💟7¦─1─アメリカは日系二世部隊の尊い犠牲を無意味で無価値と切り捨てた。アメリカ国内での反日活動。~No.26No.27No.28 

   ・   ・   ・(戦時移民計画局→戦時移住計画局)   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。   
   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・  
 伊達宗嗣「日系二世たちの特殊な心理を、巧みに利用したのがCIAである。
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 GHQ時代からCIC(対敵諜報部隊)その他の情報機関には少なからぬ二世が勤務していた。CIAだけでなく、米軍の諜報機関も同様に二世をつとめて採用したらしい。
 米国籍の人々はCIAに『協力しないと市民権を取り消す』と脅迫された。さらにCIAは協力者の範囲を日本国籍者に拡大した。この場合は『市民権はいらないか』が、まだ米国の富と力を眩惑されていた人々に対する殺し文句になったという」
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 シグ・片山「私が新聞の裁き(ロッキード事件)を受けたのは報道機関から見て一番ずるい、傲慢な日系米国人に映ったことと、説明するのがむずかしいが、日系米国人ということで反感をもたれ差別を受けているのではないだろうか。日系米国人は終戦直後日本人を利用したからね」
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 日系人は、祖国日本の為ではなく、国籍・市民権・住民票があるアメリカの為に、アメリカ国民として責任と義務を果たす為に、アメリカに忠誠を誓い兵士となり、アメリカの為に日本と戦うべきである。
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 沖縄出身者は、日本社会でも、日系社会でも、日本人から偏見と差別を受け苦しめられていた。
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 日系アメリカ人は、アメリカの国家と大統領に忠誠を誓い、二世部隊として国益を守って戦った。
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 日系アメリカ人達は、アメリカ社会の潜在意識の中に存在する伝統的親中国反日感情に怯えながら生活している。
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 昭和天皇は、沖縄県民の漢那憲和を信頼して命を預けた。
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 日本の政府・政治家、外務省・官僚、メディアは、戦前の日本人に比べて冷淡、薄情で、日系アメリカ人の生活が脅かされていても見捨てている。
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 昭和天皇は、アメリカの日系人への差別や迫害と言った排日運動が日米戦争の原因であったと、アメリカの人種差別を戦争の引き金であったと話した。
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 増加した中国系韓国系移民は、アメリカに忠誠を誓って戦い、戦死者を出して功績を出した日系アメリカ人を差別し、日系人の子供にイジメや嫌がらせを繰り返している。
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 2018年7月号 Hanada「米軍と沖縄移民の絆 ナカソネ大将  惠隆之介
 米国史上初の人事
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 MIS部隊の要員は、語学学校MISLS(MIS Language School)で情報員として育成された。そのMISLSの前身は1941年11月、真珠湾攻撃の五週間前、サンフランシスコ・プレシデオ内に開設された。4名の日系人教官と60名の生徒で構成され、米軍情報課(MID)および参謀第二部の指揮下に置かれた。
 MISLSの授業では、情報員としての基礎知識、日本語の読み書き、会話、草書の読み方や、日本軍教範である『作戦要務令』や『応用戦術』を使って軍隊用語の理解、さらには日本の地理・歴史・文化といった科目を教育された。前線における日本軍捕虜の尋問のために必要な基礎知識を習得するためであり、6か月という短期間で集中的に教え込まされた。
 MISLSは終戦までに約6,000人の卒業生を輩出、現在はカリフォルニア州モントレーに所在する米国防総省外国語学校に引き継がれている。
 当時の卒業生たちは、情報員として日本軍の通信傍受、作戦資料英訳、捕虜尋問、非戦闘員を含む日本軍への投降勧告などに従事した。
 情報員は通常、前線に出ないが、MISは沖縄、サイパン等の地上戦において避難壕を巡回し、投降勧告を行っている。その際、日本軍兵士によって射殺されたり、砲爆撃に晒されて爆死している。
 1980年5月9日、米国防総省は彼らの功績を後世に顕彰するためとして、米国防総省外国語学校のビル三棟に戦死したMIS日系人兵士の名前をそれぞれ冠した。
