🎄67」─2─ロシア軍によるブチャ大虐殺を戦史から解読する。ソ連のジェノサイド。~No.236No.237 ⑳

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年4月24日号 サンデー毎日「凄惨プーチン戦争の深層
 ブチャ大虐殺はなぜ起きたか
 残虐行為の戦史から解読する
 ウクライナ侵攻により始まってしまった『新たな戦争の時代』を、現代史の第一人者が歴史の教訓から解読する大反響の特別寄稿。今回は、ブチャの惨劇の深層を旧ソ連ナチス・ドイツによる虐殺の戦史からあぶり出す──。
 保阪正康
 ロシアのウクライナへの軍事侵攻は次第に残酷さを帯びている。4月5日、6日、7日の新聞に触れるとジェノサイド(大量虐殺)などという悍(おぞ)ましい表現が用いられるようになっている。現実はこうした報道から読み取っていく以外にないのだが、ロシア軍が一般市民を極めて恣意(しい)的に殺害しているのは事実であろう。
 新聞は写真に網を被(かぶ)せる形で報道しているにせよ、街中に、あるいは住宅地の生活着のまま殺害されていると思(おぼ)しき光景は、まるで戦場のルールなき戦いになっているとしか思えないである。
 どうしてロシア軍はこういう非人間的な殺戮に走るのだろうか。無論、ロシア側はこういうニュースはフェイクだと否定しているが、ウクライナ側が自国民を殺害してロシアのやったことだと言う理由がない。ウクライナ軍がキーウ(キエフ)やブチャなどで軍事的に優勢ならまだしも必死にロシア軍との戦闘に明け暮れているのに、自国民を殺害する理由など全くないというべきであろう。
 こういうニュースに触れて、残念なことに私たちは『歴史』の中から答えを見つける以外にない。少なくとも20世紀のヨーロッパの戦争でこのようなジェノサイドを行った国はどこか、ということだ。それはヒトラーのドイツと、スターリンソ連であった。このほかにもトルコ軍によるアルメニアなどへのジェノサイドがあるにせよ(トルコ側は否定しているが)、現在のそれぞれの国情を見ていく限り、ソ連の体質を引き継いでいるロシアしかジェノサイドを行う国は見当たらないのではないだろうか。何よりも1939年から40年の始めにかけて、ソ連は、ポーランドの軍人をはじめ、官僚、知識人などがいずれ反ソ的行動に出ることを不安に思って惨殺している。いわゆる『カチンの森事件』である。総勢2万人余が殺害されている。
 プーチン『言い逃れ』の方程式
 この事件について、ソ連は一貫してナチスの暴虐だと言い逃れをしてきた。我々のあずかり知らぬとこだと言い続けてきた。ゴルバチョフの時代に入り、ソ連はやっと自らの国の犯行であると認めるに至った。実に半世紀以上もシラを切ってきたわけである。その上でポーランドに正式に謝罪している。
 ポーランドの人々にとって、こうした歴史的事実はソ連、そしてロシアへの憎しみに転化され、潜在的に決して許されないという感情が残っても不思議ではない。
 こうした事実を勘案していくと、今回もウクライナ軍の犯行だと言い逃れ、責任回避を平然と行っていることになる。用いている論法もほとんど同じだということに気がつくのだ。
 ……
 ウクライナ市民を虐殺しているロシア軍の軍事行為によって、国際社会の大勢は全くロシアを信頼していないにもかかわず、ロシア国民は国営放送しか信じていないという傾向があるため、さしあたりプーチンの支持率はかなり高いとされている。80%に及ぶというのだが、このカラクリについて、私はロシア国民の心理的背景を摑(つか)んでいるからだと思えてくる。
 そのキーワードの『ウクライナを非ナチ化する』という言葉の重さである。プーチンはほとんど毎回、国民に向けた演説の中で、この言葉を意識して用いている。『我々の軍隊はウクライナナチス勢力を駆逐するため戦っているのであり、もしこの状態を放置するなら我々のロシアはまたぞろナチス勢力に攻撃されるであろう。想起せよ、あの時代の我が国のナチスを倒して国家の栄光を守った先達たちの戦いを』と説くのだから、ロシア国民の中には我々の正義の戦争をどうして国際社会は妨害するのだろうか、との感情を持つ者がいても不思議ではないであろう。
