☭24」─2─ロシアの対日戦勝利の日とはロシア人兵士による日本人大虐殺記念日である。~No.81No.82 ⑳ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年6月25日14:34 MicrosoftNews TBS NEWS「終戦の日の名称は「軍国主義日本に対する勝利の日」に ロシア議員ら法案提出
 © TBS NEWS DIG
 ロシアは第二次世界大戦終結した日を9月3日に定めていますが、その名称について与党の議員らが「軍国主義日本に対する勝利の日」とする法案を提出しました。
 ロシアメディアによりますと、24日下院に法案を提出したのはプーチン政権与党「統一ロシア」の議員らです。
 ロシアはおととし、第2次世界大戦が終結した日を9月3日に定めましたが、法案を提出した議員らはこの日を「軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日」にするとしています。
 この理由について議員らは、ロシアによるウクライナ侵攻を挙げ、「日本は欧米とともに我が国に対し前例のない非友好的キャンペーンを行った」などと主張しています。
 ロシアに制裁を加えた日本に対して、かつての軍国主義国家であるというイメージを広げたい声が、ロシア国内から改めて出てきた形です。」
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 ソ連(ロシア人)・中国共産党(中国人)などの共産主義者は信用できる相手ではない事が分かっていた以上、それでも信用しようとする者は同じ共産主義者かバカであった。
 ロシア人共産主義者・ロシア人兵士は、血に飢えた獣として、逃げ惑う日本人一般市民(主に女性や子供)を発見すると容赦なく虐殺し、日本人女性(少女から老人まで)は見付けしだい強姦し惨殺した。
 ソ連(ロシア)の戦争犯罪とは、有効だった日ソ中立条約を一方的に破棄して侵略した事ではなく、戦争を理由にして逃げ惑う日本人非戦闘員を大虐殺した事である。
 ソ連による条約違反の参戦は、ヤルタ会議でチャーチルフランクリン・ルーズベルトが戦争勝利の為にスターリン要請した事であり、対日参戦連合国(後の国連)も事後承認してる以上は国際法違反とはいえない。
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 ソ連中国共産党など国際共産主義者と戦っていた満州南樺太の戦場では、「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」という『戦陣訓』は正鵠を得ていた。
 つまり、死ぬも地獄なら生き残るのも地獄であった。
 英米豪連合軍と戦った南方戦線とは違い、共産主義軍との戦いでは、生きる望みをなくした日本人は誰に命じられてわけでもなく集団自決や一家心中をしていた。
 何故なら、国際法無視、反宗教無神論、人権・人道・人命軽視の非人間的なマルクス主義マルクス・レーニン主義共産主義社会主義無政府主義は信用できなかったからである。
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 日本人共産主義者は、ソ連軍・ロシア人共産主義者の手下として、求められた日本人の反ソ派、反共産主義者天皇主義者の情報・リストを提供して処刑に協力し、ソ連軍の日本人避難民大虐殺とロシア兵による日本人女性の強姦や殺害を止める事なく傍観していた。
 現代日本マルクス主義者や共産主義者そしてレーニン信奉者も、満州大虐殺に関して同罪である。
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 令和4年7月号 正論「ソ連の蛮行を忘れるな
 日本人が受けた屈辱を繰り返しては倣い。
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 語り継ぐべき『満州大虐殺』
 早坂隆
 大東亜戦争終結前後、満州国に住む日本人に対して数々の虐殺事件が勃発したことを、多くの現代人は十分に認識していない。
 ソ連軍兵士や中国人の暴民らによって引き起こされた多数の事件について、日本の近代史教育はほとんど触れない。
 満州で起きた数多くの虐殺事件の総称として、私は『満州大虐殺』という呼称(こしょう)の使用を提起したい。本稿では、満州大虐殺の個別事例について、いくつか触れていく(一部敬称略)。
 これらの史実は、ロシアによるウクライナ侵略によって『戦争とは何か?』『ロシアとは?』といった疑問を抱いている多くの日本人にとって貴重な教訓ともなるであろう。日本の近代史の中にこそ、ロシア(ソ連)について考える最適なヒントが多く存在する。
 昭和20(1945)年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告。9日未明、極東ソ連軍が満州国への侵攻を開始した。無論、これは国際法違反の行為である。
 この背信にあったのが『ヤルタ密約』だった。米英ソの間では『ドイツ降伏3カ月後にソ連が対日参戦する』という秘密協定が交わされていた。日本は冷酷な国際社会の思惑に翻弄された。
 その犠牲となったのが、罪なき民間邦人だった。
 葛根廟事件
 ソ連軍による満州での虐殺事例の一つが『葛根廟(かっこんびょう)事件』である。8月10日午前、満州国興安総省省都・興安街の上空に多数のソ連軍機あ侵入。大規模な爆撃が始まった。邦人らは街から徒歩で退避することを決めたが、成人男子はすでに『根こそぎ動員』となっていたため、避難民の大半は女性や子供、老人であった。
 彼らを守るべき関東軍は、太平洋戦線の悪化に伴い、主力部隊を南方に移動させられていた。今回のウクライナ侵攻を見ても明らかであるが、軍事力の均衡が崩れた場合、抑止力は大きく削がれ、それが戦争を招く要因の一つとなる。しかるべき反撃能力がなければ、一方的な侵攻を呼ぶ結果にも繋がる。
 興安街からの避難民たちは、関東軍の庇護を受けることができなかった。そんな彼らが惨劇に見舞われたのは、8月14日のことである。葛根廟というチベット仏教の寺院に程近い丘陵地を歩いていた千数百名の列に対し、ソ連軍の戦車部隊が姿を現したのだった。
 驚愕する避難民らに対し、容赦のない攻撃が始まった。戦車の台数は10台以上に及んだと推察される。やがて歩兵部隊も現れ、自動小銃などを乱射。白旗を持って投降の意思を示した者はあえなく射殺された。
 当時、国民学校の1年生だった川内光雄は母親に抱かれていたが、左肩に被弾。激痛の中で母親に顔を向けると、最愛の母はすでに頭部から血を流していた。川内は夢中で、『おかあさーん、おかあさーん』と叫んだが、もはや母に反応はなかった。川内は遺体の脇で泣き続けた。
 当時の国際法によれば、虐殺とは『非戦闘員への無差別的な殺戮』のことを指す。この定義に照らせば、葛根廟の丘で起きた惨状は虐殺そのものだったと言える。
 ソ連軍はやがて姿を消したが、悲劇はまだ終わらなかった。いまだ周囲を包囲されていることが予測される絶望的な状況の中、生存者の中から自決や心中を試みる者たちが出始めたのである。
 2歳の長女・節子と8カ月の長男・克彦を連れていた広久政子は、自身と愛児がソ連軍の兵士に陵辱、殺戮されることだけは避けたいと願い、心中の道を選んだ。
 政子はまず克彦の首をハンカチで絞めた。政子が戦後につづった私的な手記の中には、この時の悲痛な心境が次のようにしたためられている。
 〈坊や、……〉
 克彦の命はこうして絶たれた。政子は次ぎに所持していた青酸カリを節子に飲ませ、自分もすぐ後に続いた。しかし、致死量に足りなかったのだろう、二人は死ぬことができなかった。
 そのうち、鎌や庖丁などを持った地元の農民らが近づいてきた。満州人や漢人などの『暴民』である。彼らは遺体から衣服や所持品などを剥ぎ取っていた。
 政子は死んだふりをして横になった。暴民たちは節子を強引に引き離し、政子の衣服をすべて剥いだ。それでも政子は死んだふりを続けた。暴民たちはやがて去っていった。政子はすぐに節子のもとに近寄ったが、愛児は裸で泥土の上に放置されていた。
 節子の呼吸と鼓動は間もなく失われた。政子はこう記す。
 〈『辛かっただろうね……』……抱いたまま草の上に身を投げて、私は身を悶えて泣いた〉
 結局、千数百人いた興安街からの避難民の内、生きて日本に帰国できたのはわずか百余名であった。
 終戦前日に起きたこの虐殺が『葛根廟事件』である。この事件に関して、ソ連の蛮行はもちろん、日本側の抑止力の低下が何を招いたかについても、丁寧に検証すべきであろう。軍事力のない『丸腰』の状態がどのような惨劇をもたらすのか。葛根廟事件は多くの教訓を伝えている。
 さらに、興安総省では葛根廟事件の他にも複数の虐殺事件が起きている。
 終戦後の8月17日には、同じく避難中の東京荏原(えばら)開拓団の千名近い人々が、暴民の襲撃に遭遇。激しい略奪と殺戮にさらされた。開拓団の団長は自決。婦女子の中にも、多数の自決者が出た。
 25日には、仁義佛立講(じんぎぶつりゅうこう)開拓団の約四百名が、ソ軍と暴民により虐殺された。
 このような虐殺事件が、歴史の記述から葬り去られていいはずがない。怨嗟(えんさ)のためでなく、慰霊と鎮魂、そして歴史の教訓として。
 東安駅爆破事件
 ……
 20年8月9日、東安市内に緊急の放送が流れた。それは『ソ連軍が攻撃してくる』『3日分くらいの食糧と身の周りの品を持って東安駅に集合』『避難列車で市外に行くことも考えておいてほしい』といった内容だった。森は女学生や他の教師、学校関係者の家族を連れて、東安駅へと向かった。駅前は多くの人々でごった返していた。しかし、避難列車はなかなか来なかった。
 列車は深夜になってようやく来たが、男性は乗れないということだった。森は教え子や女教師らとそこで別れ、彼女らの無事を祈りつつ学校に戻った。
 そのまま校内で一眠りしていると、物すごい爆音が響きわたった。10日の朝のことである。ついにソ連軍の侵攻が始まったと判断した森らは、銃器や食糧を持って東安飛行場へと向かった。その後、他の一団と一緒に郊外の山中へと避難。……
 ……
 ちなみに、以下の話は当時の森らも知らなかったことだが、校内で聞いた巨大な爆発音は、東安駅で起きた爆発事件によるものだった。駅に保管されていた日本陸軍の弾薬が爆発を起こし、百名以上もの犠牲者が発生したのである。この事件は『東安駅爆破事件』などと呼ばれる。
 爆発の原因については諸説あり、いまだ真相は不明とされる。ソ連軍に弾薬を鹵獲(ろかく)されることを防ぐために日本軍が処分しようとしていた際に起きた事故という説や、ソ連側のスパイによる犯行の可能性などが指摘されている。もし仮に日本軍が招いた許されざる過失だったとしても、その発端となったのはソ連軍による条約違反の侵攻だったことを重ねて留意しておきたい。
 いずれにせよ、この爆発により列車は横転。多くの犠牲者が出た。
 森の教え子らが乗った車両は、危機一髪で爆発の被害から免れた。しかし、発車した後も何度もソ連軍機からの攻撃に遭遇。女学生らはその都度、急停止した列車から飛び降りて避難した。しかし、 牡丹江駅の付近まで来た時、大規模な空襲に見舞われた。この襲撃により2年生の中村みどりさんが頭を撃ち抜かれて即死。その隣にいた教師も腕に重傷を負った。
 東安からの避難団はいくつかに分かれていたが、同じく牡丹江の近くではソ連軍の戦車からの攻撃によって四十名ほどが犠牲、もしくは行方不明になったという事件も発生している。この偽政者の中に森の教え子が含まれていた可能性もある。
 一方、東安から徒歩で避難していた森らの集団は、述べ五百名ほどの規模となった。彼らは懸命に南下の旅を続けたが、長蛇の列はソ連軍の格好の餌食となった。ソ連軍は満州各地で、民間人への攻撃という国際法違反を重ねた。
 森のいる集団では、ソ連軍からの攻撃を避けるため、日中は林の中などに隠れ、主に夜間に歩くようにした。避難集団の中には、赤子を背負い、幼児の手を引く母親の姿もあった。当然だが、子供たちはよく泣いた。あまりに泣き止まないと、他の避難民から、『静かにしろ!』と怒声があがった。
 『あまりうるさいとソ連軍に見つかる。そうなれば全滅だ』
 そう言われた母親たちはうな垂れた。水や食糧も足りず、子供たちの衰弱も明らかになっていく中、ついには『置き去り』にされる子が出るようになった。
 森はその後、ソ連軍によって拘束され、収容所へと送られた。収容所でも飢えと寒さにより、多くの人々が息絶えていった。若い男性は労働力として次々にシベリア送りとなったが、森は屋根裏に隠れるなどして『男狩り』から身を守った。生きて帰国できたのは、まさに奇跡であった。
 別離と再会
 ……
 相次ぐ婦女子暴行事件
 満州各地で凄惨を極めたのは、やはり『女狩り』であった。
 被害者数などに幅はあるものの、満州国吉林省の敦化(とんか)という町では、ソ連軍兵士によって約百七十名の日本人女性が日満パルプ製造敦化工場の社宅内に監禁された上、集団強姦された。抵抗する者は次々と射殺された。陵辱が昼夜に及ぶ中、二十名以上の女性が青酸カリを服毒して自決した。
 公主嶺(こうしゅれい)という町の駅では、発車直前の列車がソ連軍によって襲撃された。車内の女性はプラットホームに降ろされ、集団暴行の餌食となった。白昼、夫や子供たちの目の前で、多くの女性が強姦された。
 熱河省の承徳という町でソ連軍の俘虜にされた邦人男性たちは、列車で抑留先のモンゴルまで送られることになった。列車が途中のハルビン駅に停車していた際、一人のソ連兵が車両に近づいてきて、『ユルシテ、ユルシテ』と片言の日本語を使い、日本人女性を強姦した際の様子を得意げに再現し始めた。邦人男性たちは、あまりの屈辱と無念に顔を歪めた。その中の一人、斎藤由信は声を震わせながらこう語る。『本当に悔しくて、戦争に負けるとはこういうことなのかと思い、ただただ絶望しました』
 新京の病院に入院していた平本直行は、強姦の被害に遭った日本人女性が次々と搬送されてくる光景を目撃。手記にこう書き残している。
 〈12、3の少女から20ぐらいの娘さんが十名程タンカに乗せられて運ばれていた。(略)その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがけつつ声を出しているようだが聞きとれない。次の女性はモンペだけをはぎとられて下の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったあら死んでいるのかもしれない〉
 日本人女性を暴行したのは、ソ連軍兵士だけではない。満州国の徳都県で暮らしていた所みゆきは次のように綴る。 
 〈ソ連兵の姿が見えなくって三十分ほどすると、満人の暴徒の一団が、私たち婦女子に襲いかかり、暴行を受けることになり、その惨状はまた実に言語に絶する修羅場と化した〉(『平和の礎 海外引揚者が語り継ぐ労苦 Ⅵ』)
 先の大戦において、女性を本当に『性奴隷』としたのは、一体どこの国の人々なのか。決して許されることのない国際犯罪である。
 今回のロシアによるウクライナ侵略におけいても、性犯罪の実態はいまだ不明である。戦場における性犯罪は、その実態が明るみとなるまで時間がかかる傾向がある。言語を絶する惨劇が陰で起きている可能性を否定できない。
 虐殺の真実を語り継ぐ
 満州はあまたの日本人の血と涙を吸った『大虐殺の地』と化した。広大な満州の大地には、いまだ多くの日本人の御遺骨が眠ったままになっている。
 しかし、この『満州大虐殺』について、ロシア国民は真実を何も知らない。また、中国では話が完全に裏返しとなり、『満州は日本人が非道を重ねた地』として教育されている。
 百歩譲って『加害者』であるロシアや中国がこのような歴史を隠蔽するのはある種の必然なのかもしれない。しかし、『被害者』である日本でも語り継がれていないという現状は、世界的に見ても稀有な状態である。国内の自称『人権派』や『フェミニスト』も、この点についてほとんど指摘しない。
 これこそが占領期を通じて戦後日本に課せられた『ねじれ』と『偏向教育』の象徴的な姿と言ってよい。しかし、戦後75年以上が過ぎた今、我々は史実を丁寧に積みあげた上で、真実を見定める必要があるのではないだろうか。
 史実を知らなければ、犠牲者に哀悼の誠を捧げることさえできない。」
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 沖縄などの太平洋戦線では、生き残った日本人女性はアメリカ兵士専用慰安所に入れられ、数多くのアメリカ人兵士の相手をさせられた。
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 満州南樺太の大陸戦線では、ロシア兵士や中国人暴民達は生き残った日本人女性を好きな時に女狩りをおこない、強姦し、そして殺害していた。
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 中国人は、「仇を徳で返す」優しい人であるは大嘘で、「徳を仇で返し」が正しい。
