🎄48」─2─昨日の同盟国は今日の敵国。イギリス海軍はフランス艦隊を攻撃した。メルセルケビール海戦。~No.156No.157 

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 現代の日本人は、日本の歴史はもちろん世界の歴史さえ理解できない。
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 敵に降伏した同盟国の無傷の軍隊は、敵軍になる前に攻撃して撃滅し、一緒に戦った旧戦友を敵兵として殺した。
 例えれば、日本が中国共産党政府に降伏すれば、アメリカにとって日本は敵国となり、アメリカ軍は自衛隊を敵軍として攻撃する。
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 2022年7月号 WiLL「天下の大道 降伏の代償
 島田洋一
 中国軍が攻めてくれば、犠牲者が出ないうちに速やかに降伏するのが良い、と説く論者たちがいる。
 彼らが理解していないのは、その瞬間に、世界最強の軍事力を誇るアメリカが味方から敵に変わるという現実だ。
 北京の軍門に下り、基地として使われる日本は、米国(およびその陣営)にとって、破壊対象以外の何ものでもない。
 共に戦うから同盟国なのであって、降伏、特に無傷のまま身を差し出すような降伏をすれば、はっきり敵陣営の一角と見なされる。かつて合同演習もしただけに弱点がどこかつぶさに分かる。直ちに急所を突く攻撃を・・・。歴史はそうした実例に満ちている。
 第二次世界大戦初期の1940年7月3日、イギリス海軍が同盟国(だった)フランスの艦隊に総攻撃を加えた。地中海に面した仏領アルジェリアのオラン近郊の湾に停泊していた船舶群だった。
 その2週間前、フランスはドイツに早々と降伏し、パリへの無血入城を許していた。
 そのためイギリスは、爾後(じご)フランス艦隊はドイツ軍に組み込まれ、海洋国家イギリスの生命線たるシーレーンを断ち切られかねないと懸念し、先手を打って殲滅作戦に出たわけである。
 フランス海軍のダルラン司令官はこの間、艦隊を引き渡さない英側の要求を拒否しつつ、ドイツ軍の自由には決してさせないと説得を試みたが、英側は納得しなかった。
 英軍の爆撃でフランスには1,297人の死者が出ている。戦わずに手を上げれば無事に済むといった都合のよい話には、残念ながら多くの場合ならない。
 むしろ占領軍による暴虐と、かつての友軍による攻撃の両方に晒される最悪の状況となりかねない。
 日米安保条約には、『いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行われた後一年で終了する』との規定がある(第10条)。
 中国占領下に誕生した日本の傀儡政権は、直ちに日米安保の廃棄を宣言するだろうが、米軍は、一年間は在日基地に居座る権利を主張できる。
 ここで改めて、なぜアメリカが日本とのみ、NATOのような相互性を持たない片務的な条約を締結したのかを考えてみよう。
 『日本軍国主義』を抑え込む意味でも、太平洋の対岸に南北に長く延びる(琉球諸島も含めれば台湾の近傍まで延びる)戦略的日本を敵対勢力の手に渡さないためにも、日本領内に米軍基地を維持することが死活的に重要と意識されたゆえである。
 日本が無抵抗のまま降伏し、中国に軍事基地、産業拠点として利用される事態を黙って見ているほどアメリカはお人好しではないだろう。
 たとえば、米第七艦隊の旗艦である揚陸指揮艦ブルーリッジ、空母ロナルド・レーガンなどが母港とする横須賀基地を、米政府が無傷で中国に献上するはずがない。
 撤退を余儀なくされる事態に至れば、使用不可能な状態に破壊したうえで去るだろう。
 テロリストが侵入したため激しい銃撃戦になった、弾薬庫に火炎瓶が投げ決まれ大爆発を起こしたなど『原因』はいくらでも考え出せる。
 ちなみに岸田首相は、ロンドン訪問中の5月5日の演説で、幼い頃に広島で聞いた被爆体験が『私を、平和を取り戻すための行動に駆り立てる』と述べ、『核兵器のない世界』を訴えるため、日本が議長国となる来年の先進国七ヵ国首脳会議(G7サミット)を地元広島で開催したい意向をにじませたという、筋違いと言うほかない。
 日中露サミットを広島で開催し、習近平プーチン両氏に核兵器先制不使用を誓わせるというならまだしも(あり得ないが)、核抑止力も含めて集団自衛体制の強化を論議すべき自由主義陣営のサミットで、議長が核廃絶(これまた予見し得る将来あり得ないし、捨てるにしても自由主義陣営は最後に捨てねばならない)を得々と語ればバカにされるだけだ。
 むしろ防衛大学校があり、米太平洋軍の拠点でもあって日米安保体制を象徴する横須賀辺りを開催地としてはどうか。
 『お前は核の惨禍を知らないとは誰にも言わせない。まさに広島、長崎の再発を防ぐため独自核保有に乗り出す』と宣言する『蛮勇』が岸田氏にあるならともかく、広島はG7サミットにふさわしい地ではない。」
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 メルセルケビール海戦(Attack on Mers-el-Kébir)は、第二次世界大戦でのイギリス海軍とフランス海軍との間の海戦[3](地中海攻防戦)。北アフリカ仏領アルジェリアの主要港オラン(メルス・エル・ケビール)に停泊していたヴィシー陣営の海軍艦艇に対し、1940年7月3日にイギリス海軍のH部隊が艦砲射撃を加えて甚大な被害を与えた[4]。カタパルト作戦(フランス語版)の一局面である。
 背景
 「ダンケルクの戦い」、「エアリアル作戦」、および「サイクル作戦」も参照
 1940年(昭和15年)5月、ドイツ軍 (Wehrmacht) は西部戦線で攻勢に出て、連合国軍は大敗した。イギリス海外派遣軍はダイナモ作戦により、ヨーロッパ大陸からドーバー海峡を越えてブリテン諸島に撤退した[8]。 6月10日、イタリア王国が枢軸陣営として連合国に宣戦布告し、地中海戦線が形成された。 6月22日、フランスはドイツと独仏休戦協定を、6月24日にイタリアと休戦協定(イタリア語版、フランス語版)を締結し、事実上降伏した(ナチス・ドイツによるフランス占領)。フランス本国では、ペタン元帥が率いる親独のヴィシー政権が発足する。ヴィシー政権はドイツと和解し、軍事的には中立を宣言した。そして同政権に帰属することになったヴィシー軍(英語版、フランス語版)のフランス海軍も、枢軸陣営および連合国のいずれへの協力もしない中立の立場をとった。この時点で、フランス艦隊の主力艦(ダンケルク級戦艦、プロヴァンス級戦艦、クールベ級戦艦)は健在であった。
 「カタパルト作戦」も参照
 フランス陸軍のシャルル・ド・ゴール将軍は6月18日の呼びかけ(英語版、フランス語版)をおこない、イギリスにおいて自由フランス(亡命政権)が樹立し、同時に自由フランス軍も発足した。ヴィシー政権と自由フランス政府が樹立した時のイギリス首相は、ウィンストン・チャーチル卿であった。イギリスは、ヴィシー政権側フランス海軍の艦船(特に新世代戦艦)がナチス・ドイツの軍門に下り、ドイツ海軍 (Kriegsmarine) が飛躍的に強化されることを怖れた。 連合国のシーレーンは、既にUボート仮装巡洋艦ポケット戦艦の脅威に晒されていたのである。イギリス海軍はフランス艦隊(ヴィシー陣営)が枢軸陣営(ナチスドイツ、イタリア王国)に渡らないように、イギリス軍もしくは自由フランス軍の指揮下に入れるか、無力化(英語版)するために作戦行動を起こした(「カタパルト作戦」)。
 フランス戦艦は以下のような扱いを受けた。イギリス本土に滞在していたクールベ級戦艦のクールベとパリはイギリス軍に接収され、のちに自由フランス軍の自由フランス海軍に編入された(自由フランス海軍艦船一覧)。同級のオセアン (Océan) はフランス本国にいて、カタパルト作戦の脅威に晒されなかった。
 フランス地中海艦隊(ゴドフロイ提督)に所属してアレクサンドリアにいたプロヴァンス級戦艦のロレーヌ (Lorraine) はイギリス地中海艦隊に抑留され[24]、後日あらためて自由フランス海軍に編入された。
 アルジェリアのオラン(メルス・エル・ケビール)に停泊していたダンケルク級戦艦2隻(ダンケルクストラスブール)とプロヴァンス級戦艦2隻(プロヴァンスブルターニュ)に対し、ジブラルタルを拠点とするイギリス海軍のH部隊(フッド、ヴァリアント、レゾリューション、アーク・ロイヤル)が攻撃をおこなったのが、本海戦である。
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 イギリスにとって、ドイツ軍と共に戦ったフランス軍は味方であったが、降伏後のビシー・フランスは敵と見なして攻撃したが、ド・ゴール率いる自由フランスは味方として助けた。
 戦場には、敵か味方かの二者しかいない。
 戦闘に参加しない一般市民がいたとしても、敵陣営にいれば幾ら殺して犠牲者を増やそうとも戦場をうろつく方が悪いとして容赦なく攻撃した。
 つまり、戦争が始まれば勝つか負けるかの何れしかなく、攻撃をさせないという人の盾など無意味で、戦場の民間人の死は勝つ為の不可抗力として切り捨てられる。
 そして、その責任は敗者が100%負い勝者は免除される。
 ゆえに、戦争は勝つか負けるかで、日本好みの負けて勝つなど論外である。
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 日本にとって、中国共産党政府とロシアは日本を侵略してくる敵であり、北朝鮮中国共産党政府とロシアは核ミサイルを撃ち込んでくる敵であった。
 ロシアも中国共産党政府も、相手国が核保有国であれば話し合いに応じて妥協点を探るが、非核兵器保有国であれば話し合いに応じる気は全くない。
 よって、中国共産党やロシアに対して粘り強い話し合い交渉は存在しない。
 それは、これまでの日ソ交渉・日ロ交渉の歴史を見れば一目瞭然である。
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 日本の外交は、同盟国であるアメリカの国力と軍事力という裏書きがあってこそ有効であり、アメリカの支持を受けているという裏書きがなければ哀れな弱者の悲鳴・哀願に過ぎない。
 話し合い外交で戦争の危険性のある問題を解決するという理想的平和主義は、降伏か戦争かの二者択一しか残らない薄ら寒い絵空事である。
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 もし、左翼・左派・ネットサハなどの革新派・リベラル派・一部の保守派、反米派・反安保派・反在日米軍基地反対派、護憲派・反自衛隊派、親中国派や媚中派らが国会の多数派となって、日米安保条約を破棄し、日米同盟を解消した時、アメリカは日本を中立国と認定せず同盟国ではなく友好国でもなく中国共産党政府やロシアに味方する敵国と見なし、攻撃対象とする。
 つまり、反米として安保条約を解消するには、アメリカと戦争をする覚悟が必要である。
 それは、ロシアのウクライナ侵略戦争に危機感を感じたフィンランド、スエーデンが中立国を止めて軍事同盟のNATOへの加盟を申し込んだ事でわかる。
 歴史的事実として、世界情勢では利害を共にする国は敵か味方であった、何方でもない中立・中間は存在しない。
 その現実は、世界を巻き込んだ第二次大戦時における全ての国の動きを見ればわかる。
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🔯61」─3─高い未婚率で消滅したベネチア共和国は人口激減する日本の未来。~No.227No.228 

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 2015年8月29日 東洋経済ONLINE「今の日本が「滅びた国々」に酷似しているワケ
 存続するために必要な戦略とは
 日本が国家として存続していくために必要なものとは(写真:ジャパ/PIXTA)
 日本は今、歴史の「特異点」を越え、1500年以上継続した国家が存続しうるかさえ心配になるという。『日本が世界地図から消滅しないための戦略』の著者、月尾嘉男氏に聞いた。
──古代のカルタゴベネチア共和国にそれほど似ているのですか。
 歴史上長期にわたって安泰で、大いに繁栄を謳歌していたのに消えてしまった国々だ。カルタゴは紀元前に建国後670年ほどでローマに、ベネチアは1100年ほどでナポレオンによって地中海の覇者の座から引きずり下ろされ、消滅した。
 最先端技術を持てない国は弱い
 月尾嘉男(つきお・よしお)
●1942年愛知県生まれ。東京大学工学部卒業、東大大学院工学系研究科博士課程修了。工学博士(東大)。名古屋大学工学部教授、東大工学部教授、東大大学院新領域創成科学研究科教授、総務省総務審議官などを経る。著書に『100年先を読む永続への転換戦略』『先住民族の叡智』など
 カルタゴが滅びた要因を今の日本と比べつつ分析すれば、大きく三つに集約される。一つは、もともと本土は人口20万ほどの国でローマと戦うような大軍はとても持てなかったこと。ヌビア族というアフリカの先住民族を傭兵として雇った。だが、傭兵はカネでどちらにも転ぶ。ローマとの3次、120年にわたるポエニ戦争で問題が噴出した。この事実からの教訓は、安全保障を米国に頼る日本の面倒を米国は最後の最後まで見てくれるかといえば、それはわからないということ。
 二つ目は、カルタゴは経済大国だったが、文化大国ではなかったこと。つまり、カネ稼ぎには大いに才能があった。その証拠に第2次ポエニ戦争で負け、ローマが50年年賦でとんでもない賠償金を課した。1年分がローマのGDP国内総生産)に近かったという。それでもカルタゴは頑張って半分ぐらいの年数で支払った。こんなに稼げるやつはいずれ反抗してくるとローマは見逃さなかった。逆に警戒心をあおったのだ。
 三つ目は、ローマのマルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウスという政治家の恨みを買ったこと。後に大カトといわれた彼は第2次ポエニ戦争に兵士として従軍し、ほうほうの体で逃げ帰った体験を持つ。戦争が終わって視察団長としてカルタゴに出向いた大カトは、帰国後ローマの市民に見事なカルタゴ産のイチジクを見せながら、「ここからわずか3日の船旅先のアフリカ北岸にこんなに豊かな産物を生産し繁栄している国がある」と演説する。彼はその後どのような演説でも、いつもデレンダ・エスト・カルタゴカルタゴを殲滅すべし)と締めくくったという。
 大カトは、カルタゴからすれば誹謗(ひぼう)に近いことまでまくし立て、ローマ人のカルタゴを滅ぼそうとする士気を鼓舞し、それが第3次ポエニ戦争に結び付いた。今の日本に立ち返れば、何やらどこか似ていないか。
──ベネチアは?
