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2022年3月31日号 週刊新潮「世界を徘徊する『ポリコレ』という怪物
『ポリコレ』──ポリティカル・コレクトネスが暴走している。性別や民族、宗教などへの差別、偏見、それに基づく制度を是正していくはずが、いまやただの言葉狩りに堕し、科学無視、多様性の否定にも向かっている。その先にあるのは歪んだ不寛容社会でしかない。
♦もう『メリークリスマス』とは言えない
♦元女性を『彼女』と呼んでクビに
♦『サンリオ』グッズは発売中止に
♦『言葉狩り』の独善社会で失われるもの
福田ますみ
……
一体全体、米国はどうなってしまったのか。
ひとつの怪物が米国全土に猛威を振るっているからである。ポリティカル・コレクトネスという怪物が。
我が国ではポリコレと略し、本家の米国ではPCと呼ばれているが、米国起源のこの概念はいまや、当の米国だけでなくすべての先進諸国を飲み込もうとしている。
昨年12月、私は『ポリコレの正体』(方丈社)という本を上梓した。この中で私は、ポリコレが蔓延する米国でいかに常軌を逸した現象が起きているかを紹介し、なぜこんな事態になったのか、ポリコレの起源と歴史を紐解き、その昔、新左翼の学生たちを熱狂させたある哲学者に焦点を当てている。さらに、米国を席巻したBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動の真実と、我が国にも吹き荒れ始めた和製ポリコレの実態にも迫ってみた。
ホリデーツリー?
ポリティカル・コレクトネスとは『政治的な正しさ』、『政治的妥協』と訳される。ハイブリッド新辞林によれば、『アメリカで、性・民族・宗教などによる差別や偏見、またはそれに基づく社会制度は、是正すべきとする考え方』とある。ポリコレのわかりやすい例として、『ブラック』(黒人)を『アフリカンアメリカン』(アフリカ系アメリカ人)に、『ビジネスマン』を『ビジネスパーソン』に、というような用語の言い換えが知られているが、今やこれがどんどんエスカレートして『言葉狩り』としか思えない様相を呈している。
一番驚くのは、米国では今『メリークリスマス』といえないことである。クリスマスシーズンにいろいろな店に入ると、店員はことごとく『ハッピーホリデーズ』とあいさつする。クリスマスカードにも『ハッピーホリデーズ』と書く。ちなみにクリスマスツリーは『ホリデーツリー』である。
なぜかといえば、『メリークリスマス』はキリスト教徒だけの宗教用語であり、イスラム教やユダヤ教、仏教などほかの宗教の信者にとって不快で排外主義的な言葉であるから、だれにとってもニュートラルな表現にすべきだとして、『ハッピーホリデーズ』になったのだという。
しかし実は、他の宗教の信者からこの言葉に苦情や文句が寄せられたことはない。つまりは過剰な自主規制なのだが、この背景には、米国の急進左派がめざす米国社会の脱キリスト教化がある。いまだに多くのアメリカ人の精神的な支柱であるキリスト教は、極左派に言わせれば、打倒すべき悪しき保守主義なのだ。
ジェンダーやLGBTへの過剰なまでの配慮や優遇もポリコレの大きな特徴である。東京ディズニーランドやディズニーシーでは、『レディスアンドジェントルマン』という来場者へのアナウンスをすでにやめている。代わりに使われているのは『ハロー、エブリワン』である。
『he』(彼)、『she』(彼女)、つまり男女の代名詞についても騒ぎが起きている。麗澤大学準教授で歴史学者のジェイソン・モーガン氏は、祖国アメリカのポリコレに大きな憂慮を抱いているが、その彼がこう言う。
『教育現場で代名詞問題は非常に危険です。元女性の生徒に対し、「彼」と呼ばずに「彼女」と呼んでしまったバージニア州の高校教師が、それだけの理由でクビになりました。大学でも同様です。使い方を間違えたら追放になる畏れがあります』
そこで、『he』『she』の替わる『they』を使うことが奨励されている。しかし『they』は本来、三人称複数であって、この言葉が『he』や『she』の代わりに新聞などに載ると、男性なのか女性なのか、1人なのか複数なのかその属性がよくわからず、読者は混乱するようだ。
父や母、息子や娘、夫や妻という言葉も危うく死語になりかけている。『そんなばかな』と思われるだろうが事実である。米下院では昨年、民主党の肝煎りによって、性的属性を示す全ての言葉を下院内において使用しないという法案が可決された。……というように言い換えなければならず、さらに兄弟、姉妹、伯父(叔父)、伯母(叔母)などの言葉も使えなくなった。
