💣9」─3─イロヴァイスクの戦い。ウクライナ軍撤退とウクライナ人虐殺。2014年。~No.34 

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 ロシア、ロシア政府、プーチン大統領は、平気でウソを付き、当然の権利のように約束を裏切る常習犯で、信用するに値しない。
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 2022年7月号 WiLL「ロシア軍〝負け戦(いくさ)〟これだけの理由
 岡部俊哉 村川豊 福江広明
 今回のウクライナ戦争はSNSとの戦いでもある
 ロシアの誤算
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 福江 ウクライナは、2014年のクリミア併合におけるハイブリッド戦の教訓を踏まえて、国を挙げて情報戦対処の体制整備を図ったことがこれまで善戦している最大の要因と言えるのではないでしょうか。
 岡部 ウクライナの強力な抵抗が、ロシアが企図した短期のハイブリッド戦を、いわゆる『伝統的な戦争』という長期戦に引き摺り込んだ。
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 ウクライナを過小評価
 福江 ロシアは、ゼレンスキー大統領及びウクライナ国民を過小評価したのです。その誤評価により、苦戦を強いられていると言えます。加えて、2008年のジョージア侵攻、2014年のクリミア併合における成果を過信したことで、戦略上の誤算を招いたと思います。
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 岡部 ……
 権威主義国家体制の軍隊になると、独裁者の判断や考え方で動かざるをえないため、悲惨な末路をたどってしまいます。軍隊的合理性がどうしても欠けてしまう。
 福江 同感です。権威主義国家の最大の弱点ともいえる、国家指導者が望む情報しか上がってこないという、いわゆる〝裸の王様〟状態にプーチン大統領はあって、その上で戦略・戦術が立てられた可能性もあるのではないでしょうか。
 岡部 ……
 福江 そうですね。ウクライナ軍の最高指揮官であるゼレンスキー大統領は、大統領就任以降、ウクライナ東部の過酷な戦況を幾度となく視察するなどしながら、指揮・統率能力を高め士気高揚に努め、ロシアと徹底的に対峙する姿勢を強めていったようです。
 岡部 鼓舞するのがうまい。ゼレンスキー大統領はSNSを通じて、侵攻翌日の2月25日、『自分たちはここにいる』と示し、『私たち全員、自分たちの独立と国を守る』と動画付きで発信した。ああ、さすが役者だなと。マーク・ミリー米統合参謀本部議長は、『3日でキーウは陥落する』と言っていましたから、危機は目の前までせまっていた。斬首攻撃も何度も受けている。そんな戦況下で、ウクライナにとどまり、『私は共に戦う』と宣言したことは、ウクライナ軍の士気高揚に大いに影響を与えたに違いありません。
 村川 付随してウクライナ国民の結束力も高まりました。ゼレンスキー大統領の支持率はウクライナ戦争前では41%しかなかったのに、今や91%と跳ね上がっています。
 福江 今回のロシアによる侵攻が開始される前から、ウクライナ側がロシアに対して強い警戒心を持っていたのは事実です。ウクライナの内情に精通する人によると、2014年8月のイロヴァイスクの戦いまでは、ロシア軍の侵攻は半信半疑だった軍人もいたほどです。ロシアの正規軍が停戦交渉成立後に撤退するウクライナの部隊を包囲・殲滅したその戦い以降、ロシアを明らかな侵略者と認識したという話を聞きました。見方によっては、この戦いを境にウクライナナショナリズムが醸成(じょうせい)されていったと言えると思います。
 プロは兵站を研究する
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 岡部 兵站(補給線)支援も実にお粗末です。作戦に追随できていない。ロシアの物資輸送は鉄道がメインです。ウクライナは国境沿いの鉄道を破壊して使用妨害しており、このことがロシア軍の兵站が滞る一因となっている。
 福江 ある研究会の中で米陸軍参謀長の談として、『アマは戦術を勉強し、プロは兵站を研究する』という言葉を聞いたことがあります。岡部さんの話を聞くと、ロシアの苦戦の理由がよくわかります。