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 昭和7(1932)年 ソ連コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
 「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
 日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を惨殺して大虐殺を伴うロシアのような共産主義暴力革命を起こすべく活動を本格化させた。
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 三十二年テーゼ
 1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為に付け狙っていた。
 日本人共産主義者とは、反天皇反民族反日本であり反宗教無神論である。
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 敗戦国=敗者は、戦争犯罪者として如何なる国際法の保護も受けられない。
 戦勝国勝利者は、敗戦国に対する生殺与奪の権を含む全ての権限が与えられ、敗者から人権・人道・人命さえも剥奪した。
 白旗を掲げての武装解除・停戦・休戦・投降・降伏は、戦勝国勝利者が認めてはじめて成立するのであって、敗戦国=敗者の提案・申告・表明では成立しない。
 それが、国際法戦時国際法の実態である。
 国際司法機関は、戦勝国勝利者の権利の為に存在し、敗戦国=敗者の権利を否定し切り捨てていた。
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 世界を繫ぎ止めている信用・信頼の裏は、非情・冷酷・残酷で、信義も道義もなく、国際社会は弱肉強食と強欲で、平和と正義を愛する諸外国などどこにもなかった。
 そこには、正直と素直と人が好いだけでは、生きられない、生き残れない厳しい現実が存在していた。
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 ロシア人は中国人や朝鮮人同様に、遭難して死ぬ所を助けてもらいながら感謝の言葉を言わないどころか恩を仇で返して恥じない、恩知らずで、助けがいのない薄情な人間達である。
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 歴史的事実として、軍国日本は敗戦までに幾度も海難事故に遭ったロシア人遭難者を助けたが、ロシア人一般市民に対する人の道に恥じるような犯罪行為はなかったとは言わないが、他国に比べて少なかった。
 日本国内での日本人による外国人に対する暴行・殺害は、日本の歴史上において江戸末期の攘夷による天誅事件以外にない。
 それが偏見と差別の対象であった中国人や朝鮮人でも同様でった。
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 現代日本戦後民主主義教育における歴史教育は、天皇戦争責任論と軍国日本罪悪史観から日本軍の残虐事件を本当とウソを混ぜこぜにして事細かに子供達に教えても、アメリカ軍はもちろんソ連軍・ロシア人共産主義者中国共産党ファシスト中国が実際に行った非人道的な虐殺事件を隠蔽して歴史から消し去っている。
 軍国日本、昭和天皇や軍部・陸軍・A級戦犯達が行った人道貢献や平和貢献を、現代日本は無視し、国際社会は一切評価しない。
 それが、靖国神社問題である。
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 ロシア人共産主義者による日本人虐殺は、江戸時代後期から日本人が抱いてきた外国の軍事侵略の恐怖であった。
 それが、宗教侵略からイデオロギー侵略に変わっただけである。
 それ故に、日本が戦った戦争とは全て積極的自衛戦争であった。
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 日米軍が激戦を繰り広げた沖縄戦における女子供の一般市民の犠牲者は、戦場を逃げ回って起きた悲劇であった。
 ソ連軍の侵略による満州南樺太における女子供の一般市民の犠牲者は、難民として避難途中で起きた悲惨であった。
 アメリカ軍による一般人殺害とソ連軍による一般人殺害は意味合いが違い、ソ連軍・ロシア人兵士の日本人殺害は戦時国際法上の人道に対する罪として「虐殺」と認定できる。
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 ソ連軍が北方領土4島を占領し北海道を占領できなかったのは、日本軍が武装解除して戦闘・抵抗をせず降伏したからではなく、アメリカ軍が先に北海道に上陸し進駐支配たからである。
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 日本陸軍関東軍は、ヨーロッパとシベリアの軍事情報からソ連軍の侵攻日は分からないが近日中である事を知っていた。
 日本軍部は、真珠湾奇襲攻撃を事前に探知できなかった情報軽視のアメリカ政府やアメリカ軍とは違っていた。
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日露戦争。世界ゼロ次世界大戦。
 1900年7月 アムール川黒竜江)事件。ロシア人兵士が清国人(満州族)約2万5,000人を虐殺した。
 日本の世論は緊張し、反ロシア大集会が日本各地で開かれるに至った。ロシアは次に朝鮮を蹂躙して日本へ侵略してくるに違いない、というのが世論の見方であった。
 そして、日露戦争は不可避となった。
2017-08-15
💖5)─1─金沢の市民は、日露戦争で身内をロシア軍に殺されたが、怨みを忘れてロシア人兵士捕虜の面倒を見た。~No.14・ @ 
2021-02-15
💖5)─2─日露戦争習志野の捕虜。~No.15 
2018-01-24
💖5)─3─明治の日本人は、撃沈したバルチック艦隊の特務艦イルティッシュ号から敵兵235人を救助した。~No.16No.17・ @ 
2021-09-01
💖5)─4─日露戦争で沈没の輸送艦、映画に 「イルティッシュ号の来た日」。~No.172017-08-17
💖7)─1─日本人軍国主義者は、シベリアのロシア人戦災児童約800人をロシア人共産主義者から救出した。~No.30・ @ 
2021-02-11
💖7)─2─ロシア人避難学童救出活動と日本シベリア派遣軍諜報機関。~No.31No.32No.33 
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2021-05-21
🎹34:─3─インディギルカ号遭難事故、ロシア人遭難者を助けた日本人、感謝しないロシア人。1939年9月~No.221 ㉛ 
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☭10」─3─ロシアのポグロム、ロシア人によるユダヤ人虐殺に日本人は恐怖した。~No.30No.31 ⑨ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 ロシア(ロシア人・ロシア正教)は、宗教的白人至上主義の人種差別主義でユダヤ人など非白人非キリスト教徒異民族を「神の御名」によって大虐殺していた。
 ロシア人から見れば、日本人は虐殺しても罪に問われる事がない野蛮人・未開人であった。
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 弱小国日本は、ロシアの軍事侵略とキリスト教会の宗教侵略から天皇・国・民族と歴史・文化・伝統そして宗教・言語を大軍大艦隊の武力で守る為に近代的軍国主義政策を採用した。
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「ポグロム」の解説
 ポグロム
 погром/pogrom ロシア語
 集団的な略奪、虐殺、破壊行為をさす語で、一般にユダヤ人に対する集団暴力事件をいう。民衆の反ユダヤ感情は近代に入ってもヨーロッパの東西を問わず根強いものがあったが、帝政ロシアでは官憲当局自体が反ユダヤ感情の現れを抑止しないばかりか積極的に利用し、使嗾(しそう)すらしたので、その種の事件は激烈、過酷な形をとった。とくに、皇帝アレクサンドル2世暗殺(1881)の衝撃を直接の契機とする1881~84年の事件と、民衆運動の高揚、第一次ロシア革命(1905)を背景とする1903~06年の事件が、大規模なものとして知られている。また、十月革命後の内戦期に反革命勢力が引き起こしたこともある。ポグロムは中世以来の宗教的偏見を土台とし、激化する階級対立のなかでユダヤ人がスケープゴートとされた悲劇であるが、アメリカへのユダヤ移民の顕著な増大、近代シオニズムの成立など、ユダヤ人社会に及ぼした影響も大きい。
 [原 暉之]
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国
 講談社選書メチエ
 イスラエルノキゲンロシアユダヤジンガツクッタクニ
 著:鶴見 太郎
 「イスラエル」は、どんな国でしょうか? 中東でよく戦争をしている、小国だが強大な軍事力をもっている、と思う人もいるでしょう。一方、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』(1993年)を思い出しながら、長らく迫害されてきたユダヤ人がナチスによるホロコーストの末、ついに作り上げた国と考える人もいるかもしれません。
 迫害されてきたかわいそうなユダヤ人が念願かなって作った国、しかしアラブ人(パレスチナ人)を迫害している攻撃的な国――このような対極的なイメージは、いかにして生まれてきたのか。本書は、この謎に迫ります。
 ホロコーストイスラエル建国の大きな後押しになったことは間違いないとしても、そのことはイスラエルの軍事的な志向性を説明しません。さらに歴史を遡ると、19世紀後半からユダヤ人が変化していったこと、それが「国家」による自衛を求める動きにつながっていったことが明らかになります。そこで重要な役割を演じたのが、ロシア人でした。
 その具体的な動きを追っていくために、本書はまずロシアのリベラリストに注目します。民族の自由を訴え、それゆえユダヤ人の同化にも反対したマクシム・ヴィナヴェル(1862-1926年)の活動を追っていくとき、パレスチナユダヤ人国家を作ることを目指すシオニズムに共鳴したユダヤ人の中にも同じ主張をもつ者がいたことが分かります。その典型は、ダニエル・パスマニク(1869-1930年)に見られるものです。
 ところが、1880年代にロシアで「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人への迫害が始まると、ユダヤ人的側面とロシア人的側面を共存させていたロシアのユダヤ人たちは、徐々にユダヤ的側面に特化していきます。そのときユダヤ人たちがもったのが、ロシアの近代化に寄与してきたユダヤ人は「西洋的」だが、ロシアはそれに対立する「東洋的」な性格を持ち続けている、という認識でした。「東洋的」なロシアによって「西洋的」なユダヤ人が苦境に陥ったとき、「西洋的」な国家はユダヤ人を助けない──その経験は、やがてイスラエルが建国され、アラブ人の暴動が起きたとき、同じ構図をユダヤ人の中に想起させるのです。
 『ロシア・シオニズムの想像力』で高い評価を受けた気鋭の研究者が巨大な問いに挑む渾身の論考。現代世界を読み解く手がかりが、ここにあります。
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 ホロコースト百科事典
 ポグロムというロシア語は、「破滅させる、暴力的に破壊する」という意味を持っています。 歴史的にこの言葉は、ロシア帝国ユダヤ人以外の市民が地元のユダヤ人に対して行う暴力的な攻撃を意味します。 ポグロムと分類される最初の事件は、1821年のオデッサにおけるユダヤ人に対する暴動でした。1881年から1884年にかけて、アレクサンドル2世の暗殺に続き、ウクライナとロシア南部で広範囲に行われた反ユダヤ暴動によって、「ポグロム」という用語が一般的に使用されるようになりました。 ホロコースト時代のドイツと東欧では、ロシア帝国時代のように、ユダヤ人に対する経済的、社会的、政治的な反感が伝統的な宗教的反ユダヤ主義を強化しました。 これはポグロムの口実となりました。
 ポグロムの実行者は、ときには政府や警察に奨励されながら、地元で組織を編成しました。 彼らはユダヤ人に対して、強姦や殺害、所有物の略奪などを行いました。 内戦とそれに続く1917年のボルシェビキ革命中、ウクライナ国家主義者、ポーランド当局者、赤軍兵士などはすべて、ベラルーシ西部とポーランドのガルシア地域(現在の西ウクライナ)でポグロム的な暴力行為に加担し、1918年から1920年にかけて何千人ものユダヤ人が殺害されました。
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 ポグロム(погром、パグローム)とは、ロシア語で「破滅」、「破壊」を意味する言葉である。特定の意味が派生する場合には、加害者の如何を問わず、ユダヤ人に対し行なわれる集団的迫害行為(殺戮・略奪・破壊・差別)を言う。
 歴史的にこの語は、ユダヤ人に対して、自発的計画的に広範囲に渡って行われる暴力行為と、同様な出来事について使われる。ポグロムは標的とされた人々に対する物理的な暴力と殺戮を伴っている。
 概要
 13世紀のカリシュの法令によって権利および安全をシュラフタ(ポーランド貴族)およびポーランド王の庇護のもとに保障されたことから、ユダヤ人はポーランドに集まり生活していた。
 1543年にプロテスタント運動の創始者の一人であるマルティン・ルターが著書『ユダヤ人と彼らの嘘について』においてユダヤ人への激しい迫害及び暴力を理論化し熱心に提唱した。
 17世紀ウクライナ・コサックのフメリニツキーの乱で起こったポグロムはその犠牲者の数で最悪のものとなった。
 1795年の第三次ポーランド分割によりポーランド・リトアニア共和国が完全に消滅してその東部(旧リトアニア公国領)がロシアに併合された。もはや消滅したポーランド国家による庇護を受けることができなくなったポーランドリトアニアユダヤ人はハプスブルク家に庇護を求めたが、ウクライナ人・ベラルーシ人には裏切り行為と受け取られた。
 1819年、ドイツのヴュルツブルクポグロムが発生すると瞬く間にドイツ文化圏の全域に大規模な反ユダヤ暴動が広まった(ヘプヘプ・ポグロム)。1821年(以降1905年まで複数回)、ロシアのオデッサで勃発した(オデッサポグロム)。
 19世紀後半になると、主に旧リトアニア公国の領域(ベラルーシウクライナモルドヴァ)で、ウクライナ人・ベラルーシ人農民、コサックなどの一揆の際にユダヤ人が襲撃の巻き添えとなった。1881年にアレクサンドル2世が暗殺されると、ロシア各地で反ユダヤ主義ポグロム(en、1881年-1884年)が起きた。このポグロムは数年にわたって続き、主にユダヤ系の町人、商人などの下層民が被害にあった。後にはロシア帝国をはじめ各国でユダヤ人殺戮のポグロムが盛んに行われた。
 1905年、ロシアのエカテリノスラフにおけるポグロムで犠牲になったユダヤ人の子供たち
 帝政ロシア政府は社会的な不満の解決をユダヤ人排斥主義に誘導したので助長されることになった。1903年から1906年にかけての度重なるユダヤ人襲撃はユダヤ人の国外脱出の引きがねとなりシオニズム運動を招くことになった。第二次世界大戦でもポーランド東北部の村落を中心にユダヤ人がソ連および赤軍と密通しているとの疑いを掛けられ、時にはポーランド人やウクライナ人などナチス・ドイツ支配下に置かれた民族によってポグロムが起こされている。その代表的なものにイェドヴァブネ事件が挙げられ、数百人のユダヤ教徒の村人たちが近隣のキリスト教徒に殺された。ユダヤ教徒の住民の一部は実際にソ連側と密通していたとされているが、罪のない住民も同様の疑いを掛けられて巻き添えとなった。
 このような暴動を起こす人物は「理性をなくした、へべれけに酔っ払った農民」だという者もいるが、実際には計画的、組織的に徹底して行われた。
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💣18」─1─ロシア人兵士の残虐性はソ連時代でも帝政ロシア時代でも変わらなかった。~No.62No.63No.64 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 大陸人である、ロシア人・中国人・朝鮮人の考え方から行動まで似ている所が多い。
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 2022年7月号 WiLL「殺戮・強姦・略奪 ウクライナ激戦地の凄惨
 カメラはペンより強し──戦場の残酷な現実から目を背けるな!