 まず技術革新に対応できなかった。アルセナーレといって今もイタリア海軍が使っている造船所を造り、そこで早く安く大量に軍艦を造る画期的な技術を開発した。だが、レパントの海戦で連合軍に参加し、それまで無敵だったオスマントルコに勝った頃には、ポルトガル、北欧、オランダなどで新しい帆船の技術が開発されていた。この風上にさかのぼれる帆船は、大型になるから造船費用も高くなる。これに対してベネチア議会は造船費用をそれほど増やさなかった。結果、船の数が減って弱体化していく。
 最先端技術を持てない国は弱い。最近、日本の技術関係者がショックを受けたのはロボットのコンテストだ。1次審査の際は東京大学助教クラスが開発したロボットが断トツだった。翌年、2次審査になったときには、そのチームは米グーグルに買収されていた。日本は6チームが残っていたが、いずれもビリから並んでしまった。ちなみに1位は韓国だった。技術でトップでないと、結局国力を弱めることにならないか。
──同時に地政学的な問題もあったようですね。
 確かに、変貌する地政学的な問題があった。ポルトガル王室の肝いりで、喜望峰を回る航路をバスコ・ダ・ガマが開拓する。ベネチアの船でアジアに行くには途中で陸路を行く必要があった。新しい帆船ならいきなりアフリカ大陸を回り、東アジアのコショウや絹の買い付けができる。その発着地点はポルトガルリスボンやスペインのカディスやパロスになり、ベネチアは従来の地図の中央ではなく、端っこに位置するのと同様になる。新興のポルトガル、スペインが発展しベネチアは凋落していく。
 戦後日本の発展要因には、ソ連や中国に対する最前線という地政学的な位置が大いに関係した。米国を筆頭とする資本主義国の出先の位置として格好だったのだ。しかし、今や世界の主要地間をノンストップで行き来できるようになり、日本の中ソ近接は有利な地位ではなくなった。日本は、かつて中継地として繁栄し今やアラスカの寒村に戻ったアンカレッジのようになる可能性がある。米中、米ロの関係いかんで、日本の位置が世界的に見て大事かどうかはわからなくなってくる。
 国はつねに安泰であるわけではない
──ベネチアは未婚率も高かったとも。
 ベネチアは法律で本土(陸地)に土地を持ってはいけないと決めていた。ところが貴族は本土の貸家業で儲けるのがリスクも少ないと土地を買いだす。土地を持つと、子供が多ければ相続で争いになる。子供は少なくと、ベネチアでは16世紀でも結婚適齢男子の5割近くが結婚せず、18世紀には66%が未婚だった。最近の日本の20代、30代の婚姻率を見ると、16~18世紀のベネチアとうり二つなぐらい似ている。
 たまたまカルタゴベネチアと二つの国を紹介したが、それは日本が、その二つの国が弱体化し滅びたときの条件にあまりにぴったり当てはまるからだ。国はつねに安泰であるわけではないと気づいてほしいものだ。
 2006年から12年まで、「地球千年紀行~先住民族の叡智に学ぶ~」と題するテレビ番組を作っていた。極端な表現を使えば、国家、国境はもちろんのこと、言葉、宗教さえ伝統的なものを廃された人たちの姿を放映した。世界70カ国に5億人ぐらいはそういう状態の人がいる。歴史は国家興亡の記録である事実を知ってもらいたかった。
──では、日本はどうしたら。
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 一言で言うと日本が「特異点」(シンギュラリティ)を越えたこと、つまり社会の構造が根底から変わってしまう産業革命のような節目を、多くの分野が1990年代前半には通過したことを自覚することだ。経済大国になることはあきらめて、世界の人々を魅了する魅力大国になるように精を出す。日本くらい外国の人があこがれる文化がいっぱいある国は少ない。それを日本の力にして文化大国になればいい。
 たとえば最近になって和食が世界的なブームといわれているが、さかのぼると40年近く前に当時のフォード米国大統領が自国民の栄養改善に理想的と太鼓判を押してさえいる。
 塚田 紀史さんの最新公開記事をメールで受け取る(著者フォロー)」
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 軍事大国ローマ共和国の侵略で消滅した経済大国カルタゴは、日本に似ている。
 ローマ共和国は、さしずめ中国共産党政府かロシアである。
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 18世紀のベネチアは未婚率が66%で国力(経済力・国防力)が衰退し、ナポレオンの大軍に攻められても武器を持って国を守る国民・兵士が少なかった為に防衛戦争の継続ができなくなって降伏し、大国イタリア王国に吸収され、地球上から自主独立国家ベネチア共和国は消滅した。
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 日本が迎える少子高齢化による人口激減の人生100年時代とは、老人が多く若者が少ない少生(産)多死社会である。
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 現代の日本人は昔の日本人に比べて、口で言うほど歴史が好きではないし歴史が理解できない。
 何故なら、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がないからである。
 その傾向は、高学歴な知的エリートや進歩的インテリに多い。
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 ヴェネツィア(イタリア語: Venezia ( 音声ファイル))は、イタリア共和国北東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約26万人の基礎自治体コムーネ)。ヴェネト州の州都、ヴェネツィア県県都である。ヴの表記によりベネチアと表記されることもある。
 中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」などの別名を持つ。英語では「Venice」と呼ばれ、これに由来して日本語でもヴェニス、ベニスと呼ばれることもある。漢字表記は勿搦癸亜, 勿搦祭亜, 勿耨茶.
 歴史
 15世紀半ばのオスマン帝国の進出により、ヴェネツィアの海外領土が少しずつ奪われていき、最盛期は終わりを告げた。1538年におけるプレヴェザの海戦で、オスマン帝国は地中海の制海権をほぼおさえ、さらにヴェネツィアにとっての圧力となった。そのうえ、大砲の登場により干潟に住むメリットがなくなってしまった。その後の諸外国の侵略や、ほかのイタリア都市の攻撃で、ヴェネツィアの力は弱まった。また、1497 - 98年にポルトガルの航海者ヴァスコ・ダ・ガマ喜望峰をまわるインド航路を発見したため、貿易の対象がアジアに移り、アメリカ大陸が発見され、時は大航海時代へ遷るとともに貿易の舞台はアドリア海から大西洋や太平洋に移り、ヴェネツィアの貿易に対する影響力は低下、衰退は加速された。これに対してヴェネツィアはガラスやレースなどの工芸品を作ることで対処した。1508年、ヴェネツィアに対抗して神聖ローマ帝国教皇、フランス、スペインは同盟を結び、ヴェネツィア領土内にある財産を没収した。1516年、ヴェネツィアは巧妙な外交でイタリアでの支配権を取り戻したが、海洋国家としての地位は回復できなかった。
 1797年、ヴェネツィア共和国ナポレオン・ボナパルトに侵略され、ついに崩壊した。カンポ・フォルミオ条約により、ナポレオンはその領土をオーストリアに引き渡した。オーストリアは1805年にフランスが支配するイタリア王国に譲ったが、1814年には奪回。オーストリア港湾都市としてヴェネツィアよりトリエステを重視したため、ヴェネツィア経済は衰退した。その翌年、ヴェネツィアロンバルディアロンバルド=ヴェネト王国を作った。ヴェネツィア人はイタリアの政治家ダニエーレ・マニンの指導のもとで、1848年にオーストリア支配に対する反乱(1848年革命)を起こし、ヴェネト共和国を建国した。しかし、その翌年にオーストリアの攻撃により降伏した。1866年に普墺戦争が始まると、イタリア王国はこれを第三次イタリア統一戦争としてオーストリアに宣戦布告し、この結果ヴェネツィアとヴェネト地方はイタリア王国編入された。
 1987年、世界遺産文化遺産)に『ヴェネツィアとその潟』として登録された。
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 ヴェネツィア共和国
 最も高貴なる共和国ヴェネツィア(ヴェネト語: Serenìsima Repùblica de Venexia(Venessia)、イタリア語: Serenissima Repubblica di Venezia)、通称ヴェネツィア共和国ヴェネツィアきょうわこく、Repùblica de Venessia、Repubblica di Venezia)は、現在の東北イタリアのヴェネツィアを本拠とした歴史上の国家である。7世紀末期から1797年まで1000年以上の間に亘り、歴史上最も長く続いた共和国である。「晴朗きわまる所」や「アドリア海の女王」とも呼ばれる。東地中海貿易によって栄えた海洋国家であった。
 経済
 ヴェネツィア共和国は、イタリア最大の水系であるポー川を含む河川と、アドリア海の制水権を獲得しつつ商業を拡大させた。のちにはイオニア海、東地中海へと領地を拡大して支配力を高めた。
 食料交易
 食料を自給できないヴェネツィアにとって、初期の交易では食料の調達が特に重要とされた。ポー川をはじめとして内陸からアドリア海に流れる河川にそって交易が行われ、イタリア王国内にあるヴェネツィア修道院や貴族の土地や、内陸の都市から食料を入手した。重要な河川には警備のための要塞や艦隊が用意された。
 海路では、東ローマ帝国の食料交易などに加えて、教皇領のあるマルケ地方、シチリア王国、ラテン帝国やアカイア公国などのギリシア諸国、クレタ島などから食料を輸入した。さらには、小麦、ワイン、オリーブ油、いちじく、チーズ、塩などの食料を海外から内陸都市へ再輸出することを独占し、対立する都市には禁輸を行うなどの政治的手段も用いた。
 東ローマ帝国での交易
 ヴェネツィア商人は東ローマ帝国内での特権によって、帝国内の都市間や、シチリア王国、十字軍国家、エジプトなどの諸国家と交易を行った。胡椒や絹などの東方貿易の商品のほか、オリーブ油、ワイン、綿、羊毛皮、インディゴ、武具、木材、奴隷などが取引された。帝国内では大土地所有者が支配的地位にあり、商人は排除されていたため、帝国内で多大な利益をあげた。
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💣9」─2─ロシアはソ連時代から嘘つきで人殺しの常習犯で信用できない。~No.33 

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 2022年6月号 WiLL「ロシアを決して信じるな
 平然と嘘をつき、人殺しができる──プーチンの野蛮性・残虐性の正体
 中村逸郎
 敵を徹底的にやっつける
 プーチン大統領──ウクライナへの軍事侵攻する意図はないと言いながら、戦争を始める──そんな嘘を平然とつくことができる傲岸さ。そして、街々を破壊し、人々を残虐に殺す冷酷非道さ。
 プーチン氏の野蛮性・残虐性は、どこから来るのか。
 一つにはプーチン氏の個人的な幼児体験が大きい。『プーチン、自らを語る』(ナタリア・ゲヴォルクヤン、アンドレイ・コレニコフ、ナタリア・チマコフ著/扶桑社/2000年)では、次のようなエピソードが語られています。
 プーチン氏は少年の頃、レニングラード(当時)にある五階建て集合住宅の一部屋に家族3人と暮らしていました。台所、トイレは共同で、風呂は銭湯に通うような貧しいところです。そんなプーチン少年にとって、遊び場といえばアパートの廊下や中庭、街頭で、特に階段踊り場の穴に棲むネズミ相手に友達と一緒に棒でいじめて遊んでいたのです。
 ある時、大きなネズミを見つけ、廊下の隅に追い詰めました。ところが逃げ場を失ったネズミは突然くるりと向きを変えると、プーチン少年に飛びかかってきたのです。驚いて慌てて逃げるプーチン少年をネズミは踊り場を飛び越え、階段を駆け下りて追ってくる。プーチン少年の逃げ足は早く、間一髪ドアを閉めて難を逃れることができたのです。
 まさに『窮鼠猫を噛む』をプーチン少年は目の当たりにしたわけですが、この実体験をもとにプーチン氏は『敵は、徹底的にやっつけねばならない。少しでも余力が残っていると、敵は力を回復し、将来、状況が逆転させるかもしれない』という哲学をつくり上げます。
 力こそすべて
 プーチン氏の思想を支えているのが、停戦交渉を行うロシア代表団のトップ、メジンスキー大統領補佐官です。メジンスキー氏は国会議員を経て、41歳の若さで文化省の大臣に就任。
 メジンスキー氏の思想は非常に特異なものです。著作の中でロシア人(スラブ人)がいかに残虐な民族であるかを書き連ねています。
 ・ロシアは諸民族の牢獄である
 ・ロシア人は怠け者で盗みグセがある
 ロシアの抑制と弾圧の歴史、ロシア人の残虐さを肯定する彼の思想は、今のプーチン氏の政治スタイルそのものです。
 メジンスキー氏の思想は一言でいえば『力こそすべて』。力さえあれば知性は必要ありません。軍事大国、スポーツ大国の志向も、その表れです。
 ……
