの発想なのです。
 では、なぜ中国はこうした対応を繰り返すのでしょうか。それは、彼らの文明がいわば『嘘』に根差したものだからです。
 中国人の社会観、人間関係観はきわめれゲーム的です。そこには正しい・間違っている、という絶対的な基準はありません。一つ一つの勝負を、とにかく勝てばよいのです。ですから相手の出方次第で、少しでも有利に事を運べばいいのです。つまり、長期的、持続的な関係の維持や信頼の蓄積をはかるのではなく、短期的にそのつどの関係を延々と結んではほどき、ほどいては結んでいく。それが『成熟した』人間関係というもので、それによって現実の社会は成り立っている、と考えるわけです。
 こうした社会観で培われた背景を知るには、中国の歴史を知る必要があります。しばしば日本人、それから西洋の人々にも、中国といえば長い歴史を持った国、というイメージがありますが、私にいわせれば、『中国0千年、悠久の歴史』こそ壮大なフィクション、すなわち中国的な『嘘』にほかなりません。その実態は、数多くの異民族が跳梁跋扈し、王朝、支配者が目まぐるしく移り変わる、分裂と統合の繰り返しです。その都度、すべてが断絶し、いったん更地に還元される。その後に新たに覇権を奪った後続の支配者が正統性を主張するために作り出した壮大なフィクションが、歴代の『正史』だったといえる。
 頻繁に戦乱が起きることもあり、人々の生活観や人生観も流動的、刹那的とならざるを得ません。そのため、一時的な、その場かぎりの関係がベースになります。また、精神的な価値よりも、唯物的、拝金主義的なものを重視する。そうなると、嘘、裏切りによって相手を出し抜くことは非常に有効な戦略です。それに対し、相手が怒って反論してきたら、今度は水掛け論にもちこんで、話をウヤムヤにする。それが中国人の基本的な倫理観、社会観なのです。
 中国人は徹底したリアリズムの民族です。しかし、ここでのリアリズムとはいわゆる『現実』のことであって、けっして『事実』ではありません。事実が自分に都合が悪いものならば徹底的に無視する。大事なものはあくまでも誰が強いか、誰の言い分を聞くべきか、という力の秩序です。それを上手に『権威』に置きかえ、現状の『秩序』として肯定し、維持するイデオロギー儒教だといえるでしょう。
 要するに日本と中国とは、地理的に隣接しながら、海を隔てて、対極的に違う文明に属しているわけです。日本は世界でも珍しい持続的な社会で、嘘や裏切りは長期的に見ればほとんどがマイナスになることを知っています。そこから『嘘はいけない』『信用が大切』という倫理、事実を重んじる態度が生まれます。その意味で、日本と共通するのは、やはり同じ島国であるイギリスでしょう。イギリスにおいて保険や金融など信用にベースを置いた経済システムが発達したのはけして偶然ではありません。
 そこで問題になるのは、イメージギャップです。実は、ベトナムやモンゴル、チベットといった、中国と地続きの近隣諸国は、そうした中国の『正体』を熟知しています。過去の歴史において、中国の『裏切り』を数多く経験しており、中国の文明には著しい裏表があり、人間としてのベーシックな価値観である『約束を守る』、『正直』、『他人の尊重』などを軽視する傾向が強いことを肌で知っています。
 そのアジアの中で、こうした中国の姿を直視していないのが、日本と韓国だけです。韓国は精神的、文化的に中国に近すぎるために、その価値観をほぼ完全に中国と同質化させてしまいました。
 それに対し、海を隔てた日本は、過去1000年以上にわたり中国の文明と関わりをもってきましたが、それはすべて書物や物品を通して思想や文化に触れるという抽象的な交流で、中国の人々、社会と直接的に触れ合ったことのある日本人はきわめて少人数でした。つまり、日本人は高度あるいは高尚な『中国文化』を通してしか中国を知らないために、まさか彼らが平気で嘘をつく社会に生きているとは思いもしなかったのです。
 西洋では、特にアメリカが中国に対するイメージギャップによって、しばしば誤った選択をしてきました。21世紀のこれからの世界を考える上で重要なのは、この平気で嘘をつく中国文明の実態が、アメリカを含め、国際社会全体に明らかになりつつあることです。
 訒小平『改革開放』路線の真の狙い
 中国の数多い嘘、裏切るの中でも、最大級のものは、訒小平が主導した『改革開放』だったと思います。
 私も訒小平が中国的な意味で偉大な指導者だったことには異論がありませんが、それは『世界史的に大嘘』とでもいうべき内政・外交を展開し、今日に至る〝中国復興〟の道を切り開いたといえるからです。