 終戦後は日本本土、沖縄で通訳としてGHQの占領政策および米国民政府の窓口として活動しながら、日本共産党の監視、とりわけシベリア抑留者帰還に伴う共産主義思想の浸透工作の分析にあたっている。
 彼らは『人間秘密兵器』と呼ばれ、山本五十六連合艦隊司令長官機撃墜事案に関する通信傍受や、マリアナ沖航空戦の作戦資料読解などで力を発揮した。米国のある戦略家は、彼らの功績を評価した。
 『彼らによって、対日戦は予定より2年早く終結した』
 肩身が狭かった沖縄移民
 日系を語るうえで、第442連隊、第100歩兵大隊について触れないわけにはいかない。
 1942年6月、在ハワイの日系二世陸軍将兵1,400名を中心に、ウィスコンシン州のキャンプ・マッコイで第100歩兵大隊が編成された。
 1943年1月28日には、米本土在住の日系人強制収容所内において志願兵の募集が開始され、第442連隊が編制された。
 ハワイと米本土における日系人の徴兵年齢人口(18〜39歳の男性)は、前者約2万3,000人、後者は約2万5,000人でほとんど同じだったが、入隊希望者はハワイが圧倒的に多く、募集定員1,500人に対し6倍以上の志願者が殺到。ハワイから2,600人米本土から800人の志願兵が入隊してきた。とくに志願者には沖縄移民2世が多かった。
 なぜ沖縄移民2世の希望者が多かったか?戦前、沖縄移民1世は、移民先で他県出身者と齟齬(そご)をきたすことが多々あり、肩身の狭い想いをしていた。沖縄では廃藩置県以降も一般県民が学問を軽視したため就学率、労働生産性が低迷していた。また、県内では日本の古語を多く残した沖縄方言が常用されていたため、移民先では他県出身者とのコミュニケーションが不十分であった。
 1909年(明治42年)、移民初期時代のハワイの状況を、移民1世の宮城伊栄はこう証言している。
 『日本人社会は如何なる態度をとったかと言うと、彼らはいたって冷酷で、事毎(ことごと)に我らを軽蔑し、沖縄沖縄と呼び捨てにしていたので、我々県人はさながら海洋に浮かぶ舵無き棄て小舟同然で一層旅の悲哀を深くし、煩悶(はんもん)し前途を悲観せざるを得なかった。従って作業場においても事毎に摩擦を生じ。仔細な事より一不祥事を起こした例は各地到る所に見受けられた。翻(ひりがえ)って我々県人自体を観察するに恥ずべき欠点もあった』(『おきなわ』1951年第二巻第三号)
 大正後半以降、沖縄移民1世たちは反省し、郷里に送金して教育レベルの向上に努め、移民会館を建設。移民予定の青年を合宿形式で鍛え、躾(しつけ)や標準語の教育を徹底させている。
 そんな肩身の狭い思いをしていた沖縄移民を奮起される出来事が起こる。1909年、帝国海軍練習艦隊『宗谷』『阿蘇』の2艦がハワイに寄稿する。旗艦『宗谷』航海長兼指導教官は、本誌2018年6月号でも紹介した沖縄出身の漢那憲和(かんなけんわ、当時32歳)海軍大尉であった。漢那は1921年(大正10年)、昭和天皇が皇太子の時代の欧州ご外遊時に、御召艦(おめしかん)『香取』の艦長に抜擢された人物だ。
 騒動になった漢那の発言
 1909年、初めて漢那がハワイに来た時の感動を、宮城はこう記している。
 『漢那大尉の御来航は茨の途をさまよっていた我々沖縄県人に勇気と希望を与えてくれた事として我々は永久に忘れることは出来ない。
 当時、日本人社会より侮辱されていた県人にとっては真に干天(かんてん)に慈雨(じう)の感がした。ハワイ・ヒロ市に於いては島内の県人はほとんどくまなく集まって一大歓迎会を催し、日頃のうっ憤を晴らして大気焔(きえん)を上げたのである。
 この事あって以来、日本人社会の態度は手の平を返すが如く一変し、我らに対し日本人同様の待遇をするようになって来た』(同前)
 その漢那は、1925年(大正14年)、海軍少将で予備役となった。1928年(昭和3年)、第16回衆議院選挙に挑戦、沖縄地方区最高位で当選した。
 その後、漢那は1930年(昭和5年)6月にハワイを訪問し、日系人を対象に講演を行った。
 当時、米本土では日系二世が日本派と米国派に分裂し、傷害事件さえ起きていた。それだけ日系二世のアイデンティティは揺れ動いていたのだ。その講演の終わりに、一人の日系二世が挙手して質問した。
 『閣下、もし将来、日米戦が生起するようなことがありますれば、我々日系人はいったい日米いずれの国に尽くしたらいいのでしょうか?』
 聴衆のほとんどは『日本』と答えるだろうと思っていた。移民一世の多くはそれを期待していた。
 ところが、漢那の答えは異なった。
 『君たちの祖国は米国であります。当然、米国に忠誠を尽くすべきです』
 場内は騒然となった。とくに、移民一世のなかには憤慨する者も少なくなかった。この発言は、漢那が帰国するより早く日本に達し、在京の沖縄県人会は漢那を激しく批判した。また、海軍退役将官会『洋洋会』でも、許の発言は物議を醸(かも)していた。
 しかし、漢那は翌1931年もハワイを訪問しており、同様の趣旨で講演を行っている。
 第100歩兵大隊への志願兵に在ハワイの日系二世、とりわけ沖縄移民二世が多かった理由はここにある。沖縄の英雄・漢那の発言によって、沖縄移民二世たちは忠義を尽くすべき『祖国』を自覚したのだ。
 二世部隊将兵は戦後、米軍将校として日本に進駐した。その彼らが次々と在京の漢那を表敬訪問している。そればかりか公職追放令、軍人恩給停止令を受けて困窮する漢那とその家族を支援した。
 ……
 差別と闘い
 話を戻そう。