 メジンスキー氏は、ロシアは欧米、そしてアジアに属さず、これら両方の思想に対して、ロシアは独自の思想を樹立するべきであると提唱しています。要するにロシア民族主義です。
 我々の常識から逸脱するような言動は、ロシア側から発せられるのも、そこに起因しています。合理的判断とはかけ離れていることをわざとすることでロシアの力を誇示する。
 ……
 今回の場合、『特殊な軍事作戦』としてウクライナ東部のロシア系住民がネオナチの民兵に抑圧されているから解放するとして軍事侵攻しました。しかし、侵攻の大義名分と現実的な結果がどれほどかけ離れていようが、大いに結構だと考えています。『ロシアとはこういう国だ。わかったか』ということが誇示できれば成功なのです。
 避難民は武器の一つ
 プーチン氏の常識外れの言動は、避難民の扱いにも表れています。というのも、プーチン氏の最終目標は、ウクライナ避難民を欧州に送り込むことにある。今回のウクライナ戦争ではポーランドへの約240万人もの避難民をはじめ、多くの人々が欧州各国に逃げています。……
 プーチン氏の目論見は何か。欧州(EU)の分断です。
 ……
 プーチン氏の狙いはここにあります。もっといえば、プーチン氏にとって避難民は一つの武器に過ぎない。だから、すさまじい虐殺を行っても、ウクライナを火の海にしても平然としていられる。慄然(りつぜん)とするほどの非人道的発想です。
 さらに、プーチン氏の発言を分析すると、嘘をよくついています。これもロシア的性格を表しています。
 ロシア人の友人から聞いた話です。
 『相手を信じやすく、騙されやすい人は、すぐにロシア人の恰好の的(まと)となり、騙されてしまう。このタイプの人間には、嘘の約束をするのが一番だ。だって嘘だとわかっても、相手は「そんなはずはない。なにかの誤解でしょう」と勝手に信じ込んでくれるからね。だから、ロシア人はどんどん嘘の約束を重ねていけばいいだけのこと。実際には何も実行しなくてすむし、失うものはないので、こんな楽な相手はいない』
 このようなロシアの流儀はメディアでは頻繁に行われています。……
 日本を銀行のATMのように
 ロシアの嘘は国家間の交渉でも公然と行われています。交渉のはじめに嘘をついておく、つまり、嘘から交渉をスタートさせるのです。日本はまさに北方領土問題の交渉の場で、そんなロシアの流儀に翻弄されています。
 2016年5月、ロシア南部のソチで開催された安倍晋三首相(当時)とプーチン氏の会談は、北方領土返還に向けて盛り上がりを見せました。両首脳は長年の懸案に『新しいアプローチ』で解決の糸口を見つけることで合意したのです。安倍首相も『この問題を二人で解決していこう。未来志向の日露関係を構築するなかで解決していくことで一致しました』と明るい見通しを示していました。
 ところが、領土問題の見通しは不透明なままで、日露経済協力の新しい枠組みが提起された。……
 『新しいアプローチ』とは、領土問題を棚上げにして、ロシアが日本からの経済協力だけを引き出そうという魂胆に過ぎないのではないか。プーチン政権が狙っていたのは経済協力であり、そもそも領土交渉なんて、ハナからテーブルにのせる気はなかった──。
 ……領土交渉というニンジンを眼の前にぶら下げておいて、経済協力を引き出す。プーチン政権は日本を銀行のATMのように思っていたのかもしれません。
 そのごも2016年12月、山口県長門市プーチン氏が訪問、安倍首相との会談が実現。……今度は北方領土への日本からの経済協力を求めるものだったのです。
 ……ロシアは自国の主権を脅(おびや)かす制度設計など論外というのが本音なのでしょう。またしても日本はロシアに騙されたのです。
 さらにプーチン氏は2018年9月、日露間の平和条約締結をぶち上げました。しかも年末までにと期限まで設定したのですが、結局、約束した2018年末までに平和条約が締結されることもなければ、それに向けての進展もまったく見られませんでした。
 むしろ、2019年に入ると、領土問題へのロシア側の姿勢が明らかに変化します。プーチン氏の側近たちが北方領土を支配する正当性を躍起になって主張し始めた。ラブロフ外相は年頭会見で『日本が第二次世界大戦の結果を受け入れる』ように強く求めました。『北方領土』という名称を使いことにも、不快感を露わにしています。
 さらに同年8月には、ラブロフ氏は平和条約について交渉する条件として『日本が第二次世界大戦の結果を認める』ことを挙げました。プーチン氏は平和条約交渉にあたって『いかなる条件もつけない』と公言した一方で、日本政府としては厄介なラブロフ氏を相手に交渉することを余儀なくされたのです。
 加えて、ラブロフ氏の発言の直前、メドヴェージェフ首相は択捉島を訪問し、『クリル諸島北方領土)はロシアの領土に決まっている』と記者団を前に薄笑いを浮かべています。
 ロシア政府の高官たちが北方領土に対して、強硬な発言を繰り返すのはなぜか。要するに領土問題を解決するために、日本が乗り越えなければならないハードルをロシアはどんどん高くしているのです。ロシアのメディアは『それでも日本はどんどん妥協してくる』と報じています。
 安倍首相はプーチン氏と27回も会談をしたことを誇っていましたが、最終的には甘く見られたのではないでしょうか。実際に経済協力をすればするほど、北方4島返還が遠くにかすんでいった印象を受けます。なんのための経済協力なのか。……
 プーチン氏からすると、そうやってエサをちらつかせることで、相手をどんどん角に追いやった。……
 ……安部氏はそんな態度を取ってしまった。プーチン氏からすると尻尾を振ってする寄るポチのように見えたのではないでしょうか。そんな態度を見せると、プーチン氏にますます舐(な)められるだけ。日本はプーチン氏の性格を把握し、嘘を見破り、角に追いやられる前に毅然とした態度で立ち向かうことが求められる──。〝ロシアを決して信じるな〟です。
 騎馬民族の特性も
 残虐、かつ平然と嘘をつく──。プーチン氏の性格的特異性もありますが、ロシアという国家の特殊性もかかわっています。
 4世紀、ローマ帝国西ローマ帝国東ローマ帝国に分裂しました。東ローマ帝国ではローマカトリックとは異なる東方正教会が主流になります。ローマカトリックの場合、教皇と皇帝の権力は分裂した二重政権体制であり、政治と宗教の相克から『自由・平等』の概念が生まれました。
 一方、東ローマ帝国(のちにビザンチン帝国)の場合、王権または皇帝権のほうが強く、教会の内部組織にまで干渉し、教会機構を支配しました(教皇皇帝主義)。そのため、専制主義的な性格が色濃い支配体制が土壌として根付きます。
 ところが、1453年、オスマン・トルコ帝国によってビザンチン帝国は滅亡します。
 さらに、13世紀~15世紀にかけて、モンゴル人(モンゴル=タタール)の支配を受け、いわゆる『キプチャク・ハン国ジョチ・ウルス)』が誕生します。250年にわたる支配を通じて、騎馬民族の野蛮で残虐な文化・風俗が『ルーシ』(現在のロシア・ウクライナベラルーシ)に流入しました。異民族の支配を受ける中で、相手を騙すことで生き抜く術(すべ)を身につけるようになったのです。
 ところが、同じルーシでも、ウクライナはさほど騎馬民族文化の影響を受けなかったようです。深刻だったのはロシアのほう。ウクライナ人からすると、ロシアは騎馬民族の野蛮な文化に穢されたと見えている。その点がロシアとウクライナの決定的な違いです。
 1932~33年、ウクライナで大飢饉(ホロドモール)が発生しました。当時、ソ連スターリン体制でしたが、ウクライナで農業の集団化政策を断行、豊かな農産物を収奪し、700万~1,000万人に及ぶウクライナ人が餓死させられた。この歴史的事実をもっても、ウクライナ人はロシア人から虐待を受けたとして、今でも恨みの念を抱いています。
 ロシアは専制主義的体制の上に騎馬民族的な野蛮な文化を併せ持っている。このようなロシアの伝統にプーチン氏の性格が合致し、今回のウクライナ戦争が勃発したと考えていいのではないでしょうか。
 苦悩するロシア
 日本人はロシア文学の愛好者が多い。ロシア文学にもロシア人の特性がよく表れています。ゴーゴリの作品、たとえば『鼻』(ある官吏の鼻が突然なくなる物語)を読むとわかりますが、現実と非現実の境界が曖昧で、突拍子もない話にどんどん展開していく。そのようなファンタジー性は、プーチン氏のウクライナに対する認識に似通ったものを感じます。現実認識に立たず、自分たちの都合のいいように解釈し、常識はずれの行動を起こす。
 もう一つ、ロシア人は歴史的体験から正義とは何か、人間の良心とは何か、そんなことを絶えず原点に立ち戻って考えている。苦悩するロシアがそこにはいます。
 ドストエフスキー文学はまさにその典型で、人間の心の奧にある猜疑心や好奇心、欲望を抉(えぐ)り出す。だからこそ多くの人々がロシア文学に惹かれるわけですが、苦悩するロシアは今でもかわりません。
 実際にウクライナ戦争に対して、ロシア国民はどう思っているのか。情報統制のため、実態を何も知らされていないのではないか。そのように見るむきもあるがそれはまったく違います。
 モスクワにいるロシアの友人はメールを通じて『今、モスクワに住んでいる人々の間でプーチン政権を支えようというのは犯罪になる。本当に自分たちが平和を望むのであれば、ウクライナ人になろうということが、モスクワの市民の間でささやかれている』と伝えてきました。
 プーチン政権を批判すれば禁錮刑を受けるかもしれない。でも、本心として戦争なんかやめてほしいと思っている。この分断した苦悩こそ、ロシア人がこれまで受けてきた試練の実態なのです。
 ところが、BCC(英国放送協会)の世論調査では、ロシア国民(29歳未満)の40%がウクライナの軍事侵攻に反対しているとのこと、反戦機運が高まったきっかけは、大統領報道官が『ロシア人兵士がかなり亡くなっている』と発言したことにあります。
 ロシア兵士の『母の会』があり、兵士が親に戦場の模様を伝えているので、そこからロシア国内に伝わってきているのです。そのような情報の拡散もあり、政府はロシア軍の苦境を認めざるを得ない状況になっている。ロシアの国内の政変の可能性もあり得ます。
 しかもプーチン氏は重病を抱えているという情報もあります。……
 ……
 ロシアの歴史を振り返ると、大物政治家が統治した後、必ず動乱の時代を迎えています。プーチン王朝が滅亡すれば、その歴史を繰り返す可能性は高いのではないでしょうか。」
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 いいロシア人が2割、悪いロシア人が3割、悪くもよくもない普通のロシア人が5割。
 いいロシア人の中も行動的な者はウクライナ侵略戦争への反対、批判、非難を込めて、プーチン政権下のロシアを見捨てて国外に出国した。
 沈黙して声を上げない者や行動しない者は、黙認する賛同者である。
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 平気でウソを吐くロシア人・中国人・朝鮮人にとって、何度も騙され酷い目に会いながらも懲りず受けた被害から学ぼうとせずまた同じような手口で騙される日本人は好い鴨であった。
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 ロシアは、ソ連時代から合法・非合法で相手国から強奪した領地は平和的な話し合いで返還した例はなく、ましてや金銭で売り渡した事もなく、友好関係や信頼関係を深めて信用の証として返還した事もない。
 ロシアが奪った領土を返すのは、戦争に敗れて取り返される時だけである。
 その例えからすれば、日本が北方領土4島を取り返す絶好の機会はソ連崩壊後の混乱期であった。
 歴史を知る軍部が強かった戦前の日本では、躊躇なく派兵して北方領土を奪還した。
 歴史を知らない護憲派勢力が強い戦後の日本では、自衛隊を治安維持目的で北方領土に上陸させて取り返す事ができなかった。
 護憲派の実体とは、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、世界的な地政学・地経学、平和学・戦争学の知識がなく、政治、経済、外交、緊急時・非常時・有事、その他など多方面での戦略戦術における思考・立案・決断・実行の能力がない日本人の事である。
 護憲派を歴史上の人物で例えるなら、後漢の平帝を毒殺して帝位を簒奪して天帝理想国家「新」王朝を建国した儒教原理主義者の王莽に似ている。
 清教徒革命を起こして、イギリス国王チャールズ一世を処刑して世襲王制を打倒し軍国独裁共和制を樹立したクロムウェルにはなりえない。
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 ロシア人は中国人や朝鮮人と似ていて相性が良いが、日本人とは別人のように相性が悪い。
 現代日本人がお人好しに信じている「同じ人間だから腹蔵なく話し合えば必ず解り合える」は、現実社会ではあり得ない話で、ハッキリ言ってウソである。
 ロシア人、中国人、朝鮮人にとって、昔の日本人とは違って現代の日本人は操りやすい好い鴨である。
 ロシア人と中国人は仲が悪いは嘘であり、中国共産党政府とロシアの間に楔を打ち込んで引き離す事ができるもウソである。
 地政学が証明するとうり、ロシアと中国の関係は、表面的には異種に見えながら本質は同質で、歴史的に両者は反目し対立したとえ戦争をしていたも唇と歯のような運命共同体として切り離せない深い関係にあり、分離不可能な一衣帯水である。
 つまりは、日本の親露派・知露派は現実も事実もそして真実さえも見えない無能といってもいい日本人である。