 つまりロシア国内では、20世紀前半のヒトラー勢力の台頭期の時代が演出されているのである。無論ソ連が解体して30年余の時間が経(た)っている。ソ連は解体して、社会主義体制は崩壊している。その時代には労働者階級とか人民といった名称で括(くく)られた国民は、今は解体されて市民の意識を持つ人たちも増えている。しかしロシアのそれぞれの地方を含め、市民として意識を持たない人々がかなり多い。そういう層は言語統制された空間の中で、プーチンの演説こそが真実を告げていると受け止めて間違いないように思うのである。こうした人たちに向けてのプーチンの演説は、今同時に聞いている国際社会にあっては時代錯誤、虚言(きょげん)、フレームアップといった語でしか表現できないほど陳腐でお粗末である。
 『ナチス・ドイツ』に対する徹底報復
 第二次世界大戦時の歴史に話を移せば、たしかにウクライナの一部はヒトラーが制圧した時に、ロシアに不満を持つ民族主義者がヒトラーに協力してユダヤ人虐殺や反ソ活動に熱中している。そこはこの国家の汚点とも言われる所以(ゆえん)だが、今もその流れを汲(く)む一派が存在している。国民の側から見れば少数派にすぎないが、プーチンはこの民族主義者の一団をナチスとして表現しているのであり、その存在を国家そのものにまで大きく重ね合わせていることにもなるのである。
 しかしこういうトリックもいずれ正確に暴かれて、プーチンの嘘と誇大妄想が定着していくと思わせるのである。しかしロシア軍の戦争行為に必ずと言っていいほど問題になるのは、ロシア軍の正規軍の暴力行為である。第二次世界大戦末期にソ連軍はドイツのベルリンに入った。その時の乱暴狼藉は極めて酷い状態だったというのである。強奪、強姦、そしてあくことなき暴力的振る舞いは目に余ったという声も多かった。これは日本においても同じで、満州国の日本人に対しての振る舞いが、なぜこれほど酷かったのだろうか。そのことについても考えてみる必要があるように思う。
 この点については、独ソ戦の開始時にソ連の勢力圏に入ったナチス・ドイツの酷さと絡めて論じる必要がある。ナチス・ドイツも酷いことを行った。それに対する徹底した報復だったというのである。ドイツ兵は東のスラブ民族を劣っていると見て、まるで残酷を絵に描いたような行動をとった。
 殺人、強姦などそれこそ限りなかったというのだ、ドイツ人に攻め入る時の部隊には、それこそあらゆること行ってもよいとの命令が出されていたというのである。ロシア兵はまるで統率を失ったかのように振る舞っている。
 ソ連兵の狼藉は、ベルリンの各国の大使館や公共の建造物であるが容赦はなかった。日本大使館の外交官から話を聞いたことがあったが、やはりソ連兵が集団で入ってきたという。ロシア語に精通しているドイツ人が対応に出てロシア語でやりとりをしたが、ソ連兵はロシア語ができる女性には乱暴しなかったという。それでも大使館員は震えていたらしい。こうしたソ連兵の行為は、ナチスの狼藉との関係で論じられなければ真実はわからないにせよ、今回のウクライナで狼藉があったとするなら、ウクライナナチス勢力に対する歴史的な復讐といった考え方も含まれているということであろう。
 ナチスを憎む感情が意図的に増幅されているということになるのだろう。
 国民に共有される『ソ連兵の暴力』
 あえて歴史上の話をするが、昭和20(1945)年8月9日にソ連は日本に対して宣戦を布告した。同時に次々に満州国に兵を送り込んできた。関東軍の参謀たちは司令部を一旦引き下げて事態を見つめることにしている。同時に関東軍も軍事的に対抗しようとしても現実にそれだけの武器弾薬もないのが現実であった。結局日本はポツダム宣言を受諾して敗戦を受け入れたわけだが、そこからの戦争処理をめぐってはこれまで書いてきた通り混乱の極みになった。日本人の居留民もそれぞれ独自に帰国しなければならなかった。その過程でソ連兵の物品の強奪、婦女子への暴行、あるいは抵抗兵士の射殺などはそれこそ数多く行われた。
