🔯37」─2─イスラム教のヨーロッパ侵略、それは聖戦。キリスト教世界に生まれたイスラムへの恐怖。~No.127 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 イスラム教のヨーロッパ侵略、それは聖戦。
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 610年頃(〜23)年 イスラム教の誕生。
 預言者マホメットムハンマド)は、年に数回しか気候の変化がない、緑と水が乏しく生き物が少ない荒涼とした砂漠の中で、絶対神と人間、絶対神と自然の関わりを、神の啓示を預かって『コーラン』に書き記した。
 第二章「牝牛」159節「まことに天と地の創造の裡(うち)に、夜と昼との交替の裡に、人々に益なす荷を積んで海原を逝(ゆ)く船の裡に、そしてまたアッラーが空から水を降らせて枯死した大地を蘇生させ、そこにある種類の獣を播(ま)き散らす、その雨の裡に、風の吹き変わりの裡に、天と地の間にあって賦役する雲の裡に、頭の働く人ならば徴(しるし)を読み取る事が出来るはず」
 一神教イスラム教は、ユダヤ教の『旧約聖書』やキリスト教新約聖書』と同様に、神のお告げを集めた一冊の『コーラン』の解釈をめぐって幾つもの宗派学派に分裂し、解釈をめぐって対立し殺戮を繰り返していた。
 中東での、スンニー派シーア派の対立。
 その宗教的情熱が昂じて狂信化すると、過激派は他宗教を消滅させようという聖戦へと暴走した。
 世界での、イスラム教信者とキリスト教徒の対立。
 ミャンマーなどでの、イスラム教信者と仏教信徒と対立。
 信仰心の篤い人間は、自分が信じる宗教が最も優れ、自分が信仰する絶対神こそが唯一の神という視野狭窄の宗教的感性から、他人が信仰している宗教・神を敬わず低レベルの神と下位に置き消滅させようとした。
 ロレンス「それでも私は心からアラビア人の皮膚をつける事はできなかった。あるのは、ただ見せ掛けだけであった。人間が無信仰の徒にされるのは実に簡単である。しかし他の信仰に改宗されられる事はまことに難い。私は一つの形式を振り落としてしまったが、しかし別の形式を取り上げたのではない」(『知恵の七柱1』)
 622年 ムハンマドの聖遷。
 637年 イスラム軍は、聖都エルサレムを占領。
 650年 イスラム教の聖典コーランが編纂される。
 711年 イスラム教軍は、イベリア半島を侵略し占領した。
 征服者のイスラムは多数はとなり、征服されたキリスト教とは少数派となった。
 イスラムは、異教徒の対して寛容を示し、人頭税(ジズヤ)を支払えば居住と信仰の自由を認めた。
 イスラム教に改宗すればアラブ人と同等の権利を与えて、急速に信者を増やした。  
 732年10月10日 トゥール・ポワティエ間の戦い。フランク王国1万5,000(〜7万5,000)人対ウマイヤ朝6万(〜40万)人。
 フランク王国軍は勝利して、イスラムの危機は去ったが、フランスとイギリスなど西欧にイスラムへの恐怖が残った。
 750年 アブー=アルアッバースは、クーファで初代カリフに推戴され、多数派のスンナ派を採用した。
 アッバース朝(〜1258年)が成立した。
 756年 ウマイヤ家のアブド=アッラフマーン1世は、アッバース朝に追われてイベリア半島後ウマイヤ朝(〜1031年)を開いた。
 地中海はイスラムの内海ととなり、ヨーロッパは北に追い遣られ海に出る道を塞がれて内陸国家となった。
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 イスラム教における主権者は絶対神(アラー)であり、世の統治者も絶対神(アラー)であり、立法者も絶対神(アラー)であった。
 絶対神(アラー)は、守る律法を預言者マホメットムハンマド)を通じて信者に伝えた。それが、『コーラン』であった。
 マホメットが生きている間。信者達は、絶対神(アラー)と話せる唯一選ばれた人・マホメットの言葉を絶対神(アラ)の御意思と信じて従っていた。
 マホメットの死後。絶対神(アラー)の声によると導きを失った信者達は、信仰や日々の生活の判断基準を記憶残るマホメットの言動に求めた。