 第100歩兵大隊は欧州戦線に投入された。1943年9月29日、イタリアでドイツ軍と交戦。その後、1944年6月、第100歩兵大隊は第442連隊に編入後、9月にはフランスへ移動、第36師団に編入された。
 同年10月24日、第34師団141連隊第1大隊、通称『テキサス大隊』がドイツ軍に包囲され、全滅寸前に陥った。翌25日、第442連隊はルーズベルト大統領から直々に救出命令を受ける。
 同連隊は10月30日、ドイツ軍との激戦の末、ついに『テキサス大隊』生存将兵211人の救出に成功する。しかし、代償も大きかった。第442連隊は216人が戦死、600人以上が重傷を負った。
 第442連隊は第36師団編入時には兵力2,800名を数えていたが、3ヵ月が経った11月には半分の1,400人までに減少していた。
 第442連隊の元戦士は、戦後こう語っている。
 『部隊から一人の脱走者も出さなかった。それどころか、野戦病院へ搬送された仲間が命令を無視して部隊に独断で復帰したこともあった』
 第442連隊アメリカに対する忠誠心は、それだけ凄(すさ)まじかったのである。
 日系部隊は、敵軍だけでなく差別や偏見とも戦っていた。救出されたテキサス大隊の一白人少佐がこう言った。
 『なんだ、ジャップ部隊か!』
 これを聞いた日系少尉は激怒。少佐に詰め寄った。
 『何を言われるのですか。俺たちはれっきとした〝米陸軍〟第442連隊です。言い直して下さい!』
 少佐はすぐに謝罪し、敬礼したという。
 1946年、トルーマン大統領は米陸軍中最高の殊勲をあげた第442連隊を評してこう称えている。
 『諸君は敵のみならず、人種差別という偏見とも戦い勝利した』
 ナカソネ大将が陸軍を志願したのも、『高校生の時、第442連隊の活躍を学んだことが動機だった』と語っている(2018年3月2日『ハワイ・ヘラルド』)。
 現在、米陸軍では第442連隊の戦闘記録がテキストとして必修科目になっているのだ。
 今日の地位を築いたもの
 ……
 2011年11月2日、米国議会は、米国最高勲章にあたる議会名誉黄金勲章(Congressional Gold Medal)を第二次世界大戦時に活躍した2つの日系二世部隊、米陸軍442連隊、第100大隊と、父エドウィンが属したMISに贈った。今日の在米日系人への信頼を不動のものにしたのは、この2つの部隊の功績が大きい。
 米陸軍442連隊、第100歩兵大隊はすでに有名だったが、MISは任務の性質上、戦後になっても長く秘匿された。1972年、ニクソン大統領が第二次世界大戦中の軍事情報の機密扱いを解除する大統領行政命令11652に署名して以降、ようやく公表されたのである。
 76年前の1942年2月19日、第二次世界大戦の際、ルーズベルト大統領が『在米日系人は国家安全保障への脅威』と公言し、大統領行政命令9066号をもって12万313名の在米日系人の財産を没収、強制収容所に隔離。当時、日系人の一部は、馬糞の悪臭漂(ただよ)う厩舎(きゅうしゃ)に入れられた。在米日系人はそういう差別と偏見をバネに、ひたすら米国に忠誠を尽くし、今日の地位を築いたのである。
 先述した漢那も、今回のナカソネ大将の栄進を泉下(せんか)から、さぞや喜んでいることであろう」
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人共産主義者同様に昭和天皇と皇族を殺害する為に付け狙っていた。
 韓国は、昭和天皇の葬儀に弔問の特使を派遣しないばかりか、陰で昭和天皇が死んだ事に対して祝杯をあげていたという。
 韓国の歴史は、日本天皇を中華皇帝と対等ではなく、朝鮮国王よりも下位の存在として蔑称「日王」と呼び捨てにしている。
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 軍国日本は、アメリカ軍の猛攻で敗北が濃厚になっていたが、ルーズベルトの急死を知るや、アメリカの国家元首の死去として敬意を持って弔意の電報を送った。
 それが、誠の日本武士の作法であった。
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 中国系韓国系朝鮮系アメリカ人と一部のユダヤアメリカ人は反日派である。
 日系アメリカ人は、反日世論に同調しないと、彼らから嫌がらせやイジメを受け始めている。
 ユダヤアメリカ人は、反天皇反日派である。
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 5月24日11:03 産経ニュース「【歴史戦】【「慰安婦」日韓合意】米ニュージャージー州で5例目、慰安婦碑が除幕式 韓国系4割の町フォートリー 
 慰安婦碑の除幕式=23日、米東部ニュージャージー州フォートリー(上塚真由撮影)
 【フォートリー=上塚真由】米東部ニュージャージー州フォートリーの公園で23日午後、慰安婦碑の除幕式が行われた。同州の慰安婦碑は5例目で、公有地への設置は4例目となった。地元の韓国系米国人の高校生が中心となった団体が主導して設置され、除幕式には韓国系住民や行政関係者ら100人以上が参加した。
 設置されたのは、韓国・ソウルの日本大使館前などに設置されている、いわゆる「少女像」とは異なり、円形の碑に、韓服を着用した少女のシルエットがくりぬかれたデザイン。土台部分には「祖母が私に伝えた話」と題した詩文が刻まれた。デザイン、詩文ともに韓国系高校生が作成。詩文は「日本軍」と直接言及していないが、戦時下の強制連行を訴える内容となっている。高校生の一人は演説で「歴史の一部分を無視することは、人間を無視することになる」と強調した。
