🔯3」─5・A─『旧約聖書』は戦いの書物。絶対神は意に沿わなければ信者でも敗北させる。〜No.13 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 現代日本人には、歴史力の他に宗教力や文化力も乏しい。
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 ユダヤ教旧約聖書キリスト教新約聖書の正統性は、絶対神と関わりを持つ血筋・血統である。
 ユダヤ教の王統やキリスト教の皇統における正統性は、宗教である絶対神が承認していた。
 宗教に拠らない人の王統・皇統にあるのは、神聖な正統性でなく、便宜的な正当性のみである。
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 ユダヤ教旧約聖書キリスト教新約聖書イスラム教・コーランの中には、奴隷が存在する。
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 2020年11月29日 読売新聞「文化 本よみうり堂
 『旧約聖書〈戦い〉の書物』 長谷川修一著 慶應義塾大学出版会
 『対立』で読み解く歴史
 評・山内志郎
 旧約聖書をどう読むべきか。読み始めた人は複雑多岐な歴史と人名の列挙の中で迷子になる。一貫した思想を読み取ろうとする努力を凌(しの)ぐ複雑さと難解さがある。
 本書は迷わないための道筋を示す。人名の列挙も血統の追跡可能性を示し、原初の契約が現在でも継続することを示す根拠になる。旧約聖書を、相対立する勢力の拮抗(きっこう)する書物として見ると変わってくる。
 本書は六つの〈戦い〉を基軸とする。『イスラエル』という地域の誕生、神のアイデンティティ、『真のイスラエル』の担い手、祭司の正統性、『神の言葉』、異民族との結婚はそえれぞれ戦いだった。
 旧約聖書の最初の五つの書『律法』にはユダヤの歴史が刻み込まれている。紀元前7世紀ごろのヨシュア王の治世での改革(『申命記革命』)が断行され、その後、バビロン捕囚を迎える。政治と宗教をめぐる大改編が、諸血統の勃興と衰退を引き起こし、様々な戦いの一筋を形成した展開は手に汗握る展開である。
 預言者モーセの血統(ムシ族)と、モーセの兄アロンに由来する血統は、北イスラエル王国と南ユダ王国の興亡の中で、支配と従属をめぐって、権力と職分をめぐる『戦い』の中にあった。民族の代表的な血統の流れと、ユダヤ教の宗教組織とその内部における理(ことわり)の対立構図が見えてこそ、旧約聖書のなかの大きな歴史の道筋が浮かび上がってくる。
 旧約聖書は、新約聖書を準備したものとしての読み方もあるが、本書は、古代に成立していた世界システムの激動を示す解説書とみる。
 とりわけ、神ヤハウェをめぐる戦いは、一神教成立の様を解説する。祭りを司(つかさど)るレビ人とは何かを説明しながら、聖職者たちの中でも多くの階層の存在とそれらの軋轢(あつれき)を読み取り、旧約聖書の舞台裏を示す。預言者と祭司の関係に、旧約聖書の書き手とユダヤ教の担い手との対立が示されるなど、旧約聖書への関心を否(いや)が応でも高めてくれる本だ。」
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 元祖古代イスラエル12部族:1,ルベン族、2,シメオン族、3,レビ族、4,ユダ族、5,ダン族、6,ナフタリ族 、7,ガド族、8,アシェル族、9,イッサカル族、10,ゼブルン族、11,ヨセフ族、①マナセ族、②エフライム族、12,ベニヤミン族。
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 旧約聖書は、絶対神に愛され祝福されても何時かは絶対神に見捨てられる事を物語っている。
 イスラム王国は、サウル国王(ヨセフ族)が前1012年に建国した。
 2代目国王ダヴィデ(在位前1010頃~970年頃、ユダ族)。
 3代目国王ソロモン(在位前961年頃~前922年頃)。ダヴィデの子。ソロモン王が逝去して王国は北のイスラエル王国(ヨセフ支族)と南のユダ王国に分裂した。
 バビロンの捕囚。イスラエル王国は前722年に、ユダ王国は前586年に滅ぼされ、敗戦国のユダヤ人達はバビロンに強制連行された。
 前638年 アケメネス朝ペルシャのキュロス二世は、全オリエントを征服し、ユダヤ人達にイスラエルへの帰還を許した。
 ダヴィデとソロモンの血統を正統とする千年王国は、地上には存在しない。
 絶対神の深い御心を疑ってはいけない。