白人はみな人種差別主義者
いったいなぜここまでの言い換えが必要なのかといえば、父と母については、同性婚カップルが養子を迎えた場合、子供にとってはどちらが父でどちらが母なのかわからず、また父が2人、母が2人と認識することもあり、混乱するからだという。夫と妻という言葉はゲイやレズビアンのカップルに失礼なのだそうだ。
いやはや、当たり前の常識が全てひっくり返った未知の世界に飛び込んだようだが、言葉がこうして消えていく現象は、未来のディストピア社会を描いたジョージ・オーウェンの名作『1984年』を思わせる。
この社会には『ニュースピーク』と呼ばれる新たな言語が存在する。政府にとって都合の悪い語彙を徐々に減らしていった結果なのだが、これが現在の米国の言葉狩りにそっくりだ。
『言葉が消滅すれば、そのことについて考えることもなくなり「思考犯罪」もなくなる』とニュースピークを考案した言語学者は言う。
つまり、『父』や『母』という言葉がなくなれば、家族という概念について考えることもなくなり、従来の家族はいずれ消滅するということだ。言葉狩りは、人間の思考そのものを変容させてしまうのだ。
ポリコレはまた、黒人に代表される人種的、民族的な少数派に対する多数派の側に、過剰なほどの罪の意識を植えつける。
米国は白人至上主義の国であり、法制度そのものが白人支配を維持するために機能してきた、それによって社会、組織全体に制度的人種差別が組み込まれているとする過激な『批判的人種理論』が米国社会で支持を増やしているあらである。このため、奴隷制度時代に黒人が受けた被害に対して、『その子孫たちに損害賠償金を支払うべし』と主張する運動まで起きている。
アメリカ合衆国の建国年は1776年だが、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソンなど独立の立役者はみな、黒人奴隷を所有していた人種差別主義者であるとして、この1776年ではなく、アフリカから初めて奴隷が連れてこられた1619年を建国年に変更しようというプロジェクトも、ニューヨークタイムズが主導して進行中だ。米国版自虐史観としか思えない現象である。
このポリコレがもっとも先鋭化しているのが大学だ。
前出のジェイソン・モーガン準教授は、ウィスコンシン大学で大学院生活を送ったが、彼が教授の補佐役を務めるティーチング・アシスタント(TA)を志願した時のことだ。このTAになるにはあらかじめ『多様性訓練』というのを受けなければならない。テキストを開いたモーガン準教授が驚いたのは冒頭の文章である。
『〝all white people are racist〟と書いていたのです。「すべての白人は人種差別主義者」という意味です。隣に座っていたウガンダからの留学生が、「なぜall white people are racistと書かれているのか?私はそう思わないのですが」と話しかけてきました。私ももちろん人種差別主義者なのではありません。しかしどう答えていいかわかりませんでした』
ワシントン州のエバーグリーン州立大学では、カラードの学生と教員が人種問題について話し合うために、白人学生の当校を1日だけ制限するというイベントが行われた。これこそ立派な制度的人種差別だと思うが、それまでたっぷり贖罪意識を植え付けられた白人学生たちはほとんどそれに従うのだという。ただ1人、『それは逆差別だ』と声を上げた生物学の教授は、学生たちからレイシスト呼ばわりされ、事実上、研究者生命を絶たれた。
属性を必要以上に意識し、多数派対少数派の対立をことさら煽る。全米を覆うこうした現象の背景にあるのは、ナチスに追われて米国に亡命した『フランクフルト学派』の哲学者ヘルベルト・マルクーゼ、マックス・ホルクハイマー、イタリアの共産主義者アントニオ・グラムシらが築いた理論であるといわれる。
彼らは、欧米先進国で共産主義革命が起こらなかったことを重視し、革命そのものより、資本主義社会を内部から揺さぶり、革命前夜の状況を作ることをめざした。それには、従来の労働者ではなく、社会の周縁に置かれた非主流派、たとえば男性に対する女性、人種、民族における少数派などが変革の主体となるべきとした。
さらにマルクーゼは、進歩的な左派にはどこまでも寛容に、反動的な右派には徹底的に不寛容になるべきとする『抑圧的寛容』という理論を広め、左派の暴力を容認したとして、1960年代に吹き荒れた新左翼や学生革命の思想的な父ともてはやさた。
差別や偏見をなくし多様性を認める社会を作ると言いながら、左翼の価値観にそぐわない意見を一方的に封じ込めるポリコレこそ、抑圧的寛容と呼ぶにふさわしい。
