🛳18」─13─親日派台湾の蔡英文政権。台湾地震。広辞苑「台湾は中国の一部」。2018年〜No.148No.149No.150  * 

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   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 日本の親中国派・媚中派は、中国共産党の顔色を伺い、台湾には冷淡である。
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 2018年2月8日 産経ニュース「【台湾地震】日本の専門家チームが現場入り 安倍首相のメッセージに蔡総統「まさかの時の友は真の友」
 前日より傾斜が強まった12階建て集合住宅兼ホテル=8日午前、台湾・花蓮市(田中靖人撮影)
 【花蓮=田中靖人】台湾東部の地震で、日本政府が派遣した警察庁消防庁などからの専門家チーム7人は8日午後、生命反応を探索する機材を携え、集合住宅兼ホテルが倒壊した花蓮市の現場に入った。7人は海外から唯一の支援要員。
 また、安倍晋三首相は8日、台湾の蔡英文総統宛てに「東日本大震災の際に台湾の皆様から心温まる支援を頂いたことを日本国民は今でも良く覚えている」とするお見舞いのメッセージを発表した。これを受け、蔡氏はツイッターに日本語で「まさかの時の友は真の友」と謝辞を書き込んだ。」
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 2月9日 産経ニュース「【台湾地震】台湾、支援受け入れめぐり日中差 「謝絶」された中国が反発、日本にも抗議
 捜索活動に向かう台湾の救助隊員(奥)に捜索機器の説明をする日本の救助隊=9日、台湾・花蓮市(共同)
 【北京=藤本欣也、台北=田中靖人】中国政府が、台湾の蔡英文政権が東部地震で取った対応で、日本との差があると反発している。蔡政権が中国からの救援隊派遣の申し出を「謝絶」する一方、日本からは専門家チームを受け入れ、首脳間で緊密なやりとりをしたためだ。中国は日本にも抗議し、蔡政権の頭越しに被災地の花蓮県長(知事)と連絡を取り台湾世論の分断を図っている。
 日本政府は8日、安倍晋三首相の見舞い文を窓口機関を通じ台湾に伝達した。首相官邸がサイトで公表した文面は当初、あて先が「蔡英文総統閣下」と肩書・敬称付きで表記された。台湾側は「1972年の断交以来」(研究者)と評価。蔡氏は8日、ツイッターに日本語で謝辞を投稿し、花蓮の避難所を視察した際に「安倍首相に感謝する」と表明した。首相は9日、さらにこの投稿にリツイートし、日台の緊密ぶりをアピールした。
 これに対し、中国外務省の耿爽報道官は9日、「『一つの中国』原則に反し極めて不満だ」と述べ、日本に抗議したことを明らかにした。「総統」の表記は台湾を国家として認めるもので、「台湾は中国の一部だ」とする中国の主張に反するという論理だ。官邸のサイトでは現在、あて先が削除されている。中国の抗議に対応したとみられる。
 一方、中国国務院台湾事務弁公室の張志軍主任は地震発生翌朝の7日午前、花蓮県の県長に直接電話し、「両岸(中台)の同胞の血は水よりも濃い」と救援隊の派遣を申し出た。中国政府は蔡政権発足後も、花蓮など中国国民党系の8県・市には観光や農産品購入で優遇策を取っている。
 中国政府の申し出に、蔡政権は「海外の援助は必要ない」(大陸委員会)と謝絶。総統府は日本チーム受け入れの理由は「台湾より高性能な生命探知機があり例外だ」と説明している。」
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 2018年3月号 WiLL「広辞苑『台湾は中国の一部』は大ウソ  石平
 中華文明圏の害毒から離れた日本と台湾が習近平独裁と対抗できる
 習近平独裁体制
 2018年1月から11日、中国の潜水艦が尖閣周辺の日本の接続水域に侵入してきたことは、大変衝撃的な重大事件でした。
 尖閣諸島は日本固有の領土です。野田佳彦政権時の2012年、尖閣諸島を国有化しましたが、それ以後、尖閣諸島周辺で、日本と中国は対峙し続けてきました。中国は海警局を、日本は海上保安庁を出動させた。いわば沿岸警備隊同士の対立でした。
 ところが、今回の一件で非常に深刻だと思うのは、中国は軍事力を前面に押し出してきたのです。れっきとした海軍でしょう。さらにショックを受けたのは、中国の国防省の会見での回答で『自衛隊の艦船が尖閣諸島に侵入したので、監視するために入ったのだ』と主張した。
 堂々と尖閣諸島の接続水域に侵入したことを認めたのです。しかも、日本の自衛隊に対する追跡であったと明言しています。本来であれば、尖閣諸島の周辺水域は日本の領海ですから、自衛隊が入ろうが、入るまいが、中国はまったく関係がない。