 フォートリーのマーク・ソコリッチ区長は除幕式後、記者団に対し「私は、韓国系米国人が人口の多数を占める地域の代表だ。碑を設置できて誇りに思う」と語った。フォートリーの人口は約4万5000人で韓国系住民の割合は4割近いという。
 地元で反対運動を行ってきた不動産会社経営の古本武司さんは、「慰安婦碑は地域を分断することになる。言い分が聞き入れられず残念だ」と語った。
 フォートリーの区議会は昨年12月、碑の設置を認める決議を全会一致で可決。2012年ごろから始まった設置計画は、韓国系団体の対立などでいったんは立ち消えになったが、16年から高校生らが前面に出る形となっていた。」
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 5月25日 07:31 産経ニュース「【歴史戦】【「慰安婦」日韓合意】米連邦議会慰安婦像 NYの韓国系団体 自民党議員が懸念を伝達
 【ワシントン=加納宏幸】韓国系米国人団体「ニューヨーク韓人会」が6月7日、ニューヨーク・マンハッタンの韓人会館に設置された慰安婦像を首都ワシントンの連邦議会議事堂に運び込んで「特別展示」を実施する動きがあり、訪米している自民党河井克行総裁外交特別補佐が23日、野党・民主党議員に対して日本の懸念を伝えた。展示にはニューヨーク州選出の複数の同党下院議員が関与しているという。
 ニューヨーク韓人会は、韓国・ソウルの日本大使館前などに設置されているものと同様の慰安婦像を韓人会館にある博物館に展示しており、関係者によると、議事堂の見学などに使われるビジターセンター内の一室にこの像を持ち込み、展示する計画を立てている。
 河井氏は23日、日系でハワイ州選出のコリーン・ハナブサ下院議員(民主)と面会し、特別展示について「米朝首脳会談を目前とする時期に、日米韓3カ国の連携を分断する動きだ」と懸念を伝え、展示に関わる議員らに対する働きかけを要請した。ハナブサ氏は日本の懸念を理解しつつも、表現の自由があることから中止させるのは難しいとの認識を示したという。河井氏は他の議会関係者にも要請する予定だ。」
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 5月28日10:30 産経ニュース「【古森義久のあめりかノート】ハリス司令官の東アジア観 中国側は日系人であることを攻撃するが…
 ハリス米太平洋軍司令官
 東アジアの変動とも混迷とも呼べる現状を米国はどうみるのか。北朝鮮や中国の脅威として映る動きを米側がどう認識するのか。今年3月中旬の太平洋統合軍ハリー・ハリス司令官の上院軍事委員会での証言が、その最も有力な指針となるようだ。
 ハリス海軍大将はそれまでの3年間、インド太平洋の陸海空を管轄する米軍全体の最高司令官を務め、その最後の議会登場がこの証言だった。
 「金正恩(キムジョンウン)は国際的な規則や責任、そして抑制された言動に対する侮蔑の念を数えきれないほど誇示してきた」
 ハリス氏は金正恩朝鮮労働党委員長に対しても、こんな批判を正面から述べた。3月中旬といえば、同委員長がすでに米韓両国への唐突な微笑外交を始めた後である。
 だがハリス氏は、北朝鮮核兵器や長距離ミサイルの危険性を具体的に報告した。インド太平洋全域で最も切迫した脅威は、北朝鮮の核軍拡と好戦的な態度だとも強調した。
 日本や韓国への北朝鮮の軍事脅威についてもハリス氏は警鐘を鳴らした。
 「北朝鮮は世界で第4の規模の120万もの軍隊を維持し、長距離ロケット、火砲、短距離弾道ミサイルを多数備え、通常戦力でも韓国や日本への脅威となる。これらのロケット類は化学兵器生物兵器をも発射できる。高度に訓練された特殊作戦部隊は、金正恩のさらなる奇襲攻撃の手段である」
 ハリス氏のこの報告はトランプ政権の見解であると同時に、最近の世論調査や専門家の発言をみると、米国官民の全体の懸念だともいえる。北朝鮮はいくら平和や和解を説いても、この懸念を減らす実効措置はとっていない。 トランプ大統領との米朝首脳会談を求める金委員長の背後には、こんな現実が揺らがないまま、厳存するのだ。
 その北朝鮮はいまや中国との距離を縮めてきた。金正恩政権は非核化をめぐる米国との駆け引きのために中国への依存、あるいは中国の利用とみえる動きを取り出したのだ。
 ハリス司令官はその中国についても同じ議会証言で、インド太平洋地域では長期的には最大の脅威だとする認識を率直に述べていた。
 「中国は近隣諸国を脅して屈服させ、自由で開かれた現在の国際秩序を崩すために軍事力と経済力を行使している。米国は中国の軍事力や強制力の行使に断固、反対する」
 ハリス氏のこうした鋭い批判に対し、中国側が同氏の家族背景を理由に非難することは広く知られている。新華社通信や環球時報という国営メディアが、「ハリスが反中的な発言を続けるのは彼の血や出自が原因だ」という趣旨の論評を繰り返したのだ。母が日本人であることを反中と結びつける不当な反日の民族差別の攻撃だった。
 だがトランプ大統領の厚い信を得たハリス氏は、この5月には韓国駐在の大使に任命された。同氏が北朝鮮や中国について表明してきた認識はオバマ前政権時代から一貫しており、議会でも超党派の同調を得てきた。今後活動の拠点を朝鮮半島へと移すハリス氏の言動は、日本外交にとっても意味ある基準となるだろう。
 古森義久(ワシントン駐在客員特派員)」