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 帝政ロシア時代の露西亜人は、多少なりとも信用できた。
 ソ連共産主義時代のロシア人は、全く信用できなかった。
 現代の新生ロシア時代のロシア人は、信用できるのは3割で、信用できないの7割で、ロシアの政府・政治家、軍人、官僚そして企業家、メディア関係者と文化人・知識人の9割は信じられない。
 ソ連共産主義体制は、ロシア文学クラシック音楽、ロシア演劇など世界に誇れる偉大な民族文化を破壊したが、ロシア映画イデオロギープロパガンダを広め国民を洗脳する装置として利用した。
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 ロシアの日本侵略という脅威は江戸時代後期から存在し、日本は天皇・日本国・民族を軍事力で守る為に明治維新を強行し近代的軍国主義国家へと暴走した。
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 現代の日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力そして世界史的な地政学や戦争学の知識がない為に眼の前にある日本の脅威が理解できず、愚かにも、馬鹿にも、侵略してくる危険性のある敵であるロシア人や朝鮮人・中国人の謀略・陰謀を無条件で信用してしまう。
 その傾向は、政府与党の保守派や財界に強い。
 現代の日本人は、戦前の日本人とは違うし、ましてや江戸時代後期の攘夷運動を起こした人々とも全然違う。
 攘夷運動は、下級武士や庶民(百姓や町人)や下層民(部落民、下人、非人、穢多)の間で広がり盛り上がった。
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🔯15」─2─私たちは神話の中で生きている。~No.48No.49 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年6月号 Voice「筆者に聞く  聞き手:編集部(岩田菜都美)
 『すごい神話』 沖田瑞穂
 私たちは神話のなかにいる
 [バナナとしての人間]
 ──53の神話学講義が収められた本書。専門性の高い選書でありながら、老若男女を問わず広い層に読まれていますね。現代社会との関係性が薄い印象をもつ神話が、なぜ注目を集めているのでしょうか。
 沖田 世界中でブームを引き起こしたインドの叙事的映画『バーフバリ』や、科学と魔術が交錯する世界観を描く日本のスマートフォンゲーム『FGO(Fate/GrandOrder)』などの流行が大きなきっかけとなりました。
 私が大学で神話学の講義を担当して、かれこれ十数年が経ちます。以前は学生たちに神話の英雄や武器の名前を出しても、関心を示してもらえませんでした。
 しかし近年はゲームやアニメの影響で、オリンポス12神や北欧神話世界樹ユグドラシル』などのキャラクター設定が身近なものになっています。固有名詞を入り口に、より深い神話の知識に触れてもらえるのではと思い、本書を執筆しました。
 ──漫画・アニメなどフィクションのストーリーを神話から紐解く手法も印象的でした。とくに『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴原作)がインドネシア神話で説明できるとは驚きです。
 沖田 『鬼滅の刃』では、主人公の竈門炭治郎と妹の禰豆子が家族愛を体現しながら、仲間と命を懸けて戦います。一方、首を取らないかぎり不死である『鬼』は、孤独で愛が欠如した存在として描かれる。
 じつは両者の対立の構図は、インドネシアで死の起源神話と呼ばれる『バナナ型神話』を彷彿とさせるんです。不老不死の石と、死が避けられない代わりに家族をもち、子孫を残すバナナが人間の在(あ)り方について論争する、という神話。
 ──炭治郎たち人間がバナナで、鬼が石ですね。
 沖田 そう。争いが高じて、怒った石はバナナの木を打ち砕いてしまう。しかし、次の日にはバナナの木から子どもたちの芽が生えて生長し、石とのあいだで同じ議論を繰り返す。
 闘いの末、負けたのは不老不死である石のほうでした。石は最期に『人間はバナナのように死ななければいけない』と言い放って谷底に落ちていく。
 重要なのは、石とバナナは両立しない、という点。つまり、永久の命をもつ石が、バナナのような子を儲けて増え続けると、世界のバランスが崩壊して秩序は維持できなくなるということです。
 人間が『不老不死』を実現したら、無数の『石』が永遠に生き続ける、という何ともディストピア的な世界観が立ち現れてしまうわけです。
 ──映画『天気の子』(新海誠監督)のストーリーが、『ギルガメシュ叙事詩』の洪水の神話と正反対の構造というのも目から鱗(うろこ)でしか。
 沖田 ギルガメシュ神話では、大洪水が世界を襲ったのちに水が引いて、新しい世界が始まります。対して『天気の子』は、雨が降り続ける状態で物語が終わる。
 ヒロインの陽菜は天気の巫女であり、彼女が地上にいるかぎり、雨が降り続けてしまう。陽菜が天に戻れば晴天が戻るものの、少年・帆高は彼女が地上に残ることを望みます。
 やがて東京は浸水し。低地には住めなくなってしまう。しかし、人びとは世界をありのまま受け入れるのです。無秩序で話が終わる点は、『反神話的』ともいえます。
 『天気の子』のラストシーンはいろいろな解釈が可能ですが、私はある種の『覚悟』のようなものを感じました。世界の秩序を失っても、男女がお互いを愛し、大切にして生きていく。二人の覚悟を際立たせるために、神話的世界を逆手(さかて)にとったように映ります。
 [神話を利用させないために]
 ──本書には、エジプト神話に登場する『太陽神ラー』の物語も紹介されています。年老いたラーが、人びとを服従させるためにライオンの女神を送り込み、大虐殺を行なう。ロシアプーチン大統領の姿を思わず連想してしまいした。
 沖田 私は時事問題に疎(うと)いのですが、いまのウクライナには神話に近い『伝説』が生まれているのではないでしょうか。
 たとえば、たった一機で何機ものロシア軍機を撃ち落としたという『キーウの幽霊』。あるいは、ロシア軍の戦車の進行を止めるため、ウクライナ軍兵士が橋の上で自爆した話。また黒海に浮かぶ孤島に攻め入ったロシアの軍艦に対して、抵抗を続けた国境警備隊員13人が全滅したとされたのち、全員が生存していたと判明した話・・・。不謹慎な言い方ながら、いずれも英雄伝説といっても過言ではありません。
 戦争に加え、新型コロナウイルスが世界を襲い、自然災害も頻発しています。人類は戦争、疫病、災害という3つの災厄に怯(おび)えながら、新たな神話の時代を迎えているのかもしれない。私たちはいままさに神話が生まれる瞬間に生きているのではないか、と感じざるを得ません。
 ──人間が進む道を間違えないために、神話から学べることはありますか。
 沖田 神話は、基本的に『正解』を提示しません。先ほどの『バナナと石』の話も、どちらの選択が正しいかを示しているわけではない。神話は多面体のように、見える側面によってさまざまな解釈が可能です。ゆえに、時と場所に応じて異なる機能や役割を果たします。
 『曖昧模糊』といってしまえばそれまでですが、裏を返せば、柔軟な解釈が可能だからこそ、長い歴史のなかで埋もれずに必要とされ続けてきたのではないでしょうか。
 ──神話の解釈が各人の受け取り方に委(ゆだ)ねられる『危うさ』については、どう考えられますか。
 沖田 難しい問題ですね。たしかに、神話はしばしば政治的に利用されてきました。
 偽政者は国を統治するために都合の良い史実を切り取って神話化し、民族の誇りにしようとする。人びとを熱狂させる神話の力が権力者に利用されるのは、恐ろしいことです。
 よく『実生活の役に立たない神話を研究して何になるのか』という指摘を受けます。しかしあらゆる学問は、役に立つか否かのみで判断すべきではありません。戦争における神話の政治的利用という現実に直面するいまだからこそ、研究者としてありのままの神話を読み解き、伝えたいと考えています。
 ──沖田さんのご専門はインド神話です。ヒンドゥー教聖典のなかで重要度の高い神話的叙事詩マハーバーラタ』の世界観も、現代に通じるところがあります。
 沖田 マハーバーラタでは、世界は二重構造であると考えます。私たちが生きる世界は、インドの最高神の一人、ヴィシュヌの体内にあり、ヴィシュヌの体外には『本当の世界』が存在するという。まさに映画『マトリックス』を彷彿とさせます。
 荘子の説話『胡蝶の夢』のように、夢と現実のどちらが真実か曖昧模糊とした世界。われわれが『当たり前』だと思う秩序や、身近な人の存在も、もしかしたら幻かもしれない──。『マハーバーラタ』を読むと、人間の一生は、想像以上に儚(はかな)く、脆いものだと気付かされます。
 いま世界中で、『仮想現実』化が推し進められています。現実と虚構の境目が曖昧に重なり合う現代だからこそ、私たちを取り巻く神話が、現実を認識するよすがになるのかもしれません。」
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 日本中心神話は、現代でも民俗伝承・民俗芸能・民俗風土として全国に残り、宗教やイデオロギーに関係なく全ての人はその中で生きている。
 その意味で、日本中心神話は生きている神話である。
 が、グローバル化した現代の日本人は民族性を否定して捨てている為に、外国語を話せても宗教が分からないし、ましてや世界の神話はおろか日本の神話さえも理解できない。
 その意味で、日本民族は生命力を失って消えゆく民族である。
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 大陸の辺境、地の最果て、陸と海の境界、生と死の境目に存在する日本列島で生きる未開民の日本土人は、流れ着いた人びとが持ち込んだ世界中の神話・寓話・逸話を特殊な気候風土に適応した物語に加工して土着化させ、和事としての政治(まつりごと)や文化風習やモノ作り経済に利用したが荒事としての軍事からは切り離して遠ざけた。
 それが、死と血を忌避する「穢れ」信仰である。
 日本には日本独自のオリジナルな神話・寓話・逸話は存在しない。
 つまり、「日本国・日本民族は特殊・特別で優れ秀でて賢い」はウソである。
 日本は、世界の真ん中ではなかった。
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 世界には、民族の数だけ神話が存在するが、国家と神話は同一ではない。
 神話は実社会では役に立たない無用に長物とされ、興味を持つ趣味人・教養人のみが読む古典文学とされている。
 つまり、神話と現代社会は完全に分断され繋がりは一切ない。
 ただし、小説、物語、映画、漫画、アニメ、ゲームなどの題材になる事が多い。
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 民族を分けるのは、集団としての言語・文化・伝統・習慣・風習ではなく、共同体を一つにまとめる宗教であった。
 日本民族をまとめる宗教とは、天皇心神話である。
 天皇への畏敬・敬愛・崇敬そして忠誠が、ある者は日本民族帰化系日本人で、ない者は日本民族ではなく渡来系日本人である。
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 日本民族の、自然崇拝宗教は数万年前の石器時代縄文時代まで遡り、女性神天皇神話は数千年前の弥生時代古墳時代に成立していた。
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 インド仏教教祖の釈迦の生没年は、紀元前463~383年、同560~480年など諸説ある。
 ユダヤ教は、紀元前4世頃に発展したと言われている。
 キリスト教は、イエス・キリストが紀元前4年頃から始めた。
 イスラム教教祖のマホメットは、570~632年まで生きていた。
 中華儒教孔子は、紀元前551~同479年に生きていた。
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 1847(弘化4)年 マルクスエンゲルスは、プロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った。
 マルクス主義社会主義共産主義は歴史の浅い、反宗教無神論の新しいイデオロギーである。
 極左組織フランクフルト学派の哲学者達は、1930年代後半にアメリカに亡命した。
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 仁徳天皇「私はすっかり富んだ。民が 貧しければ私も貧しい。民が豊なら私も豊ななのだ」(かまどの逸話)
 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。 
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 紛れもなき日本民族日本人の切なる願いはただ一つ、数万年前・数千年前の祖先と数千年後・数万年後の子孫の為に、民族中心神話所縁の正統性世襲男系父系天皇制度と神の裔である現皇室の天皇・皇族を守り残す事のみであった。
 日本民族日本人が天皇に向ける畏敬・敬愛・親愛は、情緒、情愛よりも強く深く濃い「情念」である。
 ゆえに、日本民族日本人は天皇・皇族・皇室、国體=天皇制度を守る為ならば死を厭わず、武器を取って戦った。
