🛲6」─2─日本軍のマレーシアにおける虐殺。〜No.58No.59No.60 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 軍国日本・日本軍は、アジアの希望の星、奴隷的暗黒から救い解放してくれる光であった。
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 東南アジアの各地には、奴隷として売られた日本人が生きていた。
 東南アジアの土地には、生きて日本に帰れずに死んだ日本人の死体が埋まっている。
 奴隷として死んだ日本人の魂・霊魂は、救われる事なく癒やされる事なく東南アジアを彷徨い、現代では東南アジアはもちろん日本ですら忘れられている。
 それが、日本人の運命、定めであった。 
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 2019年8月8日 朝日新聞「語れなかった華人らの虐殺 マレーシア 民族対立恐れ
 『若者知らぬ』証言記事に
 『この動画は1分以内に削減される』『一般論ではなく具体的な被害の話だけでまとめよう』
 マレーシア最大の英字紙スターの編集部で、記者たちが真剣な表情でパソコンを囲んで議論していた。
 同紙は3年前、アジア・太平洋戦争を生き抜いた人々の体験を若い記者らが聞く企画『最後の生存者たち』を始めた。その新シリーズを15日に公開するのを前に、編集作業が山場を迎えている。
 英領だったマレー半島に1941年12月に上陸した旧日本軍は、『粛清』の名のもとで多くの華人らを虐殺した。企画では、この上陸を浜辺で目撃した人や、憲兵隊が『犯罪者』として住民を木につるすのを見た人、自分に日本語を教えた日本人の床屋がスパイだったかもしれないと振り返る人など、これまで約50人の証言を紹介。『本当にこんなことがあったとは』などと話題になってきた。
 『この土地で戦争があったことすら、ほとんどの若者は知らない』。企画の責任者のイアン・イーさん(35)はそう話す。企画を思いついたきっかけは、祖父ヨックスンさんの死だ。9年前に病気で亡くなる直前、戦争の話をしきりにしていた。日本の占領下で飢えに苦しみ、根を食用にするキャッサバの葉を食べたこと。戦争で人は豹変すると知ったこと──。
 こうした記憶をただ途絶えさせてよかったのか。悩み、戦時中の人々の体験を記録しようと思いたった。
 取材を始めると、人々が積極的に語ってくれることに驚いた。憲兵隊による住民の処刑を目撃したという女性は、『私はこの物語を話すために生き残っていた』と話した。
 イアンさんは『マレーシアには「過去にこだわらず前に進もう」』という文化がある。そう言われて70年以上も語られなかった記憶が、彼らの中に積もり積もっていた」気付いたという。
 一方、マレーシア国民大のヘレン・ティン准教授は『戦争の記憶が語られにくかった背景には、政治的要因もあった』と指摘する。
 マレーシアは人口の7割をマレー系など、2割を中華系、1割をインド系が占める。旧日本軍はマレー系住民を優遇したが、華人は一部が抗日活動を展開していたことなどから強硬な取り締まりを受けた。そのため、戦争を振り返ることは民族対立につながりかねない複雑な問題だった。
 そうしたこともあって、『ルックイースト(東方)政策』を唱えたマハティール首相が打ち出したのが『未来志向』。1994年には村山富市首相と会談で『(戦争のことを)謝り続けることは理解できない』とも語った。また、公立校の歴史教科書も90年版から『粛清』などへの言及がほぼなくなり、『英国に対する日本の勝利』に重点を置くようになった。
 ティン准教授は『今の若者の戦争の知識はほぼゼロだ。スター紙のような取り組みが広がれば、華人社会で語り継がれてきた歴史を国民全体の記憶として広げられることができる』と期待する」
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 次世代への記憶 小説に残す
 『語られなかった』世代の歴史を、子や孫の世代が語り直さなければ──。華人の作家、タン・トワンエンさん(47)もそんな思いで小説を書いている。
 これまでに日本のマレーシア侵略と占領をテーマにした小説を二冊発表し、いずれも文学賞の最高峰の一つ、英国のブッカー賞の候補作となった。2012年の最終候補に選ばれた『The Garden of Evening Mists(夕霧の庭)』は俳優の阿部寛さん主演で映画化が進む。
 親戚の被害を聞いて育ったタンさんにとって、戦争は身近な話題だった。母の叔母は映画館で、日本軍が銃を乱射する場に居合わせ、そばにいた人の血しぶきを浴びたと話した。
 タンさんは以前、地元ペナンで有名な教会を訪れた時、日本人の老夫婦を案内したガイドが、教会が受けた被害について『大丈夫です。もう過ぎたことで、忘れられています』と言っているのを見た。その時、『大丈夫ではない』と思ったという。
 『夕霧の庭』では『どんなに薄いインクでも人の記憶より長く持つ』という文章が繰り返される。込めた思いをタンさんはこう語る。
 『歴史は常に、自分たちの主張に沿うよう書き換えたいと思う者によって手を加えられる。起きたことが忘れられることは、あってはならない』(クアラルンプール=守真弓)」
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 東南アジア各地では、白人植民地支配に協力する華人・華僑と植民地支配される地元住民との間には憎悪による民族対立が存在していた。
 後のベトナム戦争カンボジア内戦も、その本質は白人支配に対する解放戦争ではなく、中国系住民と非中国系住民による民族戦争でった。