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 6月5日 産経ニュース「【アメリカを読む】「反日映画」で慰安婦碑運動に走った韓国系高校生 マンハッタン対岸の町は“コリアタウン”化していた
 5月23日、米東部ニュージャージー州フォートリーで行われた慰安婦碑の除幕式で、民族楽器の演奏を披露する女性たち(上塚真由撮影)
 米東部ニュージャージー州フォートリーに5月23日、同州で5例目となる慰安婦碑が設置された。慰安婦問題をめぐる2015年の日韓合意後も米各地で韓国系団体による設置が相次ぐが、フォートリーのケースの特徴は、地元の韓国系米国人の高校生たちが主導したことだ。高校生たちを動かしたきっかけは、韓国で大ヒットを記録した慰安婦映画。一方的な歴史認識は、10代の若い世代にも深く浸透している様子が浮き彫りとなった。
 ニューヨーク・マンハッタンの対岸にあるフォートリー。5月23日午後に地域の公園で行われた除幕式の“主人公”は、韓国系の高校生たちだった。
 除幕式の進行は高校生の男女2人が務め、開会の挨拶にたったのも、設置を進めた高校生の団体「ユースカウンシル・フォートリー」代表の男子生徒だ。
 男子生徒は、集まった100人超の来場者に謝意を述べた後、2年前に慰安婦設置の活動を始めたきっかけをこう明かした。「私と友人は『スピリッツホームカミング』という映画を見ました。慰安婦が堪え忍んだ恐怖を描いたものです。映画を見終わった後、何らかの形で女性たちを追悼したいと考えるようになり、碑を設置することに決めました。なぜなら、彼女たちの苦しみを、人々に知ってもらいたかったからです」
 短いスピーチだったが、参加者からは大きな拍手が送られた。
 男子生徒が述べた映画「スピリッツホームカミング」は日本では「鬼郷」という題名で知られる。2016年に韓国で公開され、大ヒットした映画だ。劇中では、慰安婦として連行された少女たちに対する日本兵の残虐な暴行、拷問シーンが描かれている。
 日本では「反日映画」との批判が上がり、韓国国内でも、事実を歪曲しているという議論があったほど。だが、“母国”から遠く離れて暮らす韓国系の若者たちの心を動かすのには十分な役割を果たしていた。
 フォートリーでの慰安婦碑には、韓国系の女子生徒がつくった「祖母が私に伝えた話」と題した詩文が刻まれた。この女子生徒も除幕式でスピーチし、映画を見て詩文を作ったことを明らかにした。
 「正直にいうと、映画を見るまでは、慰安婦問題について理解していませんでした。夕食のテーブルで、両親から慰安婦問題について聞かされていましたが、それが何を意味するのかは分かっていませんでした。歴史の授業で先生が5分ほどで言及していただけで、十分ではなかったのです」
 「映画は大きな衝撃でした」。女子生徒はこう話し、涙で声を詰まらせながら自作の詩を読み上げた。「日本兵」という言及はないが、虐待や拷問を受けた少女の叫びを詩にしたためている。
 ほかにも、20人ほどの高校生がおそろいの紫色のTシャツを着て、スピーチしたり、会場で来場者に水を配ったりと除幕式を盛り上げていた。
 こうした高校生たちの活動を「英雄的な取り組みだ」などと絶賛したのは、フォートリーのマーク・ソコリッチ区長だ。
 地元メディアによると、フォートリーでは2012年から慰安婦碑の設置計画があったが、複数の韓国系団体が、碑文の内容などをめぐって主導権争いを行い激しく対立、計画自体が一度は立ち消えとなった。その後、16年に高校生たちが活動を始めて設置にいたった経緯がある。
 ソコリッチ氏は、「情熱と知識を集結させた上、高校生たちが行ってきた尊敬すべき方法、コミュニケーションとロビー活動の能力のおかげで、われわれは今日という日を迎えられている」と発言。対立を繰り返す韓国系団体を一つにまとめた高校生たちに感謝の意を繰り返した。
 また、スピーチの後半では、露骨なまでに地元の韓国系社会に“ラブコール”を送った。フォートリーは人口約4万5000人のうち、韓国系が約4割を占め、韓国系住民は年々増え続けている。
 「この慰安婦碑は、韓国系米国人の人口が最も多い地域の指導者としての私の思いを代弁している。われわれはあなたがたに寄り添い、愛し、そして尊敬している」と感傷的に語り、「われわれは決して歴史を忘れないし、記憶にとどめ続ける」と叫んだ。
 除幕式後、地元日本人が設置に反対してきたことについて聞かれると、「韓国系の人口が多い地域の代表だ」と改めて開き直り、「この碑では、誰も特定して非難していない。敬意を表するために設置されたのだ」と反論した。
 地元韓国系にとっては長年の“悲願”だった慰安婦碑の設置。除幕式では、韓国の伝統衣装を身につけた女子生徒たちによる民族楽器の太鼓での演奏が披露されるなど、祝福ムード一色となった。それを、ソコリッチ氏ら行政関係者がうれしそうにながめ、慰安婦碑と記念撮影に収まる場面も。
 「行政関係者にとっては、慰安婦碑によって地域が一つにまとまればよいという程度にしか考えていない」。設置に反対してきた邦人の一人はこうつぶやいたが、映画の恐ろしさを感じるとともに、取材者でさえ、言い知れぬ疎外感を味わい、地域の邦人社会への心配ばかりが募った。(フォートリー 上塚真由)」
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 6月7日07:09 産経ニュース「【歴史戦】英団体、韓国兵の性暴行追及へ 米議会議事堂での慰安婦像計画に合わせ   
反応