 門田隆将 宮嶋茂樹
 神から見放された
 ……
 『ロシア兵を許せ』
 ……
 死と隣り合わせの日常
 ……
 宮嶋 3月中旬には軍事演習場が、3月下旬には燃料施設と修理工場がロシア軍のミサイル攻撃を受けました。私がいた頃も、空襲警報が鳴り響き、市民が防空壕に避難することがあった。
 門田 つねに『死』と隣り合わせの日常を送っている。
 宮嶋 一般市民も参加できる『領土防衛隊』という組織があります。リビウでは、領土防衛隊の訓練場も取材しました。皮肉にも、かつて『ロシア文化センター』だった建物に訓練施設が入っている。
 門田 来(きた)るべき戦いに備えて自主的に訓練を受けているわけですね。
 宮嶋 なにせ相手は、国際条約も国連決議も通じない凶暴な連中です。戦争に敗れれば命も財産も家族も、そして祖国そのものが奪われてしまう。『祖国を守るため』『自由と平和のため』といった大義がなくとも、自分の身を守るために銃を手に取る必要があります。
 門田 国民総動員令が発令されたので、18歳から60歳までの男性は全員、ウクライナに残って戦わなければならない。他方で、女性は国外に避難しても構いません。とはいえ、ウクライナに残る女性も多かった。
 宮嶋 老若男女問わず全員が、祖国のために何ができるかを考えていました。……
 門田 軍隊だけでなく、一般市民の士気も驚くほど高いわけですね。
 宮嶋 ウクライナ国民の『静かな怒り』は、これまでの戦場取材では見られないものでした。独裁国家と民主主義国家の違いかもしれません。
 例えばイラクの軍人はかつて、『サダムのために血の一滴まで捧げる』などと言っていました。北朝鮮なら、『将軍様の指導に従い、敵の血で大地を染めてやる』といった仰々しいスローガンを掲げるでしょう。しかし、『ゼレンスキーのために戦う!』と息巻くウクライナ人は皆無。殺(や)らなければ殺られてしまう──。だからこそ戦っているんです。
 軍隊の『正義』と『悪』
 ……
 サイコパスの犯罪
 門田 ウクライナ軍の必死の抵抗によって、侵攻から1カ月が経ってもロシア軍はキーウを制圧できなかった。3月末には猛反撃の末、ウクライナ軍がキーウ周辺のイルピンやブチャを奪還。侵攻開始の翌日にロシア軍が占領したブチャは、約1カ月にわあってロシアの支配下に置かれました。その間、ロシア軍が行っていた『蛮行』は写真と映像で世界中に伝えられ、人々を驚愕させた。
 ブチャの惨状を視察したゼレンスキー大統領は、『ロシアはジェノサイドを犯した』と非難している。宮嶋さんもブチャが奪還された直後、現地を訪れましたね。
 宮嶋 ゼレンスキー大統領がブチャを視察した翌日、私はプレスツアーに参加しました(4月5日)。ウクライナ軍が先導して、各国メディアを乗せたバスが後をついていくというもので。『潜入取材』でも『独占取材』でもない。希望すれば、国籍を問わず誰でも参加できます。にもかかわらず、日本の新聞記者の姿はありませんでした。普段は『人権』だの『平和』だの騒いでいる日本の新聞・テレビは、この虐殺現場にこそ行くべきです。
 門田 ブチャに足を踏み入れて、まず何を思いましたか。
 宮嶋 少し道を外れたら、どこに地雷が埋まっていてもおかしくない。恐怖はありましたが、ブチャに着くと悲惨さが恐怖を上回ってしまった。道端には、ロシア兵の死体からはぎとった迷彩服や手足がゴロゴロ転がっていました。ウクライナは気温が低いので、さほど腐臭はしなかった。その代わり、煤(すす)とガソリンの匂いが街中に充満していました。ロシア兵は市民を殺した後、証拠隠滅のためにガソリンをかけて死体を焼いてしまう。
 門田 ロシア軍が撤退した後、ブチャでは多数の民間人の遺体が路上に放置されていたり、集団埋葬されたりした状態で見つかりました。ブチャ近郊のモティジンでも、村長とその家族が手足を縛られた状態で殺され、庭の井戸に捨てられた状態で発見されました。
 宮嶋 通りという通り、家えという家から遺体が見つかっています。私が目撃したのは、6人の焼死体です。女性2人と子供4人が服を剥ぎとられて、ごみと一緒に燃やされていました。
 門田 焼死体なので、身元はわからないわけですか。
 宮嶋 女性は身体が半分くらい焼けた状態だったので、かろうじて性別がわかりました。しかし、子供は丸焦げで性別すら判別できない。
 さすがの私も、6人の焼死体を目の当たりにして顔をしかめてしまった。『ロシア軍はここまでやるのか』と。同時に、カチンの森を思い出して、妙に納得してしまいました。男性や子供は即座に殺され、女性は強姦されたうえで殺されてしまう。最後にガソリンを撒いて焼き、自分たちの『蛮行』がバレないよ証拠隠滅する。
 門田 要するに『サイコパスの犯罪』ということですね。無抵抗な市民を銃で脅し、拷問し、レイプして殺害する──。これは普通の人間にできることではありません。他人の痛みを感じない『冷情性の精神疾患』を持つ人間の集団が、ロシア軍だということ。彼らにはカチンの森事件満州の葛根廟(かっこんびょう)事件(注)をはじめ、多くの前科がある。
 (注)1945年8月14日、満州国興安総省の葛根廟付近で日本人避難民約千数百人が攻撃され、千人以上が虐殺された事件。
 ウクライナ忠犬ハチ公
 門田 宮嶋さんはキーウ近郊のマカリウも取材された。マカリウといえば、『ウクライナ忠犬ハチ公』こと秋田犬の『リニ』。宮嶋さんはリニの姿もカメラに収めている。
 宮嶋 ロシア軍の支配下に置かれた3月中旬、タチアナさんという主婦の女性が性暴力を受けて殺害されました。ロシア軍で最も残忍といわれるチェチェン部隊の兵士が、装甲車ごと塀を破って家に侵入。チェチェン兵士はタチアナさんを近所の空き別荘地に連れて行き、強姦した。最終的に喉を掻き切って殺したそうです。
 ……
 門田 タチアナさん殺害犯が、なぜチェチェン人だとわかったのですか。
 宮嶋 『犯人』はタチアナさんを殺した後、隣家にも侵入して若夫婦と母親を連れ去り、強姦しようとした。ところが、指揮官に止められたそうです。夫人と母親は解放されてものの、夫が帰ってくることはなく、後に殺害されたことが判明した。
 ……
 門田 ウクライナ親日国ですからね。ウクライナ人は『日本の国旗をえがける?』とユーチューブで聞く映像を見たことがありますが、ほぼ全員が日の丸を知っていて描きました。アニメや漫画など、日本文化の人気も影響しているんでしょう。
 宮嶋 若者を中心に、日本文化は広く親しまれています。もう一つが、ロシアをめぐる歴史の共通点、私が日本人だと自己紹介すると、『ところで日本はクリルをいつ奪還するんだ?』と尋ねられる。クリルというのは、北方領土と千島列島のロシア側の呼称です。
 ウクライナは8年前、クリミアを奪われました。クリミアとクリルはどちらも頭文字が『K』だから覚えやすい。『K』を奪われた者同士、他人事とは思えないようです。
 門田 『いつ奪還するんだ?』という質問には、どう返答したのですか。
 宮嶋 『今の政権では難しそう』と本音を漏らせば失望させてしまうので、『近い将来』とごまかすしかなかった。情けない限りです。
 最後まで戦い続ける
 門田 ウクライナ侵攻が始まって以降、日本では様々な言説が聞かれました。フェイク情報をもとにロシアを擁護する政治家や、ウクライナに降伏を勧める弁護士まで、こうした奇妙な言論、ウクライナにいた宮嶋さんの耳にも届いていましたか。
 宮嶋 橋本徹氏がワイドショーで何か発言するたびにネットニュースが流されます。『ウクライナは降伏しろ』だの『ロシアに妥協しろ』だのと吠えているのは、こちらにも漏れ伝わってきました。そんなことを戦場で言ったら、鼻で笑われて終わりです。とはいえ、橋下氏の主張が日本でも猛批判を浴びていると知ってホッとしました。
 門田 『ロシアには絶対負けない。最後まで戦い続ける』というウクライナ人の声を聞けば、橋下氏の『降伏論』『妥協論』がいかにトンチンカンかがわかる。でも、日本のメディアは現地の声を報じません。 
 宮嶋 リベラル左派は戦争の話題になると、『話し合いで解決すべき』と綺麗事を並べます。さらに、『戦争で犠牲になるのはいつも弱者、つまり女性や子供たちだ』とも。
 ですが、プーチン大統領は話の通じる相手ではない。しかも、ウクライナの女性は口を揃えて『祖国のために戦い続ける』と言っている。イラク戦争湾岸戦争など、米国が行う戦争には猛反対していた日本の『知識人』たちは、ウクライナ侵攻ではおとなしかったですね。
 門田 今回、ウクライナで現地取材する日本の左派系ジャーナリスト、カメラマンは少なかった。
 宮嶋 都合のいい『画』が取れないからでしょう。
 カメラはペンよりも強し
 ……
 宮嶋 地方紙といえば4月上旬、沖縄の米兵が『琉球新報』の記者に銃口を向けたと非難を浴びせました。基地フェンスの外から訓練を撮影していた記者を、米軍が警戒するのは当然です。しかも、銃に弾は入っていません。
 このニュースが『琉球新報』の一面に掲載されたとき、私は砲弾が飛び交うキーウにいた。怒りを通り越して呆れてしまいましたよ。『お前ら、どれだけ平和やねん!』と。
 門田 お花畑の政治家とマスコミにガツンと言ってやってください。
 宮嶋 日本はロシアと中国、きたちょうせんという3つの核保有国に囲まれている。この3ヵ国は日本の歴史や文化、日本人の命なんて屁とも思っていない。日本人が武器を持って戦わなければどうなるか。今日のウクライナは明日の日本。ブチャと同じ惨劇が、私たちの故郷でも起きかねないです。
 門田 カメラはペンよりも強し。写真ほど戦争の悲惨さを訴えるものはない。
 宮嶋 『戦場に来い!』とは言いません。でも、戦場を見てきた者にも耳を傾けてほしい。そして何より、写真を見ていただきたい。そこに映る残酷な現実から目を背けてはなりません。」
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 日本民族には、ロシア人・中国人・朝鮮人は理解できず思わず目を逸らしたくなる所が多々ある為に、知れば知るほど敬して遠ざけ、隣国とは言え頻繁に往来して親しくつき合う事をなるべく避けてきた。
 昔の日本人は、現代の日本人と違って、隣人であるロシア人・中国人・朝鮮人と幾ら話し合ってもしょせん分かり合えない事を知っていた。
 ロシア人・中国人・朝鮮人の話す言葉にはウソが多く、それを信じる者は馬鹿であるが、その馬鹿が日本人には多い。
 馬鹿な日本人とは、親ロシア派、親中国派や媚中派、親朝鮮派である。 
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 ロシア軍は、ロシア人だけの軍隊ではなく、ロシア国内に住みロシア国籍を持った全ての少数民族からの寄せ集め軍隊である。
 寄せ集めの軍隊と言えば、中国軍も同じ寄せ集めの軍隊で、中国人兵士と言ったも出身地によって言葉が通じなかった。
 対して、日本軍は日本人だけの軍隊で方言があったとしても言葉が通じていた。
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 日本の理想的平和主義・憲法九条は、領土拡大の侵略戦争を起こす好戦的なサイコパス独裁者には通用しない。
 それは、ウクライナ戦争を見れば一目瞭然である。
 話せば解り合える、はウソである。
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 日本国内には、侵略軍が日本に攻めてきたら抵抗せず、武器を置き、友達として酒を酌み交わして語り合うと、真顔で答える日本人がいる。
 人を殺すのが嫌だからむしろ殺されたい、と発言したリベラル派・革新派そして一部の保守派の政治家がいた。
 そうした戦争反対の理想的平和主義を信奉する政治家を当選させ、一定の政治勢力を作る事を容認する日本人が少なからず存在している。
 メディアは、そうした政治家や政治勢力を絶賛して報道する。
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 現代日本の中には、軍事や経済の力が支配する生の現実世界が理解できず、日本の歴史はおろか世界の歴史・人類の歴史さえも理解できない日本人が存在し、その傾向は高度なはずの歴史教育を真面目に受けてきた賢く優れた高学歴な知的エリートや進歩的インテリに多い。
 そうした日本人の中に、護憲派人権派、理想的平和主義者、憲法九条信仰信者、非武装中立派などが多く存在している。
 彼らが、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、学者・教育者となっている。
 そして、彼らには昔の日本人が持っていた民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、普遍的知識として地球規模の人類史の地政学、国家学、戦争学、平和学、その他諸学を持っていない。
 その証拠が、新型コロナ禍とウクライナ戦争を見すえた2022年の参議院選挙である。
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 東条英機は、東京裁判で戦争を始めた責任を問われた時、「戦争とは相手がある事だから」と日本が一方的に悪いとは言えないと、戦争責任を日本に押し付けようとする悪意ある論調に抗議を込めて弁護した。
 東条英機は、東京裁判が勝者・連合国による敗者日本に対する報復裁判で自分の有罪・死刑は確定している事を知っていたので、戦争を始め戦争に負けた罪を認め上で、命を犠牲にしても昭和天皇と日本国と日本民族の名誉を守る為に主張すべき所を主張し、感情的ならず論理的に激論を交わし法廷闘争を行った。
 東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達は、昭和天皇の御意思・御稜威・大御心を推察し、ソ連から逃げて来たポーランドユダヤ人難民を保護し、ナチス・ドイツと日本人の親独派、右翼・右派、反ユダヤ主義者、人種差別主義者らが実行しようとした上海ホロコーストを阻止して、陸軍管轄の上海ゲットーに収容していたユダヤ人数万人を敗戦まで守り通した。