風刺も皮肉も言えない
ポリコレがもたらす独善と不寛容は、わが国をも侵食しつつある。……
ジェンダーを巡るこの種の騒ぎはますますヒステリックになっている。ファンシーグッズのキャラクター『マイメロディ』をもとにした『おねがいマイメロディ』というテレビドラマがある。そこに、辛辣な物言いをするマイメロディのママが登場するが、サンリオは先頃、このママの『名言』を印刷したバレンタインのグッズを発売中止にすると発表した。……そもそも毒舌で鳴らすキャラクターならこれくらいのことは言うだろう。それをいちいち槍玉に挙げたのでは、風刺や皮肉、斜めに構えた辛口コメントなど世の中に存在しなくなる。
女性への表現ばかりがいつも問題となるが、男性への侮辱、揶揄表現は全く野放しである。属性で一括りにして偏見を抱いてはいけないというなら、等しく男性という属性も対象になるはずだが、こちらはまったく顧みられない。
LGBTに対する配慮も米国並みになってきた。千葉市では、市職員や関係者がLGBT当事者に適切な対応するために『LGBTを知りサポートするためのガイドライン』なるものを作っている。それによると、窓口や電話での対応に当たり、『性別や関係性を決めつけるような表現は避けましょう』とあり『夫、妻、旦那様、奥様→配偶者、パートナー、お連れ合い』に、『お父さん、お母さん→保護者の方、ご家族の方』と言い換えを指示している。
このガイドラインは、LGBT差別禁止法の制定を求める『LGBT法連合会』が監修したものに基づくが、巻末資料の『LGBTの基礎知識』の中に次のような記載がある。 『性自認の意思で変えることは困難です。(中略)その人が好んでその性自認を選択するわけではありません。(中略)医学的にも性自認は治療によって変えられることはできません』
また『性的指向』についても、
『性的指向は自分の意思で変えることはできません。医学的にも治療によって変えられることができるものではありません』
しかし、ここまではっきり言い切るのか。
同性愛者は本当に先天的か
LGBTであることは、人種、肌の色と同様に、変えられない属性であり、不可逆=生まれつきであるから差別はいけない、というロジックが今では定着している。そのため、わずかでもLGBTに対して批判めいたことを言えば『差別だ』と攻撃を受ける。しかし最近では特に英語圏で、同性愛は先天的ではないという見解が優生となっている。
麗澤大学教授で憲法学者の八木秀次氏がこう語る。
『同性愛の遺伝について調べたある研究では、一卵性の双子が両方とも同性愛者になる確率は10%前後でした。つまり9割の双子は、片方が同性愛者でももう一方は異性愛者ということです。もし同性愛が遺伝するのならば一卵性双生児は性的指向が一致しなければなりません。同性愛が遺伝的・先天的でないとしたら原因は何なのか。実は、その人が育った環境要因が有力視されています。
米国の精神科医ロバート・スピッツァー氏は2011年、同性愛の傾向があっても、「異性愛者としての機能を十分回復できる」という見解を出しています。実はスピッツァー氏は1973年、米国の精神疾患のリストから同性愛を削除する決定をした人物です。研究の結果、自らの見解を改めたことになります。
また、いわゆる同性愛の特異遺伝子というものも存在しないことが、米ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学による研究で明らかになり、2019年8月30日号の「サイエンス」で発表されています』
……
もちろん、生まれつきでないから差別をしてもいいということではない。LGBTの人権は守られるべきだが、『あなたはあなたのままでいい』というスローガンに現れているように、『生まれつき』だからLGBTであることを現状肯定しなければいけないかのようなイデオロギー的圧力が当事者に向けられている事実がある。
もちろん当事者の中には、今のままでいいと思う人たちも多いが、異性愛者に変わりたい願望を持つ人たちもいる。後者に治療ないしカウンセリングなどの道を開こうとすると、『「治療」という言葉は差別だ』『LGBTは病気ではない』などと非難され、その道が閉ざされてしまう。
LGBT活動家たちは常日頃から『性は多様性である』と主張している。当事者たちの幸せを願うなら、その多様な選択を応援すべきではないか。
ポリコレ過剰社会は結局、マイノリティにも不自由を強いているのである。」
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