 団体設立イベントで披露された「ライダイハン像」(岡部伸撮影)
 【ロンドン=岡部伸】米ワシントンの連邦議会議事堂で、韓国系米国人団体が7日に慰安婦像の「特別展示」を実施する動きにからみ、ベトナム戦争当時の韓国軍兵士による性的暴行問題を追及する英国の民間団体が、展示会場で韓国の責任糾明を訴える計画を立てていることが6日、分かった。同問題を象徴する「ライダイハン像」を展示会場に持ち込む予定という。
 議事堂では7日、韓国系の米国人団体「ニューヨーク韓人会」が、ニューヨーク・マンハッタンの韓人会館に設置された慰安婦像を連邦議会議事堂に運び込み展示を行う予定。英団体「ライダイハンのための正義」(ピーター・キャロル会長)は、ライダイハン像を議事堂内の展示場所に持ち込むとしており、「第二次世界大戦ベトナム戦争の区別なく、女性への性暴力を犯した者はその行動に責任を取らねばならない」と訴えている。
 同団体は英国の市民活動家が「ベトナムで韓国軍兵士の性的暴行に遭った女性たちが苛酷な人生を送っていることを多くの人たちに知ってほしい」と呼びかけ、発足した。昨年9月の設立式典で、英国人彫刻家、レベッカ・ホーキンスさんが制作した約40センチのライダイハン像が披露された。
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 ■ライダイハン ベトナム語で「ライ」は「混血」、「ダイハン」は「大韓」を意味し、韓国人とベトナム人女性の間に生まれた子供を指す。英民間団体は、ベトナム戦争当時に派遣された韓国兵らが現地の女性数千人に性的暴行などを行い、その結果生まれたライダイハンが約1万人いると主張。正確な人数は明らかになっていない。韓国政府は事実関係を認めず、謝罪を行っていない。」
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 6月7日19:18 産経ニュース「秋篠宮ご夫妻、海外日系人大会ご出席
 シニアホームを訪問し、日系人入居者と話される秋篠宮ご夫妻=6日、米ハワイ・ホノルル(共同)
 【ホノルル=住井亨介】日本人の移住150年を記念する式典出席のため米ハワイを訪問中の秋篠宮ご夫妻は6日、式典に合わせて開催された第59回海外日系人大会の開会式に臨席された。秋篠宮さまは「世界各地の日系社会と日本を結ぶ絆が一層深まり、日系のみなさまが各方面において多様な貢献をされることを心より祈念します」とあいさつされた。
 大会には、米国、ブラジル、ペルーなど15カ国から約300人が参加。ご夫妻は参加者の交流会にも出席され、「またお会いしましょう。お体に気をつけて」などと言葉をかけられた。
 同大会は、日本が1956年に国際連合に加盟したことを機に、海外の日系人を慰労するとともに戦後の支援物資に対する感謝を示すため57年に第1回が東京で開かれた。ほぼ毎回皇族方が出席され、節目の年には天皇皇后両陛下が赴かれている。」
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 6月7日19:44 産経ニュース「ハワイの「日本」に光 移民社会の貴重写真2万5000枚アーカイブ
 ハワイの邦字紙「日布時事」が撮影した戦前のハワイの日系人社会を撮影した写真コレクションの一部。写真の整理、保存を進めているハワイ大のデニス・オガワ教授が、説明してくれた=2018年6月2日、米ハワイ・ホノルル
 【ホノルル=住井亨介】世界に約360万人以上(外務省推定)とされる、日本人の海外移住者や日系人。その最初の移住先が米ハワイだった。先の大戦中に日系社会を撮影した写真が多く失われた中で、奇跡的に見つかった約2万5千枚に及ぶ貴重な写真を整理、デジタル化する作業がこのほどほぼ終わった。着物姿の女性、祭りや記念行事、家族写真…。ハワイの中にあった「日本」が鮮やかによみがえっている。
 「写真からは日系社会の魂をひしひしと感じる。ストーリーを語りかけてくるようだ」
 こう話すのは、作業に当たってきた日系3世で、ハワイ大のデニス・オガワ教授(74)だ。
 オガワ教授が膨大な写真を受け継いだのは、1980年代の初め。かつて隆盛を誇った現地の邦字紙「日布時事」(後に英字紙も発行)が倒産。戦前に撮影されたものを元副社長だった女性から譲られた。
 ガレージの中に保管されていた山のような写真は、丁寧に行事や記事ごとに封筒で分別され、日付や説明もきちんと裏書きされるなど、日本人のきちょうめんさが表れていた。
 戦前の最盛期にはハワイ人口の4割超を日系人が占めたが、戦中の反日感情などもあって多くの写真が廃棄されたという。残されているのは日系人収容所内や軍を志願した人たちのものが多く、日常生活の写真は貴重。オガワ教授は「日系社会で育ったカメラマンが写しているので、無理に笑わされたような写真ではなく、本当の日系人の生活を映し出している」と評価する。
 日系移民史を専門とするオガワ教授のルーツは、父方が高知、母方が福井・小浜。自らは米カリフォルニア州にあったマンザナー日系人収容所で生まれた。収容によって父母が全財産を没収され、戦後に苦学の末、カリフォルニア大ロサンゼルス校で教壇に立つまでになった。
 ハワイに研究の場を移してから巡り合った写真群に没頭したのは、多くの苦難や喜びを経てきた日系社会と自らが重なったからでもある。そのハワイで6日に開催された「海外日系人大会」に寄せる思いは、ひとしおだった。