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 ダヴィデの男系父系血筋。アダムとエバの子セト…→ノア…→アブラハム→イサク→ヤコブ→ユダ(第4支族)…→ダヴィデ→ソロモン…→ヨセフとマリア→イエス・キリスト
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 ウィキペディア
 イスラエルの失われた10支族(英: Ten Lost Tribes)とは、旧約聖書に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)を指す。
 日本語では「失われた10部族」ともいうがどちらが正しいということはない。ただし「失われた10氏族」という表記は誤りである。
 古代イスラエルの歴史
 『聖書』によると、族長アブラハム(紀元前17世紀?)がメソポタミアのウルの地からカナンの地を目指して出発したことによりイスラエルの歴史がはじまる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住するが、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。奴隷の時代が400年程続いた後にモーセ(モーゼ)が諸部族をエジプトから連れ出し(紀元前13世紀?)、シナイ半島を40年間放浪し定住を始めた。200年程かけて一帯を征服して行く。
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メシアは、ヘブライ語のマシアハ(משיח)に由来し、「(油を)塗られた者」の意。
 出エジプト記には祭司が、サムエル記下には王が、その就任の際に油を塗られたことが書かれている。後にそれは理想的な統治をする為政者を意味するようになり、さらに神的な救済者を指すようになった。
 メシアのギリシャ語訳がクリストス(Χριστός)で、「キリスト」はその日本語的表記である。キリスト教徒はナザレのイエスがそのメシアであると考えている。イエスをメシアとして認めた場合の呼称がイエス・キリストである。イスラム教徒もイエスをメシア(マスィーフ)と呼ぶが、キリスト教とは捉え方が異なっている。
 対象はユダヤ人やユダヤ人社会に属するものであるとは限らず、イザヤ書では異教徒であるアケメネス朝のキュロス2世がメシアと呼ばれている。
 概説
 ヘブライ語におけるmashiachという単語は、直訳すると「油をそそがれた」という意味をもち、誰かあるいは何かを聖油によって聖別することを指す。

 ユダヤ教の終末論においては、メシアの概念は、ダビデの子孫から生まれ、イスラエルを再建してダビデの王国を回復し、世界に平和をもたらす存在とされている。
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*不寛容な攻撃的普遍宗教
 唯一の絶対神を信仰する一神教は、多神教よりもはるかに他宗教に対して不寛容である。
 モーゼは、マディアンの民を滅ぼす為に「男は子供でも殺せ。男を知った女も殺せ。処女はお前達の慰みに与えてやる」
 旧約聖書は、絶対神の名の下で、ユダヤ人以外の異邦人を根絶やしにし、生き残った異邦人を奴隷として所有し家畜と伴に競売にかける事も他人に贈答する事も認めている。
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 一神教に於いて、絶対神によって定められた法は、世俗の君主が定めた法律より上位に置かれた。
 信教の自由は、人間が作った立法にあっても、絶対神が授けた律法にはない。
 国家の法律には信じない自由が認められるが、宗教的な特定地域の掟には限りなく信じない自由は認められない。
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 旧約聖書は、絶対神との契約に基づく厳格な「道徳」を説いているが、あやふやで移ろいやすい人間の「良心」は言及していない。
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 旧約聖書にもとずき、神の戒律に従い、信仰によって絶対神と契約したユダヤ人のみが、正しき心を持った選ばれた人である。
 『旧約聖書』「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。あなたは如何なる像も造ってはならない。」(『出エジプト記』第20章)