 それが、A級戦犯達が祭神として祀られている靖国神社の志、精神である。
 現代の日本人には靖国神社の日本の心、日本精神・大和魂が全くない為に、A級戦犯達が自己犠牲として行った歴史的人類的人道貢献を行わないどころか、拒絶する。
 それが、現代日本における靖国神社問題の本質である。
 そして、政治家、官僚、法律家・弁護士、メディア関係者、教育関係者は、昭和天皇肖像画写真を燃やして踏みつける映像を現代アートとして認めて世界に広め、昭和天皇A級戦犯達が行った人道貢献や平和貢献を否定している。
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2018-08-30
🎄5」─1─東方系ユダヤ人虐殺とロシア皇帝アレクサンダー2世暗殺。ベルリン国際会議とアフリカの分割ルール。清仏戦争。1880年~No.14No.15No.16 @ ②
   ・   ・   ・   
2018-09-02
🎄9」─1─ロシアから始まった戦争の世紀。ロシア帝国ユダヤ人虐殺。ロシア領の東方ユダヤ人による西への大移動。1900年~No.26No.27No.28 @ 
   ・   ・   ・   
🎄19」─3─新生ポーランドウクライナ侵略。東方系ユダヤ人の東方大移動。新たな戦争への始動。1918年11月12日~No.68No.69No.70 @ 
   ・   ・   ・   
ソ連の軍事力。
2017-09-15
☭2」─1─世界第二位の軍事力、ソ連軍・極東軍。レーニンの対日謀略。カンチャズ島事件。張鼓峰事件。1937年~No.2No.3No.4・ @ ① 
   ・   ・   ・   
歴史修正主義
2018-08-13
☭3」─1─歴史修正主義ノモンハン事件の真相は闇の中である。~No.5No.6No.7・ @ ② 
   ・   ・   ・   
ロシアの東方侵略。
2017-09-16
☭4」─1─ロシアは日本に向けて侵略を開始した。ピョートル1世(大帝)。アイヌ人の反乱。日本領北方領土日本海アイヌ問題。1543年~No.8・ @  
2022-06-18
☭4」─2─ロシアは親露派アジア人を使ってアジアに領土を拡大した。~No.8 ③ 
   ・   ・   ・   
田沼意次蝦夷地・北方領土開発計画と対ロシア交易計画。
2022-05-07
☭5」─1─田沼意次蝦夷地・北方領土探索隊。立原翠軒の国難警告。米英露による北太平洋航路探検競争。1738年~No.11No.12No.13 * ④ 
   ・   ・   ・   
文化露寇事件。
2022-05-06
☭6」─1─文化露寇事件。徳川幕府はロシアの侵略から日本を守る為に東北諸藩に出兵を命じた。1807年~No.14No.15No.16 * ⑤ 
   ・   ・   ・   
 徳川幕府は東北諸藩に北方領土蝦夷地の防衛出兵(約4,000人)を命じた。
   ・   ・   ・    
徳川幕府の対露防衛戦略。
2022-05-20
☭7」─1─幕末動乱の原因は徳川幕府倒幕派の対露防衛戦略体制選択の内戦であった。~No.17No.18No.19 * ⑥ 
   ・   ・   ・   
ロシアの侵略に対する水戸学・尊皇攘夷
2022-05-28
☭8」─1─バルチック艦隊を撃滅した海洋戦略思想は水戸学の『新論』にあった。幕府海軍。本土決戦思想。~No.20No.21No.22 * ⑦ 
   ・   ・   ・   
対馬事件と討幕。
2022-05-29
☭9」─1─対馬事件。尊王攘夷派はロシア軍将校と水兵を襲撃した。ロシア軍艦による対馬武力占拠と租界要求事件。1854年~No.23No.24No.25 * ⑧ 
   ・   ・   ・   
ロシア人によるアジア人・ユダヤ人虐殺。
2017-09-23
☭10」─1─ロシアは、太平洋への道を切り開くべく日本へ軍隊を派遣した。アムール川虐殺事件。キシニョフ虐殺。1867年。~No.26No.27No.28・ @ 
2019-07-23
☭10」─2─日露戦争は日本にとって正しい戦争であった。アムール川虐殺事件。キシニョフ虐殺。~No.29No.30No.31・ ⑨ 
   ・   ・   ・   
日露戦前のロシア国内。
2021-01-31
☭11」12」─1─コディンカ(ホディンカ)広場の惨劇と日露戦争の敗北そしてでロシア革命。~No.32No.33No.34No.35No.36No.37・ ⑩ 
   ・   ・   ・   
ロシアの対日戦準備。
2019-09-21
☭14」13」─1─日露戦争は対日露清同盟密約とシベリア鉄道建設で避けられない戦争であった。~No.38No.39No.40No.41No.42No.43・ ⑪ 
   ・   ・   ・   
日露戦争。シベリア出兵。
2018-10-06
☭15」─1─日露戦争とロシア兵捕虜。シベリア出兵。日本海軍は、対米戦略と北樺太油田開発の為に親ソ・親共産主義方針を採用した。1903年。~No.44No.45No.46・ @ ⑫ 
   ・   ・   ・   
レーニンロシア革命
2017-12-22
☭16」─1─レーニンロシア革命を支えたロシア正教会の異端派・古儀式派。~No.47No.48No.49・ 
2022-05-08
☭17」─1─世界を震撼させたウクライナ市民の虐殺 第一次世界大戦まで遡るロシア軍兵士「残虐性」の思想。~No.50No.51No.52 ⑬  
   ・   ・   ・   
共産主義によるウクライナ飢饉。
2017-09-26
☭18」─1・A─レーニンが起こしたウクライナ飢饉。800万人~1,450万人が餓死した。ホロドモール。1921年。~No.53・ @ 
2021-09-02
☭18」─1・B─ロシア革命の成功で歴史から抹消されたボルガ川流域での餓死者約500万人。1921年。~No.53 
2021-08-27
☭18」─2─スターリンの5ヵ年計画とウクライナ飢饉。犠牲者約600万人。~No.54 
2022-04-21
☭18」─3─共産主義によるウクライナヴィーンヌィツャ大虐殺。1937年・38年。~No.55 
2021-08-28
☭18」─4─第二次世界大戦ウクライナ蜂起軍。ナチス・ドイツのバビ・ヤール虐殺。~No.56 ⑭  
   ・   ・   ・   
ロシア人共産主義者ニコライエフスク虐殺事件。
2017-09-27
☭19」─1─共産主義大義・人民の正義による2,000万人大粛清。1936年。ソルジェニーツィンニコライエフスク虐殺事件。~No.57・ @ 
2020-05-18
☭19」─2─ニコライエフスク虐殺事件処理と日露の友好。~No.58No.59No.60No.61・ ⑮ 
   ・   ・   ・   
スターリン共産主義勢力の陰謀。 
2017-09-28
☭20」─1─対ソ極秘外交文書。ソ連の対日参戦、日本共産主義化計画・天皇制度廃絶陰謀。1945年~No.62No.63No.64・ @ ⑯ 
   ・   ・   ・   
ヤルタ会談
2017-09-30
☭21」─1─ソ連の北海道強奪計画とヤルタ密約。日本は遭難したロシア・タンカー「ナホトカ号」を救助した。1945年8月21日~No.65・ @ 
2021-11-10
☭21」─2─中露海軍日本一周の意図:ヤルタ会談の密約により北海道はロシア領、沖縄を中国領に。~No.66No.67 ⑰  
   ・   ・   ・   
ロシア人共産主義者の日本人(女性や子供)虐殺。
2017-09-29
☭22」─1─ヤルタ密約は北海道東部をソ連領と認めた。看護婦集団自決事件。日本領南樺太真岡郵便電信局自決事件。日本領占守島攻防戦。1945年6月~No.68No.69No.70・ @ 
2022-02-09
☭22」─2─ロシア人共産主義者による日本人女性強姦及び惨殺事件。黒川開拓団。~No.71No.72No.73 * 
2020-06-14
☭22」─3─敦化事件。ロシア人兵士による日本人女性集団強姦、惨殺。1945年8月27日。~No.74・ 
2021-03-20
☭22」─4─樺太虐殺事件。朝鮮人虐殺の上敷香事件・瑞穂事件。日本人虐殺事件。~No.75 
2022-01-16
☭22」─5・A─日本人同士と同調圧力。ロシア人共産主義者に水商売女性を人身御供にして逃げてきた日本人。~No.76 
2022-02-10
☭22」─5・B─満州引き揚げ者(主に女性や子供)20万人以上がロシア人共産主義者によって虐殺された。~No.76 ⑱ 
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二日市保養所での堕胎。
2017-10-01
☭23」─1─満州北朝鮮からの引揚女性はロシア人、朝鮮人、中国人らに強姦され妊娠して帰国し、二日市保養所で堕胎した。水子供養碑。1946年~No.77No.78No.79・ @ ⑲ 
   ・   ・   ・   
ロシアにおける日本人(女子供)大虐殺と北方領土不法占拠正当論。
2017-10-07
☭24」─1─対日戦勝利70周年記念。ロシアは、日本人(女子供)を虐殺して北方領土を不法占拠した歴史的事実を抹消した。2015年~No.80No.81No.82・ @ ⑳ 
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2017-10-08
☭25」─1─ロシアは、戦勝国として、日本人(女性や子供)大虐殺と日本領北方領土強奪を盛大に祝う。2016年~No.83No.84No.85・ @ ㉑ 
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現代日本ソ連軍による虐殺に関心がない。
2020-10-25
☭26」─1─現代日本は「三船殉難事件」に冷淡であり関心がない。~No.86No.87No.88・ ㉒ 
   ・   ・   ・    
ソ連軍とロシア人科学者による日本人シベリア抑留者人体実験。 
2018-04-21
☭27」─1─ソ連軍とロシア人科学者は、シベリアの日本人抑留者を毒物兵器開発の人体実験で殺害していた。~No.89No.90No.91・ ㉓ 
   ・   ・   ・   
日本人シベリア抑留者(2万人以上)虐殺。
2018-06-08
☭28」─1─ソ連は日本人シベリア抑留者(2万人以上)を核兵器開発の秘密保持から殺害した、という未確認情報。~No.92No.93No.94・ @ ㉔ 
   ・   ・   ・   
サンフランシスコ講和会議と北方領土4島問題。
2017-10-05
☭29」─1─サンフランシスコ講和会議で北方領土は日本の固有領土である事が黙認された。~No.95No.96No.97・ @ 
2017-10-06
☭29」─2─ソ連(ロシア)による北方領土不法占拠を、アメリカはヤルタ極東密約は認めた。1945年2月4日~No.98No.99No.100・ @ 
2019-07-08
☭29」─3─強奪された日本領土北方4島の帰属。~No.101No.102No.103No.104・ ㉕ 
   ・   ・   ・   

💣17」─1・A─ウクライナ戦争。戦わなければ殺され、降伏すればさらに殺される。~No.59No.60No.61 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 普遍宗教の真理とは、神は自分を助ける者を助け、自分を助けない者は助けない。
 神の奇跡や恩寵・恵は、行動する者に授けられ、行動しない者には与えられない。
   ・   ・   ・   
 2022年7月号 WiLL「戦わなければころされるだけ
 独裁者・侵略者・暗殺者──戦争が証明する『英雄プーチン』の正体
 グレンコ・アンドリー
 ウクライナ戦争で改めて認識しましたが、やはり『プーチン・ロシア』は嘘つきです。『ロシアに戦争をする用意はない』と表明した1週間後に侵攻開始。ウクライナ国民を避難させるため人道回廊を設ける地雷を敷設、『軍事施設だけを攻撃している』と言いながら集合住宅や病院、幼稚園、避難所を爆撃・・・キリがないのでこれくらいで留めますが、いかにロシアが嘘つきか、発言と行動を見れば一目瞭然です。
 実際に証言もあります。
 フランスのオランド元大統領は、在任中にプーチン大統領と協議した経験から『彼は嘘をつくのが習慣だ』と明言(5月5日)。
 ウクライナ軍に保護された5人のロシア兵捕虜も自らの意思で会見(3月15日)を開き、『特別軍事作戦に関して、徴集兵がいないという、プーチン大統領の声明はすべて嘘です。彼は嘘つきで、戦犯です』『誰にも、銃を撃つなんて言われなかった』と、騙されて戦場に送り込まれた事実を涙ながらに暴露しています。
 また、興味深い話もあります。
 朝日新聞の元モスクワ支局長である駒木明義論説委員は、プーチン大統領を直接知る人物を数多く取材した経験から、ロシア大統領府が発表する写真や映像の日付は『まったく当てにならない』と指摘している。
 ウクライナ戦争についても、侵攻前の2月21日にウクライナ東部2州の独立を(一方的に)承認すると表明したテレビ演説と、その3日後(24日)に公開されたウクライナへの侵攻開始を発表したテレビ演説を比較し、どちらのプーチン大統領も服装やネクタイが同じで、演説している場所や位置まで同じに見えるというのです。
 もし両方のテレビ演説が同日に収録されたものなら、ウクライナに対する全面侵攻の筋書きは最初から決まっていたことになる。
 プーチン大統領はもとより、ロシアが嘘つきであることは、旧ソ連から独立した国の間では常識化しています。