 「ハワイの日系人は海外移民の先駆けで、(今も)1世のスピリットが息づいている。彼らは(日系以外の)他の人々と未来に向かって力を合わせてきた」と話すオガワ教授。「移民は米国の哲学のようなものだ」として、日系移民の歴史に改めて光を当てることの意義を強調した。」
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 6月14日 12:17 msnニュース 毎日新聞慰安婦像:賛成議長が当選確実 米サンフランシスコ市長選
 【オーランド(米南部フロリダ州)長野宏美】慰安婦を象徴する像の建立を巡り大阪市姉妹都市提携の解消を決めた米サンフランシスコ市で市長選が行われ、米CNNなどは13日、ロンドン・ブリード市議会議長(43)が当選確実となったと報じた。同市では初の黒人女性市長となるという。
 開票作業は続いているが、2位につけていたマーク・レノ元州上院議員が同日、敗北を認め、ブリード氏が勝利宣言した。
像は中国系の民間団体が設置し、同市議会が昨年11月に全会一致で寄贈を受け入れた。ブリード氏も像の寄贈に賛成しており、方針は変わらない見込み。大阪市の吉村洋文市長は提携解消について、新市長誕生後に通知する意向を示している。
 市長選は像の寄贈受け入れを承認したエドウィン・リー市長=当時=の死去に伴い実施された。ブリード氏はリー氏の死去後は一時、市長代理を務めた。
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 6月14日13:23 産経ニュース「【歴史戦】サンフランシスコ市長選、女性市会議長が勝利宣言 「慰安婦像」には触れず
 記者会見するロンドン・ブリード氏=13日、米サンフランシスコ(AP)
 【ロサンゼルス=住井亨介】米カリフォルニア州サンフランシスコ市で、慰安婦を「性奴隷」と記した碑文や像の寄贈を受け入れ、公共物化を承認したリー市長=当時=の死去に伴って行われた市長選(5日投票)で、市議会議長で元市長代理のロンドン・ブリード氏(43)が13日、「私は間もなくサンフランシスコ市の市長になる」と勝利宣言した。就任すれば同市では初の黒人女性市長となる。
 選挙には8人が立候補し、開票でブリード氏と首位を争っていた元州上院議員のマーク・レノ氏(66)が同日、敗北を宣言。これを受けてブリード氏が勝利宣言した。
 選挙管理当局による同日の発表では、ブリード氏とレノ氏との差は約2200票。開票作業は続いており、結果の発表にはなお時間がかかる見込み。
 会見したブリード氏は「私ができることは何でもする準備はできている」としてホームレス対策などに注力するとしたが、像などの公共物化を受けて大阪市姉妹都市提携の解消を決定したことについては触れなかった。
 「(碑の記述が)不確かで一方的」と懸念を伝えていた大阪市の吉村洋文市長は昨年12月、「信頼関係が失われた」として姉妹都市提携の解消を決定したが、リー市長の死去を受けて提携解消の通知を「新市長に対して行う」としている。
 ブリード氏は議長として像と碑文の寄贈受け入れ決議案を全会一致で可決。決議案の共同提案者の1人だった市議で韓国系のジェーン・キム氏(40)も立候補していたが、選挙戦では候補の多くがホームレス対策や住宅政策に重点を置き、姉妹都市提携の問題は争点とならなかった。
 新市長の任期はリー氏の残り任期の2020年1月まで。就任には市議会事務局の認証などが必要で、就任日は今月末以降になる見込み。」
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 人類の歴史において、正しい戦争、正義の戦争、必要な戦争が存在する。
 それらの良い戦争を悪い戦争同様に否定する事は、人類の歴史を無価値として否定する事であり、自分は進歩と発展を遂げた人類・人間・人ではないと認め宣言する事である。
 戦わない者には、生きる権利は認められたが、生き残る権利は認められなかった。
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 戦いを放棄した日本人が求める権利とは、生きる権利であって生き残る権利ではない。
 つまり、「個」としての、自分1人が生きる権利のみである。  
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 ルーズベルトヒトラーも、そしてスターリンムッソリーニさえも、反日親中国派であった。
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 ムラ社会の日本は、同一性均一性にこだわる為に、日本人といえども出身県・出身地が同じでなければ除け者にし、差別し、イジメ、嫌がらせ、意地悪を平然と行う。
 日本人が沖縄県民やアイヌ人を軽蔑するように、中央が地方を、都会人が田舎者を、山の手の住人が下町の住人を、町の中心に住む人間が町の外に住む人間を、
 里人が山の人や海の人を、稲作農家が麦や芋作農家を、
 乾いた土地が川や沼などの湿気た土地を、城下町や門前町が外れ町を、
 高い家が低い家を、庭のある家が庭のない家を、新しい家が古い家を、
 豪勢な多食喰いが粗末な小食喰いを、高価な服を着る者が安価な服を着る者を、
 舶来の靴を履く者が国産の安い靴を履く者を、
 様々なか差別が日本全国に数多く存在する。
 表日本(太平洋側)が裏日本(日本海側)を、西日本が東日本を、東日本が東北日本を、西日本が南日本を、奈良が京都を、京都が東京や大阪を、京の洛中が洛外を、東京が名古屋や大阪を、名古屋が三重や岐阜を、会津が長州や薩摩を、南部が津軽を、吉良が赤穂を、数え上げたら切りがない。