 しかし中国は、自衛隊艦船に対する『監視』を明言したことによって実質上、尖閣をめぐる日中の争いを軍事レベルにまで昇格させたのです。今後、中国は軍事力を背景に日本と尖閣問題を争ってくるでしょう。
 もうひとつ重要な事件が2017年8月に起こっています。中国の戦略爆撃機6機が紀伊半島沖を飛んだ。紀伊半島周辺には米軍基地があるわけでもなければ、自衛隊の大規模な基地があるわけでもありません。そのかわり、多くの一般市民がすむ京阪神があります。中国爆撃機の行動は、一般市民に対するあからさまな軍事的恫喝です。中国の強硬姿勢の背景に何があるのか。
 習近平政権は2017年の党大会で独裁体制を固めて、人民解放軍はほとんど『習近平の私兵部隊』になった。さらに、習近平共産党内部で、独断ですべてを決定できる権限を手に入れました。習近平の一存で、中国は戦争することもできるほど、非常に危険な体制になったのです。
 ……
 習近平習近平一人の独裁体制を築いてしまったのです。習近平が掲げているのは『民族の偉大なる復興』。近代で失われた中国をすべて取り戻す、もう一度、中華秩序を取り戻すと。
 当然、習近平の視野の中に入るのは、日清戦争時に失ったものも取り戻すべきだと、沖縄・尖閣朝鮮半島・台湾・・・すべてが日本から奪われたと思っているのです。清王朝が支配していた地域以外に、南シナ海東シナ海をすべて支配する。そういう野望を持っています。
 その考えでいれば、尖閣諸島の軍事占領は必然の成り行きであり、いずれ沖縄にもその矛先を向けてくるでしょう。
 日本の国難
 日本の歴史において今まで、『国難』とよべるような事態を三回経験していると思います。
 その一つが、白村江(はくそんこう)の戦い(663年。朝鮮半島の白村江で行われた、倭国百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争)。朝鮮半島で敗北した日本は、『唐帝国が日本に攻めてくるのではないか』と思った。そのとき、大和朝廷は都を琵琶湖周辺(近江京)に移しています。
 さらに、対馬や北九州を中心に水城(みずき:福岡県の太宰府市大野城市春日市にまたがり築かれた。日本の古代の城)を築き上げ、瀬戸内海沿いの西日本各地に朝鮮式古代山城の防衛砦を築き、北部九州沿岸には防人を配備して国防体制を整えました。さらに中国の律令制を導入、中欧集権的な国家体制を固めたのです。
 二つ目の国難が、黒船来航(1853年)。海外の脅威を肌で感じた日本は西洋列強に対抗するために、武士たちが立ち上がって明治維新を成し遂げました。明治国家という中央集権体制で西洋列強に対抗しようとしたわけです。
 そして、三つ目が1945年の敗戦でしょう。アメリカに打ち破られて、日本は史上初、外国軍に占領されました。それで戦後を迎えた。
 では、現在、日本が迎えている危機は何か。
 先の中国軍機や戦艦、潜水艦による日本領海・領土の侵略こそが、第四の国難です。中華帝国実現のために、本格的な侵略を始めようとしています。ある意味では、黒船来航以上の国難と言える。
 アメリカの黒船は、別に日本の侵略や占領を目指して来たわけではありません。日本を開国させ、アメリカにとって有利な条件を強いることだった。しかし、中国の目指しているのは、日本の領土、尖閣諸島や沖縄の占領、場合によっては日本民族を破滅させることです。
 その中で中国からの脅威をどのように対処すべきか。日本にとって大きな課題の一つだと言えます。
 ここで、日本は中国との関係を今一度見直すべきときにきています。これは外交的・経済的な意味ではなく、精神的・思想的な意味において、中国との関係にケリをつけなければいけない。
 長い歴史の中で、日本人は中国に対して二つのネガティヴな意識があると思います。
 日本は中国から文化・文明の影響を受けて、恩恵に浴した。そして、日本の文化・精神性も中国から多大な影響を受けた。左翼のみならず多くの一般的な日本人は、このような思想を持ち合わされています。特に知識層に多い。そういう考え方を持ち続けているから、中国に対して永遠に頭が上がりません。この考えから脱しなければいけない。
 さらに、日本は戦争を通じて中国に対して悪いことを行ったのだから、贖罪(しょくざい)意識を持ち続けている。もう精算していい時期にきているのではないか。
 この2点が大きなポイントでしょう。
 今後の日本人は、中華帝国に対して本格的に対峙し、日本を守り続けるためには、先に二つの意識を徹底的に精算しなければなりません。