 世界中のロシア通も『ロシアを絶対に信じるな』と口を揃えて言う。それが真実である事を、ウクライナ戦争を通じてプーチン大統領が証明してくれた。もはや国際社会において、彼の発言を信じている人はほとんど皆無に等しいでしょう。
 ……
 そして、ウクライナ全土を占領した後、今度は抵抗しない(できない)ウクライナ人を洗脳教育でロシア人化させ、抵抗するウクライナ人を殺害する。つまり、ウクライナ(人)という存在を地上から抹殺する気なのです。
 ウクライナ人は抵抗しないと思ったからこそ、プーチン大統領はクリミア併合の成功体験から、ウクライナ全土も簡単に制圧できると高(たか)を括(くく)って侵攻に踏み切った。ところが、ウクライナ人はクリミア併合後の8年間、十分な備えと覚悟をもって徹底抗戦し、戦うほどに『ロシア人になりたくない』という意識的な連帯が強まった。私もロシア人になるのは御免です。
 そして、ウクライナ軍の善戦に焦り出したロシアは、実際に抵抗するウクライナ人を虐殺し、抵抗しない市民を強制収容所へ連行し始めている・・・。
 もしロシアが勝利すれば、最終的にウクライナは巨大な強制収容所と化します。プーチン大統領ウクライナへの侵略を『正義』と考えていますから、それが彼の信念・世界観である以上、まともな話し合いはできません。
 ウクライナ併合は彼にとって通過点に過ぎません。彼の野望は、旧ソ連ロシア帝国のすべての領土をもう一度支配すること。その要(かなめ)であるウクライナを占領した次は、モルドバコーカサス諸国(ジョージアアゼルバイジャンアルメニア)、中央アジア・・・暴君プーチンの暴走を一刻も早く止めなければなりません。
 暗殺者(アサシン)としてプーチン
 簡単に暗殺を命じるのが、プーチン大統領の恐ろしいところです。
 ……
 プーチン大統領が命じる暗殺の特徴は実に残忍です。
 ……
 形式上は民主主義でも、実際は民主主義の皮を被(かぶ)った独裁国家です。
 ……
 これはロシアに限らず、中国や北朝鮮など独裁国家に共通する手法です。実際、金正恩委員長も兄の金正男氏を暗殺し、気に入らなかった叔父の張成沢氏も処刑した。習近平国家主席も同様で、だからこそプーチン大統領と習首席は、ウマが合うのです。……
 橋本徹の『譲歩第一主義』
 ……
 ただ、残念なのが、日本には主権国家大義名分もなく蹂躙(じゅうりん)する核大国(ロシア)に利する発言を繰り返す人もいます。その一つが、明らかな親ロ派です。……などの政治家のほか、保守派にも明らかな親ロ派お言論人がいます。ロシアを擁護するような殺人鬼(独裁主義者)を擁護するのと同じこと。 そのような人たちは、ハッキリ言って相手にしてはいけません。
 むしろ、問題なのはロシアを批判しながら『このまま戦うと人命が失われ、被害が広がるから降伏した方がよい』と、人道主義を装う人です。たとえ、現在は戦闘地域を中心に殺戮が行われているとしても、降伏して占領されれば全土で殺戮が行われます。降伏は人命救助に決してつながりません。
 ……
 なぜ国家が大事なのか。それは、国家が〝そこに住む民族がその民族らしい生き方を自由にできる唯一の場所〟だからにほかなりません。
 日本語や日本人の考え方(常識)が通じる、日本文化(日本食、マンガ・アニメなど)に囲まれた生活ができる、日本人の歴史や価値観を共有できる・・・日本人が日本人らしい生き方をできるのも日本国内だからこそ。日本人から日本が奪われれば、日本人として生きていく権利は他国に蹂躙され、歴史や文化を他国に強制され、亡命の結末を迎えることになる。
 もちろん外国に住むこともできますし、そこに日本町を築くこともできます。しかし、それはあくまで限定された区間だけの話で、豊かな自然も、歴史ある町並も、日本的な暮らしも、日本があった頃と同じ環境は二度とつくることはできません。
 『日本人として生きたくない』『日本人として生きることにこだわらない』という人は好きにすればいい。しかし、そうではない大多数の日本人が日本人として生きられるのは、日本国内だけなのです。
 橋下氏は『戦後レジーム』を擬人化したような人です。どんな理不尽な要求を強いられても、対立を避けるために呑んだ方がいい──そうした彼の主張は、戦後日本の弱腰外交を象徴する『事なかれ主義』そのものです。しかも、『ケンカ(戦争)を仕掛けるのは子どもじみた行為で、それを受け入れるのが大人の姿勢』と、そうした姿勢があたかも『賢い行動』のように主張する。
 もしウクライナが降伏すれば、力による現状変更が認めあれ、中国も台湾侵攻に踏み切りかねない。そのため、日本の平和を考えても、本来なら橋下氏は『降伏せよ』ではなく『撃退せよ』と主張すべきです。
 橋下氏の〝譲歩第一主義〟は、中国が反発することを懸念して首相参拝に反対する靖国問題へのスタンスにも見て取れます。ですが、首相参拝に関係なく中国は日本を批判するし、どれだけ日本が中国に配慮しても、中国は日本を虎視眈々と狙っている。
 橋下氏はロシアや独裁国家をよく理解していません。おそらく、冒頭で述べたような『ウクライナ全土を占領する』『ウクライナ人の虐殺とロシア人化を行う』といったロシアの狙いを信じておらず、理不尽な要求でも受け入れれば(譲歩すれば)独裁国家は満足する、と根本的に誤った考えに立っているのではないでしょうか。
 しかし、現実は残酷です。一度でも独裁国家の要求を呑めば、譲歩した分だけ、さらにエスカレートした要求で迫ってくる。いつまでも満足することなく、最終的にはすべてを奪われるまで独裁国家の要求に従い続けることになります。橋下氏が首相だったら、日本はすべての国土を中露に分割されるまで侵略されかねない。次期首相にふさわしい人を聞くような世論調査では、必ずと言っていいほど橋下氏の名があがりますが、これはとても恐ろしいことです。
 外交戦略上の時間稼ぎとして、交渉の継続など譲歩する素振りを見せ、その間に軍事力を強化するならまだしも、何の戦略もなく、ただ独裁国家の要求に応じたところで、その先に待つのは悲惨な末路です。日和見主義者の妄想に過ぎません。 
 自ら戦う姿勢を見せよ
 ウクライナ戦争で明らかになったのは『国際社会は自分たちで戦う覚悟のない国を助けない』ということです。
 たしかに、今回は米国がいち早く確信的な情報を入手し、ウクライナ人でさえ信じなかった頃から率先して『ロシアの軍事侵攻が本気である』と適切な情報発信をしてくれました。
 だからこそ、これまで国際社会は『(旧ソ連同士の争いだから)双方に言い分があるだろう』と干渉を避けてきたものの、今回は『ロシアに非がある』という国際世論が構築され、国際的な連携も円滑に行われています。
 そのおかげで、8年間も戦い続けてきたウクライナは全面侵攻に迅速に対応できた。
 ですが、肝心の重兵器(戦車や戦闘機など)の提供は、遅きに失した印象が拭いきれません。戦争開始直後から支援が実現していれば、ウクライナ軍も被害を最小限に抑えて善戦できたでしょう。
 提供した武器が目的通りに使用されるのか、という西側諸国の懸念も理解できます。被支援国が敗戦した場合、提供した兵器と、同時にその技術まで盗まれることになり、最悪の場合は、そうした兵器が支援国自身に向けられる可能性もあります。そうした最悪のシナリオは支援国も避けたいはず。
 実際、侵攻開始前に西側諸国が提供してくれたのは、対戦車ミサイル『ジャベリン』、対ヘリミサイル『スチンガー』が中心だった。当初、西側諸国はウクライナがロシアの大規模侵攻に敗北し、ゲリラ戦で抵抗すると予想していたので、兵士が携帯できる小型の兵器を提供したのです。
 戦争勃発後は1週間も米国からの武器提供が途絶えました。これもウクライナが1週間足らず敗戦し、武器がロシアに奪われると思ったからです。再開されたのは、ウクライナが予想外に善戦していると判明した1週間後。それでも3月上旬は、ゲリラ戦用の携帯兵器がメインで、重兵器の提供については4月に入ってようやく議論が開始された。
 今やバイデン大統領は『武器貸与法』(第二次世界大戦ナチス・ドイツと交戦中であった英国を支援するため、武器、弾薬、工業製品、食料品などあらゆる物資を支援すると定めた法律)を復活させ、NATOも重兵器を提供してくれている。
 つまり、重兵器が提供され始めたのは、ウクライナ人が一丸となって祖国を守る雄姿を見せ、ロシアを本気で撃退できるかもしれない、と西側諸国に思わせてからなのです。
 こうした一連の流れから、有事の際の国際社会の支援は、被支援国の『覚悟』と『戦いぶり』が大きく左右することを、日本は学ばねばなりません。どれほど強固な集団的自衛権の枠組みに入っていても、国際社会から最大限の支援を受けるためには、自分たちで国を守るという断固たる姿勢を見せることが必要です。国際社会は政府だけでなく、その国の国民が最後まで戦おうとしているかを注意深く見ていますから。
 世界価値観調査が行った『もし戦争が起こったら国のために戦うか』を問うアンケートでは、『戦う』と回答した日本人は、たったの13.2%。このままでは日本有事の際、国際社会はおろか、同盟国すら全面的な防衛参戦を控える可能性も否定できません。台湾有事も迫る今こそ、国際社会に〝日本人(サムライ)の覚悟〟を見せつける時です」
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 6月22日21:20 産経新聞「ドイツ製自走砲を配備 欧米の武器続々、実戦へ
 演習に参加するドイツ製の自走式155ミリりゅう弾砲=5月、ドイツ・ミュンスター(ロイター=共同)
 ウクライナのレズニコフ国防相は21日、ソーシャルメディアで、ドイツ製の自走式155ミリりゅう弾砲が配備されたと明らかにした。英国防省は21日の分析で、ウクライナ軍が欧米供与の対艦ミサイル「ハープーン」により攻撃を初めて成功させたと発表。ウクライナの要求に応じて提供された欧米製の武器が続々と実戦投入され、今後の戦況に影響を与えそうだ。
 米軍などによるフィリピン沖での軍事演習で発射される対艦ミサイル「ハープーン」=2019年(ロイター=共同)
 米軍などによるフィリピン沖での軍事演習で発射される対艦ミサイル「ハープーン」=2019年(ロイター=共同)
 レズニコフ氏は供与に謝意を表明し「十分な知識とともに100%効果的に使う」と実戦使用に自信を示した。ドイツは当初、供与に慎重だったが、その後7両の供与を表明していた。
 英国防省によると、ウクライナ軍は17日、ハープーンを使用し、黒海ロシア海軍タグボートを攻撃した。
 ボートは、ロシア軍が2月の侵攻直後に制圧し戦略的拠点としている黒海西部のズメイヌイ島に人員や武器を輸送していた。ウクライナは奪還を図っており、攻防が続いている。(共同)
 黒海要衝の島巡り攻防激化 空挺部隊で奪還試みる
 ウクライナ東部セベロドネツクの工業地域で、銃を構えるウクライナ兵=20日(ロイター=共同)
 ウクライナ東部セベロドネツクの工業地域で、味方の戦車による砲撃を見守るウクライナ兵=20日(ロイター)
 ウクライナ東部セベロドネツクでパトロールを行うウクライナ兵=20日(ロイター)
 20日、ウクライナ東部ドネツク州で、攻撃を受けて炎上する建物(ゲッティ=共同)」
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 日本は世界で信用されているはウソであり、日本人は愛されているはウソであり、日本と日本人は必ず助けて貰えるは大嘘である。
 世界の常識は、孤立無援で、自己責任、自助努力、自力救済であり、他人・他国に助けて貰おうというのはあり得ない事である
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 ナチス絶滅収容所に送られた約600万人のユダヤ人達は、抵抗せず・反抗せず、暴動も騒動も起こさず命じられるままホロコーストで虐殺された。
 誰も、どこの国も、戦争が終わるまで、絶滅収容所で行われている非人道行為情報を知りながら、ナチスに非難の声を上げてユダヤ人を虐殺から助けようとしなかった。
 何故か、それは大多数のユダヤ人達が生きる為に戦わず殺される運命を受け入れていたからである。
   ・   ・   ・   
 もし、日本が犠牲者を覚悟して侵略軍(ロシア、中国、他)から国土と国民を守る戦争をせずに侵略者に降伏すれば、同盟国アメリカも友好国のイギリスやオーストラリアも自国民を犠牲にしてまで日本を救う事はない。
 国際世論も、日本を見捨てて助けてはくれない。
 それが、ウクライナ戦争における血の教訓である。
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 戦う者は味方、戦友、親友、友・友人となるが、戦わない者は敵とみなされる。
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 政治家とくに総理大臣の究極の決断と責任とは、イギリスの女性首相サッチャーが開戦と終結を行ったアルゼンチンとのフォークランド戦争である。
 政治家の持つ権力とは綺麗事ではなく、血を浴び、血に染まる覚悟が求められる。
 侵略戦争を起こした大国ロシアのプーチン大統領も、防衛戦争を続ける小国ウクライナのゼレンスキー大統領も、一国の元首として戦争を続けている。
 日本には、そうした覚悟を持ち、決断と責任を果たす政治家がいるのか疑わしい。
   ・   ・   ・    
 現実問題として、自主独立国家の政治家であれば人の命を奪う死刑と戦争は避けられない。
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 窮鼠猫を噛む。
 降りかかる火の粉は払わねばならぬ。
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 歴史的事実として、戦争とは、大国が小国を侵略して起きるであって、小国が大国を攻撃して起きる事はない。
   ・   ・   ・   