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 一神教の信仰宗教であるキリスト教ユダヤ教イスラム教が生まれたのは、自然環境の変化が乏しい砂漠かわずかな水と農作物が作れる牧歌的な狭い土地である。
 水も緑もない荒涼として生物が住まない死の砂漠を旅をすると、突然、眼の前に水が湧くオアシスが現れ、人々が住む町や隊商(キャラバン)が集まる町や都市に行きつく。
 それら全てが、神の御意思、神の思し召し、神の計らいである。
 人は、大自然の中に神を感じ、大自然の偉大さに感動して宗教に目覚めるのではない。
 普遍宗教・啓示宗教・信仰宗教の神とは、唯一絶対の存在であり、万物創造の創り主であり、全知全能で万物を司る御一人であり、生と死を支配し怒りと愛で最後の審判を下す御方であり、父なる神である。
 神が為さる計らいを決して疑ってはいけない。
 自然災害や身の不運は、神に叛いた罪・大罪ゆえの天罰である。
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 日本列島では、一神教の信仰宗教であるキリスト教ユダヤ教イスラム教は通用しないし、天地創造の創り主たる絶対神による啓示、隣人愛、福音、奇蹟、恩寵も役には立たない。
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 日本神道の神輿・山車の原型は海原を移動する船であって、砂漠の上を輿として移動するユダヤ教の「契約の箱(アーク)」とは違う。
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 日本の歴史には3種類あって、1,日本民族の民話・伝承・寓話・宗教によるローカルな神話物語、2,アフリカを源流とする人類進化・文明発展史、3,記録が残る人間英雄伝説である。
 ローカルな神話物語とは、古事記日本書紀を正統根拠とする日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話、つまり女性神天照大神最高神とする天皇神話である。
 それが、皇国史観であった。
 グローバルな人類文明史には、科学的経験的正当性はあっても宗教的合理的正統性はない。
 神話物語・人類文明史・人間英雄伝説の3つを均等に持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
 天皇は正史で日本を武力統一して日本建国宣言の詔を発していない為に、日本には建国年と建国記念日は存在しない。
 現代日本建国記念日は、天皇神話物語であって人類文明史・人間英雄伝説ではない。
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 デュルケーム「(宗教の役割の一つは)共同体を維持する装置」(『宗教生活の原初形態』)
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 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
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 日本民族が崇拝してきた八百万の神々が正統な神である事を保証しているのは、最高神・女性神の血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇の神性である。
 つまり、民族宗教、神話物語でる天皇神話である。
 近代の憲法や法律の宗教法人法が認定する神仏には、合憲・合法に基づいた正当性がっても、神性・神聖の正統性はない、つまり金儲けの為に作られたウソの神仏である。
 当然、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇には神仏を認め保証する神力はない。
 日本の八百万の神々は天皇家の祖先神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と伊邪那岐命イザナミノミコト)から生まれた、それが天皇神話である。
 八百万の神々の正統な神性は、天皇神話は保証している。
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 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
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 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。
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 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話、2,人類の文明発展・進化・進歩、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
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 神代の民族固有神話を持っている国家や国民は、古代の古層を受け継ぐ日本以外に存在しない。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻し、幸せと豊かさを求めたムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、いつ終わるか分からない弥生の大乱に辟易とした古代日本民族が、争いを避け、起きた争いを短期間で終わらせ、偽りでもいいから平穏無事を維持する為の歴史的叡智である。
 つまり、白黒を、善悪を、正邪を、ハッキリ区別しない為の宗教的正統な万世一系の男系父系天皇制度であった。
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 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
   ・   ・   ・   
 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
   ・   ・   ・   
 徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
 検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
 百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行勘定奉行などの役職について出世した。
   ・   ・   ・   
 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
 そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
 反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
   ・   ・   ・   
 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
   ・   ・   ・   
 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
   ・   ・   ・    
 日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
 何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
 昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
   ・   ・   ・   
 日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
 家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
 日本の世襲とは、そういう意味である。
 日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
 その象徴が、最高神である女性神天照大神を祀る天皇家・皇室である。
 日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
 天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
 死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
   ・   ・   ・   
 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
   ・   ・   ・   
 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
   ・   ・   ・   
 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
   ・   ・   ・   
 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い
   ・   ・   ・   
 日本民族の宗教とは、亡き家族の魂を仏として弔って拝み、祖先の霊魂を祖先神・氏神の人神として祀り崇拝する事で、そこにあるのは「畏れと加護の慎み」であって「奇跡と恩寵の信仰」ではない。
   ・   ・   ・   
 祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
 日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
 日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
   ・   ・   ・   
 日本民族の言霊信仰とは、民族中心神話に基ずく自然崇拝であり、宗教的精神的な自然への畏怖つまり畏れと敬い事である。
 それは、数千年前の弥生時代古墳時代から断絶する事なく繰り返されてきた正統世襲男系父系天皇による一子相伝宮中祭祀、さらには数万年前の石器時代縄文時代からの日本民族が受け継いだ自然の精霊と生命の永遠に対する崇拝宗教につながっている。
 日本民族伝統宗教とは、精霊崇拝宗教、八百万神の神話宗教、祖先祭祀宗教であって、信仰宗教、啓示宗教ではない。
   ・   ・   ・   
 小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)「いま、私たちが存在するのは、過去に夥しい死に支えられているから。生き物にとって死とは、進化を実現させるためにある。変化と選択を繰り返して進化し、生き残った末裔が私たちなのです。自分も生まれてきた以上は生を謳歌し、命を次の世代につなぐためにも〝利他的に〟死んでいかなければならないのです」
   ・   ・   ・   
 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
   ・   ・   ・   
 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
   ・   ・   ・   
 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
   ・   ・   ・   
 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
   ・   ・   ・   
 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
   ・   ・   ・   
 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
   ・   ・   ・   
 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
   ・   ・   ・   
 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
   ・   ・   ・   
 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
   ・   ・   ・   
 西行法師「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」(伊勢神宮参拝して)
   ・   ・   ・   
 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
   ・   ・   ・   
 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