「あなた[イスラエル]に仕えない国も王国も滅び 国々は全く廃墟となるであろう(イザヤ書60章12節)……他国の人々が立って貴方たちの為に羊を飼い……貴方たちは国々の冨を享受し(イザヤ書61章5〜6節)」
 「私は、復讐する」
 新約聖書にもとずき、神の愛に目覚め、信仰によって絶対神と契約したキリスト教徒のみが、神の子として死んだ後に魂が神の国に行ける。
 『新約聖書』「あなた方がわたしを選んだのではない。わたしがあなた方を選んだ」(ヨハネによる福音書第15章16節)
 「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづく」(コリント人への第二の手紙)
 マホメットが授かったコーランの掟に従い、信仰によって絶対神を称えたイスラム教徒のみが、殉教者としてその魂は72人の聖なる乙女が待つ天国に行ける。
 『コーラン』「かくして彼らは恥と惨めさを負わされ、アラーの怒りを招いた。これは、彼らがアラーの啓示を信じず、預言者達を不当に虐殺したからである。それは彼らの不服従と罪のせいである」(2章61節)
 いずれの普遍宗教も、排他的差別主義から、一神教として絶対神を信じない異教徒は獣と決めつけていた。
 異教徒は、人ではなく邪悪な存在とされた。正しい心を持った人間は、万物の支配者として、神に愛された人に害をなす自然の脅威を破壊して屈服させ、神の愛を拒否し従わない邪な心を持った異教徒を聖なる火で生きたまま焼き殺した。
 白人至上主義者は、排他的な名門主義者であり、閉鎖的な血縁重視主義者として、キリスト教徒白人以外の有色人種を動物同様にあつかった。
 信仰による人種的優越感により、人としての心の弱さや痛さや脆さを持たず、強者としての卓越した強靭的精神を誇示していた。ゆえに、彼らは地球上の覇者として世界を支配した。
 ちなみに、反宗教の無神論者は、宗教を憎悪する共産主義者同様に死生観、死後観を持たない。
 ゆえに、彼らは死後の世界を完全否定し、魂の救済や癒しや安らぎなど心の平安を認めない。
 つまり、彼らにとっての絶対的価値観は「生」であり、「死」とは絶望であり消滅であり漆黒の虚無にすぎない。
 それゆえに、彼らは全ての宗教を敵視して弾圧を加え、宗教そのものを破壊しようとしている。彼らは、嬉々として「神殺し」を行っている。
 マルクス「人間が宗教をつくるのであり、宗教が人をつくるのではない」「宗教は抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である」(『ヘーゲル法哲学批判序説』)
 「民衆の幻想的幸福である宗教を廃棄する事は、民衆の現実的幸福を要求する事である」
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 『旧約聖書詩編137篇「われわれはバビロンの川のほとりに坐り、シオンを思い出して涙を流す」
 バビロンの捕囚として異郷に強制連行されたユダヤ人は、人間性を否定された奴隷という不幸な境遇を慰める為に故郷を偲び、惨めな生活の悲哀をやわらげる為に何時か故郷に帰還するという希望を持ち、近い将来に現れる救世主によって救われるという夢を抱いた。
 ユダヤ人は、モーゼのような予言者が現れ、捕囚という民族の不幸から救い出さ、失われた祖国への帰還を絶対神に祈った。
 ユダヤ教は、そうしたユダヤ人の切なる希望から生まれた。
 だが、ユダヤ人が如何に絶対神に祈り願っても、希望の多くは裏切られ叶えられ事がなかったが、それでも「希望」が叶えられる様の絶対神に祈り御心に委ねた。
 現実社会は、絶望の方が多く、希望が叶えられる事は極稀な事である。
 絶対神の御心に叶い「希望」が現実化する事を夢見て、人は自分自身を見つめ生き方を改めに日々の苦しみを耐え忍んだ。
 サミュエル・ベケット「我々には待つ事しかない。何を待つのか。それが分からないのだ。ただ待ち続ける事が生きるという事なのだ」(劇曲『ゴトーを待ちながら』)
 『聖書』とは、絶対神の恩寵で、絶望から救い出してもらう事を期待する「希望」の書である。
 悲惨な状況下で絶望に沈みかける人の心を希望につなぎ止める為に、心に響く音楽が生まれた。
 ウォルター・ペイン「全ての芸術は、常に音楽の状態に憧れる」(『ルネッサンス』)
 エミール・シオランルーマニア人)「およそ真の音楽が、楽園への悔恨から生まれたものである以上、例外なく涙に由来する」
 音楽は時間の制約を受けず、過去と現在の絶望を未来の希望に導く霊力を持ち、悲哀・悲嘆に暮れる人々に涙を流させる事によって生きる望みを与えた。