 ロシアによるウクライナ侵略戦争は、中国共産党政府による台湾有事や北朝鮮による朝鮮有事に連動している。
   ・   ・   ・   
 日本を取り巻く諸国の、ロシアのプーチン中国共産党習近平北朝鮮金正恩の3人は似ている。
 日本国憲法は、戦争を避け平和を維持する為に彼らを信頼せよと説いている。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、日本の歴史はもちろん世界の歴史・大陸の歴史を正しく理解できない。
   ・   ・   ・   
 ロシアの軍事侵略に対して、ウクライナ人は戦っているが、日本人は果たしてどうか。
   ・   ・   ・   
 小国にして中国の属国であった朝鮮の歴代王朝は、中国の中華皇帝の勅命に従って美女を宮中慰安婦=妓生(キーセン)と美男子を宮中下僕=宦官として献上していた。
 その卑屈さは救いのない哀れで惨めで、その悲惨状態が李氏朝鮮王朝約500年間続いていた。
 中国の偏見と差別を甘受して従う事で、李氏朝鮮は滅びる事なく存続を許されてきた。
 それが、小国・弱者による大国・強者に対する生き残る為の恭順・譲歩であった。
 同じ中国の属国であった琉球王国は、李氏朝鮮ほどの悲惨な従属関係を強いられる事なく存続できたのは、敵国の日本・徳川幕府薩摩藩を警戒したからである。
   ・   ・   ・   
 中程度国日本は、神道価値観による天皇を擁立して、儒教価値観の中華思想華夷秩序中華主義に基ずく絶対不可侵の神聖な上下関係・身分関係を拒絶し、中華世界から離れて独立を守ってきた。
   ・   ・   ・   
 歴史好き・戦国武将が好き、武士・武士道好きと自慢する自惚れる現代日本人には本当の歴史が分からず見えず、戦国大名尼子経久や広島の領主達に囲まれていた山間部の小領主で生き残る為に命を賭けて死闘を繰り返していた毛利元就の苦悩・懊悩は理解できない。
 つまり、現代の日本人の本心・本音では歴史が好きではなく、自分に都合の良い歴史、自分の考えに利用できる歴史を探し、見つけて安心している。
 その意味で現代の歴史教育では、現実に起きていた歴史・事実の歴史でも都合の悪い歴史・利用できない歴史は無価値・無意味として切り捨て、歴史の闇に葬り社会から抹消し、子供たちに見せないよう知られないようにしている。
 つまり、歴史における洗脳教育である。
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 世界に行われた意識調査において、「もし戦争が起こったら国の為に戦う」かを問うアンケートで、「戦う」と回答した日本人は13,3%で、戦わずに降伏するか安全な所に逃げる、他国に亡命するとの答が多数を占めていた。
 現代日本人が守りたいのは今現在の自分であり、自分の命と財産、自分の家族、ついでに自分の収入源である仕事・会社であって、日本列島における歴史・文化・言語・宗教の国や民族ではない。
 日本国は、数千年前の弥生時代古墳時代まで遡れる。
 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代まで遡れる。
 現代日本人は、昔の武士や百姓・職人とは違う日本人であり、その子孫とは言えないような日本人である。
   ・   ・   ・   
 日本人とは、日本列島に住む全ての人の事を言うのであって、日本民族の事だけでをいうのではない。
 戦国時代、東南アジア地域には数多くの日本人町が存在していたが、現代では残ってはいない。
 対して、世界中にある中国人のチャイナ・タウンは数百年後の現代でも昔同様に残っている。
 同様に、中華料理は祖国中国が存在しようが消滅しようが残り続けるが、日本料理・和食は祖国日本があれば存続するがなくなれば消えてなくなる。
   ・   ・   ・   
 ロシアがウクライナを侵略する為に正規兵と徴集兵からなる大部隊を国境地帯に集結させた特別軍事作戦は、日本陸軍が太平洋戦争を始める為に大兵力を満州に集結させた関東軍特別演習(関特演)に似ている。
 日本人兵士は、一銭五厘赤紙一枚で徴兵され、死ぬと分かっている戦場へ強制的に送り出されていた。
 同じ日本国籍を持つ朝鮮人は、二等国民として徴兵の義務はなかった。
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 太平洋戦争後の戦争犯罪裁判で、B級C級戦犯として裁かれ処刑された日本人将兵は上官の命令に従って犯罪行為を行った事が理由とされた。
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 歴史的に、ロシアの侵略で始まったウクライナ戦争は、数十年後に極秘とされ隠匿された情報や報告が明るみに出るまでハッキリした事は分からない。
 それでも「勝てば官軍・負ければ賊軍」で、歴史の評価は勝者は正義で・敗者は犯罪者です。
 その実例が、ナチス・ドイツを裁いたニュルンベルク裁判ではなく、軍国日本を裁いた東京裁判である。
 歴史のある点においてナポレオンとヒトラーの評価は紙一重の差で、それは今でも悪の権化のように言われるファシズムというイデオロギーではなく、ユダヤ人やロマ(ジプシー)や障害者に対するホロコーストを正当化したナチズムで、非人道的なナチズムという一点が2人の評価を天・英雄と地・凶悪犯罪者とに分けている。
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💣9」─3─イロヴァイスクの戦い。ウクライナ軍撤退とウクライナ人虐殺。2014年。~No.34 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 ロシア、ロシア政府、プーチン大統領は、平気でウソを付き、当然の権利のように約束を裏切る常習犯で、信用するに値しない。
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 2022年7月号 WiLL「ロシア軍〝負け戦(いくさ)〟これだけの理由
 岡部俊哉 村川豊 福江広明
 今回のウクライナ戦争はSNSとの戦いでもある
 ロシアの誤算
 ……
 福江 ウクライナは、2014年のクリミア併合におけるハイブリッド戦の教訓を踏まえて、国を挙げて情報戦対処の体制整備を図ったことがこれまで善戦している最大の要因と言えるのではないでしょうか。
 岡部 ウクライナの強力な抵抗が、ロシアが企図した短期のハイブリッド戦を、いわゆる『伝統的な戦争』という長期戦に引き摺り込んだ。
 ……
 ウクライナを過小評価
 福江 ロシアは、ゼレンスキー大統領及びウクライナ国民を過小評価したのです。その誤評価により、苦戦を強いられていると言えます。加えて、2008年のジョージア侵攻、2014年のクリミア併合における成果を過信したことで、戦略上の誤算を招いたと思います。
 ……
 岡部 ……
 権威主義国家体制の軍隊になると、独裁者の判断や考え方で動かざるをえないため、悲惨な末路をたどってしまいます。軍隊的合理性がどうしても欠けてしまう。
 福江 同感です。権威主義国家の最大の弱点ともいえる、国家指導者が望む情報しか上がってこないという、いわゆる〝裸の王様〟状態にプーチン大統領はあって、その上で戦略・戦術が立てられた可能性もあるのではないでしょうか。
 岡部 ……
 福江 そうですね。ウクライナ軍の最高指揮官であるゼレンスキー大統領は、大統領就任以降、ウクライナ東部の過酷な戦況を幾度となく視察するなどしながら、指揮・統率能力を高め士気高揚に努め、ロシアと徹底的に対峙する姿勢を強めていったようです。
 岡部 鼓舞するのがうまい。ゼレンスキー大統領はSNSを通じて、侵攻翌日の2月25日、『自分たちはここにいる』と示し、『私たち全員、自分たちの独立と国を守る』と動画付きで発信した。ああ、さすが役者だなと。マーク・ミリー米統合参謀本部議長は、『3日でキーウは陥落する』と言っていましたから、危機は目の前までせまっていた。斬首攻撃も何度も受けている。そんな戦況下で、ウクライナにとどまり、『私は共に戦う』と宣言したことは、ウクライナ軍の士気高揚に大いに影響を与えたに違いありません。
 村川 付随してウクライナ国民の結束力も高まりました。ゼレンスキー大統領の支持率はウクライナ戦争前では41%しかなかったのに、今や91%と跳ね上がっています。
 福江 今回のロシアによる侵攻が開始される前から、ウクライナ側がロシアに対して強い警戒心を持っていたのは事実です。ウクライナの内情に精通する人によると、2014年8月のイロヴァイスクの戦いまでは、ロシア軍の侵攻は半信半疑だった軍人もいたほどです。ロシアの正規軍が停戦交渉成立後に撤退するウクライナの部隊を包囲・殲滅したその戦い以降、ロシアを明らかな侵略者と認識したという話を聞きました。見方によっては、この戦いを境にウクライナナショナリズムが醸成(じょうせい)されていったと言えると思います。
 プロは兵站を研究する
 ……
 岡部 兵站(補給線)支援も実にお粗末です。作戦に追随できていない。ロシアの物資輸送は鉄道がメインです。ウクライナは国境沿いの鉄道を破壊して使用妨害しており、このことがロシア軍の兵站が滞る一因となっている。
 福江 ある研究会の中で米陸軍参謀長の談として、『アマは戦術を勉強し、プロは兵站を研究する』という言葉を聞いたことがあります。岡部さんの話を聞くと、ロシアの苦戦の理由がよくわかります。
 岡部 それに兵士の練度が実に低い。米国の調査資料によると、ロシア兵の6~7割が、18カ月から20カ月の徴兵期間に集められたそうです。……
 福江 ……
 岡部 しかも虐殺や、略奪が横行しているという情報もありますから、軍の規律は喪失している。部隊の統制が利いていないのでしょう。」
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 イロヴァイスクの戦い
 ドンバス戦争中
 IlovaiskBattleMap 2014 Eng.png
 2014年8月29日、撤退するウクライナ軍(橙)と包囲する親ロシア派(青)
 時 2014年8月7日 – 9月2日
 (3週5日間)
 場所 イロヴァイスク
 ドネツク州、ウクライナ
 結果 DPRおよびロシア軍の決定的勝利;
 ミンスク合意のきっかけの一つとなった。
 イロヴァイスクの戦い(英語: Battle of Ilovaisk)[note 1]は、2014年8月7日、ウクライナ軍と親ウクライナ準軍事組織が、親ロシア派に占領されているイロヴァイスク市(英語版)の奪回を試みた戦闘である。親ロシア派はドネツク民共和国(DPR)およびロシア連邦軍と連携していた。ウクライナ軍は2014年8月18日に市内に進入したが、越境したロシア連邦軍の参戦によって8月24日から26日に包囲された。包囲から数日後、プーチン大統領の同意の元、ウクライナ軍は親ロシア派と合意し、撤退が許されたが、結局、この合意は守られず、脱出中に多数のウクライナ軍兵士が死亡した。
 2016年8月26日、ウクライナ参謀総長兼最高指揮官ヴィクトル・ムジェンコは、敗戦の原因を撤退計画におけるウクライナ軍指揮官の不備と、ロシア連邦軍の介入によるものだと発表した。

 ウクライナ軍の撤退と虐殺
 8月29日早朝、イロヴァイスクが包囲されてから数日後、市内にいるウクライナ軍の指揮官たちは、反政府軍に対して撤退交渉を試みた。ロシア大統領ウラジミール・プーチンは、「包囲下のウクライナ軍兵士のための人道回廊」が確立され、兵士たちの撤退を許すべきであると発言した。 ドニプロ-1大隊の指揮官ユーリ・ベレザはそのような回廊を確立するために早急に合意に達するように奮闘した。ドネツク民共和国首相アレクサンドル・ザハルチェンコは、ウクライナ軍が装甲車両と弾薬を残置するという条件で合意が成立したことを確認した。
 8月29日午前6時、ウクライナ軍の60両の車両縦隊がイロヴァイスク市外へ移動を開始した。午前8時、ウクライナ軍はイロヴァイスクの直ぐ南のMnohopillya村の北部と南部で二つの縦隊を作り、撤退を準備した。北部の縦隊は、第17戦車旅団、第51機械化旅団および警察部隊から成り、戦車4両、何両かの歩兵戦闘車、1,000名以下の人員を含み、ルスラン・コムチャック中将に率いられた。南部の縦隊は、第93機械化旅団およびドンバス大隊から成り、鹵獲したロシア軍のT-72B3戦車を含む戦車2両、歩兵戦闘車2から3両、人員約600名を含み、オレクシィ・グラホフ大佐に率いられた。撤退準備を進める中、ロシア軍の指揮官がウクライナ軍に対して、全ての武器を引き渡し、義勇兵大隊を残していくように要求、合意条件を変更しようとした。イロヴァイスクのウクライナ軍指揮官のルスラン・コムチャック中将は以前の合意に基づき部隊は撤退すると述べ、「完全戦闘状態で行進する」ことを部隊に命じた。縦隊の先頭のトラックは死傷者を乗せ、白旗を掲げていた。
 北部の縦隊は回廊に沿って約1時間で10キロメートル前進したとき、ロシア軍と反政府軍に取り囲まれた。Oleksandrivka村でロシア軍第21自動車化旅団のT-72BA戦車2両と歩兵戦闘車1両がウクライナ軍との衝突で破壊された。クラスナヤ・ポリヤナ渓谷(Krasnaya Polyana)[note 2]の近くで、ロシア軍は迫撃砲重機関銃による攻撃で、北部の縦隊を二つに分断した。後方の梯隊は6両の歩兵戦闘車と警察部隊の多数の車両が破壊され、部隊は全滅した。その間、先頭半分の戦車を含む縦隊はノボカテリニフカ村(Novokaterynivka )へ前進し始めた。その渓谷には、ロシア軍第1065砲兵連隊のD-30 122mm榴弾砲が配置されていた。連隊のトラックは砲兵陣地の近くで破壊された。縦隊先頭の装甲車がノボカテリニフカ村に到着したとき、第17戦車旅団の戦車乗員は掩体に配置されている何両かの戦車と歩兵戦闘車を発見した。衝突が起こり、ウクライナ軍の4両の戦車と歩兵戦闘車が破壊された。何人かの乗員は脱出し、42人のウクライナ軍兵士がその包囲を抜け出して、ウクライナ軍陣地に到達できた。