 同じ日本人でありながら差別、嫌がらせ、イジメ、意地悪を当然のように行うのだから、朝鮮人や中国人など外国人に対して差別、イジメ、嫌がらせ、意地悪をするのは当たり前である。
 そもそも、日本人は比べて優劣を付け差別をするのが好きな底意地の悪い人間である。
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 権利は、責任と義務を果たし戦って勝ち取るもので、責任も義務も放棄して戦わずに獲得するものではない。
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 欧米における信仰などを理由にした良識的兵役拒否は、白人キリスト教徒にのみに認められた権利であり、日本人などの非白人には認められていない権利である。
 日本人には、その絶対的道理が理解できない。
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 アメリカに移住した日本人移民は、母国の日本ではなく、条件付きながらも自由と人権を認め、定住して家族を持ち生活する事を許してくれたアメリカと大統領に忠誠を誓い、アメリカ国民としてアメリカの国益を守る為に、軍隊に志願して戦場に出て戦った。
 宗教的白人至上主義で、「ジャップ」「イエロー・モンキー」と軽蔑され、差別され、虐げられ、迫害され、理不尽に強制収容所に押し込められ市民権を停止され、国家と憲法の保護を受けられなくとも、アメリカ市民の義務として希望してアメリカ軍兵士となった。
 アメリカの為に兵士となった日系アメリカ人は、親日派知日派の在日台湾人(大陸の漢族系中国人とは違う)に似ていたが、反日派として朝鮮人テロリストを出した在日朝鮮人とは全く違っていた。
 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人共産主義者同様に、昭和天皇や皇族を殺害しようと付け狙っていた。
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 アメリカ軍は、対日戦の戦略を、1940年に入りこれまでのファシスト中国・ソ連連合軍にボランティア部隊と補給部隊を派遣する間接参戦から、正規軍を派遣する直接参戦に切り替え、日本軍と戦うアジア・太平洋地域の基地に対して戦闘準備を始めた。
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 アメリカ軍情報機関は、日系アメリカ人や朝鮮人、中国人を対日謀略戦要員とする教育を本格化させていた。
 中国に独自の情報網を持つアメリカのキリスト教会は、中国のキリスト教徒を日本軍の攻撃から救うべく極秘でアメリカ軍に協力していた。
 アメリカの情報機関は、イギリスの指導を受け、情報戦に於いて優れていた。
 東京からワシントンの日本大使館に送られた外交暗号電報を傍受し、解読して、日本軍が「ワシントン時間・12月7日午後1時以降」にアジア太平洋地区で軍事行動を起こす事を知っていた。
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 武士道・士道を尊ぶ日本人は、アメリカ軍兵士として死力を尽くして戦った日系人の勇敢を讃えこそすれ、売国奴・裏切り者と罵りはしない。
 武士道・士道は、不利だから旗色が悪いから敗北が明らかといって、卑怯・卑劣、裏切り・寝返り、主君殺しなどの不忠、味方であった仲間を後ろから斬り付ける、戦友の背中に弾を撃ち込む、といっか信義に背く人にあらざる行為を最も嫌った。
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 現代のアメリカで増えている中国人や韓国人の移民は、日系社会を弱体化させ崩壊させる為の、従軍慰安婦問題・第二回南京事件問題・靖国神社問題などの反日運動を強化している。
 中国系アメリカ人・韓国系アメリカ人等の反日運動は、中国共産党の指揮下で動いている。
 アメリカやカナダなどでの、従軍慰安婦像や石碑の設置、第二回南京事件記念館や抗日戦記念館などの開館はこうして増加している。
 アメリカの勝利に貢献し、アメリカの為に戦死した日系アメリカ人の足跡が、反日アメリカ人によって歴史から消されつつある。
 アメリアに住む日系アメリカ人は、悪化する対日感情でイジメや嫌がらせを受けるようになり生活しづらくなっていた。
 日本政府と外務省は、日系アメリカ人への偏見やイジメ・嫌がらせが増えていても、抗議もしなければ、支援も救済もせず、他国の国内問題として見殺しにしている。
 現代日本人は、戦前の日本人と比べて薄情であり冷淡である。
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 日本国内の中国人や韓国人・朝鮮人は、戦争などのいざという時に、祖国の中国・韓国・北朝鮮ではなく住んでいる天皇や日本の為に戦うだろうか。
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 反日派敵日派の中国共産党は、国内外(日本も含む)の全ての中国人に対して、いざという時は中国共産党に忠誠を誓い、中国共産党の為に武器を取って戦う事を命じている。 

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