🛲13」─1─軍国日本の敗因は、アジア人が西洋規格を受け入れ日本規格を拒絶したからである。~No.102No.103 * ⑪ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 大岡昇平「フィリピン人はこれらの損失を、白い天使アメリカ人に猿のような日本人を追い払ってもらうために堪えた」(『レイテ戦記』)
 全てのフィリピン人が日本軍を受け入れたわけではなく、むしろ攻勢に転じたアメリカ軍に味方して、敗走する日本軍を襲っていた。
 フィリピン人は、中国人や朝鮮人と同様に反天皇反日意識が高かった。
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 ロバート・キャンベル「今の日本人は、外国から高く評価されたい思いが凄く強い。
 周りの評価を気にするのは自分に自信がないからでは」
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 2014年12月号 SAIPO 「精神性
 『他者』の存在を意識しなくていい異質な民族が生んだもの
 『勤勉さ』『協調性』『没個性』日本人の源流を探る
  橋爪大三郎
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 『日本人とは何か』を考える際、まず理解すべきなのは、わが国に、日本『文明』なるものは存在しない、ということです。
 そもそも文明とは何か。それは、様々な異なる人びとの、いくつものグループが混在している場所で、その異なる人びとを共存させるための『共通ルール』のことです。それをもとに帝国ができあがる。
 日本人は歴史を通じて、異質な人びととの共存を強いられた経験がありません。ですから日本には『文化』はあっても、文明は生まれなかった。
 世界地図を拡げて、文明が成立した場所(中国やインドやメソポタミア)を眺めてみましょう。大河の流域に集中していることが分かるでしょう。大河は、周辺から沢山の民族を引き寄せます。しかも、彼らの農耕地帯はステップ草原と隣接しています。
 こうして世界の『文明地域』は、戦争に明け暮れ、騎馬民族の襲来にも悩まされきました。中国も、ヨーロッパでも中東でも、異民族の侵入による征服王朝は枚挙にいともがない。『文明地域』の人びとは、こうして否応なく異質な人びとと向き合いながら、すべての人びとが生存するための共通ルールを作り上げてきました。
 日本は海で囲まれ、輪郭のはっきりした地域です。いかもイギリスとは違って、異民族侵入の経験もありません。農村の特徴は、土地所有の権利関係をいくらでも過去にさかのぼって調べることができることです。土地所有権がひっくり返るような動乱が起きていない。これが中国やヨーロッパと異なる点です。
 中国やヨーロッパの都市は城壁で囲まれていますが、日本には都市国家がありません。正規軍すら存在せず、武士(私的な権力)で用が足りた。『異質な敵』を意識して暮らす必要がなかったからです。
 農民は本来、自分で自分の安全を保障することができません。異民族など外敵の襲来を、自分ではねのけることができないからです。
 そこで、政府の正規軍に守ってもらうという話になる。ところが日本の場合、農村の存在が脅かされるケースはまれだった。
 そこで日本の農民は、貴族や武士など『いないほうがいい』と思うようになった。
 室町時代にさかのぼる『ムラの自治』が、日本人のメンタリティを基礎づけています。中央政府にはなるべく頼らず、かかわらず、目の前の農作業を頑張っていればいい。
 この考え方は、現代人にも『政治への無関心』として引き継がれています。
 日本人の『勤勉さ』は、こうした自然的・社会的条件の中から生まれてきたものです。勤勉が報われるのはムラの信念です。人びとがばらばらな職業に分断されているインドのカースト制のもとでは、勤勉が報われるという発想は生まれようがありません。
 『武士の智恵』に学べ
 世界の文明を考える場合、宗教の要素は抜かせません。では、日本ではどうか。
 日本の『カミ』は、中国の『神』という漢字が入ってくる前から、存在しました。これは西洋の『God』のような、万物を創造した全能者ではありません。『八百万のカミ』として、どんな自然現象の背後にも控えている存在で、人間にとっていいことでも悪いことでも、カミのおかげで人びとに与えられると考えられていました。
 ですから人びとは、カミと良好な関係を保つために、定期的にカミの『まつり』を行い、共に食事をし、贈り物をおくってきたのです。カミが大事なのは、自分たちに有益だから。つまり、カミより自分のほうが大事なのです。
 一神教はこの反対です。人間には価値がなくGodが価値があると考える。ゆえに、Godのために命を惜しまない殉教は、高く評価されます。日本はキリスト教イスラム教のように、複数の民族や社会をまたいで拡がる普遍的な一神教が、根付くことはありませんでした。
 戦国時代の一向一揆や、戦前の日蓮主義など、日本にも原理主義的な信仰があったのは事実です。しかしそれは常に少数派でした。何か宗教が大きな力を持ちそうになると、必ずそれを抑えこむもっと大きな力が働いた。それが日本の、宗教の歴史です。
 『同調性』から『他者嫌い』に
 このように、『他者』の存在をほとんど気にせずともよく、政治権力との関わりも気にせずに、絶対的で超越的な『God』もいない世界で育まれたのが、日本人の『同調性』です。
 それがさらに進むと、『自分たちと同化しない異物は受け入れない』という体質に発展します。外来の思想が入ってきてもいつのまにか、自分たちに觥合のいいように解釈している。
 儒教や仏教はまさにそうでした。儒教とは本来、中国の王朝交代(革命)を正当化する政治思想です。しかし日本に持ち込まれると、その要素がすっかり脱落し、当たり障りのない政治道徳になってしまう。仏教も、世俗の価値観と無関係に真理を追究する個人主義の思想ですが、日本ではたとえば、『真面目に働くのが一番だ』といった勤勉の哲学めいたものになっていった。
 このような日本人の姿勢は、第二次世界大戦の敗北を経て、近隣アジア諸国の反発する『他者嫌い』のレベルにまで達します。
 大日本帝国の朝鮮支配や中国への伸長は、欧米列強による植民地統治とはやや違った性格を持っていたと、よく言われます。欧米のように、植民地を苛酷に搾取して、ひたすら経済的な利益を追求するというより、むしろ『多民族を日本に同化していく』ことを目的としていました。
 だから教育やインフラの整備に熱心でした。しかし敗戦によって『同化』政策が終焉し、さらには中国や韓国の人びとから『反省が足りない』と非難される。
 日本人はこれで一種の自信喪失を起こし、その挙げ句に自己防衛反応を起こして、『他者嫌い』になっているわけです。現在話題になっているヘイストスピーチも、その極端な表現なのかもしれません。」
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 アジアは、日本と日本流を拒絶し、アジアから軍国日本を追い出す為に連合軍に味方した。
 軍国日本は、敵に囲まれて四面楚歌となり、助けてくれる仲間もなく、頼るべき相手もなく、信頼できる友もなく、唯一人、悲惨な死闘を孤独に続けた。
 男はもちろん、女も、老人も、子供も、何かの為に、何かを信じ、何とかしなければならないという使命感から殺されるまで武器を取って戦った。
 自分の命を捨てても守るべき、何かがあると確信していた。
 銃がなければ日本刀で、日本刀がなければ竹槍で、竹槍がなければ石か素手で、軍艦やB−29や戦車に勝てると信じて立ち向かった。
 老若男女は、神懸かり的に靖国神社を信奉していた。
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 日本は、アジアを侵略し植民地化して、アジア人を奴隷化して重労働で使役して殺害した、戦争犯罪国家である。



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