 南部の縦隊において、ウクライナ軍兵士約300名とドンバス大隊の兵士はチェルヴォノシルケ村(Chervonosilske)に到達することができたが、その間に幾つかの歩兵戦闘車が失われた。その村で、ウクライナ軍部隊はロシア軍第6戦車旅団のT-72B3戦車2両を鹵獲し破壊するとともに、ロシア軍第31空中攻撃旅団の空挺兵2名を捕虜とした。ウクライナ軍の半分の兵士は既に負傷していたが、翌日までに何とか村を確保した。
 8月30日、ドニプロ-2大隊長ユーリ・ライセンコはロシア軍指揮官との接触を試みた。それにより、ウクライナ軍は武器を引き渡し、赤十字ガイダンスに基づき負傷者を後送し、ロシア人の捕虜を解放することが合意された。
 9月1日、内務大臣アーセン・アヴァコフによれば、97名のウクライナ軍兵士が何とかイロヴァイスクを脱出した。
 死傷者
 砲撃により炎上した民間人の車
 ウクライナ軍第51機械化旅団のある兵士は、本状況を「本当の肉挽き器」と表現した[29]。ウクライナ政府は、本事案を「虐殺」と表現した。ある反政府軍指揮官は、イロヴァイスク近くで伏撃を行い、ウクライナ軍兵士173名の捕虜を得たと述べた。彼は、破壊されたドンバスの都市を再建するための労働力として捕虜を使うつもりだと述べた。ウクライナ当局は、総じて、親ロシア派軍によって500名以上のウクライナ軍兵士が捕虜となったと発表した。その後。ウクライナ義勇兵大隊の指揮官と兵士たちはウクライナ陸軍のリーダーシップを非難し、「ウクライナに裏切られた」と感じた。
 捕虜となったロシア軍兵士(判明分):
 第331空挺連隊の兵士10名(後にロシア政府高官はこの兵士たちを認めた。)
 第8山岳迫撃砲狙撃旅団の兵士1名
 第31空中攻撃旅団の兵士4名
 第6戦車旅団の兵士2名
 民間人の死傷
 イロヴァイスクからウクライナ軍の撤退後、ドンバス大隊が駐屯していたイロヴァイスク第14学校の裏庭にあった3体の遺体の共同墓地が掘り返された。国際連合人権高等弁務官事務所はその犠牲者を地元住民と同定した。検死報告書によれば、2体には銃創があり、1体はおそらく砲弾により死亡した。
 国連監視任務は、ウクライナ軍によって執行された殺人行為(死刑)は大規模かつ組織的なものではなかったと発表した。メディアによって流布された、ウクライナ軍による大規模な死刑執行といった主張は、信頼できる目撃者の証言および検死データからは証明できなかった。
 余波
 9月4日、ウクライナ軍部隊に対するウクライナ検事総長による刑事捜査が行われた。同日、全ウクライナ連合「祖国」の政治家アンドリー・センチェンコが率いる臨時議会委員会が、ヴェルホーヴナ・ラーダ(ウクライナ最高議会)の議員446名中226名の承認により設立された。アンドリー・センチェンコによれば、イロヴァイスクの戦いで1,000名以上の兵士が死亡した。
 10月14日、国防大ヴァレリー・ヘレテイは辞任を余儀なくされたが、これは一部には戦闘中の軍事調整の失敗に対する責任のためであった。
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 ロシアの侵略からウクライナを守り、大軍のロシア軍に対して徹底抗戦を支えている共通認識はウクライナ人の民族主義ナショナリズム)である。
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 ウクライナのゼレンスキー大統領や政府閣僚、政治家や官僚のような勇気ある人物は、現代の日本で少ない。
 それを証明するのが、2022年参議院選挙に於ける各党の候補者の発言を見ればわかるし、例え勇ましい事を演説したとしてもその本心はそこにはない。
 つまり、現代の日本人は昔の日本人とは違う日本人である。
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 現代の日本は、シビリアン・コントロールの大原則に従って政治家や官僚は戦争の素人ばかりでプロはいない。
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 日本にとって、ロシア、中国共産党政府、北朝鮮は信用してはならない危険な相手である。
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🦎44」─1─一帯一路参加国は債務不履行、借金漬けで続々と反旗を翻している。~No.159No.160No.161 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2022年6月17日 MicrosoftNews zakzak「「一帯一路」に〝亀裂〟参加国が続々反旗 スリランカ債務不履行、各国が借金漬けに 親ロシア、東欧地域も戦略失敗で高まる反中感情
 中国外交が敗北を重ねている。南太平洋の島嶼(とうしょ)国との安全保障協力で合意に失敗したほか、巨大経済圏構想「一帯一路」でも、スリランカが事実上の債務不履行(デフォルト)となるなど各国が借金漬けだ。さらにロシアのウクライナ侵攻で欧州でも反中感情が高まる。習近平国家主席は「中華帝国の偉大な夢」を抱くが、「脱中国」が加速しているのが現実のようだ。
 「強固だった関係が壊れている」と語ったのは、スリランカで先月、新首相に就任したウィクラマシンハ氏だ。
 同国ではラジャパクサ大統領らが港湾開発などを中国企業と進める方針を示すなど、親中外交を進めてきたが、4月に対外債務の支払い停止を発表した。一帯一路の拠点として実施してきたインフラ整備のために背負った借金がふくらみ、財政難に陥ったことも一因とみられる。
 これまでも一帯一路の参加国がインフラ開発費用の返済に窮すと、中国が戦略的施設の長期使用権などの要求を突き付ける「債務の罠」が警戒されてきた。
 中国からユーラシア大陸を経由して欧州へと続く一帯一路構想のほぼ中央に位置するパキスタンでは、中露関係を重視したカーン前政権が高インフレや通貨安による経済危機で4月に失脚した。シャリフ新首相も親中姿勢だが、経済再建をめぐる政情不安が続く。
 米シンクタンク、世界開発センター(CGD)は18年の時点で、一帯一路のインフラ投資計画があったパキスタンモルディブジブチラオス、モンゴル、モンテネグロタジキスタンキルギスの8カ国について債務問題に懸念があるとのリポートを公表していたが、すでに現実のものとなっている。
 中国事情に詳しい評論家の宮崎正弘氏は「中国はパキスタンの政情不安を背景に一帯一路の要衝だったグワダル港を諦め、最大都市カラチに港湾整備を移した。モルディブ親中派大統領の失脚でインドが勢力下に収めた。次にスリランカで大統領打倒の動きになれば、中国には大きなショックだ」とみる。
 こうした状況を受けて、中国の王毅国務委員兼外相が今月8日、カザフスタンで開かれた中央アジア5カ国との外相会議に出席し、一帯一路への協力強化で一致するなど関係維持に躍起だ。
 アジア圏だけでなく、欧州でも一帯一路に危機が生じている。きっかけの一つがロシアのウクライナ侵攻だ。
 そもそもウクライナは中国と関係が良好で、一帯一路の拠点でもあった。しかし、ロシアの侵攻後、中国と欧州を結ぶ国際貨物列車「中欧班列」もウクライナを経由する便は運航停止となった。欧州の貨物輸送大手企業も相次いで中欧班列関連の受け付けを停止している。
 モスクワを経由する便は運行が続いており、中国国営のラジオ放送局「中国国際放送」(日本語電子版)は、中欧班列は4月に1170本運行し、3月と比べて36本増加したと伝えた。中国外務省の汪文斌報道官が「中国の強靱(きょうじん)性と責任を負う姿勢が示され、世界に力や自信を伝えた」と自信をみせたという。
 しかし、鉄道網の主要な拠点で、中国IT大手ファーウェイ(華為技術)の地域本部もあるポーランドでは、「プーチン大統領を支持した中国を非難するウクライナ難民であふれかえっている」とロイター通信は指摘。「東欧地域における中国の戦略はさらに傷ついている」と報じた。
 評論家の石平氏は「中国が一帯一路を守りたいのならば欧州と足並みをそろえるべきだった。ロシアの肩を持ったことで自ら拠点を破壊するに等しい矛盾した外交となった。アジアの取り込みにも失敗し、欧州からも反感を買うなど、習氏の外交上の失敗がまた一つ加わることになった」と語った。」
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 それでも、日本の親中国派や媚中派中国共産党が推し進めている一帯一路構想を批判するどころか、内心では日本の参加を求めている。
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 日本国内には、一帯一路構想ではないが、中国共産党系中国系中国資本が各種インフラ整備に参入し、チャイナマネーが実生活に密接に関係する分野に巨額投資を行っている。
 インターネットに接続された中国電気製品や中国資本系列日本企業の日本製品は、日本国内で集めたビッグデータを中国に送り、中国共産党は合法的にその情報を提出させている。
 つまり、見えない所で日本は中国共産党の支配、監視、監督を受け始めている。
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☭4」─2─ロシアは親露派アジア人を使ってアジアに領土を拡大した。~No.8  

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 徳川幕府後期、幕末の外国からの侵略の脅威とは、ロシアの軍事侵略とキリスト教会の宗教侵略であって、アヘン戦争の結果による西洋の近代文明侵略ではなかった。
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 2022年6月17日 MicrosoftNews 現代ビジネス「アジア人を使ってアジア人を征服。ロシアの残忍さはシベリアでも発揮された 日本の国土防衛のために知るべきこと
宇山 卓栄
 ロシアが北海道周辺で気になる動きを見せている。もともとロシアの領土への野心はアジアにも向かっていた。シベリアを侵略し、清王朝の弱みにつけこんでハバロフスクウラジオストクを建設した。それは同時にアジア文明の消滅でもあった。アジア人はなぜそれを防げなかったのだろうか。民族・宗教・文明に着目して世界史を研究する宇山卓栄氏の新刊『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社+α新書)からご紹介する。今後の日本の国土防衛を考える上で欠かせない知見が満載だ。
 アジアはなぜロシアを撃退できなかったか
 ロシアの港湾都市ウラジオストクは東京から2時間の飛行時間で行くことができ、「日本から一番近いヨーロッパ」と言われます。コロナ問題やウクライナ問題が発生する以前は、日本人旅行者にとっても人気の観光地になっていました。
 ウラジオストクは1860年以降、ロシア帝国によって建設されました。それ以前は何もない荒れ地でした。中国は13世紀頃、この地に街を建設し「永明城」と名付けていたと主張していますが、その実態は不明です。ウラジオストクの現在の人口は約60万です。
 © 現代ビジネス ウラジオストク Photo by GettyImages
 ウラジオストクの「ウラジ(ヴラジ)」はロシア語で「支配」を意味し、「ヴォストーク」は「東」を意味します。つまり、「ウラジオストク」とは「東を支配する拠点」という意味になります。ヨーロッパ白人勢力が到達したアジアの最深域としてのウラジオストクを拠点に、ロシアはさらに1875年の樺太・千島交換条約で、樺太を領有します。1945年には日本の敗戦とともに国後・択捉・歯舞・色丹の4島を占領して今日に至ります。
 彼らはどのようにして、遠く離れた極東アジアにまで進出したのでしょうか。また、アジア勢力はどうして彼らを撃退することができず、このようにアジア深域への進出を許す結果となってしまったのでしょうか。
 15~16世紀、大航海時代がはじまり、ヨーロッパ勢力がアジアに本格的に進出しはじめます。大西洋から喜望峰を経てインド洋へと至るルートの他に、北極海を経てアジアに至る北東航路が開拓されます。16世紀後半にはイギリス船やオランダ船がバレンツ海沿岸に頻繁に現れるようになります。
 イギリスやオランダがバレンツ海からシベリアに進出するようなことがあれば、ロシアにとっては大きな脅威となります。ロシアは地政学上、シベリアを意識せざるを得ませんでした。
 ロシア最大の富豪ストロガノフ家の暗躍
 当時のロシアはモスクワ大公国と呼ばれており、有名なイヴァン4世(雷帝)が君臨していました。モスクワ大公国はすでにウラル山脈以西に進出していましたが、当時の主力交易品であった毛皮資源が過度な狩猟により枯渇していました。そのためウラル山脈以東のシベリアへの進出が図られます。
 © 現代ビジネス
 ウラル山脈以東には、アジア系のシビル・ハン国がありました。この国はキプチャク・ハン国が15世紀に分裂した時にできた4ハン国の一つでした。キプチャク・ハン国はモンゴル人が13世紀に建国しました。チンギス・ハンの長男ジュチがキプチャク・ハン国の始祖で、その次男が同国の実質的な建国者であるバトゥです。ジュチの第五男でバトゥの弟にシバン(Shiban)という人物がおり、このシバンの一族がシャイバーニー家と呼ばれます。「シャイバーニー」が「シビル」の語源となります。さらに「シビル・ハン国」の国名がもとになり、「シベリア」とロシア風に呼ばれるようになります。
 ロシアは16世紀末、シビル・ハン国を征服し、その版図は一気に倍以上に拡がりました。