 岡部 それに兵士の練度が実に低い。米国の調査資料によると、ロシア兵の6~7割が、18カ月から20カ月の徴兵期間に集められたそうです。……
 福江 ……
 岡部 しかも虐殺や、略奪が横行しているという情報もありますから、軍の規律は喪失している。部隊の統制が利いていないのでしょう。」
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 ウィキペディア
 イロヴァイスクの戦い
 ドンバス戦争中
 IlovaiskBattleMap 2014 Eng.png
 2014年8月29日、撤退するウクライナ軍(橙)と包囲する親ロシア派(青)
 時 2014年8月7日 – 9月2日
 (3週5日間)
 場所 イロヴァイスク
 ドネツク州、ウクライナ
 結果 DPRおよびロシア軍の決定的勝利;
 ミンスク合意のきっかけの一つとなった。
 イロヴァイスクの戦い(英語: Battle of Ilovaisk)[note 1]は、2014年8月7日、ウクライナ軍と親ウクライナ準軍事組織が、親ロシア派に占領されているイロヴァイスク市(英語版)の奪回を試みた戦闘である。親ロシア派はドネツク民共和国(DPR)およびロシア連邦軍と連携していた。ウクライナ軍は2014年8月18日に市内に進入したが、越境したロシア連邦軍の参戦によって8月24日から26日に包囲された。包囲から数日後、プーチン大統領の同意の元、ウクライナ軍は親ロシア派と合意し、撤退が許されたが、結局、この合意は守られず、脱出中に多数のウクライナ軍兵士が死亡した。
 2016年8月26日、ウクライナ参謀総長兼最高指揮官ヴィクトル・ムジェンコは、敗戦の原因を撤退計画におけるウクライナ軍指揮官の不備と、ロシア連邦軍の介入によるものだと発表した。

 ウクライナ軍の撤退と虐殺
 8月29日早朝、イロヴァイスクが包囲されてから数日後、市内にいるウクライナ軍の指揮官たちは、反政府軍に対して撤退交渉を試みた。ロシア大統領ウラジミール・プーチンは、「包囲下のウクライナ軍兵士のための人道回廊」が確立され、兵士たちの撤退を許すべきであると発言した。 ドニプロ-1大隊の指揮官ユーリ・ベレザはそのような回廊を確立するために早急に合意に達するように奮闘した。ドネツク民共和国首相アレクサンドル・ザハルチェンコは、ウクライナ軍が装甲車両と弾薬を残置するという条件で合意が成立したことを確認した。
 8月29日午前6時、ウクライナ軍の60両の車両縦隊がイロヴァイスク市外へ移動を開始した。午前8時、ウクライナ軍はイロヴァイスクの直ぐ南のMnohopillya村の北部と南部で二つの縦隊を作り、撤退を準備した。北部の縦隊は、第17戦車旅団、第51機械化旅団および警察部隊から成り、戦車4両、何両かの歩兵戦闘車、1,000名以下の人員を含み、ルスラン・コムチャック中将に率いられた。南部の縦隊は、第93機械化旅団およびドンバス大隊から成り、鹵獲したロシア軍のT-72B3戦車を含む戦車2両、歩兵戦闘車2から3両、人員約600名を含み、オレクシィ・グラホフ大佐に率いられた。撤退準備を進める中、ロシア軍の指揮官がウクライナ軍に対して、全ての武器を引き渡し、義勇兵大隊を残していくように要求、合意条件を変更しようとした。イロヴァイスクのウクライナ軍指揮官のルスラン・コムチャック中将は以前の合意に基づき部隊は撤退すると述べ、「完全戦闘状態で行進する」ことを部隊に命じた。縦隊の先頭のトラックは死傷者を乗せ、白旗を掲げていた。
 北部の縦隊は回廊に沿って約1時間で10キロメートル前進したとき、ロシア軍と反政府軍に取り囲まれた。Oleksandrivka村でロシア軍第21自動車化旅団のT-72BA戦車2両と歩兵戦闘車1両がウクライナ軍との衝突で破壊された。クラスナヤ・ポリヤナ渓谷(Krasnaya Polyana)[note 2]の近くで、ロシア軍は迫撃砲重機関銃による攻撃で、北部の縦隊を二つに分断した。後方の梯隊は6両の歩兵戦闘車と警察部隊の多数の車両が破壊され、部隊は全滅した。その間、先頭半分の戦車を含む縦隊はノボカテリニフカ村(Novokaterynivka )へ前進し始めた。その渓谷には、ロシア軍第1065砲兵連隊のD-30 122mm榴弾砲が配置されていた。連隊のトラックは砲兵陣地の近くで破壊された。縦隊先頭の装甲車がノボカテリニフカ村に到着したとき、第17戦車旅団の戦車乗員は掩体に配置されている何両かの戦車と歩兵戦闘車を発見した。衝突が起こり、ウクライナ軍の4両の戦車と歩兵戦闘車が破壊された。何人かの乗員は脱出し、42人のウクライナ軍兵士がその包囲を抜け出して、ウクライナ軍陣地に到達できた。