 それが、『ハディース』(伝承)である。
 時代が下ると、『コーラン』や『ハディース』では対処できない事が多くなった為に、主立ったイスラム教徒が共同体の合意(イジュマー)が形成された。
 共同体の合意で解決できない事柄は、イスラム法学者(ウマラー)達が、『コーラン』や『ハディース』の規定から類推(キャース)して判断した。
 イスラム法学者による法体系は、9世紀から11世紀の間で確立され、今日まで至っている。
 法体系は、主張するイスラム法学者の解釈によって穏健から過激なものまで数多く存在し、統一されてはいなかった。
 イスラム過激派テロリストは、アル=マーワディーなど異教徒殲滅を説く過激なイスラム法学者の思想を取り入れている。
 「ムスリムは、捕らえた多神教徒の兵士を、戦闘中の者であれ、戦闘中のでない者であれ、殺して良い」
 「もし戦闘中で敵が、女や子供を盾に隠れたりしたら、敵を殺すときに女子供は殺さない様にしなければならない。しかし、もし、女子供を殺さなければ、敵を殺す為に敵の所まで到達することができない場合は、女子供を殺して良い」
 「彼らの女子供は奴隷にされ、彼らの財産は戦利品として没収され、彼らの中で捕虜とならなかった者は殺される。
 捕虜となった者は、次の四つのうち最も有益だと考えられる扱い方によって扱われる。
 1,首を刎(は)ねて殺す。
 2,奴隷にして売ったり解放したりする。
 3,金あるいは味方の捕虜と引き換えに釈放する。
 4,寛大に扱い釈放する」
 イスラム教は一神教でありながら、広大な地域を支配する為に異教に寛大で、異教徒が人頭税を払えば、共存を認め、イスラム教への改宗を強要せず信仰の自由を認めていた。
 ごく一部の狂信的な原理主義者が、過激なイスラム法学者の律法を信じて非人道的なテロ活動を行っている。
 問題は、大多数の穏健で敬虔なイスラム教徒ではなく、中世の特定のイスラム法学者の律法を信じている少数派である。
 全てのムスリムに共通する事は、偶像崇拝預言者マホメットを描く事の禁止である。
 1989年 イラクの最高指導者・ホメイニ師は、マホメットを描いた小説『悪魔の詩』の作者サルマン・ラシュディと関係者に対して一方的な死刑宣告を行った。
 1991年 『悪魔の詩』を翻訳した筑波大学助教授・五十嵐一が、大学構内で惨殺された。
 2012年 マホメットを描いたアメリカの映画『イノセンス・オブ・ムスリム』への抗議
デモが、世界20ヶ国以上で起きた。
 イスラム武装集団が、エジプトやイエメンなどのアメリカ大使館を襲撃し、大使を含む数十人が殺害された。
 2015年1月7日 マホメットの風刺画を掲載したフランスの週刊誌シャルリー・エブドが、アルジェリア系フランス人兄弟に襲撃され、編集長を含む12名が殺害された。
 砂漠で生きる遊牧民は、民族ではなく部族で生活していた。
 各部族を支配するのは王族か独裁者で、国家ではなかった。
 砂漠では、民主主義は向かない。
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 砂漠の民における隣人とは、親しい友人や顔見知りの知人ではないく、厳格に規定された条件がある。
 第一の条件は、宗教・宗派を同じくする事。
 第二の条件は、血縁で、同じ祖先を持つ部族である事。
 第三の条件は、地縁で、同じオアシスを共有する事である。
 同じ地域に住んでいようとも、同じ血筋であっても、信仰する宗教・宗派が異なれば「隣人」ではなく「敵」であった。
 三条件に合致しない者は、利益を共有する友人か知人に過ぎない。
 反宗教無神論者は悪魔として戒律に従って殺害したが、異教徒は人頭税を払えば恩恵を与え共に暮らす事を認めた。
 イスラム教とキリスト教及びユダヤ教は、必ずしも敵対してはいなかった。
 砂漠の団結を守る為に、俗世の権力が定めた法律に違反する犯罪を行っても、その行為が絶対神が定めた戒律に叶っていれば隣人を助け、戒律に背かない限り見捨てはしない。
 隣人ではない友人や知人が、友好の証として自己犠牲的に人道的活動をしようとも決して信用せず、余裕があれば助けるが、さもなければ見捨てる。
 砂漠の民は、隣人以外は信用せず、信用する条件は三条件であった。