 日本はドイツと違って、日ソ戦の戦場などで、ソ連の人々に乱暴をしたことはなかった。それ故にこうした暴力は納得できないことでもあった。敗戦時の混乱の中で、アメリカ、イギリスをはじめ、連合国は全体に平穏に混乱することなく、日本軍将兵やそれぞれの居留地の民間人を日本に戻している(いや、戻すように務めている)。そのためにマッカーサーなどから、ソ連も居留民が平穏に故郷に戻るように協力せよとの命令が改めて出された。それもあって狼藉は少しは止んだというのであった。
 とはいえ日本社会には敗戦時の記憶は国民に共有されていて、今回のようなウクライナでの非人間的な所業に対しての批判はこういう記憶と連動しているとも言えるように思う。そのことをソ連崩壊時に対談したロシアの研究者に話したことがある。彼は、『それはロシアでも同じで、1904年の対日戦争時は日本人は紳士的だとロシアの教科書にも書いてある。ところが第一次世界大戦後のシベリア出兵で、日本人がいかに残虐かが教科書に載るようになった。大きな鍋のお湯の中に赤軍パルチザンを投げ込んだそうだ。それがソ連兵の頭に残っていた』
 との内容を紹介した。
 とすれば復讐だったかを確かめていないので真偽は不明なのだが、こういう形の復讐が今回のウクライナのジェノサイドにつながっているとすれば、こういう循環が今後もありうるということになるのだろうか。」
   ・   ・   ・   
2017-09-23
☭10」─1─ロシアは、太平洋への道を切り開くべく日本へ軍隊を派遣した。アムール川虐殺事件。キシニョフ虐殺。1867年。~No.26No.27No.28・ @ 
2019-07-23
☭10」─2─日露戦争は日本にとって正しい戦争であった。アムール川虐殺事件。キシニョフ虐殺。~No.29No.30No.31・ ⑨ 
・・・
共産主義によるウクライナ飢饉。
2017-09-26
☭18」─1・A─レーニンが起こしたウクライナ飢饉。800万人~1,450万人が餓死した。ホロドモール。1921年。~No.53・ @ 
2021-09-02
☭18」─1・B─ロシア革命の成功で歴史から抹消されたボルガ川流域での餓死者約500万人。1921年。~No.53 
2021-08-27
☭18」─2─スターリンの5ヵ年計画とウクライナ飢饉。犠牲者約600万人。~No.54No.55 
2021-08-28
☭18」─3─第二次世界大戦ウクライナ蜂起軍。ナチス・ドイツのバビ・ヤール虐殺。~No.55 ⑭  
   ・   ・   ・   
ロシア人共産主義者ニコライエフスク虐殺事件。
2017-09-27
☭19」─1─共産主義大義・人民の正義による2,000万人大粛清。1936年。ソルジェニーツィンニコライエフスク虐殺事件。~No.56No.57No.57・ @ 
2020-05-18
☭19」─2─ニコライエフスク虐殺事件処理と日露の友好。~No.58No.59No.60No.61・ ⑮ 
   ・   ・   ・   
スターリン共産主義勢力の陰謀。 
2017-09-28
☭20」─1─対ソ極秘外交文書。ソ連の対日参戦、日本共産主義化計画・天皇制度廃絶陰謀。1945年~No.62No.63No.64・ @ ⑯ 
   ・   ・   ・   
2022-02-10
☭22」─5・B─満州引き揚げ者(主に女性や子供)20万人以上がロシア人共産主義者によって虐殺された。~No.76 ⑱ 
   ・   ・   ・   
2017-08-15
💖5)─1─金沢の市民は、日露戦争で身内をロシア軍に殺されたが、怨みを忘れてロシア人兵士捕虜の面倒を見た。~No.14・ @ 
2021-02-15
💖5)─2─日露戦争習志野の捕虜。~No.15 
