💟4¦─2─“地獄谷”と呼ばれたハワイの「日系人強制収容所」。~No.11 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 宗教的白人至上主義・科学的人種差別主義は、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどのキリスト教諸国にあったが日本にはなかった。
   ・   ・   ・   
 2023年7月13日 YAHOO!JAPANニュース クーリエ・ジャポン「“地獄谷”と呼ばれたハワイの「日系人強制収容所」が歴史から忘れられた理由
 ハワイ州オアフ島の西部にあるホノウリウリ収容所。日系米国人の間では「地獄谷」と呼ばれていた Photo: Ronald Harry Lodge/Wikimedia Commons
 太平洋戦争中の米国では、敵国・日本の支持者と疑われた12万人以上の日系人が強制収容された。そのなかには、ハワイ在住の日系人も含まれていたが、戦後になるとその事実は長く忘れ去られた。
 【画像】(続きを読む)「帝国主義」と「真珠湾」の記憶が歴史を偏向させた
 ハワイの悲しい歴史が見過ごされてきた背景には、国家の意図的な「黙殺」があったという。
 1941年12月7日(日本時間12月8日)、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃すると、米国政府は数年にわたって本土に住む日系人を強制収容した。
 だが、ハワイ在住の日系米国人も家を追われ、強制収容所に入れられた事実はこれまで無視されてきた。
 「地獄谷」と呼ばれた収容所
 1942年2月、ルーズベルト米大統領は特定の地域を軍管理地域に指定し、そこからの強制退去を承認する「大統領令9066号」に署名した。
 強制退去の対象となる民族は特定されていなかったが、標的にされたのは日系米国人だった。「日系人はスパイで、日本軍のために破壊工作をしている」という恐怖が米国中に広まっていたのだ。
 こうした外国人嫌悪の蔓延により、12万人以上の日系人が収容所に送られた。大半は、西海岸の出身で米国の市民権を持っていたが、日系だというだけで米国の安全保障を脅かすと見なされた。
 1898年に米国に併合されたハワイでも日系人は強制収容された。第二次世界大戦時、日系人はハワイの人口の3分の1以上を占めていた。米軍がハワイで収監した日系人は約2000人と、規模は本土よりもはるかに小さかったが、そのなかにはコミュニティの指導者や日本語教師、神主などが含まれていた。
 1943年にオアフ島に開設されたホノウリウリ収容所は、ハワイ最大の強制収容所で、日系人の間では「地獄谷」と呼ばれていた。
 ホノウリウリは、民間人と戦争捕虜の両方が収監された点で他の収容所とは異なっていた。収容所が運営されていた3年の間に、およそ320人の日系の民間人が連行されたという。
 本土と同様、ハワイの収容所も人であふれかえっていた。周囲は有刺鉄線に囲われ、武装した警備員に監視されていた。強制収容された人々は心を病み、自殺や早世する人の割合が増加したという。
 「被害」と「加害」を象徴する土地
 1980年、日系米国人の長年の訴えを受け、カーター大統領が「戦時における民間人の転住・抑留に関する委員会」を設置すると、日系人に対する強制収容についての調査が始まった。
 その結果を踏まえ、同委員会は、ハワイ在住者を含む被収容者に謝罪し、2万ドルの補償金を支払うよう政府に勧告した。レーガン大統領は当初これに反発したが、1988年にこの勧告に従う「市民自由法」を制定した。
 その際、レーガンは、日系人の強制収容を「裁判もなしに(中略)人種だけを理由におこなわれた」「重大な過ち」と表現した。しかしながら、米政府と陸軍によって強制収容所が建設・運営されていた事実にレーガンはいっさい言及しなかった。また、これらの行為が人権侵害だという認識も示さなかった。
