🔯21」22」─1─共和制ローマとカルタゴの平和。紀元前292年。~No.65No.66No.67No.68No.69No.70 

通商国家カルタゴ (興亡の世界史)

通商国家カルタゴ (興亡の世界史)

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 例えるなら、カルタゴは日本で、ローマが中国共産党である。
 将来、日本はカルタゴのように内部から崩壊し、カルタゴがローマの領土になったように日本は中国にのみ込まれて地上から消える。
 戦争を嫌う日本人は、戦わずして平和が保てるのであればそれでも構わないと考えている。
 「戦争は嫌いだ!」と。
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 ローマの名門貴族・元老院は、ギリシャローマ神話の神々の子孫である。
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 2017年4月16日 産経ニュース「【イタリア便り】今年はローマ暦で2770年 皇紀で2677年って知ってました?
【外信コラム】
 伝説によると、ローマは紀元前753年4月21日、ギリシャ神話の英雄アイネアスの子孫で牝狼に育てられた双子の兄弟、ロムルスとレムスによって最初の町の輪郭がしるされたとされる。だが兄弟の主導権争いで、レムスが殺され、ロムルスが、その後7代続く王制ローマの初代の王となり、その名がローマのもとになったといわれている。
 もっとも、この年月日の「決定」は簡単でなかった。初代皇帝アウグス帝時代の多くの歴史家などが神話や伝説を調べ、最後は天文学者が月日を割り出した。この説に従うと今年の4月21日はローマ暦で2770年になるわけだ。
 日本にも昔は初代天皇神武天皇の即位の年、紀元前660年2月11日から数える皇紀という年号があった。日本の歴史がいかに長いかを内外に喧伝(けんでん)する方法に使われ、「建国記念の日」の2月11日は、かつては紀元節と呼ばれた祝日であった。
 この皇紀によると2017年の今年は、皇紀2677年に当たる。
 第二次大戦終了までの日本の学生たちは、歴史を習うのに西暦年号、日本の皇紀元号(現在の平成)を覚えるという複雑な努力をしたものだった。だが、たとえ伝説にせよ、こうした年代の数え方が存在するのを知るのも一興であろう。(坂本鉄男)」
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 ローマ人の祖先は、ギリシャ神話の美の女神アフロディティ息子アエネアスで、トロイア戦争に負けてローマに落ち延びてきた人々である。
 ギリシャ人やローマ人達は、ギリシャ神話の神々の子孫としてギリシャ神話を崇め、祖先の神々を信仰していた。
 ローマ人は、多神教徒として、オリエントで人気のある太陽神ミトラを受け入れ、さらにエジプトの神イシスをも受け入れた。
 初期ローマ帝国は、多民族帝国として宗教には寛大で、領土を巡っての戦争はあったが宗教による戦争はなかった。
 信教の自由は、認められていた。
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 紀元前 人類の総人口は、500万人程度と推計されている。
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共和制ローマ
 ローマがイタリア半島中部の小都市国家であった頃、北イタリアのエトルリア人や山岳民のサムニウム人の攻撃を受けて苦戦を強いられていた。
 ローマは、同じ小都市国家と反エトルリア同盟を結び攻勢に出て、エトルリアを滅ぼした。
 高度な文化を持っていたエトルリア人の痕跡を完全消滅させる為に、全てのエトルリア人を奴隷として売り飛ばし、反抗的な男は猟奇的手法で惨殺した。
 紀元前292年 ローマ軍は、サムニウムの将軍ポンティスを討ち取るや大攻勢に出た。
 サムニウム人は、敗北を認めて降伏を申し込んだ。
 ローマ軍は、降伏を認めず、サムニウム人を根絶やしにする為に総攻撃を掛けた。
 同盟を結んだいた諸都市国家は、ローマ軍の容赦ない残虐行為に恐怖して、ローマへの忠誠を誓った。
 ローマのやり方に不満を持っ都市は叛乱を起こしたが、例外なくローマ軍の猛攻で敗北し、住民は全て奴隷として売り飛ばされた。