 まずは『日本は文明文化の面で中国から多大な恩恵を受けた』との意識に関して言えば、確かに、日本は飛鳥時代あたりから、いろいろな形で大陸から文化・文明を受け入れました。その中には仏教や儒教もありました。漢字や律令制度も採用しました。江戸時代になると、儒教的精神をかなり取り入れました。
 しかしだからといって、日本の文明文化、そしれ日本人の精神はずっと中国の影響下にあるのか。あるいは、日本は中国に文化・文明の亜流になっているのか──決して、そうとは言えません。
 むしろ、今まで日本人は大陸から文化・文明を受け入れながら、自分たちの判断で取捨選択し、悪いと思うものは拒否、意味があると思うものを取り入れてきたのです。たとえば、拒否したのは宦官(かんがん)と科挙制度です。
 もう一つ大きいなことは、皇帝独裁体制を取り入れなかったこと。中国の皇帝は権力者であって、万民を支配する。日本は、そういう皇帝の大きな権力を拒否し、『天皇』という独特の存在をつくり上げました。
 天皇は決して権力者ではありません。万世一系であり、国民のために祈る祭司としての役割を持っているため、国民から心から敬愛される。また、天皇の根拠は、中国的な易姓革命(天子は天命によってその地位を与えられて天下を治めるが、もし天命にそむくならば、天はその地位を奪い、他姓の有徳者を天子とするという思想)にまったくよりません。『古事記』以来の神話によっています。
 そうなると、天皇のあり方を見て、易姓革命はまず起きません。たとえば、徳川家康がいくた強力な権力を持ったとしても、天皇にとって代われません。家康は天照大神の子孫ではないからです。
 このように日本は中国の易姓革命の悪しき伝統から逃れ、日本独特の政治体制をつくりあげることができたのです。
 思想面でも、日本が確かに中国思想を受け入れて影響を受けてきたが、日本には独自の思想がないのかというと、必ずしもそうではありません。
 逆の視点を持てば、日本は常に中国の影響下から脱出し、独自の思想史・精神史を形成していく過程が垣間見えるのです。このような逆の視点から日本の思想史・精神史をまとめた私の新刊本が『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れたのか「脱中華」の日本思想史』(PHP新書)ですが、本当は副題の『「脱中華」の日本思想史』をメインタイトルにしたかったくらいです。
 神仏習合した日本
 日本人は中国文明や思想の影響を受けながらも、最初からそれと対峙して日本独自のものをつくり出そうとしてきました。先の書物では〈(日本は)特定の文明や思想に束縛から自由な『さっぱりとした心構え』がある〉と表記しました。
 一つの例をあげると、儒教と仏教です。この二つの思想は、ほぼ同時期に朝鮮半島を経由して日本に伝わってきました。しかし、飛鳥〜室町時代にかけて、仏教と儒教に対する日本人の姿勢が丸っきり異なっています。
 特に飛鳥・奈良時代は、大和朝廷が全力をあげて仏教国家をつくり上げました。東大寺・大仏を建立し、全国に国分寺を配しています。鎮護国家として仏教を受け入れ、国家的宗教として広まっていきました。
 ところが、儒教に対しては、非常に冷淡だった。
 日本の学者が今まで誰も問題提起していない一つの現象として、室町時代以前の日本の思想家で、儒学者は1人も存在していないのです。空海最澄親鸞など、みな仏教関係ですが、どうでしょう、儒学者の名前をあげることはまずできません。
 なぜ、日本人は仏教を優先して導入したのか。仏教は中国の宗教ではなく、世界宗教です。しかも、仏教の世界では、中国は決して頂点でもナンバーワンでも何でもありません。
 仏教の世界であれば、日本と中国は対等の立場です。
 しかし、儒教になると、中国が頂点に立ってしまう。儒教を全面的に受け入れてしまうと、日本は精神的に中国の属国になるしかありません。もし、日本が儒教を優先的に取り入れていたら、2番目の朝鮮になっていた可能性が高いのです。江戸時代まで、儒学は禅寺の坊さんが遊びとして勉強している程度で、一般の人たちは誰も勉強していません。仏教に対する崇拝のほうが強かった。
 飛鳥時代に、仏教か儒教か、どちらを取るかで、日本は進路を決めることができたのです。
 また面白いことに、日本が仏教を取り入れてから、どんどん日本化していったことです。その始まりは平安仏教(空海最澄)でしょう。さらに時代を経て、鎌倉仏教で多くの庶民が受け入れるようになった。
 『誰もが成仏できる』という素朴な考え方が、日本仏教の底流にあります。
 真言宗・浄土宗・日蓮宗・・・誰でも念仏・お題目を唱えれば成仏できます。本来の仏教の考え方であれば、とんでもない考え方です。原始的な仏教の考え方からすれば、成仏できるのは菩薩くらいでしょう。でも、日本は大乗仏教的な考え方が広く行き渡り、受け入れられていった。