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 マレーシアの中国系住民はシンガポールに追放され、ベトナムの中国系住民はポートピープルとして脱出した。
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 白人植民地時代。地元住民は人間以下、家畜か獣の扱われ、殺されようが奪われようが何も言えなかった。
 そうした地獄の様な状況が数百年続いていた。
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 キリスト教会は、悲惨な状況に置かれている地元住民を助けなかった。
 キリスト教会が助けた人間は、改宗したキリスト教徒のみで、改宗を拒否した異教徒は見殺しにした。
 キリスト教の「隣人愛信仰」とは、そうした「愛」の信仰である。
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 8月14日 朝日新聞「戦争体験語る
 高級ホテルチェーンのジャングリラホテルなど創業者として知られるマレーシア人の富豪ロバート・クオック氏(95)が朝日新聞のインタビューに応じ、アジア太平洋戦争での日本軍の侵攻に関する自身の体験について語った。『若い人たちに、歴史を知ってほしい』と訴えた。
 クオック氏は、砂糖取や不動産業で成功した実業家。米誌フォーブスの今年の富豪ランキングではマレーシアで首位で、昨年はマハティール首相(94)を支える賢人会議のメンバーも務めた。2年前に出版した自身の回想録に記した戦時体験をテーマに7月に香港で取材に応じた。『(戦時の)記憶は心と魂に刻み込まれ、書かずにいられなかった。虐殺を目の前で見たわけではない。でも、身近な人が殺され、多くの悲しい出来事があったことを知っている』
 マレー半島では、日本軍によって多くの華人(中国系住民)らが殺害された。華人であるクオック氏は当時、家族や知人から、身近な人々の被害について聞かされたという。たとえば、同じ学校に通っていた中国出身の女子生徒は、日本軍にレイプされ、家族とともに殺された。父親が排日運動の資金集めをしていたことが原因かもしれないという。地元住民と欧米人双方のルーツを持つ『ユーラシアン』と呼ばれる人々が暮らしていたジョホール州郊外の集落では、日本軍が多くの人々を殺害し、親友の一人も犠牲になった、と話した。
 日本については『正直で勤勉な人々の国だが、(戦争は)わずかな人々によって誤った方向に導かれた』。『マレーの虎』と呼ばれた陸軍大将の山下奉文が処刑される直前に残した言葉の英訳版を数年前に読み、反省と平和への思いに感銘を受けたという。(香港=守真弓)」
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 東南アジアの諸民族の独立派・解放派民族派は、白人植民地支配から独立する為に日本をアジアの盟主と認めて軍事支援を求めたいた。
 共産主義派は、軍事支援をソ連中国共産党に求めた。
 植民地支配を支援する人々は、反日組織を形成し、対日で共産主義派と密かに手を結んでいた。
 東南アジアは反日であり、その反日に協力する日本人が存在していた。
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 日本軍の東南アジア攻略における敵とは、連合軍と華人・華僑の反日組織であった。
 日本軍は、白人、華人・華僑との戦争に勝つ為に植民地支配で苦しめられてきた現地住民を味方にするべく宣撫工作を行い、独立派・解放派民族派を味方にするべく謀略工作を行っていた。
 地元の独立派・民族派解放派は、白人による植民地支配からの独立を目指して日本軍に協力し、植民地支配に協力する裏切り者や華人・華僑を攻撃した。
 少数兵力の日本軍が快進撃をして早期に勝利する為には、地元住民の全面支援と積極的協力がなければできなかった。
 何故なら、シンガポール攻略の為には後方の占領地や補給拠点に治安部隊を残す兵士の余裕がなかったからである。
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 世界は、中国人・華人・華僑による数多くの日本人虐殺を不問に付したが、日本人による中国人・華人華族に対する惨殺を非人道的重大犯罪であると問題視している。
 つまり、中国人・華人・華僑は人として扱ったが、日本人は人として扱われなかった。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人が、日本人を奴隷として売ったのは東南アジアであった。
 16世紀後半から17世紀前半にかけて、東南アジア各地で数百人から1,000人近い日本人が住む日本人町が突然出現した。
 東南アジアの人々は、日本人を奴隷として買っていた。
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 何万人、何十万人の日本人が、奴隷として売られたのか分からない。
 何千人、何万人の日本人奴隷が、交易船の難破や海賊船の襲撃で目的地に着けず海の底に沈んだか分からない。
 或いは、アフリカ人奴隷のように何人が生きたまま海に捨てられたか分からない。
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 日本国内には、奴隷として東南アジアに売られた日本人より、東南アジアで日本軍が行った惨殺を問題する日本人が少なからず存在する。
 だが、それは世界でも同じで、奴隷として売られた日本人に同情する人はいない。
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