 ローマは、従順に従う者は寛容に許したが、従わず抵抗する者は容赦なく攻撃し大虐殺を行った。
 そして、貿易立国カルタゴとの熾烈なポエニ戦争が起きた。
 同時に、バルカン半島イベリア半島もローマ軍の猛攻を受けて戦火に焼かれ、多くの者が奴隷として売られた。 
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ポエニ戦争。前264〜前146年
 金儲けの経済を優先し、教育・外交・国防を疎かにして滅亡した通商国家カルタゴ
 紀元前264年 第一次ポエニ戦争
 紀元前218(〜紀元前202)年 カルタゴの平和。 第二次ポエニ戦争
 カルタゴは、ローマの講和条件を無条件で受諾し、外交と安全保障をローマに支配された。
 ローマ全権代表のスキピオは、敗北したカルタゴに以下の平和条項を突きつけた。
「1,ローマはカルタゴの独立を承認し、同盟を締結する。ただし従属ではなく対等の関係とし、ローマは自治権を奪わず、駐留軍も残さない。
 2,カルタゴシチリアサルディーニャヒスパニア等の海外領土を放棄する。ただし、開戦以前のアフリカのカルタゴ領は保持を認める。
 本国以外の海外領土の放棄。
 3,カルタゴ支配下ヌミディア領を全てマシニッサに引き渡し、ヌミディアの独立を承認する。
 4,カルタゴは1万タレントの賠償金を50年賦でローマに支払う。
 5,カルタゴが捕虜としているローマ人を全てローマに引き渡す。
 6,以後、カルタゴはローマの許可なくいっさいの戦争を行わない。
 交戦権の剥奪。
 カルタゴはローマの保護下に置かれ、自衛の為の戦争といえどもローマとの事前協議で承認されないかぎり不可。
 専守防衛自衛軍を認めるが、海外での戦争行為は許されなかった。
 7,カルタゴは10隻をのぞいて全ての軍船、および戦象をローマに引き渡す。また、以後は軍船の建造、戦象の育成を行わない。
 武装解除。軍事力保持の禁止。
 8,カルタゴは14歳以上30歳以下の子弟100名を人質としてローマに差し出す。人選はスキピオが行う。
 9,以上の仮条約が元老院に承認されるまで、カルタゴ領にとどまるローマ軍の経費はカルタゴが負担する。」
 国家の再建を経済一辺倒として、外交と国防そして教育を疎かにした。
 こうして。カルタゴの平和が達成された。
 マルクス・ポルキウス・カトー「カルタゴを滅ぼさねばならない」
 ローマは、幼児をパール・ハモン神やタニト神に生け贄として殺害してたカルタゴを滅ぼした。
 カルタゴによる幼児の生け贄は、国家の繁栄と飢餓や疫病からカルタゴ人を守る目的であった。
 ローマは、自国の安全の為にカルタゴを地上から消滅させる事を決定し、女子供に関係なく全てのカルタゴ人を大虐殺した。
 紀元前204年 ローマ市民総人口21万4,000人。
 紀元前191年 カルタゴは、交易で大金を稼ぐや賠償金の残額を一括で支払う事を申し込んだ。
 ローマは、財政難に苦しんでいた為に、表面的には友好の素振りを見せながら、カルタゴ侵攻の大義名分を探し始めた。
 紀元前146年 第三次ポエニ戦争カルタゴは、隣国ヌミディアが領土侵犯を行った為に、ローマとの事前協議をせず自衛行為としてヌミディア軍を攻撃した。
 ローマは、カルタゴの条約違反を口実として大軍を派遣した。
 国際協定や国家間条約は、一時の方便に過ぎず、大国の觥合で何時でも破られてしまう。
 それは、古代でも現代でも同じ事であった。
 国際協調が国家安全保障の担保になると信じている者は、国際外交の理解力のない者で外交を語る資格は無い。
 そうした無能力者が行う教育は、有益どころが害毒である。
 ある意味、現代日本歴史教育は真面ではなく、特定の人間の悪意に満ちた内容である。
 紀元前145年 カルタゴは、ローマによって滅ぼされた。
 カルタゴの歴史家「カルタゴの歴史は、文明の浅薄さと脆弱さをハッキリ示している。それは彼らの富の獲得だけに血道を上げて、経済的のほかに、政治的な、知的な、倫理的な進歩を目指そうと、何ら努力もしなかった、と言う事である」
 一部の有識者は、カルタゴの悲劇を日本に当てはめて見ている。
 日本も、利益優先の金銭至上主義に固執し、倫理や道徳を軽んじ、祖国を愛する教育を忌避し、外交能力を磨かず、祖国を守る軍事力を持たなければ、何れはカルタゴのような運命を辿るであろうと。


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