 それは、「希望」を勝ち取り為の、現実からの逃避ではなく、ありのままの自己自身との出会いである。
 エルンスト・ブロッホ「私はある。我々はある。それで十分だ。ともかく始めなければならない」
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 亡国の民となり異教徒の支配で生活していたユダヤ人達は、神の子が自分達を異教徒から救い出し祖先の地に導いてくれる救世主(メシア)が表れる事を願っていた。
 ユダヤ教とは、排他的な民族性のみのメシア待望信仰であった。
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 旧約聖書は、天皇心神話である日本神話に比べて、血に塗られた気絶するほどの勇猛果敢な英雄叙情詩である。
 虐殺に次ぐ虐殺、陰謀に次ぐ陰謀の生々しい聖典である。
 それに比べて天皇の残虐物語は、子供の様なお粗末さである。
 天皇の物語は、世界の血生臭い経典に比べて、子供向けのおとぎ話程度に過ぎない。
 日本神話は、世界の神話に比べてちゃちな物語である。
 天皇中心の日本神話とユダヤ教旧約聖書とは、共通性は無きに等しいほど無縁である。
 天皇崇拝とユダヤ教は、縁もゆかりもない。
 日本民族ユダヤ民族も、また縁もゆかりもない。
 天皇は、ユダヤ人とは無関係である。
 日本神道は、人である祖先を神として祀り、氏神・祖先神として崇拝する。
 天皇は、氏神・祖先神信仰ゆえに存在する。
 新約聖書コーランも、旧約聖書から分かれたものである。
 日本の天皇は、日本民族日本人であり、ユダヤ人ではない。
 それは、水と油のように決して交わる事がない、異質なものである。 
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 ネアンデルタール人ホモ・サピエンス(新人・現生人類)の違いは宗教であり、滅亡と生存の分かれ道は信仰の仕方にあった。
 ネアンデルタール人の宗教は、血縁・家族のみに共通する内々の小グループ信仰の為に血縁・家族でない他人グループまでを含める事がなかった。
 ホモ・サピエンスの宗教は、血縁・家族を超えてその地域に住む全ての人間を同じ信仰者とする大グループ信仰の為に、他の地域に住む血縁・家族ではない他人グループも迎え入れ信者数を増やし、生存圏を広め、食糧が不足すれば親友として支援して助け合い、敵対する宗教グループとの戦いでは戦友として協力して戦った。
 現代の普遍宗教=世界宗教は、こうして生き残ってきた。
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 古代国家は、宗教を中心に誕生し発展してきた。
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 日本神話である天皇神話(民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・国譲り神話)は、世界の神話・宗教の中でも争い・戦争が少ない平和的で穏やかな物語である。
 敵対した出雲の大国主命に対して、統治していた国を脅迫して譲らせる代わりに重要な神として祀る事を約束した。
 それが、正史『古事記』『日本書紀』の中の出雲神話である。
 死を怖れ血を穢れとすして忌避する日本神道は、世界の宗教の中でも珍しい。
 血の生贄に恐怖し、意に沿わない、嫌々な死では怨霊・悪霊を生んで呪われるとして、埋葬者への殉死者を埴輪に代えて傍らに置いた。
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旧約聖書:〈戦い〉の書物 (世界を読み解く一冊の本)

 AFP
 正統派ユダヤ教徒の女性、弾圧へと立ち向かう - イスラエル
 2007年2月10日 3:42 発信地:イスラエル [ 中東・北アフリカ イスラエル ]
 写真はエルサレム(Jerusalem)で4日、バスの中で祈りをささげる超正統派ユダヤ教の男性乗客。(c)AFP/GALI TIBBON
 【エルサレム/イスラエル 11日 AFP】2004年のある夏の蒸し暑い日、バスの車内でユダヤ人強硬派らが、1人の女性乗客に対して車内後方に移動するよう命じた。ただ選んだ相手が悪かった。彼らが命令した女性というのは、フェミニスト作家のNaomi Ragen氏だったのだ。