 南部の縦隊において、ウクライナ軍兵士約300名とドンバス大隊の兵士はチェルヴォノシルケ村(Chervonosilske)に到達することができたが、その間に幾つかの歩兵戦闘車が失われた。その村で、ウクライナ軍部隊はロシア軍第6戦車旅団のT-72B3戦車2両を鹵獲し破壊するとともに、ロシア軍第31空中攻撃旅団の空挺兵2名を捕虜とした。ウクライナ軍の半分の兵士は既に負傷していたが、翌日までに何とか村を確保した。
 8月30日、ドニプロ-2大隊長ユーリ・ライセンコはロシア軍指揮官との接触を試みた。それにより、ウクライナ軍は武器を引き渡し、赤十字ガイダンスに基づき負傷者を後送し、ロシア人の捕虜を解放することが合意された。
 9月1日、内務大臣アーセン・アヴァコフによれば、97名のウクライナ軍兵士が何とかイロヴァイスクを脱出した。
 死傷者
 砲撃により炎上した民間人の車
 ウクライナ軍第51機械化旅団のある兵士は、本状況を「本当の肉挽き器」と表現した[29]。ウクライナ政府は、本事案を「虐殺」と表現した。ある反政府軍指揮官は、イロヴァイスク近くで伏撃を行い、ウクライナ軍兵士173名の捕虜を得たと述べた。彼は、破壊されたドンバスの都市を再建するための労働力として捕虜を使うつもりだと述べた。ウクライナ当局は、総じて、親ロシア派軍によって500名以上のウクライナ軍兵士が捕虜となったと発表した。その後。ウクライナ義勇兵大隊の指揮官と兵士たちはウクライナ陸軍のリーダーシップを非難し、「ウクライナに裏切られた」と感じた。
 捕虜となったロシア軍兵士(判明分):
 第331空挺連隊の兵士10名(後にロシア政府高官はこの兵士たちを認めた。)
 第8山岳迫撃砲狙撃旅団の兵士1名
 第31空中攻撃旅団の兵士4名
 第6戦車旅団の兵士2名
 民間人の死傷
 イロヴァイスクからウクライナ軍の撤退後、ドンバス大隊が駐屯していたイロヴァイスク第14学校の裏庭にあった3体の遺体の共同墓地が掘り返された。国際連合人権高等弁務官事務所はその犠牲者を地元住民と同定した。検死報告書によれば、2体には銃創があり、1体はおそらく砲弾により死亡した。
 国連監視任務は、ウクライナ軍によって執行された殺人行為(死刑)は大規模かつ組織的なものではなかったと発表した。メディアによって流布された、ウクライナ軍による大規模な死刑執行といった主張は、信頼できる目撃者の証言および検死データからは証明できなかった。
 余波
 9月4日、ウクライナ軍部隊に対するウクライナ検事総長による刑事捜査が行われた。同日、全ウクライナ連合「祖国」の政治家アンドリー・センチェンコが率いる臨時議会委員会が、ヴェルホーヴナ・ラーダ(ウクライナ最高議会)の議員446名中226名の承認により設立された。アンドリー・センチェンコによれば、イロヴァイスクの戦いで1,000名以上の兵士が死亡した。
 10月14日、国防大ヴァレリー・ヘレテイは辞任を余儀なくされたが、これは一部には戦闘中の軍事調整の失敗に対する責任のためであった。
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 ロシアの侵略からウクライナを守り、大軍のロシア軍に対して徹底抗戦を支えている共通認識はウクライナ人の民族主義ナショナリズム)である。
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 ウクライナのゼレンスキー大統領や政府閣僚、政治家や官僚のような勇気ある人物は、現代の日本で少ない。
 それを証明するのが、2022年参議院選挙に於ける各党の候補者の発言を見ればわかるし、例え勇ましい事を演説したとしてもその本心はそこにはない。
 つまり、現代の日本人は昔の日本人とは違う日本人である。
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 現代の日本は、シビリアン・コントロールの大原則に従って政治家や官僚は戦争の素人ばかりでプロはいない。
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 日本にとって、ロシア、中国共産党政府、北朝鮮は信用してはならない危険な相手である。
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