 ロシアのシベリア征服の最大の立て役者が遠征軍を率いたイェルマークですが、陰の立て役者として重要なのがストロガノフ家です。ストロガノフ家はロシアの大商人の家系で、バレンツ海の内海である白海沿岸に領地を持ち、16世紀の初めに製塩事業を起業して大成功します。イヴァン4世を財政面から支え、その功労で広大な荘園を与えられ、ロシア最大の富豪となります。「ビーフストロガノフ」という料理がありますが、ストロガノフ家の当主が老齢で歯が悪くなったので、食べやすいように牛肉を煮込んだことにはじまると言われています。
 地政学上の安定、毛皮交易の利権確保などの観点から、ロシアにとって、ウラル山脈以東のシベリア進出が不可避であることを、ストロガノフ家はイヴァン4世に進言します。イヴァン4世はこの話にあまり乗り気ではなく、正規軍を派遣することはありませんでしたが、ストロガノフ家に一任しました。
 ロシアがアジア征服に使った人々
 ストロガノフ家は豊富な資金力で軍団を編制します。その時に大量に傭い入れられたのが、イェルマークらコサックたちでした。コサックは元々、ウラル山脈以東にいたトルコ系アジア人で、7世紀から9世紀の間、彼らはウラル山脈を越えてロシアへやって来ました。「コサック」はトルコ語の「Qazaq(カザーク)」に由来し、「自由の人」や「冒険家」を意味します。騎馬を自在に操る戦闘集団としても知られています。
 彼らはシベリア遠征と引き換えに、モスクワ大公国によりウラル山脈の西側一帯に正式な居住地を与えられ、ストロガノフ家からは財政的な支援を与えられました。こうしてイェルマークらのコサック遠征隊が組織されたのです。
 他方、シベリアのシビル・ハン国はモンゴル帝国の後継国であり、その人々はモンゴル系を中心にトルコ系も混ざっていたアジア人でした。アジア人を討伐するためにアジア人を使う、いわば「毒を以て毒を制する」という戦略を、ストロガノフ家は用いたのです。ストロガノフ家などのロシア人たちは汗や血を流さず、利権や金銭をコサックたちに与えたのみで、アジア人の死闘を座視していただけでした。自分たちでは手を汚さず、他民族どうしを争わせて漁夫の利を得るというのが、ロシア人に限らず、ヨーロッパ白人の常套手段です。
 イェルマークは1578年に遠征を開始します。イェルマークらコサック軍団は遠征先で容赦のない略奪を繰り返しました。そのためイヴァン4世は怒り、遠征を中止させようとしたほどでした。イェルマークが1582年にシビル・ハン国の首都カシリクを占領し、イヴァン4世に多量の毛皮などの戦利品を献上して、何とか帝の機嫌を取り持つことができました。
 シベリア遠征の成功により、ストロガノフ家の名声も高まりました。ストロガノフ家は毛皮交易の利権や東方の土地領有権を獲得します。ストロガノフ家の栄華は東方植民によって支えられたものでした。
 イヴァン4世が1584年に死去すると、ロシアで動乱が頻発し、帝位の簒奪者や空位期の僭称者が続きます。約30年の動乱期を経て、1613年、ロマノフ家のミハイル・ロマノフが新たにツァー(皇帝)に選出され、ロマノフ朝を創始しました。ロマノフ家はストロガノフ家と密接な関係を持ち、同家の支援によって、ツァーの座に就くことができたのです。ストロガノフ家は歴代のロシア皇帝に仕え、ロシアの政治や経済を取り仕切ります。
 ロシアは南進でなく東進を選んだ
 イェルマークの軍団はシビル・ハン国の征服後も、さらに東進して、支配領域を拡げていきます。しかし、シビル・ハン国の残党勢力もイェルマークに激しく抵抗しました。奇襲攻撃を受けたイェルマークは1585年、戦死します。イェルマーク亡き後も10年以上、シビル・ハン国の残党勢力の掃討戦は続きました。
 コサック軍団はトルコ系やモンゴル系の小部族を従えながら、さらに東進します。シベリアのオビ川・エニセイ川・レナ川などの大河の支流は東西に網の目のように流れており、各水系を舟で渡り、迅速かつ容易に東進することができました。コサック軍団は1636年、ついにオホーツク海へ到達し、シベリアのほとんどの領域を支配することになります。
 コサック軍団がオホーツク海に到達したことは、アジア進出の可能性を開かせました。1640年代から、ロシアはようやく正規軍を派遣しはじめます。ロシア軍は中国へ向けて南進し、アルグン川からアムール川にかけての満州北東部に現れるようになります。そして、ロシアと清王朝は度々、軍事衝突することになります。
 清王朝康熙帝は中国南方の制圧戦(三藩の乱)や台湾制圧戦に兵力を割かねばならず、北方のロシア進出に対処する余裕がありませんでした。これらの制圧戦が片付いた後も、モンゴルのガルダン・ハンがモンゴル部族を統一し、覇権を握ったため、対応を迫られていました。
 強大化するモンゴル人勢力は清王朝にとって直接の脅威でした。これに加えて、清王朝がロシア軍と戦えば、二方面作戦を余儀なくされます。清はロシアとの関係を修復して、モンゴル制圧戦(清・ジュンガル戦争)に集中しなければなりませんでした。そして、清王朝ロシア帝国は1689年、ネルチンスク条約を締結し、国境線を外興安嶺(スタノヴォイ山脈)とアルグン川(アムール川上流)を結ぶ線に定めます。
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 この結果、ロシア軍はアムール川付近の外満州から撤退します。幸いなことに、清にとっては大きな領土的な損失にはなりませんでした。さらにキャフタ条約が1727年に締結され、モンゴルや中央アジア方面の国境も画定されます。
 中国がロシアに妥協した結果の領土損失
これらの条約は一見、ロシアが満州から撤退し、大幅に譲歩したように見えますが、実際にはロシアのシベリア侵略(アジア侵略と言ってよい)が中国によって承認・保証されたことを意味します。ロシアはアジアへの地盤を明確に築き上げ、さらなる侵略の足掛かりを得たのです。つまり、この時、清がロシアと妥協したことが、後の時代にウラジオストクを含む外満州の広範な清の領土損失となって返ってくることになります。
 康熙帝ネルチンスク条約の締結にあたり、イエズス会宣教師のフェルディナント・フェルビースト(中国名は南懐仁)の進言を入れますが、彼は康熙帝にロシアの危険性について、ほとんど伝えていなかったのです。ちなみに、イエズス会の宣教師たちがネルチンスク条約の交渉も担当しています。
 19世紀に入り、ロシアは「南下政策」と呼ばれる帝国主義拡張を本格化させます。東シベリア総督が設けられ、中国への露骨な侵略が開始されます。ロシアは、清がアロー戦争で追い込まれている隙を突き、アムール川流域に軍を進めます。
 ロシアは清に対し、イギリスやフランスの侵略から中国を守りたいなどと嘯きながら、清に接近し、武力による威嚇も行いつつ、1858年、アイグン条約の締結を半ば強要して、アムール川(中国名は黒竜江)以北の地を割譲させました。そして、アムール川ウスリー川の合流点にハバロフスクの街が建設されます。この街の名は17世紀にアムール川を探険したエロフェイ・ハバロフに因んでいます。ハバロフスクウラジオストクに次ぐ極東ロシアの都市です。
 © 現代ビジネス ウラジオストクのロシア軍艦 Photo by GettyImages
 アロー戦争でイギリス・フランスの連合軍は北京を占領します。そしてロシアが講和の斡旋に立ちます。その見返りとして、ロシアは1860年、清に北京条約の締結を強要し、ウスリー川以東の沿海州を獲得します。そして、沿海州の南端の地にウラジオストクを建設します。ウラジオストクは冬でも凍らない不凍港で、日本海から南下して太平洋へ進出することが可能となりました。1891年にはシベリア鉄道の工事も着工されます。これらの失われたアジアの領土は二度と戻ってくることはありませんでした。
 「白人の同化力」がアジアを消滅
 現在、これら極東地域やシベリア地域では、白人のロシア人に対する先住のアジア系民族の割合が少なく、1割にも達していません。かつてアジア系民族がロシア人に駆逐され、迫害されたことが主な原因です。「白人の同化力」ともいうべきパワーがアジアの民族や文化を消滅させていく強大さ(残忍さと言ってもよい)を持っていたことがわかります。
 ただし、アジア系民族が減少したと言っても、ロシア人に混血同化したアジア系も多く、何を基準にロシア人やアジア系と分類するかは難しいところもあります。また、ここで言うアジア系民族とは、極東にいた先住民のことです。今日では、新たに中国人の移住者が急増しています。中国人はロシア人の当局の幹部を買収し、ビザを取得し、土地やテナントの賃借を大規模に展開するなど、ウラジオストクの街中で進出が目立っています。
 © 現代ビジネス」
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 近代日本の主敵は、白人キリスト教のロシアとロシア人であった。
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 1689年 ネルチンスク条約ロシア帝国清王朝は、国境線を外興安嶺(スタノヴォイ山脈)とアルグン川(アムール川上流)を結ぶ線に定めます。
 1858年アイグン条約。ロシアは、アムール川(中国名は黒竜江)以北のシベリアの地を強引に割譲させロシア領とした。
 1860年 北京条約。ロシアは、アロー戦争に介入し英仏連合軍が北京を占領した所で講和を斡旋し、その見返りとしてウスリー川以東の沿海州を獲得し沿海州の南端の地にウラジオストクを建設した。
 ロシアは、不当な手段で手に入れた領土は戦争に負けて奪われない限り返還する事はなかった。
 ウラジオストクは冬でも凍らない不凍港で、日本海を南下して中国、朝鮮、日本への侵出を手に入れたが、目障りなのはウラジオストクにある樺太が日本の勢力圏にある事であった。
 ロシアは、樺太を自国領にする為にロシア人の軍人や囚人を上陸させて、反日的先住民を味方につけ日本人や親日派アイヌ人に対する暴力事件を頻発させた。
 明治8(1875)年 樺太・千島交換条約明治新政府は、ロシアとの戦争を避ける為に樺太問題を解決すべくロシア領千島との交換条約を結んだ。
 日本側の戦略的利点は、ロシア海軍ウラジオストク樺太日本海内に封じ込め、宗谷海峡津軽海峡対馬海峡を抑えてしまえば太平洋への航路を遮断する事ができた。
 ロシアのアジア戦略を、太平洋に進出する西進から満州・天津・朝鮮・日本への南進に切り替えた。
 1891(明治24)年 ロシアは陸軍国家として、奪った領地を守り、さらなに領地を拡大する為に大軍を迅速に輸送できるようにするべくシベリア鉄道敷設工事を始めた。
 日本は、ロシアとの戦争に備えて軍国主義政策を採用し、強権を持って国民生活を犠牲にして軍拡を進めた。
 イギリスは、上海・香港の中国利権をロシアから守る為に日本に接近した。
 日露戦争は不可避となり、開戦のその時が刻々と迫っていた。
 日本の戦争は、領土拡大の帝国主義侵略戦争ではなく祖国防衛の民族主義自衛戦争であった。
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 徳川幕府は、アイヌ人が住む蝦夷地、北方領土を日本の固有領土として統治し守っていた。
 ロシアは、千島列島を南下していたが樺太には進出していなかった。
 1785年 老中・田沼意次は、ロシアの侵略を警戒して蝦夷地探索隊を派遣した。
 1789(寛政元)年 徳川幕府は、アイヌの蜂起クナシリ・メナシの戦いの背後にロシアが策謀していると疑い警戒した。
 1792年 老中・松平定信の寛政日露交渉。水戸学による攘夷運動の始まり。
 1806年 文化露寇。
 1807年 徳川幕府は、東北諸藩に対して蝦夷地防衛の派兵を命じた。
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 日本の近代化の目的は、対外戦争を戦う為の軍国主義化であった。
 日本の開国・幕末・明治維新戊辰戦争・近代化・軍国主義化の発端は、ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略で、その歴史的事実が、中世キリスト教会の日本人奴隷交易、寛政日露交渉(1792年)と攘夷運動、文化露寇事件(1807年)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、攘夷派が激怒した対馬事件(1854年)の弱腰交渉、などであった。
 日本をロシアから救ったのは、戦争も辞さずのイギリスの軍事力・海軍力であった。
 軍事を否定し信用しない国家・国民・民族には、現実世界で生きる資格はなかった。
 熱狂的天皇主義者(現代の右翼・右派・ネットウハ、一部の保守派とは無関係)である尊皇派・勤皇派による攘夷運動は、間違った愛国主義民族主義ではなく、正しい軍国主義国粋主義・好戦主義、正義の戦争・聖戦であった。
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 神国日本を守る為の攘夷対象は、軍事侵略を企むロシアと宗教侵略を繰り返すキリスト教であった。
 徳川幕府の経教分離の原則を受け入れて交易を行っていたオランダは、排除すべき攘夷の対象ではなかった。
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 ロシアの日本侵略は、ヨーロッパ戦争と連動していた。
 1729年~1796年 ロシア女帝エカテリーナ2世(ドイツ人将軍の娘)。
 ロシアの海外戦略は、1,ウクライナ黒海バルカン半島への領土拡大、2,西進。アラスカ・北米大陸の開拓、3,南進、日本との交易であった。
 1796年~1815年 ナポレオン戦争
 1812年 ナポレオンのモスクワ遠征。
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