  地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
   ・   ・   ・   
 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
   ・   ・   ・   
 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
   ・   ・   ・   
 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
   ・   ・   ・   
 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
   ・   ・   ・   
 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
   ・   ・   ・  
 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
   ・   ・   ・   
 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
   ・   ・   ・   
 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
   ・   ・   ・   
 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
   ・   ・   ・   
 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
   ・   ・   ・   
 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
   ・   ・   ・   
 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
   ・   ・   ・   
 日本の自然は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
   ・   ・   ・     
 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
   ・   ・   ・   
 人類の誕生と大移動は運命である。
 日本人の祖先はアフリカのサルであるは宿命である。
  ・  ・  
 600万年前~700万年前 人類(ヒト属)の祖先はチンパンジーボノボの祖先である類人猿から別れて進化していき、幾つかの人類種が枝分かれするが一つの系統を残して全て絶滅した。
 10万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し、世界中に移住していった。
 数万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
   ・   ・   ・   
 日本土人である縄文人ヤポネシア人=石器人の子孫)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
  ・  ・  
 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
  ・  ・  
 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
  ・  ・  
 日本民族琉球民族アイヌ民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
  ・  ・  
 日本民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)、弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
  ・  ・  
 アイヌ民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいたオホーツク文化人が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 アイヌ人は住んでいる島・地域によって幾つかに枝分かれして、それぞれ他の人種・民族と乱婚を繰り返し混血度を濃くして独自の微妙に違う生活スタイルで生きてきた。
 蝦夷地・北方領土アイヌ樺太アイヌ、千島列島アイヌカムチャツカ半島アイヌ、その他。
  ・  ・  
 琉球民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
   ・   ・   ・   
 文明・文化の独立とは、独自の言語と独創的文字を持つ事である。
 それが、バベルの塔における隠れた寓話である。
 人類の文化的多様性はバベルの塔で多種多様な言語が出現した事から始まった。
   ・   ・   ・   
 日本人の生後1年以内乳幼児の99.5%近くに蒙古斑が出現する。
   ・   ・   ・   
 日本国語の源流は、内モンゴルの西遼河流域言語にあった。
 原日本語は、言語転移によって縄文人言語ではなく西遼河流域言語であった。
   ・   ・   ・   
 複数文字を使用する多様性の濃い日本国語は、単一文字使用である漢字の中国語やハングルの韓国語=朝鮮語とは異なる言語である。
   ・   ・   ・   
 日本国語で使用する文字で、中国伝来の漢字・漢語は男性で支配階級の特権文字で、漢字を崩して考案された平仮名・カタカナは日本の独自の文字として女性や下層民が使う卑賤文字であった。
 教養ある公家達は、女性が使う平仮名を使って和歌を詠み、紀行文・物語・散文・随筆
などを書いた。
 日本の記述文学は、女性的文学である。
 女性や下層民が使う卑賤文字を日本文字=日本文化までに高めたのは、皇室の和歌詠みと空海の功徳説法であった。
   ・   ・   ・   
 カタカナは、蘭学・蘭書など西洋学・西洋書籍が大量に翻訳され、知的好奇心で海外に興味を持った人々が書物を読む事によって広まった。
   ・   ・   ・   
 アルファベットは、ラテン文字ヘブライ文字アラビア文字など広く使われている。
 西欧キリスト教文明圏で使われている文字は、ローマ字のラテン文字で紀元前10世紀に成立したフェニキア文字に由来するギリシャ文字が源流となっている。
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 日本人と言っても、血の繋がった日本民族と血の繋がらない日本国民とは違う。
 帰化人は心や志・精神・思いなどで深く繋がっているが、渡来人には如何なる繋がりもない。
 それ故に、日本民族帰化人を友・仲間・身内として受け入れたが、渡来人は他人として差別し排除して遠ざけた。
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🎄49」─2─何故、日本嫌いのヒットラーが日独伊三国同盟締結を決断したのか。~No.159No.160 ⑨ 

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 ヒトラーは、人種差別主義者であり、白人至上主義者でり、アーリア人ゲルマン民族信奉者で、古き良き文明を持たない野蛮な日本が嫌いで、非白人で劣等民族の日本人など信用していなかった。
 ヒトラーは、日本人よりも中国人やインド人が好きで信頼していた。
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 2022年6月号 Voice「ドイツの『転換』と三国同盟
 日本にとって『ポイント・オヴ・ノーリターン』となった、ドイツ、イタリアとの三国同盟
 しかし、そもそもドイツは、日本ではなく中国に対する外交政策を優先していた。
 ヒトラーが日本に目を付けた理由、そして当時の日本の軽率さとは
 大木毅
 親中政策を取っていたドイツ
 日本が米英をはじめとする諸列強との大戦争に突入する過程を考える場合、1940年の日独伊三国同盟で頂点に達したドイツとの関係が重要な要因であったことは論を俟(ま)たない。当時、ドイツはすでに対英戦争を遂行中であり、またイギリスの後ろ盾となっているアメリカと対立を深めていた。そのドイツと参戦条項を含む軍事同盟を結ぶことは、ヒトラーの側に立ち、米英と対立していくとの姿勢を打ち出したも同然であり、事実、三国同盟は、太平洋戦争への道における『引き返し不能点(ポイント・オヴ・ノーリターン)』となったのである。
 こうした結果を知る後世のわれわれは、両大戦期間のドイツは最初から親日政策を取っていたかのように考えてしまいがちであるが、実態はその逆であった。明治以来、ドイツに教えを乞(こ)いながら、第一次世界大戦ではイギリスの与(くみ)して参戦し、極東の植民地をかすめ取った国。しかも、外国から資源を輸入し、工業製品を輸出するというドイツと同様の産業構造を有しているがゆえに、資源の確保と国際市場の占有においてライバルとなる。ドイツの伝統的支配層の大多数が日本について抱いている認識は、このようなものだったとみてさしつかえない。
 これに対して、もう一つの極東の大国である中国は天然資源に富(と)み、原料輸入元として重要であると同時に有望な輸出市場でもあり、ドイツ経済に大きな影響を与え得た。したがって、外交政策上も優先されるべき存在だったのだ。
 加えて、ドイツは、第一次世界大戦後に結ばれたヴェルサイユ講和条約によって科された制限をかいくぐって、秘密裡に軍備拡張を進めていた。その観点からしても、兵器を含む工業製品輸出の代価として、再軍備に不可欠の天然資源を得られるという点から、中国を友好国として確保することは必須だったのである。
 こうした親中政策とその背景を象徴しているのは、1927年より中国に派遣されていたドイツ軍事顧問団であったろう。彼らに訓練された国民政府直轄の中央軍は、ドイツ製の兵器を装備し、近代化されていった。
 日独防共協定
 かくのごとく、ドイツの極東政策は著(いちじる)しく親中路線に傾いていた。しかし、日本側には、陸軍を中心に、ドイツと軍事同盟を結び、宿敵ソ連を東西から挟撃(きょうげき)することを夢見る分子が少なくなかった。駐独陸軍武官、駐独大使などを歴任することになる大島浩などは、その典型であろう。とはいえ、先に触れた事情から、彼らのドイツへの期待は『片思い』にすぎなかったが、1933年のヒトラー政権成立とともに、やや風向きが変わる。伝統的な支配構造のなかに、権力拡大と社会的上昇をもくろむナチ分子が入り込み、従来の方針に異を唱えはじめたのである。
 ナチの党人、ヨワヒム・フォン・リッペントロップもその一人であった。リッペントロップは、ヒトラーの外交顧問というかたちで、ドイツ外務省の官僚たちと激しい権力闘争を繰り広げる。かかる背景から、リッペントロップは外交政策において、外務省の方針とは異なるやり方で功績を上げる必要があった。それゆえに、彼ら親中ではなく、親日政策を取ることにしたのである。
 このように、リッペントロップの親日政策は相当に便宜(べんぎ)的なものであったけれども、国防軍にあって例外的に日本への接近策を主張していた国防軍防諜部長ヴィルヘルム・カナーリス提督の支持が得られた。反共主義であり、ソ連に敵意を抱いていたカナーリスは、優れた対ソ諜報能力を持つ日本を高く評価していたのだ。彼らは、日独同盟論者である駐独陸軍武官大島浩とともに、両国それぞれの外務省を迂回(うかい)して軍人外交を行ない、1936年に日独防共協定の締結に至る。
 だが、日独防共協定は、文字通り情報・イデオロギー上の協力を約した取り決めにすぎず、大島や日本陸軍指導部の多くが望んだような、参戦条項を含む軍事同盟にはならなかった。ドイツ外務省・国防軍の主流派などが交渉に介入し、ブレーキをかけたためであった。
 ドイツが『世界強国』をめざすとき
 かように、ドイツの内政事情を少なからず反映した中途半端な協定であったが、結果的には、それが日独同盟への最初の橋頭堡を築くことになった。その劇的な変化をもたらしたのは、ドイツの政策転換であった。政権獲得以来、着々と再軍備に努めてきたヒトラーは、いよいよ領土拡張に乗りだしたのである。
 1936年のラインラント進駐(非武装地帯と定められていた地域に軍を進めた)、1938年のオーストリア合邦(アンシュルス)と、その冒険的な拡張政策はつぎつぎと成功した。ところが、1938年5月にヒトラーは初めてつまずいた。
 当時、ヒトラーは、ドイツ系住民が多数存在するズデーデン地方の割譲を求め、それを契機にチェコスロヴァキアに侵攻しようとしており、両国の関係は一触即発の状態になっていた。そのような情勢下、ドイツ軍は国境に集結しているとの情報を得たチェコスロヴァキアh軍隊の部分動員に踏み切った。反応したのはチェコだけではない。イギリスやフランスは、チェコ侵攻は第二の世界大戦を意味すると警告を発した。東の大国ソ連も、チェコスロヴァキア援助の用意があるとの声明を出す。これでは、ヒトラーも引き下がらざるを得なかった。
 もとよりヒトラーチェコ征服をあきらめたわけではなかったが、ドイツには英仏ソを相手に2度目の大戦に突入する用意はない。それでもなお拡大を続けようとするならば、戦争をチェコ一国に対するものに局限する必要がある。その条件を整えるには、英仏ソの介入を牽制する何かを確保しなければならない。それは──。