 異教徒にして、血のつながらない人間で、長年同じオアシスの水を飲まない部外者が、いきなり現れて献身的に奉仕活動をして感動を与えても、決して人徳者とは認めなかった。
 砂漠とは、世界共通の道徳観は通用せず、生きるか死ぬか、殺すか殺されるか、敵か味方かの二項対立のみが支配する世界である。
 日本人の曖昧な志向は砂漠には通用しないし、キリスト教にもイスラム教にも利害関係がないから仲介者になれるという浅はかな考えも有害なだけでる。
 脳天気で、表も裏も想像できない、深い考えもできない日本人では、砂漠は理解できない。
 八方美人的な日本が紛争の仲介者になる事は、絶対にあり得ない。
 「この部族の不幸は他部族の利益」
 ある部族、ある地域、ある国に対する中立的人道支援は、それ以外の部族、地域、国にとって敵対行為で、破壊すべき憎しみの対象に過ぎない。
 三条件による隣人同士は、共有する利益を守る為に部外者を殺してでも排除する。
 「同胞は国により、敵は宗教によって決まる」
 日本人は、イスラム教徒にとって異邦人である。
 砂漠で、反宗教を叫び神を否定すれば命はなく、即殺される。
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 砂漠の民は、部族が持つオアシスを命の泉として集まり、何時枯れて干上がるか分からないオアシスを他の部族から守ながら生活していた。
 オアシスの水は、部族以外では、隣人とされる友好関係の部族や利益をもたらす者や同じ宗教・宗派を信仰する者には分け与え、それ以外の隣人でない者には一滴も与えず砂漠に追放した。
 生きるか死ぬかは、絶対神・アラーの思し召しとして見捨てた。
 砂漠の自由とは、そういうものである。
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 如何なる宗教でも、解釈次第で如何様にも読み解く事がで、その結果として人に感謝されるボランティアもあれば人から憎まれるテロリズムもある。
 イスラム教は、キリスト教の様に不毛な神学論争で硬直化していない分、個々の宗教指導者が自分に都合の良い解釈を正当化できる柔軟性があった。
 個人の自由な解釈を許す柔軟性が偏執的イスラム原理主義を生みだし、自爆テロなどの狂信的イスラムテロリストを作り出していた。
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 キリスト教イスラム教は、どちらが布教活動に優れているか。
 宗教戦争の原因のある一面には、信仰の起源に関わる問題が関与している。
 一神教の普遍宗教であるキリスト教イスラム教に於いて、一方の信者が増える事は、一方の信者が減少する事を意味する。
 ゲルマン民族は、ローマ世界に移住してローマ化しキリスト教に改宗した。
 イスラム教国に支配されたゲルマン人は、アラビア化してイスラム教に改宗した。
 アラビア文化とイスラム教には、古ヨーロッパの一部を持っていた。
 ヨーロッパ文化とキリスト教には、アラブの要素は一切ない。
 イスラム教からキリスト教に改宗するアラブ人の人数は、それほど多くない。
 そして、アラブ文化を捨てて西洋文化に同化する者も少ない。
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 イスラム教徒は、コーランハディースマホメットの言行集)で禁止されていない事以外は、どんな事でも許されると信じられている。
 つまり、信仰を守る聖戦の為ならば、核兵器化学兵器生物兵器を使って大量虐殺を行っても罪とはされない。
 イスラム教には、キリスト教の様な原罪は存在せず、悪をなすのはジンという精霊で人には罪がないとされた。
 敬虔なイスラム教徒は、悪を為すジンか遠ざかっている自分が行う行為は、全てアラーが命じる事であり正しいと信じ切っていた。
 自己否定としての罪の意識はなく、反省もなく、アラーさえ裏切らなければ何をしても許されるという自己肯定のみが存在する。 
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