 さらに、市民自由法には重大な欠陥があった。賠償金の支払い対象からハワイの日系人数百人が除外されていたのだ。
   ・   ・   ・   
 戦時中の日本には、降伏した元連合国軍兵士に対する捕虜収容所は有ったが、日本国内のアメリカ人、中国人、敵性日本国籍朝鮮人など非戦闘員を閉じ込めた強制収容所はなかった。
   ・   ・   ・  
 アメリカ、カナダは、日系人強制収容所で自国の市民権を持つ一般市民に銃口を向け私有財産を没収し、牛や豚のように発砲しながら鉄条網で囲った強制収容所に追い込んだ。
 アメリカは、愛国調査を行い、愛国を誓った日系人を強制的に志願させ戦死確実な地獄のような戦場へと追いやり、愛国を拒否した日系人は敵国スパイ容疑で逮捕し、拷問し、中には死亡させたが、戦時下の合法行為として罪に問われる事はなかった。
 思想や宗教を理由にした良心的兵役拒否は、白人のアメリカ人には認められていたが、市民権を持っていた日系アメリカ人やアフリカ系アメリカ人には認められていなかった。
   ・   ・   ・   
 軍国日本は捕虜収容所で敵軍兵士を虐待した為に、戦後、国際法で捕虜収容所関係者は一切の弁明を認められずB級C級戦犯として処刑され、日本の左派はもちろんリベラルやエセ保守さえも日本人戦犯を靖国神社に祀る事に猛反対している。
   ・   ・   ・   
 7月13日 COURRiER JAPAN「根深く残る「帝国主義」と「真珠湾」の記憶
 “地獄谷”と呼ばれたハワイの「日系人強制収容所」が歴史から忘れられた理由
ハワイ州オアフ島の西部にあるホノウリウリ収容所。日系米国人の間では「地獄谷」と呼ばれていた Photo: Ronald Harry Lodge/Wikimedia Commons
 ハワイ州オアフ島の西部にあるホノウリウリ収容所。日系米国人の間では「地獄谷」と呼ばれていた Photo: Ronald Harry Lodge/Wikimedia Commons
 太平洋戦争中の米国では、敵国・日本の支持者と疑われた12万人以上の日系人が強制収容された。そのなかには、ハワイ在住の日系人も含まれていたが、戦後になるとその事実は長く忘れ去られた。
 ハワイの悲しい歴史が見過ごされてきた背景には、国家の意図的な「黙殺」があったという。
 1941年12月7日(日本時間12月8日)、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃すると、米国政府は数年にわたって本土に住む日系人を強制収容した。
 だが、ハワイ在住の日系米国人も家を追われ、強制収容所に入れられた事実はこれまで無視されてきた。
 「地獄谷」と呼ばれた収容所
 1942年2月、ルーズベルト米大統領は特定の地域を軍管理地域に指定し、そこからの強制退去を承認する「大統領令9066号」に署名した。
 強制退去の対象となる民族は特定されていなかったが、標的にされたのは日系米国人だった。「日系人はスパイで、日本軍のために破壊工作をしている」という恐怖が米国中に広まっていたのだ。
 こうした外国人嫌悪の蔓延により、12万人以上の日系人が収容所に送られた。大半は、西海岸の出身で米国の市民権を持っていたが、日系だというだけで米国の安全保障を脅かすと見なされた。
 1898年に米国に併合されたハワイでも日系人は強制収容された。第二次世界大戦時、日系人はハワイの人口の3分の1以上を占めていた。米軍がハワイで収監した日系人は約2000人と、規模は本土よりもはるかに小さかったが、そのなかにはコミュニティの指導者や日本語教師、神主などが含まれていた。
 「私の祖父は沖縄戦で日本人捕虜を尋問した米兵でした」と記者が打ち明けたとき…
 1943年にオアフ島に開設されたホノウリウリ収容所は、ハワイ最大の強制収容所で、日系人の間では「地獄谷」と呼ばれていた。
 残り: 1634文字 / 全文 : 2486文字
 lockこの記事は会員限定です。
   ・   ・   ・