 ヒトラーが目を付けたのは日本であった。日本と軍事同盟を結ぶことができれば、英仏ソは、極東の国土や植民地においても戦争に突入すると覚悟しないかぎり、チェコ支援を実行することはできない。だが、英仏ソのいずれにも、そうした大戦争を行う意思も準備もないだろうから、ドイツはヨーロッパでフリーハンドを得ることになろう。
 このようなヒトラーの判断に連動して、ドイツの極東政策も親中から親日へと転換した。現代においても同様であるけれども、産業構造や国家的な利害からすれば、ドイツにとっては親中路線こそが自然なのである。それが敢(あ)えて日本に接近するのは、グローバルなレベルで積極的に動くときだけなのだ。1930年代から40年代にかけてのドイツも例外ではない。『世界強国(ヴェルトマハト)』をめざしたドイツは、ヨーロッパ地図ではなく、地球儀上の国家目的を追求するために、日本を必要としたのであった。
 防共協定強化交渉
 1938年7月、ドイツは具体的なアプローチにかかった。この間に、念願かなって外務大臣に就任していたリッペントロップが、日独関係を追求する大島と協議し、ソ連のみならず、英仏をも対象とした相互援助条約を結びたいと申し上げたのである。この条約案は、機密漏洩を恐れたドイツ側の要望により、電報による送付ではなく、折からドイツに滞在していた笠原幸雄陸軍少将により、東京にもたらされることになった。およそ1年にわたって日本政治に分裂と対立を生じせしめた『防共協定強化交渉』が開始されたのである。
 紙幅の限界があるから、その複雑な過程はつぶさに記述することはできないが、大胆に要約するならば、防共協定強化交渉は、参戦義務を定めた軍事同盟を締結し、日本に英仏ソを牽制させようとするドイツ側ならびに、それを是(ぜ)とする日本陸軍と、そんあ同盟は英仏、ひいてはアメリカとの対決をもたらしかねないと反対する日本海軍・外務省とのせめぎあいであったとしてよかろう。つまり、日本側における同盟推進派と反対派の対立は世界戦略の大方針をめぐるものであったから、容易に結着がつくことはなく、議論は小田原評定の様相を呈(てい)した。
 侵略に逸(はや)るヒトラーとしては、このような不決断は我慢ならないものであった。この間、1938年のミュンヘン協定にもとづくズデーデン地方の割譲、さらには同協定を無視して強行された1939年のチェコスロヴァキア解体を経(へ)て、ヒトラーの攻撃目標はポーランドに移っていった。だが、ドイツへの宥和姿勢をないがしろにされた英仏は、ポーランドへの援助を約束する。
 そうした英仏の介入を抑えるには、カウンターウェイトとして日本を獲得しなければならない。けれども、日本が短時日のうちに同盟を承認するようすはなかった。しびれを切らしたヒトラーは奇手(きしゅ)を選んだ。ナチズムの不倶戴天の敵であるはずの共産主義者ソ連と不可侵条約を結んだのだ。その狙いは、もとよりソ連と友好関係を結び、日本の代わりに英仏を牽制させることにあった。実際、独ソ不可侵条約には、東欧の分割を決めた秘密議定書が付せられていたのである。
 いずれにせよ、ドイツとの同盟により、日中戦争(1737年勃発)で中国を支援する英仏に圧力をかけて終結に持ち込むことなどを夢見ていた日本の親独派は、はしごを外された恰好(かっこう)になり、防共協定強化交渉は雲散霧消した。ときの平沼騏一郎内閣も『欧州情勢複雑怪奇』の声明を発して、総辞職している。
 軽率な誤断
 独ソ不可侵条約により、英仏は介入してこないものと確信したヒトラーポーランド侵攻を決断、1939年9月1日にドイツ軍は国境を越えた。しかし、独裁者の思惑とは裏腹に、英仏はもはや侵略を拱手傍観(きょうしゅぼうかん)したりはしなかった。9月3日、英仏はドイツに宣戦布告し、ヨーロッパは2度目の大戦に突入したのである。
 もし、日本がドイツと軍事同盟を結んでいれば、この時点でいやおうなしに英仏との戦争に巻き込まれることになったはずだ。そのような事態をからくもまぬがれたかたちになったわけだが、日本が防共協定強化交渉と独ソ不可侵条約をめぐる経緯から教訓をみちびくことはなかった。
 1939年にポーランドを征服したのち、ドイツ軍はなりをひそめていたものの、1940年5月に西部戦線で大攻勢に出て、ベルギー、オランダ、フランスを降したのである。かかるドイツの勝利に眩惑(げんわく)されて、日本では再び三国同盟論が台頭した。一部には、このまま、イギリスが屈伏して、欧州大戦が講和にこぎつけたなら、極東の英仏蘭の植民地はドイツのものになってしまう。そこで発言権を得て、それら植民地をわがものにするためには、三国同盟を成立させることが必要だとする思惑もあったという。
 こうした日本の動きに対し、ドイツは当初冷淡でったが、戦況がはかばかしくなかったために、方針を変更せざるを得なくなる。最後に残ったイギリスが抵抗を止めようとはしなかったのである。イギリスが講和に応じると思っていたヒトラーは、やむなく本土上陸を決め、その準備として連日空襲を実行したものの、制空権は獲得できなかった。手詰まり状態になったヒトラーは、今は不可侵条約を結んでいるとはいえ、いずれは打倒すべき敵と考えていたソ連を討つことを考えた。孤立したイギリスが抗戦を継続しているのは、いずれはソ連が味方になることを期待しているからだろう。だとすれば、ソ連を征服し、ドイツの植民地とすることは、同時にイギリスの最後の希望をくじくことにもなる──。
 しかし、すでに対英支援にまわっているアメリカでは、ますます参戦の機運が高まっている。また、ソ連に侵攻すれば、その隙にイギリスは反抗に出てくるかもしれない。やはり米英を抑えられるだけの勢力、すなわち日本を味方につけなければならない。
 かくて、日独の双方に動因が生じ、同盟交渉は急速に進展して、1940年9月の日独伊三国同盟締結に至る。独伊対米英の構図が画定している以上、日本が枢軸側に加わることはアメリカとの戦争を意味すると主張する声がないわけではなかったが、それはあまりに細く、影響をおよびすことはできなかった。
 ドイツ側には、世界戦略のもと、敵を各個撃破するために、その一部を牽制しておくという発想があった。あが、日本側には、そうした『多元方程式』による判断なしに、日独伊三国同盟という対米戦争へのポイント・オヴ・ノーリターンを越えたのだと言わざるをえない。
 当時の日本政府と軍の指導部は、あまりにも軽率にルビコンを渡ったのである。」
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 ヒトラーは、反共産主義者であると同時に反日親中国派でもあった。
 ドイツ国防軍も親中国反日派として、中国からタングステンを輸入する為に、ファシスト中国軍が日本軍に勝てるように軍事顧問を派遣していた。
 ドイツ軍需産業は、日本軍と戦うファシスト中国軍に最新の武器を輸出し、兵器性能を日本人兵士を殺す実戦で試験し、殺傷能力や破壊力・打撃力などの正確なデータを集めて兵器改良に生かしていた。
 故に、日本軍は第二次上海事変から南京攻防戦・武漢三鎮攻略までの日中戦争初期の段階で、ドイツの軍事支援を受けたファシスト中国軍との熾烈な激戦を繰り広げ夥しい犠牲者を出しながら辛勝していた。
 ドイツ軍事顧問団は、蔣介石に対して、日中戦争アメリカやイギリスを引きずり込む為に国際的報道機関に対して宣伝・情報工作を仕掛けるべきだと提案していた。
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 ビスマルクは、親日ではなかったが日本に好意を持ち、日本の近代化を支援した。
 ドイツ帝国皇帝ウィルヘルム2世は、黄禍論者として反日強硬派として、政府方針を親日路線から反日路線に切り替え、日本侵略を実行しつつあったロシア皇帝ニコライ二世をフランス・ユダヤ系国際金融資本家らと協力して後押ししていた。
 ドイツは、第一次世界大戦で敗北すると反日派となり日本を「恩知らずの裏切り者」と罵り、保守派の政界・官界・財界・軍部は親中国反日派となって中国の抗日勢力を経済・軍事の面で支えた。
 敗戦後のドイツ国防軍は、ベルサイユ条約によって平和国家・ワイマール体制ドイツを押し付けられドイツ軍は解体され弱体化されたが、極秘でソ連ソ連軍部・国際共産主義勢力の協力で再建を目指していた。
 ロシア革命レーニンボルシェビキ政権樹立は、ドイツ国防軍の謀略とユダヤ系国際金融資本家らの支援で成功していた。
 つまり、見えないところでドイツ国防軍中枢部とソ連軍は親密な関係を持っていた。
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 現代ドイツの保守層・特権層・上流階級でも、表面に出てこないだけで親中国反日傾向は色濃く残っている。
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 軍国日本は、ソ連侵略から逃げてきたポーランドユダヤ人難民数万人を保護した。
 日本陸軍は、ナチス・ドイツの外圧を無視し、ホロコースト保護下のユダヤ人難民を護った。
 昭和天皇は、親ユダヤ派で、親米英反独ソ反共産主義で、ヒトラースターリンが嫌いであった。
 日本の軍国主義戦略とは、ソ連コミンテルン中国共産党・国際共産主義勢力から天皇・国家・民族そして宗教・文化・伝統・言語を軍事力で守る事であった。
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 日本が、明治から昭和初期に行った大陸戦争は、領土拡大・植民地獲得目的の帝国主義侵略戦争ではなく天皇・国家・民族を侵略者から武力で守るという軍国主義自衛戦争であった。
 つまり、軍国日本の戦争は、民族生存の為の生活圏拡大を目指したナチス・ドイツファシスト・イタリアの侵略戦争とは意味も目的も違う。
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 ファシスト中国(国民党)は、日本に勝利する為に、1937年の日中戦争・第二次上海事変以前からナチス・ドイツの軍事支援を受け、重慶に逃げ込んでからはソ連の軍事援助を受けソ連軍正規兵と国際義勇隊の援軍を得ていた。
 1939年 ノモンハン事件
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💣16」─1─ウクライナ戦争で国防費GDP2%は世界の潮流だが日本は猛反対する。~No.56No.57No.58 

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 2022年6月1日 産経新聞バルト海周辺諸国、国防費「GDP2%」標準に
 フィンランドスウェーデン北大西洋条約機構NATO)加盟申請により、バルト海ではロシアとの緊張が高まる。沿岸のNATO加盟国は軍備増強を急ピッチで進めている。
 ポーランドは今春成立した国防新法で、兵力を倍増し、30万人規模にする計画を決めた。5月、全国で新兵採用キャンペーンが始まった。
 30万人のうち5万人は志願兵とする方針。28日間の基礎訓練後、随時訓練や任務に就く制度で、ウクライナ侵攻後に希望者が急増した。政府は公務員としての採用優遇などの措置で、参加を促している。新法では、国防費を国内総生産(GDP)の3%にすることも定められた。
 スウェーデンは3月、国防費をGDPの2%に増額する方針を発表した。「GDP比2%」は、NATOの目標値でもある。
 スウェーデンはロシアの脅威増大に応じて2017年に徴兵制を復活させ、動員兵力を6万人から9万人にすることを目指す。バルト海では15年、機能停止していたゴットランド島の連隊基地再開を決めた。
 フィンランドは4月、23年から4カ年の国防費を22億ユーロ(約3千億円)増額する計画を決定。ドイツは2月末、国防費をGDP比2%以上とする方針を示した。バルト三国もそれぞれ国防費増額を表明している。
 国防費増額に伴い、フィンランドやドイツは最新鋭戦闘機F35の購入を決めた。シンクタンクノルウェー大西洋委員会」のケイト・ハンセン・ブント事務局長は最近の論評で、英国やオランダをあわせた北部欧州に、F35が250~300機配備されることになると指摘。「NATOの強力な抑止力になる」と分析した。
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 6月1日20:40 産経新聞フィンランド、「東の最前線」の覚悟 軍事訓練ルポ
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 5月、ロバヤルビ演習場で行われたフィンランド軍の訓練(フィンランド軍提供)
 ロシアの脅威の高まりを受け、北欧フィンランドスウェーデンが軍事中立を放棄し、北大西洋条約機構NATO)に加盟申請した。フィンランドとロシアの約1300キロにわたる国境は、NATOの東の最前線に変貌する。フィンランド軍が5月末、北極圏のロバヤルビで行った軍事訓練を取材に行くと、「新冷戦」への緊張感がみなぎっていた。(ロバヤルビ 三井美奈)
 シラカバの森を抜けて突然、装甲車が出現し、茂みに3台が整列した。韓国が開発したK9自走砲。ゆっくりと砲を上空に向け、連続で発射した。轟音(ごうおん)とともに火炎と白煙が上がり、大地が揺れる。
 車両から金髪の長身の男性が、緊張した面持ちで出てきた。隊長のツオマス・キースキネンさんは、化学を専攻する20歳の大学生。昨年夏に徴兵で入隊した。「将来はエネルギー企業に就職する予定です。フィンランドが攻撃されたら? もちろん、国を守る。その覚悟はある」と達者な英語で話す。」