 「言ってやったの。すいませんが、この席に私が座ってはいけないという条文が、ユダヤ法のどこに書いてあるのか、ちゃんと示してくれたら、ここをどきますよ。それまでは、私の目の前から消えなさい、とね。そうしたら、バスに乗っている間、えんえんと侮辱され続けたの」ニューヨーク(New York)生まれのRagen氏は遠慮のない口調で、当時をこう振り返る。
 Ragen氏はユダヤ教超正統派(Haredi)に残る女性への圧力に不満を募らせて、9年前にユダヤ教正統派へと移ったのだ。
 先週、運輸省と、路線バスを運営しているEgged Bus Cooperativeを相手取って訴訟を起こし、女性乗客に対して、バスの後方への移動を命じるなど性差別を行っている30路線の廃止を要求した。
 このような女性差別がある路線の運行が開始されたのは、約10年前。超正統派教徒がが、この会社のバスへの乗車を拒否し財政上の打撃を与えると脅迫、こうしたバス路線の導入を強要した経緯がある。
 Ragen氏ほか4人の女性らは、黒いコートをまとった強硬派から言葉や肉体的な暴力を受けたと訴えており、徐々に社会に広がりつつある過激な思想に対抗している。
 写真はエルサレム(Jerusalem)で4日、バスの中で祈りをささげる超正統派ユダヤ教の男性乗客。(c)AFP/GALI TIBBON
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 宗教は、例外なく男系父系の一系統のみで、女系母系は完全排除されていた。
 つまり、宗教は男性優位女性劣位の女性差別が常識であった。
 女性神最高神とする宗教は例外中の例外であり、強いて言えば日本神道天照大神天皇家の祖先神)くらいである。
 キリスト教会の聖母マリアは、イエス・キリストの聖母であって神ではなく、聖母マリア信仰は聖人崇拝にすぎない。
 マグダラのマリア崇拝も同様である。
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 真の友人・仲間とは、事の善悪や理由が如何にあろうとも、困窮していれば損を承知で持てる物(食料や金)を分け支援し助け合う親友であり、窮地に追い込まれていれば死を覚悟して武器を取って共に戦う戦友の事である。
 助けに来ない友人とは、お互いが相手の顔を知っているだけの単なる知人である。
 お互いが相手の事を知っているからと言っても、それで友人・親友・戦友とは限らない。
 真の友人・親友・戦友であれば、相手に迷惑を掛けないように損を与えないように被害を出させないように、自分を律して分別と礼儀を厳格に守られなければならない。
 真の友人・親友・戦友とは、良友でもあり悪友でもあった。
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 日本民族にとって、朝鮮人は知人であり、中国人は敵であった。
 東アジアには、日本民族にとっての友人・親友・戦友、良友・悪友は存在しない。
 古代の一時期にはいたが、それ以降はいない。
 現代日本人は、アメリカの知人かそれとも友人・親友・戦友か。
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 戦前の日本人、特に昭和天皇A級戦犯達は、ヒトラーナチス・ドイツは知人であったが、ポーランドユダヤ人は友人・親友・戦友であった。
 日本陸軍は、救援を求める少数の親日派知日派中国人を助け、武器を持って攻撃してくる多数の反日派・敵日派中国人を滅ぼす為に、世界情勢の上で不利、戦況で苦戦する事を承知で、武士としての信義を貫く為に戦った。
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 日本軍部が戦った相手とは、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を皆殺しにし、日本国家を破壊し、日本民族日本人を死滅させようとした、ソ連コミンテルン中国共産党などの国際共産主義勢力であった。
 何故、共産主義と戦ったかと言えば、共産主義が反宗教無神論日本民族が数千年と守ってきた民族宗教・伝統神秘文化を根絶しようとしたからである。
 その様相は、現代日本でも変わってはいない。
 それ故に、軍国日本の戦争は積極的自衛戦争であった。
 日本人共産主義テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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