 90年代初頭、彼が打ち出した『訒小平の24文字』という国家的指針のなかに、『韜光養晦(とうこうようかい)』という有名な言葉があります。これは『才能や野心を隠して、周囲を油断させ、力を蓄えていく』という意味ですが、訒小平はこれを対外路線の基本方針に据えました。これは、当面、諸外国との紛争はできるだけ避けて、中国脅威論が出ないようにし、先進国の協力を引き出して自国の経済力、軍事力を高めていく、という戦略です。
  ……
 しかし、その裏には隠されていた『大いなる嘘』があったのです。いずれ十分な国力がついた暁には、その蓄積した冨による軍事力でもって国外へ打って出て、かっての覇権の回復を目ざす、という、本音としての国家戦略です。
 かってはあれほど『平和的台頭』と言っていたのに、現在の中国の最高指導者である習近平は、この力による覇権こそが『中国の夢』 つまり今後の国防方針だと、ようやく正直に語り出した。これは端的に言えば、中国がこれまで『改革開放』の語で外の世界に対し言ってきたことは『嘘でした』ということになるわけです。少なくとも今日、この30年間、誤解されてきた『改革開放』路線も、そうした観点から再評価する必要があります。諸外国から投資を呼び込み、先端技術を吸収し、それによって軍事力を高めて、アメリカに追いつき追い越すというのが、真の狙いだったといえるでしょう。
 ……
 私は尖閣への侵略は、すでに訒小平時代から企てられていたと考えます。訒小平は78年、来日の折、尖閣について『次の世代は我々よりもっと知恵があるだろうから、いい解決方法を見出すはずだ』と棚上げ発言を行ったとされていますが、これも訒小平の『大いなる嘘』といってよいでしょう。というのも、そのわずか14年後の92年、尖閣諸島西沙諸島南沙諸島は中国の領土だと規定した『領海法』が施行されます。同じ年、訒小平は『南巡講話』を行っていますが、経済開放で国際協調路線を説きつつ、もう一方では、着々と強硬姿勢で領土拡大に臨む準備を進めていたわけです。領海法と南巡講話はまさにコインの裏表といっていいでしょう。
 そもそも経済政策としての改革開放路線それ自体が『壮大な嘘』でした。訒小平は85年当時、『可能な者から先に裕福になれ。そして落伍した者を助けよ』と唱えましたが、その後、今日に至るも中国の経済格差はますます広がる一方です。
 ……
 最後に今後、日本が中国と向き合う場合における3つの大切なことを強調しておきたいと思います。
 1つは、『政経分離』に徹することです。つまり、お互いに経済的な実利のみに基づくクールな関係を築き、それ以外には入り込まないこと。実際、平安時代から江戸時代、そして戦後、中国と政治上は国交を持たず、貿易に制限していましたが、むしろ日中関係は平和で何ら問題はありませんでした。21世紀の今日、そうした『政経分離』そのまま可能とは思えませんが、日本は諸外国の後から中国に入っていくくらいがちょうどよいのです。むしろ中国大陸に深入りすると、日本国内も大変悪い状況になる。昭和のはじめ、軍部が台頭した時代がそうだったことを今一度思い起こす必要があります。
 持続的なビジネスを行うには、中国流の嘘と裏切りの手法では絶対うまくいきません。国際的な商習慣、法体系に、中国を巻き込むためには、やはり経済を軸とした、透明性の高い関係を進めていくことでしょう。
 2つ目に大切なことは、常に『世界地図のなかに中国を置く』ということです。アジアの中では中国の経済的、軍事的、外交的プレゼンスはたしかに大きなものがありますが、世界的視野に立てば、大国と呼べるのは、人口くらいです。経済的な発展段階からしても中程度の国です。力を入れている科学技術も、いまだに自然科学部門でのノーベル賞受賞者がいないことが、今の実力をあらわしている。もともと事実を軽視する中国の文明と、近代科学とは相性が良くないのかもしれません。訒小平は『実事求是』(事実の実証に基づいて、事実を追及すること)をスローガンとして掲げましたが、この中国文明の弱点を知悉していたゆえの言だったともいえるでしょう。
 いずれにせよ、私たち日本人は中国に対して、常に人類的な普遍の立場、グローバルな立場を取ることです。日本はつねに『あなた方の価値観は極めてローカルですよ。世界から見て、本当に大事なことはこれですよ』という、自由と人権、法の支配という普遍的で国際的な多数派の立場に立つことが重要なのです。
 最後に最も大切なことは、常に日本人らしく、正攻法で中国に対するということです。つまり中国人の真似をして、下手な策を弄したりせず、あくまでも正直に徹して、愚直に事実を重んじる日本人らしく振る舞う。これができたときの日本人が結局、一番強いのです」



   ・   ・   ・