 この考え方は神道と同じです。命のあるものすべてに霊性が宿っていると考えている。この神道の考え方が、仏教にも影響を与えたのです。
 仏教が伝わったとき、神道は苦しい立場に追い込まれました。対抗できない中、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説(日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする考え)が生まれたのです。
 仏教に身を寄せたわけですが、吉田神道室町時代、京都吉田神社神職吉田兼倶によって大成された神道の一流派)になると、本地垂迹説は逆転してしまいます。
 つまり、本地が日本の神様で、仏が神様の形を借りて日本に来たと考えられたのです。 ただし、江戸時代に入ると、家康は一向一揆に悩まされた経験から、仏教に対する警戒心が非常に強かった。そこで家康は檀家制度を取り入れ、仏教を幕府の管理下に置きます。一方で、林羅山の進言もあり朱子学を官学として積極的に導入します。
 中国から脱却を
 江戸時代になってはじめて、朱子学を中心とした儒教が日本で広まっていきました。だからといって、日本は朝鮮のような儒教国家になってしまったのか、というと、まったくそうではありません。
 江戸時代の儒学者は、どのようにすれば朱子学から脱することができるかを考えます。荻生徂徠伊藤仁斎などはその典型です。最初は朱子学の信奉者でしたが、最後は捨ててしまいました。
 伊藤仁斎孔子の『論語』に戻り徹底的に研究しました。荻生徂徠孔子すら捨てて、孔子以前の堯(ぎょう)・舜(しゅん)時代(中国の理想国家を築いたと伝えられる伝説的な王)まで遡(さかのぼ)る。
 さらに国学が登場してきたら、朱子学どころではなくなります。本居宣長などは『漢意(からごころ)』(=中国の思想)はすべて捨てよと提唱する。『古事記』など、古来の天皇の形を見据えよう。それこそ一番純粋で、一番日本的なものであると考えたわけです。ここで、ある意味において、日本思想史の頂点に達しました。
 このような流れを見てもわかるように、今一度、日本の思想史・精神史は、中華崇拝を精算すべきなのです。確かに日本は中国から思想や精神的な面でさまざまな影響を受けました。ですが、決して、日本は中国の思想的・精神的奴隷、子分ではありません。
 むしろ、日本は常に中国的なものを切り捨てて、否定してきたのです。その上で、日本的なものをつくり上げてきた。
 だからこそ、今の日本の文明・文化が存在しているのです。そういう意味では、日本人が精神の精算をきちんと行わなければ、今後、中国とどうして対峙できるというのか。
 今上天皇がご譲位され、新しい天皇が即位されます。明治・大正・昭和・平成・・・と、元号はすべて中国の古典から採用されました。今回の新元号は、日本の古典から採用してほしい。『古事記』『日本書紀』『万葉集』・・・いろいろあるでしょう。
 昭和の最大の国難が敗戦であるなら、平成の次の国難は『中国の脅威』です。そういう意味で、新しい時代の天皇陛下元号は、意地でも中国古典からの採用をやめましょう。中国の古典から採用した時点で、本居宣長的に言えば『漢意』に汚染されてしまっているのです。
 この時代だからこそ、元号で独立遺志、気概を示そうではありませんか。
 それと、日本の自虐史観も徹底的に精算すべきです。中国は南京大虐殺を盾にして、記念日まで制定しました。韓国も、慰安婦問題で相も変わらず日本を叩いてきています。
 南京事件慰安婦問題も、両方ともウソでしょう。慰安婦は職業として売春行為をしていたのです。強制的に連行されたわけでもないし、性奴隷でもない。性のサービス業だったのです。崔吉城(チェキルソン)氏の計算によると、慰安婦が稼いで貯めたお金は、今の日本円で8,000万円にもなるそうです。南京の話となると、中国で生まれ育ち、南京にも友人を持つ認識からすると、いわゆる『30万人大虐殺』はまったくの嘘だと思います。歴史観をしっかり精算するべきなのです。
 日本はこてから中華帝国と対峙していくために、日本を守るために、今こそ、台湾との関係を強化すべき時なのです。台湾が中国にとられたら、日本もその二の舞になる可能性が非常に高い。
 アメリカも台湾との関係を強化していくと考えられます。これから台湾旅行法を制定しようとしています。今までアメリカ政府関係者の台湾訪問が制限されていましたが、これからは解禁されることになった。
 日本でも、どんどん台湾と交流を進めるべきです。台湾が孤立無援のままだったら、台湾も独立を守り続けることができない。
 『広辞苑』は『虚辞苑』だ!
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