2018-01-24
💖5)─3─明治の日本人は、撃沈したバルチック艦隊の特務艦イルティッシュ号から敵兵235人を救助した。~No.16No.17・ @ 
2021-09-01
💖5)─4─日露戦争で沈没の輸送艦、映画に 「イルティッシュ号の来た日」。~No.17 
   ・   ・   ・   
シベリア出兵。集団的自衛権発動。
2017-08-14
💖6)─1─日本陸軍は、シベリアからポーランド人戦争孤児765人を武力で助け出した。~No.22No.23No.24No.25・ @ 
2019-10-27
💖6)─2─日本外務省・日本大使館の反ドイツ派は、帰国したポーランド孤児をナチスから助けた。~No.26・ 
2021-02-07
💖6)─3─ポーランド人蜂起部隊イェジキの子供兵士を陰で支えた反ドイツ派日本外交官。~No.27No.28No.29 
  ・  ・  
2017-08-17
💖7)─1─日本人軍国主義者は、シベリアのロシア人戦災児童約800人をロシア人共産主義者から救出した。~No.30・ @ 
2021-02-11
💖7)─2─ロシア人避難学童救出活動と日本シベリア派遣軍諜報機関。~No.31No.32No.33 
  ・  ・   
2020-03-13
💖8)─1─平明丸事件。日本陸軍はシベリアで救出したトルコ軍人捕虜約1,000人を本国に送り届けた。~No.34No.35No.36No.37・ 
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本の隣国であるロシアと中国は何時の時代でもジェノサイドを繰り返し、現代でも懲りず、反省も、後悔もせず当然の権利の如く行っている。
 それは、両国の歴史が証明している。
   ・   ・   ・   
 ウクライナ戦争において、ロシア政府もウクライナ政府も戦争を有利に進める為に公式発表として真実を隠し嘘の情報を国民に知らせるという大本営発表を行っている。
 SNSなどのインターネット配信がリアルタイムで大量に流れていても、ロシア国内には政府の大本営発表を頑なに信じようとする人々が多く存在している。
 同じような事は、中国共産党体制下でも起きている。
   ・   ・   ・   
 江戸時代後期。徳川幕府は、ロシアの侵略から日本を守るべく東北諸藩に蝦夷地・北方領土南樺太の防衛派兵を命じた。
 水戸藩震源地として勤皇攘夷運動が起き、攘夷は日本全国に広がり、下級武士や庶民が攘夷に目覚めた。
 吉田松陰宮部鼎蔵ら若き勤皇攘夷派は、ロシアが侵略してくる北を目指して走った。
 もし、日本がロシア軍に侵略され占領されたら、ロシア人兵士による強奪、強姦、虐殺、放火で日本は阿鼻叫喚の地獄となった。
 日本の攘夷は正しい選択であった。
 日本が最も恐れたのは、日本人を奴隷として売買して「金儲け」して恥じないキリスト教の宗教侵略であった。
   ・   ・   ・   
 世界の戦争史において、理不尽に殺される人の数の多い少ないはあるがほぼ例外なくジェノサイドはつきものである。
 ベトナム戦争のおりは、アメリカ軍以上に韓国軍が目を逸らしたくなる様な猟奇的狂気的ジェノサイドを実行していた。
 歴史的事実として、戦勝国・大国が行ったジェノサイドなどの戦争犯罪は人道に対する罪に問われる事はない。
 つまり、「勝てば官軍、負ければ賊軍」は世界常識である。
 もし、ウクライナ戦争でウクライナが降伏すれば、ウクライナは敗戦国であり、ロシアは戦勝国である。
 国連とは、連合国軍つまり戦勝国の集まりである。
   ・   ・   ・   
 軍国日本は、戦場で敵兵・敵国人を殺すという戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で武器を持たない敵兵・敵国人を助けるという人道貢献を自己犠牲で行い、特に女性や子供を助け保護し治療と看病を行った。
   ・   ・   ・