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 日本の敵は、中国共産党政府、ロシア、北朝鮮の3ヵ国である。
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 戦前の日本と違って現代の日本は、世界の非常識だが直そうとも思わないし世界の常識を受け入れようともにないし、多くの面で世界から遅れている・周回遅れだが距離を縮めようと思わないし先頭集団に入る気がなければ集団の先頭に出て世界をリードしようという欲望も願望もない。
 その証拠が、自分だけのオンリーワンを追求するが、日本や世界のナンバーワンに立つ事を放棄している。
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 世界から平和の為には戦争は避けられないとして中立国が消えていくのに、日本は正反対に絶対平和を掲げて中立国・平和都市宣言・非武装都市宣言、反戦宣言都市などを目指している。
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 正義の戦争・正しい戦争を、世界は認めているが、世界広しといえど日本だけが反対している。
 日本国内にはロシアのウクライナ侵略で数多くの死傷者を出している為に、殺されない為に即時戦闘を中止し、抵抗を止め、武器を捨てて降伏せべきだと助言する日本人が少なからず存在する。
 その事実が、安倍政権が成立を目指していた安保法制案を廃案に追い込むべく国会議事堂に押しかけ猛反対して騒いだ日本人達である。
 彼らは、ロシアのウクライナ侵略に反対・批判せず沈黙し、反米・反安保、反自衛隊反戦平和運動を再開する為に戦争が終わるのを息を殺して待っている。
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🦎35」─2─中国共産党の一帯一路構想と安保協定を拒否した太平洋島嶼国の〝本音〟。~No.112No.113 

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 2022年5月30日17:00 YAHOO!JAPANニュース ロイター「中国と太平洋島しょ国、安保で合意できず 一部が慎重姿勢
 5月30日、中国の王毅外相はフィジーで太平洋島しょ国10カ国の外相との会合を開催した。中国が策定し提案した貿易と安全保障に関する声明には一部の国が慎重姿勢を示し合意に至らなかった。写真は中国の王毅外相。3月撮影(2022年 ロイター/Ryan Woo)
 [30日 ロイター] - 中国の王毅外相は30日、フィジーで太平洋島しょ国10カ国の外相との会合を開催した。中国が策定し提案した貿易と安全保障に関する声明には一部の国が慎重姿勢を示し合意に至らなかった。会合では、中国が同地域に積極的に関与する動機を質す声が出たという。
 【動画】台湾防空識別圏の中国機侵入を監視、警告と情報公開を続ける退役軍人
 中国は会合に先立ち、共同声明と5カ年行動計画の草案を送付。しかし中国による地域支配の意図をうかがわれるとして、少なくとも1カ国が反対したとされていた。
 王外相は会合後、5分野での協力には合意したが、コンセンサスの形成にさらなる議論が必要だと説明した。合意した5分野は、新型コロナウイルス流行後の経済回復、農業や災害対策などで、安全保障は含まれない。
 「中国は、独自の立場や提言、太平洋島しょ国との協力案に関する文書を公表する予定だ。協力に関する一段のコンセンサス形成に向け、今後も現在行っている使い議論や協議を続けていく」と述べた。
 王氏によると、中国が太平洋島しょ国に対し積極的になっている動機を一部の国から聞かれ、中国はアフリカ、アジア、カリブの途上国を支援していると回答したという。
 「過度に心配したり神経質にならないでほしい。中国とその他全ての途上国の共同の発展と繁栄が意味するところは、大いなる調和、公正さの向上、全世界の一段の進展に他ならない」と述べた。
 王氏の会見後、駐フィジー中国大使は、会合参加国が声明案と5カ年計画で「合意を達成するまで」協議を続けることで合意したと述べた。
 地域機構「太平洋諸島フォーラム(PIF)」の声明によると、プナ事務局長は会合で、気候変動やコロナ禍からの景気回復という優先課題について、同意したメカニズムに沿って同地域と協力するよう中国に要請。
 プナ氏は「この地域を巡る地政学的な駆け引きの活発化を認識している。高官の訪問が最近増えていることは、中国を含むパートナーとって、われわれの価値が高まっていることを反映している」と語った。
 PIFには18の国や地域が加盟しており、メンバーには中国ではなく台湾と外交関係を持つ国も含まれる。
 フィジーのバイニマラマ首相は、島しょ国は合意形成を優先事項としていると記者団に語った。
 習近平国家主席は外相会合向けの演説文で、国際情勢がどのように変化しようとも、中国は常に太平洋島しょ国の良き友であり続けると述べ、ともに「未来を共有する共同体」の構築に取り組む用意があると表明した。
 王氏は31日から2日間の予定でトンガを訪問する。
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 5月30日22:30 産経WEST「武漢と提携「国防上問題ない」 大阪知事、「一帯一路」で物議も
 答弁する大阪府の吉村洋文知事=30日午後、府庁
 大阪府の吉村洋文知事は30日の府議会本会議で、府と大阪市の共同部局が昨年12月に結んだ中国・武漢との港湾提携について「国防の観点から、問題があるなら当然やめるべきだと思うが、そうとも思わない」と述べ、協力関係を維持する考えを示した。西野修平府議(自民)に対する答弁。
 提携を巡っては、交流サイト(SNS)上で中国主導の巨大経済圏構想「一帯一路」に組み込まれたのではないかと物議を醸した。提携の覚書に「一帯一路」の文言はなく、日本の民間団体と武漢を抱える中国・湖北省人民政府が都内で主催した「説明会」の席上で提携が締結されたが、この説明会のプログラムに「一帯一路」の記載があった。
 無関係だと改めて訴える吉村氏に対し、西野氏は、中国メディアの報道は「一帯一路」への参加を想起させる表現だったと指摘。中国側の戦略に利用されており、経済安全保障の観点からも「港湾管理のガバナンスを改めるべきだ」と提起した。
 吉村氏は、締結時に部局側から自民府議団幹部らにも説明が行われていたとし、「問題視するなら本来提携時に指摘すべきだ」と反論。「(提携は)港湾の国際競争力を強める取り組みだ」と意義を強調した。「選挙前になって何か(今回の話が)出てきた」とも語った。」
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 5月30日23:19 MicrosoftNewsテレ 朝news「中国外相がIPEF参加のフィジー訪問…米をけん制
 © テレビ朝日 中国外相がIPEF参加のフィジー訪問…米をけん制
 太平洋諸国を歴訪中の中国の王毅外相はアメリカが主導するIPEF(インド太平洋経済枠組み)に参加するフィジーを訪問し、「中国を抑え込もうとしている」と述べて欧米を牽制(けんせい)しました。
 中国外務省の発表によりますと、王毅外相は30日、フィジーのカトニベレ大統領との会談で「中国は国際舞台での途上国の正当な権益を守ることができる」とアピールしました。
 その一方で、アメリカなどを念頭に「中国の発展を見たくないため、中国を抑え込もうとしている」と主張しました。
 フィジー王毅外相の訪問直前に、アメリカが主導するIPEFへの参加を表明しています。
 日本やオーストラリアも今月、外相を派遣していて、フィジーは各国の外交的綱引きの舞台ともなっています。」
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 5月31日15:58 MicrosoftNews 時事通信「中国とサモアが協力強化=安保も議論、豪に協力呼び掛け
 © 時事通信 提供 28日、サモアの首都アピアで、フィアメ首相(左)と会談する中国の王毅外相(サモア・オブザーバー提供)(AFP時事)
 【北京時事】中国の王毅国務委員兼外相は28日、サモアの首都アピアでフィアメ首相と会談し、経済や技術、文化に関する協力強化に向けた文書を締結した。中国外務省が発表した。
 王氏は26日からソロモン諸島を皮切りに太平洋諸国歴訪を開始。中国とソロモンは4月に安全保障協定を締結し、米国やオーストラリアなどは軍事拠点化への懸念を表明している。サモア政府の発表によると、王氏とフィアメ氏は「平和や安全保障」も議論した。
 中国外務省によれば、王氏はフィアメ氏との会談で「中国と太平洋諸国の協力は第三国に向けたものではなく、排他的権利を求めておらず、誰とも競争する意図はない」と主張。豪州とニュージーランドを名指しした上で、島しょ国と共に「三者協力を展開したい」と呼び掛けた。」
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 5月31日15:58 MicrosoftNews 時事通信「「中国抜き」の枠組み警戒=習政権、自国含む貿易体制維持に躍起
 【北京時事】中国の習近平政権が、米国主導の新たな経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」に代表される世界経済の「ブロック化」の動きに警戒感を強めている。中国抜きのサプライチェーン(供給網)構築を狙うIPEFの発展次第では、同国が成長の基盤としている既存の貿易体制が損なわれる恐れもあり、「反対する」(王毅国務委員兼外相)と猛反発。自国を含めた自由貿易の枠組み維持に躍起となっている。
 中国は包囲網に対抗するため、積極的な外交攻勢に出ている。IPEFの発足宣言に先立つ19日には新興5カ国(BRICS)外相会合で結束を確認。関係が悪化していたカナダにも接近し、菜種の輸入規制を3年ぶりに解除する措置を打ち出した。今後は日豪などが参加する環太平洋連携協定(TPP)への加入交渉を加速させる一方、経済安全保障の観点から先端技術の開発や内需拡大を急ぐ考えだ。
 中国は国内の世論対策として、IPEFなど自国を孤立させる動きへの批判も強めている。共産党機関紙・人民日報系の環球時報はIPEFについて、米国の事情で関税引き下げが含まれなかったため、日本などの参加国にとってはメリットが少ないと強調。「中国と経済的に断絶することを望む国がどれほどあるのか」とけん制した。
 中国外しの動きは、同国に進出する海外企業にも影響を与える可能性がある。日系電機メーカーは、中国が世界的なサプライチェーンで拠点的な役割を果たしていると指摘。「世界経済から中国を切り離すことは現実的ではない」(広報担当者)との見方を示した。」
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 5月31日17:52 MicrosoftNews Reuters「中国外相、トンガ訪問 災害対策などで協定署名
 © Reuters/STRINGER 中国外相、トンガ訪問 災害対策などで協定署名
[31日 ロイター] - 南太平洋島しょ国を歴訪中の中国の王毅外相は31日、トンガを訪問し、災害対策、警察業務、漁業などの分野の協力・支援協定に署名した。
 王外相は、ソバレニ首相と会談し国王のトゥポウ5世を表敬訪問した。トンガ政府は「いずれの会合も相互尊重、中国とトンガ両国民の共通の利益に重点を置いたものだった」と発表。災害管理での協力や中国が警察分野の支援を行うことで合意。トンガの長期的発展を支援する「ブルーエコノミー」で覚書を交わしたとしている。
 トンガは今年1月の海底火山で甚大な被害を被った。ソバレニ首相は噴火後の中国の救難支援に謝意を示した。
 王外相は30日、フィジーで南太平洋島しょ国10カ国の外相との会合を開催したが、中国が提案した安全保障や貿易に関する協定は、島しょ国側から慎重論が出て合意を見送った。」
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 6月1日 産経新聞「アジア見聞録 中国の安保協定を拒否した太平洋島嶼国の〝本音〟
 森 浩
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 5月30日、フィジーの首都スバで、同国のバイニマラマ首相(右)と記者会見に登場した中国の王毅国務委員兼外相(AP)
 中国が太平洋進出の足がかりにしようとした安全保障協定が島嶼(とうしょ)国の反対に直面して頓挫した。「中国は野望を果たせなかった」(オーストラリア公共放送ABC)形で、関係国には安保協定を〝ごり押し〟しようとした中国に不信感が漂う。島嶼国内には南太平洋が大国の勢力争いの舞台となることに警戒感があるほか、「地域の真の課題に注目してほしい」との声も上がっている。
 多国間協定に移行…中国隠さぬ野心
 「あまり心配しすぎず、神経質になりすぎないでほしい」。王氏は5月30日、訪問先のフィジーの首都スバで行われた地域10カ国を対象とした外相会議後の記者会見で、中国を過度に警戒しないよう話した。強面(こわもて)の姿勢で知られる王氏による異例の呼びかけといえる。」
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